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人として生きたい  作者: 松吉なぎ
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水の囁き1

 雲に遮られた太陽は弱々しく、プールサイドに突っ立っている私と平岡さんは少し肌寒い。選手の人達の方が寒いに違いないと思ったが、そんなこと思わせないぐらいに生き生きと泳いでいる。プールサイドに出て風に当たらなければ、体を動かしている分寒さは気にならないのだろう。


 今日が月曜日で麗奈は葛西先生に数学の授業のことについて聞きに行っていなければ、麗奈も寒さを感じたのだろうか、それとも彼女の冷たさによって相対的に温かいと思うのだろうか。


 六月に入ってから一度の雨を落としたきり、雨は降らず梅雨入りはもう少し日をまたぎそうだ。梅雨になったらしばらくはあの病院にも行けなくなる。


 私と麗奈は、あの日から度々あそこに行って例の行為をしあった。何度も何度も口が触れ合い、お互いの舌がお互いの内側に入り続けていくうちに確かな現実をそこに感じるようになった。


 このままこの行為を貪れば、お父様のことの解決なしに、生きている実感をあらゆる場面で得られてしまうのではないかという不安が行為中に溢れた。その不安こそが生きているということを私に突きつけた。


 麗奈は、そんな私におかまいなしにただ恍惚としていた。最初それは生きている実感を得ているために恍惚としていたのだと思った。けれど、麗奈が私に好意を寄せているから恍惚としているようにも見えた。


 ちょうど隣を見ると、平岡さんが及川さんを見つめて恍惚としている。この顔と麗奈のそれに私は違いを見いだせなかった。だから、麗奈も私を好いているのだと思っている。


 人を好きになるってどう言うことか私には分からない。分からないけれど、日常的に現実感を得られるようになれば、私にも好きが分かるようになるような気がした。


 休憩を伝えるキッチンタイマーが鳴り響く。平岡さんはタイマーの甲高い音が聞こえるや否や、選手のみんなにお疲れ様と労いの言葉をかけながら、及川さんに駆け寄りタオルを渡す。及川さんは日に焼けた顔を照れ臭そうに綻ばせる。


 周りの選手がプールサイドに置かれたジャグに群がり、スポーツドリンクを我先にと飲もうとする中及川さんと平岡さんは談笑している。何の話をしているかは分からないけれどお互いに笑みを浮かべて、楽しそうに見える。


 しばらくして、及川さんが何かを思い出したようで平岡さんに一言言ってから、こちらの方にいやらしくにやけながらやってきた。


 平岡さんの方は私を見ながら、両手を合わせて眉を八の字にしていた。


「この間、お前と浅川部活休んだだろう」


 及川さんの声は責めるような声色ではなく、からかうようだった。


「はい、それが何か?」

「小夜が体調悪いから家まで送るから休みますって、浅川は言ってたけどあれ嘘だろ」


 私が答えあぐねて黙っていると、及川さんは話を続けた。


「まあ、別にいいけどさ。その代わり、どこかいいとこ教えてくれない」

「なんの話ですか?」


 アバウトな物言いに答えかねて、私は聞いた。


「何って、どこか良いデートの場所教えて欲しいって話だよ。浅川とお前付き合っているんだろ?」


 私は恍惚とした表情を思い出した。けれどもそれが交際の証しになるとは思えなかった。


「付き合っていないです」

「そうなのか」


 及川さんは口をすぼめた。


「でも、良い場所かどうかは分かりませんがそれなりの場所は知っています」


 見かねて私が言うと、及川さんは餌を見つけたライオンのように食いつく。


「本当か」

「はい」


 私は件の病院を教えた。細かな道のりから非常用階段を使って入った方が良いことまで包み隠さず教えた。


「ありがとうな」


 及川さんは快活に笑いながら、平岡さんの方に向かう。


 平岡さんは私の方を見ながら、嬉々として同じく口パクで言った。


 ちょうど及川さんが平岡さんの隣に行ったところで、休憩の終わりを告げるタイマーが鳴った。そのタイマーの明るい音が曇った空の下で虚しく聞こえた。


お読みいただきありがとうございます。

よろしければご感想、ご意見賜われましたら幸いです。


次回の投稿は4月14日に予定しています。

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