第1章 15.戦慄の教会
ご主人様からの体罰は毎日のように続き、身体の痣の数は日に日に増えていった。
私はこの頃から、手足の痣を隠すために、屋敷内や人前では長袖のブラウスや長丈のスカート、ワンピースを着用するようになっていた。
もちろん、痣だらけの姿を他人に見られたくないという理由もあったが、一番の理由はフェルカに要らぬ心配を掛けさせないようにするためだった。
ところで、私がこの家に来て初めての休日…、フェルカは私を屋敷の外へと連れ出した。
「あの…どちらへ向かっているのですか…?お姉様…」
「うん…クラリスちゃんがこの家の子になるに当たって、教会に届出を出さなくてはならないの。だから今からその教会に向かうのよ」
「教会…ですか……?」
教会と聞いて何故だか、あまりいい心地がしなかった。
理由はわからない。
「そう。私たちの国は月を御神体に戴く、月理教を国教としているの。そして、この街に暮らすほとんどの人々は、各家が帰依する月理教の教会に籍を管理してもらっているのよ。私たちのミドルネームである『ディーノ』が、教名と言って教会からいただいた名前なの」
教会から与えられる名前といっても、皆が皆与えられるわけではなく、寄進など教会に貢献した家系に与えられるもので、一定の経済力や地位を満たした家だけに限られる。
そのため、庶民の間では、ミドルネームを持つことは、一種のステータスでもあるらしい。
教会に行くこと自体はあまり気が進まなかったが、彼女とこうやって屋敷外へお出かけが出来ることに、私は内心、心が弾んでいた。
今日の彼女は、肩部が透けた涼やかなクリーム色のシフォンドレスと、それに合わせて赤い大きな宝石のバックルが付いたベルトを身に着けており、薄っすらと化粧もしている。
普段、屋敷内では、部屋に閉じこもりがちのネグリジェ姿の彼女しか見る機会がないので、彼女の年頃の女性らしい姿はとても新鮮だった。
こうして見ると、本当にこの人は美しい。
まさに、私の理想の女性だ。
その教会は、屋敷から市街地の方向へ徒歩20分ぐらいの場所にあった。
「ここが、私たちがお世話になっているヌビア教会よ」
そう言ってフェルカが案内したのは、センチュリオン家の屋敷とほぼ同じ大きさで、3階建ての純白な、石造の堅牢な建物だった。
建物が質素な佇まいなだけに、正面中央に配置された青く輝く月の大きなオブジェが一層際立つ。
「さあ、行きましょ。ここの神官様はね、とても優しいお爺ちゃんだから、そんなに身構えなくていいわよ…」
私の不安げな顔を見て、察したように、彼女は私にそっと語りかけた。
フェルカの後に付いて恐る恐る建物の中に入ると、いきなり3階吹き抜けの開放感のある広い空間に出た。
たくさんの長椅子が整然と配置され、椅子がまるで道を譲るかのようにフロアの中央を鮮やかな青色の絨毯が通る。
その絨毯の行き着く先には、金色の十字架を背景に青色の三日月が重なった、一際大きいオブジェが鎮座していた。
ここはどうやら月理教の礼拝堂のようだ。
私たちが建物に入り数十秒経って、二人の神官が出迎えに来た。
一人は立派な白髭を生やした温厚そうな老年の男性で、もう一人はやや愛想に欠けた中年の男性だった。
二人とも白地に縁に金色の刺繍が施されたローブを着用し、白髭の神官だけ胸元に勲章のようなエンブレムを付けている。
この老神官が、フェルカが言っていた神官のようだ。
「これはこれはフェルカ嬢、ご足労お掛けして申し訳ございませぬ。お父上からはお話は伺っております。こちらがその娘さんですかな?」
老神官がフェルカに尋ねた。
「ごきげんよう、お爺様。ええ、この子が当家の次女となる女の子です。名は『クラリス』と言います」
フェルカは彼を『お爺様』と呼び、とても親密な様子で会話をしている。
『とても優しい』とは本当なのだろう…。
「では、この娘さんから少々お話を聞きたい故、申し訳ないが、あなた様はしばらく別室にてお待ちいただけますよう…」
老神官は彼女にそう告げ、私を教会の奥へと連れて行った。
私が案内されたのは、机が1台に椅子が4脚置かれただけの、清潔ではあるが簡素な部屋だった。
老神官は私に椅子に座るよう促す。
「さて…クラリスちゃんだったかの? そう硬くならんでよろしい。私はこの教会の神官長セナドラ・オルテ・レドミーという。少々質問するだけじゃから安心なさい…」
そう前置きをして、彼は優しく語りかけるように話しを続けた。
「君は自身の名前以外、記憶を完全に失ってしまっていると聞いたが、それは本当かね?」
「は、はい…」
彼の質問に私がそう答えると、隣に座っている中年の神官が訝しげな表情で私を睨んだ。
ご主人様やトテムにも似た鋭い眼光に、私は思わず萎縮してビクッとしてしまう。
その様子を見た老神官セナドラが、彼に注意をする。
「これっ、そのような目で見るのはやめなさい。こんな小さな子供相手に大人気ない…」
やはりセナドラの方が身分が上なのだろう…、中年の神官は渋々指示に従い、私から視線を逸らした。
「では、記憶があるところからでいい…。君はどうやってこの街に来て、センチュリオン家に入ったのかね?」
「そ、それは…」
まさか、ガノンの街で奴隷として売られていたところを、ご主人様に買われる形で救われたなど、言えるわけがない。
そんなことを告白してしまったら、ご主人様やあの家に迷惑を掛けることになってしまう…。
当惑して言葉に詰まり、押し黙る私を見て、セナドラは質問を変えた。
「なら、この街に来る前は、君はどこに誰と住んでいたのかね?」
質問内容は変わっても、答えなくてはならない内容に変わりはない…。
俯いて、彼らから視線を逸らして、頑なに押し黙っていると…、その時だった!
バァーンッ!!!
中年の神官が手で机上を激しく強打した。
重々しい高音が、静寂な部屋の中に響き渡る。
そして続けて、苛ついた様子で私に声を荒げた。
「貴様、何故黙っている! 何か疚しいことでもあるのではあるまいな!?」
私はもう完全に恐怖に慄き、まともに話せる状態ではなかった。
「こらっ、やめんか!」
「しかし、神官長…、このままこの娘がダンマリ決め込んでるようでは、話が進みませぬ。それに疾しいことがないのなら、何故この娘は何も語ろうとしないのです?」
「疚しくはなくとも、この子の心の傷になっていることもあろう…。この子は犯罪者ではないぞ。こんなか弱い少女相手に恥ずかしいとは思わんのか?」
「可能性はあるでしょう? 重罪人や邪教徒の子供であるかもしれない。そんな得体の知れない子供を養女にするなんて、センチュリオン卿は一体何をお考えなのか…理解に苦しみますな」
「言葉を慎め!」
セナドラは彼を一喝したあと、少し間を置いて話しを続けた。
「……悪いがお主は出て行ってくれ…。私一人で話しを聞こう…」
彼に出て行くよう命じられた中年の神官は、忌々しそうな目で私を睨み付け、渋々退室していった。
すっかり怯えてしまい、ブラウスの袖を強く握り締めて体が小刻みに震えている私を見て、セナドラは優しく申し訳なさそうに私に言った。
「あの男がすまなかったの…。ただ、君があの家の子供になるために、どうしても確認をしなければならないのじゃ…。私にでも、話すのが辛いのなら、お姉様にも同席していただこう。どうかな…?」
フェルカには迷惑は掛けたくない…。
彼に優しい言葉を掛けられても、私は頑なに黙秘を貫き通そうとするが…、これは子供が駄々捏ねたところでどうにかなる問題ではないことを、ようやく理解する。
「……お、お願い…します……」
彼の申し出に、私は声を震わせながら答えた。
それから数分後…、フェルカが小走りで、やや息を切らせながら部屋へとやって来た。
「おお、フェルカ嬢、わざわざお越しいただき申し訳ない…」
「な、何があったのですか…!?」
顔が蒼白になって俯いたまま動かない私を見て、彼女は大きく動揺の声を上げた。
「実は先程、私の横にいた神官がこの子に対して、脅すような態度を取ってしまいましてな…。しかもあの男、あなた様方のお父上まで侮辱するような言葉を吐きおった…。誠に申し訳ございませぬ…!」
「そ、そんな…」
フェルカはセナドラの謝罪に一言そう反応すると、すぐさま私の元に駆け付けて、何も言わずに優しく私を抱きしめてくれた。
その彼女の体温と、もう私の鼻が覚えてしまった彼女の匂いに、私は大きく心が安らぐ感を覚えた。
そして恐怖から解放され安心した途端、涙腺が一気に緩み、セナドラの目を憚ることなく、私はフェルカの胸元で号泣した。
その間、彼女はまるで赤ん坊をあやすように、私を慰めてくれた。
ようやく私が泣き止んだところで、セナドラは再度私に語りかける。
「すまんのう、お嬢ちゃん…。私とて無理強いはしたくはないのだが、こればかりは決まりでな…。どうだろうか…話してはもらえんだろうか…」
「……クラリスちゃん…、話せる?」
フェルカに促されて、ようやく決心がついた。
私は「はい…」と弱々しく答えて、彼の前で重い口を開いた。
私が一通り話しをし終わると、フェルカは「よく話せたね」と言わんばかりに、私の頭を優しく撫でた。
「なるほど…そういう事情であったか…。それは、おいそれと他人には話せんわけだ…。お嬢ちゃん、色々と不快な思いをさせてすまんかったな。出生が不明なのが少々気がかりではあるが、センチュリオン卿が自らお認めになった子じゃ。これからまだ審査会を経なければならんが、届出はまず間違いなく認可されるでしょう…」
それを聞いて、ずっと神妙だったフェルカの表情が綻んだ。




