第1章 10.魔導士一家の日常
1ヶ月にも及ぶ長旅は順調に進み、私たちはついにジオスの街へとやって来た。
ガノンでのあの出来事からもう早2ヶ月…、ガノンの街にいた頃は、一日を過ぎるのが果てしなく遠く感じたが、ガノンからここまでの2ヶ月はあっという間に過ぎた感がある。
鬱蒼とした木々に囲まれた森を抜け出ると、車窓からの風景は田園地帯や小さな集落が点在する平野に変わり、その中心に、巨大かつ壮観な城塞がそびえていた。
フェルトやガノンは塀も検問所もない街だったのに対し、ここジオスは完全な城塞都市だ。
城下街全体が高いブロック造りの城壁に取り囲まれており、さらに城塞の周囲には堀が張り巡らされている。
そして、馬車は跳ね橋が掛かった巨大な正門を潜った。
高い城壁に囲まれており、市街地は面積が限られているためか、フェルト比べたらこじんまりとした印象を受けた。
しかし、それでも街は活気に溢れていて、人々は穏やかに生活している様子だった。
むしろ狭い分、フェルトよりも生活の利便性は高いのかもしれない。
馬車は正門から、真っ直ぐ数百メートル進んだ位置で停まった。
切符を売る小屋や仮設の商店が並んでいる。
どうやらここが停留所のようだ。
乗客は徐に、皆ぞろぞろと馬車から降りた。
1ヶ月にも及ぶ長旅なので、出迎えを待つ人たちもたくさんいた。
やっと帰って来た愛する人を抱擁で出迎える光景を見ていると、何故だか胸が痛くなる。
そうこうしているうちに、ご主人様の元に、背広でしっかりと決め込んだ、清潔感溢れる佇まいの二人の男が近づいて来た。
「旦那様、お帰りなさいませ。長旅、ご苦労様にございます」
「うむ、出迎えご苦労であった」
二人はご主人様を送迎に来た、センチュリオン家の家人だった。
そして、一人が私の存在に気付いた。
「おや、旦那様、そちらの娘は…?」
私は緊張のあまり、思わずその家人から目を逸らしてしまった。
「少々事情があってな…。この娘も屋敷に連れて行く。理由は帰ってから話そう」
「かしこまりました…。馬車はあちらに停めてございます。さあ参りましょう」
こうして、私は彼らに案内されるがままに、ご主人様と一緒に小型ながらも高級そうな調度品がふんだんにあしらわれた馬車へと乗り込んだ。
馬車は大通りを直進した後、市街の中央に位置する、天を目指すようにそびえ立つ荘厳な城を東に横切って、弧を描いている城の堀に沿って城の背後に回るように進む。
しばらくすると、商家や民家はまばらとなり、その代わりに高い塀に囲まれた大豪邸が多く建てられている地区に出た。
広大な敷地に、屋敷同士はゆとりある距離間隔で建てられており、市街の喧騒感は全くなく、とても牧歌的な印象を受ける。
自然も所々に残っており、特に屋敷が集合しているその先には、城塞内にあるとは思えないぐらいの深い森が広がっている。
私たちを乗せた馬車は、その中でも一際規模が大きく、立派な門構えの屋敷へと入って行った。
門を潜っても、そこからまだ広い庭園が続き、馬車は止まらない。
この時、私は不安と緊張とで、極度に気を張り詰めていた。
私はこの家の人たちに受け入れられるのか……、私はここでどういう扱いを受け、どういう生活を送ることになるのか……。
それに、ご主人様は私に優しく接してくれているが、私たちは決して親子ではない。
私を奴隷ではないと言ってくれたが、主従関係であることには変わりはないのだ。
もちろん、ご主人様の恩義に報いるために、この家のために出来ることは何でもやる所存だ。
下女としてなら喜んで働くし、体を求められるならそれにすら応じる覚悟もある。
もちろん、彼はそのような下衆な行為は絶対に許さないのだろうが…。
そして、ついに馬車は停まった。
「着いたぞ」
「は、はいっ…」
外から馬車の扉が開けられる。
その眼前には、男女5人ずつ計10人の使用人がご主人様の帰りを待っていた。
皆同一の清潔感のある、男性は執事服、女性は黒の無地のワンピースに白エプロンの給仕服に身を包み、一糸乱れぬ佇まいで整列している。
そして、寸分違わぬタイミングで「お帰りなさいませ、旦那様」と…、これまた寸分違わぬ角度のお辞儀も添えて、彼らはご主人様を出迎えた。
「皆ご苦労だった」と彼は使用人達を労い、執事の一人に指示を出した。
「この娘を少し休ませたい。適当に部屋を用意してくれ」
「かしこまりました」
その執事は私の存在が全く気にならないかのように、忠実に主人の指示を実行した。
ご主人様に連れられて屋敷内に入る。
屋敷の中は、一つの階が普通の家の二階分はあるのではないか思うぐらいに天井は高く、廊下は遠くまで直線で続いており、その幅も大人がそこに横になって寝ても壁に足が着かないぐらいに広かった。
さらに、所々に華美になりすぎない程度に、煌びやかな宝飾品や貴金属で装飾が施されている。
そうこうして、私のために用意してくれたという部屋に案内された。
「段取りができ次第、使いの者を寄こす。それまでこの部屋でゆっくりしていなさい。くれぐれも勝手に出て行ったりして迷子にならないようにな」
そう言って、ご主人様はお付きの使用人とともに、長く続く廊下の奥へと消えた。
複雑に織り込まれた色鮮やかな絨毯が敷いてあり、装飾が施された長机が革張りの2脚のソファーに挟まれて配置されている、まるで応接室のような部屋で…、私は暫く待機をさせられた。
ベッドのように広いソファーに寝転ぶが、布地に比べたらあまり心地は良くない。
小さい背を精一杯背伸びさせて、窓の外を覗いてみた。
毎日、綿密に手入れされているのが手に取るようにわかる、色とりどりの花々が織り成す美しい庭園と、その奥にはたくさんの木々が繁った、鬱蒼とした森が見える。
あの森は、たぶん私がこの屋敷に入る前に、馬車の車窓から見えた深い森の一部なのだろうが、あそこもこの家の敷地内なのだろうか…?
そうぼんやりと物思いに耽ていた…、その時だった!
ズドオォォォン!!!
森の中から、何やら爆音のような音が響いた。
衝撃で、森の中の鳥たちは一斉に飛び立ち、屋敷の窓がわずかに振動する。
「な、なに、今の……?」
私は、思わず独り言を発して、慌てふためいた。
しかし…、本当に驚いたのはこの後だった。
明らかな異常事態のはずなのに、全く周囲が騒がしくならないのだ。
庭園で作業をしている使用人たちも、何事のなかったかのように平然と自身の仕事に没頭している。
一体何なのだ……これがこの家の日常なのか……。
するとその時、「コンッコンッ」と部屋のドアがノックされる音が聞こえた。
そして、総白髪の老年ながらキリッと背筋が伸び、引き締まった佇まいの執事が入って来た。
「クラリス様、お待たせ致しました。私は執事長のコマック・ケルフ・フォスターと申します。さあ、参りましょう」
彼がご主人様の言っていた使いの者だった。
その見た目の印象とは裏腹に、とても物腰が柔らかく、温和な人柄の人だ。
執事としての貫禄も漂い、きっと長い間、この家に仕えているのだろう。
それにしても、どこの馬の骨かもわからない小娘を『様』呼ばわりとは…。
恐れ多いやら申し訳ないやらで胸がいっぱいだ。
老執事コマックに連れられて、私は部屋を出て、これからの私の人生を決定するであろう場所に向かって、長く続く廊下を歩く。
「あの……、一つ質問してもいいでしょうか…?」
「はい、何なりと」
極度の緊張状態を紛らわすために…、彼の人柄の良さに甘えるように、私は先ほどの件について聞いてみた。
「さっきの森から聞こえて来た轟音は…、一体何なのですか?」
「あれはこの家のお子様方が魔術の修練をされているのです。この家では日常のことです。クラリス様もすぐに慣れますよ」
「そ、そうですか…」
フェルトの街で誘拐された私を助けてくれた際に、ご主人様が見せた魔術…。
この家の子供たちも、父のような大魔導士になる宿命を背負っているわけだ…。
どれぐらい歩いたのだろう…、数分程度だとは思うが、体感的には数十分にも感じられた。
ついに、ご主人様たちが私を待つ部屋の前へとやって来た。
不安と緊張で、心臓は発作を起こしそうなぐらいバクバク脈を打っている。
ちゃんとしっかりと話せるだろうか…、粗相はしないだろうか……。
「失礼致します、クラリス様をお連れ致しました」
そう言って、コマックはゆっくりと扉を開けた…。




