水の囁き6
制服に着替え終わると疲れたせいもあって、二人揃ってプールのふちに腰掛けてぼんやりとする。
私は今日あったことをぼーっと思い返す。
先輩たちに私たちの世界を汚されて、ここにきて先輩たちの世界を壊した。その過程でお父様のことでの進展はあったけれど、本当に先輩たちの世界をだめにできたのだろうか、私にはしっかりした実感が持なかった。
「私達、あの人達の世界を壊せたのかな」
「さあね」
麗奈は興味なさげに答える。
「もうそんなのどうでもよくなっちゃった。大事なのは私達のした行為にあるから」
確かに私はお父様についての真相へ一歩近づいたし、麗奈は自分を深く感じられた。
「それに壊さなくても、彼女達の世界はいつかは終わる。この世界に永遠はないから」
麗奈は透き通る水の底を見つめて言った。
「私達の関係も?」
「それは分からない。永遠が何を指すかによって変わるから」
私は首を傾げる。
「もし愛し合う二人が愛し合うままに死んでいったら、それは永遠の愛といえるのかもしれないから」
「麗奈は死ぬの?」
私の顔を見つめ、麗奈は晴れ晴れとした顔をした。
「死ぬよ」
麗奈は明るく言う。それがさも当然で、受け入れるべき事実であると知っているかのような口ぶりで。
私は麗奈の言葉で、頭痛に苦しんでいる麗奈の姿を思い出す。脳腫瘍、頭によぎるその言葉は思考を蝕み、何を言えば良いのか分からなくさせる。
しばらく空白の時間が続いた。夜風がたまに吹き、私達から確実に熱を奪っているのが分かる。
麗奈は蛍光灯の白い光が反射する水を見つめている。その目が以前、教室から眺めていたあの目、ここでないどこか遠くを見つめているような目をしている。
「何を見ているの?」
麗奈は「何も」と言いかけて何かを決意したように再び口を開く。
「未来」
と言いながら勢いよく膝を伸ばす。飛び散るしぶきが蛍光灯に照らされて光り輝き、静かな水面は波紋を広げる。麗奈の波に私の素足が押されている。
麗奈が再び口を開いたのは波紋が消えて、揺らいでいた蛍光灯の光が真っ直ぐに見えてからだ。
「余命半年。去年の暮れに体の調子がおかしくてお母さんと病院に行った次の日、お母さんとお父さんが私に教えたの。病院で診断結果を伝えるときに私なしでお母さんを呼び出したから、薄々感づいてはいたけどね」
麗奈は足をゆっくりとバタバタさせて水面に写る蛍光灯の光をまた揺らしていく。
「正直辛かった。私にはもう未来が決まっている。終わりが決まっている。じゃあ、私は何のために生きているんだろうって思った。そんなときにノストラダムスの大予言の特集がテレビでやってたの。前々から知ってはいたし、そんなこと起こらないって思っていた。でも、もし起きるなら、みんな一緒に死んでいくのに、私だけ先に一人寂しく死んでいくことになるかもしない、そう思った。そのときにある考えが浮かんだの」
バタつかせるのをやめると、水面はゆっくりと元の姿に戻ろうとする。
「一緒に死んでくれる人を探そうってね」
麗奈は今までプールの波紋を眺めながら話していたのに、急に私の目を見て話した。その声はゾッとするほど冷ややかで、その瞳は吸い込まれそうなぐらい真っ暗だ。
「小夜、私と一緒に死んでくれる?」
「どうして私なの?」
「器だから」
「器?」
「そう、あなたは空っぽの人形だから。私を受け入れられるの」
私は風呂場で体を洗う時に感じるあの違和感を思い出した。あれは私が人形だから思うのかもしれない。でも今はもう違う。前よりも命の実感はある。
「でも、少しは空っぽじゃなくなった」
麗奈は鼻で笑った。
「現実感があるって言いたいのでしょう。私とする行為によって現実感を得ても、小夜は変わっていない。小夜が変わったんじゃなくて、小夜のまわりの世界が変わっただけ」
麗奈の言葉で思い出されるのは、麗奈の言葉や行動だった。確かに私は麗奈の言葉に言われるがままで自分から何かをした訳ではなかった。知らなかった世界を知っただけで、私は何も変わっていないのだと麗奈の言葉で、どうしようもなく思ってしまった。
でも、それだったら真奈美にも同じことが言えるのではないかと思った。
「真奈美だってそうじゃない?」
「真奈美は今日から変わった。小夜だって見たでしょう。真奈美のあの姿、水を得た魚のように真剣に私を描くさまを。あれが私たちの前でできるなら、この後も自分の道を歩いていける」
「だったら、麗奈はどうなの、現実感はあるの?」
麗奈は涼しげに答える。
「現実感はあるよ。私はね、いつも次の瞬間死ぬかもしれないと思って生きているの。でもその次の瞬間は常に訪れて、今になっていく。死ぬかもしれない未来が今になって通過していくの。そうすると、この今生きている私が何だかんだあやふやな存在に思えてくる。今ここで生きているのか、本当は死んでしまったのではないかって。そうすると、世界が白昼夢みたいに思えてくる。だから、私は現実感はあっても、どうしてもその現実を疑ってしまうの」
麗奈が依然言っていた言葉、「生きている実感が薄い」がよみがえる。
「現実感があるけど、生きている実感は薄い」
麗奈は薄く笑った。
「そういうこと」
麗奈は私にとってコインの裏表のようなものだと思った。限りなく近いのに、どこまでも遠い存在。
麗奈は手足を大きく伸ばした。麗奈の足からは水が流れ落ち、白く病的な肌が艶めかしく見えた。
「この話はまた今度しよう。早く帰らないと、守衛さんにも悪いし」
私は頷いた。
麗奈は少し名残惜しそうに、プールを眺めてから口を開いた。
「このプールに明日、及川さんや他の部員の人達が入るんだね」
「うん」
風呂上がりに感じる石鹸の香りが体を洗った実感を湧き立てるように、私の体とこの場所から漂う塩素の匂いは、一日の終わりにふさわしい疲労をただただ感じさせた。
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今日は後、1回更新の予定です。




