第1章 18.フェルカの怒り
あれから1週間ほど経ったが、私は魔素に辿り着く手掛かりさえ見つけられずにいた。
そして、私はというと、少しでもご主人様の期待に応えあの二人に追いつくために、夜こっそりと屋敷を抜け出して、あの場所で一人灯りを携えて修練をするのが日課になった。
虫の鳴き声と風で草木が揺れる音しか聞こえない…、静寂に包まれた森の中は、むしろ昼間よりも精神を集中させるには格好の環境だった。
相も変わらず、私の中の魔素は全く見えてこないが、それでも何か手掛かりが掴めるような気はした。
ところで…、私が夜あの場所に行くと、かなりの頻度で草薮からガサゴソと、何かが蠢く比較的大きい音が聞こえる。
この森に生息している動物だろうか…、一応敷地内ではあるし、獰猛なのは生息していないとは思うが…。
そもそも、そんなことに注意が散漫になるから、ご主人様に叱られるのだ…。
今、私がやるべきことは一つだけ…、喧噪に気を取られている場合ではない…!
その謎の生き物も、私の周囲の草薮の中を動き回るだけで、私の方には一切近づいて来ない。
いつしか、私はその存在が全く気にならなくなっていた。
こうして苦闘することおよそ3週間…、ある日のことだった。
いつものように、ご主人様の前で精神を集中させて、自身の精神世界の中に立ち入る。
夜の森の中での自主特訓の成果か、その日の私の感性はとても研ぎ澄まされていた。
外界からの一切の刺激や知覚が遮断され、私は自分の精神世界の中で迷いも気負いもない心地でふんわりと自由に泳いでいる。
まるで自身の意識そのものが、精神世界に入り込んでしまった状態だ。
「今私はここにいる」と確実に言えるだけの実体がそこにはあった。
その世界は一寸先も闇の、暗黒の世界だった。
それでも…、何故か私はその世界で途方に暮れることなく自由自在に泳いでいる。
やはり、自身の内面の世界だからなのだろうか…?
そして、感性の赴くままに暗闇を進むと…、ぼんやりと白く光る霞のような現象が見えた。
あれが求めに求めた、私の魔素なのか…?
私は恐る恐るそれに手を伸ばそうとするが……
その瞬間、私はまるで夢から急に目覚めたかのように、現実に戻された。
途端に、ひどい倦怠感が私を襲い、足腰は震え、私はその場にしゃがみ込んでしまった。
目の前に立ちはだかるご主人様を見て、「また叩かれる…」と私は怖気付くが…
「どうやら見えたようだな?」
彼は淡々とした口調で私に言葉をかけた。
「は、はいっ…。暗い闇の中にぼんやりとした光が見えました…」
「そうか…、そこまで見えたのならあと一歩だ。魔素を探し出すためには膨大な精神力が必要になる。引き戻された途端、ここまで疲弊しているのは、お前の持つエネルギーが多量に精神の鋭敏化に向けられたからだろう。もっと体力を付ける必要もあるな。ともあれ、ここまでよく頑張った。これからも励みなさい」
決して表情を和らげることはなかったが、ご主人様は初めて私を褒めてくれた。
「はいっ、ありがとうございます…!」
私は、まるでプレゼントをもらったかのように、その言葉がとても嬉しかった。
一方、時同じくして、私はフェルカの部屋に呼ばれた。
彼女の部屋は私の部屋と大差はないが、やはりこの室内で過ごすことが多いからか、本棚が2架備えてあった。
そして、棚には常備薬が入っており、テーブルにはまだ製作途中の編み物が置いてある。
「あの…何かご用でしょうか?、お姉様…」
部屋に入って早々、私が要件を尋ねると、彼女は物静かながら鬼気迫る表情で私を問い質した。
「ねえ、クラリスちゃん…、あなた、何か私に隠し事をしてるんじゃない?」
いつもの温和で優しい佇まいからは想像もつかない彼女の様相に、私はただならぬ気配を感じる。
「い、いえ…、隠し事なんて何も……」
「嘘おっしゃいっ!」
私が誤魔化して返事をすると、ついにフェルカは声を荒げた。
初めて、彼女が私に見せた怒りに、私は完全に萎縮してして、口ごもってしまう。
「ずっと長袖ばかり着て肌を見せようとしないし、おかしいと思ってた…。夜コソコソと隠れて外に出ていることも、私知ってるのよ?」
彼女に次々と図星を突かれ、私は何も言い返せない。
その様子を見て、彼女は確信に至ったのか、さらに私を問い詰めた。
「クラリスちゃん…、ちょっと体を見せてみなさい」
「えっ……、いや…ちょっとそれは……」
「いいから、見せなさいっ!」
フェルカは嫌がる私の腕を無理やり引っ張って、着ているブラウスの袖を捲った。
そして…、痣だらけの腕を見て絶句する。
「な、何なのこれは……。まさか、お父様にやられたの…!?」
彼女の動揺する顔を直視できず、視線を逸らす私の様子を見て、彼女は察したようだった。
「ひどい…いくら魔術の修練とはいえ、こんな小さな女の子になんて仕打ちを……。私、お父様に抗議してくるわっ!」
フェルカは憤激に駆られて、勢いに任せて部屋を出ようとするが、私は彼女のネグリジェの裾をグッと掴んで引き止める。
「やめて下さい…! お姉様のお気持ちはとても嬉しいです…。でも、私が望んだことなんです…。ご主人様は何も悪くありません…!」
「で、でも…、このままじゃあなたの体が傷物になってしまう……。姉として妹がそんな目に遭うことを見過ごせないわ!」
「……あと少しなんです。あと少しで術が使えそうなんです…。この家の子供であるなら、魔術を自由自在に使いこなせて当然……。私は自分の力で…この家の人たちに家族だと認めてもらいたいんです…! だからお願いですお姉様…、私を信じて下さいっ!」
私の必死の懇願に、ドアに向かおうとするフェルカの足取りが止まった。
彼女は私の方を向いて、私の頭を撫でながら…、諦め気味に力なく笑ってこう言った。
「まったく…あなたは強い子だけど、とても強情な子なのね…。わかったわ…私の負けよ…、あなたを信じるわ…。でも、本当に辛くて我慢できなくなったら、必ず私に言うこと、わかったわね?」
「はいっ、ありがとうございます、お姉様…」
フェルカに余計な心配をさせないためにも、一刻も早く私の魔術を完成させなければ……。
私は強くそう決意をした。




