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人として生きたい  作者: 松吉なぎ
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見えない傷2

 鏡に映る真新しい紺色のブレザーから白いシャツと黒と白のストライプのネクタイが顔をのぞかせている。東向きの窓から入った日光は鏡を照らしてそれらの真新しさを際立たせていたが、結ばれたネクタイはまだまだ不慣れでやけに結び目が細くなっている。


 出発の時間も迫っているせいもあり、直すのは陽輝さんに任せようと思い、私は陽輝さんの待っている居間に向かう。


「ネクタイできたの?」


 スーツを身に纏った陽輝さんが、化粧品が散らばっている化粧台に座りながら最後の仕上げとして口紅を塗りながら尋ねる。


「ううん。だから陽輝さんネクタイお願い」


 陽輝さんは塗り終わった口紅を雑に化粧台に置いてから、鏡で自分の顔を確認して頷くと私に向き直る。


「分かった。小夜少し屈んで」


 百六十センチ後半の長身を折り曲げてネクタイを結び直す陽輝さんの手は、血管が浮き出ていて三十過ぎのものよりも老けて見えた。


明夜(あきよ)姉さんが大学の入学式の時も細くなったネクタイを直してあげたの。姉さん、小夜と同じで頭はいいのに不器用だったから」


 お父様が亡くなってから私は母方の家に預けられた。私が来た頃にはもう祖父母は他界していて、叔母の陽輝さんと私は十年ほど一緒に暮らしている。


 陽輝さんは私を自分の本当の子供同様大切に育てた。


「できたよ」

「ありがとう」


 結び目を確認すると太すぎず、細すぎない結び目ができている。


「小夜、行くよ」


 古びた振り子時計を見ながら陽輝さんはどこか心を弾ませているように見えた。



 学校まで移動するために乗ったタクシーの中で陽輝さんを眺める。上下が紺のパンツスーツに身を包み、背もたれにもたれることなく凛とした佇まい。そして目に宿っている力強さ、それを見ていると亡くなったお母さんの姿を思い出す。


 遺影に写る成人式のお母さんの写真、赤の布地に桜が散りばめられ、ところどころに椿が刺繍された振袖に身を包み、服の上からでも分かるほどに弱々しく細い体、けれど、目は力強くこちらを見つめる姿。着ているものも顔つきも二人はそれほど似ていないけれど強い眼差しは全く同じだ。鏡で見る私の目も同じだった。


 お母さんの遺影は私にとって象徴だった。子が母に求める強さ、美しさを二十歳にしてすでに持ち合わせていたお母さん、そんなお母さんにとってお父様とはどんな存在だったのだろうか。子供のような存在、対等な存在、父親のような守る存在、考えれば考えるだけ仮説は生まれるけれど答えはいつまで経っても見つからない。


 お母さんの中に見たお父様の存在は膨れ上がり、頭の中はお父様のことで満たされていく。真っ白な肌がより白く見える藍色の和服に身を包み、お母さんのように細い体だけれど、弱々しいとは感じさせない病的な体つきをしていた。


 私が想像をたくましくしていると、陽輝さんの声がそれをかき消した。


「小夜、桜綺麗だね」


 そう言われて窓の外を見ると通りがかった橋の上から河川敷の桜が眺められた。朝日を浴びて輝く薄桃色の花弁は風で撓んだ梢によって川の中に落ちている。


 綺麗、私には到底そうは思えなかった。花という状態が死んで葉が生える。今見ている死が美しいものなのか私には分からない。


「うん」


 相槌を打つように返事をする。


「小夜がもう高校生になるなんて信じられないね。小さい時はいつも人形みたいにお座りしながら本を読んでいて、かわいかったな」


 陽輝さんは桜を眺めるというよりかは今自分のいる季節を眺めながら、過ぎていく時の流れを実感しているようだった。


 河川敷が過ぎ去るとすぐに学校が見えた。女子校らしい清潔感溢れる真っ白なコンクリートの壁が、朝日に照らされて輝いている。


 タクシーを降りて辺りを見渡すと、真新しい制服に包まれた女生徒とその親で溢れている。みんな不安が色濃く現れた顔して校門を潜っていく。私も陽輝さんと一緒に校門に入ろうとするけれど、校門の前に立てかけてある看板になんとはなしに目が止まった。


 平成十一年度入学式の文字に頭に浮かぶものがあった。平成十一年、一九九九年、その年の七の月に世界が滅亡するというノストラダムスの大予言、それが流行ったのは私が産まれるよりも前の話だった。けれどこうして目の前に一九九九年七月が来ていると思うと、予言の日がもしかしたら来るのかも知れないと思っている自分がいることに気がつく。


 もし世界が恐怖の大王によって今年の七月に本当に終わるなら、お父様の真相を早く明らかにしなくてはならない。そう思った。

お読みいただきありがとうございます。

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