エンディング 2000光年の彼方に
火星の空はすっかり日が落ち、送迎船のライトが続々とフェス会場に舞い降りていた。まるで星が降るような光のシャワーの下では、フェス最後のステージ最後の曲、"好きにならずにいられない"が厳かに響き渡っていた。
リアとメラニーはステージ脇から、神々しくステージで輝くエルヴィスをうっとりと眺めていた。スポットライトに映えるジャンプスーツの反射は輝きも段違いだ。
「やっぱスゴいねー」
「わたし初めて生で見ましたけど、カッコいいですう」
いっぽうアンナとエレノアと沙奈は、戦利品の自慢に興じている。
「見ろ見ろ、レミーと、ボン・スコットと、ジョー・ストラマーと、それから・・・」
「サインなんて平凡ね。わたしはルー・リードとジョン・レノンにメッセージを書いて貰ったわ」
「なにおー、んじゃこれ見ろ、ディオ様だぞディオ様」
『いいなー、私もTシャツにサインして欲しかったんだけど』
「それはムリね、物理的に」
曲のエンディングの音と、会場の熱気が夜空に消えていくのを惜しみながら、観客もファントムズも、フェスが終わる寂しさを幸福感で埋め、あるいは最後の一瞬まで熱狂で忘れ、あるいは単に疲れきって何も考えられずにいた。そんな終了感と達成感が入り混じる空気のバックステージに、三人の男が訪れた。
「やあ。ファントムズのみんな、今日はご苦労だったね」
その言葉の主を見た瞬間、四人と一体はシャキッと背筋を伸ばした。
「おっ、お疲れさまですっ、ボウイさんっ!」
「そんなに固くならないでくれよ」気をつけをする少女たちに、ボウイは苦笑した。
「いやー、元から大物だったうえに、社長で宇宙人でナイさんの知り合いだったなんて、緊張しちゃって」
アンナは頭を掻きながら、チラチラとボウイの隣の男を気にする。
「そりゃ無理ねえな、こいつ以上の大物といやあ、俺様ぐらいのもんだしな。ヒヒヒ」
その男は遠慮のかけらもなくニヤついている。
「はあ、そっすね、マクラーレン・・・というか・・・ナイさん・・・?」
沙奈以外の四人は、聞かされたマルコム・マクレーンの正体に困惑していた。衝撃の事実という以上に、元とのギャップがありすぎて信じられない。
「それより、君たちのコーラスも良かったよ」
三人目の男、ジョージ・マーティンが気品正しく四人をねぎらった。
「え、あ、どうも」
「わー、ジョージ・マーティンに褒められましたあ」
リアはまだ緊張し、メラニーは無邪気に喜んだ。
「一日じゅう、よく頑張ってくれたね」
「いえ、こちらこそ、ステージに立てて光栄でした」エレノアが部長の威厳と大物への憧れを込めて答える。
「オレたち、体力と回復力が取り得ですんで」アンナが照れ笑いする。
ファントムズの四人は、ボウイのステージから後、ほとんど出ずっぱりでコーラスとしてステージに立っていたのだった。アンナは体力、リアは回復力、メラニーは謎の生命?力、そしてエレノアは宇宙エナジードリンクで。アンナの脚とエレノアの腕の腫れも、いつしか気にならないほどに下火になっていた。
「お前が何とかついてこれてよかったけどな」アンナがエレノアに余裕を見せた。
「あんたの方こそ、ジャネット・ジャクソンの二の舞にならなくてよかったわよ」エレノアが言い返す。アンナはいまだにレザー紐衣装のままだった。
『私もガンバったでしょ? ね?ね?』
「あーハイハイ、死霊の盆踊りね」
アンナのずさんな相槌に他の三人も苦笑した。沙奈はといえば、無断でステージのそこかしこに乱入し、自前の衣装と振り付けで文字通り飛んだり跳ねたりを繰り広げていたのだった。はっきりいって、はた迷惑な乱入客にしか見えない。喜ばれたのはラモーンズのステージで看板を出したときぐらいで、それ以外はなんとかステージを台無しにしなくて済んだ。もちろん、TV中継では念入りにカットされていた。
そんなことを思い出して急激に疲れが襲ってきた中、マクラーレンが口を開いた。
「何しろ女のロッカーは、ただでさえ元から数が少ない上に、寿命も長いみたいだしな。今日は全然足りねえや」
「パートの人数を揃えないといかんな。エマーソン、レイク、スクワイア&ウェットンなんて、ベースが三人もいるし」ジョージ・マーティンが苦笑した。
「ツアーやレコーディングのメンバーも考えないと」ボウイが答える。
「レコーディングといえば、他のジャンルのプロデューサーも欲しいな。私はヘビーメタルやパンクには詳しくないしね」ジョージ・マーティンが二人に向けて言う。
「んじゃ、ブルース・フェアバーンを呼んどくか。あとはジャケ写にストーム・トーガソンと」マクラーレンが答えた。
「わあ、何だかスゴいことになりそうですねえ」
「ああ、忙しくなるな」ボウイがメラニーに微笑み返す。
『いいなー、私もそのツアー行きたーい』
沙奈と、他の四人も、これからレジェンドたちを引き連れて出発するという宇宙ツアーの光景を想像して、目を輝かせた。
「ていうか、出たーい」
「気持ちは同じだけど、わたしたちじゃ力不足よ、リア。それに地球に帰らないと」
「学校もありますう」
「・・・うん。もっといっぱい練習して、みんなに負けないバンドになるもんっ」
リアの熱意に、ボウイは微笑みでこたえた。「待ってるよ」
「ま、ガンバれや」マクファーレンはニヤけた軽口で返す。
「それと、オリジナル曲を書くといいよ」ジョージ・マーティンが振り返る。「彼らに負けないぐらいのをね」
マーティンの視線の先には、昔の日々を思い出して談笑するジョージ・ハリソンと、ジョン・レノンがいた。マーティンのアドバイスで史上屈指のソングライターとなった二人だ。
「う、が、頑張りますっ」発破をかけられたリアが赤くなった。
「わあ、オリジナル曲ですかあ」
そこでふと、マクラーレンが振り向き、地平線のほうへ目を向けた。
「おっと、嬢ちゃんたちのお迎えが来たみたいだぞ」
そっちの方角から異様な地響きが聞こえてきた。
ずどどどどど。
「エエエレエエェェェンンン!!」
砂埃を上げて人影が走ってくる。エレノアの顔が引きつった。
「最っっっ高ぉぉぉだったわよおおお!!」
雄叫びを上げてエレノアの母親が隕石さながらの勢いで突進してきた。エレノアの顔入りTシャツにハチマキにハッピという、今どきよほどのファンでも理性を捨てないとできない格好だ。
その走るグッズ見本が、5メートルはあろうかという距離から、娘の胸元目がけて一気にダイブ!
さっとエレノアは身をかわした。母親はべちゃっと地面に墜落した。
「ご、ごめん母さんつい」
恐る恐るエレノアは地面に貼りついた母親に顔を寄せた。
がばっ。
「もうエレンったら照れちゃってこのこのこのこの」
母親は一瞬で起き上がったかと思うと、エレノアの頭をむぎゅっと胸元に押し付け、髪をメチャクチャに撫で回した。
「むがが・・・もう、やめてったら」
ようやくエレノアは母親を押しはがし、斜めに傾いた眼鏡を直した。
「ステージ最っっ高おぉだったわよおぉ!! ファントムズの皆さんもよかったわよお、まあまあスタッフの皆さんもごくろうさまエレンがお世話になりましたわあらあらボウイさんこんなところでお会いできるなんてもう」
改めてエレノアをハグしようとしてかわされた後、一同が口を開く隙もなく、母親は怒涛の勢いでファントムズとアカシックレコード代表への挨拶を済ませた。
「ビートルマニアってこんな感じだったんですか?」メラニーが小声で訊いた。
「ファントムマニアがさっそく一人できたみたいだね」ジョージ・マーティンが苦笑しながら答えた。
そこにヒューンと甲高い音が聞こえてきた。音のほうを振り向くと、光の粒が柱になって渦巻いている。リアたちがびっくりして飛び退く中、次第に光は人間の形にまとまりはじめた。
光がまとまった人間は、エレノアの父親だった。
「やあ、驚かせたね」
「あ、エリさんのお父さん、どうもです」
リアたちは驚きが治まってから会釈した。
「エレノアもみんなもご苦労だったね。ボウイさんたちも、お疲れさま」
「ああ、これからもよろしく頼むよ」ボウイはにこやかに挨拶を返した。
「これからって?」エレノアたちが怪訝な顔をする。
「私がパイロットを頼まれてね。アカシック・レコードの宇宙ツアーに同行することになりそうだ。君たちを地球に送ってから、ボウイさんと打ち合わせの予定だ」
「わあー、エリさんのお父さん、ツアーについて行くんですか」
「いいなあ~~」
メラニーとリアが心底羨ましそうに目を輝かせる。
「というわけで、ホライゾン号も"イベント・ホライゾン号"に改名しようかな」
「なんか超不吉な感じが」アンナが呟いた。
そこへヒョコヒョコと小男が歩いて来た。男はファントムズの前まで来ると声を掛けた。
「行ってらっしぇ、お荷物お持ちしましたず」
ホテルの番頭のオブライエンだった。ホテルに置きっぱなしの荷物を持ってきてくれたのだ。
「どうも、お世話になりました」エレノアが代表で挨拶した。
「また来てけろな、火星もちょくちょくフェスやるみてえだっけし」
「はいっ、わたしたちもまた出たいですっ!」リアが意気込む。
「また呼ばれるぐらい大物にならないといけませんねえ」メラニーが弱気そうに小さく笑う。
「頑張ってなぁ、オラの故郷の星の言葉だで、"夢を見てないで、夢になりなさい"てなあ」
「はあ、どうも」深いような適当なような格言だった。
「んだば、オラぁこれで。トランシルバニアの団体さんをお迎えしねぇと」
「さよーならー」
オブライエンは軽く手を振って出て行った。エレノアの父親が、荷物は転送で宇宙船に運ぶと説明した。
「あ、それとオレたちの楽器お願いします。楽屋に置いてあるんで」
「楽屋って、あの大っきな装置の部屋の横に移動してきてたよね」
「そういえば、先生あそこに置いて来ちゃいましたあ」
『あ、私のテレビも』
ファントムズがわいわいと忘れ物を思い出す。
「楽器とテレビは任せろ。橋澤先生は、数日後になるかな。事故の事情聴取をしなければならないんだが、今は意識不明だそうだ。よほどひどいショックらしくて」
リアたち四人は横目で沙奈を見る。沙奈も目を泳がせた。
『そ、そーですかー、どーしたんでしょーねー』
エレノアがやれやれと頭を振った。「まあいいわ。先生は急がなくてもいいから」
「そーそー、ちっとも構いません。数日と言わず数年でも」アンナが同意する。
リアは別の忘れ物を思い出した。「ねえねえ、機材って、あのスピーカーも?」
「よしなさい、あんなの。学校で使えるわけないでしょ。それに沙奈さんが使ったら、それこそ学校崩壊の危機よ、物理的に」エレノアがぴしゃりと却下した。
「えー・・・」
『えー・・・』
アンナが口を挟んだ。「実際お前が崩壊させかけたしな」
今度はエレノアが父親の視線から目を逸らした。「や、やーね。あれよ、ほら、PMRCの邪神騒ぎのことでしょ」
エレノアの責任転嫁発言はともかく、それでアンナは思い出した。
「そーいや、PMRCの奴らは?」
エレノアの父親が答えた。「三人とももう船に乗っているよ。さて、それじゃ君たちもそろそろ」
ファントムズの四人と一体は顔を見合わせ、ついでボウイたち三人を見た。
「それじゃ」
「お世話になりましたあ」
各自がお辞儀すると、ボウイ、マーティンが手を挙げ返した。マクラーレンは不敵に笑みを返す。
「さようなら」「またな」
ファントムズの視界がチラチラと瞬きはじめた。転送装置が作動し始めたのだ。
最後の一瞬まで惜しむように、転送の音に負けまいと、声を張り上げる。
「宇宙ツアー、ガンバってくださいね!」と、エレノア。
「新曲待ってますっ!」と、メラニー。
「ロング・リブ・ロックンロール!」アンナはメロイック・サインを挙げる。
『ロックンロール! いえーい!!』沙奈もピースサインを挙げる。
リアだけはうまく言葉が出なかった。光の中にかすれていくフェスの光景が、今ごろになって急に愛おしさがこみ上げてくる。バックステージの機材、ステージのライト、聳える観客席の人波、夜空に瞬く乗物の群れ。
もうこれでお別れなんて。
リアは最後にボウイたちを見た。強くなっていく光でぼやけてよく見えない。目が痛いのはもしかしたら、涙かも。頭も体もふわふわして感覚がよく分からない。
おぼろげな人影に向かって、リアは叫んだ。
「わたしたち、ぜったいまた――――」
その声も火星の光景も、光の中に消えた。
光が薄れると、機械の壁が見えてきた。昨日見たのと同じ、エレノアの両親の宇宙船だ。
「・・・・・・あ・・・」
リアは最後の一言を伝えられなかったことを悟った。皆がそれぞれ転送された位置から歩き出す中で、一人ぼんやりと立っていた。まだ火星のボウイたちの幻を見つめているように。
「よお、どした?」
「え・・・」
リアは不意に肩を叩かれた。振り向くと、アンナが見下ろしている。
振り向いたリアの目からぽろりと涙が一粒落ちた。
「うお? おい、どうし――」
とすん、とリアは頭をアンナの胸に押し付けた。乾いた汗とレザーがぺちゃっと顔に貼りついた。
「アンナ」くぐもった声でリアが言った。「またぜったい行こうね」
しばらく顔を伏せたままのリアを見下ろしたあと、アンナは頭をポンと撫でた。
「おう」
リアはアンナに顔を見せないままくるりと体を離すと、ぱたぱたと転送室から出る廊下へ駆け出していった。
「あらあら」エレノアの母親がにこやかにリアとアンナを順に見た。アンナは頭を掻いた。
「それじゃ、地球までは一時間ほどだよ」エレノアの父親はそう告げると、転送室から出て行った。
アンナは転送室を見渡した。ホテルに置いてきた荷物、会場のはずれに置いてきた楽器と沙奈のテレビも運ばれてきている。
「よかった、わたしのもありますう」メラニーが自分の荷物に駆け寄った。
「片手でだいじょうぶ?」エレノアも近寄る。
「はい、スペアを持って来ましたので」
「え・・・それって・・・」エレノアが足を止めた。
「念のため、身体のパーツを持って来てたんですう。手のほかにもほら――」
「わかった、見せなくていいから」
メラニーがトランクの中から何かを取り出すゴソゴソという音源から目を逸らしていると、やがてカポンという音がして、「お待たせしましたあ」という声がした。エレノアが振り向くと、両腕の揃ったメラニーが笑顔で立っていた。トランクがひとりでにコロコロと戻っていったのは、記憶から消去する。
「んじゃ、オレも着替えるかな」
アンナは汗で貼りついたレザーを離してぱたぱたと扇ぎながら自分のトランクを探した。
エレノアの母親が声を掛けた。「お風呂に入る? おやつもあるわよ」
「ありがとうございますう。お腹空いたかも」
『いや、まずはお風呂を。うへへへ』
「いや、まず黒間君を」
「「それだ!!」」
エレノアの一言に、アンナは着替えも放り出し、メラニーと沙奈とエレノアと揃ってPMRCがいるはずの船室へと走り出した。
船首の居住室に到着すると、果たして霧乃、久里子、光の三人が先にいた。三人とも座席に座り、きちっとシートベルトを締め、無表情でじっと動かないでいる。
真っ先に到着したアンナは光を見つけるなり、無遠慮に声を掛けた。「おーすお疲れさん! 風呂行こーぜ風呂!」
光は無表情のまま機械的な動作で顔をアンナに向け、まったく抑揚のない声で答えた。「結構ですスス」
「えー何だよ、いーじゃんか」
「そうですよう、遠慮なさらずう」メラニーが光に手を伸ばす。
隣の席から久里子が手を上げ、ぺしっとメラニーの手を払った。
「お構いなくクク」
その顔にはゾンビに対する恐怖も嫌悪もなく、まったくの無表情だ。
「手を出さないでくれるかしらアアアア」
霧乃がやはり無表情のまま、抑揚のない声で答えた。
「どうしたんですか皆さん? なんか語尾が変ですよ」
「そーだよ、いつもなら『この変態! ウガー!』とかムキになってくるのに」
メラニーもアンナも、妙に無感情な三人の視線に気圧されて、それ以上ちょっかいを出せなかった。
「なんでもありませんわアアア」
霧乃がひとことそう言うと、三人は機械のように一斉に顔を戻した。相変わらず無表情のまま、じっと正面を見据えたままの姿勢で、微動だにしない。
メラニーもアンナも、エレノアも沙奈も、三人の異様な雰囲気に近寄れなかった。
「なに? 火星のヤクかなんか?」
「疲れすぎなんでしょうか」
『SAN値ゼロ状態ってやつかしら』
「とりあえず放っときましょう。ところでリアは?」
アンナは部屋を見回した。転送室を飛び出して行って、それから先にこの部屋で光たちに会ってたはずだけど――
「あ、いましたあ」
メラニーの声で皆が顔を向けた。PMRCと離れた別の座席で、すーすーと寝息を立てている。
アンナは苦笑した。船に乗ってから、数分も経ってないのに。寝るのも超速か。
「まあ、よく考えたら、徹夜明けだったしなあ」
「ステージもずっと出てましたしねえ」
『私もなんか疲れたかも。ふあああ』
そこへエレノアの母親がやって来た。両手にはジュースのコップとお菓子が乗った盆を持っている。いまだにエレノアの顔入りTシャツはそのままだ。
「あらあら、お疲れみたいね」
「あ、どもっす」さっそくアンナが菓子に手を伸ばす。
「あんたはいいかげん着替えたら? 動物くさいわよ」
「うるへ(もしゃもしゃ)」
「ウフフ、むかしペット飼ってたときみたいねえ。エレンたらすぐ拗ねて、『言うこと聞かないとホットドッグにするわよバカ犬』なんて――」
「母さん!」
エレノアは赤くなって母親を止めにかかった。アンナはお菓子を吹きそうなのを手で押さえ、口を膨らませている。メラニーは笑いを隠すためコップを口元に当てた。
唯一ジュースもお菓子も取れずに手持ち無沙汰の沙奈が、母親に話しかける。
『エリさんのお父さん、これからスーパー・バンドと宇宙ツアーなんですよねえ。いーなあ、お母さんも一緒なんですか?』
「うーん、そうねえ。エレンが淋しがらないかしら」
「母さんも一緒に行くべきよ私は全然大丈夫ぜったいに母さんも行くべきよ」
エレノアが一気にまくし立てた。アンナはとうとうお菓子が気管に入ったらしく、本気で咳き込みだした。
「もうエレンってばやせ我慢なんだから」アンナの背中をさすってジュースを差し出しながら母親が言う。
「いいえ、ちっとも」エレノアは真剣そのものの顔で返した。
「それじゃ、エレンたちがまたフェスに出るのを楽しみにしてるからねー」
赤面したエレノアに代わってメラニーが返事をした。「はーいっ、がんばりますっ」
立ち直ったアンナも応える。「あのレジェンドたちと張り合うぐらいのすっげーバンド目指して!」
『それにはやっぱ、オリジナル曲よね。ジョージ・マーティンも言ってたし』沙奈が口を出した。
「おー、オリジナルかあ。書けっかなあ、オレたち」
「わたしも作曲とかしたことないですう」
「弱気なこと言ってるんじゃないの。いつまでもカバーばっかりしてるわけにはいかないわ」エレノアが部長命令口調で言った。
『作詞とかだったらできるかな? あ、ついに私の出番が来たかも。ソングライティング担当、利降沙奈!』
「いいかもしれませんねえ」
「よし、次のライブに向けて、まずは曲を書くわよ」
「おー。楽器もどっさり手に入ったしなあ。いっそ泊り込み練習とかいっとく?」
『わーいお泊り合宿!』
「あらあ、いいわねえ。それなら保護者も――」
「いやいや大丈夫よ母さん」
『んじゃ私も歌の特訓を――』
「「いやいやいやいや」」
次の目標にわいわいと盛り上がる横で、その活気が伝染したのか、リアは世にも幸せそうな寝顔を晒していた。
夢の中でリアは今でもステージに立ち、満員の観客席の歓声を浴びている最中だった。他のバンドのコーラスではなく、アンナ、メラニー、エレノアと一緒に"ザ・ファントムズ"として。一日前のステージと同じように。ただそのときと違っていたのは、マイクに向かっての言葉だった。
ありがと――! 次の曲はわたしたちの、ニューアルバムからです!
「聴いてくださ・・・い・・・」
リアの口から小さく漏れた寝言は、はしゃぎ続ける他のファントムズの耳には届かなかった。いっぽうで微動だにしないPMRCの三人は聞き取れたのだが、視線一つ動かさずに、じっと宙を見つめ続けるだけだった。
そのころ火星では、アカシック・レコードの宇宙ツアー出発準備が着々と進められていた。
解体が始まったステージの横では、メタリック縁のケースに収められた機材が続々と集められて、離陸を待つ巨大な貨物船に積み込まれようとしているところである。絶え間なく行き交うスタッフとともにゴロゴロと床を転がされてくる機材ケースは、みるみるピラミッドさながらの山を形作っていく。
その機材の山の集配を監督しているのは、さっそくツアーマネージャーとしてこき使われているフーパーだった。緑のキャベツの肌に大汗をかきながら、ひっきりなしにやって来る荷物のリストを必死に記録している。といってもちゃんとした記録はとっくにあきらめていた。どうせあのミュージシャンどもが勝手に私物やら何やらを積み込むに決まっているのだ。ひとり家一軒分。
半ば気が遠くなったフーパーの前に、2メートル四方ぐらいの箱がまた一つゴロゴロとやって来た。箱を運んできた四本腕のスタッフは中身もお構いなしに、積んである別の箱の横にドスンと衝突させた。
「痛っ」
箱の中からくぐもった声が聞こえた。フーパーはぎょっとして箱を見た。ラベルには「地球産ナマモノ・取り扱い注意」と書いてある。スタッフは声に気付いた様子もなく、さっさと置いて行ってしまった。
フーパーは恐る恐る箱に顔を近づけ、小声で話しかけた。
「PMRCの皆様でスか」
箱の中から、苛立った声が答えた。
「何なんですの、この扱いは」
フーパーは周囲を見渡した。忙しさと喧騒で声に気づく者はいなそうだ。それでもなるべく人目につかない位置に移動すると、箱にヒソヒソと話を続けた。
「仕方ありませんでス、急に乗せろだなんて言われまシても」
箱が答えた。
「わたくしをこんな荷物扱いだなんて、許せませんわ―!」
「ちょっと霧乃、密航中に大声出さないでよ」
「うう、やっぱりやめましょうよ、委員長」
箱の中からは、怒り心頭の霧乃、疲れきった久里子、半ベソの光の声が漏れ聞こえた。
「ぐぬぬぬ、このままあの妖怪どもに主役の座を奪われたままでなるものですか! ムリヤリにでも宇宙ツアーに同行して、わたくしが先にスターになってみせますわ、ほーっほっほっ!」
「そしてあたしはニャル様の寵愛を・・・ぐふふ・・・」
「なんで僕まで・・・わーん、暗いですーっ、狭いですーっ、臭いですーっ!」
だだ漏れの声と欲望と悲鳴は、危うく通行人にも聞こえるほどだった。
「しーっ、皆さん、声が大きいでス」
フーパーできるだけ大きい小声という、難易度の高い技を見せた。
「光、ガマンなさい。臭いのは久里子がお風呂に入ってないせいですわ」
「あんたもでしょ」
「わーん、帰りたいですーっ!」
「シーッ!」
「フーパーさん」霧乃が今度はドスのきいた声を向けてきた。「バレたらあなたも一蓮托生ですわよ」
「分かってまス、分かってまスから・・・」
今度は久里子の声。「もしあたしたちが捕まったら、あなたがニャル様をコケにした証拠音声も・・・」
「ヒイィ、それだけはなにとぞ」
「分かればいいですわ。それより、わたくしたちの代役とやらは、ちゃんと用意していただけたんでしょうね」
「ハ、ハイ、ランバート様の船にはボディ・スナッチャーを置いてきまシたが・・・」
「わーん、ニセモノに乗っ取られるーっ!」
そこへガヤガヤと騒がしい団体の声が聞こえてきた。フーパーはぎょっとして振り返った。箱の中で霧乃と久里子は、咄嗟に泣き叫ぶ光の口を塞ぎ、息を潜めた。
「おーう、我らがツアマネさんじゃあねえか!」ひときわ騒がしい男の声が響いた。
「これはどうもムーン様。ああ忙しい忙しい」
「俺のギターに傷を付けんでくれよな」
「それはもうヘンドリックス様。おおっと急用を思い出しまシた」
「わたしの衣装も一着残らずだぞ」
「もちろんでスともプレスリー様、それじゃ私はこれでーっ」
フーパーの声が小さく遠ざかっていった。霧乃と久里子は目を見合わせた。
箱の外の話し声は続く。
「やれやれ、ちょっと気の毒になってきたな」
「まあ、僕らを所有物扱いした報いかな。想像してごらんよ、誰も所有なんかしない世界を・・・」
「よせよジョン。そういえば天国も地獄も無いのは本当だったな」
「あるのは業界だけさ、ジョージ」
どっと笑い声。
「ところで、本当にこのツアーはいつまで続くんだよ、マルコム」
「今のところはヤディス星まで計画してるよ。地球からはざっと2000光年だぜ、ジョー」
「オイオイ、何年掛かるってんだよ、俺たちが化石になっちまうだろ」
「心配ねえ、この船ならひとっ飛びよ」
「昔みたいなツアー・バスもちょっと懐かしいけどな」
「俺はバスは嫌いだよ」
「分かってるよ、クリフ。見なって、ここにいる奴ら誰も、宇宙船で死んだ奴はいねえぜ」
またどっと笑い声。
「それに今の君たち・・・僕たちは不死身だよ。寿命どころか老化も無縁さ」
「永遠に生きたい奴なんているのかい、デヴィッド」
「君だろ、フレディ」
また笑い声。
「待てよ、地球に戻ってくるのは80万年後で、人類は滅亡してるんじゃねえだろうな」
「俺たち浦島太郎か?」
「あん? 何だそりゃ、日本の伝説か? キヨシロー」
「リップ・ヴァン・ウィンクルみたいな奴だよ、チャック」
「ひょっとしたら地球が猿の惑星になってたりしてな」
「人間がいなくなっても、ロックは続くってわけだ。こりゃいいや!」
外の団体は大笑いしながら過ぎていった。じっと息を潜めながら目を見合わせていた霧乃と久里子は、声が聞こえなくなると、張り詰めていた息を力なく吐き出した。
「ど、どうしよ、やっぱヤバくない、霧乃」
「ううううろたえるんじゃありません、もし人類がいなくなっていても、そのときは・・・そのときですわ」
「んな適当な・・・」
「そ、そうですわ、わたくしたちが新たな人類の始祖となればいいのですわ! わたくしたちが新世界の神となるのです!」
「は?」
「光、あなたも覚悟を決めておきなさい・・・光?」
「光? おーい(ぺちぺち)・・・ダメだ、気絶してる」
「ちょうどいいですわ、さっそく人類繁殖の予行を・・・うぐっ?」
「こらこら・・・って、どうかした?」
「あー・・・あの重力調節器が・・・電池が切れたようですわ・・・うぷっ」
「ちょっとやめてよ、また吐く気? これ以上臭くしないで」
「し、静かにして、久里子・・・その・・・おトイレにも・・・行き損ねて・・・」
「ギャーッ! 出さないでー! じゃなくて、出してー! ここから出してーっ! フーパーさーん! だーれーかー!!」
宇宙では、あなたの悲鳴は誰にも聞こえない。箱をドンドン叩き続ける久里子の絶叫も、聞こえたのは箱を持ち上げた無人トライポッドだけだった。積み込まれる先の宇宙船は、悲鳴を上げる荷物もお構いなしに、ロック未踏の地へ勇敢にツアーを進まんと、今しも宇宙の彼方へ飛び立とうとしていた。