5 宇宙征服
『ど、どうしよ、やっぱりなんかマズそうな感じかも』
沙奈は巨大装置と、スクリーンの地球と、ファントムズの四人にオロオロと視線を移していた。他の四人も同じく、心配と懸念と呆れの入り混じった顔をしている。
ドームだった空間の、今は円形広間となった壁を見回すと、巨大装置の向こうにフェスの観客席であるオリンポス山が聳えている。ということは、ここはあの会場のすぐ横だ。フェス会場の地下から地上に出てきたのだ。
リアが立ち上がり、フーパーに呼びかけた。。
「フーパーさーん! 地球が宇宙支配の武器って、いったいどういう事!?」
装置の起動で気が大きくなったフーパーは、気前よく返答する。
「ふふふふ、知りたいでシょう? さあ、聞くのでス!」
勿体ぶった前置きにも、ファントムズは固唾を呑んで続きを待ち受けるだけだった。これこそプレゼンだ。
「全てはニャルラトテップ様より、フェスの運営を依頼されたのが始まりでシた」
フーパーはさっきの演説をもう一度頭から繰り返そうとしていた。こりゃ長そうだわ、とエレノアは思った。でも、なにをしでかすつもりにしろ、この演説が終わるまでは時間稼ぎができる。
「そしてそれに付随する恒久的な音楽供給システムの設立。そこに天才プロモーターたるワタシはひらめきまシた。神々をも魅了する新たに発掘された音楽、すなわち、地球のロック・ミュージックこそ、宇宙最強のエンタメたりえると」
「おー、けっこうイイこと言うじゃんか」
「感心してる場合じゃないでしょ、バカ犬」
「しーっ」
フーパーはお構いなしに得意満面で計画の詳細をひけらかしている。
「我らアカシック・コミュニケーションこそ、ロック・ミュージックを宇宙に提供する先駆者にふさわシい! これこそ、宇宙エンタメ業界の覇権を握る最後にして最強の武器!」
自分で自分の演説に感動したフーパーは、頭上をうっとりと見上げている。
『なんかさあ、宗教の勧誘みたいになってない?』
「シッ。肝心のところを喋るまで、黙って聞きましょ」
ひとしきり余韻に浸ったフーパーは続きを喋る。
「そこで新たにアカシック・レコードを設立するにあたり、フェスは格好の宣伝となったわけでス。とりわけファントムズの皆様、あなたがたがそのメイン・アクトでシた。見事にその役目を果たされまシたね。計画の<フェイズⅠ>は成功です」
「わー、わたしたちが主役ですって」
「メル、喜んでんじゃないの。利用されたのよ、わたしたち」
「えー、でもロック代表って、スゴくない?」
『シーッ。これから怪しいところなんだから』
沙奈に促されて、ファントムズはふたたびフーパーの言葉を待った。それを期待と受け取ったのか、フーパーはさらに鼻高々に(鼻はないけど)話しだした。
「そしてこのインターギャラクティック・フェイザーの出番でス! テスト運転として、手始めに地球よりロックのスーパーバイザーを召還しまシた!」
フーパーがまたバッとマーティンとマクラーレンを指し示す。ファントムズは一斉に二人のほうを向いた。マーティンはヘルメットを脱いできちっと髪を撫でつけ、マクラーレンは面白そうにニヤついて騒ぎを眺めている。
「で、でも――」メラニーが手を上げる。
「その通り! あのお二人は既に故人! ですが、ニャルラトテップ様の全智と、ワタシのプロデュース能力をもって製作されたこのインターギャラクティック・フェイザーは、DNAさえあれば、肉体も、人格も、記憶も再生できるのでス!」
「はあー」ファントムズは納得と驚きの混じった溜め息を漏らしながら二人を見つめた。やっぱりあの二人は、本人じゃなくてコピーだったんだ。それで若返ってるのも頷ける。
「わたしのお仲間かもと、ちょっと期待してたのに、残念ですう」
「なんかエリさんのお父さんが同じことしてなかった?」リアが聞いた。
「え、違・・・わ・・・ない・・・かも」エレノアが気まずそうに呟いた。エレノアの父親は、地球人のDNAから肉体を造ったという話だった。
「なおこの装置は、遠距離合成技術を転送装置から、DNA再生技術をウッド星系人から応用したものでス」
『・・・訊いてないと言ってもどうせ話すのよね。誰それ?』
「死者の肉体を再生させる技術を開発した種族でス。地球で死者を蘇らせたこともあるそうで」
ファントムズは一斉にメラニーを見た。メラニーは慌てて首を振る。
「えー、わたし知りませーん、ウエスト博士も蘇生技術は自分で発明したって言ってましたあ」
フーパーは構わず続ける。
「ワタシの天才計画はそのときの作戦をバージョンアップしたものでス! 名づけてプラン9.1・フロム・アウタースペース!」
「超テキトーそうな名前だなおい」
「こうしてアカシック・レコードは地球の最高頭脳を得たのでス! プロデューサーを製作する、これぞ究極のレーベル! これにて<フェイズⅡ>もクリアー!」
ファントムズは互いと、マーティンとマクラーレンの二人にそわそわと視線を移し、困惑と期待を募らせていた。
どうしよう、本人じゃないけど、サインもらっとこうか、いちおう。
そんな葛藤をよそに、フーパーは無遠慮に演説を続けている。
「そしてそして、<フェイズⅢ>! ふっふっふ、はーっはっはっ! これは口では言えまセん、見てのお楽しみでス!」
「何だよ、勿体ぶんなよ」
「まあまあ、焦らずに。もうすぐ実行でス。ぜひ直に見て、あっと驚いてくだサい」
「もうすぐって・・・」
リアは地球の映像と、巨大装置を見上げた。他の三人と一体も、その意味を察して息を呑む。
「地球に何をするつもり!」
「見てのお楽しみと言ったでシょう。ご心配なく、地球に直接影響は及びまセん」
「"直接"って何だよ!」
「何しろその後の最終段階、<フェイズⅣ>は全宇宙がターゲットでスからね! 我らアカシック・レコードが、宇宙を制覇するのでス!」
「制覇って、たかが音楽業界のヒットじゃない」エレノアが声を上げた。
フーパーは顔を斜め向こうに曲げて、チッチッと指を振る。キャベツにやられるとすごく腹が立った。
「とぉんでもなぁい! 音楽を支配する者が、この宇宙を支配するのでス! スポンサーとファンは、全能の神々なんでスよ!」
言われてファントムズの四人と一体は、ニャルラトテップやオグドル=シルのことを思い出して毛が逆立った。あんな人?たちが二人どころじゃなく、宇宙じゅうに大勢いるんだとしたら。
「我らの提供する音楽のためなら、神々はどんなことだろうと協力するでシょう。金も、権力も、敵対勢力の買収も、思いのままでス!」
フーパーは上機嫌でルンルンとステップを踏んでいる。
「ゆくゆくは、アカシック・レコードが宇宙唯一の音楽提供者となるのでス。従わない者は、神々が対処してくれるでシょう。住んでいる惑星ごとね!」
リアはうつむいて、このまえ地球が巨大触手に"対処"されそうになったときの光景を思い出した。
「そう、地球の曲にもありまシたね、"神が味方"。まさしくその通りでス!」
「そんなのダメだよ」
リアが口を開いた。
「は?」
フーパーのルンルンがぴたっと止まった。
「ロックが宇宙征服の武器なんて、そんなのダメだよ。そんなことしたら――」
リアはまっすぐにフーパーを見返した。
「みんなロックが嫌いになっちゃうよ」
フーパーがキャベツの頭を傾げる。
「何をおっしゃいま――」
「独裁者がゴリ押ししたり、他の音楽をツブしたりなんかしたら、どんないい曲だって嫌われるよっ」
「そんな、人聞きの悪いことを――」
「地球でだってそういうことがあったもん、ええと、ええと――」
具体的な名前が出てこないで、リアが歯噛みする。
と、リアの肩にぽんと手を置いた者がいた。
「ええ、そうね。ワーグナーとかサイモン・コーウェルとか」
エレノアだった。よく言ったとリアに軽く頷いてから、リアよりも数段威圧力のある視線をフーパーに向けた。
「私もそんなイメージの悪い戦略には賛成できないわ」
リアは肩に置かれた味方の手を握った。
「サイモン・コーウェルって誰ですか?」メラニーが小声で聞いた。
「うちの親が嫌いなプロデューサーだよ」アンナが答える。
フーパーはしばらくの間ポカンとしていたが、気を取り直してプレゼンの続きをはじめた。
「まあ、マーケティング方針については後で相談しまシょう。とにかく、ここまで説明すれば、あなた方がプロジェクトに喜んで協力するだろうという意味も、もうお分かりでスよねえ?」
沙奈が不安げに瞬いた。ニャルラトテップに言われた言葉だ。
「あなた方は、アカシック・レコードの栄えある契約アーティスト第一号でス! このフェスでブレイクした後、宇宙を舞台に活躍するのでス!」
フーパーがそう言うと、空中に映し出されていた"アカシック・レコード"のケバいロゴの下に、"プレゼンツ"の文字が現れ、その下に"ザ・ファントムズ"のロゴが現れた。上のに負けずキンキラの文字の、勝手にデザインされたロゴだった。ただし上よりサイズが小さい。
「もちろん、待遇は神レベルでス! プライベート・シップでコズミック・ユニバーサル・ツアー! 豪邸どころか惑星ごと買えまスよ!」
リアは仲間を見渡した。どうしよう、メチャクチャにいい話だ。スゴすぎて怪しいとかそういうレベルじゃない。何よりプロデビューできるっていうのが、もう。
でも、そしたら・・・わたしたちは、ロックを売り渡したバンドになる。セルアウトどころじゃない。
背後のエレノアの様子を見ると、すごい真剣な表情をしている。きっとイメージダウンと待遇を秤にかけているに違いない。
メラニーと沙奈は、リアと同じにオロオロしながらみんなの顔を窺っている。
それからアンナは・・・リアをじっと見ていた。「どうすりゃいいんだ」という気持ちが伝わってくる。
リアはアンナの目を見返したが、なんて言えばいいのか分からない。
それから、ふと、アンナは上のフーパーに顔を向けた。
「なあ」アンナが呼びかけた。「それって、メタルもやるのか?」
フーパーが答える。「曲についてはお任せを。我々が最高のソングライターを付けまスので」
アンナが食いつく。「そーじゃなくて、メタルはやるのかってんだよ」
「そうでスね、地球での市場規模を鑑みますと、もっとソフトなのがよろしいかと。小中学生にも受けるような」
「じゃ、やだ」
フーパーの足がずり落ちた。「・・・は、はい?」
アンナは背筋を伸ばしてきっぱりと告げる。「メタルができねえなら、オレはやんねえぞ」
リアが安堵の笑みを浮かべる。
フーパーは数秒間固まった後、ようやく立ち直った。
「ま、まあまあそう仰らずに。ほ、他の皆様はきっと賛成なさるでシょうし、ね、ね、そうでシょうアッシュ様?」
期待の目を向けられたメラニーはビクッと顔を上げる。「え? わ、わたしは、その・・・」
ファントムズの視線が集まる。メラニーは、目を伏せて、深呼吸をひとつする。
そして顔を上げた。
「えと、わたし、生まれたときから、身体も命も記憶も、他のだれかの再使用品でした」
メラニーは訴えかけるような目で続ける。
「でも、このバンドでわたし、ロック魂があるって、褒めてもらえたんです」
その発言をしたアンナが照れくさそうに首の後ろの毛を掻いた。
「ですから、このバンドをやってはじめて、自分の魂を手に入れた気がするんです。ですから――」
フーパーが続きを待って身を固くする。
「――みんなといっしょの魂を、みんなを置いて、売ることはできません。ごめんなさい」
メラニーはぺこりと頭を下げた。
フーパーはプルプルと震えだした。
「ぬぬぬ・・・そ、それでは、ランバ-ト様! ランバート様なら、理知的な答えを出していただけまスよねっ!?」
エレノアはいつものように、理知的で冷徹な視線をフーパーに向けた。
「子供と動物と死人が蹴った契約なんて、わたしは受けないわ」
フーパーはがくーんと顎を落とす。リアたちはくすくす笑いを漏らした。
「それにラッシュも言っているでしょう。人は音楽の自由を信じたい、セールスマンのものじゃないわ」
アンナがニヤリと笑ってエレノアの肩に手を置いた。フーパーはとうとう微動だにせず、固まってしまっている。
「そういうわけだから、わたしたちファントムズは、あなたのレーベルとは――」
「ふ・・・ふふふ」
フーパーが不気味な笑い声を上げた。エレノアは言いかけた言葉を止めた。
「ふははははは! そうでスか! 断るのでスか!」
フーパーはのけぞって哄笑している。その異様な剣幕に、ファントムズはビクッと引いた。
「なんだ? とうとうイカれたか?」
『あ、あのー、私には聞かないの・・・?』ひとりだけスカウトされなかった沙奈がぽつんと呟く。
フーパーは急に声のトーンを落とした。
「それでは致し方ございまセんねえ。こちらも交渉材料を用意させていただきまシた」
冷静な口調が却って怪しさを増す。フーパーは壁の一角を振り向いて、パチンと指を鳴らした。
「ミス・ヘンストリッジ、お客様をこちらへ」
広間の端の壁がすっと開いて通路が現れた。そこからゴロゴロと台車が進み出てきた。
台車を押しているのは、昼に橋澤を出迎えたコンパニオンの女だ。顔の刺青で見間違えようもない。ただし服装は露出の多い黒のレザーに変わっている。
そして台車に乗っているのは、ブタの丸焼きだった。
まちがえた。裸で台座に縛り上げられている、橋澤だった。
「もががふががが」
口にボールを嵌められた橋澤が何事か呻くと、コンパニオンの女はムチを取り出し、ぱしーんと橋澤に一撃をくれた。
とてもよい子には見せられない光景だった。反射的にエレノアは手でリアの目を覆った。
「あー」「センセ・・・」『すっかり忘れてたわ・・・』
残りの二人と一体は、あまりにお下劣な光景に脱力しきっている。
「お見苦しいところをお見せして申し訳ありまセん」
「本当に見苦しいわ」エレノアが吐き捨てた。
「ですが、仕方ありまセん。あなた方が従わないと言うなら、先生がどうなっても知りまセんよ」
フーパーが女に頷くと、女はまたぱしーんと一撃をくれた。橋澤はのけ反って呻き声を上げる。ファントムズは目を逸らした。痛ましさではなく、あまりのみっともなさで。
「さあさあ、いかがでス? 契約書にサインする気になっていただけまシたか?」
フーパーの勝ち誇った声が響く。
「ちょっと、エリさん、手離して」
「ん・・・」エレノアも脱力してリアの目から手を下ろした。
目隠しがとれてもリアは橋澤に一瞥もくれず、フーパーを見上げた。
「フーパーさん」
「はいはい、お決めになられまシたか」フーパーは猫撫で声で揉み手しながら答える。
「たとえ人質を取られても、わたしたちの決心は変わりません」
リアはきっぱりと言った。
「は・・・?」
フーパーの揉み手が止まる。
「先生も、生徒のためなら、いや宇宙の平和のためなら、きっと同じ覚悟のはずですっ」
リアの言葉に続き、アンナがびしっと気をつけをして、橋澤に向き直った。
「センセ、あなたの犠牲は、ムダにしません! さようなら!」
ぴっと敬礼のポーズを取る。つられて他の三人と一体もびしっと敬礼した。
「もが――っ! ふご――――っ!」
橋澤は激しく首を上げて叫ぶ。ファントムズは全員、敬礼のままプルプルと震え、必死に笑いをこらえていた。
フーパーは信じられないというように装置の上を右往左往している。
「こ、こんなバカな・・・地球人を従わせるには、金と人質に限るという話でシたのに」
エレノアが敬礼を解いてフーパーに向き直った。「あいにくね。わたしは半分しか地球人じゃないわ」
「残りの半分は宇宙一の冷血エイリアンだぜ」アンナが付け加える。
二人に続いて、リア、沙奈、メラニーもフーパーを見上げる。橋澤は視界の外に追い出す。
「く・・・こ、このままでは、ニャルラトテップ様との契約履行が・・・む?」
フーパーは携帯を取り出した。
「ちょっとお待ちくだサいね」
そう言うとフーパーはくるりとファントムズに背を向け、携帯に話しはじめる。
「どぉーも、ニャルラトテップ様」
フーパーは電話の相手に向かってペコペコとお辞儀した。ファントムズはその名前にぞくりと背筋に戦慄が走る。
「はっ、ええ、順調でスとも。多少問題はございまスが、すぐに解決を・・・は?」
フーパーは45度お辞儀の姿勢のまま相手の声に集中していたが、やがてぱっと直立不動になった。
「はっ! 恐れ入りまス、ありがたき幸せ・・・はいっ! では、早速・・・はいっ」
フーパーは深ぶかとお辞儀をしたまま、通話を切った。そして90度最敬礼の姿勢のまま、くるりとファントムズに向き直る。
「お待たせしまシた。・・・と、ふはははは! ワタシの策は、まだまだこれだけではありまセんよ!」
「いや、今聞いたんだろ」
態度の乱高下に呆れるアンナを無視して、フーパーは続ける。
「ご覧くだサい、あなた方との交渉手段は、まだございまス!」そう言うとフーパーは、リモコンを取り出してなにやら押し始める。
ゴゴゴゴゴ。
またしても広間に轟音と振動が響いた。今度はどんな装置かと、ファントムズは慌てて周りを伺う。壁の通路にいるマーティンとマクラーレンも、広間にいるコンパニオンの女も、急いで広間の外へと走って逃げていった。橋澤を乗せた台車は、振動でゴロゴロと勝手に動いていく。
壁に四角く穴が開いた。通路のドアとは桁違いの、縦横に何メートルもある大きさだ。さらにその穴の床部分が前方へせり出して来た。
せり出した床に乗っていたのは、遠くからでも見まちがえようがない、あの超巨大スピーカーアンプだった。
壁から出てきたのは、ファントムズの機材が置いてあるリハーサル室だ。よく見ると点々と小さく、カラフルな楽器も見える。
やがてガゴーンと音を立てて、床の動作が止まった。
「うう・・さ、さあさあ、彼らがどうなってもよろしいのでスか?」フーパーがリハーサル室を震える手で指し示した。装置の上はとりわけよく揺れたのだ。
「ま、まさかわたしたちの楽器を人質に!?」リアが叫んだ。
「む・・・そっちのほうが良かったでスかね・・・と、いえ、そうではなくて、"彼ら"でス」
ファントムズは固唾を呑んでリハーサル室を見つめた。
するとその床からびよーんと人影が跳ね上がった。
「離しなさーい! この白菊霧乃にこんな破廉恥な真似をして、ただじゃおきませんわよーっ!!」
一同はがっくりと脱力した。
「何やってんだ、あのバカ」
アンナが呟く中、リハーサル室の床からさらに二人が立ち上がった。
「ど、どうなってんですかー! 助けてくださぁーい!」
「ニャル様、なぜあたしにこんな仕打ちをー!?」
光と久里子だった。二人は後ろ手を縛られていて、ルーム中を右往左往している。霧乃はさらに足枷もされていて、喚きながらピョンピョンと跳びはねていた。
「なんであの三人がわたしたちの楽屋に?」
リアがフーパーに叫ぶ。
「あなた方との交渉のために、楽屋に罠を仕掛けておいたのでス。思わぬ獲物が掛かりまシたが」
ギャーギャーと喚くPMRCに辟易しながら、フーパーが答える。
「始めからわたしたちを捕まえるつもりだったの? いったいどんな手で?」
「バカな地球人しか引っかからない捕獲装置でス。名づけて未開人ホイホイ」
「あー」
ファントムズは疲れた目で右往左往するPMRCの三人を眺めた。向こうもようやくファントムズとフーパーに気付いたらしい。
「またあなた達の仕業ですのー! 早くコレをほどきなさーい!!」
「ちょっと、お静かに願いまス」
フーパーがリモコンを操作すると、"未開人ホイホイ"から触手アームがニュルニュルと伸び、三人の手枷にくっついた。
「わわっ!?」
「ちょっ、下ろしなさい!」
アームは三人を空中に持ち上げた。久里子と光は足をジタバタさせ、霧乃は足枷を嵌められた両脚を平泳ぎのようにピョンピョンと曲げ伸ばししている。三人の悲鳴と怒鳴り声がさらにボリュームを上げた。
「お静かにというのに!」
フーパーが耳を覆いながらリモコンをいじると、"未開人ホイホイ"から触手アームがさらに数本伸び、吊り上げられた三人の周囲で止まった。アームの先端にはメスだかレーザーだかの、拷問器具っぽいパーツが光っている。
「ふっふっふ、さあ、返答次第では、こちらのお友達を裸で縛り上げて、先ほどの先生と同じ目に遭わせてさしあげまスよお?」
威嚇するようにゆらゆらと蠢くアームが一本、光の身体に近づき、先端のメスでそっとパジャマの裾を撫でた。
「キャ――――ッ!! やめて――――!!」
広間じゅうに絹を裂くような悲鳴が突き抜ける。
「どうでス、これでも・・・ん?」
フーパーはファントムズが全員、人質を食い入るように見ているのに気付いた。心配しているというより、目を血走らせている。
「そっ、そんな脅ししたってムダなんだからねっ!」
「その程度かしら? まだまだね」
「そーだ! 早く脱がせ!」
『もったいぶらずに本番行ってよ』
「あ、これ以上スゴいことされたら、考えちゃうかもですう」
ファントムズが口々に叫んだ。そうする間も、みんな一瞬たりとも光から目を離さない。
フーパーはしばらく無表情にファントムズを見ていたが、やがてピタリとアームの操作を止めた。
「・・・契約しないなら、これ以上の拷問はナシでス」
ファントムズの血走った目が一斉にフーパーのほうを向いた。
「・・・くっ! なんて卑劣な!」
「よ、よし、黒間を引き渡すなら、考えてもいいぞ!」
『あの触手マシンも付けてね』
「複製も造って、ひとりに一体づつよ」
「いえ、ひとり十体ぐらいで」
はじめからこの手を使うんでシた、とフーパーは溜め息をついた。
「・・・それでは、気の変わらないうちに、契約を・・・」
「や――め――て――!!」
取引材料にされた光がジタバタと暴れた拍子に、パジャマの裾からハラリと紙片が落ちた。宇宙に出てから肌身離さず身に付けていた、魔除け・宇宙人除け・変態除けのお札だ。
お札はひらひらと"未開人ホイホイ"本体の上に着地した。
バチバチッ!
"未開人ホイホイ"は火花を上げてアームの動きを停止した。と同時に、手枷と足枷もパカッと外れ、三人は床にべちゃっと落下した。
「ひいいっ」
光は一目散に逃げ出し、リハーサル室の床から飛び降りて、広間の出口を求めて駆け出した。霧乃と久里子もてんでの方向に逃げ出していく。
「ちっ、使えない奴め」
「お札って宇宙メカにも効くんですねえ」
「さぁーてと」
ファントムズは一斉にジロリとフーパーを睨んだ。
バンドを代表してエレノアが宣告する。「黒間君を取り逃がし・・・ゴホン、わたしたちを脅した報いは受けてもらうわよ。父さんを通じて協定に報告するわ」
「計画とか宇宙支配も、これで終わりだよっ!」リアが後押しする。
フーパーは全身をカタカタと震わせている。
「ぬくく・・・こ、こうなったら、とっておきの手でス!」
フーパーはリモコンに手を伸ばす。
「野郎っ! 逃げる気か!」アンナが叫ぶ。
フーパーの指が止まる。
「え、何でスかその発想」
「え、違うんか」
数秒の白けた沈黙の後、フーパーはポチリとリモコンを押した。
巨大装置の一部分がチカチカと瞬きはじめ、ブーンと唸りを上げる。
「わ、何だ、何だ」
「あれは転送機のセクションだわ」エレノアが装置を見上げる。「まずい、何か出す気よ」
ファントムズは一斉に装置から後ずさる。
「ふははは! こうなれば、力で従わせるまででス! ニャルラトテップ様にも無許可で追加した、フェイザーの超ウルトラ機能です!」
「超とウルトラの両方付けてんじゃねえよ!」
とうとうボキャブラリーも崩壊し始めたフーパーがやぶれかぶれの作戦を決行し、装置の横の空間に光の粒がキラキラと渦を巻いて現れた。
「みんな下がって!」
ファントムズはさらに光の渦から数メートル遠ざかった。光の渦は次第にまとまって二つの形を造っていく。それは、五メートルほどの人型だった。
「な、なに、あれ」リアが息を呑む。
光の渦が薄れて姿を現した二体の人型は、見るからに凶悪な怪物の顔と、顔に劣らず凶悪なデザインの、動きにくそうな鎧を身に纏っていた。小学生が最強モンスターをデザインしようとして、思いつく限りの悪のシンボルをめったやたらくっつけたような。
「バ、バカな、転送機だけじゃこんな怪獣は作れないはず」
エレノアが驚愕に目を見開いた。二体の巨大怪獣はほぼ出現を終えて、身じろぎを始めている。
「ふははは! そうでスとも! 地球で死体を採取したこの二体を、ワタシがフェイザーで蘇生し、ついでに肉体を強化し、知能を退化させたのでス! 名づけてバトル・マキシマス作戦!」
「グワアアァァ!!」
二体は天を仰いで咆哮した。火星中に響くかと思うほどの、耳をつんざく巨大な声。
「こ、こんな奴が、地球にいたってのかよ」
アンナが怪獣の声によろめきながら叫ぶ。同じく咆哮にふらつきながらフーパーが答えた。
「い・・・いかにも。ただし出身は宇宙でスがね」
ファントムズは一斉にエレノアを見たが、「知らないわ」と首を振る。
「彼らは宇宙神によって創造された戦闘種族"スカム・ドッグ"でス。創造主に逆らったあげく殲滅され、地球に幽閉されていまシた」
「なにそれ? またクトゥルー?」リアがメラニーに聞く。
「話は似てるけど、聞いたことない名前ですう」
「オレ、どっかで聞いたような気がするんだけど・・・」アンナが獣耳の後ろを掻く。
フーパーが続ける。
「創造主を恨み、世を呪い、死んでいった伝説の種族の墓は地球にありまシた! その組織を採取し、我がアカシック・レコードの渉外担当として蘇らせたのでス!」
巨大怪獣は足を一歩踏み出した。ズシンと床全体が震える。ファントムズは急いで壁際まで退散した。
「オーデラス・ウランガス! フラタス・マキシマス! ふたりを悪魔もブッ飛ぶ復讐鬼につくりあげまシた!」
いえ、悪魔ならそこで必死こいてますけど、とリアは橋澤のいるあたりをちらりと窺った。橋澤は台車に縛り付けられたまま、釣られた魚のように上半身をばたつかせ、怪獣から逃げようと台車をキコキコ動かしている。
「あなた方はあと回しでス、こうなったら<フェイズⅢ>を進めるまで!」
フーパーはそういうとリモコンを操作した。巨大装置のそこかしこが起動して光を放ち、空中モニター映像の地球の下に棒が現れた。
棒は左端から徐々に色を変えていく。進捗メーターだ。
「スカム・ドッグのお二人さん、彼女たちがジャマしないよう、お相手をお願いしまスよ!」
二体の巨大怪獣は一声吼えると、手に持った武器を振り上げた。これまた実用性無視の、トゲトゲやらドクロやらがごてごて生えた剣と棍棒である。
一体がその剣を投げつけてきた。
「わわっ!」
ファントムズは一斉に身を屈めた。沙奈も生前の本能で飛んで逃げる。幸い怪物のコントロールは大ハズレで、剣はファントムズのはるか頭上の壁にガツーンと突き刺さった。
しかし目標が外れても剣の威力は絶大で、壁の破片がバラバラと降ってくる。ファントムズは今度は慌てて壁から離れ、怪物に近づく羽目になった。
「リアさん、また吸血で倒してくださいー!」メラニーが悲鳴を上げる。
「やだーあんな気持ち悪いの吸えないー! ていうか吸いきれないー!」
なす術もなくメラニーは走って逃げる。剣を投げた怪獣は、その後をズシンズシンと追いかけていった。
『このっ、私が相手よっ! 勝負しなさい! えいっえいっ!』
沙奈はメラニーから気を逸らせようと、怪獣の頭をスカスカと殴るが、いかんせんダメージにならない。
もう一体の棍棒を持った怪獣が咆哮とともにジャンプし、リアたちの数歩前にズシンと着陸した。衝撃でリアとエレノアがひっくり返る。
怪獣は足元の獲物に威嚇の叫びを上げ、大きく棍棒を振りかぶった。やたらゴテゴテとデコレーションされている棒は、太さだけでも1メートル近くある。
エレノアとリアは叫び声のショックで耳と目を塞ぎ、動けない。
そのとき、転んだ二人の後ろから、ダッと床を蹴る音が響いた。
「この野郎! オレの必殺俗悪パンチを食らえっー!」
アンナが人狼の脚で跳躍する。怪獣の顔面目がけて飛びかかり、左の頬に渾身のパンチを食らわした。
怪獣は呻き声を上げてよろめいたものの、それもほんの数秒のことだった。
「チクショー、効いてねえ」
エレノアの前に着地したアンナが毒づいた。怪獣はすでに体勢を立て直し、アンナに狙いを定めている。
怪獣が再度棍棒を振り上げた。アンナは跳んで避けようとして、背後のエレノアに気付いた。
あの棍棒はアンナとエレノアの二人をいっぺんに叩き潰す気だ。
エレノアはまだ逃げられない。このままじゃ――
アンナは怪獣に向き直り、
「うおおおオオオ―――ッ!!」
棍棒が振り下ろされる。
「アンナ―――っ!!」
リアが叫んだ。
エレノアが腕で顔を覆う。
ゴシャアッ!
リアは反射的に目を閉じた。目を開けるのが怖かった。だが次の瞬間、あの棍棒が自分に向かってくる幻が見え、ハッと目を開いた。
棍棒は目前で静止していた。
地面に届いてすらいなかった。床で仰向けのエレノアが目を丸くして、頭上2メートルほどで止まった棍棒を見つめている。
棍棒を止めたのはエレノアの前の青い塊だった。
「オレを・・・ナメんじゃねえぞ・・・オラアァァ!」
棍棒を両腕で受けたアンナが吠えた。身体は人狼の姿より何回りも盛り上がり、全身の毛が青く変色し、獣そのものの姿になっている。
本気モードだ。
巨大化した身体に避けちぎれた服の残骸が、かろうじて人間だった姿の名残を留めている。
「ア・・・アンナ?」エレノアが弱々しく声をかける。
「見てろよ・・・この・・・グルルアアア!!」
巨獣アンナはデスメタルのグロウルのような唸りを上げると、丸太のような腕と脚をバネにして、棍棒を押し返した。よろめいた怪獣目がけて、暴走列車さながらの勢いで跳躍し、跳び蹴りを見舞う。
アンナの直撃を受けた怪獣は突き飛ばされ、床に体を撃ちつけた。怪獣が倒れた衝撃で広間がズズウゥンと揺れる。
「ヤロー、まだまだまだ!」
着地したアンナは服の残骸をつかみ捨てると、四つ足の姿勢で壁に向かって走り、そのまま壁を駆け上がった。十数メートル上の端まで一気に到達すると、壁を蹴って跳び、怪獣目がけて飛び降りる。
「食らえ! ラム・イット・ダウン・スペシャル!」
隕石さながらの勢いとともに、アンナは両拳を怪獣の顔面に叩きつけた。
「アゴガアアアァ」
さしもの怪獣も苦痛にのた打ち回る。
アンナはバック宙でエレノアの前にスタッと着地を決めた。「ヘッ、今度は効いたな!」
エレノアはようやく立ち上がりながら巨獣の背中から恐る恐る声をかける。
「わ・・・わたしをかばったの?」
「フン、お前に死なれたら、あのお袋さんに泣かれるからな。そりゃもう思いっきり」
「ぐむむ・・・」エレノアは羞恥と負い目と腹立ちで、真っ赤になって膨れる。
「オイ、そんなことより、装置を止めねえと」
「そ、そうだ、あのリモコン」
エレノアは倒れた怪獣の向こう、装置の上のフーパーを見上げた。怪獣の一体が倒れたことに驚いたようだが、もう一体の地響きがダイレクトに装置の上まで伝わるので、落ちないように必死そうだ。
映像の進捗メーターはもう半分を過ぎている。
エレノアが呼ぶ。「リア、リモコンよ!」
リアが装置の上を見上げる。「えー、あれ登るのお」
「あんた飛べるでしょう!」
倒れた怪獣は頭を振りながら起き上がりつつある。
「うー・・・もお」
一言漏らすと、リアの瞳が真紅に染まり、シュッと姿を消した。エレノアがすばやく視線を移すと、装置の上、フーパーの背後の空中に、フッとリアが姿を現した。
リアは牙の生えた口を大きく開け、フーパーの肩に飛びかかり――
ガチンと歯が空振りした。
「*んが%!?」
リアは閉じた口で叫び、一瞬前にフーパーがいた地点に降り立ち、キョロキョロと見回す。
「フフフ、あなたの能力はお見通しでス、リア様」
リアがぱっと振り向く。フーパーが背後に立っていた。腕を組んでこれ見よがしにリモコンをちらつかせている。
「あなた方の特殊能力は、ご招待したときから既に調査済みでス。こんな事もあろうかと!」
フーパーは思いっきり得意気に、ばっと腕組みを解いて、腰のバックルを見せびらかす。
「対超速デバイス、"クイック・ワン(TM)"を付けていたのでス! あ、これはもちろん我らアカシック・レコードの登録商標で――」
リアはその続きを聞かなかった。得意満面のフーパーの背後から、巨大怪獣の顔面が突進してきたのだ。
仰天したリアはフーパーもリモコンも放って、超速で装置から飛び下りた。超速に移行した一瞬、怪獣の頭にメラニーがしがみついているのが見えた。
「――自動的に高速で襲ってくる物体に・・・あれ?」
今度はフーパーが眼前から消えたリアを探す番だった。だがそのヒマもなく、フーパーは一瞬背後に異様な風圧を感じただけだった。
バゴォーン!
巨大怪獣に激突されたフーパー、それにメラニーは、なす術もなく宙に放り出された。
「メルちゃん!?」
装置から飛び降りながら、リアは宙を舞うメラニーを目にした。いくらゾンビでも、あんな高さから落ちたら・・・
ものすごくヒドいことになる。メルちゃん自身よりも、わたしたちにとって。主にビジュアル的に。
それ以上考えるのはやめた。リアは再び上へと飛んだ。
空中でリアはメラニーを捕まえた。超速の中でゆっくりと落ちるメラニーの服をまさぐり、腰に巻かれていた重力調整ベルトを探り当てる。
リアはベルトのダイヤルを最小にまで回した。とたんに、腕に感じるメラニーの身体の重さがぐんと減る。そのままリアは、メラニーを抱きかかえたまま、通常速度に戻りながら、ヴァンパイアの能力でふわりと着地する。
羽根のように軽いメラニーをしっかりと支えて、リアは呼びかけた。
「メルちゃん! だいじょうぶ?」
「わわあぁぁ・・・ぁ・・・れ・・・?」
超速を体験していないメラニーには、地面へまっさかさまに墜落し、最後の瞬間にいきなり止められたように感じていた。メラニーはゾンビもとうとう死んで天使が来たのかと思ったが、目をパチパチしているうちにリアの顔だと気づいた。
「リ、リアさん・・・?」
「よかったあ、無事で・・・あ、れ・・・?」
リアは感激でメラニーをムギュッと抱きしめたが、そこで異変に気がついた。
「メ、メルちゃん、手が!?」
急いでリアが身体を離して見ると、メラニーの右腕がなくなっていた。
「あー、手は・・・」
ズズズウウウゥゥン。
とてつもない地響きが辺り一面を揺らし、リアは振り返った。宙を飛んだ怪獣が地面に落下したのだった。
「あの怪獣さんに捕まっちゃったんで、外して逃げたんですう」
「そ、そう・・・」
「リアさんこそ、目がヘンですよ?」
「あ、うん、立て続けに飛んだせいで」リアの目はいまだ吸血モードの真紅に染まったままで、焦点が定まらずふらふらと泳いでいる。
その目が空中のモニターを捉えた。進捗メーターはもう八割がた過ぎているが、色が変わってチカチカ点滅していた。フーパーが吹っ飛ばされたはずみで一時停止したらしい。
「っと、そうだ、フーパーさんは!?」
怪獣が倒れた周囲を探すと、床からフーパーがヨロヨロと立ち上がっている。
「く・・・こ、こんな事もあろうかと、我らアカシック・レコードの"グラビティ・キルズ(TM)"を装備しておき――」
横からもう一匹の怪獣がズザーッと突進してきた。
「グピィーッ」
怪獣が直撃したフーパーは空き缶のように吹っ飛んでいった。
「くぉんにゃろっ!」
床を滑ってきた怪獣を追ってアンナが走ってきた。奪い取った巨大棍棒を抱えている。アンナはそれを怪獣目がけて振り下ろした。
棍棒は怪獣の胸の鎧に直撃したが、バラバラに砕けたのは棍棒のほうだった。ダメージは与えたらしいが、怪獣はジタバタ暴れるだけでKOには至らない。そうこうしているうちに、もう一匹のほうも起き上がりつつある。
「くっそー、しぶとい奴らだぜ、ハァ、フゥ・・・」アンナは息を喘がせて二匹を交互に見る。
見守るリアとメラニーのそばに、沙奈が舞い降りてきた。『メルさん、無事だった?』
エレノアも走って合流する。「リモコンは?」
「ごめん、取り逃がした・・・」リアは息を荒げて床にへたり込んでいる。目は血の色に染まり、逆に肌の色は紙のように真っ白だ。
「ちょっ、どうしたの」
『リアさん?』
「ご・・・ごめん・・・貧血」
「吸血鬼さんでも貧血ってなるんですか?」メラニーがぽかんとして訊く。
「空を飛びすぎて・・・それに、吸い損ねて」
「そうだったんですか。ごめんなさい、わたしのせいで。なんならわたしの血でも」
「あんた血がないでしょ」
「そうでしたあ」
『しょうがない、エリさんを吸おう』
エレノアはばっと首筋を押さえてズザーッと後ずさった。「わ・・・わたしは・・・リモコン操作できるのわたしだけだしー・・・」
『うわ、血も涙もない』
エレノアたちが献血を論議しているあいだ、床から空を見上げていたリアが「あっ」と声を上げた。皆も視線を追うと、スクリーンのメーターが点滅をやめ、ふたたび進行を再開していた。
エレノアが見回すと、吹っ飛ばされたフーパーが壁際でヨロヨロと起き上がるところだ。その近くでは、アンナが倒れた怪獣二匹に交互にストンピングを食らわしながら、ピョンピョンと往復している。
「アンナー! そいつらより、リモコンを!」エレノアが指差す。
声に振り向いたアンナは、壁際にフーパーの姿を認めると、ダッと四つ足で駆け出した。壁際でフーパーの身体に噛み付き、フーパーを口からぶら下げたまま壁を駆け登る。
エレノアたちの横に着地するとアンナはフーパーを口から離した。そのままキャベツの首を掴んで宙にぶら下げる。
「リモコンを出せゴラアア!」
「おっぱああぁーっ」
CEOの威厳をかなぐり捨ててフーパーはオロオロと身悶えした。が、
「そ、それが・・・落としたんでス・・・」
「ああ!?」
アンナはフーパーを逆さまにしてぶんぶんと上下に振った。バラバラと身に付けたアクセサリーが落ちてくる。さっき自慢していた何とかの装置らしいが、肝心のリモコンは見当たらない。
アンナはフーパーを今度は前後に揺さぶった。「ざけんな! お前が動かしたんだろが!」
「ホ、ホントでス・・・上から落ちてから、触ってないんでスう・・・」
フーパーはキャベツ顔を皺だらけにしてガタガタ震えながら答えた。どうやら本当らしい。
「じゃ誰が操作してんだ!」
一同は辺りを見回し、スクリーンを見上げた。メーターはもうほとんど満タンまであと一歩だ。
そのとき、場違いな声が壁のほうから響いた。
「ほーっほっほっ! 宇宙を支配するのは、この白菊霧乃ですわーっ!!」
壁の通路に、勝ち誇った霧乃が、高々とリモコンを掲げていた。
ファントムズはあんぐりと口を開けて霧乃を見た。脱力したアンナはフーパーを床にドサッと落とした。
「このドアホ――っ!!」
霧乃の横では久里子と光がゼイゼイと息を喘がせている。服はあちこちボロボロだ。どうやらあの戦闘の最中に逃げ回っているうち、リモコンを拾ったらしい。
「フ、フフフ、これでニャル様の計画は完遂されるわ・・・このあたしの助力で・・・」
「や、やっぱりやめましょうよ、委員長」
「お黙り! 何の計画か知りませんが、わたくしがいただきますわ! あなた達はそこのブサイクな怪物と遊んでらっしゃい!」
霧乃の言葉に合わせたように、怪獣二匹が立ち上がり、ファントムズのほうを向いた。フーパーは一目散に逃げ出して行った。
「やべえ、逃げろ!」
「で、でも、リアさんが・・・あれ?」
メラニーは床を見て目をぱちくりさせた。へたり込んでいたはずのリアの姿がない。
『あっ』
沙奈が声を上げた。他の皆が視線を追うと、リアがいた。
リアは霧乃の首筋にかぶりつき、一心不乱に血を吸っていた。むちゅ―――っと、すごい音をたてて。
「こ、この妖――」
驚いた久里子はそれしか言えなかった。霧乃がよろめいたかと思うと、リアは一瞬のうちに久里子の背後に移動し、今度は久里子から吸血していた。
ヴァンパイアの吸血現場を目の当たりにした光は、どさっと気絶した。
ファントムズが唖然として見守る中、リアは今度は倒れた光の首筋に取り付――こうとして「きゃん」とお札の電撃に弾き飛ばされた。もはやお約束の光景だ。
「リア――っ! リモコンよ―っ!」
エレノアが叫ぶが早いか、リアはびゅんとエレノアの目の前に戻ってきた。手にはしっかりと霧乃から奪ったリモコンを持っている。
「やー、やっぱり人間の血が一番だねっ」
リアは赤みの戻った肌でニッコリと笑った。満腹で幸せな子供そのものだった。唇から口内までが真っ赤に染まっていることを除いて。
「食後に口の中を見せるんじゃありません」エレノアはリアの顔から目を逸らして手を差し出した。
「ん」リアはぱふんと口を閉じ、リモコンを手渡す。
エレノアは急いでリモコンの画面を調べた。字が読めない霧乃がメチャクチャにいじったらしく、画面には宇宙船事故保険の宣伝が映っている。
すぐに巨大装置の操作画面を探す。装置を停止させるスイッチを――
「危ないっ!」
ズズウウゥン。
エレノアはいきなりリアにタックルされ、床に押し倒された。抱きついたリアの頭越しに、一瞬前に立っていた場所を怪獣の巨大な足が踏みつけるのが見えた。
「このヤローめっ!」
その怪獣目がけてアンナが体当たりを食らわす。怪獣はひるんで数歩後ずさるが、今度はもう一匹がアンナに跳び蹴りをしてきた。
「ぐえっ」
アンナの巨体が弾き飛んだ。その先にはリアとエレノアがいる。
「あぶ・・・きゃっ!」
巨獣アンナの下敷きになると思った瞬間、エレノアは数メートル横にギュンと引っぱられた。リアが超速で腕を引っぱったのだ。
だが瞬間移動のショックでエレノアはリモコンを取り落としてしまった。リモコンはスピードをつけて床をカラカラと滑っていった。
アンナは床に背中を打ちつけ、唸りながら這いつくばった。
エレノアも手をついて起き上がろうとした瞬間、左腕にズキンと激痛が走った。床に転がった時に打ったか、超速で引っぱられたせいで痛めたらしい。
「あぐっ」
左腕を押さえて床に倒れこむエレノアの目に、はるか遠くに滑っていくリモコンが消えていった。その向こうから怪獣が一匹、リアとエレノアに向かってくる。
巨大な足が、床の上のリモコンをズシンと踏み潰した。
「・・・!!」
エレノアは痛みと絶望に呻いた。
リアは倒されたアンナを見る。なんとか立ち直っているが、闘いのダメージと疲労で息が荒い。メラニーはアンナの背後に避難しているが、片腕で覆っている顔に浮かんでいるのは、絶望と恐怖のみだった。
怪獣の一匹は疲労困憊のアンナに向かって行く。もう一匹は自分と、立てないエレノアのほうに。
ヤバいヤバいヤバいどうしようどうしよう。
何か手はないかとリアは広間を見渡した。中央に聳え立つ巨大装置のほかに目に付くのは、壁から乱入してきたファントムズのリハーサル室ぐらいだ。殺風景な広間に屹立するばかでかいスピーカーアンプは、もはや縮尺も置き場所も悪い冗談としか思えない。
「あのスピーカーで妨害電波とかできないかな?」リアは期待半分、ヤケ半分でエレノアに訊いた。
「無理よ・・・痛つっ・・・急にそんな」
怪獣は着実にこっちへ歩を進めてくる。「じゃ、じゃあ、せめて大声攻撃とか」
「バカ言わないで。だいいちあのスピーカーには強力な電源が必要・・・電源!」
ハッとエレノアは気付いた。さっきから一人の姿が見えないことに。
「あ・・・あるっ! あのスピーカーを動かす電源が!」
リアの頭に「?」が浮かんだ瞬間、スピーカーが『バリッ』と空電音を立てた。
広間中に唐突に聞こえたその音に、怪獣二匹も、ファントムズ四人も、壁の陰からこっそり様子を伺うフーパーも、いまだキコキコと移動中の橋澤も、貧血で通路にのびている霧乃と久里子も、一斉に巨大スピーカーのほうを見た。気絶した光だけは除いて。
スピーカーから場違いに陽気な声が広間にこだました。
『あー、テステス・・・えー、エイリアンの皆さん、ザ・ファントムズの利降沙奈でーす!』
ファントムズ四人の顔が一斉に青ざめた。
『歌いまーす!"ゼア・マスト・ビー・アン・エンジェル"!』
がばっ。
四人は両耳を覆って地面に伏せた。力の限りに耳を塞いで。
エレノアは左腕の痛みも忘れ、片手しかないメラニーは床に右耳を押し付けた。
スゥー・・・と息を吸う音がスピーカーから聞こえ、一瞬の静寂の後。
『♪らラ#ら*ラ゛ら☆ラ%ラ▲ラ><ああ゜ぁ*ぁアア÷~+~÷~ ダぁあ゛ア=~~だァ@д<アアぁァ゛~・・・』
その歌声、というよりこの世のものとは思えない破滅の音は、火星の大気を揺るがした。
惨劇を生き延びた物の証言によれば、まるで銀河系すべての天体が火星に墜落してきたかと思ったという。またある者は、音波のひとつひとつが悪意を持って襲いかかって来たとも。はっきりと臨死体験をしたという者も、周囲の全員がアメーバ状に変形して異次元にトリップしたという者もいた。
奇跡的に死者がでなかったのは不幸中の幸いだった。またフェスが可聴音域外パフォーマンスの時間帯だったため、観客およびテレビ視聴者の大半が音波の聞こえない種族であったことも、また火星は深夜であったため、付近を通行中の乗物は少数であったことも幸いした。さもなければ、犠牲者の数は宇宙はじまって以来の天文学的な数となっていただろうと、後に事故調査委員会は分析した。
とはいえ被害は決して少なくはなく、正確な被害者の数は今なお把握されていない。だが宇宙ネットワーク史上最大の放送事故であることは確実だと、見識は一致している。
また人的被害の大半が、音波を直接聞いた者は痙攣および精神錯乱、乗物を飛行中および走行中に聞いた者は墜落および衝突にとどまったため、致命傷はゼロ、もしくは蘇生可能だったということである。ただし音波を最も強く聴取した者、すなわちフェスの音響スタッフおよびテレビ中継のスタッフの中には、肉体的および精神的な長期療養を余儀なくされた者もいる。なお、音波により頭部破裂を起こすことで知られている@#@@族については、フェスに備えて耐共振器を着用していたため、致命傷にはならずに済んだ。
ちなみに後日、この事故を機に、またぞろ有害作品を規制すべしという主張が取り沙汰されたが、ほどなく下火になった。あんな音楽を毎日チェックする有害調査員が、正気のわけがないというのがその反証である。
その放送事故の最中、何時間にも感じられた2コーラスの阿鼻叫喚の中で、巨大怪獣二匹は音波にのたうち回っていた。ヘルメットのせいで耳を塞げないのだ。
「グワアアァァアアァァァァ」
その苦悶のダンスは、まるで全身をハチに刺されているかのようだった。しかもハチと違って音波は追い払えない。怪獣二匹は床にガンガン耳を打ちつけ、頭を打ちつけ、互いの頭を打ちつけあったところでついに力尽き、装置の足元にひっくり返って動かなくなった。
そこでちょうど沙奈の歌声が止んだ。彼女以外の全員にとって幸いなことに、イントロの『♪ラララ~』以外の歌詞を知らなかったのだ。
リアはそーっと目を開けた。エレノアは眼鏡が斜めにずれて、声にならない悲鳴を漏らしている。メラニーは少しでも音を遮ろうと、長髪を覆い被さるようにしてうずくまっていた。その隣では、アンナが人間の姿で、素っ裸でうつ伏せに伸びていた。人間より聴覚の鋭い獣人モードでは耐え切れず、変身が解けてしまったらしい。
怪獣の様子を見ると、二匹仲良く床の上で気絶していた。身動き一つしていない。
「エリさん、もう大丈夫みたいだよ」リアはエレノアの身体を揺すった。
「ん・・・んあ?」エレノアは目をしばたき、眼鏡を直した。
アンナとメラニーに駆け寄って、肩を叩いて「もう大丈夫」と告げる。二人は目を白黒させながら起き上がった。
「うーええ、マイったぜ・・・」
「死ぬかと思いましたあ」
エレノアもヨロヨロとやって来る。「みんな無事?」
そこへ沙奈が飛んで来た。一ステージ終えて、とても爽快な笑顔をしている。
『いえーい! どーよ、私の歌でノックアウトしてやったわ!』
「ええ、肉体的にね・・・」
沙奈を除く四人はふらつきながら立ち上がり、装置の足元で伸びている巨大怪獣を眺めた。とてつもなくバカバカしい死闘の結末に、脱力感がこみ上げてくる。
『ちょっと気を逸らすつもりだったんだけどー、ボリューム上げすぎちゃったみたーい。あははは』
本気なのか自虐なのか、どっちにしても突っ込む気力が出ない。
「あの装置も歌で爆発するかと思ったよ」リアがポツリと呟いた。
『なはは、まさか、そんなマンガみたいな』
ビシッ。
ずどどどどぐわらぐわらがっしゃああぁーん。
床にヒビが走ったと思った次の瞬間、轟音とともに広間の床が崩落した。巨大装置も、二匹の怪獣もろとも、崩れる床に飲み込まれて消えていった。
わずか数メートル前まで大きく口を開けた広間の大穴を、ファントムズの四人はあんぐりと口を開け、呆然と見守っていた。
『・・・か、怪獣がドンドンしたせいで抜けたみたいね。きっとそうよね。うん。そうに決まってる』
沙奈は必死に自分に言い聞かせている。まさか床にまで歌にダメ出しされたとは、思いたくない。
ようやくあんぐりから立ち直ったリアが、空を仰いだ。
「ま、まあ、これで、何だか知らないけど、フーパーさんの計画もパアだよね――」
リアの言葉が不自然に途切れた。目はまだ宙を見上げたままだ。他の皆も空を見上げた。
スクリーンはまだ空中に表示されている。進捗メーターは満タンで、緑色に変わっている。その上で大きな文字が点滅していた。
「エリさん・・・なにあれ」リアの目が見開かれる。
「"実行中"って・・・」エレノアは息を喘がせた。
一斉に顔を見合わせる。
『どういうこと? 装置はもうぶっ壊れたじゃない』
「なんでまだ動いてんですかあ」
「あの野郎! どこ行った!」
アンナの一言で大穴の開いた広間を見回すと、通路の入口にフーパーが倒れていた。いまだ沙奈の歌から立ち直っていない。
見つけるやいなや、リアがびゅんとフーパーに駆け寄り、文字通り叩き起こした。
「フーパーさーん! どうなってるのこれ!」
「う・・・ぐ・・・く、苦情係を・・・」
フーパーは焦点の合わない目でうわ言を漏らすだけだ。リアはさらに両手でビンタを連打した。
「ちょっとー! しっかりしてよーっ!」
他のファントムズも走り出したとき、アンナが「痛てっ」とうずくまった。右の太腿が腫れあがっている。
「チクショー、あの怪獣にやられた」
「ケガしてますう」
「ていうかあんた、その格好なんとかしなさいよ」
アンナは変身から戻って素っ裸のままだった。女同士とはいえ、全く平気でウロウロされると、文明人としての理性がどうにかなりそう。
「んな事言ったって・・・」
周囲を見回しても、服はおろか、大穴が開いた広間には文字通りなんにもない。引きちぎれた元の服の切れ端すら見当たらなかった。
『あ、ちょっと待ってて』
沙奈がそう言うと飛んでいった。エレノアはフーパーのところへ走りだし、アンナはメラニーにつかまりながら後を追う。
フーパーはビンタで顔を腫らしながらようやく正気を取り戻しつつあった。
「う・・・パ、パーカー様」
「あの画面どうなってんのー! 装置が壊れたのに"実行"ってー!」
リアは空中のスクリーンをぶんぶんと指差して怒鳴った。
フーパーは目をしばたきながらスクリーンをぼんやりと眺めた。
「・・・<フェイズⅢ>が・・・実行されまシた」
リアは息を呑んで、がっくんがっくんとフーパーを揺さぶった。
「何でよお! 装置は壊れたのに、何で地球を攻撃してんのよお!」
「ち、ち、違いまス・・・あ、あの装置は、武器ではありまセん・・・受信アンテナなのでス・・・」
舌を噛みながらなんとかフーパーは弁明した。そこにエレノアが到着した。
「アンテナ? 発射とか攻撃とかじゃなくて?」
「左様でス、ランバート様。地球の個人データを収集・受信し、データアーカイブを作成したのでス」
リアとエレノアは顔を見合わせた。スクリーンを見上げると、文字の点滅が止まっている。
文字が読めなくても、エレノアの表情でリアには分かった。
"実行完了"だ。
「データこそ、アカシック計画の真髄なのでス。<フェイズⅢ>とは――」
フーパーがそこまで口にしたとき、異様な轟音が湧きあがった。広間の外のほうから、何千もの雑音が合わさったような音が聞こえる。リアは思わずそちらの方向に顔を上げた。エレノアはその方向に何があったかを思い出した。
フェスの会場だ。
「――"彼ら"の召還なのでス」
リアとエレノアはふたたび目を見合わせた。聞こえる轟音は、何万人もの人がどよめき、ざわつく声だった。
「どうしよ、何が起きたの、ねえ」
リアは今にも泣き出しそうに途方にくれた目をエレノアに向ける。
エレノアはリアの顔を見た次の瞬間、すっくと背筋を伸ばし、眼鏡を光らせる。顔には一片の不安も出していない。
部長の出番だ。
「フェス会場に行くわよ、リア。フーパーさんも一緒に来て、説明してもらいます。さもないと――」
エレノアは背後に視線を送った。
「――あの野獣をけしかけるわよ」
フーパーはエレノアの後方、メラニーの肩につかまりながら歩いてくるアンナを見た。人間の姿だが、脚の痛みで歯を食いしばって恐ろしい形相をしている。おまけに素っ裸なのがよけいに恐ろしい。バック宙しながら襲う発狂した宇宙レプリカントにそっくりだった。
「ヒイ――ッ行きまス行きまスう」
フーパーは脱兎のごとく通路を駆け出していった。
「あっ逃げた!」
「大丈夫、行き先は分かってるわ。さあわたしたちも行くわよ」
エレノアは後ろから来る二人に「こっちよ」と合図し、リアの前に立って廊下を歩き始めた。
「なんかあっちに行くみたいですう」
「くそ、オレのことも少しは気遣えよ」
メラニーにつかまりながらひょこひょこ進むアンナがぼやいた。一歩ごとに右脚が超過労働の抗議を上げる。
「それにお前、体が冷たいんだけど」
「すいません、室温なんですう」
そこへ沙奈が飛んで戻ってきた。『お待たせー』
アンナとメラニーは沙奈を見、沙奈が持ってきた物を見て足を止めた。
「・・・なんだそりゃ」
『松葉杖の代わりと思って、マイクスタンド』
「・・・いや、それじゃなくて、そっちの」
沙奈はマイクスタンドを一本持ってきていた。スタンドからは黒い革紐の束がぶら下がっている。革紐にはところどころ金具が光っていた。
『もちろん、アンナさんの服!』沙奈は革紐の束をスタンドから外し、両手でぱっと広げた。
レザーストラップが絡み合ったボンデージ衣装だった。面積があるのは両胸と股間にほんの少しだけ。沙奈がデザインし、アンナが却下したステージ衣装だった。
『楽屋に一着だけ残ってたのよ! こんな形で役に立つなんて、まるでなんかの伏線みたいよね! うしし』
沙奈はとても澄んだ目で笑顔を浮かべた。実際には澄みすぎて後ろの光景が透けていたが。対照的にアンナは苦虫を力いっぱい噛み潰した顔だった。
メラニーは生暖かい目だった。「これしかないですし、しょうがないですよお」
「くっそ」
苦虫のままアンナはボンデージ衣装を着込み始めた。右脚の痛みがなくても、メラニーと沙奈の手助けがなければすごく着にくいヒモ衣装だった。アンナは狩りで捕まって縛られた動物のような気分がしてきた。
最後にスタッドぎっしりのレザーブーツを装着して、できあがり。
『おおー、スーパーワイルドデンジャラス!』
「せくしーですう」
「うるへー」
アンナは沙奈からマイクスタンドをひったくると、頭から湯気を上げながらずんずんと進んでいった。松葉杖と怒りのせいで、メラニーに支えられながらのときよりも格段に速度がアップしている。
『さ、私たちも行くわよ』
「はいっ」
二人と一体は通路に姿を消した。
ちょうどそのころ、壁の通路では、置き去りにされていたもう二人の被害者が、ようやく立ち直り始めていた。
「あたたた・・・霧乃、だいじょぶ?」
「むがが・・・何なんですの、あのヒドい歌は」
「耳が発狂するかと思ったわ」
久里子と霧乃は目を回しながら上体を床から起こした。立ち上がろうとしてよろめき、手すりに頭をゴンとぶつけた。貧血で頭がくらくら、歌で耳はぐわんぐわんする。
「あ、あの変態ども・・・あんな大量破壊兵器を持っていたなんて・・・」
「それより、ニャル様の計画を、見届けないと・・・」
二人は手すりを這い上がるようにして、なんとか立ち上がる。だがそれで精いっぱいで、まっすぐ歩くのもおぼつかない。ミキサー車の中を歩いている気分だった。
「ぐ、ぐぬ・・・この白菊霧乃が・・・なんのこれしきオゴエエベベベベ」
「ちょ、やめてよ、あたしまで・・・うっぷ」
仲良く腹の内を晒したところでようやく地面が水平になってきた。とりあえず、いまだに床で幸せそうに気絶している光を小突く。
「うーん、吸血鬼が、怪獣が・・・あ、あれ、委員長」
「寝ぼけてないで、さっさと起きなさい」
「どどどうしたんですか? 顔が真っ青ですよ」
「い、いいから、あいつらを追いますわよ・・・その前に・・・なにか杖を探してらっしゃい」
「はあ」光はあたりをキョロキョロ、次いで通路の下を見下ろす。
広間には巨大装置の代わりに、大穴が出現していた。
「うわ、い、いったい何が」
「まったく呑気ですわね。これもすべてあの・・・いえ、思い出したくもありませんわ」
「いいからもうさっさと行こう」久里子が霧乃の袖を引っぱる。
光はポカーンと下の広間を見渡している。
「橋澤先生はどうします?」
裸で台座に縛り上げられた橋澤は、大穴の端で惜しくも転落をまぬがれてひっかかっていた。縛られているので耳も塞げず、歌に悶絶して頭をゴンゴンした跡が台座に残っている。歌かゴンゴンのどちらかの理由で失神していた。
その姿に霧乃はいっそう嫌悪感がこみ上げてきた。
「見なかったことにしましょう」
「そうね」
放置に同意すると、久里子はなんとか壁に手をつきながら歩きだした。霧乃も続こうとして、光にどさっと倒れ掛かる。
「だ、大丈夫ですか?」
「ぐむむ・・・光、ちょっとそこにお座り」
「は、はい」ぺたん。
「正座じゃなくて、中腰よ」
「こ、こうですか」オロオロ。
「あっちを向きなさい」
「こ、こうで・・・」
ぎゅむっ。
霧乃の両腕が光の首を締め――じゃなく、抱きついた。
「?!あ、あの、委員長・・・」
「光栄に思いなさい。わたくしの馬代わりに任命しますわ」
「え、えと・・・そこはせめて脚で・・・」
「さっさと出発!」
「は、はいっ」
光は霧乃を背負ってヨロヨロと立ち上がった。
「く・・・お、重・・・」
「なにか言いました?」
「い、いえ」
両手で霧乃の両脚を抱え上げると、光はふらふらと歩き出した。
「いっ、いくら光栄でも、こんなこと人に言うんじゃありませんわよ」
「は・・・はい・・・ゼエゼエ・・・」
首に回された霧乃の両腕からはぷーんと汗が匂い、肩にかかる吐息は胃液の匂いだった。手で抱える霧乃の脚は汗でベトベト滑った。とてもこんなこと人には言えない。
「こちらでございまス、ランバート様」
階段の上でフーパーは逃げずに待っていた。腰を45度に曲げ、揉み手をしながらエレノアを出迎える姿は、数分前に宇宙の覇権を狙ったとは思えない平身低頭だった。
エレノアが階段を上りきると、そこはフェスのステージ脇だった。次に沙奈が到着した。ここは昼に沙奈がナイに会い、最初にマーティンとマクラーレンを目撃した場所だ。
階段からは続いて、マイクスタンドを突きながらいまだにぶりぶり湯気を立てているアンナ、その姿を大笑いしたせいでゲンコツをくらい、頭をさすっているリア、そんな二人を気遣いながらメラニーが上がってくる。
観客席のどよめきは装置の発動からずっと続いている。
「それで、計画って何なの、フーパーさん」部長モードの視線を向けながらエレノアが訊いた。
「ははっ、我らアカシック・レコードが誇る精鋭アーティスト――」
「宣伝はいいから要点を説明せんかいコラ」アンナが歯を剥き出した。レザー&スタッド衣装だと見た目の凶暴性もレベルアップだ。
「こ、こ、こちらでございまス」
フーパーは45度お辞儀の姿勢のままササーッと脇に下がった。ファントムズは指し示す方向を追い、そっとステージを覗き込む。
ステージには数十人の地球人が立っていた。照明を浴びて一人ひとりの顔がはっきりと見える。
ステージを見たファントムズは、電撃に撃たれたように動けなくなった。
「ウソ・・・」「マジか」「ええー?」「まさか」『そんな・・・』
ステージの地球人たちは照明に目を細め、巨大な観客席を眺めながら、状況が分からず怪訝な目で会場を見回し、互いに顔を見合わせている。と、そのうちの一人が、ステージ脇から覗く地球人の顔に気付き、近づいてきた。
呆然としたリアがちょこちょこと進み出た。目が相手に吸い寄せられて足の感覚がない。観客席から数万人の視線を浴びているはずだが、それも意識の外だった。
ステージの男は口ひげに丸いアフロヘアの黒人だった。訝るような目をリアに向けてくると、離しかけてきた。
「よお、お嬢ちゃん。ここはどこなんだい?」
その声もアクセントも、完璧にリアの記憶通りだった。耳の中で日本語に変換されているが、二重音声のように元の英語の声がすっと頭に入ってくる。
「わ、わ、た――」
リアは顎がカチカチと緊張に震えて言葉が出なかった。黒人の男は、相手の様子を察し、何度もこういう場面でしてきたように、人なつこく微笑んだ。
「君は誰だい?」
「あ、あ・・・あのっ・・・り、リア、リア・パーカーですっ!」
リアはやっとのことでそれだけ言うと、カタカタと右手を差し出した。男は優しくその手を握りかえしてきた。
「やあ。俺はジミ・ヘンドリックスだ」
リアは握られた手を離されてもまだ固まった手を戻せなかった。あと数秒握り続けられていたら、泣き出したかもしれない。
ジミはそんな反応にも慣れた様子で、話を続けてきた。
「それで、ここはどこなんだい? 俺たち、いきなり連れて来られてね」
「あ・・・え・・・えと・・・」
前後不覚のリアに苦笑し、ジミは後ろで顔を覗かせている三人――と、あの光ってるのは何だ?――に目を向けた。
「君の友達は知ってるかな?」
保護者が何とかせねばと、エレノアがおずおずと進み出た。
「ど・・・どうも。始めまして。エレノア・ランバートといいます」
ジミは笑顔で頷きかえす。
エレノアはぎこちなく笑顔を返しながら、どう説明したものかと考えた。まさかいきなり「ここは火星で、宇宙邪神主催のフェスです」なんて言ったところで、ハイそうですかと納得してもらえるわけがない。
目を泳がせていると、ジミとリアの様子に気付いたステージのもう一人が、近づいて来るのが見えた。
「もしかして、これが"死後の生"なのかな? ワオ、本当にあったんだな」
エレノアは息を呑んだ。神秘的なオーラを漂わせたその男は、目を輝かせながらステージや周囲の人間を見渡している。
「ハ・・・ハリソン・・・さん」
「ジョージと呼んでくれていいよ」
そう名乗ったその男は、エレノアが知っている生前の姿よりも若返っていた。三十代くらいの、病気も老化もしてない姿だ。
「やあジミ、久しぶり。それで・・・そういうことかな」
ジョージは興味津々の視線を送ってきた。
「そうなのか?」ジミもエレノアを見る。
エレノアは言葉を詰まらせたが、どうにか声を絞り出した。「まあ・・・その、そんな感じです」
ジョージはぱっと顔を輝かせてジミの肩を叩いた。
「やっぱり! 僕の言った通りだったろ! 聖書だけが全てじゃなくて、輪廻転生とかアストラル次元が――」
「ああ、そうらしいな」ジミは困った顔でジョージに答えた。「それで、その・・・俺たちは、神かブッダから、お呼びがかかったってことかな」
エレノアは目を逸らした。「あー、それが・・・申し上げにくいんですが・・・部分的にはその通りなんですが」
後ろにちらりと視線を向ける。その先には接待に備えて、いそいそと赤いスーツと蝶ネクタイを着込んでいるフーパーがいた。
「お呼びしたのは、えー・・・神は神でもナイさんっていう宇宙神と、その部下のプロモーターなんです」
すかさずフーパーが揉み手をしながら颯爽と進み出る。
「どうもどうもハリソン様ヘンドリックス様、ワタシはアカシック・レコードCEO兼当フェスティバルのチーフ・プロデューサーを努めまス、フーパーと申しまス」
淀みなく接客トークを話す蝶ネクタイのキャベツに、ジミとジョージは目を丸くした。
「こりゃたまげたな」
「ワオ。宇宙人もいたんだ」
この際だ、もう一つ打ち明けてしまおう。エレノアは覚悟を決めて、眼鏡を外した。
「実は、わたしもなんです。ハーフですが」
こんどはエレノアの光る目に、ジミとジョージは驚きの顔を見せた。
「ぃよう」
「ワオ。そっちのお嬢ちゃんもなのかい」
エレノアがリアの様子を見ると、目の前のレジェンドが二人に増えて、完全に固まっていた。エレノアは動かないリアの唇をむにっと押し上げた。尖った犬歯が覗く。
「この子はヴァンパイアなんです。後ろの二人は人狼とゾンビ、それからあの・・・アレは、幽霊です」
ぱふんと唇を戻されたリアはようやく金縛りから解け、しゃきっと直立不動になった。
「わっ、わたしたち、ロックバンドですっ! ザ・ファントムズですっ!」
ジミとジョージは顔を見合わせ、見事にハモった。
「「わーお」」
エレノアとリアが視線を送ってきたので、アンナとメラニーと沙奈もおずおずと進み出てきた。フーパーはさっそくステージの地球人たちに状況説明に向かった。
「そうかい、天国ってのはライブ会場なんだな。こりゃいいや」ジミが屈託なく笑う。
「いえ、天国じゃなくて、火星なんです」エレノアが気まずそうに言う。
「ワオ、宇宙かい。するとやっぱり、天国も地獄もないのかな。ジョンの言った通りだね」
ジョージは思慮深そうに微笑んだ。実際のところは天国も地獄もあるらしいのだが、説明が面倒になるのでやめておく。
「ていうか、驚かないんですか? 宇宙とか火星とか、ヴァンパイアとかキャベツとか、その、生き返ったとか」
リアがまくし立てる。緊張が解けたとたん目いっぱいしゃべりまくる、グルーピー丸出しだった。
ジョージは慌てもせずに答える。
「いや驚いてるよ。どこから驚けばいいのか分からないぐらい」
「そうだな。まああんたは、サイケデリックや瞑想に入れ込んでたからな」ジミがジョージを見る。
「きみだってヴードゥーの歌やってたじゃないか」
ジョージとジミは屈託なく笑い合う。リアとエレノアはそんな二人をポカンと見ていた。
「さっすが、大物は動じないね」
「こんなにあっさり納得されたの、はじめてよ」
妙にフレンドリーな雰囲気に、アンナたちも名乗り出た。
「どうも。アンナ・ブレットです。えーその・・・人狼っす」
「やあ。満月に変身するのかい?」ジョージが気さくに挨拶を返す。英国紳士らしく、衣装にはあまり目を向けずに。
「いえ、その気になればいつでも」
次いでメラニーがぺこりとお辞儀する。
「こ、こんばんわ・・・メラニー・アッシュですう。恥ずかしながら、ゾンビですう」
「よお。その腕はどうしたんだい?」ジミがメラニーの無くした右腕を見る。
「だいじょうぶですう。スペアがありますので」
「俺たちも同類ってことになんのかなあ」
「えっと、違うと思いますう」
最後に沙奈がふわりと進み出る。
『利降沙奈です。よろしくお願いします。見ての通り、幽霊です』
「や、やあ」
「そうらしいな」
さすがに幽霊が間近に出られると、二人も少しうろたえた。
そこにステージからどたどたと、目をギョロつかせた若い男が無遠慮にやって来た。
「よおよお、こりゃ一体どうなってんだい? 俺の二日酔いよりメチャクチャじゃねえか、ウヒャヒャヒャ」
ファントムズもジョージもジミも、乱入してきた男のやかましさに面食らって顔をしかめた。
ただ一人、目を見開いて男を見つめるアンナを除いて。
「キース・・・ムーン」
「おうよ、キース様のお出ましだぜ! よお姉ちゃん、イカした衣装だな! ウヒャヒャヒャ! よお、誰かと思ったらジョージに、ジミじゃねえか! お前らも来てたんか、こりゃゴキゲンだな! ウヒャヒャヒャ!」
キースはジョージの背中をばんばんと叩いた。ジョージは穏やかにキースを適切な距離に押し戻す。
「やあキース。そのことだが、僕らも今事情を聞いてたとこなんだ」
キースは全く意に介さず、ジョージの肩を抱き寄せてゲラゲラと豪快に笑う。
「そうかいそうかい! 生き返るってなあ、何度やってもハイなもんだぜ! 今回はキャベツ宇宙人の管理人つきかよ、ウヒャヒャヒャ!」
妙な単語が引っかかって、リアが聞き返した。「え? "今回は"って言いました?」
キースは豪快に笑い続けている。「おうよ! 俺はまだ二回目だけどな! ありゃ、最初のも入れりゃ三回か? ひょっとしたら、その前のを忘れてっかもしれねえけどな!」
キース以外の全員が顔を見合わせた。ジョージが苦笑する。
「まあ、キースはいつもこんな調子だし、言うことをいちいち・・・」
「そのことはわたしから説明するよ」
不意に低い男の声が聞こえた。皆が声の主を向くと、男が一人、近くに立っていた。がっしりした体格で、髪はポマードでリーゼントにきめている。
今度の男は誰一人として間違えようがなかった。
「「エルヴィス!」」
ファントムズが声を揃えて叫んだ。男はいたずらっぽい笑みを浮かべると、両腕をすっと上げて、人差し指を向けた。
「サンキュー・ベリー・マッチ」
ファントムズが呆然と見守る中、エルヴィスはキースに近寄ると、巨大な指輪をはめた手を肩に置いた。
「キース、皆が混乱してるだろ。やあジョージ、一度うちで会って以来だね。それからジミは、始めまして、かな」
さすがはキング、キースのハイテンションにも、妖怪の出現にもうろたえてない。
「あああああの、ははは始めまして」リアはふたたび呂律が回らなくなっている。とはいえ他のファントムズも、言葉もなくポカーンと見つめるだけだ。
エルヴィスはふたたび人懐こい笑顔をファントムズに向けると、今まで何千回とファンの女の子にそうしてきたように、優しい低音で話しかけた。
「よろしく。わたしとキースは、いちど生き返ったことがあるんだ」
「「ええ!?」」
一同は愕然とした。メラニーも同じ顔をしている、ということは、ゾンビとか死体蘇生とかの話じゃなさそうだ。ジョージとジミも興味津々で聞いている。
「あなたは実は宇宙人で、星に帰ったって噂ならありましたけど」と、本物の宇宙人。
「実は生きていて、老人ホームでミイラと戦ったって聞いたことありますう」と、本物の死人。
「そんな話は知らないな。とにかく、わたしは死んだと思ったら、いつの間にか小さな町で第二の人生を送っていたんだよ。コロラド州のロックンロール・ヘヴンという町だ。普通の人は滅多に来ない」
キースがゲラゲラと笑った。「分かりやすい名前だろ」
「わたしはそこの町長をしていた。ジャニスやオーティスや、他のみんなもいてね。昼はそれぞれ普通の仕事をして、夜ごとにコンサートを開いていてね」
ファントムズは唖然としてエルヴィスの話を聞いていた。ミュージシャンの死後の世界が、地上にあったなんて。
「なにそれ超たのしそう」
「夢みたいですう」
『まるで天国』
「天国は地上にあるってわけね」
「すげー、オレも行ってみたい」
エルヴィスはかぶりを振った。「残念だが、もう無理だな。わたしの義理の息子が来たとき、町の土地を買い占めたあげく、遊園地に改造してしまってね」
ファントムズは一斉にずっこけた。「「なにそれー」」
「やれやれ、とうとう死後の世界まで金に毒されたか。すべては消えゆくってわけだな」ジョージが溜め息をついた。
「それで居場所を失って、わたしたちはまた眠っていたのだ。それがまたいま、急に起こされてね」
「起きてビックリ、今度の天国は火星だとさ! 新顔も大勢来てるみたいだな!」キースが愉快そうに言った。
そこへ一回り挨拶を済ませたらしいフーパーが戻ってきた。
「どうもどうもプレスリー様、新しいお体はご満足頂けまシたでしょうか。あなた様にはぜひ、地球ショウビズ界のキングならびにロックンロール・ヘブン町長としての経歴を生かシて、皆様地球の召還組を率いていただきたい所存でございまス」
ジミが怪訝な顔をした。「召還組?」
「そう、我らアカシック・レコードが厳選して再生した、地球のレジェンドの方々でス!」
フーパーは得意気にばっとステージに腕を振った。ファントムズはその地球人たちを呆然と眺めた。エルヴィスやジミだけじゃない。どの人も、どの顔も、ロックファンなら一度は見たことがあるはずの人ばかりだ。あの人も、あの人も、あの人も。
「人選にはマーティン様とマクラーレン様にもご協力いただきまシた」
フーパーは先に再生されていた二人の名前を出した。
「マーティン? マーティンもいるのかい?」ジョージが身を乗り出す。
エレノアが教える。「ええ、あなたより先に、ここにいらしてました・・・それで、ここの人たちのデータを採取したのが、さっきの装置ってわけね」
リアが続く。「そして、この人たちが・・・ナイさんの計画の、<フェイズⅢ>なんだ・・・」
フーパーはうやうやしくお辞儀する。「その通りでございまス」
リアは身震いした。このステージのロック・レジェンドたちの演奏を聴けるなら、さっきエルヴィスが話していたロックンロール・ヘヴンが実現するなら、自分は何だってするだろう。きっと地球のロックファンも。宇宙人だってそうするかもしれない。
それに何より、あの巨大触手の神、オグドル=シル。ファントムズのヘタな演奏でさえ喜んでいたぐらいだから、この人たちならもうめちゃくちゃに気に入るに違いない。本当にギャラで惑星の一個や二個ぐらい、ポンとよこすかも。でなければ、フーパーさんの言う通り、ロックを聴かない惑星を、ポンと破壊するかも。
それが<フェイズⅣ>。宇宙で逆らう者はいなくなる。
リアの脳裏に、"スペース・トラッキン"に乗って巨大触手が星々を破壊しながら突き進む光景が浮かんだ。またぞくっと身震いした。どうしよう、すごくカッコいい。
エルヴィスは甲高い声でまくしたてるキャベツ星人の出現にも、面白そうにニヤリとしただけだった。さすがはショウビズ界のキング。
「君か? わたしたちを起こしたのは」
「左様でございまス。頭脳は晩年の最も経験豊かな状態、肉体は全盛期の健康体でございまス!」
エルヴィスはそれを聞いて身体のあちこちを触ってみた。「本当だ。軍隊出たての頃みたいだ」
「そういや、俺もだな」ジミも同じようにする。
「どうも落ちつかねえと思ったら、シラフだったんか、俺!」キースは騒がしくウロチョロしている。シラフじゃないときはどうなるんだろう、この人。
「墓の死体から記憶を取り出したのかい?」ジョージは神秘の探求者らしく、目に好奇心の光を湛えている。
フーパーが答えた。「保存状態の良い方はそうでスが、なにぶんほとんどの方はそうはいきまセんで。ですが我がアカシック・レコードの科学は宇宙一イイイ! できんことはないイーッ! アストラル次元の思念パターン跡を採取し、完璧に再生いたしまシた!」
アンナが「何だそれ?」とエレノアを見る。
「よく分からないけど、残留思念みたいなものかしら・・・あんなふうな」エレノアが沙奈を見る。
「「あー」」みんな納得。
沙奈は『やーそれほどでも』と照れる。
「あのー、でもお」メラニーが一本残った手を挙げる。「どうして、死んだ人ばっかりなんですか? 有名な人なら、生きてる人もいっぱいいるのに」
そういえばそうだよな、とファントムズもレジェンドたちも顔を見合わせ、フーパーの顔を見る。
「フフフフ、そこがこの計画の肝なのでス! 第一に、存命の方との権利問題を避けるため」
「要するに、本物から文句がこないようにってことね」エレノアが口を挟む。
「そうとも言い・・・ゴホン。第二に、生き返られた方は、活動再開に前向きであるためでス」
一同は「ああ」と納得した。たしかに、この人たちに限らず、ミュージシャンはみんな現役バリバリで死んでしまった人たちばっかりだ。生き返ったならすぐにでも活動再開したいだろう。ジミやキースみたいに若死にした人ならなおさらだ。
「ご安心くださいまセ、お身体の再生ならびにメンテナンスは何度でも可能でス。文字通り永遠の命を得たも同じでス! オジー・オズボーンをも凌ぐ生命力!」
「おー、ホントにそりゃすげえ」アンナが目を丸くした。
ジョージたちがざわざわと顔を見合わせる。リアたちは呆然と考えた。この人たちが永遠に活動できるなんて、どれだけの価値があることだろう。
「おお、そんじゃどんだけクスリやっても大丈夫ってこったな、ウヒャヒャ」キースが能天気に笑う。
「・・・まあ、ほどほどに。そして第三に! これがもっとも重要でス!」
フーパーはぴんと蝶ネクタイを張って胸を反らす。
「――召還者の皆様の所有元ならびに活動利益は、アカシック・レコードに帰属いたしまス」
一同はがーんとのけ反った。「「何だって――!?」」
フーパーはすました声で続ける。「皆様はいちどお亡くなりでスので、諸々の権利は消滅しておりまス。従いまシて、法的には、アカシック・レコードが合成製作しました所有物ということに――」
「「ふざけんなコラア!」」
二人の声がシンクロし、腕が二本同時にフーパーの首を締め上げた。アンナとキースだった。
「てめえ! それじゃ俺たち奴隷じゃねえか!」
フーパーはクビをカクカクしながら声を絞り出す。「ご、ご、ご心配なく、ギャラや生活のお世話は全て何不自由なく・・・」
「でもよ、"所有物"ってのはどうにも気にいらねえな」
ジミが挑みかかるように詰め寄った。やはり彼の人種の過去が、人間として扱われないことに強く抵抗するのだろう。
「それじゃわたしって、ウエスト博士の所有物なんですかあ」
『私なんか学校の備品になっちゃう』
ファントムズの死人二人も、扱いに不満を漏らす。
「そんなのヒドいよ! あんまりだよっ!」
リアが絶叫した。目に涙を浮かべて。その剣幕に皆が思わずシーンとなる。
「ロックを宇宙支配の道具にするだけじゃなくて、ミュージシャンまでモノ扱いなんて、ヒドすぎる!」
エルヴィスが怪訝な顔を向ける。「宇宙支配? 何のことだね?」
エレノアが説明した。「このフェスのスポンサーの宇宙神ですよ。音楽を餌に手なずけて、邪魔な惑星は破壊させる気です」
「そいつは・・・ひどい話だな」
「まったくだね。インドのカーリー神かい?」ジョージが訊く。
「いえ、オグドル=シルとかいう、デカくて気持ち悪いのです」
神学談義をよそに、エルヴィスはフーパーに向き直ると、首を掴んでいるキースとアンナの腕を穏やかに下がらせ、次いでショウビズの代表者らしい威厳をこめて、きっぱりと言った。
「そんな話なら、手は貸せないな」
他のミュージシャンたちもそうだそうだと頷く。リアは微笑んだ。
しばらく固まっていたフーパーは、締められていたスーツの襟と蝶ネクタイを整え、わざとらしく一息ついて、落ち着き払った口調を作った。
「残念でス、プレスリー様。ですが、我々の活動方針に沿えないのでシたら――」
フーパーは言葉を切り、後ろに向かってチョイチョイと手招きする。火星人のスタッフが、端末をいそいそと持ってきた。さっき巨大装置の上で操作していたのと同じ、リモコンのスペアらしい。
「――別の方と交代シて、消去させていただきまス」
端末を取り上げ、画面を皆に見せる。そこには人名のリストが映っていた。そのうちの一行が赤く光っている。
"エルヴィス・プレスリー"
画面はさらにメッセージを下に表示している。
"消去しますか?"[はい][いいえ」
フーパーの声は冷静だった。「いかがいたしまスか? お気持ちは変わりまセんか?」
「ま、待て、待ってくれ」エルヴィスが制止する。
フーパーの指が[はい]を押した。
エルヴィスも他の皆も驚いて目を見開く中、エルヴィスの"待て"と挙げた手と、息を呑む顔と、体全体が光のノイズに包まれた。
一秒後、光のノイズが消え、エルヴィスも消えていた。
皆は呆然として動けなかった。
数秒の後、アンナがフーパーに掴みかかった。
「てめえ! 何てことしやが――」
「おおっと、ご心配なく」
フーパーはすました顔で端末をまた操作する。と、また光のノイズが現れ、その中からエルヴィスが出現した。さっきと寸分違わないポーズのままで。
「エルヴィス! 大丈夫か?」
アンナはフーパーを突き飛ばしてエルヴィスに近寄る。
エルヴィスは不思議そうに目をしばたいた。「・・・何だ? どうしたんだ?」
「死んだんだよ、アンタ」キースがポカンとして口を開く。「数秒ほどな」
信じられないという表情で、エルヴィスはキースを見、他の皆を見、フーパーを見る。
フーパーは突き飛ばされて後ずさりしていたものの、ふたたび蝶ネクタイを直しながら、余裕たっぷりの口を利く。片手に端末を掲げて。
「いかがでス? 考え直していただけまシたか?」
エルヴィスたちは互いに顔を見合す。その表情には、生き返った開放感はもうなかった。この先ずっと、フーパーの言う通りに演奏し、レコードを売り、スポンサーの要求に従い、帝国侵略のテーマソングを歌わなくてはならない。
さもないと消される。文字通り。
フーパーとファントムズ、それにエルヴィスたちの口論を聞きつけて、今ではステージに現れた他の地球人たちも集まってきていた。
みんなエルヴィスに何が起きたかを見たし、フーパーが何を要求したかを聞いていた。ザワザワと不安そうにしながら、フーパーと手の端末をちらちらと見ている。
「いえいえ、ご心配なサらず。我々の方針に従っていただけるのなら、決して不自由はさせまセん」
フーパーはうやうやしく両手を拡げると、端末をカチカチと操作した。と、ステージのそこかしこに光のノイズがギラギラと瞬く。地球人たちが驚いて見守る中、光が治まった後に出現していたのは、ずらりと並んだギター、ドラム、キーボード、サックス、バイオリン、その他さまざまな楽器類だった。
「それともこちらのほうがお望みでシょうか?」
フーパーが今度は背後へチョイチョイと手招きすると、大きなテーブルがゴロゴロとやってきた。上には色とりどりの酒ビンが所狭しと並んでいる。それに銀細工の砂糖ポットもいくつか。きっとポットの中身は、よい子やよい大人はダメゼッタイなアレに違いない。
さっそくキースが酒ビンに手を伸ばし、ラッパ飲みであっという間に空にした。「おお、本物と同じだな」
「なあ」テーブルと一緒にステージ脇に現れた地球人が言った。「そう悪い話じゃあないと思うぜ、俺は」
マルコム・マクラーレンだった。巨大装置の広間から避難してきたらしい。
「そうでスとも、我がアカシック・レコード専属のアーティストには、最高の待遇と永遠の命を保障いたしまス」
フーパーが陽気にセールストークをまくしたてる。
「いえいえ、契約書などは不要でス。皆様が生きて存在なさること自体が、契約の証なのでスからね」
それはつまり、従わない奴は消すということだ。
当惑し、不安を浮かべ、あるいは諦めてうなだれるミュージシャンたちを、ファントムズの四人と一体は力なく見つめていた。言う事を聞いちゃダメ、と叫びたかったが、声が出てこない。本当に命を賭けて抵抗しろなんて言えるわけないし。
リアは悔しさを目に滲ませて、憧れの存在だったジミ・ヘンドリックスが企業権力に屈しかけているのをじっと見ている。ジミはいたいけな子供の眼差しに胸を痛めた。「どうしたもんだろうな?」
「まあ、いいんじゃあねえの」キースは気楽だった。足元にはすでに三本の空ビンが転がっている。「待遇は悪くねえし、なんたって永遠にピンピンしてられるぜ」
ジョージは思慮深く思いを巡らしていた。「永遠の服従か、さもなければ死か・・・。正直、魅力的ではあるけどね」
エルヴィスがアーティスト代表として進み出た。「ミスター・フーパー、わたしたちの・・・生命維持は、保証してくれるんだろうね」
「もちろんでスとも、プレスリー様。あなた方は皆、我々の貴重な財産でスからねえ」
いとも簡単に所属アーティストを資産扱いしたフーパーは、ファントムズに向き直る。
「どうでス、地球の偉大なレジェンド達が、永遠に活動を続けられるのでスよ。夢のようではありまセんか」
ファントムズは何も言えなかった。それを同意と受け取ったフーパーは、さらに得意気に続ける。
「我々の計画を見直していただけまシたか? ファントムズの皆様も、レジェンドの方々と共に、末永く――」
「イヤです」
リアがきっぱりと言い返した。
ファントムズもレジェンド達も、驚いてリアを見る。
フーパーはプレゼンのポーズのまま固まっていた。
「・・・え? 聞き間違いでシたか? 翻訳機の故障でスか? いま何か、不合理な発言が・・・」
「わたしは――ファントムズは、さっき断ったはずです」
リアがもういちど言い返す。さらに、保護者兼バンド代表者が進み出た。
「ええ、確かに断りました。あなたが音楽を道具に宇宙支配をすると言ったときにです」
「しかも音楽はガキ向け」
アンナも口を出す。どよめくレジェンド達に、メラニーが呼びかけた。
「それに、わたしたちが断ったら、怪獣に襲わせたんですう」
メラニーの右手が無いことに気付いてさらにどよめきが大きくなる。
『もうホントに死ぬかと思ったんです』
しーん。
エレノアが冷たい視線をくれると、沙奈はすごすごと下がった。
リアがレジェンド達に向かって続ける。
「わたしたち、好きな曲ができないのと、ロックが嫌われるのがイヤで、断ったんです。ロックが宇宙支配のテーマソングになったら、ワーグナーみたいに嫌われちゃうでしょ?」
レジェンド達はそうだそうだと頷いた。何人かは『地獄の黙示録』の爆撃シーンを思い出した。
「だから、どんなにお金もらっても、イヤイヤ活動はできないって思ったんです。ジョージ、あなたなら分かるでしょ?」
史上最高のバンドを続けられなかったジョージは、淋しげに小さな笑みを浮かべた。「うん。よく分かるとも」
「エルヴィス、あなたが最初に自費でレコードを作ったのは、プロになって稼ぎたかったからじゃないでしょう?」
エルヴィスは微笑んだ。「ああ。ママを喜ばせたかったんだ」
「それにレコード会社の言うなりになるのも。マルコム! あなたがマギーズ・ファームで働くなんて!」
リアに呼ばれたマルコム・マクラーレンは、気まずそうに目を逸らした。「言うなりってわけじゃないぜ、ちょっとその・・・話に乗っただけさ」
「ジミ・・・皆さん、せっかく生き返ったのに、断ってなんて言えませんけど・・・」
言葉を濁し、リアはレジェンド達を見据えた。
「ファンもアーティストも不幸になるなんて、そんなの・・・そんなの、ロックなんかじゃないですっ!」
リアは真っ赤になってぎゅっと目をつぶった。
どうしよう、大変なこと言っちゃった。
するとリアの頭にぽんと誰かの手が置かれた。
「ずいぶんはっきり言うなあ、ええ?」
ジミの声がした。
「ごめんなさい、わたしなんかが、偉大な皆さんに向かって」リアは目を閉じたままで小さく呟いた。
「けど、嬢ちゃんの言う通りかもな」
リアは目を開けた。少し上のほうから、ジミの優しい眼差しが見ていた。
ジミは手をリアの頭から離し、フーパーに向き直った。
「俺はゴメンだぜ。誰も楽しくないロックなんてな」
フーパーはポカンと固まったまま無言だった。他のアーティスト達がざわつく。と、いきなりけたたましい笑い声が響いた。
「がっはっはっは! |俺たちゃ二度とダマされねえぞ《ウィ・ドント・ゲット・フールド・アゲイン》ってか!」
キース・ムーンだった。いつのまにか足元の空ビンがさらに増えている。
フーパーがようやく言葉を搾り出した。「ど・・・どういうことでスか?」
ジョージが静かに歩み出た。「"馬を水場に連れて行っても、ムリに飲ませることは出来ない"ってことさ」
フーパーはがくーんと顎を落として、すがるようにエルヴィスを見る。
「確かに、一緒にやってはいけないな」エルヴィスはいたずらっぽい笑みをニッコリと浮かべた。「疑いを抱いたままではね」
フーパーは愕然とし、次いでオロオロと皆を見回した。「だ・・・誰か? どなたか、同意される方は、いらっしゃらないのでスか?」
名乗り出る者は誰もいなかった。
「ぐぬぬ・・・かくなる上は、全員リセットして洗脳を・・・」
フーパーは後ずさりながら、端末を取り出す。
「リア!」エレノアが叫んだ。
同時に、リアの姿が消えた。
一瞬の後、リアが姿を現し、手にした端末を「はい」とエレノアに手渡す。
端末を押す親指がスカスカと宙を切り、驚いたフーパーは寸前まで端末があったはずの手のひらを見た。
目を丸くしているのはミュージシャン達も同じだった。リアはもじもじと説明する。
「え、えーと、特技なんです」
エレノアは受け取った端末を親指1本でダダダダッと操作すると、アンナに手渡す。
「壊して」
アンナはまるでクッキーのように「ふんっ」と端末を握りつぶした。今度はミュージシャン達がアンナに驚きの目を向ける。
「これでしばらくは消去も召還もできないわよ」エレノアがフーパーに告げる。
「ぬぬぬ・・・む、無駄でスよ、端末のスペアならいくらでも・・・」
「そうね。形勢を逆転させるまでの、時間稼ぎよ」
「け、形勢でスと?」
エレノアはフーパーを無視し、くるりとファントムズに向き直る。
「このままじゃフーパーさんにアーティストが消されるわ、存続を訴えるのよ」
「訴えるって、脅迫でもすんのか」アンナが言う。
「ちがう、もっと上のほうによ」
エレノアはチョイチョイと上を指差す。文字通りの上だ。
「上のほうって、まさか――」メラニーが息を呑む。
「そう、フェスの主催者とスポンサー、そして――」
エレノアは腕を振り仰ぐ。その方向はステージの向こう、フェスの観客席が広がっていた。
「――ファンを味方につけるのよ」
リアは今更ながら、自分がステージの上に立ち、数万人の注目を浴びていることに気付いた。もしかして、さっきの説得の演説も聞かれてたかもしれない。ジミになでなでされたのは間違いなく見られてたはずだ。リアは真っ赤になって震えた。
「観客と神様に訴える方法は一つよ。分かってるわね」
エレノアはメラニー、アンナ、リアの顔を見回した。
三人は無言で答えた。もちろん、よく分かってる。
ステージだ。
「今度はピース・コンサートってわけか」アンナが言う。
「あの、でもお」メラニーが片方の手を挙げた。「わたしたち、この身体じゃ――」
ファントムズは自分たちを見回した。怪獣との戦闘で、アンナは右脚、エレノアは左腕を痛めて、演奏は満足にできないだろう。メラニーにいたっては右腕がなく、どう考えてもベースの演奏はムリだ。無傷なのはリア一人だけ。
「わたし、やる」
リアはきっぱりと言った。
「神様とお客を、味方にしてみせるっ」
ファントムズの他の三人と一体が、リアを見る。
「一人でだいじょうぶ?」エレノアが観客席を見上げた。昼より観客の数は減っているが、それでも見渡す限りに大勢いる。
「ひとりじゃないもんっ」
そう言うとリアはぱたぱたと駆け出していった。
「何をする気なんだい」ジミがリアを見送りながら尋ねる。
エレノアが答えた。「解放宣言ですよ」
リアは並んだギターの中から一本を取り上げ、ステージ中央のマイクへ小走りに向かった。
よいしょとストラップを肩に掛けると、長すぎてギターがゴトンと床に着いた。赤面しながら急いで長さを縮め、気を取り直してマイクスタンドに向き直る・・・が、マイクははるか頭上にあった。慌ててキコキコとスタンドの高さを下げる。ようやくマイクが顔の前に来た。
リアは息を吸って、
「みなさー・・・ん・・・」
マイクが入っていなかった。コードを挿すのを忘れていた。足元にあったPAに、しゃがんでプラグを挿し込む。
立ち上がるときにマイクを頭にぶつけ、『ゴツンッ』と会場中に音が響いた。観客席から笑いが漏れる。後ろのアーティストたちからも。
リアは思わず「助けて」と横を向いた。ステージの端では、沙奈が『あちゃー』と目を覆っている。エレノアは学芸会で失敗した子供を見るような顔だ。メラニーは「がんばってください」と胸で拳を握っている。そしてアンナは――
アンナはじっとリアを見ていた。哀れみでも慰めでもなく、いつも練習を始めるときと同じの、期待を込めた目。
お前ならやれるよ。
そうリアには声が聞こえた。
微笑んで、小さくうなずき返した。
そして、マイクと、その向こうに広がる観客に向き直る。
さあ、ショータイム!
『みなさ――ん!! ザ・ファントムズの、リア・パーカーで――すっ!!』
観客はザワザワと困惑する。数分前までガンマ波長域パフォーマンスを見ていたら、いきなりステージに出現した数十人の地球人によって中断され、ステージ端でフェス主催者と地球人たちが言い争いをしていたと思ったら、そのうち一人が突発パフォーマンスを始めたのだ。しかも準備不足で。
ステージの少女は観客の困惑も構わず続けている。
『みなさん、楽しんでますか――?』
ザワザワザワザワ。
普通のコンサートならワーッと沸くところなのだが、観客は相変わらず戸惑うばかりだった。
それでもリアは声を下げない。ここで諦めたら女が、じゃない、ロッカーが廃る。
『えっと、さっきは、昼ですけど、わたしたちのステージで、盛り上がってくれたと思います』
ここでようやくピーッと口笛が飛んできた。昼のステージを見てくれた観客だろう。
リアはそっちの方角に笑顔を送ってから、続ける。
『あれが、地球のロックです。地球には、まだまだたくさんの曲があるんです』
さっきよりも多い口笛が飛ぶ。
『そしてこれからも! これからも、ここにいる皆さんが――』
リアはステージの後方、召還された地球人たちに向かって手を振る。
『――このスーパー・アーティストの皆さんが、もっともっとすごいロックを生み出してくれるんです!』
また口笛。それからパラパラと、拍手が起きた。ステージ上の何人かは、観客を意識して姿勢を正したり、手を振ったりしている。
『もうホントに、わたしたちなんか比べ物にならないぐらい。でも――』
リアは言葉を切った。観客のザワザワは明らかに小さくなっている。聞いてくれているんだと、リアは訴えに弾みをつけた。
『でも、そのロックが、自由にできなくなりそうなんです』
観客にどよめきが起こる。
『そればかりか・・・その・・・ロックが宇宙支配に使われるかもしれないんです!』
オオオォォォ。
観客席のどよめきが一層大きくなる。ギャーッと吠えたり、触手を振り上げている者もいる。宇宙人式のブーイングだろうか。
『このフェスの主催者が、ロックを買わない人とか、逆らうアーティストを、消しちゃうつもりなんです』
どよめきとブーイングが勢いを増す中、リアはフーパーの方向を振り返った。
フーパーは既に姿を消していた。観客の怒りの矢面から逃げたんだろう。
『だから・・・その・・・ええと・・・』
リアは言葉を詰まらせた。何て言えばいいんだろう?「ロックを聴かないで」なんて言えない。それは間違いだ。だからといって、「ロックを聴いて」と言ったら、宇宙支配を進めてというようなものだ。
まずい、目がグルグルしてきた。観客もリアが黙っているのを不審に思いはじめている。
わたしなんかが何を言えるんだろう、アマチュアバンドのくせに、レジェンドたち数十人を差し置いて、「ロックを救え」なんて。
リアは目を閉じた。頭の中でミック・ジャガーがリアを嘲笑するように歌いかけてくる。たかがロックンロールさ、でも、俺たち大好きなんだ。
そうだね。それしかないじゃない。
リアは目を開け、遥か上まで聳える観客席を見上げた。
『わたし、ロックが大好きです。みなさんにも同じくらい、好きになってほしいんです――』
続く言葉を待ち受け、観客の怒号が静まる。
『――自由なロックを』
ザワザワ。
観客席は困惑でまた騒がしくなる。時折ブーイングも聞こえる。ひょっとしたら、今ので宇宙支配の手先と思われたかも。
リアはしっかりと言葉を届かせようと、両手でマイクを握る。
『どうかわたしと一緒に、主催者やスポンサーに訴えてください! ロックは道具や武器じゃなくて、どんなに・・・自由で楽しいのかを』
ざわめきの中から、今度はピーッと口笛が飛ぶ。リアは希望が沸いた。
うまく伝わったかは分からない。でもいい、あとは――|音楽に語らせよう《レット・ザ・ミュージック・ドゥ・ザ・トーキン》。
リアはマイクから手を離し、ギターのピックを取り出した。
『聴いてください! 自由なロックを!』
ジャアァ――ン。
ギターコードが会場に響き渡った。
音波波長域を感じる種族の観客は、地球人の少女が始めたパフォーマンスに好奇の目を向けた。
フェスの予定ではしばらく可聴音域外ステージが続くはずだったが、どうやら地球人の飛び入りらしい。さっき会場の外から聞こえたとんでもない有害音波のせいで、なにか変更を余儀なくされたのかもしれない。予定外の可聴音ステージで、パフォーマーは一人、楽器も一つ、それも三つの音を繰り返すだけの単純な曲だ。穴埋めの急ごしらえステージか。
フェスのスタッフ(有害音波で倒れた人員の交代で来た)も同じことを考え、予告もなく始められたパフォーマンスのために、急いで可聴音域のサウンド調整に掛かった。少女が歌いだすまでには、何とか汎宇宙中継の設定を合わせられた。
『♪通りに色づく 赤、白、青』
フェスの中継を点けっぱなしにしていた宇宙ネットの視聴者は、有害音波のせいで「しばらくお待ちください」になっていた中継の再開に目を向けた。どうやら急に出番にされたパフォーマーらしい。単純なサウンドだが、曲の勢いは悪くない。
『♪人々は足を引きずり、自分の居場所で眠る』
可聴音ステージの時間外だったのだが、予定外のフェス再開を知らせるべく、ネット視聴者は友達を呼びに向かった。
『♪忘れたい 僕にできることで――』
リアの歌を他のファントムズは見守っていた。出だしは不安だったが、ギター一本だけでも懸命に歌い続けている。
何よりいい選曲だ。ロックファンなら心を動かされないはずはない。
リアはそのフレーズを叫んだ。
『♪自由な世界でロックし続けよう』
いつしかファントムズもリアに合わせてサビを口ずさんでいた。
「わ、わたしもやりますっ!」
最初に我慢できなくなったのはメラニーだった。ステージ中央に飛び出していくと、リアに並んでマイクに顔を寄せた。
『♪自由な世界でロックし続けよう』
三コーラス目でメラニーの声が合わさった。歌いながら、リアはメラニーと笑顔を交わす。
「おーしオレも!」
アンナがマイクスタンドを杖代わりに、リアの後ろのドラムセットへ向かった。2ヴァース目のイントロで、アンナのドラムが加わる。
ドン! バシン! ズドン!
リアはイントロのリフを弾きながら、振り向いて微笑む。
が、アンナはいつもの癖で右脚のペダルを踏もうとして、「あ痛っ」と両手で右脚を押さえる。
ドラムが急に途切れて、リアが振り向くとアンナの苦しそうな顔が見えた。思わず演奏を止めてリアが駆け寄る。
「アンナ!」
「イテテ・・・おい、演奏が」
リアが我に返ると、曲の中断で観客席はザワザワと困惑していた。野次も飛んでくる。メラニーはマイクの前で不安そうにこっちを見ている。
どうしよう、せっかく観客を味方につけたと思ったのに。
そのとき、ギターのリフが響いた。
リアとアンナは顔を見合わせた。リアは弾いていない。なのに曲の続きが流れてくる。
前方を見ると、メラニーがステージの端のほうを見ていた。その視線の先から誰かが歩いてくる。ギターを弾きながら。
ジミ・ヘンドリックスだ。
右手で弦を弾くあの独自の奏法で、ジミはリズミカルにリフを刻みながらメラニーの数歩前まで来ると、リアたちのほうを振り向き、ウインクした。
まるでドキュメンタリー映像が目の前で上映されているようで、リアは呆然と見つめている。
と、リアの肩がポンと叩かれた。
「やろうぜ」アンナの声がした。
リアは弾かれたように振り向き、「うんっ」と一言いうと、マイクへ駆け出していった。
ジミのリードに合わせて、リアはリズムコードを弾く。ジミと目が合ったリアは、小さく頷いて、2ヴァース目を歌いだした。
『♪夜 女がいた 赤ん坊を抱いて・・・』
アンナは脚を動かすまいとしながら、両手だけでドラムを叩いていた。しかし痛みを堪えながらの上に、鳴らすべきところを鳴らせず、どうも調子が悪い。
そのとき、ステージの端から声が上がった。
「おーしどけどけ、俺様の出番だ!」
その声の場所からぽーんと空ビンが宙に上がり、アンナの方角目がけて誰かが突進してきた。ビンが床に落ちてガチャンと音を立てたときには、アンナの隣のドラムセットにその男が飛び乗っていた。
キース・ムーンだ。
毛穴が燃え出しそうなほどの燃料を注入したキースは、スティックを取り上げるが早いか、とてつもない勢いでドラムを乱打し始めた。
ズドドダダダン!バシンバシンバシン!ドゴドゴドゴン!
いきなりの轟音に面食らったリアとジミは、振り返って乱入してきた男を認めた。ふたり同時にちょっと苦笑して、演奏を続ける。
面食らったのは観客も同じだった。ショックから醒めると、破天荒なプレイを囃したてるように歓声が飛ぶ。
リアとメラニーはコーラスを歌う。
『♪自由な世界でロックし続けよう』
観客の何割かが、コーラスに合わせて声を上げ、腕を振り上げた。
もう1コーラス。一緒に歌い、手を叩く観客が増える。
もう1コーラス。観客の反応がますます大きくなる。
数万人の観客が、自由な世界のロックを叫んだ。
その様子を中継で見ていた数億人が、叫びの行方を見守っていた。
ステージを降りた下の通路では、逃げ出したフーパーが、無線ヘッドセットにあたふたと指示を怒鳴り散らしていた。
「とにかく、早く装置のコントロールを取り戻すのでス・・・なに? ウイルスでプログラムがダウン? エメリッヒ星人の宇宙船を破壊した手口でスか、ぐぬぬ・・・仕方ありまセん、先にアーティストの独占所有権を固めるのでス、弁護士と宇宙著作権協会と対組合諜報社に連絡を――」
まくし立てるフーパーの背後から、男が一人、足音もなく現れた。
「問題が起きておるようだな」
男に話しかけられて、フーパーは始めて男の存在に気が付いた。しかし連絡に忙しくて、わざわざそれを指摘する男にイラ立つ。
フーパーは男に顔も向けずに言い放った。
「ええ、見ての通りでスよ。お分かりいただけまシたら、どうかお引取り――」
「計画の進行はどうなっておる」
男は構わず話を続ける。
フーパーは男に背を向けたまま、ピクリと動きを引きつらせた。この居丈高な態度、この勿体ぶった言葉遣い、まさか。
そーっと背後を振り向く。
「ガッ」
フーパーは顎を外した。口をジャッキで拡げられたかのような顔で、男の顔を凝視する。
男は鋼鉄のごとく揺るぎない居丈高な態度で言葉を続ける。
「よもやしくじってはおるまいな」
リアは懸命にギターソロを演奏した。
決まったリフもなく、感情の迸るままピックを叩きつけるかのように音を繋げていく。リズムもメロディも無いも同然だが、それでも衝動に追い立てられてリアの手は止まらなかった。
ただこうしてロックを弾きたいという思いに。
不意にその衝動がふっと途切れた。最後の一音がグゥーンとフィードバックしていく中、オーバーヒートした体の芯がリアの手を止めさせた。
ソロを途切れさせてしまったリアは、「助けて」と顔を横に向けた。その視線を受けたジミがニヤリと笑う。
ギュウゥーウウウンン。
ジミがソロを引き継ぎ、ビブラートを繰り出した。続けて目にも止まらないアルペジオ。もっと。もっと。もっと。もっと。
かつて始めてジミの演奏を目にした何万もの地球人と同じように、火星の観客も呆然として、ジミの指捌きと、大気を揺るがすギターの音に立ち尽くした。かつてモントルーで燃え上がる炎を目撃した者のように、ウッドストックの祝祭に酔いしれた者のように、ギターが震わせる大気の粒子に合わせて、観客の意識は異次元へと吸い込まれていった。
それはリアも同じだった。ステージにいることも忘れて、陶然とジミの指を見つめている。意識が飛びそうに頭がフワフワしているが、倒れないでいるのは背後から絶え間なく響くキース・ムーンのドラムの音圧のせいかもしれない。
ふと気がつくと、途切れたリアのリズムギターの代わりに、ベースの音が加わっていた。メラニーを見るが、もちろん彼女は弾いてない。
誰が?と目をやると、ジミの向こうに、ジョージ・ハリソンが立っていた。ベースギターを抱え、真剣に、それでいて静かに瞑想しているかのような目付きで弾いている。
リアはとうとうペタンとへたり込んだ。現実に起きていることが信じられない。地球では夢に見ることさえ叶わなかった伝説のメンバーのジャムセッションが、自分の目の前で繰り広げられている。
メラニーも同じような反応だった。ポーッと夢心地の顔で、ジミとジョージの演奏を見つめている。アンナはといえば、手は無意識にリズムを刻みながら、目はキース・ムーンの乱れ撃ちに釘付けになっていた。
エレノアはステージ袖から満足そうに演奏を見守っていたが、興奮でクリスマスツリーみたいに輝く沙奈に視界を遮られた。
『ねっねっ、エリさんも参加しないの?』
「後でね。それより沙奈さん、お願いしたいことが」
『なになに? もしかして、私もコーラス?』
「いや、そうじゃなくて――」
リアは視界の隅で沙奈がフワリと飛び上がるのを捉え、反射的に立ち上がった。まずい、マイクを隠すべきか。だが沙奈はステージには出て来ず、地球人たちの間に分け入っていった。
立ち上がったリアを横目で捉え、ジミが「来いよ!」と首で合図した。リアは小さく頷くと、ピックをしっかりと握りなおし、アンナのドラムとジョージのベースに合わせてリズムコードを刻んだ。
リズムの底流を燃料にして、ギターとドラムのアドリブが火花を散らす。それに応えてリズム隊もグルーヴの振幅を増す。
歓喜のリズムの真っ只中で上下に身体を揺すっていたメラニーは、我慢できずにマイクに走り寄る。
『♪自由な世界でロックし続けよう』
リアもメラニーの横から顔を寄せる。
『♪自由な世界でロックし続けよう』
アンナの声も聞こえる。マイクがなく生声で歌っているが、リアとメラニーの耳には届いた。三人の声がコーラスで合わさる。
ジミはニヤリと笑い、ギターソロをコーラスの長さに合わせたリフに変えた。ジミのリフに導かれるまま、リアとメラニーとアンナは何度もコーラスを繰り返す。
やがてキースのドラムが音量を増し、ペースが遅くなる。クライマックスの合図だ。
ファントムズの三人は、最後に渾身の声で叫ぶ。
『♪キープ・オン――ロッキン・イン・ザ――フリー・・・ワ――――ルド』
ジミがギュルギュルとアドリブを掻き鳴らす。キースは渾身のスピードと腕力で叩きまくる。ジョージもベースをどんどんとクレッシェンドさせる。
ガギュン。
最後の一音が会場に響き渡った。
リアは顔じゅうに汗を浮かべて会場を見渡した。観客席は静まり返って、誰一人身動きもしない。
フェスを楽しみに来た観客は、思いがけず次元を超越したパフォーマンスに触れ、自分の体験が信じられないでいるのだった。今まで知っていた音楽すべてが、一瞬にして過去のものになってしまうほどの。
リアは不安で汗が冷たくなった。宇宙の人たちに、訴えは伝わっただろうか。まさか、ついて来れなかったんじゃ。
そのとき、不意に音がした。
パチ、パチ、パチ。
リアは音のした方角を見た。エレノアたちとは反対のステージ袖に、男が一人立って、拍手をしている。
男の顔は闇の奥のように真っ黒だった。忘れようもない、不吉な顔だ。
「ナイさ――」
ワアアアアアァァァァ――――ッ!
リアの声は湧き上がった大歓声にかき消された。拍手を引き金に我に返った観客が、あらん限りの歓声を張り上げたのだ。観客はめいめいに声を上げ、手を振り上げ、体表の穴を広げ、器官を発光させ、パフォーマンスへの感嘆と賞賛を投げている。
さまざまな動きの渦巻く観客席からリアがふたたびステージ袖を向いたときには、漆黒の男の姿は既に消えていた。
ステージ袖を目で探しているリアの身体にドシンと何かがぶつかってきた。喜びにはち切れそうなメラニーが抱きついてきたのだった。
リアはメラニーに揉みくちゃにされながら、何とか観客に向かって叫んだ。『ありがとうー!』
メラニーも続く。『ありがとございますうー!』
そこにジミが近づいてきた。メラニーとリアの肩を叩いて健闘を称えると、マイクに顔を寄せる。
『よおみんな、エラいさんたちに言ってやってくれねえか、俺たちを消すなって。そしたら――俺たちはいつでも、みんなの相手してやれるぜ』
ワアアァァ――ッ!
ジミの呼びかけに観客が応える。観客の賛同を得られたことに感激しながら、リアは同時に不安も感じていた。
エラいさんたちは賛同してくれるだろうか。ナイさんは、宇宙神の皆さんは、ロックを聞き届けてくれただろうか。
リアはあの触手が聴きに来てないかと空を見上げたが、まだその様子はない。
そのとき、また曲が響いた。
リアは振り向いた。エレノアがキーボードを弾いている。楽屋でファントムズが新しい楽器でセッションした、"ホーム・オブ・ザ・ブレイヴ"のイントロだ。
痛めた左手は下げたままで、右手だけで2回リフを弾くと、エレノアは目を上げてリアを見据えた。
「やるわよ」と。
リアは頷き、観客に向き直ると、キーボードに合わせてギターリフを弾いた。
静かに力強くイントロが進む中、アンナはドラムが入るタイミングを待ち構えていたが、
『アンナさん、この曲のドラマーだよ』
不意に横から話しかけられた。アンナが見ると、沙奈が肩までの長髪に大きめの薄いサングラスの男を連れていた。
『アンナさん、足ケガしてるでしょ。エリさんに言われて、ドラマー探してきたの』
「"この曲のドラマー"?」アンナが訊く。
サングラスの男がにっこりと微笑んだ。「ああ、僕の曲だ。弟も来てる」
男が目を向けた方向をアンナが見ると、ベースギターを構えた男が、ジョージ・ハリソンに挨拶しながらポジションを交代しているところだった。
アンナは不意に、サングラスの男が、この曲を演奏している場面を思い出した。
「あ、あんた・・・TOTOの」
「ジェフ・ポーカロだ、よろしく。いいかい?」
男は微笑んでそう名乗ると、手を上向きに差し出した。アンナは無意識にドラムスティックをその手に渡した。受け取ったジェフはまだ立ったままで、イントロに合わせてシンバルを小さく叩く。
「君は歌を頼むよ。友だちと一緒にね」
その言葉にアンナは、ステージ前方のリアとメラニーのほうを見た。イントロは終わりに近づき、歌い出しを待ち構えている。
アンナは弾かれたようにジェフに振り向いた。
「うん、ドラムは任せた、ジェフ!」
「よしきた」
アンナがマイクスタンドを杖代わりに立ち上がると、すかさずスツールにジェフが滑り込む。
誰よりも的確で胸躍るドラムに乗って、アンナはステージ前方に進んでいった。ドラムデッキの後ろで、沙奈が『がんばって!』と胸で両拳を握る。
演奏にベースが加わる。ジェフの弟、マイク・ポーカロが演奏しながら、ヴォーカルの少女たちを見守っていた。
ポーカロ兄弟のビートを背に、メラニーが歌いだす。
『♪全てがよくなるさ ほら・・・』
アンナがステージ前にたどり着くと、ちょうどヴォーカルパートを交替するところだった。メラニーがマイクスタンドから横に離れ、そこへリアが入る。アンナは二人の間に入り、持ってきたスタンドを置いた。リアが歌いながら笑顔を向ける。アンナは軽く肩を叩き返してやった。
メラニーのほうを振り向いたところで、誰かがマイクを手渡してくれた。見ると、ジョージ・マーティンだ。アンナが礼を言う間もなく、マーティンはさっとコードを繋ぎに離れていった。アンナは苦笑しながらマイクをスタンドに挿した。ジョージ・マーティンをローディにしちゃうなんて、オレ、バチが当たるかも。
メラニーは嬉しそうに背筋を伸ばした。さっきはマイクスタンドがリアの高さに合わせてあったので、メラニーは身を屈めないと届かなかったのだ。
やがてヴォーカルのBパートが終わる。リアがチラリと目を向けるのに合わせ、アンナとメラニーがコーラスを合わせた。
『♪思い出せ』
『♪アァ―― 恐れることなんかない』リアが声を張り上げる。『♪奪わせはしない、この地は――』
『♪勇者を生んだ国!』
リア、アンナ、メラニーはコーラスを歌いながら、この上ない高揚感に包まれていた。練習のときは単にいい曲だと思っていたが、自由を訴えるのにこれほどピッタリの曲だったとは。
しかも本人たちの演奏で。アンナはマイク・ポーカロを、次いでジェフ・ポーカロを振り返った。二人とも「いいぞ、その調子だ」と笑みを返し、さらに演奏に弾みをつけた。
弾みに乗って三人はますますヴォーカルに力を込めた。そしてもちろん、観客も。演奏と歌が躍動するのにつれて、歓声と身振りもますます大きくなってゆく。
ギターとキーボードのソロ・タイムに入って、アンナはキーボードの音が増えているのに気付いた。曲の始めでは片手しか弾けなかったはずなのに、今は明らかにふたつ以上の演奏が聞こえる。
エレノアのほうを振り向くと、相変わらず片手だけで弾いていた。しかし隣にもう一つキーボード・セットが来ており、金髪の男が演奏している。男の顔は髪でよく見えないが、エレノアの様子を見ると真っ赤な顔で緊張しながら、時折チラチラと男のほうを窺っている。
あのエリが緊張するなんて、誰だろ?
アンナの疑問をよそに、ソロタイムの終わりを告げるギターリフが響いた。一瞬の静寂の後、ジェフのドラムがパン!と合図する。
三人が声を合わせる。『♪思い出せ、奪わせはしない、この地はホーム・オブ・ザ・ブレイヴ――』
ポーカロ兄弟たちの演奏に導かれ、リアはふわりと着地するようにエンディングを終えた。もしかすると本当に宙に浮いていたかもしれない。それくらい演奏は気持ち良く、歌は力を出し切っていた。
ワアアアァ――――ッ!!
歓声にポーッとなっているリアを置いて、アンナとメラニーは叫んでいた。
『ありがと――う!!』『ありがとうございまーす!』
挨拶を済ませると、メラニーはマイク・ポーカロの前へ飛んで行き、ぺこりとお辞儀をした。マイクは上機嫌で笑顔を返す。アンナは歩けないので振り向いてジェフ・ポーカロに手を振ると、ジェフは笑顔で手を振り返した。
リアはまだ陶然として仲間とバンドを眺めていた。今さらながら現実感がジワジワと湧いてくる。とんでもないメンバーでライブしちゃった、わたし。
するとリアは誰かにちょんちょんと腕を突つかれた。
「良かったよ、お嬢ちゃん。でもそれ僕のギターなんだ、返してくれるかな」
リアは声の主を振り向いた。長い金髪の若い男だ。
僕のギター?
改めてギターを見る。黒地に黄色の水玉模様のフライングVだ。並んでいた機材の端にあったのを持ってきただけだが。
そのときリアは目の前の男が誰だか思い当たった。僕のギターって、まさか。
「ら、ランディ・ローズ!?」
口をぱくぱくさせるリアに、男はニッコリと微笑みかけ、別のギターを差し出した。
「君は身体が小さいから、こっちのほうが弾きやすいだろうね。それに右手のピックがちょっと走り気味だから、肘を締めて弾いてごらん」
言われるままリアは震える手でフライングVを差し出し、渡されたギターを肩に掛けてジャランと試してみた。たしかに言う通り、こっちのギターのほうがいつもの姿勢に近くて弾きやすい。
さすがギター教師。
ランディはさっそく馴染みのフライングVを掛けると、リアに呼びかけた。
「さてと、次の曲は? 僕も入れてよ」
エレノアは演奏を終えると、すかさず立ち上がって、隣のキーボードにぴしっと45度のお辞儀をした。
「ご一緒できて、光栄でした。エマーソンさん」
隣のキーボードに座っていた男は、立ち上がって手を差し出した。エレノアはおずおずと握手を返した。
「こちらこそ、楽しかったよ。キースと呼んでくれ」
「そんな、恐れ多い。それに、キースさんが他にもいますし」
エレノアは背後のドラムセットをチラリと振り返った。そこには、一曲終えて力尽きたキース・ムーンがぶっ倒れている。
キース・エマーソンは大笑いした。
「あいつも相変わらずだな。代わりのドラマーが要るな、ええと、彼は来てるかな・・・」
そこへ別の男が現れた。エレノアは男を見て目を丸くした。
「よお、俺を探したか?」
「グレッグ! お前も来てたのか。痩せたな!」
「お前だってずいぶん腕が良くなったじゃないか」
エレノアは呆然と、プログレッシブ・ロックの巨頭二人の再会を目にしている。
「いや、探してたのはドラマーなんだがな。せっかくだからお前も演ってけよ、ちょうどベーシストも募集中みたいだしな」
「任せとけ。おっと、そのドラマーが来たぞ」
エレノアはドラムデッキを振り返り、キース・ムーンが担がられて退場した後に座った男を見て、思わず身を乗り出した。アンナの様子を見てみると、案の定新しいドラマーを見てあんぐりと口を開けている。
ドラマーの男はエマーソンに不敵な笑みを送り、エマーソンも手を挙げ返すと、「やるか」と姿勢を正した。
「久々にエマーソン・レイク&パウエルの再結成だな。いいかな、エレノア?」
そのときのエレノアの表情は、眼鏡がなかったら誰も直視できなかったに違いない。興奮のあまり、文字通り目を輝かせていたからである。
「せ・・・『1812年』を・・・弾いてくれますか・・・?」
そのころステージ脇には、息も絶え絶えのPMRC一行がようやく辿り着いた。三人とも気絶して広間に連れて来られたため、広間から会場までの道を誰も知らなかったのである。乱反響するステージの音と、「あっちからニャル様の臭いがする」と主張する久里子の先導を頼りにやっとステージ脇に着いたときには、会場はファントムズとレジェンドのステージに沸き、PMRCに注意を払う者は誰もいなかった。
「ぐぬぬ、あの妖怪ども、わたくし達を置き去りにしてあんなに目立って!」
霧乃は光の背中から降りるが早いか、さっそくステージのファントムズに歯噛みしている。ようやく霧乃の重みから介抱された光は、へたり込んで激しく息をついている。
「寝てる場合じゃありません、光! わたくし達も乱入しますわよ!」
「ゼエゼエ・・・ちょ・・・ちょっと待って・・・ください・・・」
容赦なく光を引っ立てる霧乃をよそに、ステージでは革命を祝うドラム・ソロの乱打が高らかに鳴り響く。そこへファンファーレのようにキーボードとギターが歓喜の叫びを上げ、ベースがビートを焚きつける。
「むぐぐ・・・こ、この曲はダンス向きじゃないわ・・・」
まだ貧血と有害音波のダメージで意識が混乱している久里子は、ドラムソロのBPMにムリヤリ振り付けを合わせ、世にも不気味なダンスをヨロヨロと踊っている。
「って、そんな事より、ニャル様? ニャル様はどこ?」
我に返った久里子はステージ裏をキョロキョロと見回した。何人ものスタッフが右往左往している中に、ぽつんと放心している見知ったエイリアンを見つけ、詰め寄る。
「フーパーさん? ニャル様は? ニャル様はどこなの?」
「あの妖怪どもがなんでまた出てますの。わたくし達を差し置いて」
霧乃も待遇の格差を訴える。
フーパーは虚ろな目でチラリと久里子と霧乃を一瞥し、ながーい溜め息をついた。さっきの得意満面なCEOの態度とはうって変わって、売れ残り特価品のように萎れた葉ぶりである。
「お・・・終わりでス・・・わたしはもう、終わったんでス・・・」
そう言うとフーパーの頭から葉が一枚ハラリと剥がれ落ちた。人間でいうとストレスによる抜け毛みたいなものか。
「終わりって、まさか、ニャル様の計画が!?」
久里子はフーパーの蝶ネクタイを掴んで揺さぶった。さらに葉がハラハラと舞い落ちる。
「そんなことより、わたくし達の出番は!」
霧乃もフーパーに掴みかかると、もう涙も枯れ果てたとばかり、最後に特大の葉がペラリと霧乃の目の前で剥がれて垂れた。
「アカシック・レコードは・・・執行部を外部招聘・・・わ・・・わたしはCEOを解任でス・・・」
かろうじてそれだけ言い終えると、フーパーの声は枯葉のようにカサカサ鳴るだけの音になった。本当に喉が枯れてしまったらしい。
「だーかーらー、わたくしのステージはどーなったんですのーっ!」
「レコードって何? ていうか、ニャル様は!? ニャル様はどこー!」
宇宙の陰謀も世紀のステージもそっちのけで私欲を追求する二人の剣幕に、周囲のスタッフも怪訝な顔を向け始めた、そのとき。
『騒がしいぞ。余のフェスを邪魔するでない』
三人の横から低い声が響いた。
久里子はシャキッと直立不動の姿勢で向き直った。フーパーはビクッと反応してから、虚ろな目を恐る恐る向ける。霧乃はまん丸に目を見開いて、バッと振り向いた。
そこに立っていたのは、漆黒の肌の地球人。身体中から滲み出る邪気のごときオーラの影になって、黒い肌をいよいよ底知れない闇に見せている。
床にへたばっていた光は、現れた人間を見るなり「うひいー」と四つん這いの姿勢のままジャンプして1メートルも飛びすさった。
久里子はシャキッと腰を90度に折って媚びた。
「ここここれはこれはニャル様、ご機嫌麗しゅうございますです」
スリスリと揉み手をしながら全力で平身低頭する。
「出ましたわね責任者! わたくしの出番がなんでこんなに少ないんですの!」
いっぽうの霧乃は、文字通り神をも恐れぬ不遜さで食ってかかる。
漆黒の人間は意に介さず、霧乃を上回る不遜さで応えた。
『頭がたかーい。汝ら前座の出番はとうの昔にアウトオブタイムなのじゃ』
妙な単語に久里子と霧乃は目をぱちくりさせる。霧乃はツツツと光の横に後ずさりした。
「ど、どういう意味ですの」
「"時間切れ"です、委員長」光が小声で答える。
「ふ、ふん、念のため確認しただけですわ・・・じゃなくて! だっ、誰が前座ですのーっ!」
ようやく意味を理解した霧乃が真っ赤になって漆黒の人間に突進する。久里子が止めるのも間に合わず、霧乃は漆黒の胸ぐらを引っつかみ――反対側へすっぽ抜けた。
「ぶべらっ!?」
漆黒の人間の身体をすり抜けた霧乃は、顔面から床に着地した。何事もなく立っている漆黒の人間を久里子は目を丸くして見つめる。
「は、"這い寄る霧"形態ですか、ニャル様」
『汝ら人間ごときが余に触れるなど無駄無駄無駄じゃ。そちは身の程をわきまえておるが良いぞ』
「ははーっ」
久里子は最敬礼で腰よりも低く頭を下げる。霧乃は鼻を押さえながら聳え立つ漆黒の人間を恨めしそうに見上げた。
「ゆ、ゆるひまひぇんわ、わらくひがこんな、こんなぁはじゅでわぁ」
漆黒の人間は霧乃を見下ろしながら近寄った。まるで空中を滑るように体重を感じさせない移動だった。
『それほど出番が欲しくば、モトリー・クルーの真似でストリップショーでもやっておるがよいわ。そこの少年も一緒にな。小学生スタイルから始めてな』
「ふぇ、ぼ、僕もですか」
「ふぉんなバカなごと、れきるわけらいれすわ」
「ニ、ニャル様、やけに具体的で俗っぽくなりましたね・・・それに、心なしか、お姿が以前と違うような」
久里子はそーっと漆黒の人間の貌を見上げた。前に顕現したときよりも、髪が長くなっている気がする。火星の環境のせいか、足が宙に浮いていて、全身が不気味に青白い光をうっすらと放ち、霧乃がすり抜けた身体は背後が透けて見えるようで、まるで――
「ってあんた、あの妖怪の仲間の幽霊じゃない! よくも騙したね!」
ガバッと上体を起こすと、久里子は漆黒の人間を怒鳴りつけた。
『無礼を申すでない。ほれ少年、早よう半ズボンにならぬか』
「ひ、ひいっ」
漆黒の人間に化けた幽霊が宙を滑って近寄って来ると、光は背後に1メートル半も飛びすさった。
『お、やった、さっきより遠い』
女の声でそう言い、同時にパッと身体の光量を上げた人間は、照明に照らされるように肌が漆黒から青白い色に変化した。
「あ、あなたはあの変態色情霊! おのれ、よくもわらくひをこんな目に! フガー!!」
散々コケにされて怒りが頂点に達した霧乃は、幽霊目がけて全力で突進し――反対側へすっぽ抜けた。
すっぽ抜けた先は、久里子の腹だった。
「ぐぺぽっ!?」
「おっぱぁーっ」
もんどり打って床に倒れる二人を、偽装を解いた沙奈が勝ち誇るように見下ろした。
『そちも進歩のない奴よのう。やれやれじゃわい』
また声を低くして漆黒の男の真似をする。
「フガガッ、お、おのれ・・・」
「ぐぬぬ、このバチ当たり幽霊・・・声マネまでしてニャル様になりすますなんて・・・」
『すごいっしょ、バリー・ホワイトのマネもできるよ。ヘロウ、ベイベーイ』
テープの超スロー再生のように、思いっきり低い声が沙奈の口から流れた。
「くそー、い、いい加減にしないと・・・」
『ナイさんのマネもけっこうイケるわね。このまま例のレコード会社を乗っ取って、宇宙征服しちゃったりして、ぬははは』
「ほう。汝が余に代わって神々の僕となるか」
沙奈の背後から不意に声が響いた。ブラックホールの底から響くような重い声だ。沙奈、PMRCの三人、フーパーは一様にギクリと身を固まらせた。
久里子は霧乃の下から飛び出すと、ぺたーんと土下座した。光は「ひいーっ」と、2メートルも飛びすさった。
霧乃と沙奈は、錆びたゼンマイ人形のようにギ、ギ、ギと首を回して振り返った。
そこに立っていたのはもちろん、本物のニャルラトテップの化身、漆黒の男だった。宇宙の事象の全てを見通し、計り知れない遠大な陰謀を巡らす目で、塵か虫ケラかのように沙奈を見据えている。
『じ・・・』
ぱくぱくと口を開いた後、ようやく沙奈が声を発した。
『じょおおぉだんですよぉぉ! ちょ、ちょっとだけこいつらをからかってやろうかなーなんて思っただけなんですう!』
久里子のマネをして腰をへこへこと直角に曲げ、両手を合わせてひたすら謝る。
漆黒の男は傲岸な態度を微塵も崩さない。
「汝らの戯れなど知った事ではないわ。それに汝がいまさら命乞いをしても手遅れであろう」
『エヘヘ、おっしゃる通りで』
「ちょっと、なにニャル様にツッコミさせてんの・・・ゴホン。ニャル様、ご降臨なされて光栄に存じます。イアー! イアー!」
久里子は床でぱったんぱったんと崇拝の前屈を繰り返している。漆黒の男は目もくれない。
「と、とうとう現れましたわね本物の責任者! わたくしの出番はどうなってますの!」
神レベルの身の程知らずである霧乃が、懲りずに漆黒の男に食って掛かった。
「それほど見せ物になりたくば、ゴーン星の闘技場で蜥蜴人間の餌食にでもなるが良い」
『うわ、さすが神、エゲつなー』
人間たちの雑音には目もくれず、漆黒の男はステージのファントムズとレジェンドたちを見た。コージー・パウエルのドラムソロが終わり、リアがギターリフを始め、すぐにランディ・ローズがぴったりとユニゾンで合わせる。ギターのリズムに、コージーのドラム、キース・エマーソンのキーボード、グレッグ・レイクのベースが加わり、アンナとメラニーが歌い出す。"ピープル・ハブ・ア・パワー"だ。
シンプルで力強く美しい歌に吸い寄せられるように、ステージのミュージシャンも一人また一人と演奏のユニゾンに加わっていく。ジョージ、ジミ、ポーカロ兄弟、それから・・・沙奈は漆黒の男の妖気もしばし忘れて、浮き上がってステージをうっとりと見下ろした。あの長髪のギターはダイムバッグ・ダレル。エレノアがステージ前のファントムズ3人に加わろうとキーボードを離れ、その後に座ったのは、フレディ・マーキュリーだ。
フレディの抜群の声も加わり、サビのフレーズが炸裂する。
『♪人にはパワーがある!』
アンナはフレーズに合わせて拳を突き上げた。観客の何割かも合わせて拳を、腕を、擬足を突き上げる。また別の何割かはランディとダイムバッグのヘッドバンギングに合わせて身体を揺する。その歌の通り、人々のパワーが観客席の山全体を揺り動かしているかのようだ。
壮観な眺めにうっとりしながら、沙奈は漆黒の男の様子をチラリと窺った。自らの企てがこの数万の観客を熱狂させるに至った結果に、ニャルラトテップは満足そうな顔をしている・・・ような気がする。
そこにガン無視を決められている久里子がスリスリと寄って来た。
「さすがニャル様、お見事なイベントです。微力ながらお役に立てて光栄至極でありますです」
『ホントに微力だったけどねえ』
漆黒の男は久里子を一瞥だにしない。
「確かに役には立ったな。多少なりと計画成就の添え物になればと、戯れに参加を許したが」
「ははーっ、ありがたく存じます」
「久里子、喜んでんじゃありません! 誰が添え物ですの」
いまだに邪神への自己PRを諦めない二人はさておき、沙奈は漆黒の男の言葉に引っかかりを感じた。
『計画って、これで成功なんですか?』
沙奈は漆黒の男が話していた宇宙レコード会社のことを考えた。あの巨大装置はぶっ壊したし、CEOもクビで社内はメチャクチャになったはずなのに。
だが男は余裕そのものだった。
「無論成功だ。このニャルラトテップに失敗はありえぬ。見るがよい、民たちの熱狂を」
沙奈は文字通り天まで届く観客席が沸きかえる光景を見上げた。確かに、イベントとしては成功かもしれないけど。
漆黒の男は沙奈の怪訝な表情を感じ取り、慈悲深くも説明を与えた。
「ただの催しと楽奏では平凡な宣伝にしかならぬ。だが艱難を乗り越えての演目は、またとない感銘となるのだ。奏者にとっても、聴衆にとってもな」
沙奈は口をポカンと開けた。
『え・・・それじゃ、今までのはぜんぶ、ステージを盛り上げるため?』
「ストーリーが肝心なのだ、転移種。それこそが余の意図したところ」
『あの装置もレーベルも怪獣もみーんな?』
「汝は「これも計画のうちかナイさん」という」
『これも計画のうちなんですかナイさん! はっ!?』
「あたり前よ、ニャル様は何から何まで計算ずくよ」横から久里子が口を出してきた。
心を読まれて呆気に取られた沙奈の顔に満足したのか、漆黒の男は天から見下ろすがごとき視線を沙奈に向けた。
「汝の仲間の必死の訴えを見たであろう。まさに楽奏のためには命も懸けるほどの覚悟であった。地球人奏者たちも然り。我が使命への忠誠も、揺るぎないものとなろう。無論、聴衆たちの期待もな」
「さっすがニャル様! 下々にできないことを平然とやってのける! そこにシビれる! 憧れるゥ!」久里子が全力で崇拝する。
沙奈はヨイショでごまかす気にはなれなかった。『使命って・・・』
「自ずからの行いが、知らず余の意図に沿うように仕向ける、それがこのニャルラトテップの流儀なり」
無力感に沙奈はよろめいて、身体がゆっくりと傾いていった。さっきの巨大怪獣との戦いも、この全身全霊のステージも、すべてナイさんの思惑通りで、けっきょくみんな無駄だったっていうの? 宇宙はナイさんに征服されてしまうの?
蒼い顔をさらに青くした沙奈を、またしても漆黒の男が心を読んだ。
「案ずるな、余は宇宙征服など欲してはおらぬ。余が使命は、主たる神々に楽奏を供えることのみぞ」
沙奈の傾きがピタッと止まった。『え、そ、そーなんですか?』
「そーなんですか?」久里子も崇拝をピタッと止めた。
「宇宙など、神々の戯れの産物に過ぎぬ。神々の機嫌ひとつで消し飛ぶ宇宙ごとき、支配には値せぬ」
『アハハ、そーすか』もうスケールがムチャクチャすぎて、笑うしかない。
「なればこそ、神々の安寧と愉悦こそが最も崇高なる使命。神々の求める新しき楽奏を永劫に産み続ける、確固たる器官を構築することこそが真の成就なり」
『はあ』沙奈はため息ともつかない相づちを打った。
「見よ、余の成したる業を。朽ちることなき身体で勤しむ匠の奏者どもと、あまねく地で熱に浮かされ楽奏を求め続ける民どもを。これぞ永劫の無限循環なり。我が愚昧なる神々は、関心の尽きるまでそれを眺めておればよい」
『いまさりげなく主人をバカにしましたよね』
漆黒の男は平民の突っ込みに動じなかった。「かくて余の業は成し得たり。汝らの役割もこれにて終幕だ。大儀であった」
『へ、あざっしたー』沙奈は力なく片手を挙げた。
久里子はぺたーんと土下座した。「ははーっ、労いのお言葉を賜り・・・」
「ちょおおぉっと待ちなさぁーい! わたくしの出番はこれで終わりなんですのーっ!」
神をも恐れぬ未開人が猛然と突っかかって来た。もちろん宇宙一の身の程知らず、霧乃だ。
漆黒の男は石の下のミミズでも見るような目を向けた。「汝らは世の計画には含まれてはおらぬぞ」
「ぐぬぬぬ、あの妖怪どもばかり目立って! こうなったら乱入してやりますわ! 久里子、お離し!」
「霧乃やめて、ニャル様に逆らうわけには」
久里子に羽交い絞めにされた霧乃は舞台袖でジタバタともがいた。
「ならぬぞ」漆黒の男が霧乃に向かって手を拡げたが、
『ここは私が』スッと沙奈が霧乃の前に立ちはだかった。
霧乃は目の前に現れた幽霊に一瞬ひるんだが、すぐに歯をむき返してきた。
「ななな何ですの! ゆゆ幽霊だからって、わわたくしの邪魔をしたら、ただじゃおきませんわよ!」
『ふう~ん? 私だって、ステージの邪魔したら、ただじゃおかないよ? こぉんな事とか』
沙奈の両手がスッと霧乃の胴体に吸い込まれた。
「なな何をしますの! ここここんなの痛くもかゆくも、ふやんっ!?」
霧乃が身体をビクンと震わせた。
吸い込まれた沙奈の腕が上に移動する。『ほぉら、こんなとことか』
「んぎゃひっ!?」
また霧乃はブルブルと震えた。背後の久里子は恐ろしさに固まり、霧乃の腕を離すのも忘れている。
沙奈の腕が下に移動する。
「ぷべるゃっ!?」
さらに下のほうに。『うりうり』
「ぬおお――っ」
『・・・ちょやっ』
「――――っ!」
霧乃はピーンと爪先立ちにまっすぐ固まったかと思うと、
「・・・ぁ・・・」
ヘナヘナと久里子にもたれてくずおれた。スカートの股間にジワッと湿った染みが広がる。
「な、何をしたの!」久里子が恐怖に目を見開いて叫ぶ。
『いや、ちょいと霊感マッサージを。さーてお次は・・・』
沙奈は久里子の眼前にふわりと浮き上がると、両手の指をわしわしと蠢かせた。
「ひいっ、く、来るなあっ!」
久里子は霧乃を引きずってズザ――ッと後ずさり、すがるような目を漆黒の男に向けた。
「去れ」
「はっ、はいイィ――っ!」
そのまま久里子は霧乃を抱えて、すごい勢いで下へ降りる階段に姿を消した。振り回された霧乃がどこかにぶつかるゴツンという音と、「んぎゃん!」という悲鳴が聞こえた。
「い、委員長、待ってくださいーっ」
へたり込んでいた光が、二人の後を追って逃げ出して行った。
『これで邪魔者は消えたっと』
沙奈が得意げに笑いかけた。
ステージではいつしか曲が"ライジング"に変わり、ファントムズの四人は力の限りに「ラ、ラ、ララララ」を合唱していた。サックスを吹いている大柄な黒人は、クラレンス・クレモンズだ。
「フム、汝も計画外の因子だと思うておったがな。面白いものを見せてもらったぞ」
『えへへ、どーも』
「あの歌は大層な破壊力であったしな」
『そ、そのことですか・・・』
「ところで、そちの役目は終わってはおらぬぞ」
漆黒の男が目を向けたのは、忍び足でこの場を逃げようとしていたフーパーだった。
「はっ!? わ、わたくシにまだ何か?」
だしぬけに呼び止められたフーパーは、シャキッと直立不動で漆黒の男に向き直った。
「汝は計画通り、アカシック・レコードに仕えるがよい」
その言葉を聞いた沙奈が漆黒の男を振り返った。『え、あのレコード会社? あれポシャったんじゃ?』
「否。宇宙にあまねく楽奏を提供し続けるための器官が必要と言ったであろう」
漆黒の男の言葉にフーパーはたちまち相好を崩した。「へへーっ、それはそれはもう喜んで、CEOとして尽力させていただきまスでス」
「否。CEOは外部より招聘しておる。汝の役職は――」
フーパーは揉み手の姿勢のまま固まった。「へ・・・?」
「――ロード・マネージャーだ」
「はあ、あ、ありがたき幸せ」
フーパーと沙奈が怪訝な視線を送る中、漆黒の男が続ける。
「あの地球人の奏者どもは、祝祭が終わり次第、永劫なる伝道の旅に発つ。あまねく星ぼしを巡り、神々に楽奏を捧げるのだ。ついでに民たちにもな」
「えーと、平たく言うと、ライブ・ツアーでございまスね」
『まさにネバー・エンディング・ツアーですね』
漆黒の男は続ける。
「然り。汝をそのツアーのマネージャーに任命する」
「は、はあ。光栄に存じまス」
「具体的には、会場の確保、機材配送の手配、人員と物資の調達、奏者どもと工員どもの宿泊、食料、飲料の調達、奏者どもの接客員と薬剤の調達、諍いの仲裁、セラピー、カバン持ち、その他諸々の雑用だ」
『平たく言うと"パシリ"ね』
「ヒドい・・・」
沙奈はステージのレジェンドたちの面々を眺めた。『こりゃポスターの名前順からモメそうだわ。がんばってね、マネージャーさん』
「うう・・・いつか"冷酷組織の真実"って暴露本書いてやりまス・・・」
フーパーはこれから先のネバーエンディングなパシリ人生を思ってがっくりとうなだれた。
「せいぜい奏者どもの機嫌を損ねぬようにな。ではCEOに挨拶するがよい」
その言葉に沙奈とフーパーは顔を上げ、漆黒の男の視線を追った。
地球人の男がこちらへ歩いてきた。すらりと細い長身に、膝下まであるロングコートを着ている。コートは虹色のようなフラクタルのような妙な光沢を放っており、宇宙の布地らしい。
近づいてくる男の顔が見えたとたん、沙奈は顎を外した。
『う、ウソ、ボ、ぼ、暴・・・』
男は沙奈の前まで来ると、右手を差し出した。「やあ。デヴィッド・ボウイだ」
沙奈は顎を外したまま呆然と手を出し返した。ボウイはその手を軽くギュッと握った。
『えっ、握った!?』
ボウイは穏やかに微笑むだけだ。
フーパーは目を丸くして新CEOを見つめていた。漆黒の男が改めて紹介する。
「そ奴は地球の音楽界を四十年以上牽引したのみならず、自らの楽曲を資産に事業展開したほどの切れ者でな。アカシック・レコードの運営にこれ以上の適任はおるまい」
『ふぇー、確かに』
「ちょうど地球の活動を切り上げて母星に帰っておったところでな」
『はぁ・・・って、母星!?』
沙奈は目をパチパチさせて穏やかに微笑むボウイの顔と、沙奈に触れた手と、見慣れない光沢の服に視線を巡らせた。
つまりこの人、本当に地球に落ちてきてたんだ。
『あ、あのー・・・それじゃもしかして、本名はジギー・スターダストなんですか? それともトム少佐? それともトーマス・ニュートンさん?』
ボウイは楽しそうに笑っただけで答えない。代わりに漆黒の男に話しかけた。
「いや、連絡を貰ったときは驚いたよ。まさかあなたが音楽業界に乗り出すとはね」
すげー、宇宙邪神と普通に知り合いなんだ。宇宙規模のセレブか。
「汝も気付いておらなんだか。余がこの稼業に手を染めるのは初めてではないぞ?」
漆黒の男はそう言ってニヤリと唇の端を上げた。その笑顔の不気味なことといったら、幽霊も震え上がって目を逸らせなくなるほどだった。漆黒の男の笑った口がチェシャ猫のようにぽっかりと視界に穴を開けて浮かび、沙奈がハッと我に返ると、漆黒の男の姿が変化していた。
その姿は地球人の、普通に肌の白い中年の男だった。その不気味なニヤニヤ笑いを貼り付けた顔は、沙奈もはっきりと知っていた。
『えええっ、マルコム・マクラーレン!?』
ボウイは漆黒の男が姿を変えたマクラーレン/ニャルラトテップに目を丸くしていたが、やがてのけぞって大笑いし始めた。
「こりゃ参ったね! まさか君だったとは!」
沙奈はまだ唖然としてマクラーレンを見つめている。
『えー!? じゃさっきジョージ・マーティンと一緒にいたのも!?』
「おうよ、俺さ! 面白えんで、召還されてやったぜ。そいつは気づいてなかったみてえだけどな」
フーパーはピーナッツの実のように地面に届くほど顎を外している。
「は、は、はわわ・・・ニ、ニャ・・・様・・・」
「おう、俺のレーベルをずいぶん勝手に引っかき回してくれたじゃねえか」
「ヒイ――ッお許しを! も、もう決して勝手なマネはっ!」
「せいぜい真面目に働くこったな。ほれ、酒が切れてるぞ」
沙奈が見ると、さっき出されたテーブルにずらりと並んでいた酒はもう大半が空ビンと化していた。その回りにいるのは、レミー・キルミスター、ジョン・ボーナム、そして復活したキース・ムーン。
「はっはい、ただ今――っ!」
脱兎のごとくフーパーが駆け出していく。
「走って行きな、ベル・ボーイ!」キースがフーパーの後ろ姿に囃し立てた。
ボウイは苦笑しながら見守っている。
「君も人が悪いね、相変わらず」
マクラーレンはニヤニヤ笑いで返した。
『ホントに悪い性格。こないだまでロックなんか聴いたことないって顔してたくせに。なんでまたマネージャーを?』
「ヒッピーとニューエイジの奴らがやたらとチャネリングしてきてうるさいんでな、ちょいとべつの刺激を与えてやったのさ」
『そ、それがパンク・ムーブメントなんですか・・・』
「おうよ、それで宇宙オカルトは下火になったし、回りまわってお前らみたいなのも出てきたんだからな、俺も大したもんだろ!」
マクラーレンは愉快そうに大笑いした。さっきの時代劇しゃべりとキャラ変わりすぎなんじゃないの。
「いやまったく恐れ入ったよ」ボウイはまだ苦笑している。
沙奈は力なく引きつった笑いを返すしかなかった。
「ま、宇宙で俺の次に業界通と言やあ、お前さんだからな。しっかりやんな、社長」
「僕は『宇宙を売った男』になるのかな」
マクラーレンは苦笑するボウイの背中をバシンと叩いた。ボウイは戸惑ったように、天まで届く観客席で熱狂する種々雑多な異星人たち、ステージに居並ぶレジェンドたちの面々、その一角ではしゃぐように歌う妖怪の少女たちを順に見渡した。それからステージの少女たちの仲間の、傍らの幽霊少女を見た。
「うん、何だかすごいことになりそうだね。この先どうなるか、僕にも分からないけど」
ボウイは沙奈ににっこりと微笑みかけた。
「退屈はさせないよ」
沙奈は戸惑いながらも、満面の笑顔で返した。期待と熱狂を込めた、ロックファンの目で。
「さてと、折角だから僕も参加しようか」
ステージの曲がエンディングに差し掛かっているのが聞こえ、ボウイはコートの襟を正しはじめた。
「おっと待った、段取りがあるんだ」
マクラーレンが呼び止める。ボウイは眉をひそめて振り返った。
するとマクラーレンは沙奈に呼びかけた。「嬢ちゃん、ステージに出てくれよ」
沙奈はピンと伸び上がってピンク色に光った。『ままままさか、私が歌うのっ!?』
「いんや、喋るだけさ」
『ですよねー・・・まあいいわ』
普段の青色に戻って力なく降りてきた沙奈に、マクラーレンは一枚の紙を手渡した。
「君の友達が歌ってる間に、連中に話をつけといたのさ」
沙奈は紙を覗きこんだ。
『・・・これはっ』
ジャジャアァ―――ン!!
それと同時に、ステージの曲が終わった。
沙奈は前方のステージを見た。ファントムズの四人は並んで歓声に応えている。その前で四人が囲んでいたマイクスタンドが、沙奈のいるステージ脇からまっすぐ見えた。
紙を片手で握り締めると、沙奈はマイク目がけて飛び出した。
リアは肩で息をしながら、曲の残響が歓声と混ざり合っていくのを意識の遠くで感じていた。
ギターを何とか失敗せずについていくのに精いっぱいで、最後のほうはほとんど気が遠くなりそうだった。時には超速に移行して隣のランディのリフを真似しながら、どうにか最後まで弾き通せた。歌までやっていたら本当に酸欠になってたかもしれない。
ていうか、わたし一人のギターなんて聞こえてなかったかも、とリアは改めてステージの面子を見回した。ランディ・ローズ、ダイムバッグ・ダレル、ジョニー・ウィンターにジミにジョージまで。その向こうには、フレディ、エマーソン、コージー・・・
今さらながらとんでもないメンバーと共演してしまった実感がじわじわと湧いてきて、リアは震え上がった。もしいきなりこの人たちに出くわしていたら、それだけで卒倒していたかも。いや、それ以前に、大勢の観客の前で実際卒倒しかけたし――
よろめいたリアは背中から誰かに抱きとめられた。リアは回る視界を逆回転で戻そうとするように、首を回した。
「あ・・・ありがと、アンナ」
「おう、大丈夫か?」
「うん、あ、あの・・・」
演奏を終えて緊張が解けたのと、大歓声のせいで混乱して言葉がうまく出ない。アンナの向こうからはメラニーとエレノアも心配そうな顔を覗かせている。
リアは足に力を入れなおし、三人の顔がちゃんと見える位置へ向き直った。
「ありがとうね、みんな」
「ん? どした?」
「最後まで弾けたのは、みんなの歌についていけたからかもしんない」
アンナは笑って、またがっしりと肩を抱き寄せた。「ははっ、そーかそーか」
そんな少女たちに、ランディが声を掛けた。「良かったよ、嬢ちゃん、それに君たちも」
「あ、ど、どーも・・・」リアはアンナに揺さぶられながら力なく返事を返す。
「どーもー!」「ありがとございまーす!」「恐れ入ります」
他の三人も口々に礼を返す。それから他のミュージシャンたちにも、順に体の向きを変えながら挨拶していった。
そうしてファントムズの四人がマイクスタンドから離れた瞬間、四人の前に沙奈がぴゅーっと割り込んできた。
「あれ、沙奈さん、どしたんですか?」メラニーが訊く。
『ん、ちょっとね』そう言うと沙奈はマイクに向き直る。
四人は「まさか」と顔を引きつらせて後ずさる。
『ちがうよ、主催者からのお知らせがあんの』と沙奈は、紙をヒラヒラと見せる。
「なんだ、よかった・・・って、え?」
ファントムズとミュージシャンたちが何だろうと見守る中、沙奈は観客に手を振った。
『宇宙のみんなーっ、ロックしてますか――っ!』
ワアアァァ―――ッ!!
『まだまだお楽しみはこれからよーっ! 命の限りロックするよーっ!』
ワアア―――ッ!!
『ほーら私なんか死んでもロックしてるしー! イエー!!』
しーん。
会場は静まり返った。エレノアが手で顔を覆う。
数秒間『イエー!』の姿勢で固まった後、沙奈は気を取り直して続きを話す。
『えー、ゴホン、主催者からお知らせでーす! 本フェスの内容が変更になりましたー!』
観客が大きくどよめく。ファントムズとミュージシャンたちも顔を見合わせていた。
『この後の出演者が変更になりまーす! この後はずーっと、アカシック・レコードの所属アーティストが登場しまーす!』
さらに会場のどよめきが大きくなった。沙奈は得意満面の顔で、誇らしげにアナウンスを続けた。
『フレディ・マーキュリー率いる"プリンシズ・オブ・ザ・ユニバース"! ジャニス・ジョプリンとブライアン・ジョーンズの"コズミック・ブルース"! オールマン・ブラザーズ、レーナード・スキナード、ザ・バンドのメンバーによる"サザン・オールスターズ"! ゲイリー・ムーア、フィル・ライノット、ロリー・ギャラガーの"エメラルド"! カート・コバーン、マーク・ボラン、イアン・カーティスの"オール・ザ・ヤング・デューズ"! そしてそして、再結成モーターヘッドに、オリジナル・ラモーンズ! ガバ・ガバ・ヘーイ!!』
沙奈の読み上げる名前に合わせて、ステージ上の本人がステージのモニターに映し出される。観客はその度に歓声で応えた。宇宙人にとっては知らない名前のはずだが、今までのセッションで期待は充分だった。
『そしてもちろん、トリは我らがキング、エルヴィス・プレスリー! まだまだ他にも、このステージの人たちぜーんぶ、出演しまーす!!』
ワァァァ――ッ!!
沙奈の煽りに乗せられた観客が叫ぶ。いきなり出演を決められて戸惑っているミュージシャンもいた。まだマルコムと話を付けていなかったらしい。ファントムズはといえば、あまりのことに四人とも目を丸くして固まっている。
四人の驚きにニヤニヤしながら、沙奈はとっておきのサプライズを読み上げた。
『さーて、それではさっそく登場してもらいます! アカシック・レコードCEO、デヴィッド・ボウイ!』
沙奈がさっと右手でステージ後方を指した。観客もレジェンドたちもファントムズも、一斉にその先を向く。
その中をボウイが現れた。ステージ上全員の驚きの目と、観客全員の期待の目を一身に受け、不敵な微笑を返しながら。
ワァァァ――ッ!!
『そしてバンドは、ミック・ロンソンと"スパイダーズ・オブ・マーズ"!』
またしても驚きの目が向けられる中、バンドメンバーが歩み出てきた。ベーシストはガイコツ柄シャツのジョン・エントウィッスル。クモつながりか。
沙奈はボウイを迎えると脇に退いた。ボウイがマイクの前に着くとさっそく、ミック・ロンソンが"ジギー・スターダスト"のイントロを弾きだす。
『ハロー、宇宙人の皆さん』
ワァァァ――ッ!!
ボウイの呼び掛けを横目に、沙奈はまだ唖然と突っ立っている四人の横へ飛んでいった。
『ほらほらボーッとしてないで、コーラスしないと。"モダン・ラブ"やるかもしんないし』
四人はかろうじて視線を沙奈にチラリと移すだけで、どうしていいものかと戸惑ったままだ。
『よーし、それなら私も一緒に歌――』
「「それだけはヤメて!」」
四人が弾かれたように沙奈を止めようと手を伸ばした。沙奈を掴むことはできなかったが、身体の硬直は解けた。
『もう、冗談よ冗談。私が出られないのは分かってるもんね』
「本当に?」エレノアが睨みつける。
『・・・もしかしたら一緒にTVに出られるかなー、なんて』
「大量破壊電波を出すわけにはいかないわ、部長として」
『ぐす、ヒドい・・・』
「そ、そんなことより」リアがぶんぶんとステージのボウイたちを指差す。「どうなってるの、コレ」
『言ったとおり、アカシック・レコードのCEOよ。フーパーさんはロード・マネージャーに降格だって』
「で、でも、アカシック・レコードってえ」
『あー、別に宇宙征服とかはしなくて、本当に普通のレコード会社らしいよ。ナイさんが言ってた』
「ふぇ、ナイさん?」
『うん。しかもね』沙奈はさも重大な発表のように、言葉を切って順に四人の顔を見渡した。『ボウイって本物の宇宙人で、ナイさんとは知り合いだったんだって』
「えー!?」「うそー!?」「マジでー!?」「ええー!?」
四人は一斉に驚きの声を上げてボウイを見た。同類のはずのエレノアまで目を丸くしている。メラニーは本当にアゴを外し、手で上げて戻した。
『さらになんと、マルコム・マクラーレンの正体はナイさんだったんだって』
「・・・・・・」
今度は四人とも、ポカーンと言葉もなく固まった。
『で、結局ナイさんの計画っていうのは――』
沙奈はナイから聞かされたアカシック・レコードの設立目的と、フェスの趣旨と、集められたレジェンド達の処遇を説明した。唖然とする四人の驚愕をよそに、ボウイの"ジギー・スターダスト"は叙情豊かに会場を揺さぶっていった。
四人が我に返ったのは、曲のエンディングが割れんばかりの歓声に切り替わった瞬間だった。ボウイは観客に笑顔で答えてから、ファントムズのほうを振り向き、悪戯っぽくウインクをしてみせた。
沙奈は大きくバンザイの姿勢ではしゃぎながら拍手する。まだ事態の唐突さから立ち直れないでいる他の四人は、無意識に力なく拍手を返すだけだった。
『ほらほら! これからもっとスゴい事になるんだから!』
沙奈に煽られて四人は目をしばたいた。というか、本当に沙奈がチカチカと光っていた。いつの間にかステージ衣装に着替えていた沙奈は、グラムロック全盛期の全身スパンコール姿で、ポーズを決めていたのだ。
沙奈の姿に微笑とも苦笑ともつかない表情を浮かべたボウイは、マイクに向き直る。
『次は、友達も一緒に歌ってもらうよ。フレディ』
歓声が上がる中、ボウイに呼ばれて颯爽とフレディ・マーキュリーが現れる。二人が握手とハグを交わす中、"アンダー・プレッシャー"のベース・イントロが流れだした。
リアはまだ呆然とその光景を眺めていた。目の前で起きていることが、宇宙一巡ぶんぐらい超現実で、怖いぐらいだ。もしかしてこれが、倉内さんが言ってた"コズミック・ホラー"なのかな。
と、フレディがこちらに向かって、チラリと微笑みを投げかけた。
"準備いいかい?"というふうに。
その瞬間リアは、自分がどこにいるのかを思い出した。夢の中で鳴っているかのようなイントロの音が、突然はっきりと耳から頭の中へ伝わった。
マイクスタンドは二歩前に立っている。グラムスーツに着替えたはいいが、振り付けを考えてなくてポーズのまま固まっている沙奈を尻目に、リアは前へ出た。
最初の一声のコーラスを合わせるため、リアは息を吸った。