玲瓏の音8
本話にはR15に抵触する恐れのある描写が含まれますので、苦手な方はご注意下さいませ。
放課後、みんなが青春の一日を過ごそうとする中、私は部活には行かずにまっすぐに河川敷に向かっていた。
見上げると、急激に曇り始めて、灰色の雲がどんよりと重くのしかかっている。
陽輝さんから話を聞いた次の日は、土日で否応無く顔を合わせることになった。
陽輝さんは近いうちに大きな仕事があるからと、自分の部屋に篭ったきりほとんど出てこなかった。お昼や夕ご飯を作っても、かき込むように食べてはすぐに自分の部屋に戻っていた。
その様がどこか他人行儀に感じて、陽輝さんが血の繋がりのない他人のように思えてならなかった。
何日かそういう日々が続き、今日、朝学校に来た時のこと、私が机の中に教科書を入れようとしたとき、くしゃりと紙か何かがつぶれる音が聞こえた。教科書を出して中を見ると、案の定くしゃくしゃになっている紙が入っていた。取り出してくしゃくしゃになった紙を広げると、名前はなく、放課後河川敷に一人でと、書かれていた。
名前が書いていないのはほかの人にばれたとき用にだろう。紙の隅に書かれた私を模した裸の少女が暗に、真奈美であることを告げていた。
一体何を話すのだろうか。やっぱり二人で一緒に休んだから、真奈美は気づいてしまったのだろうか。それとも、ここ何日かの間で私の変化に気づいたのだろうか。
自分の家族について知って以来、私はあまりプールでの行為に積極的ではなかった。麗奈は、それでもしたいと言っていたから私は首を絞めて水に沈めたけど、気が乗らなかった。
当然興奮もしない。でも、まったく退屈という訳でもなかった。麗奈の現実感を感じる助けをしていると思うと、不思議と充実感が湧いた。
河川敷に着くと、とうとう雨が降り始めた。
走って高架下に駆け込むと、真奈美がいた。
「降ってきちゃったね、雨」
真奈美は私が来るまでは川を描いていたらしく、鉛筆とスケッチブックを握って座っている。
「すぐに止んでくれると良いのに」
と私が言うと、真奈美は手に持つスケッチブック、鉛筆を地面に置いて立ち上がりスカートのお尻を振り払っている。
「小夜さ、ここ最近、変わったね」
よく考えてから答える。
「真奈美の方こそ」
真奈美はわざとらしく乾いた笑い声をあげる。
「どうしたの?」
私が聞くと、笑うのをやめて鋭く見つめる。
「この間の金曜日さ、学校に来なかったよね。麗奈と二人で、一体何をしていたの?」
「真奈美には関係ないことだよ。私のことだから」
何となくぶっきら棒に答えた。
真奈美は私の回答が気に入らないらしく、激しく睨んでいる。
「それに、知りたければ麗奈に聞けば良いのに」
真奈美は痛いところを突かれたらしく、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
元はと言えば、真奈美が麗奈と肌を重ねたことが原因だった。
麗奈は私を見つけて、私は麗奈を見つけた。二人だけの関係の中に、麗奈が気まぐれで加えた一人がたまたま真奈美だっただけだ。
今は怒りはない。でも、ちょっとした意趣返しがしたくなっていた。
「私、麗奈と付き合っているの」
「知っているよ」
真奈美は思いのほか覇気がある答え方をしたので驚きつつも、悟られないように装う。
「別に良い。あなたと麗奈が付き合っていようが、いまいが。ただ私は麗奈と触れ合えれば良いの。あの冷たい肌が私に力を与えてくれる気がしたんだ」
真奈美はあの屋上で見せたように恍惚としている。
「でも、麗奈は終わりにしようと言ったの。あなたには筆と絵があるからと、もうどこでも行けると。自分の裸婦画は一度たりとも書かせなかったくせしてね」
真奈美は眉を落とす。
「以前は描かせていたのに、どうして麗奈は描かせなかったの?」
「前の私は自分の力を伸ばすために描いていたけど、今の私は麗奈を閉じ込めようとしているからだって。辛かった。麗奈から言われる拒絶の言葉だったから」
目に僅かに涙を溜めている。
雷鳴が鳴り、高架下によく響く。それと同時により強く雨が吹き荒れる。
雷の音の合間に真奈美は語り出した。
「私は麗奈を初めて見た時から憧れていた。あの冷たくて、近寄りがたい雰囲気の中に私は美しさを感じた。でも、私には近づこうにもあなたがいて近寄りがたかった。あなたたちが眩しかったから」
生きる実感を得ようと、努力していた頃の自分を思い出す。直接言われた訳じゃないけど、明るさよりも暗さが似合っていると思う。
「麗奈はともかく、私は眩しくなんかない」
「二人を誰が見ても輝いていると思う。美しく、ミステリアスで孤高な存在、誰もが麗奈達を見ている。だから、麗奈が声をかけてくれた時、私は嬉しかった。そして、日が経つにつれて仲は良くなって、麗奈と愛し合うようにさえなれた。麗奈を愛せることが、麗奈に愛されることが嬉しかった。でも、あなたは私から麗奈を奪った。それが、昨日のこと」
どちらも選んでいた麗奈は最後に私を選んだ。でも、確かに私が奪ったとも言えた。誰かの大切を私が奪った。だから、私は黙った。と言うより、何を話せば良いか分からなかった。
「小夜が何かしたんでしょう?」
口調には怒気がこもっている。
「何もしていないよ」
弱々しく答える。
「あなたは大抵そうやって、聞かれたことだけしか答えない。それだから、私が場を白けさせないようにって、必死で話をしていたのを小夜は気づいていないでしょう」
小さな顔を赤らめて声を荒げる。
「私ね、みんなから影でおまけって言われているのよ。あなたと麗奈のおまけ。別にほかの人に何と言われようとよかったおまけでも。嫌なのはもう麗奈に触れられないこと。そんなの耐えられないよ。だからお願い、私を捨てないように言ってよ」
麗奈は以前、真奈美が絵への向上心という下心があった上で、麗奈に対して接していたと言った。でも、いまの真奈美を見て、十ゼロで全く麗奈への純粋な気持ちがなかった訳ではないと思った。
涙を流して声を張り上げる真奈美に言葉を渋りつつも、私はあったことを話す。
「真奈美はおまけなんかじゃない。真奈美が初めて今の姿で学校来た時あったよね。あの時、二人のことお似合いだって言っていた人もいたんだよ。それに私は真奈美が大切な友達なの。だから……」
「受け入れて?」
ゴクリと唾を飲む。
「私の方がずっと受け入れていたの。だから、次は小夜が私を受け入れてよ。毎日じゃなくても良いから。私の絵には麗奈という刺激が必要なの」
全く麗奈に想いを寄せていない訳ではないのは分かるけど、麗奈を創作の手助けする道具のように思っているように感じ、体が熱くなっていくのと同時に、私は声を張り上げていた。
「麗奈を物みたいに扱わないで!」
高架下に私の声が響く。
「でも、それは……」と言いかけるけれど言葉はそれ以上続かない。
涙を拭って、落ち着き払うと、前の真奈美みたく小さく掠れるような声で言った。
「ごめんなさい……」
佇立する真奈美に私は気づくと、抱きしめていた。しばらく何も言わずにいると、真奈美の方から話しだした。
「本当は分かっているの。私のは愛なんかじゃなくて、物欲だって。麗奈が欲しくてたまらないだけだって。麗奈はそれを簡単に見抜いたんだ。小夜が本当に麗奈を好きになったから、それを機会に私は捨てられたんだね」
捨てられる、なんて悲しい言葉だろうと思った。存在の全てを否定されて、亡き者にされる。それは実際の死と同じくらい重いことだと思った。
「捨てない。私達はずっと友達だから。関係が変わるだけ。多分知っていると思うけど、私ね、あの病院で真奈美と麗奈が抱き合っているのを見た。その時から本当に真奈美が憎かった。でも、いつも通りに私に接してくれている優しい真奈美を見て、憎んではいけないと思った。私と真奈美はずっと友達でいなくちゃいけないんだと思った」
真奈美が小さいから、私の胸の中にいるけど、その胸の辺りがにわかに濡れている。
「ありがとう。小夜は優しいんだね」
真奈美は顔を上げ鼻をすすって、涙を拭って、笑いながら言った。
私は麗奈と最初に会った時されたありがとうの話を久しぶりに思い出したけど、どうでもよかった。私の命はここにあるのだから。
「うん、私の半分は優しさでできているから」
「何それ」
真奈美は呆れたように笑う。
私は自分のお母さんのこと、お父様のこと、私のことを話した。
真奈美はすごく驚いていたけれど、聞き終えてから麗奈に言うみたいに、「小夜はすごいんだね」って言った。
私には何がすごいのかは分からないけど、快活な笑顔で言われたので何となくはにかんだ。
外を見ると、まだ雨は降っている。
「止みそうもないね」
川を見ると、水かさはだいぶ増し、川の匂いが濃く漂っていた。
「そう言えば、学校のロッカーに折り畳み傘を置いてた。取りに行くから待っていてよ」
「分かった」
一緒に行こうか迷ったけど、さっき叫んだせいもあって疲れていたから真奈美にまかせようと思った。
「じゃあ取ってくるよ」
歩き出す真奈美が高架下から出る前に私が声をかける。
「鞄は?」
真奈美は最初鞄を持っていなかったので不思議に思って尋ねた。
「そこ」
言われたところを見ると、高架の柱の影に茶色い鞄が隠れているのが見える。
「持っていかないの?」
「じゃあ持って行こうかな。そこに置いてあるスケッチブックと鉛筆も取って」
地面に置かれた二つの品を渡そうとしたけれど、ふと真奈美の描いた絵を見てみたくなった。
「帰ってくるまで、見ていてもいい?」
「いいよ。でも、結構過激なのもあるから覚悟してね」
真奈美は明るく笑った。
「すぐ帰るから」
軽く手を振る。
真奈美は私を見て満足気に頬を緩めると、雨の中に入っていく。
真奈美がいない高架下は、雨が地面に当たる音と雨が水に当たる音、時折鳴る雷鳴が入り混じり響いていた。
私は手元のスケッチブックを見る。中にはオリジナルの創作もあったけど、私や麗奈の姿が多く描かれていた。
私がペラペラめくっていると、ふとあるページに目が留まる。
三人の人物がそこにはいた。
私と真奈美と麗奈、私は変わらぬ表情で、真奈美は明るく笑って、麗奈はいつもみたいに薄く笑っている。
この絵が私達の友情の象徴だと思えた。色褪せることなく、いつも変わらぬものだと思った。
私は絵を描くのが得意じゃないけど、真奈美に教わって何か描きたいと私は思った。
また大きな雷鳴が轟く。どうやらすぐ近くに落ちたようだった。
私は初めて雷が近くに落ちるのを聞いた。遠くで聞くとゴロゴロいっているのに、近くで聞くとブレーキをかける音に似ていると思った。
雷がどこに落ちたのか見るためにその場に自分の鞄とスケッチブックを置いて、小走りに河川敷を駆け上る。
河川敷の斜面の一番上に行くと、何箇所かに階段がありそこから学校近所の裏道に行ける。
私は階段を降りて、学校に向かう裏道に進むと、住宅街の一画に人が数人佇んでいるのが分かった。
悪い予感がした。私は全速力で走る。
人混みを押し分けて中心に向かうと、止まっているトラック、壊れた鞄とぶちまけられた教科書やプリント、血まみれの地面が見える。その血を辿ると、半袖の夏服に包んだ小さな体が歪に曲がりながら、雨に叩かれているのが見える。
トラックの隣には呆然と立ち尽くしているおじさんがいる。周りの人もよく見ると、うちの学生で呆然としている。
私はそいつらの代わりに、小さな体に走り寄る。
横たわる顔を覗く。
真奈美だった。半開きになった眼は虚ろで作り物みたいに見える。
私は真奈美を揺すった。でも、真奈美は起きない。
私はもう一度真奈美を揺すった。それでも、真奈美は起きない。
手首を握れば、胸を触れば、答えは分かる。けれども、私にはそれができなかった。
「もうやめときな。死んでるよ、その子」
新しく野次馬に来た男の人が私の肩に触れながら言った。
死は卒爾なもの、みんなに平等だと私はあらためて思い知らされていた。
揺らす手を止める。代わりに、倒れている真奈美に寄りかかるように慟哭した。
泣きながら、叫びながら、私は雨に打たれた。
ここは学校の最上階からは見える場所で気づいた生徒が先生に言ったのだろう。すぐにやって来た男の先生が私に話しかけていたけど、雨の音にかき消えていた。
また遠くで雷鳴が聞こえる。
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