4 悪夢の最終兵器
バックステージ通路の出口まで来ると、エレノアは扉の陰からそっと外を伺った。
よし、母さんは出待ちしていない。エレノアは建物の外へ出た。
そこには数台のトライポッドや円盤やその他の車両が並んでいた。その前に人間型の男が立っており、「歓迎 ザ・ファソ卜ムズ御1行様」というカードを持っている。ところどころ惜しいが、日本語だ。
男はガイコツみたいな青白い顔に落ち窪んだ目で、頭のてっぺんは禿げていて、両サイドの髪は長く伸ばして垂れ下がっている。背中は膨らみ曲がって前屈みの姿勢になっている。映画のマッドサイエンティストの助手みたいな外見だった。
マッドサイエンティスト本人のエレノアは男の容姿に怯まず、近寄っていった。
「ザ・ファントムズですが」
「お待ちしておりましだず。オラぁはオブライエンだず」
男は前屈みで上目遣いに言った。エレノアは男がなぜ地球の方言を話すのか首をかしげた。あとで翻訳機の調子を見ておかないと。
「他のみんなもいま来るわ」
エレノアが建物を振り返ると、ちょうどリア、メラニー、アンナが出口から出てくるところだった。三人とも興奮冷めやらずはしゃいでいる。アンナはテレビを押しており、画面には沙奈が映っている。
「客もいろいろヘンなのがいたけど、ノッてたよなあ! わははは!」
「いたよねー! こーんなおっきいの!」リアは腕を振り回しながらピョンピョンと跳ねる。
「わたし、演奏で緊張してたんで、よく見てませんでしたぁ」そう言いつつ、メラニーはドキドキと両手を握る。
『うん、メルさんの歌もよかったわよお』沙奈の興奮はややおとなしめだった。
エレノアに気付くと、三人と一体はエレノアに合流し、オブライエンに挨拶した。
「ほんだばお乗りくだせえ。ホテルまでお送りしまず。荷物は入れでまず」
そう言ってオブライエンが背後に示したのは、銀色の円盤だった。火星の到着直後にアンナが頭をぶつけたやつだ。
わいわいと乗り込むと、船内は地球の車と同じような広さだった。沙奈のテレビは荷物入れにしまって、幽体離脱した沙奈は座席に移動する。他の四人も座席に着き、沙奈と体が触れないよう慎重にスペースを空けた。
「出発しまず」
操縦席のオブライエンが言うと、全体がぐらりと傾いた。エレノア以外の全員が動揺して窓の外を見ると、円盤は上空に浮き上がっている。そのまま円盤は前方へ移動し始めた。車と違って地面の振動もなく、ただ重力加速度を感じながら空中を運ばれていくのは、何とも変な感触だった。しかもときどき加速度は上下にも感じ、リアはそのたび落ち着かなげに座席でもじもじと姿勢を動かした。
火星の風景は多彩だった。宇宙人たちに劣らず、サイズも種類も、たぶん用途も、多種多様で雑多な建物が軒を連ねている。思いつく限りの人工物をメチャクチャに寄せ集めたみたいだった。およそあり得そうな建物なら何でも揃っていそうだ。唯一欠けているのは統一感で。
行きにトライポッドで会場に向かったときは、ステージ前の緊張で外の景色なんか目に入らなかったが、こうして上空から眺めてみると、いまさらながら宇宙は進んでいるんだと感じる。なにしろ地球のエイリアンはこっそり学校の地下に転送ビームと大量破壊兵器を隠してたし。
景色と浮遊酔いで意識が異次元に行きかけたとき、円盤が不意に降下して、地面に着陸した。リアたちがヨロヨロと外に降りると、目の前には地球式の洋館が建っていた。地球の基準で言っても古風な、円錐形の尖った屋根がいくつも突き出している。
「着きましたず、『展望ホテル』だず。どぞ中へ」
「うおー豪華そう」
「老舗って感じですう」
「メル、温泉旅館じゃないんだから格式って言いなさい」
リアは赤い空と赤い地面に建つゴシック屋敷というシュールな光景を見上げた。これでカミナリでも鳴れば、古典ホラー小説の挿絵のようだ。
「おーいリア、早く部屋行こーぜ」すでにホテル入口をくぐったアンナが呼びかけてきた。
「あ待って、沙奈さんのテレビを」
『あ、私ならだいじょう、わひゃん!?』
いきなり素っ頓狂な悲鳴を上げた沙奈をリアが振り返った。
「ど、どしたの?」
『あ・・・わ、私の本体のテレビが、転送されたっぽい』
沙奈はいきなり背中から突き飛ばされたようなびっくり顔で、固まった姿勢でつーっと漂っている。
エレノアが横を飛んでいく沙奈を目で追った。「荷物といっしょに部屋に運ばれたみたいね」
『んぁー、いきなりだからゾクッときちゃったわ。こういうのって"誰かが自分の墓の上を歩いた感じ"っていうのかな』
「または"墓が移動された感じ"ね」
リアとエレノアは飛んでいく沙奈を追ってホテルの入口に向かった。
「そういえば沙奈さん、いつもより元気がないよね」
「今までが元気すぎたんじゃないの。やっとフツーの幽霊らしくなったわね」
「で、でもさ、行く前までフェスだお泊りだって、すっごい張り切ってたのに」
「きっと自分だけライブに出られなくて、仲間はずれみたいで落ち込んでるんじゃない」
「そーかなあ」
なにか沙奈を元気づけられないか、カラオケとかスイーツとか、とリアは思ったが、そのどれも沙奈には無理だった。仕方ない、宇宙ホテルの設備に期待しよう。リアは皆の後を追ってホテルに足を踏み入れた。
「ファントムズ様のご注文通り、お部屋を用意しましたず」
「部屋の注文? そんなこと言ったかしら」エレノアはホテルの廊下を先導するオブライエンの言葉に首をかしげた。
「ンだ、"バルコニーから釣りができる部屋"で」
「あんなバカ話を本気にしたの。悪いことしたわね」
「おー、ホントに釣りができんの? いっぺんやってみたかったんだ」ムチャ振りを出した張本人のアンナが胸を躍らせた。
「お魚釣って、活け造りにでもするんですか?」
「いや、伝説によると、釣ったサメをお姉ちゃんのピーにピーしたという」
「いいからマネしないの、メル。あんたはオオカミウオと共食いでもしてるといいわ」
「おめーはタコとディープキスでもしてろよ」
「ていうか、火星に海ってあるんですか?」
メラニーの問いに全員が「?」を浮かべたとき、オブライエンが「237号室」と書かれたドアの前で止まった。
「こちらばお部屋だず」
メラニーとリアがドアをそっと開け、中をのぞき込んだ。
「おコンバンワ」
「お客様だよー」
アンナは遠慮せず、二人の後ろから勢いよくドアを全開にした。
「うおーでっけー!」
一歩踏み込んだとたんにアンナが素直な感想を叫んだ。部屋の広さは学校の教室ぐらいありそうで、格調高そうな長いソファやテーブルが置かれている。部屋にはいくつか別室への扉もあり、ベッドはそっちにあるらしい。地球でいうところのスイートルームだ。
「すげー、オレたちホントにロックスターみてーだ!」
「ほらほら、いちいち騒ぐんじゃないの」エレノアが三人を押して部屋に入る。
正面の大きな窓の外には、バルコニーの手すりが見えた。
「ホントにこっから海が――」
アンナは勇んでバルコニーへの窓を開け放った。そこに広がっていた景色は――見渡す限りの、赤い砂漠。
「へ・・・?」
「えー、海じゃないじゃん」リアが拍子抜けしている。
「池でもあるんですか?」メラニーもバルコニーに出てきて手すりの外を見下ろすが、やはり砂面しかなかった。
そこへオブライエンがのそのそとやってきた。
「ンだ、火星名物の砂漠フィッシングだず。今呼びまずハァ」
そう言うとオブライエンは、バルコニーの手すりを拳でゴンゴンゴンとリズミカルに叩きはじめた。
数秒もすると、下の砂面がざわざわと震えだし、低い唸りを発し始めた。何事かと皆が砂漠を見守るうち、いきなりにボカンと地面が爆発した。
爆発した砂煙の中に、ガスタンクみたいに巨大な塊が出現していた。その塊は何十メートルもの高さまで、地面からとてつもない太さのボコボコした幹が伸び上がっている。と、幹の先端が三つに割れて開き、裂け目からこの世の終わりのような叫び声が響き渡った。
胴震いする巨大な塊は砂埃をドサドサとあたり一面に撒き散らした。バルコニーでこの光景に仰天していた四人は、頭から砂埃をまともに被る羽目になった。
「アレキス原産の"シャイフルド"だず。火星の砂漠で養殖しとりまず」
オブライエンが事も無げに解説した。いつのまにか片手で傘をさしており、文字通りの土砂降りを防いでいる。四人は砂埃と巨大砂ミミズの咆哮に悶絶した。
「ゲへゴホ、なーにこれー」
「こんなもんどーやって釣れってんだよ!」
「ワイヤーフックで捕まえて登るんでハァ。達人になるとそのまま乗りこなして船代わりに」
「あれをアンナさんのピーにピーするんですか?」
「できるかそんなこと」
「釣りはあんたのリクエストでしょ、責任とってエサになんなさい」
「なるか! あーもういい、釣りなんかヤメだヤメ!」
聳え立つ巨大ミミズは宿泊客をあざ笑うように、再び埃をもうもうと上げながら砂に潜っていった。四人は砂埃に咳き込みながら部屋の中に逃げ戻った。エレノアは砂で赤く塗られたメガネを外して拭った。
「うええ、ペッペッ、口にも砂が」
リアが顔をしかめていると、オブライエンが傘の砂をぱたぱたと落としながらバルコニーから悠然と戻ってきた。
「ンだばお口直しにあちらをどぞ。ご注文のM&M’sだず」
オブライエンが差した先を見ると、テーブルの上にガラスのボウルがあり、中にはカラフルなボタンのような粒々が入っている。
「あ、あれも用意してくれたんだね、ありがと」
リクエストの張本人であるリアが気まずそうに礼を言った。まさか本当に用意してもらえるなんて。
「ご要望どおり茶色抜きだず。意味はわかんねっけど」
「いえ別に、どうもどうも」
さっそくリアはボウルの菓子に手を伸ばし、数粒を口に放り込んだ。
甘くて辛くてしょっぱくてシュワシュワしてパチパチしてて、ひとことで言うと、知ってるM&M’sじゃない、これ。
「・・・なんか・・・変わった味がするんですけど」菓子をモグモグやりながら、リアは味に負けず複雑怪奇な表情を浮かべた。
「ンだ、冥王星名物のスナックだず。地球人もお好きとは知らねでハァ」
リアはモグモグを止めた。
「え・・・冥王星・・・?」
「ンだ、ミ=ゴ人とメタルーナ人の干物を――」
ぶっ。
リアは勢いよく吹き出した。その結果、横にいたメラニーの顔にカラフルな点々が出現した。
「うぎゃああ、エイリアン、エイリアンの干物食べちゃったああ」
「ふえぇ、ヒドいですう」顔を点々まみれにしたメラニーも悲鳴を上げる。
「ちゃんと全部食べなさいよ。いつも食べてる海棲生物の干物と同じでしょ」
「あれはエビせんだよぉ」
メラニーが顔のトッピングのせいで目をパチパチしていると、独り沙奈だけが無言でテレビ画面を見つめているのに気が付いた。
「沙奈さん?」
沙名はピクッと振り向いた。
『あ、見て見て、火星のテレビが映るのよ。エリさんの翻訳機のせいかしらね』
沙奈が見ているのは部屋のではなく、自分の本体のテレビだった。沙奈がちょっと首をかしげるとチャンネルも変わる。霊体リモコンか。
「すいません、なんかまた仲間はずれに」
『いいのいいの、気遣いありがと。私お菓子は食べらんないし』
沙奈とメラニーは互いに気まずい微笑みを浮かべた。
『それより顔洗ってきたら? グラムロッカーみたいになってるよ』
「それならお風呂行きたいですう。砂かかっちゃったし、汗かきましたし」
最近ではゾンビも汗をかくらしい。
「んだず、お風呂でしたら1階の大浴場へどぞ」オブライエンが声を掛けてきた。
「あ、ありがとうございますう」
「PMRCの皆様もお先にお着きになりましてハァ、今ごろお入りになっでっかとぉ」
ぴたり、とリア達が騒ぎを止めた。
「えっ、黒間君が今お風呂入ってんのっ!?」
「ンでもぉ、地球みたいに分かれてねんで、混浴になりまずが――」
オブライエンがそう言った1秒後、部屋には誰もいなくなった。
真っ先に超速で大浴場前に着いたリアが廊下に立ち尽くしていた。遅れて来た三人と一体も同じく廊下で固まっていた。火星に来てから、これほどガッカリさせられたことはない。
そこにいたのは、ちょうど浴場から出てきた光だった。桜色に上気した肌をパジャマに包み、ほこほこと湯気を漂わせている。
「あ、みなさん、お先に・・・」
その瞬間、「もういっかい一緒に入ろーよお!」と四人と一体が迫ってきた。光は身をかわして部屋のほうへ逃げ出していった。光に掴みかかったリアがまたもやお札にぶっ飛ばされたのは言うまでもない。
「白菊さんと倉内さんが入ってるの?」遠ざかる光にエレノアが呼びかけた。
「いえー、あの二人は部屋で寝てますー」それだけ伝えると光は全速力で姿を消した。
「ちぇー、惜しかった」
「しょうがねえ、普通に入るか」
『今なら黒間君のダシが出てるんじゃない? ムフフ』
一瞬の間の後、四人と一体は脱衣場へ殺到した。
「とりゃー、一番乗りー!」
「飛び込むんじゃないの、まったく子供は」
「いだだ、引っぱんないで」
「先に身体を洗いましょうねえ」
「もー、メルちゃんまで子供扱いしてー!」
「まあ、その見た目じゃしょうがねえな」
「アンナだって筋肉ばっかしじゃん!」
「んだとコラ」
「底辺どうしで醜い争いはやめなさい」
「テメーなに余裕かましてんだよ!」
「わー、でもエリさんは大人ですねえ」
『私は私は? ほーれほーれ』
「ズルーい、沙奈さん見た目変えられるじゃん!」
「ていうか何で沙奈さんまでお風呂に?」
『お泊り会の定番イベントだしね。あとボディチェックも。うへへへ』
「みんなのサイズデータなら測定済みよ。特にリアの――」
「かっ、勝手に測らないでよっ!」
「いいじゃん、何ミリか成長したかもしんねえぞ」
「もー、みんなして!」
「だいじょうぶですよお、リアさんも、えーと、ちゃんと全部そろってますう」
『ねえ、健康そのもの元気なお嬢ちゃんよ』
「同情するなら胸をくれー!」
「えと、わたしのでよければ、はい」
「ぎゃー取り外さないでー」
「そのまま移植できないかしらね?」
「やだー胸がパンダになっちゃうー!」
「そういえば、アンナさんのオッパイは二つなんですねえ」
「あたりまえだバカ、どーいう意味だ」
「いえあの、オオカミさんってオッパイがたくさんありますから」
『変身したら増えるんじゃない?』
「ちょっと変身してみてください」
「やめて、お風呂が毛だらけになっちゃう」
「ざけんな! 増えねえよ!」
「ていうか、それは胸筋じゃないの」
「変身してそのムダ肉ごと食ったろか」
「自分のサンドバッグでもかじってなさい」
「んだとこの物体X!」
「サンドバッグだって、ぷぷぷぷ」
「やかましい、お前はピンポン玉のくせに」
「ほっといて!」
『ほらほら、サンドバッグとピンポンでケンカはよしなよ、子供っぽい』
「そーですよう、改造すればいいですし」
「オメーらが言うな!」
「わっ、わたしこれから成長するんだから! ぜったい負けないんだからっ!」
「いいからちゃんと洗いなさい。面積小さいんだから」
「エっ、エリさんなんかムダに汗溜まるとこばっかのくせにー!」
「おーし、このブヨブヨエイリアンを超速で痩身マッサージしてやるのじゃー!」
「ちょやあああぁぁぁ(早送り音声)」
「ちょっ、リア、やめ、どこ触、ひっ、ひゃはははははは」
「じゃわたしはアンナさんをマッサージしますう」
「まてコラお前まで、おーう何をするだァー!」
『んじゃ私は霊感マッサージを・・・』
「うおーオレのそばに近寄るなあーっ!」
ばっしゃーん。
風呂ですっかり無駄な体力を消耗したところで、四人は気だるく部屋に戻った。真っ赤にのぼせてトマトのようになったリアと、対照的に全く血色が変わらないメラニーは、扇風機の前でヴォコーダーに興じていた。
「♪あ゛~~~~」
「♪イン・アナザー・ラ~~~~ンド」
そこへ夕食ができたとオブライエンが呼びに来た。さっきのM&M’sの件で不安がよぎったが、全て地球の料理を再現した100%人工合成食材を使用していますよ、と太鼓判を押されたので、エレノア以外の三人も安心して食べることにした。
食堂に用意されていたメニューは、トーストに目玉焼きに納豆に味噌汁などなど、なぜか地球でいうところの朝食ばかりだったが、味もまさしく地球のと同じで、とても美味しかった。何より腹ペコだったし。
沙奈は夕食には現れなかった。さすがにこればっかりは同席してもねえ、といつもの自虐的な笑いを浮かべて部屋に残った。
ホテルにいるはずの霧乃と久里子も出てこず、光が三人分の食事を部屋に運んでいった。二人ともステージを終えたとたんに燃え尽きてぶっ倒れ、部屋で眠りこけているらしい。
ファントムズが部屋に戻ると、沙奈はまたじっとテレビを見ていた。画面には、夜の部が絶賛開催中のフェスが中継されている。
といってもステージでは、何のパフォーマンスをしているのかさっぱり分からなかった。フーパーが言ったとおり、サウンドは可聴音外でぜんぜん聞こえないし、あとは出演者?がときおり色や形状をニュルニュルと変化させるだけだった。
にもかかわらず沙奈はじっとフェスの様子を見つめて動かない。時々チャンネルを替えてフェス会場の他の場所を映しているが、どうも沙奈の表情はフェスに興味津々というより、不安そうに何かを探している感じがした。
リアは気になって話しかけた。
「沙奈さん? さっきからなんかフェスが気になるの?」
『あ、うん、えーと、その・・・宇宙のナウでトレンディな曲はどんなのかなーって、ハハ』
その表現からしてすでにナウには程遠いのだが、それはともかく沙奈の笑顔はセリフ以上にわざとらしかった。
「ねえ、なんかステージの後からずっと考え込んでるみたい」
『そんなふうに見える? まあ、私だってステージ出て一緒にワーッてやれたらなぁ、ってちょっと淋しいけどさ』
「ん、でもー、沙奈さんがそれぐらいで落ち込むのって、見たことないし」
『そ、そお?』
「いつもガックリしても一分ぐらいしたら立ち直って飛び回ってるし。歌で全員倒れたときとか、ギャグがスベッたときとか、ファッションセンスを却下されたときとか、それから――」
『うぐぐ、い、今のはホントに落ち込むわ・・・」
「ゴ、ゴメン」
『リアさんの中で私は能天気のラリパッパなのね・・・』
「ラリパッパは言ってないよ」
『じゃ能天気は合ってるんだ・・・』
ますます不毛になる会話の気まずさでリアは目を泳がせた。と、テレビ画面のフェスの光景にふと目が留まった。
「あ、あれ、フーパーさんだ」
ばっ。
すごい勢いで沙奈はテレビ画面に向き直った。実体があったら、横のリアは沙奈のロングヘアに引っぱたかれていただろう。
テレビ画面にはステージ脇の様子が映っていた。数人の宇宙人スタッフが行き来する中、紛れもないあのキャベツ頭が、地球人の男と話している。
沙奈はじっとフーパーと男を凝視していた。リアは沙奈がこれほど心配そうな顔をするのをはじめて見た。心配事のある幽霊を見るのも始めてだが。
「あれ、相手の人、なんか見たことあるかも」
沙奈は固い表情のままリアに目を向けた。
『リアさんも、やっぱそう思う?』
「んー、誰だっけ・・・ねー、アンナぁ」
リアが呼ぶと、アンナは食後のストレッチをしていたソファから顔を上げた。床の上ではメラニーがアンナの真似をしてとんでもない角度のポーズをしている。
「ねー、この人って誰だっけ・・・あ、消えちゃった」
テレビ中継はステージ脇から、再び会場の光景へと切り替わっていた。
「何だ、地球のバンドが出てんのか?」
「ううん、出演じゃないけど。エリさーん、今の映像、戻せない?」
スマホを眺めていたエレノアがやって来て、テレビを覗き込んだ。
「ええと、このチャンネルは・・・配信されてるかしら」
ホテルの部屋に備え付けのテレビにエレノアがスマホを向けると、こちらのテレビに映像が断続的に映り出した。多くの映像でフェスの中継が映っている。と、沙奈のテレビと同じ映像がホテルのテレビにも映った。エレノアがさらに操作すると、ホテルのテレビの映像が巻き戻りはじめた。
「止めて! この人、この人!」
リアとエレノアは画面を見つめた。ソファのアンナと、床の上のメラニーも。沙奈も自分のテレビの前から離れて合流しに来た。
「あのフーパーさんと話してる人よね?」
「たしかに地球人っぽいな」
「なんか知ってる人みたいな気がしますう」
「エリさん、顔検索アプリとかない?」
「もちろんあるわよ」言うなりエレノアはスマホを操作し、スマホ画面に検索中の顔データがチカチカと流れ出した。
エレノアが検索結果を待ち、リア、アンナ、メラニーが記憶をたぐっている間に、沙奈が自信なさそうに口を出してきた。文字通り、リアを背後からすり抜けて。
『あの、私の記憶が違ってなければ・・・』
「あ、出たわ」
沙奈の発言とエレノアの結果は同時だった。二人は顔を見合わせ、エレノアがスマホを沙奈に見せた。
検索結果は沙奈の思った通りだった。期待に待つ四人に向けて、沙奈は結果を発表した。
『ジョージ・マーティン』
「「あー」」
四人は大きく頷いた。「そーだよ!」「どっかで見たと思ったんだよな」と口々に騒ぎながら、スマホのデータを覗き込む。
「あんな有名人まで呼ぶなんて、やっぱりナイさんってすごい人なんですねえ・・・って、ええ!?」
メラニーが素っ頓狂な声を上げた。ストレッチしながら頭もひねっていたせいで、身体のほうはさらに素っ頓狂なポーズをしている。
「どったの、メルちゃん」
「ジョージ・マーティンさんって、とっくに死んでますよねえ!?」
リア、エレノア、アンナはハッと思い出した。急いでスマホのデータを確認する。確かに、死亡年がはっきりと書かれている。
「しかもけっこう歳じゃん」リアがスマホの晩年の写真と、テレビ画面の若い男を見比べる。
「ていうか、なんで火星にいるんだよ?」
「ま、まさか幽霊? また?」
四人はバッと沙奈を見た。地球人の幽霊が火星に出現した実例がここにいる。
『わ、私知らない』
「まさか、ナイさんがあの世まで手を回して出演交渉してきたとか?」
リアの言葉に皆は黙り込んだ。そういえば、あの世も実在するんだった。なにしろそこの住民もいま火星にいて、リアたちの引率と称して夜の街に繰り出している。
「それともまさか・・・ゾンビじゃねえだろな」
こんどは皆がメラニーを見た。ゾンビの実例もここにいる。
「なあんだ、幽霊か死人かゾンビなら、じゃあ納得ですねえアハハハ」
メラニーのムリヤリな笑い声は、部屋の張り詰めた空気に力なく消えていった。
『えと、本当にただのゾンビならいいんだけど』
「いやよくねえよ、あんまり」
『その・・・じつは、もっと心配なことが』
いつになく不安そうな沙奈の様子に四人は顔を見合わせた。ゾンビや悪魔どころか、エイリアン数百万人さえも面白がるだけだった幽霊が恐れるものとは、いったい。
四人の視線の中、沙奈は口を開いた。
『ステージの横で、私、ナイさんに会った』
「ええーっ!?」
「ナイさんがフェスで宇宙征服!?」
「フーパーさんが秘密兵器を!?」
「アンナさんがその実験動物に!?」
『いや、最後のは言ってないけど』
アンナがギロッと睨みつけると、「すいません、つい」とメラニーが後ろに下がった。
「だ、だってこのフェスって、あのニョロニョロさんのご機嫌とりのためだって」
リアが息を喘がせた。ニャルラトテップからの招待状には、オグドル=シル神を歓待するためにフェスを開催すると書いてあったが。
「裏でほかにも企んでたってことかよ」
「倉内さんが言ってた通り、ナイさんの動くところ陰謀ありね」
オカルトマニアの久里子によると、ニャルラトテップとは指一本で済む仕事を、陰謀を張り巡らして人を破滅へ向かわせる遠まわしな手口でやりたがる、性格のひねくれた邪神であるという。人類の核開発を手引きしたり、課金アプリを流行らせたり。久里子自身も恋のおまじないに偽装した黒魔術書に引っかかり、ニャルラトテップの崇拝者になってしまった。
「つまりこのフェス全部が、ナイさんの陰謀の道具だってことなんですか」
「そんなのやだよっ!」
リアが両拳を握り締めてバッと立ち上がった。あまりの剣幕に、他の三人と一体が息を呑むほどだった。
「わたしたちのステージが道具だなんて、ヒドいよっ! あんなに大勢のお客が来て、みんな喜んでたのに」
リアは肩と拳を震わせている。
「ステージも、観客も、みんな最高だったのに、最高のフェスが、道具にされてただけなんて、そんなのやだよお!」
悔しさを爆発させて顔を紅潮させるリアを、他の皆は呆気にとられて見守っている。
「なあおい――」
「わたし、ナイさんに文句言ってくる! なに考えてんのか知らないけど、わたしたちのステージを道具にさせたりしないんだからっ!」
アンナが止める間もなく、ドアがバーンと音を立てたときには、リアは部屋からすっ飛んで消えていた。そのスピードの衝撃波で三人がひっくり返った。
「ったく、あのバカ」
「もう、これだから子供は」
「でも、リアさんの気持ちもわかりますう」
『私も陰謀に利用されるなんて嫌よ』
「そうだな、ましてそれが分かっててステージなんてさ」
残された三人と一体は顔を見合わせた。とにかく、このままではモヤモヤして、明日も最高のステージにするなんて、できっこない。
「よっしゃ、オレも文句言ってくるぜ」アンナが立ち上がった。
「わ、わたしもリアさん探しに行きま・・・わぷっ」メラニーも立ち上がろうとして床に転がった。さっきのストレッチのせいで脚があさってのほうへ向いていたのだ。
「落ち着いて。いきなり押しかけてもつまみ出されるだけよ」エレノアが制止した。
「何だよ、ほっとけってのか」
「いいえ、陰謀を許せないのは同じよ。わたしが全宇宙中継されるステージを」
『エリさん閣下様をジャマするとコワいねえ』
「まずは探りを入れて、なにを企んでいるのか突きとめないと。それで止められるなら止めて」
「ぶち壊せるならぶち壊そう」
エレノアとアンナの目論見が一致した。珍しく。
「リアさんも止めないとですう」
「もう戻ってるわよ。ほら、出てらっしゃい」
え? とメラニーたちが入口のほうを振り向くと、ドアの陰からそーっとリアが歩み出てきた。顔も髪も赤い砂埃まみれで、今にも泣き出しそうな目でこっちを睨んでいる。
「お前いったいどうしたんだよ!?」
「・・・道に迷った」
だあああ、とアンナ、メラニー、沙奈は床にスライディングした。
「火星ってなんでこんな赤い景色ばっかしなのぉー」
「フェス会場からは円盤で飛んできたから、行き方が分からないだろうと思ってたわ」唯一コケなかったエレノアは、この事態を予想していたらしい。
「ホ、ホテルまで帰ってこられてよかったですねえ」
「ていうか、戻って来るタイミングまで知ってたのかよ、エリ」
「こんなこともあろうかと」
エレノアはスマホをシュバッと掲げた。スマホからは本当にシュバッと効果音が鳴った。このセリフ言いたかったんだろうな、とアンナは思った。
スマホ画面には地図に点滅する赤い点が映っている。
「リアには翻訳機と一緒にGPSも付けておいたわ」
「ええー、なんでー」
「超速で勝手に歩いて迷子になったときに備えてよ」
『さっすがエリさん! 私たちにできないことを平然とやってのける! そこにシビれる! あこがれるゥ!』
「部長として当然のことよ」
「ヒドいよヒドいよみんなして子供扱いしてバカにしてえ」とうとうリアはわーんと泣き出した。まるでマンガのように放射状に涙をまき散らして。気の毒だが、その姿は紛れもなく絵に描いたような迷子の子供だった。
エレノアはそんな子供、もといリアを大人の包容力で頭を撫でてやった。
「ほら、いい子いい子。泣くのはよして、みんなでフェスを調べに行くわよ」
リアはぱたりと泣きやみ、目をぱちくりさせてエレノアを見た。
「え、みんなも、一緒に、行ってくれる、の?」
その言葉に、アンナもメラニーも沙奈も立ち上がった。
「ええ、このままにはしておけないわ」
リアはぱあっと顔を輝かせた。砂埃と紅潮で梅干しみたいな顔色で。
「うんっ、ありがとっ、エリさん、みんなっ」
リアはエレノアの両手を握ってぶんぶんと振った。その姿は紛れもなく保護された迷子の子供だった。
エレノアは部屋の二人と一体を振り返った。
「行くわよ、ファントムズ」
ファントムズの四人と一体はホテルの廊下を部屋着でガヤガヤと歩いていった。その姿は普通の旅行中の高校生のようだが、話の内容と表情の硬さは、楽しい旅行中とは言えない雰囲気だった。そのうち一人が透けて浮かんでいるのも理由の一つだが。
「いい、まずはナイさんとフーパーさんが何を企んでいるのか、それを突き止めるのよ。いきなり問い詰めて『計画は何だ!』なんて言ってもムダよ」
「分かってるって、その前にまず拷問だよな」
「バカ犬、喋るわけないでしょ」
「んだこの」
「まあまあ、確かにナイさんからは聞けそうもないね」
『私が無理にでも聞いとけばよかったな』
「仕方ないですよう」
気落ちする沙奈にメラニーが声を掛けた。沙奈の本体のテレビはアンナが押して運んでいる。
エレノアが計画の説明を続ける。
「それで、問題はその秘密兵器とやらね。これの発見がカギよ。ステージの下にあるのよね、沙奈さん」
『うん、たぶん。地下にあるのはまちがいなさそう』
宇宙邪神の秘密兵器。リアはガラスドームに入った巨大脳ミソとか、巨大のっぺらぼうロボットとかの姿を想像して身震いした。
「分かれて探しましょう。まずはリアとメラニー、殺しても死なないチーム」
「なにそのチーム分け」
「とりあえず死ぬ心配だけはないでしょ。リアはいざとなったら迷子のフリをしなさい」
「もー、また子供扱いしてー!」
「リアさんならだいじょぶですよ、逃げ足なら誰にも負けませんし」
「メルちゃんはどうすんの?」
「えーと、じゃ、わたしは死んだフリします。心臓止まってますし」
「大丈夫かこのチーム」
リアとメラニーは力の抜けた笑みを返した。
「で、わたしとアンナが美女と野獣チームね」
「待てコラ、だれが美女だ誰が」
「わたしが頭脳担当、あんたは筋肉担当よ。戦闘で美女を守るのが野獣の使命よ」
「オレが先にぶっ殺したろか」
こっちのチームも別の意味で心配だった。
『ねえねえ、私は?』
「沙奈さんは単独で探ってもらえるかしら。壁抜けられるし姿も消せるし、スパイには最適の人材ね」
『おほほほそれほどでもー』
「・・・ただ、問題は本体のテレビね。動いてるところを見られないようにね」
『ふっふっふ、その点はちゃーんとカムフラージュを用意してあるわ! ジャーン!』
そう言うと沙奈はどこからともなく段ボール箱を取り出し、テレビにすっぽりと被せた。沙奈がテレビに入って動くと、段ボール箱が廊下をひとりでに滑っていくように見える。
「・・・まあいいわ。張り切りすぎないでね、沙奈さん」
『スネークと呼んで』
顔を出した沙奈は片目にアイパッチをしていた。
「よっスネーク! 忍び込め! スライド・イット・イン!」
「夜の静寂の中で!」
『ヒア・アイ・ゴー・アゲイン!』
「ノセるんじゃないの」
リアとアンナのネタに沙奈も応えた。こうしてロックネタで笑い合えるところは、沙奈も普通にバンド仲間らしいのだが。
『あ、そう言えば、ジョージ・マーティンの他にもう一人見たんだった』
「え、誰?」
『マルコム・マクラーレン』
「あのピストルズのマネージャーの? ほんと?」
『うん。エリさん、顔調べてくれる?』
エレノアがスマホで検索して見せると、沙奈は『やっぱこの人だ』と頷いた。そして人物情報を見ると、またしても既に故人のはずである。
「マネージャーとプロデューサーの大物を生き返らせて、何を企んでんだ?」アンナが首をかしげた。
「さあね、この人たちにも直接訊いてみたらいいんじゃない?」リアが答える。
「ああ。見つけたら、捕まえて問いただしてそれから・・・サインもらおう」
「うん、それ大事ね」
探索に新たな目標が加わった二人は不敵な笑みを浮かべる。
「わ、わたしも会ってみたいですう」
「みんな落ち着いて。本物かどうかも分からないわ。まずは握手と名刺交換からよ」
「オメーもかなり取り乱してるじゃねえかよ」
「ゴホン、とにかく、計画にどう関わってるのか、突き止めるのよ」
「わたしたちのステージだけじゃなく、ロックの偉人まで利用するなんて、ますます許せないよっ!」
「ああ、ナイさんが何を企んでるにせよ、どうせろくでもない事だろ、ブッ潰そうぜ!」
『このフェスを愛と平和とロックの二日間にするために!』
「わー、すごいことになりそうですう」
ファントムズの一同は期待とやる気に声を上げて廊下を歩いていった。ちょうど数時間前にステージ前で興奮していたように。そして使命で頭がいっぱいで、他にも地球の招待者がいたことをすっかり忘れていた。
「ニャッ、ニャルひゃまっ!?」
廊下から漏れ聞こえた単語に久里子はビクッと顔を上げた。
口は力の限りかき込んだ食べ物でハムスターのように膨れている。フェスのステージ後、ホテルに着くなりぶっ倒れて眠っていたが、光が部屋に運んでおいた食事の匂いで目が醒め、いまだにステージ衣装のままガツガツやっていたところだった。
声にさらに集中すべく、久里子は口の中の食べ物をゴクリと飲み込んだ。五秒後、悶絶しながら胸をドンドン叩き、引っつかんだカップを一気飲みしてようやく胸の苦しみは去った。その直後、一気飲みしたのがタバスコだったことに気付き、またもや悶絶するはめになったが。
そうこうするうちに廊下の声は去っていってしまった。断片的に聞き取れたのは「ナイさん・・・計画・・・秘密兵器・・・ぶっ潰す」程度だったが、口内の阿鼻叫喚が治まると、久里子はやっと事態をのみ込み始めた。
ニャル様は何かを計画されている。それをあの妖怪どもがぶち壊そうというのだ。この前オグドル=シル神を地球から送り返したように。
しばらくの後、ホテルの外でヒューンという音が遠ざかっていった。ホテルに来る時に乗った円盤の飛ぶ音だ。きっとあいつらが出発したに違いない。そのニャル様の秘密兵器とやらの場所へ。
ニャル様の計画を邪魔するとは、文字通り神をも恐れぬ不届き者ども。ましてあんな妖怪連中ごときが。というか、あいつらを止めて計画の遂行に協力すれば、あたしの忠誠心を示す絶好のチャンスになる。そんでもってゆくゆくはニャル様の尖兵にしてもらって、あまつさえ寵愛なんか受けたりなんかしちゃったりして、ぐふふ。
そうと決まればあいつらの後を追わなければ。
「霧乃、起きて。霧乃ってば」
ベッドでは霧乃が、やはりステージ衣装から着替えもせず、ラグビーボールが入りそうなくらいに口をおっぴろげ、よだれを垂らしていた。
「ぐごー・・・表現できましたわ・・・わたくしのハートを・・・究極の正義を・・・万雷の拍手を送りなさい世の中の愚民ども・・・ぐがー」
霧乃はうっとりと笑いを浮かべながら世にも不気味な寝顔をさらしている。
「ちょっと、霧乃ってば」
「むへへへ・・・わたくしのためにファンファーレでも吹いているのがお似合いですわ・・・ぐごー」
「・・・霧乃、ファンが来てる」
がばっ。
「まあ! わざわざわたくしを称えにいらっしゃるとは、よい心がけですわ! 特別にサインをあげてもよろしくてよ! ほほほほ!」
霧乃は焦点の合わない目でエア観客に向かって高笑いした。
「しっかりして、ほら」久里子は霧乃の肩を揺さぶった。
霧乃はパチパチとまばたきを繰り返した。久里子の顔に睫毛で風が当たるほどに。やがて次第に目の焦点が合いはじめた。
「はっ!? わ、わたくしのファンはどこに!? それにここは? ステージはどこなんですの?」
「落ち着いて、霧乃。ホテルよ」
霧乃は目をしばたかせながら、久里子の顔、久里子の服、自分の服、部屋、ベッドにせわしなく視線を移した。
「・・・ななななんですの、わたくしをこんなとこに連れ込むなんて!?」
「うらー目を覚まさんかーい!!」
久里子は霧乃の両ほっぺたをにゅーんと引っぱった。ようやく霧乃は状況を思い出しはじめた。
「・・・ふ、ふん、わらくひとしたことが、ひょっと疲れたみひゃいれすわ」
久里子はぱちんとほっぺたを離した。
「どんな寝ボケであたしがホテルで迫ってる幻覚を・・・いや、そんなことより、大変よ」
「はっ、そうでしたわ、ファンの方々をお迎えしないと」
「いや、ファンは忘れて。あの妖怪どもよ」
妖怪と聞いて霧乃は目を吊り上げた。吊り上げた目でなおも幻のファンを探していたが。
「あの変態どもがどうしたんですの」
「いい、霧乃。あいつら――」
待った、本当に「ニャル様の計画の邪魔を」なんて言ったって、霧乃が協力するわけない。むしろまたお漏らしして逃げ出すかも。
久里子は適度に事実をぼかすことにした。
「フェスの陰で何か企んでて、あたし達に秘密で何かやらかす気よ」いちおうウソは言ってない。
霧乃はたちまち顔に血が上ってピンク色になった。
「なっ、何ですって!? わたくしたちをのけ者に?」
寝起きの霧乃なんてチョロいもんだ、と久里子は思った。
「うん、いま連れ立って出てった」
霧乃はベッドから飛び降りた。
「ぐぬぬぬ、あいつらだけ目立つなんて許しませんわ! 久里子、わたくしたちも行きますわよ!」
「うん、円盤が戻ってきたら、あたし達も送ってもらおう」
霧乃はビシッと片腕を上げた。
「あんな変態どもより、わたくしたちPMRCこそが、地球代表としてふさわしいことを――」
ぐぎゅるるるるる。
霧乃の腹が渾身のシャウトを放った。
「・・・そこにご飯あるよ」
久里子が背後を指さした。
「はっ、腹が減ってはなんとやらですわねっ! 迎えの到着までに準備ですわ!」
さっそく食事に突撃する霧乃を尻目に、久里子は光をたたき起こすべく隣の部屋へ向かった。
「ゲホッゴホッ! なんですのこれは、紛らわしいカップにタバスコ入れとくんじゃありません!」
ファントムズの四人と一体は再びフェス会場の入口に降り立った。円盤を運転してもらったオブライエンには「フェスの出店とか見て回りたい」と言っておいた。
「んだば、帰るときは連絡してけろな」
「はーい、ありがとう」
「あんますいかがわしいとこは入っちゃあダメだずよ」そう言うとオブライエンは円盤でホテルに戻っていった。
「なに? そんなアダルトな店も出てんのかな」リアが呟いた。
「子供がそんなとこ行っちゃダメよ。そんなことより調査に集中しなさい」
「はぁーい・・・って、子供じゃないってばー!」
「あと、これ持ってて」
エレノアはリアにスマホを渡した。エレノアが持っているのと同型だ。
「なに? 宇宙スマホ?」
「地球のはここじゃ通じないでしょ。わたしとはそれで話せるから、失くさないでよ」
「もう、また子供みたいに。でもありがと」
「心配なら、わたしが体内にしまっておきましょうか」
「えー、ベトベトになりそう」
「がーん。そんなことないですよう」
一同はふたたびバックステージの廊下を歩いていった。昼間よりも人通りは少ないが、それでもフェスの上演中とあって、スタッフが何人か行き来している。警備員らしきエイリアンが目を向けてきたが、エレノアが出演者パスを見せるとそのまま通された。
やがて先ほどのリハーサル室に近いところで、エレノアが「関係者以外立ち入り禁止」と書かれたドアに目を留めた。ドアの横には何かの読み取り端末が付いている。
「その秘密兵器とかがあるならこの先みたいね。ここからはこっそり忍び込むことになるわ、いいわね?」
リア、アンナ、メラニー、沙奈は無言で頷いた。
「わたしもどれだけツールが使えるか分からないし、戦力にはなれないかもしれないけど。アンナ、頼りにしてるわよ」
「へ? お、おう、任せなって」
エレノアに頼られるという前代未聞の状況に、アンナは戸惑った。こいつも弱気なときは、けっこうカワイイとこあるじゃんか。
「いざという時はハデに暴れて、敵を引きつけなさい。わたしが逃げる間に」
「くそ、オレの同情を返せ」
「は?」
「何でもねえよ」
なぜか歯噛みしているアンナを横目に、エレノアは作戦指令を続ける。
「あんたたち三人は、とにかく見つからないように。攻撃力はほぼゼロだからね」
「ハイですう」
『らじゃー』
「万一のときは、わたしがなんとかしてみる」
「うん、あんたの超速ならなんとかなりそうね。期待してるわよ、リア」
『成功したらもう子供って言わないよ』
「今だって子供じゃないもんっ!」
「シーッ。とにかく、見つかることは極力避けてね。目的は調査よ。あんたも目立たないでよ」
「うるせ、分かってら」
「じゃ、行くわよ」
一同は目を合わせて頷いた。
エレノアがドアの取手に手を掛けたが、やはりカギが掛かっている。エレノアがスマホを取り出してドア横の端末にかざすと、なにやらスマホに構造図がチカチカと表示され、やがて画面の表示がパッと止まると、カチャリとカギの開く音がした。
「ふう、電子ロックでよかったわ」
「どんだけ万能なんだよそのスマホは。地球でATMドロとかやってねえだろな」
「失礼な。破ったのは役所の書類庫だけよ」
「あー、そーやって戸籍作ったんだね・・・」
ドアをそっと開いて中を覗くと、階段が下へ続いている。沙奈のテレビはアンナが抱えて、一同は階段を降りた。
階段を降りた下は配管や計器が並ぶ薄暗い機械室だった。向こうにはドアが見え、ドアの窓からは明かりが差し込んでいる。エレノアは計器の一つに目を留めた。どこかの電力使用量とあるが、表示がほぼ100%のレッドゾーンを指している。
フェスの夜の部でこんなに電気を使うわけがない。
「どうやらその秘密兵器が稼働中みたいよ」エレノアは小声で告げた。
「あっ」リアが声を上げた。
「シーッ」
一同は急いでリアの口を塞ぎ、機械の陰に移動する。
「静かにってば」エレノアが小声で制しながら周囲を窺う。幸い、誰も周りにはいなかったようだ。
「ゴ、ゴメン。いま、向こうの廊下をフーパーさんが通った」
「ほんと?」
「うん。あのキャベツ頭、まちがいない」
「やっぱりこの先に何かあるようね」
リアがフーパーを見かけた方向に首を伸ばし、つられて他の三人と一体も顔を出す。ドアの向こうは廊下が左右に続いていた。
エレノアが作戦を告げる。
「沙奈さんはテレビをここに置いて、辺りを探ってみて」
『了解! 利降沙奈、行ってまいりますっ』
沙奈は迷彩服に着替えてピッと敬礼をすると、身体の光を消した。テレビに例の段ボール箱を被せて隠すと、ふわりと浮き上がり、ドアの向こうに消えていく姿がかすかに見えた。空中なのに匍匐前進をしている。
エレノアたち四人もドアに近づいた。幸い今度はカギがかかってない。開けて顔を出して左右を見渡す。誰もいなかった。
「リア、メル、フーパーさんの後をつけて。わたしとアンナは秘密兵器を探してみる」
最後にもう一度四人は頷きあうと、リアとメラニーはフーパーの歩いていったほうへ、エレノアとアンナはその反対へ忍び足で進んでいった。
しばらくの後、別々の場所でリアとエレノアは同時にハッと気付いた。
しまった、エレノア以外は火星の字が読めない。
沙奈は気付くのが遅かった。
何やら物々しいロックの掛かった、いかにも怪しそうなドアを見つけて、沙奈は壁を抜けて忍び込んだ。その部屋にはまさに、いかにも怪しそうなホログラムが空中に浮かんでいて、この地下施設の見取り図らしき図形と、「ここ! ここが怪しいよ!」とでも言いたそうに点滅する区画が堂々と映し出されている。
ホログラムの図形の上には、ルーン文字とアラビア語とエジプト象形文字が玉突き衝突を起こしたような、意味不明の記号が並んでいる。たぶん火星語なんだろうが、沙奈にはさっぱり意味不明だ。もしかしたら「大公開!これがニャルラトテップの秘密基地だ!」と書いてあるのかもしれないが。
くそー、ここにエリさんがいればあっという間に解決なのに。
沙奈はホログラムの下や四方の壁を見回してみたが、映像を操作するらしいスイッチ類は見当たらない。
ははあ、これはどうやら音声コマンドというやつね。
『コンピューター、部屋を拡大』
映像はうんともすんとも動かない。
落ちついて、きっと何か別の単語で反応するはず。
『コンピューター、ズームアップ・・・プリーズ』
反応なし。
『コンピューターさぁ~ん、拡大してぇん、お願~い』
反応なし。
『おんどりゃ、拡大しないとぶっ壊すぞゴラア!』
反応なし。
『だーかーらー、拡大してっつってんでしょー!!』
沙奈はヤケになってホログラムにゲンコツを繰り出した。当然手は映像をすり抜けるだけ――と思ったら、部屋の画像がぬーんと拡大した。
くそー、タッチパネルだったのか。脚がすり抜けなければ地団太を踏みたいところだ。ていうか、幽霊でも感知するとは、さすが宇宙タッチパネル。
その部屋はかなり広く、見るからに怪しげでヘンテコな機械の映像が映っていた。これがフーパーさんの言っていた最終兵器かもしれないが、沙奈には何の機械なのか見当もつかない。
いや、待った。機械の一部だけは、似たようなのに見覚えがある。
部室の準備室にあるエリさんの転送機だ。
準備室はエレノア以外は立ち入り禁止になってるが、沙奈は入部前――エレノアたちの前に姿を現す以前――にエレノアの秘密施設を覗き見ていた。何しろ校舎内で二十年間ヒマをつぶさなければならなかったので、あの変ちくりんな機械の外見はよーく覚えている。
とすると、この火星の機械は、転送機のスーパーデラックスエディションかな?
沙奈はその機械の映像の横に、何か小さい画像が並んでいるのを見つけた。一つを触ってみると、ふたたび画像がぬーんと拡大表示された。
それは、リアに贈られた赤いフライングVギターだった。
リアがあれほどはしゃいで弾きまくっていた光景は忘れようもない。そして、そのギターがステージの大スクリーンにでかでかと映ったことも。間違いない、リアのあのギターだ。
沙奈は次の画像を出してみた。今度はアンナに用意されたドラムセット一式だった。これはもうどでかいゴングで疑問の余地はない。
次の画像。エレノアのキーボードデッキ。次の画像。メラニーのベース。次、マイクスタンド。次、PAコンソール。次、スピーカーアンプ。そして次――
あの巨大アンプだ。ご丁寧に、比較用に普通のアンプも小さく横に並んでいる。こんなおバカな機材が宇宙に2つとあるわけない。
てことは、これはフェスのために準備された機材リストか。なんだ、別に秘密じゃ――
次の画像で沙奈の手が止まった。それは機材ではなく、地球人の顔だった。
ジョージ・マーティンだ。
沙奈は息を呑んだ。リアさんたちの楽器は、地球製のを火星で合成したものだと、フーパーさんは言っていた。とすると、この、あの――沙奈が見かけたマーティンも、フーパーさんが、合成・・・?
喘ぎながら沙奈は小さいサムネイル画像に目を移した。次の画像も人物の顔だ。誰なのか頭ではもう分かっていたが、それでも震える手が拡大操作をした。
やっぱり。マルコム・マクラーレンだ。
あの二人はやはり、フーパーさんとナイさんの計画の一部で、ファントムズの楽器と一緒に造られた、えーと、クローンだかコピーか。
でもなんで? 宇宙の陰謀に、地球人のコピーを造って何をするの?
沙奈はさっきの地図の上に出ていた文章の翻訳機能がないかと思って、ホログラムのあちこちをつついてみたが、うまくいかなかった。というか、さっきの地図への戻り方がわからない。
ヤケになって、ホログラムに向かって飛び蹴りや、ピースサインや、フラダンスや、ムーンウォークや、その他思いつくかぎりの動きをしてみたが、うんともすんとも言わない。
肩で息をしながらすっかりバカらしくなった沙奈はとうとう、諦めて例の装置を直に見に行くことにした。このホログラムの解読をするより、そっちのほうが早そうだ。ひょっとしたらエリさんに合流して、ホログラムを解読してくれるかも。
沙奈はうろ覚えの地図を頼りに、装置がある部屋の方向へ壁をすり抜けた。
隣の部屋にその装置はあった。
というか、隣の部屋、じゃなくて空間全体がその装置の格納場所だった。その空間はドーム球場のように丸く広がっていて、ど真ん中にあの装置が鎮座している。部室にあるエレノアの転送機とは比べようもなく巨大で、ちょうどあの普通のアンプと団地サイズのアンプぐらいの違いがあった。
沙奈はいきなり眼前に出くわした巨大装置に目を丸くしていた。どう見てもこの空間とさっきの部屋は縮尺が違いすぎる。くそー、宇宙ホログラムめ。地図じゃなくてプレゼン資料か、あれは。
とにかくこれが件の秘密兵器だろうことはたぶん間違いない。これがただのイベント設備だっていうなら、デス・スターだってただの本社ビルだ。
沙奈はこの空間の場所を教えるため、それからホログラムを翻訳してもらうため、エレノアたちを探しに引き返した。
エレノアとアンナ、自称『美女と野獣チーム』は、身動きが取れなかった。
アンナの野獣並みの耳と鼻が、通路の横道を進んでくる、警備員らしき人物の気配を捉えた。このままだと通路の交差点で鉢合わせする。
通路にいてはまずいと、エレノアとアンナは手近のドアのない部屋に駆け込んだ。ぺたりぺたりと足音が近づいてきて、二人はさらに大きな箱の物陰に身を潜めた。エレノアはアンナの背中と壁に挟まれる格好になった。
その人物は部屋に入ってきた。近い側にいたアンナには一瞬だけ姿が見えた。背が高くて腕が四本の、フェスのバックステージで見た火星人の中でもとりわけ屈強そうな種族である。その火星人は通信機と、フライパンみたいな武器らしき道具を下げていた。まちがいなく警備員だ。
二人が息を殺して隠れる箱に足音が近づいてきた。足音が止まった。警備員がゴソゴソと身じろぎする音がした。
この警備員と一戦交えなきゃならないかもしれない。アンナは覚悟を決めた。箱の向こうの見えない相手に向かって歯を剥き出し、両拳を握り締める。
ふうううぅぅぅ。
音を立てずにゆっくりと大きく息を吐く。それにつれて、アンナの顔、腕、足に毛が伸び、足の関節が曲がって前屈みの姿勢になった。
アンナの背中に密着しているエレノアは、盛り上がる筋肉と、チクチクする毛を直に感じた。
息を吐き終えると、アンナの姿は人狼に変身していた。突き出した顎の上に光る目が、戦いに備えて箱の陰にいる相手を睨みつける。
箱の中で何かがゴトンと動き、箱の陰のアンナとエレノアに振動が伝わった。弾かれたように緊張が走る。アンナの首筋に掛かるエレノアの息と、背中に触れる鼓動がビクンと跳ね上がった。
警備員はまだこちらに気付いた様子はない。
やがてゴボゴボと液体の音が響き、警備員が箱に一歩近寄って、バタンと大きな音を立てた。
アンナは拳を握り締めた。
警備員はそのままぺたりぺたりと部屋を出て行った。
「「ふぅー」」
息をついた二人はそっと箱の陰から顔を出した。警備員の足音が廊下を遠ざかっていく。無人になった部屋の中には、野獣の嗅覚でなくても分かるぐらい、異様な匂いが漂っていた。さっきの液体の匂いだろうか。
「アンナ、今のうち――」
「待てっ、また誰か来た!」
二人は再びぱっと箱の陰に隠れた。棒のように固まっているうち、アンナの言う通りにまたぺたりぺたりと部屋の中に足音が入ってきた。さっきの警備員とは別の奴だろうか。
その警備員もまた、アンナたちが隠れた箱に近寄ってくる。アンナが不意打ちを食らわそうと、左拳を引き絞る。
警備員は箱の前で足を止めた。ゴソゴソ。ゴトン。振動。ゴボゴボ。バタン。そしてまた警備員は部屋を出て行った。
左手を振りかぶったままの姿勢で、アンナは顔を箱の陰から覗かせた。異臭が鼻をつく。背後のエレノアは緊張を解いて大きく息をしていた。
「いったい何なの――」
「待て、まただ!」
またもや二人はパッと隠れた。今度はいいかげん緊張よりも、「またかよ」感がこみ上げてくる。
ぺたりぺたりと足音が入ってきて立ち止まる。ゴトン。ゴボゴボ。ぺたりぺたり。異臭が残る。
アンナは背後のエレノアと目を見合わせた。さすがにもう事情が飲みこめてきた。
「オイ、もしかしてこの部屋って・・・」
「・・・自販機コーナーね」
それで入れかわり立ちかわり警備員が来てたのか。脱力しつつ状況は理解できたが、警備員はひっきりなしにやって来るので、身動きできないことに変わりはない。合間にひそひそ声で話をするのがせいぜいだった。
「まったくもう次から次へと」
「転送装置かなんかで移動できねえのか?」
「あれは地球に置いてきたでしょ、犬頭」
「んだとこの脂肪エイリア――」
ブイイイイイン! ブイイイイイン!
不意に激しい振動音が轟いた。ぎょっとして二人が固まる。
振動音はエレノアの腰からだった。スマホが振動しているのだ。慌ててエレノアが手をスカートのポケットに突っ込む。
「バカ、早く止めろ」
「あんたがジャマなのよ、ちょっと離れ――」
「ヌ? ナンダ?」
廊下から異様な声が響いた。ハッと二人が身を固める。と同時に振動が止まった。
アンナとエレノアは目を見合わせて、近づいてくる足音に身をすくませる。
足音が部屋の中で止まった。
「わ、ワオーン」
苦しまぎれにアンナが遠吠えをした。
沈黙。
「ナンダ犬カ」
ぺたりぺたりと足音は引き返した。
エレノアが必死に笑い声をこらえて肩を震わせる前で、アンナは「ぐぬぬ・・・」と歯ぎしりをする。
と、足音が止まった。
「マテヨ、ナンデ犬ガ・・・」
「どりゃああぁ!」
アンナは自販機の陰から飛び出し、一瞬のうちに警備員の背後に躍り出た。不意を突かれた警備員が反撃する間もなく、アンナは相手の胴体をがしっと掴んで抱え上げ、そのまま背後にバックドロップをかます。
ゴォーン。
地獄の鐘のような音を立てて、警備員の頭が床に激突した。
「だれが犬だこの野郎!」
アンナは気絶した警備員に向かって吐き捨てた。
エレノアがまだ笑いをこらえながら自販機の陰から出てくる。
「ぷぷぷ・・・さ、さすがね・・・とくに、鳴きマネが、くくくく・・・」
「やかましいこの」
アンナは警備員が下げていた武器を取り上げてエレノアを威嚇した。形はフライパンのようで、振り上げて相手をビビらすのにはちょうどいい大きさだ。
「ま、まあ、武器が手に入ったのはよかったわ。その脳波撹乱機は――」
「イッタイナンノサワギダ!?」
ハッとアンナとエレノアは入口を振り返った。別の警備員が一人、入口からこっちをはっきり見ている。
「アンナ、その武器を――」
「おりゃー!」
ぱかーん。
武器、というかフライパンは警備員の脳天に直撃した。警備員は数秒間その場で固まった後、ばったりと前に倒れた。
「――相手に向けてスイッチを押すのよ、バカ」
「ちゃんと脳波を撹乱させただろ」
エレノアとアンナは、いがみ合いながら二人目の気絶した警備員を部屋の奥へ引っぱった。さっきの警備員と合わせて二人を自販機の陰に隠すと、エレノアはアンナから武器を取り上げ、柄についているスイッチを二、三回カチカチと押し、舌打ちした。
「ああもう。壊れたわ」
「しょうがねえ、フツーにぶん殴れよ」
「ちゃんと使えば確実に倒せるのに、犬頭」
「ったく、使えねえ」
「あんたが壊したんでしょうが、この――」
「キサマラ、何ヲシテイル!」
入口から声が響いた。エレノアとアンナが飛び上がって振り向くと、また別の警備員がいた。例の武器をこっちに構えている。
アンナとエレノアは目を見合わせた。今度は不意打ちはできない。それに今はエレノアが武器を持っている。しかも故障。
「キサマラ、ドコカラ来タ」
警備員は武器を構えたまま部屋の中に踏み込んできた。アンナとエレノアは警備員を見た。そして互いを見た。
「「あっ!」」
二人が同時に警備員の背後を指差した。
「ヌ?」
警備員は背後を振り向いた。
ぱかーん。
エレノア渾身の一撃。警備員はドサッとぶっ倒れた。
「おー、ナイスショット」
「まさかあんたとこんなセコい手を使うなんて」
「オレの考えが読めたのか? 息の合ったコンビネーションプレーだったな」
「フン、こんなくだらないアイデアはあんたの考えそうなことだからよ」
「へへへ、でもそのくだらねーレベルのアイデアにやっとお前も到達できたわけね。ヴェリイナイスよ、エレンちゃん」
エレノアはアンナを睨みつけながら床に伸びている警備員を調べた。自分の構えていた武器を下敷きにして、フライパンの底に顔を突っ込んでいる。柄のスイッチが重みで押されていて、フライパンからは低い音がギュルギュルと唸っていた。それを顔面で受けている警備員は手足をビクンビクンと痙攣させている。
「なるほど、そーやって使うのね」
エレノアは武器を警備員の顔の下から引っ張り出し、調べると溜息をついた。
「バッテリー切れだわ」
「やれやれ」
「とりあえず通行バッジを頂いとこう」
アンナが三人目を自販機の陰に引っぱる間、エレノアは胸からバッジを引ったくり、自分の胸に付けた。
「いい、今度は頭脳作戦よ、わたしが警備員のフリを――」
「無理がありすぎだろ」
二人目は武器を持っていなかったので、エレノアたちの手持ちはバッテリー切れのフライパン2丁だった。無いよりはマシと1個づつ装備して、ようやく部屋から踏み出そうとしたその時。
部屋に入ってくる警備員二人組と鉢合わせした。
双方が面食らって固まった一瞬の隙に、エレノアはビシッと気をつけの姿勢をとり、ぴたっと敬礼した。
「不審な動物を捕らえました。本部へ連行します」
警備員二人はポカンと、バッジを付けたエレノアと、不服そうに唸る獣人アンナを見比べた。
「ソレデ、何デコンナトコニイル」
「テイウカ、オ前知ラン顔ダナ」
エレノアは敬礼の姿勢のまま冷汗を流している。アンナは「ほれ見ろ」とかぶりを振った。
「あれを見なさい」エレノアが指差した。
警備員二人が後ろを振り向いた。
ぱかかーん。
フライパン2丁がきれいにデュエットを奏でた。続いてどささっと、これまたタイミングぴったりに警備員二人は昏倒した。
「なーにが頭脳作戦だよ」
「なんなのこの部屋は、警備員ホイホイ?」
「だいたいお前がスマホ鳴らしたからだろ。電源切れよ、バカ」
「そうだった、スマホ」
エレノアがさっき振動したスマホを取り出して調べた。着信ではなく、建物内の分析が終わったお知らせだった。
「例の秘密兵器の場所だわ、たぶん」
スマホの画面によると、さらに地下へ下ったところに何か激しくエネルギーを消費している機械と、それが収まっている巨大な丸い空間を示している。いかにも秘密兵器っぽい場所だった。
エレノアが分析結果を調べている間、アンナは外の廊下に首を出して様子を伺った。さすがにもう警備員は品切れらしい。
「オイ、今なら誰もいないぜ。もうこの部屋やだよ」
アンナは部屋の隅の警備員の山を指しながら言った。
「そうね。この兵器を調べに行くわよ」
「ああ。リアたちにも知らせとけよ」
エレノアは表情を曇らせた。「大丈夫かしらね、あの子たち」
「まあ、リアの超速で、警備員はなんとかなるんじゃねえかな」
「いえ、迷子になってないかと」
アンナは目を泳がせた。「あー・・・まあ、メルもついてるし」
「だからよけいに心配なのよ」
部長ときどき保護者であるエレノアの心配は的中した。
リアとメラニーが通路を抜き足差し足で進んで数分後、「リアさん、ほかの人ぜんぜんいませんし、普通に歩いてもだいじょぶなんじゃないですか?」とメラニーが指摘した頃には、とっくにフーパーの行方は見失っていた。あげく殺風景な廊下のせいで現在位置も分からなくなり、焦ったリアは迷子の子供と同じ過ちをやらかした。全力で手当たり次第に道を駆け回ったのだ。
超速で走り回ること数十秒、リアの体感では1時間あまりにも感じられた後、もう一度メラニーに再開できたのは奇跡というほかなかった。リアは涙と鼻水を全開で垂れ流しながらメラニーの胸にダイビングした。
「メルぢゃああ~~~んん、よがっだああぁ~~~」
「え、えっと、よかったですねー、もうだいじょうぶでちゅよ~、よしよし」
リアが泣き止むまでにさらに数分を要した間、なんとかメラニーが聞きだしたところでは、フーパーはおろか人っ子ひとり通路にはおらず、いくつか怪しそうな部屋はあったものの、中の様子までは分からないということだった。
話を聞き終えるころには、リアに胸を貸していたメラニーの服はスコールに遭ったようにびっしゃびしゃになってしまった。
「じゃ、その怪しい部屋を見てみましょう。フーパーさんも、そんなに遠くへは言ってないはずですよ」
「うん、ひっく、えぐっ、わがっだ」
その部屋までは通路に点々と落ちているリアの涙と鼻水を辿ればよかった。他のドアと違って、こっちのドアにはまたもロック端末が付いているし、宇宙語でたぶん注意書きだろう表札が貼られている。通路の壁には天井近くに二十センチほどの換気用の窓がついているが、これはリアの身長じゃなくても中は見えなかった。
リアとメラニーふたりでピョンピョン跳ねてみても届かない。
「肩車してみる?」リアが聞いた。
「いえ、もっといい方法が」
十秒後、メラニーの目が窓の下から覗いた。
「どう? メルちゃん、見える?」リアは爪先立ちでバンザイしているメラニーの身体を支えている。
「ハイ、なんとか」
メラニーはバンザイした手の上に外した頭を持っていた。リアは首が取れたメラニーの胴体から慎重に目を逸らしている。
「リ、リアさん、くすぐったいで・・・あっ」
「どしたの?」
メラニーはパタンと爪先立ちから降りて、両手に持った首をリアに向けた。
「マクラーレンさんですう」
「う、うん、その前に、頭を戻してくれる?」
「あっハイ」
すぽん。
「えっと、マルコム・マクラーレンさんが、この中にいました」
「沙奈さんがステージで見たって言ってたね。なにしてた?」
「うーん、なんか画面見てて、それから階段を下りて行きました」
「階段? この部屋の中?」
「ハイ、下になにかあるみたいですね」
沙奈さんも地下への階段のことを話してた。
「きっとフーパーさんも一緒だね。なんとかして中に入れない?」
「じゃ、もういっぺん見てみま――」
また首を外そうとメラニーが頭に手を掛けたそのとき。
『♪管制塔よりトム少佐 君は見事にやり遂げた』
だしぬけに大音量の曲が鳴り響いた。
リアもメラニーも飛び上がった。
あたふたと周囲を見回し、次いで自分たちを見回した。曲が聞こえるのはリアの腰からだ。ポケットに手を突っ込むと、エレノアから渡された宇宙スマホがあった。ポケットから取り出したことで音量がさらに大きくなった。
慌てたリアはスマホを取り落とし、それをメラニーがキャッチし損ない、放り上がったスマホをますます慌てふためいた二人がお手玉し続ける。
『♪聞こえるかトム少佐聞こえるかトム少佐聞こえるかトム少佐』
スマホはお構いなしに歌い続けている。そうこうするうちに、宙に飛んだスマホはゴールにすぽんと飛び込んだ。
飛び込んだ先はメラニーの胸元だった。すかさずメラニーはムギュッと両胸を寄せ抱えた。スマホの歌はモゴモゴとメラニーの胸の間から漏れ聞こえる程度になった。
ほっとしたメラニーはにっこり微笑んだ。
リアはメラニーの寄せて膨らんだ胸をじっとりと見つめた。
「・・・ズルーい」
メラニーは胸を寄せたまま、フォローに困って笑顔のまま固まっていたが、そのとき。
ガチャッ!
「キサマラッ、何ヲシテルッ!?」
いきなりリアの背後の扉が開いて、歌を聞きつけた警備員が飛び出してきた。リアは跳びあがって後ろを振り向き、メラニーもドキリとすくみ上がった。
警備員は緑色の肌に四本の腕があり、そのうち一本が変な形の武器をこっちへ向けている。
胸を寄せたポーズのまま身をすくませたメラニーは、震えて言葉が出ない。
「わ、わ、わたしたち、その、あの・・・」
と、警備員もメラニーも、視界の隅で何かがパッと動いた。
警備員が気づいたのはそこまでだった。メラニーは姿を消したリアが、一瞬の後に警備員の背後に浮かび上がり、首筋に牙を突き立てるのを見た。
リアは瞳を赤く光らせて空中に浮かび、警備員は咬みつかれた衝撃に呆然として、メラニーは息を呑んで眼前の光景を見つめ、三人ともその場に凍りついたように動かなかった。リアが飲みこむコクンコクンという音だけがその場に響いていた。
やがて、リアの赤い瞳が緑色に変化したと思うと、警備員は貧血で床にくずおれた。リアは床に着地すると、唇から緑の血の筋を垂らして、膝を着いてしゃがみこんだ。
「うええぇ、火星人の血ぃ飲んじゃったあ」
メラニーが駆け寄った。「リアさん、大丈夫ですか?」
顔をしかめるリアは飲んだ血のせいか、瞳だけでなく顔色まで緑になっていた。メラニーが手を貸すと、胸の間で押さえていたスマホがコトンと床に落ちた。
スマホを拾うと、さっきの着メロの原因である、エレノアからのメールが表示されていた。
「エリさんからですう。みんな集合ですって」
メールの添付ファイルを開くと、集合場所の地図が出た。ありがたいことに、メラニーたちの現在位置と、ルートの道筋も表示されている。
「リアさん、道が判りました。やっぱりこの部屋の中から行くみたいですう」
「もう、エリさんがスマホをいきなり鳴らすから。うぅ、気持ちわる」
リアがフラフラと立ち上がった。その後ろでは警備員が出てきた扉が、開けたままになっている。
「まあ、お陰でドアも開きましたし。だいじょうぶですか?」
「火星ウイルスかなんかが伝染ったらどうしよお」
「あとでエリさんに予防注射かなんか射ってもらいましょう」
「そっちはもっと不安だよう」
ヴァンパイアの回復力でリアの顔色は徐々に戻っていった。メラニーはスマホの地図を掲げると、リアを先導して部屋に踏み込んだ。リアは辺りを慎重に見回しながらメラニーの後に続いた。もう二度と警備員に出くわすのも、あの血の味を思い出すのもごめんだった。
「あんますいかがわしいとこさぁ、入っちゃいけねェよォ」
フェス会場入口に円盤を着陸させたオブライエンは、着陸するが早いか飛び出していったPMRCの三人に向かって呼びかけた。
「ご心配なさらず! わたくしたちは正義の使者、健全なる青少年の代表ですわ!」
霧乃はそう言い返すとずんずんと会場目がけてのし歩いていく。その後ろに久里子が、決意と下心を漲らせてぴたりとついていく。ファントムズに遅れをとるまいとオブライエンを急かして来たので、二人とも着替えもせず、まだステージ衣装のままだった。
安らかに寝付いていたところを叩き起こされて連れて来られた光も、もちろん着替えもさせてもらえず、パジャマ姿で寝ぼけ眼のまま、二人によたよたとついていった。
ステージ衣装が幸いして、深夜近い時間でも会場裏口から入るのは怪しまれなかった。
「あいつらの楽屋を探ってみましょう。何か見つかるかもしれませんわ」
三人は昼間の記憶を頼りに、PMRCとファントムズの楽屋が向かい合っている通路まで来た。廊下は人気がなく、照明も薄暗い。
「うう、暗いですよう、委員長」
「ビクビクするんじゃありません、光! 忍び込むチャンスですわ」
霧乃がファントムズの楽屋ドアに手を掛ける。
「むー、開きませんわ。昼は開いてたのに」
「あいつらが帰ったからでしょ。機材が置いてあるんじゃない」久里子が口を出す。
「ますます怪しいですわね。ピッキングかなんかないんですの」
「あるわけないでしょ、ていうかどこが正義の使者なのよ」
「ちょ、ちょっと、声が大きいで――」
「オイ、オ前ラ、何ヲシテル」
だしぬけに異様な声がして、三人にライトがパッと当てられた。三人は跳び上がって振り向き、声の主を見た。
二人の警備員が立っていた。人間型だが、背が高く、腕が四本ある。腰にフライパンのような武器を下げていて、一人は懐中電灯をこちらに向けている。
暗がりに浮かぶ火星人の形相に、霧乃は後ずさって久里子に背中を押し付けた。光は気絶寸前だ。
久里子は霧乃の腰からなにかが押し当てられているのに気付いた。昼に飲んだ酔い止め薬の箱だ。
その箱を引っ張り出すと、久里子は霧乃に囁いた。「あたしが説得してみる」
酔い止め薬をウェイトレスよろしく掲げて見せながら、久里子は最大限に色っぽい(つもりの)猫撫で声で言った。
「あたしはユービックを持ってまいりましたの~~。通ってもよろしいかしら~~」
ダメ押しに「ムホ」と艶かしい(つもりの)笑顔を向ける。
警備員二人は、一瞬ポカンと久里子を見ていたが、
「手ヲ上ゲロ――ッ! 怪シイ奴メッ!」
二人そろって武器を久里子に向けた。
色っぽい(つもりの)ポーズの久里子がビクンと固まる。
「え? いきなりなんなの? 身体検査は? ユービックの配達なのよ~~」
久里子は懲りずに色仕掛けで迫り、「ナヨオナヨオ」と身体をくねらせる。
「向カッテ来ルゾ―ッ! 怪シイ動キダ―ッ!」
「撃テ―ッ!」
ばっ、と久里子は両手を挙げて立ち止まる。
「わーっ! 分かった! 動かないーっ!」
武器を向けられたままPMRCの三人は固まった。霧乃は久里子に冷たい視線をじっとりと投げかけている。
「くっ、さすが火星人! よくあたしがニセ物と見破ったね!」
素に戻った久里子が警備員を睨みつける。
「マヌケッ! ヒト目デ分カルワ、キモチワルイーッ!」
「客観的ニ自分ヲ見レナイノカバーカ!」
「なにい~」
久里子が罵声に顔を引きつらせる。
「・・・いいわ。武器なら彼が持ってる」
バンザイの姿勢のまま、久里子は背後の光を顎で指し示した。
「ふぇ? ぼ、僕は――」
「キサマ、動クナーッ!」
警備員二人は光に近寄ると、揃って光のパジャマの両肩を掴んだ。
バチバチィッ!!
「ゲッ!?」
パジャマの魔除けの威力で、警備員二人は背後に吹っ飛ばされ、壁に後頭部を打ち付けた。
「タコス!」
メキシコ風の悲鳴とともに、二人は床に伸びて動かなくなった。
「ちっ、自信なくすわ。・・・お、カギ見っけ」
「何なんですの、そのお下品な作戦は」
「僕に振るなんてヒドいですよう」
霧乃と光の抗議を尻目に、久里子は警備員からキーカードを引ったくり、ファントムズの楽屋のドアを開けた。
部屋の電気が自動で点くと、ファントムズの楽器と機材類が浮かび上がった。ライブ終了後にそのままステージごと移動して部屋に戻ってきたセットである。
PMRCの三人は、部屋の隅にそびえ立つばかでかいアンプをあんぐりと見上げた。
「な、なんですの、あのオバケスピーカーは」
「楽器もみんな新しいよ。あいつらきっとフェスのために作らせたんだ」
「あーやって楽器もらってるんだぁー、いいなあ~」
羨ましがる光を霧乃と久里子がジロリと睨むと、光はそそくさと部屋の反対側を見回した。部屋の中には他に半開きのトランクが一つ残されているだけである。
久里子がトランクの中を覗き込んだ。
「な、なんじゃこりゃあ・・・」
トランクの中にあったものを久里子はつまみ上げてまじまじと見た。レザーのベルトと金具類のほか、両乳首と股間にごく僅かな布地があるだけの、ほとんど露出狂としか思えない服、というか拘束具だった。
それはアンナに却下されたステージ衣装だった。けっきょく楽屋にそのまま放置されていたのだ。
「あの変態ども、いかがわしいショーで視聴数を上げるつもりですわね!」
光はボンデージ衣装に顔を赤らめている。「そ、それがその、"秘密計画"なんですか?」
久里子は手に持った衣装に顔をしかめながら考え込んだ。その程度なら"秘密"とはちがう気がする。セクシー衣装なら、むしろ始めから見せびらかすんじゃないか。
まさか、ニャル様の愛人の座を狙うつもりなのか。いや、まさかね。だいいちあの連中には、どう見てもセクシー路線は無理そうな奴が一人いるし。
「とりあえず、そっちの機材に何か変なとこないか、調べてみよう」
久里子はボンデージをトランクに戻すと、手近の楽器に歩み寄った。光と霧乃もそれに続いた。
「このキーボード、"メガトロン"って書いてあります。ロボットに変身するんでしょうか」
「それで火星を攻撃するのかしらね。もしやこのオバケスピーカーは、オバケロボットに」
「本当にそうなら、わたくし達の手で止めなくてはなりませんわ」
部屋の中央には円筒形の物体が置いてあった。のっぺらぼうでやけに目立つ、楽器やPAとは毛色の違う物である。霧乃はそれに近づいた。
「もしかしたらこれがロボットのコントローラーかもしれませんわね」
その円筒にはただ一つ、てっぺんに「押すな!」と書かれたボタンがある。日本語で。
「きっと自爆装置に違いありませんわね! 妖怪どもの企み、この白菊霧乃が粉砕してくれますわ! ほほほほ!」
「ちょっ、霧乃、自爆スイッチを自分で押すやつが――」
「えい」
バシン。
霧乃は一瞬のためらいもなくボタンを押した。
久里子が目を覆ったその瞬間、爆発――じゃなくて、円筒の側面がバカッと一斉に開いた。
シルシルシル。
円筒から四方に、一斉に金属のワイヤーが飛び出した。ワイヤーの先端には、二つに分かれたリングがついている。
ガシン!ガシン!ガシン!ガシン!
「きゃっ!?」「わ!?」「ひいっ!?」
ワイヤーの先のリングは、久里子の両手首、光の両手首、霧乃の両手首と両足首を捕まえて閉じた。そのままワイヤーは三人を上空へ掴みあげる。
「おわー!?」
手枷と足枷に吊り下げられた三人は、円筒のある部屋の中心へ引き寄せられ、ドシンとぶつかり合った。
「なにやってんのよ、早く解除スイッチを・・・」
「もがふが、暗いです、息が苦しいです、汗臭いです」
「ちょ、光、そこはわたくしのスカート――」
バリバリバリ!
「ぐぺぽっ」
ワイヤーに電撃が走った。吊り下げられた三人は、為す術もなく痺れて空中でガタガタと全身を震わせた。
やがて電撃が止まると、失神した三人をワイヤーはゆっくりと床に降ろし、手枷だけを残してワイヤーは円筒内にシルシルと戻っていった。
気絶して拘束された三人の闖入者はぴくりとも動かない。数分後、部屋の灯りがフッと消えた。
エレノアとアンナは、幸いその後フライパンを使うことはなかった。いや、使ったことは使ったのだが、それはいきなり眼前に出くわした沙奈に対してだったので、ノーカウント。
「わきゃっ!?」
ビュンッ!
壁から現れた人影にエレノアは反射的にフライパンでアッパーを繰り出したが、手応えはまるでなく相手をすり抜けた。逆にエレノアが反動であさってのほうへ振り抜き、アンナがそれを避ける羽目になった。
『わっエリさん。落ちついて、私よ私』
「えっ、沙奈さん!? 驚かさないでよ、もう」
「あっぶねえな、いきなり振り回すなよ」
『うおっ、動物が喋った!?』
「バカヤロー! オレだオレ!」
鉢合わせした一人と一匹と一体がひとしきり驚きと謝罪を口にした後、偵察の成果を報告しあった。
『すっごい大きなマシンがあった。きっとあれが、例の秘密兵器よね』
「ええ、わたし達もそこに向かってるとこよ。リアたちも呼んだわ」
「警備員もウヨウヨいるぜ、ぜってー怪しい」
『あとね、その装置の作戦室みたいなのも見っけた』
沙奈はホログラムの部屋の話をした。エレノアとアンナは、有名人リストの話に身を乗り出した。
「たしかに何かありそうね。ナイさんの計画が何なのか、そこへ行けば分かるかも」
「スゲーじゃん、やったな」
『エヘヘヘそれほどでもぉ』
沙奈の世にも不気味な照れ顔に、エレノアとアンナの浮かれ気分は冷めていった。
「それで、そこの場所分かる?」
『うん、こっちこっち!』
沙奈はエレノアの手を取り――のつもりで手がすり抜けたが、構わず、一直線に目指す方角へ引っぱった。
「って壁の中じゃない!」エレノアは沙奈が消えた壁の前で叫ぶ。
沙奈が頭を掻きながら壁から首を出した。『やはは、ゴメンゴメン』
エレノアがスマホの地図を出し、沙奈が目標の部屋の位置を探して、一行は通路を進み出した。
やがて巨大なドーム状の空間に出た。エレノアとアンナは眼前にそびえる巨大装置に目を見張った。エレノアたちがいるのはドームの内壁をとり巻く通路で、上にも下にも何階分も通路が走っている。
「これは・・・どう考えても例の秘密兵器よね」
「でっけえ・・・何の機械だこりゃ?」
「一部は転送機に似てるけど、こんな大きいのは見たことないわ」
『あのアンテナからビームかなんかが出たりするのかな』
「分からない。それより、沙奈さんの言ってた部屋に行ってみましょう。この装置のことも分かるかも」
エレノアはスマホの地図を見た。今の通路から数階上がったところにある。その地図に新しく光点が現れた。
「リアたちも来たわ。上の通路にいる。沙奈さん、呼んできてくれる?」
エレノアが沙奈に地図を見せると、沙奈は『はーい』と飛んで床をすり抜けて行った。
「よかった、あいつらも何とか無事だったみたいだな」
やがて上の通路から「うひゃっ!?」と声が響いた。リアとメラニーが床から現れた沙奈に驚いた悲鳴だった。アンナとエレノアが数階上に登ったところで、二人を見つけたリアが突進してきた。
「アンナアアアアよかったあああああ~~~」
「・・・やっぱ無事じゃなかったか。こら、ハナをつけるなハナを」
「シーッ、静かに」
再会にむせび泣くリアを引き剥がすと、後から走ってきたメラニーと沙奈も合流した。
「マルコム・マクラーレンさんを見ました。ここのどこかにいると思いますう」
『やっぱこの装置と関係あるみたいね』
やがて一同は目的の部屋の前に着いた。今までエレノアが破ってきた扉とは格が違う、見るからに厳重そうなロックがついている。いかにも最重要司令室っぽい部屋だ。
「これは生体認識ロックだわ。わたしでも無理よ」
一目見るなりエレノアは匙を投げた。
「ここまで来てそりゃねえぜ」
「沙奈さんはカンタンに入れたのにい」
このときばかりは、いとも簡単に壁をすり抜けられる沙奈がうらやましい。
「いくら火星のセキュリティでも幽霊までは想定してなかったみたいね」
「沙奈さん、中から何とかして開けられませんか?」
『何とかしたいけど・・・私、ドア触れないし』
「ドアの装置に取り憑いてみるとか?」
「やめて。ヘンなことして警報が鳴ったらまずいわ」
「他に窓かなんかねえのかよ」
沙奈は壁を抜け、また出てきた。『ううんダメ。天井に通気口があるだけね』
一同は天井を見上げた。格子がはまった通気口が見えるが、大きさは二十センチ程度だ。
「あんな大きさじゃ、せいぜい子供しか通れないわね」
「子供・・・おいリア――」
「子供じゃないよっ! ていうかわたしだって通れないよっ!」
さすがのリアもそこまで小さくないと、みんな心の中で意見が一致した。
『あ、あと、扉の向こう側にボタンがいっぱいあった。あれなら私でも触れる』
「もしかして、ロックの外し方が書いてあるかしら?」
『・・・と言いたいとこなんだけど、火星語で』
「あー」
一同はがっくりと溜め息をついた。火星語を読めるのはエレノアだけだ。
そのとき、メラニーがおずおずと進み出てきた。
「あのう、エリさんがスマホで見ながら、沙奈さんにボタンを操作してもらうって、できますか?」
「え?・・・まあ、できるかも」
「リアさんに渡したスマホで、部屋の中を見て、エリさんの声も送るって、できますよね?」
「ええ、でも、スマホをどうやって部屋の中に――」
「わたしが手を貸します」
五分後、スマホは廊下側の通気口から、部屋の中の通気口へ届いた。天井の格子からスマホが覗く。
『やったね! そこでスマホを格子の下に通して、メルさん』
「んしょ、こうですか?」
スマホはメラニーの右手が持ち、右腕はメラニーの左手が持ち、メラニーの左腕をリアが持っていた。リアは片手を通気口の中に伸ばし、下でアンナが肩車でリアを担ぎ上げている。
「ヒイイ、メルちゃんの手が動いてるう」
リアは手の中でひとりでに蠢くメラニーの腕を必死に捕まえていた。おまけにお尻がアンナの毛でチクチクする。
「手を貸すって、ムズかしいですねえ」両腕のないメラニーは、通気口の中の腕を動かすのに集中して、宙を見つめている。
「いいわ、見える。沙奈さん、聞こえる?」
『ハイハーイ、聞こえますよお』
エレノアがもう一台のスマホで、通気口からの映像を見ながら呼びかけると、元気な返事が返ってきた。
「よし、じゃまず・・・上に並んでるやつの、右から二番目の、黄色いのを押してみて」
そうして数分の間、エレノアと沙奈はドアのボタンをあれこれ探っていた。
「オイ、まだかよ」リアを肩車しているアンナが不平を漏らした。狼の曲がった脚のせいで中腰にならざるを得ないので、さすがに辛い。
「もうじきよ、がまんなさい」
「ア、アンナ、動かないでよ、お尻がチクチクして」
「わわ、リアさん、くすぐったいですう」
「メル、揺らさないで・・・沙奈さん、今度は青いボタン」
アンナは脚をプルプルと震わせている。
「・・・くっ、もうダメ、限界」
「わわわ、アンナ、揺らさないで――」
「リ、リアさん、スマホが落ち――」
「黄色よ!」
アンナが尻餅をつき、その上にリアがどてっと墜落したのと同時に、ドアのロック装置のランプが色を変えた。
一瞬の後、ドアが横に開いた。エレノアはほっと息をついた。
ドアの向こうでは沙奈が笑顔で待ち構えていた。
『やったわね! これぞチームワークの勝利!』
「ご苦労さま、沙奈さん」
エレノアはさっそく部屋に足を踏み入れた。廊下ではまだアンナたちがもがいている。
「リア、降りろ。尻尾が、イデデ」
「ごめん、わたしもお尻が」
「あの、すみませーん、わたしの手を取ってください」
両腕を通気口内に置いてかれたメラニーがオロオロと床のアンナとリアに頼んでいる。部屋の中では、通気口から落ちたスマホが、床に当たってヒビ割れていた。
『ごめん、私、キャッチしようとしたんだけど』
「無理よね。まあ仕方ないわ」
エレノアはさっそくホログラムを操作し始めた。すぐに映像リストが現れる。沙奈が前に見た、ファントムズの楽器と、それからジョージ・マーティンと、マルコム・マクラーレンの顔と。
『これがその、ナイさんの計画なの?』
「分からない。これは・・・"製作済み"と書いてあるわ」
エレノアと沙奈は顔を見合わせた。やっぱりあの地球人二人は、火星で"製作"されたクローンか何かなのか。
『じゃ、あのでっかい機械は?』
エレノアはホログラムに巨大装置の画像を出した。その間にリアとアンナと、両腕をつけ直しながらメラニーが部屋に入ってきた。
「このへんの形からして転送装置の応用だと思うけど、具体的なことは書いてないわ。ただ・・・"アカシック計画"とだけ」
『アカシック?』
皆はホログラムに映る巨大装置をじっと見つめた。
「アカシックって何のこと?」
「赤くてシックなファッションですかねえ」
「んなアホな。教会っぽいメタルだろ」
「それはゴシックですう」
『なんか火星で聞いたような』
エレノアはホログラムをあちこち操作していたが、やがて手を下ろした。
「ダメだわ。これ以上分からない」
『えー、そんなあ』
「情報がないのよ。"アカシック"って単語がやたらと出てくるだけで、具体的な説明が何も書かれてない」
「ったく、使えねえな」
「せっかく苦労して来たのにい」
「わたしに文句言わないで。このデータが元からほんのちょっぴりなのよ」
皆の顔に失望の色が浮かんだその時。
部屋のドアがピシャリと閉まった。
『当然でシょう。予告から肝心なことは明かシたりしませんよ』
だしぬけに部屋の中に耳障りな放送音が響いた。
フーパーの甲高い声だ。
一同はぎょっとして部屋を見回した。
「やべっ、バレた!」
『みんな、ここから出――』
沙奈が近くの壁に突進し、ボヨンと弾かれた。
『うひゃっ!?』
空中に弾かれた沙奈は、再び壁に向かい、手を伸ばしてはボヨンボヨンと押し返されるのを、信じられないと繰り返している。
「まずいわ、フィールドを張られた」
沙奈はさらに天井や床でもボヨンボヨンを試していた。自分が触られる感触は二十年ぶりだ。
『わー、さすが火星、進んでるわあ』
「感心してる場合じゃないよっ!」
「このっ!」
アンナが扉に体当たりをかまし、つぎにドアノブに手を掛けて「ふぬー」と引っぱる。人狼のパワーをもってしてもドアはビクともしない。
『ジタバタなさらずに。ファントムズの皆様には、いずれ"アカシック"の一員となっていただく予定でシたから』
ふたたび聞こえたフーパーの声に、一同は顔を見合わせた。
「なにそれ、どういう――」
リアが叫びかけて止めた。部屋の中全体にチラチラと光の靄が瞬いている。
「まずい、転送よ!」
エレノアが叫んだときには、四人と一体の身体は光の靄に覆われて輝いていた。
「うお、またかよおぉぉ・・・」
「・・・ぉぉぉおお、痛てっ」
光が治まったとき、四人と一体は広大な部屋の中にいた。扉をこじ開けようとドアノブに取りついていたアンナは、そのままの姿勢で実体化すると同時にドアノブの高さから床に落ちた。
「見て!」
リアが叫び、他の三人と一体は、リアの視線を追って上を見上げた。
そこに聳え立っているのは、さっきドームの壁から遠目に見た巨大装置だった。今ファントムズがいるのは、そのドームの中央、装置の足元だ。改めて間近から見上げると、アンテナを空に向けたその装置は、装置というより工場か天文台のような大きさだった。
「よおぉこそファントムズの皆様、我らアカシック・コミュニケーションが誇る、宇宙史上最大のプロジェクトへ」
巨大装置のてっぺんにフーパーが立っていた。いかにもラスボスといった態度だ。とはいえ、こんな巨大メカに乗っていたら気が大きくなるのも分かる。
それはともかく、フーパーの言葉にエレノアと沙奈がハッと気付いた。
「あぁ、"アカシック"って」
『フーパーさんの会社だったね』
そういえば火星へ着いた直後、フーパーがしきりに経歴自慢をしていた間に、何度かその名前を口にしていた。誰もマジメに聞いてなかったが。
「いったい何をするつもりなんですか、フーパーさん!」
『このメカがナイさんの計画なんですか』
エレノアと沙奈が叫んだ。
「左様でス。ですがニャルラトテップ様は単なるスポンサーでございまス。プロジェクトの立案と実行は、全てこのワタシの天才頭脳の成せる業」
キャベツ顔のせいでフーパーの表情はよく分からないが、声と態度には優越感がありありと出ている。
「いったいプロジェクトって何なの!」リアが叫ぶ。
「そう焦らずに。先程ご覧いただいたのは、単なる予告サイトでスから」
『へ? よ、予告サイト・・・?』沙奈がポカンと口を開けた。
「はい。あなた方がモニタールームでご覧になった、ホログラムのインタラクティブ資料でス」
エレノアたち四人も合わせてポカーンと放心した。苦労して暴いた極秘資料だと思っていたのが、ただの広告だったとは。あの潜入の苦労は何だったんだ。
『なんでまたあんな厳重な部屋に』
「発表予定はフェス最終日の予定でシたので」
早とちりで他の四人を引っぱり回したのが気まずい沙奈は、なんとか挽回しようと追及を続ける。
『とっ、とにかく、そのプロジェクトとこのでっかい機械のことは説明してもらうわよっ』
「よろしいでスとも」フーパーはあっさり認めた。「ファントムズの皆様も、計画の大事な一員でスからねえ」
四人と一体は驚きに口をつぐんだ。さっきも転送される前、フーパーが同じことを言っていたのだ。
沙奈が四人に向き直った。『そういえば、ナイさんもファントムズに協力させるって言ってた。しかも私たちのほうから、喜んで協力するって』
「何だよそれ」
フーパーが上から得意げに説明を続けた。
「左様でス、全てはニャルラトテップ様より、フェスの運営を依頼されたのが始まりでシた」
下の全員の注目が集まるのを待ってから、フーパーは続けた。
「ですが、ニャルラトテップ様は一回限りのイベントではなく、恒久的な音楽の供給をお望みでシた。オグドル=シル様はじめ、神々はフェスの後も音楽をご所望のはずと見越してのことでス」
確かに、そもそのこのフェスにしてから、あのニョロニョロ神さまがもっとロックを聞きたがったから、開催されたんだった。
「そこでこの天才プロモーターたるワタシは考えまシた。我らアカシック・コミュニケーションが、単発のイベントではなく、神々のための音楽そのものを提供するのでス!」
フーパーはもう一度下の様子をちらりと伺って、四人と一体が固唾を呑んで説明の続きを待っていることに満足した。
「古今東西、宇宙のあらゆる叡智と歴史の結晶たる、エンタテインメントの殿堂! その名も――」
そこで勿体ぶって言葉を切る。突如として照明が暗くなり、どこからともなくドラムロールが鳴り響き、スポットライトが宙を行き来し始めた。ファントムズは唐突な演出にキョロキョロと上空を見回す。
ジャーン! シンバルと同時に、スポットライトに映像が照らし出された。
「"アカシック・レコード"でス!」
四人と一体は空中に映し出されたきらびやかな映像をポカンと見上げた。虹色に光り輝くフォントと、周囲に宝石だのライオンの紋章だのが所狭しとちりばめられた、"アカシック・レコード"のド派手な企業ロゴだ。見るからに「金かけました」アピール全開のえげつない映像だった。
言葉もないのを感動と解釈したのか、フーパーがさらに熱を帯びた口調でまくし立てる。
「これぞ宇宙すべてのジャンルを網羅した究極のブランド! アーカイヴは宇宙誕生からの全て、マーケットは全生命体、クオリティは神レベルでス! そしてワタシはCEO!」
「待て待てちょっと待て!」たまりかねてようやくアンナが口を開いた。
「あ、あのう、それってつまり・・・レコードレーベルなんですか?」メラニーが律儀に手を上げて質問した。
フーパーは得意満面にふんぞり返る。あの表情は得意満面なんだろう、たぶん。
「いかにも。ですがただのレーベルではございまセん。宇宙のあらゆる――」
「いや、そこはいいからさ、その・・・ナイさんの計画っていうのは、レーベルの設立なワケ?」
リアが遮った。フーパーは口上を止められて不服だったが、CEOらしく沈着に応対した。
「左様でス。それこそが、このフェスの真の計画なのでスよ!」
ひときわ高く、両手をばっと挙げて宣言し、フーパーは聴衆が衝撃に打ちのめされる間を待った。
自らのビジョンに酔いしれた後、フーパーは聴衆の反応を見下ろした。
「はぁ・・・」
「なーんだぁ」
『そんだけ?』
「そうなんですかあ」
「あんだよ、大げさに」
ファントムズは一様に拍子抜けしていた。
「え? ちょ、ちょっと皆さん、ここは『何だってー』とのけぞるシーンじゃありまセんか」
CEOの威厳をかなぐり捨てて、フーパーはあたふたと無反応の聴衆に呼びかけた。
「だってー、あのナイさんの秘密計画とかいうからさ、何かよっぽどスゴいことかなって」
「宇宙征服とかな」
「わたしもそんなふうだと思ってましたあ」
「まったく、沙奈さんが大げさに心配するから」
『えー、私のせい?・・・よね。・・・ゴメン』
四人と一体は口々に拍子抜けした安堵を漏らしていた。フーパー一世一代のプロモーションは完全無視だ。
「あ、あのう、皆さん、レーベルでスよ? 全宇宙なんでスよ!?」
なんとか注目を取り返そうと、フーパーは必死に呼びかける。
「んなもん、フツーじゃん、業界じゃ」アンナがだるそうに返した。
「レーベルのお仕事、がんばってください」メラニーがきちんと挨拶する。
「はあ、恐れ入りまス・・・じゃなくて、それだけなんでスか!? ニャルラトテップ様じきじきのプロジェクトなんでスよ!?」
「えー、でも、わたしたち、沙奈さんからそう聞いただけだしい」
四人が一斉に沙奈を見る。
『うう、だってえ、ナイさんがぁ、"真の宇宙支配"とか"汝らには止められぬ"とか言うんだもん・・・』
沙奈は申しわけなさそうに顔を背けて、弱々しく光っている。
「たしかに、紛らわしいわね」
「ナイさんって、時代劇しゃべりだしねー」
「いちいち言うことが大げさだよな」
「沙奈さんは悪くないですう」
『ありがと・・・』
四人は沙奈を囲んで慰めあっている。完全に視界外のフーパーは、必死に下に向かって呼びかけた。
「みなサーん! アカシック・レコードの活動内容とか、気になりまセんかー!? ほらほらほら、この秘密超兵器"インターギャラクティック・フェイザー"とかー!?」
秘密超兵器の名前を自分で明かしておきながら、フーパーは手をバタバタさせる。
「どうせ宇宙放送の電波塔かなんかでしょ」
エレノアが一ミリの関心も込めずに言った。フーパーのバタバタが止まった。
「じゃ、わたしたちが"喜んで協力するだろう"ってのは?」リアが訊いた。ただし、フーパーにではないが。
「そうでス! それは――」
「これからもイベントに出ろってことじゃねえか?」
「もしかしたら、レコードデビューかもですう」
「うひゃー、レコード!? どうしよどうしよ!?」
「あ、あのう、みなサーん・・・?」
アンナとメラニーは早まってはしゃぎ回るリアを抑えている。もはやフーパーは存在すら忘れられていた。
「おいエリ、お前も何とか言ってやれよ」
「フフフフ・・・レコード・・・上等ね、うふふふ・・・」
エレノアはあらぬ方角を見上げ、目を爛々と光らせて耳まで避けそうな笑みを浮かべていた。こっちのほうがよっぽど悪の首領っぽい。
「そういえば、ジョージ・マーティンさんとかマルコム・マクラーレンさんとかは?」メラニーがふと思い出した。
『あ、忘れてた。ねえフーパーさん?』
ようやく沙奈の視線が向けられたフーパーは、ほとんど泣きそうな声を出す。
「よかった、やっと聞いてくれる気に・・・じゃなくて、ふははは! よくぞ聞いてくれまシた!」
『いや、それもういいから』
「はっ、申しわけ・・・じゃない、ゴホン! お見せシましょう! 我らの計画の真の姿を!」
態度が大きいのか小さいのかわからないCEOだ。
「お二人は、そちらに控えておいででス!」
つとめて威信ありげに、フーパーはドームの一角に向けてばっと腕を差し出した。
ファントムズは一斉にそちらを向いた。
ドーム壁の通路に、二人の地球人が立っている。沙奈たちがテレビで見たのと同じ、そしてスマホの検索画像と同じ顔、ジョージ・マーティンとマルコム・マクラーレンだ。
「うおーすげー本物だ!」「キャー信じらんない!」「ほ、本物だわ・・・」「サインくださーい!」『握手してくださーい! 触れないけど』
「あ、あのう、みなサーん・・・」
「あーハイハイ計画ね」
『早く済ませてよ』
ものすごく適当に説明の続きを求められた。
「ゴホン、で、では、我らアカシック・レコードが宇宙に展開するにあたり――」
「あーもうそ-ゆーの飛ばしてさ、チャチャッと」
アンナがじれったそうに手をヒラヒラさせた。フーパーは上着の裾を握ってプルプル震えている。
「・・・か、彼らは、アカシック・レコードの、製作部長とマーケティング部長でス」
「「おおー」」
ようやく大きな反応が出た。ファントムズは互いと遠くの二人を見比べながら、「さすが名プロデューサー!」「ヘッドハンティングね!」とガヤガヤ騒いでいる。
と、メラニーが手を上げた。「あのー」
「ハイ、何でシょう」
思わずフーパーは律儀に対応する。とても腰の低いCEOだ。
「マーティンさんとマクラーレンさんって、お亡くなりですよね?」
他の三人と一体もぴたっと静まった。伝説の有名人に会えた興奮で、故人だった事実はきれいに忘れていたのだ。まあ、もっとも、死人が生き返ったこと自体は、実例が二人も身近にいるせいで、あんまり衝撃じゃないが。
それはともかく、ついに演説の機会が巡ってきたフーパーは、背筋をシャキッと伸ばし、この時のために広報部に用意させたスピーチを始めた。
「いかにも! 我らアカシック・レコードが宇宙を掌握する武器、その最後のピースが手に入ったのでス!」
『掌握って、大げさな』沙奈が呟く。
「いいえ、決して大げさではございまセん! エンタメ界のみならず、宇宙の覇権を手にするのが、我らアカシック・レコードなのでス!」
「・・・えーと、それで、あのお二人は・・・」メラニーが質問の答えを伺う。
「フハハハ! お答えしまスとも! その武器こそ、あのお二人、あなた方ファントムズ、そして――」
フーパーはびしっとドームの頂点を指差す。
「地球なのでス!」
ファントムズは一斉に「はあ!?」と口を開けてフーパーを見上げる。
これこそ、フーパーが望んでいた反応だ。
「ランバート様、これが電波塔だと仰ったのは、大間違いでス。見せてあげまシょう、インターギャラクティック・フェイザーの真の能力を!」
そう言うとフーパーは何かを取り上げ、頭にかぽっと被った。建設現場のヘルメットだった。
「しばらくお待ちくだサいね」
ファントムズが呆気にとられて見守る中、フーパーが今度は何かの端末を取り出し、ぽちぽちと押し始めた。
そうして一同がポカーンと待つこと数秒。
ゴゴゴゴゴゴ。
いきなりドーム全体に轟音が鳴り響き、床がビリビリと震えだした。浮いている沙奈以外の四人は、みな振動に驚いて床に座りこんだ。
仰向けの四人の目に映ったのは、ドームの天井が割れて左右に開いていく光景だった。天井の隙間からは星空が覗き、次第に大きさを広げていく。
振動は天井のせいだけではなかった。横を見ると、ドームの壁が下に流れていくのが見えた。ドームの床全体が上昇しているのだ。フェスのリハーサル室のように。通路にいるマーティンとマクラーレンは、ヘルメットをかぶって手すりにつかまっていた。
そして巨大装置も動き出していた。アンテナが徐々に角度を変え、上空へ向いていく。
「ご覧く・・・うおっとと・・・ご、ご覧くだサい! アカシック計画の真の姿を!」
装置の上に立っていたフーパーが、立ち位置の傾斜によろめきながら、高らかに宣言した。
周囲数メートルの壁を残して、天井の開口と床の上昇が止まった。円筒形の巨大な広場のようになった部屋で、巨大装置が夜空を背景にアンテナを上げ続ける。と、装置の横の空中にスクリーンが現れ、アンテナの目標らしき宇宙空間の映像が映った。アンテナの角度につれてスクリーンの宇宙空間が移動し続ける。
やがてアンテナの移動がガゴンと止まり、スクリーンの中央にはっきりと見覚えのある映像が映った。青くて丸い星。
地球だ。
「さあさあ、アカシック・フェス、メインイベントの開幕でス! その名もインターギャラクティック・プラネタリー!」
ヘルメットを放り投げながら、フーパーは気付いた。しまった、こっちのフェス名のほうがよかった。