第1章 13.彩られていく世界
次の日から、いよいよ私のこの家での生活…、つまり魔導士になるための修行が始まった。
朝起きて、身支度を整え朝食を摂った後、午前は座学から始まった。
ちなみに、この国の魔導士一家の子供が教育を受ける方法は二種類あり、一つは王国が運営する魔導教育学院という名の学校に通う方法…、もう一つは各家で家庭教師を雇って、自家で教育を施す方法だ。
後者の方法は、名門の一族において実践され、例に漏れず、このセンチュリオン家でも伝統的に自ら教師を雇い入れている。
ただし、教師といっても専門職ではなく、普段はご主人様の部下として城でお勤めをしている人たちで、彼の引き抜きによって、この家の子供たちの家庭教師として働いてもらっているのだという。
そんなわけで、私一人だけのだだっ広い部屋で、この家の直属の先生より教えを受ける。
午前中の座学の授業は、それぞれの熟練度や到達度に応じて、担当の先生が個別に就く。
ちなみに、病弱のフェルカも、体調が酷く崩れない限りは、座学だけは欠かさず受けている。
私の先生は、中年の女性ながら綺麗な肌つやで、鼻が高く顔の輪郭がはっきりした美人だった。
この家の家系に劣らず長身で、赤みがかかった癖毛が目立つ長い髪を、そのまま靡かすように活かしている。
「はじめまして、今日からあなたを担当するフェニス・ゲート・カンタレです。よろしくね」
「は、はじめまして…、クラリスと言います…。よろしくお願いします…!」
「クラリスね、よろしく。まあそんなに固くならなくていいわよ。気楽にいきましょ!」
「は、はいっ…」
彼女はとてもサバサバした性格で、少し男前な爽やかな笑顔が印象的な先生だった。
「じゃあ、どこからやっていこうか…? 魔術を習うのは初めてなのよね?」
「はい…」
「なら、まずは魔術というものについて教えようか」
そう言って、彼女は一から魔術という概念について説明をしてくれた。
魔術とは、術者自身が持っている魔素と術の内容を指示する術式を、大気中に無尽蔵に含まれるマナを媒介にして結合させ、森羅万象に作用させることによって発現する現象のことを言う。
術式自体は呪文のようなものなので、誰でも暗記すれば覚えられる。
問題は術者自身が持つ魔素で、こればかりは生来によって左右される要素が大きい。
しかし、魔素を持っており、術式を覚えたとしても、それで魔術が使えるわけではない。
魔素と術式をマナを媒介として結合させるには、術者に極めて高度な精神力が求められるのだ。
術者は己の中に眠っている魔素と真摯に向き合い、その純粋な精神世界の中で術式を唱える。
この時、一寸でも雑念が混ざったり、一瞬でも外部から受ける感覚に気を取られたりしたら、全ては台無しになる。
その境地に至るのが、非常に難しいのだという。
その一方で、魔導理論に基づかない、邪神に生贄を捧げて、その代償に邪神による奇跡を起こすという闇魔術なるものもあるらしいが、話が荒唐無稽過ぎてどこまで真実なのかはわからない。
闇魔術を信奉する人々は、光から隠れ潜むように存在し、月を御神体とするこの国では、普段の何気ない会話でそれを話題にすることすら憚られる。
「まあ実践については、午後から別の先生方が教えてくれるわ。ここでは術式を覚えましょう。あと、魔術だけじゃなくて一般的な教養も教えていくからね」
「はい、お願いします…」
先生はまず机の上に何冊かの本を置いた。
「好きに読んでいいわよ」
そう先生に促されて、私は置かれた本に一通り目を通す。
それらの本は全部魔術に関するものだった。
すると、先生が驚きの声をあげた。
「えっ…、あなたこれが読めるの!?」
「全部ではないですけど……部分的になら何とかわかります…」
その時、私が読んでいたのは、術式の論理構造を解析している本だった。
確かに、他にも簡単な言葉で術式のみが書かれていたり、絵を使ってイメージでわかりやすく教える本もあったが…。
「たまげたわね…。まさかこの歳でこれが読める子供がいるとは……。トテム様以来の秀才だわ…こりゃ……」
トテム様とは長男のことか…、やっぱり長男だけあってあの人は優秀なんだ…。
「あなた、一体これをどこで教わったの?」
「わかりません……。実は私…生まれてから、ついこないだまでの記憶がないんです……」
「ああ…ごめんね、聞きづらいこと聞いちゃって……」
暫し、二人だけの部屋で気まずい沈黙が流れるが、その原因の責任を取るように先生は話を切り出した。
「でも、あなた本当にすごいわよ! こりゃあ、教えがいがあるってもんよ。さあ、早速やりましょう!」
こうして、先生は私の到達度に合わせた授業をしてくれた。
その内容は、術式のみならず、歴史、算術、世界情勢、地理など多岐に渡った。
よく考えたら、こうやってしっかりと勉学を教わるのは、記憶の上ではこれが初めてだ。
旅中、断片的にご主人様に色々と教えてもらったことはあったが…。
先生の授業はとてもわかりやすく、一つ一つ疑問が解き明かされたり知らないことを知る度に、私の見る世界が彩られていくような…、そんな刺激と快感を覚えた。
時間が経つのも忘れて、気がつけばあっという間に正午になっていた。
「先生、ありがとうございました。とても楽しかったです!」
「こちらこそありがとう、クラリス。そう言ってもらえると嬉しいわ。それにしても、あなたは本当に素直でいい子ね…。まったく、もう一人の子にあなたの爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいわ…」
「もう一人の子…?」
「リグよリグ。いるでしょ、生意気で減らず口ばっか叩いてる悪餓鬼が…」
なるほど…あの子もこの先生の教え子だったのか…。
「まったく…あの子ときたら、私の話は聞かないわ、授業中勝手に部屋を脱走するわで本当に手を焼かされたものよ…」
先生はそう言って、リグへの不満ばかりを打ち明けたが、その表情からは不満や苛立ちは全く感じられず、むしろ彼との日々を懐かしんでいるようだった。
「あの…、今はリグ…くんを教えていないのですか…?」
「ああ…、私の授業で横着ばっかしていたのがお父上にバレてね…、担当を変えられたのよ。今頃は私なんかよりももっと恐ろしい男の先生の前で絞られてるんじゃない? でもまあ、手の掛かる子ほど可愛いとはよく言ったもんだね…」
先生は物悲しげな表情を浮かべながら、力なく薄っすらと微笑んだ。




