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3 火星の生活

 宙域2814の恒星系第四惑星は、土着種族のサーク語では"バルスーム"、第三惑星語では"火星"と呼ばれている。@#@@人による呼び名もあるのだが、他種族は誰も発音できないので、省略。

 第四惑星に生息する種族は、前出のサーク人、外来種の@#@@人に加え、軟体質で触手を持つ種族(テレパシーでしか会話しないため、種族名は不明)、また第三惑星人に酷似した種族もいる。この他、殖民というほどの規模ではない宇宙各地からの来訪種や、逆に第四惑星を去った種族もいくつか確認されている。

 火星と地球間の交易は、公式には現在断絶状態にあるが、歴史上では何度か接触が起きている。地球人カーターが空間転移によって火星に現れ、同型人の王位に着いたことがあるが、地球では公式記録とされていない。逆に軟体種族や@#@@人が大規模な地球侵攻を企てたこともあるが、地球の大気汚染(微生物および特定周波数の音波)によって侵攻者が全員死亡しており、それ以降は火星から地球への大規模な侵攻は頓挫したままである。理由は主として採算が合わないためである。

 地球の航宙技術は火星より大幅に劣るため、地球から火星への侵攻は、数回の無人探査機の派遣と、数名の地球人の調査着陸にとどまっている。これらの成果は、無人地区の地表の成分分析および自然光による観察のみである。ただし一度、先住種族の遺跡(この種族の顔をかたどった巨大建造物)を発見されたことがあるが、地球では黙殺同然の扱いである。

 火星種族の侵攻と同様、地球種族の火星侵攻も技術的および採算的理由で実現には至っていない。ただし、先述のカーターの件にもある通り、火星の大気は地球人でも生存可能である(酔狂な外来種族が、地中の氷から熱反応装置により大気を生成した)が、その事実は地球人には慎重に隠蔽されている。

 すなわち、地球の探査機に対する、周辺大気の局地減圧と、荒地のカムフラージュ映像投射である。この措置により、地球人は未だ火星は移住不可能な未開惑星だと信じている。現在は、環境改造(テラフォーミング)のために地球の生物を火星に送る計画が進行中であるらしい。

 しかし最近では、地球への隠蔽工作はそろそろ中止しても良いのではないかという意見が出始めている。ごく近くの月ですら地球人は未だ進出不可能だし、万一来たらその時は、観光客としてカモにしてやればいい。


「というわけで、火星は君たちが思っているほど地球とかけ離れた所ではないんだよ」

「ふぇー」

 宇宙船"ホライゾン号"の居住室に移動したファントムズとPMRCの面々は、スコットの説明に聞き入っていた。リア、アンナ、メラニー、沙奈は素直に感心している。マニアの久里子とにわかマニアの光は熱心に。宇宙船のインテリアにいちいち悲鳴を上げながらようやく部屋に辿り着いた霧乃は、「火星の真相」にまたもアゴを外している。橋澤はそんなことより、地球人似の種族の女をどうナンパしようかと考えていた。

「まあ、わたし達が行っても大丈夫そうだね」

「黒間も怖がってなさそうだしな」

「あ、その、つい興奮しちゃって」

 光は照れくさそうに顔を赤らめた。リアたちの脳内でまたも光の好感度パラメータが上昇した。

「行く前はあんなに怖がってたのにね」

「すいません、前に副委員長に『ロズウェル隠された真実』っていう本を見せられてたもので」

 なるほど、原因はこいつの洗脳か。エレノアが久里子を冷たい目で睨むと、久里子は冷汗をかきながら「すぴー、すぴー」と口笛を吹いた。

「じっさい会ってみたら、見た目も怖くないし、優しい人たちで、安心しました」

 光はいまだ興奮冷めやらぬ声で溌剌と答えた。宇宙人への適応性を、もっと妖怪にも回してほしいものだが。

 そんなことを考えているうち、リアは別のことに気付いた。

「同じっていえばさ、エリさんのお父さんもお母さんも、日本語ペラペラだね」

 アンナたちもはたと気付いた。スコットもジェニーも、純日本人の光たちとずっと普通に会話していたのに。会う前に覚悟していた宇宙人のイメージとのギャップが大きすぎたせいで、気付かなかった。

「わたしは脳の記憶を移植しましたけど」メラニーが自分の日本語取得術を話した。

「父さんも母さんも肉体改造なんかしてないわ。翻訳機よ」

 エレノアがタネを明かした。

「え、マイクに話してるとか?」

 リアがそう訊くと、スコットが答えた。

「いや、君達の耳骨に付けておいたんだ。転送のときにね」

 アンナと霧乃が血相を変えてガバっと立ち上がった。

「ぎゃー! メカが! 宇宙メカが頭の中に!」

「あらあら、心配ないわよ。これで火星でも言葉が通じるからねぇ」

 ジェニーが微笑みながら優しく言葉を掛けた。すると、この人もその翻訳機を付けていて、今の言葉も英語なのか。

「ちゃんと帰りに外してあげるから」エレノアはやれやれと言葉を掛けた。

「さ、さすが宇宙技術・・・こうして地球人の気付かぬうちに、着々と侵略の足掛かりを・・・」久里子は冷汗を流しながら感動し、複雑な顔をしている。

「じゃ、エリさんはそれで日本語話してたんだね」

「いいなあ、旅行のときとか便利そうで。わたし付けたままにしてほしいですう」

「メルちゃんは肉体改造とか抵抗なさそうだよね・・・」

『翻訳機って、私にも付いてるの? どこに?』

「沙奈さんは本体のテレビの中よ。正直使えるかどうか分からなかったけど、効いてるみたいね」

 スコットが手を上げて、一同を制した。

「すまないが、メラニー君、地球外技術を地球人に漏らすことはできないのでね。帰りに外させてもらうよ」

「いえでも、いつもエリさんが思いっきり漏らしてますけど」

 スコットがエレノアを見る。

「大丈夫よ、父さん。ここのみんな以外に、宇宙技術のことはバレてないわ。地球人にはバンドの演出だと思われてる」

 エレノアが急いで言い繕った。

「だいたい、わたしもそのためにバンドすることになったんだしね」

「ああ、具体的にはエリが校庭壊したのをごまかすためにな」横からアンナが告げ口する。

「あんた達もでしょ」

「そうだ! 思い出したわ、わたしもエレンのステージの準備しなくっちゃ」

 ジェニーがパンと手を打って立ち上がった。エレノアたちが怪訝な顔で見る。

「準備って、母さんが?」

「そーよ、日本ではコンサートでライト振るのが作法なのよね? ハチマキ巻いて頭に差して、エ・レ・ン! エ・レ・ン!」

「やめて母さん絶対やめて」

「あのー、お母さん、それアイドルのコンサートです」

「オレ達ロックバンドなんで」

「それで名前入りのローブ着るのよね? "ハッピ"っていうのよね。スコットとお揃いで用意しなくちゃ」

「聞いてねえし」

 一人盛り上がるジェニーが、今度はリアたちに向き直って言葉を続けた。

「そうだ、あなた達の衣装も用意しなくっちゃね! ゴージャスでガーリーなのを!」

「あー、ですから、わたしたちはアイドルじゃ、もがが・・・」

 ジェニーに頬をむにむにされながらリアが苦しそうに答えた。

「いいから余計なことしないで、母さん。衣装ならちゃんと用意してあるから」

 ぴた、と一同の動きが止まる。

「「は!?」」

 リア、アンナ、メラニーが、一斉にエレノアのほうを向く。

「「衣装!?」」

 エレノアは平然と三人を見返している。

「そうよ。正式なライブだもの、当然でしょ」

「待て、オレたちなにも聞いてねえぞ!」

「サイズ合わせなら心配いらないわよ、部室でスキャンして採寸してあるから」

「そういう問題じゃねえよ! ていうかいつの間にスキャンしたんだよ!」

「部長として当然のことよ」びしっとエレノアが胸を張る。

「もしかして、エリさんのセンスってエイリアン柄なんじゃ・・・」

 リアたちは骨やらパイプやらに覆われた、世にも不気味な全身スーツを想像して青ざめた。

『えへへー、実は私が密かにデザインしてたんですよー』

 沙奈が笑顔で割って入ってきた。

 それを聞いたリア、アンナ、メラニーは、

「なーんだ」「よかった」「なら安心」

 ほっと息を継いだ。

「ちょっと、わたしが言ったときとなんで反応がそんなに違うのよ」エレノアが憮然とした。

『まあまあ、エリさんが私にもバンドとして仕事くれたんじゃない』

「エリさんが頼んだんですか? 良かったですね、沙奈さん」

『うんっ! 期待しててね、みんな!』

「沙奈さん、今までくるくる服変えてたけど、みんなカワイかったしね」

「おー、ついに沙奈もパートができたか。ビジュアル担当だな!」

『よーし、じゃライティングも張り切っちゃおうかな』

 そう言うと沙奈はふわりと1メートルほど上昇し、だしぬけに四方八方に七色の光線を放ちながら回転した。人間ミラーボール、じゃなくて心霊カクテルライトだ。

「・・・ライティングはほどほどにね」目をしばたきながらエレノアが呟いた。

「ほう、意識体のエネルギーを可視光線に変換しているのか、興味深いな」まったく動じないスコットは興味津々に沙奈を観察している。

「あらあら、エレンのお友達はいろんな人がいらっしゃるのねえ」ジェニーもニコニコと心霊現象を眺めている。

「いえ人じゃないですからあれ」久里子が沙奈から目を背けながら口を挟んだ。

「エリさんのお母さんって、フツーの地球人なんだよね・・・?」

「はーい、アメリカ人よー。でもスコットと一緒に宇宙のいろんなとこ行ってねえ、それはもういろーんな人たちに会ったのよお。種をまいて生えてくる人とか、空飛ぶ目玉だけの人とか」

 さすが宇宙人と結婚した女、幽霊ぐらいじゃ動じない。たぶん他のメンバーはヴァンパイアと人狼とゾンビで、顧問は地獄の悪魔であることも知っているのだろうが、初めて会ったときから怖がっている様子は一度もない。むしろ標準以上にスキンシップに励んでいる。

「だから精神生命体ぐらい、宇宙では普通の存在なんだよ」スコットが穏やかに説明した。

「そしてわたしは普通のハーフよ」なぜか胸を張るエレノア。

 宇宙の普通とはいったい。


「そういえば、そちらの皆さんは? いっしょに出演するのよね?」

 ジェニーがPMRCの三人に話しかけた。

「それじゃやっぱり、衣装とかもあるんですか?」

「黒間君も着替えるんだよね!」

「もちろん、巫女服よね!」

『巫女服なのね!』

「巫女服しかねえよな!」

 ファントムズの面々が一斉に光に詰め寄った。

「ち、違いますよう。この学生服です」

「「えー」」

 一斉に失望の声が漏れた。なぜかジェニーも一緒に。

「ぼ、僕らは学生でして、ガクセーはガクセーらしくですよ・・・ていうかみんな、巫女服を何だと思ってるんですか、もう」

 あたふたと言い訳する光の肩を、霧乃が背後からがしっと掴んだ。

「フフフ・・・ほほほほ、安心なさい光。お前とわたくし達の衣装もちゃあんと、用意してありますわ、ぬふふふ」

「うう・・・やっぱり」

 光は半泣きでうなだれた。

 "衣装"と聞いたファントムズは、一斉に霧乃に詰め寄った。

「カ、カワイイの?」

「露出度は?」

「下着は? フリルつきですか?」

『身体のラインが出るくらいピチピチ?』

「いっそ『ラブセクシー』のジャケみたいに・・・」

 霧乃がぶんぶんと腕を振り回した。

「ええい、下がりなさい! わたくし達のステージまで待ってらっしゃい」

「ちぇー、ケチ」

「今着替えさせちまえ! よーし皆で脱がし・・・」

 バチィッ!

「おわー!?」

 光の服に手を掛けたアンナが、火花に驚いてのけぞった。

「さっきも同じ目に遭ったでしょ、学習しない動物ね」

「あらあら、ダメよアンナさん、男の子を人前で脱がしちゃ」ジェニーにまでたしなめられた。

「人前じゃなくてもダメですっ!」光が服の裾を押さえて逃げながら叫ぶ。

「楽しみにしていなさい! そしてわたくしの華麗なデザインを称えなさい。あんないかがわしい顧問のあなた達とは違いますわ」霧乃が橋澤を指差した。

「いえ、アレは全く無関係ですから」

 ファントムズの四人と一体はいっせいに顧問(アレ)の関与を否定した。当の橋澤は衣装問題もそっちのけで、さっきから船内の端末で火星の観光案内(成人版)を調べている。

「衣装はともかくさ、楽器は何やんの?」リアが口を挟んだ。

 さっき見たPMRCの荷物一式は、全部まとめて台車一台に乗っかる量だった。しかし大半はスピーカーが占めており、くだんの衣装と、お泊りセットも含めると、楽器の類はほとんど体積がなさそうな感じだった。

「皆さんの荷物って、あれで全部なんですよね?」

「もしかして、楽器はみんなナイさんに向こうで用意してもらうとか?」

 リアとメラニーが久里子に訊いた。しかし、久里子は首を振る。

「いえ、自分の持ってきたわ。ニャル様にお頼みするなんて、恐れ多い。あたしは忠誠を捧げる身で・・・」

 また脳内サバトを始めた久里子は放っといて、アンナが今度は霧乃に訊いた。

「ずいぶん小っこい楽器なのか? リアじゃあるまいし」

「わたしは関係ないよっ!」

「ほほほほ、いいでしょう、教えてあげますわ!」

 ここぞとばかりに霧乃が声を張り上げる。

「わたくし達の楽器は・・・」

 霧乃は言葉を切って、さも重大発表のように間を空けた。

「プロメツールですわ!」

 しーん。

 数秒固まった後、リアたちが石化から解けた。

「・・・は?」

「何それ?」

「ムリに冷静ぶってないで、素直に驚いてよろしくてよ、ほほほ」

「エリさん知ってますか?」

 エレノアは"プロメツール"をスマホで検索していた。さすが宇宙仕様、宇宙船内でも繋がるらしい。

「音楽編集ソフト・・・の無料お試し版だそうよ」

 ずでーん。リアとアンナが脱力ですっ転んだ。

「打ち込みかよ!」

「演奏してないじゃん!」

「失礼な。格調高くEDMとおっしゃい」

 エレノアは冷ややかに霧乃と久里子を見ている。

「すると、"楽器"はパソコン一台ってわけね・・・」

 アンナは目を泳がせている久里子に噛みついた。

「お前止めなかったのかよ!」

「し、仕方ないじゃない、一週間で演奏できる方法なんて、これしか」

「カラオケと変わんねえじゃねえか」

「霧乃がオリジナルの曲やるって聞かないのよ。それに振り付けまで」

 最後の言葉にリアたちがピクンと反応した。

「振り付け!?」

「黒間さんもやるんですかっ、やるんですよねっ!?」

『マ、マイクスタンドでポールダンスとか・・・』

「いっそストリップとか!」

「ええい、下がりなさい変態ども! いちいち目の色変えるんじゃありません!」

 当の光は、変態妖怪集団とPMRCの対立から避難し、ジェニーに保護されていた。

「あらあら、黒間くんは大人気なのねえ。あなた達のステージも楽しみになってきたわあ。ホロビデオ撮っとこうかしら」

「非生体透過オプション付きでね、母さん」

「まかしといて」ジェニーはウインクしながら親指を上げて返した。

「なな、何ですかそのオプションは」光は不穏な単語に震えた。

「ニュートリノ偏向で生体組織以外を映さないシステムよ。大丈夫、人体に影響はないわ」エレノアが優しく説明した。

「ハダカで映るってことじゃないですかあ」

「心配しないで、裸体のデータは公開しないから。巫女服に差し替えるだけよ」

「データ消してください! ていうかそんなの撮らないでくださいっ」

 PMRCとファントムズの騒々しいやり取りを、スコットは生暖かく見守っていた。"巫女服"という単語はあとでデータベースで調べてみよう。

 そのとき、オートパイロットの呼び出し音がポーンと響き渡った。

『火星到着まで三十秒、30セカンズ・トゥ・マーズ』

 船内正面のスクリーンに宇宙空間が映った。中央に小さな赤い点があり、ぐんぐん大きさを増している。

 ファントムズとPMRCの8人はぴたりと口をつぐみ、スクリーンを見つめた。橋澤も端末から顔を上げてスクリーンを見る。

 やがて赤い星の拡大が止まった。スコットは一同を見渡し、外交官の声で告げた。

「さあ、着いたよ。火星だ」


 ファントムズ、PMRC、橋澤の9人は、最初に船に乗せられた時と同じ部屋の台の上で、火星への転送を待っていた。

「向こうでの案内や世話はスタッフが付いててくれるそうだ。私は他の出演者や来賓の案内があるのでね」

「分かったわ、父さん」

「でも、エレンのステージは客席からちゃんと見るからねー」

「はいはい」

 スコットとジェニーが台の外からエレノアに声を掛けた。ジェニーは勢いよく手を振っている。

「火星では重力が地球の半分になる。歩くときは気をつけるんだよ」

「「はぁーい」」

 一同は形ばかりの返事をした。注意といっても、身体が軽くなるなんて経験はした事がないので、実際どんなふうに気をつければいいのか分からないが。

 そんな中、重力なんかまるで気にしない者が一人。

『うわぁ、いよいよ火星よ本番よお。ドキドキよねえ。あ、比喩だけど』

「わたしもドキドキしないけど、緊張してきますう」肉体的にドキドキできないもう一人が合わせる。

「いよいよだねっ、ついにホントのデビューステージ!」

「よーし、やったるぜー!」

 リアとアンナは興奮に顔を見合わせている。

「ニャル様・・・どうかニャル様のお気に召しますように・・・」

「ほ、ほほ・・・みみ見てるがいいですわ、かかか火星人ぐらいななななんて事・・・」

「ヘンな人たちじゃありませんようにヘンな人たちじゃありませんように・・・」

 PMRCの三人は、それぞれの理由で三人ともカタカタと震えていた。光も宇宙の興奮が醒めて、火星人への恐怖がこみ上げてきたらしい。

 橋澤は一人、落ち着き払って待っている。すでに夜遊びのことしか頭になかった。

「それじゃ、行って来るわね。自動操縦(オート)、転送開始」

 エレノアは両親に軽く手を振ると、船のコンピュータに向かって言った。

 台上の9人の周囲にキラキラと光線が走り始めた。

「しっかりな」

「ガンバってねー」

 手を振り返すスコットとジェニーの声が聞こえる中、9人の耳には急速に空気の擦れる音が高まってきた。視界に光の模様が何重にも織り重なって、やがてフラッシュの中に飲み込まれた。


 ふたたび視界に色が見え始めたとき、それは白い宇宙船の部屋ではなかった。光の筋の隙間から、赤い地面と赤い空、そして赤い岩石の壁が覗いている。

 光の瞬きが治まると、一同は地面の上に立っていた。そこは赤い砂で覆われた、谷間の底だった。

 見上げると、暗く赤い空に、遠く小さな太陽を挟んで、二つのいびつな形の月が浮かんでいる。まるでSF映画に出てくる別の惑星の光景だった。

 いや違う、これは映画じゃない。映画は上空まで見渡せたり、足の裏に砂の感触がしたり、周囲に風が吹いてたりしない。

 とすると、これは夢だ。うん。

 いや違う、それは現実逃避だ。仕方ない、口に出してみよう。

「これが・・・火星」

 リアはそう呟いた。

 他の皆も、空をポカンと見上げ、周りの光景を見渡している。

 そんな中、一人エレノアだけは、隣町へ遊びにでも来たかのように落ち着き払っていた。

「ええ、着いたわよ」

 リアはアンナと目を合わせ、ゆっくりと笑みを浮かべた。

「よっしゃー! 火星一番乗りーっ!」

「よーし、いっくよお・・・おおおぉぉ!?」

「あ、いきなり走ると――」

 勢いよく跳び上がったアンナは、5メートルほど上空へすっ飛び、空中にいた円盤にゴーンと頭をぶつけた。同時に駆け出したリアは、そのまま空中を飛んで行き、手足をジタバタしながら前方の崖にびたんと激突した。

「――こうなるわよ」

 エレノアが冷たく言い終えると、上空から落ちてきたアンナが「ぶぎゅ」と着地し、空にW字開脚を上げた。

『気ィつけろぃあほんだらー!』

 アンナに激突された銀色の円盤は悪態をつくと、ふよふよと空中を飛び去っていった。

 まだ転送地点から動かない一同はポカンと空を飛んでいく円盤を見送った。さらに上空には列を成して飛んでいるエイみたいな機械の編隊が、それに谷の上の稜線には長い3本の脚で歩いている機械が見える。映画で見た、トライポッドだ。

 あれが、あの中にいるのが、火星人。

 地面に仰向けに墜落したアンナも、激突した顔をさすっているリアも、目をパチパチさせながら闊歩するマシンの群れを見上げた。

「お二人とも、だいじょう、わっ、とっとっ」

 ひっくり返ったアンナに駆け寄ろうとしたメラニーが、前のめりにバランスを崩した。いつもの半分の重力と知らずに踏みしめた足が身体を空中に跳ね上げ、身体のほうはいつも通りの慣性で前へ進み、結果としてメラニーは前方へ投げ出される体勢になった。

 メラニーはジタバタと爪先で地面を蹴り、それがまた変な方向へ回転力を生み、メラニーは空中をぐるぐるとウルトラCを繰り出しながら飛んでいった。地面に逆立ちしたアンナへまっしぐらに。

「わわ~~!?」

「おわぁー!?」

 ドシーン!

 メラニーはアンナに衝突して地面に転がった――はずが、顔面に妙な弾力を感じて衝撃が止まった。

「あいたた・・・ご、ごめんなさ・・・い?」

 そぉっと目を開けると、目の前には布の丸いクッションと、そこから左右に伸びる革張りの丸太があった。

 じゃなくて、尻と両脚だった。アンナに上下逆に抱きつく形で、顔面をムギュッと股間に直撃してしまったのだ。

「ごっ、ゴメ・・・!?」

 てことは、自分のお尻もアンナの顔面にあるはず・・・の、感触が、ない。

 メラニーは慌てて振り返った。自分のお尻があるべき位置から、目を回したアンナの顔が覗いている。

「あたた・・・いきなりひでえ目に、ってお――う! なんじゃこりゃあー!」

 アンナは上半身だけのメラニーに仰天していた。メラニーが視線を前方に戻すと、アンナの股間越しに、自分の下半身が飛んでいくのが見えた。

「あーん、待ってください~」

 さらに悪いことに、メラニーの下半身の行く先には壁際で目を回しているリアが。

「わぎゃー!?」

 びたーん。

 いきなり目の前に飛んできた尻をかわす間もなく、リアの顔面はメラニー(下半身)の股間に挟まれ、そのまま背後の壁に再び叩きつけられた。リアは壁で顔面騎乗された初の地球人となった。

「ゴメンなさーい、リアさーん」

「いいから早く降りろよバカ」

「何をやってるのよもう」

 散々な火星第一歩を踏んだ三人に呆れてエレノアが溜め息をついた。フェスどころか、二歩も歩かないうちにこの有様とは。

「いい、軽はずみな行動は・・・」

 エレノアはまだ動かないでいる他の皆を振り返った。霧乃、久里子、光は、メラニーの人間解体現場から顔を背けていた。

「・・・しないように。分かったわね」

 三人は顔向きを変えず無言で頷いた。

「アホどもめ、ここは俺様がひとつ見本を――」

 示そうとした橋澤は、背筋を伸ばして顔を上げ、優雅に第一歩を踏み出した――まではよかったが、あいにく着地地点に石コロが転がっており、橋澤は滑って見事に前後開脚着地を決めた。その姿はまさにトラボルタのマネをしくじったディスコ中年だった。

「先生、足元をよく見て」

「う、うるさい」

 橋澤は立ち上がるとラメのパンツから赤い埃を払った。

『キャハハみんなおもしろーい」

 一人まったく重力の影響を受けない沙奈は、テレビの中で他人事と笑っている。

『お、私は動きやすい』

 沙奈はテレビをゴロゴロと動かした。地球で本体の移動に苦労していた沙奈には、重力の軽さは歓迎らしい。

 アンナが渋い顔で、髪から砂を払いながら、メラニーの上半身を抱えて立ち上がった。その向こうからはリアが、ふわふわと跳びながら戻って来る。さらにその後ろからは、同じくメラニーの下半身がフラフラと。

「やれやれ。で、これからどうすんだ?」アンナがエレノアに訊いた。

「父さんの話だと、現地スタッフの人が来てくれるはずだけど」

 そう言ったエレノアが谷間の向こうに目を向けると、さっき崖の上を歩いていたのと同じ、細長い三本の脚がついたトライポッドが、ガシャンガシャンとこちらへやって来た。アンナたちは不思議そうに見上げ、霧乃たちは怯えて見上げる中、三本脚の機械は一同の手前で歩みを止めた。

『ザ・ファントムズ御一行様にPMRC御一行様でいらっしゃいまスね』

 トライポッドからスピーカー音が響き渡った。妙に甲高いが、礼儀正しく低い物腰の声だ。

 アブダクションか虐殺でもされるのかと震えていたPMRCの三人は、震えるのを止めた。

 一同が見上げる中、トライポッドのてっぺんの胴体から、パッと真下に円柱の光線が発せられた。胴体からその円柱の中を、下に向かって影が降りてきた。

 影が地面に到着すると、光の円柱が消えた。影がその正体を現した。

 地面の上に立っているのは、人間と同じ背丈で、人間と同じ位置に頭らしき部分と、二本の腕、二本の足があった。しかしその外見、というか皮膚は、緑色で筋が入っていて、ところどころが層になって重なり、めくれて襞を作っていた。皮膚の層は球状に重なり、頭頂に襞が集まって、束を形作っている。

 一言でいうと、キャベツそっくりだった。

「お待ちしておりまシた。火星へようこソ」

 キャベツが口をきいた。PMRCの三人は再び震えだした。


「ワタシはイベントプロモーターのフーパーと申しまス。フェスの間のお世話をさせていただきまス」

 緑色のエイリアンはそう言って、優雅にお辞儀をした。顔がキャベツでなければ、どこかの貴族屋敷の執事かと思うような態度だった。

 でも動きがなんとなく、人形のようにくねくねした動きだ。それに声が異様というか、甲高くてヘンテコな音だった。リアは大人が裏声を出している人形劇を思い出した。

 一同は喋るキャベツの社交儀礼をポカンと眺めていた。戻ってきたリアとアンナ、元どおり合体したメラニー、そしてエレノアさえも物珍しそうに、フーパーと名乗ったこの現地スタッフを見守っている。

「あの・・・宇宙人さんですか?」

「見りゃあ分かんじゃあねーかよ」

 様子を窺っているリアたちを尻目に、部長としてエレノアが進み出た。

「よろしくお願いします。エレノア・ランバートです。ファントムズの代表です」

「これはこれは、ランバート外交官のお嬢様」

 フーパーはうやうやしくエレノアの右手を取ると、背筋を90度に曲げて礼をした。まさに来賓の令嬢でも迎えるような態度だ。

「エリさんのお知り合い?」リアが聞いた。

 フーパーはしゃんと背筋を正し、爪先から角度を変えてピッとリアに向き合った。

「エレノア様とはお初になりまスが、お父上は外交官としてお名前は伺っておりまス。あなた方のことはニャルラトテップ様より承っておりまス」

「ニャッ、ニャル様っ!?」

 その名前に反応して久里子がビシッと直立不動の姿勢になった。フーパーはまたぴしっと礼儀正しく久里子に向き直った。

「ハイ、このフェスを主催されていまス。あなた方を主賓として丁重にお迎えするように伺っておりまス」

 久里子はまるで天国の門にでも迎えられたような顔をしている。

「ニ、ニャル様じきじきにっ!? おお恐れ入ります! PMRCの倉内です、よろしくお願いしますっ!」

 久里子はフーパーに負けない角度でペコペコと礼を繰り返している。二人の低姿勢な交流をよそに、アンナがリアを小突いた。

「主賓だってよ、おい」

「も、もしかしてわたし達、ヘッドライナー!?」

「わー、なんかすごいですう」

 するとフーパーが向き直って説明を続けた。

「左様でございまス。当フェス開催の発端も、ファントムズの皆様がニャルラトテップ様に売り込みをされた事と伺っておりまス」

 リアたちは「わー」と口を開いたきり事態に圧倒された。売り込みというのはつまり、地球に押し入ってきたオグドル=シル神にやぶれかぶれで演奏を聞かせ、帰ってもらった事件のことだ。

 それがどういうわけか宇宙フェスに発展し、今こうして火星にヘッドライナーとして招待されている。

 スゴ過ぎというか、もう「わー」としか言葉が出てこない。

「それでは早速会場へご案内いたしまス。お荷物をお運びしまス」

 呆然と立っているリアたちの周囲に、頭上のトライポッドからニョロニョロと金属の触手が下りてきた。リアたちと同時に転送されて地面に置かれていた荷物の山を触手が取り囲むと、一まとめに軽々と持ち上げて運んで行った。

『わっと』

 沙奈のテレビも運ばれていったので、空中で沙奈は抜け出した。別の地点のPMRCの荷物も持ち上げられていった。

 フーパーはまだ離れて立っている数人へ声を掛けた。

「では皆様、こちらへどうぞ」

『はーい、お世話になりまーす』

「よろしく頼みますよ」

「あ、ど、どうも」

 沙奈は陽気に、橋澤はなぜか不遜に、光はいつものようにおずおずと挨拶して、フーパーの招く方向へ歩き出した。

 だが、霧乃だけはうつむいたまま身動きしない。というか、火星に足を踏み入れてから一言も発していなかった。いつもだったらファントムズを押しのけて、高笑いしながらフーパーを思いっきりかしずかせるだろうに。

 まさかまた漏らしてないだろうな、と久里子は霧乃の足元を見たが、まだ大丈夫のようだ。

「あの、委員長、大丈夫ですか?」光が心配して振り返った。

 霧乃はゆっくりと顔を上げた。奇妙に無表情な顔で、

「オゴエエべべベべ」

 思いっきり吐いた。

「ぎゃー!?」

「おや、重力酔いをされたようでスな」

 フーパーはあくまで礼儀を失せずに気遣った。エレノアは額に手を当ててやれやれと首を振った。

「悪いけど、みんなの分の重力調整器を用意してくれるかしら。この調子じゃ演奏どころか、まともにステージに上がれるかどうかも怪しいわ」

「かしこまりまシた。皆様の機材も会場にセッティングしてございまス」

 フーパーの言葉に、リアとアンナがぱっと振り向いた。

「機材って、楽器?」

「オレたちが頼んだ新品のやつ?」

 フーパーは子供っぽいリアとがさつなアンナにも、上品な態度を崩さず対応した。

「左様でございまス。ランバート様より連絡いただきまシた、楽器やマイクその他の一式でございまス」

 リアとアンナはみるみる歓喜に目を輝かせた。

「「やったー!!」」

 喜びに文字通り飛び上がったリアとアンナは、数メートル上を跨いでいるトライポッドにゴゴンと頭を打った。二人は頭を押さえてヨロヨロと着陸した。

「学習しない子供と動物ね、まったく。会場まではおとなしく、走らない、飛び跳ねない、ウロウロしない。こんど飛んでったら荷物と一緒に箱にしまうわよ」

「・・・あい」

 エレノアの説教に二人はしゅんと肩を落とした。

「会場に着いたらすぐに重力調整器をお渡ししまスので。それから早速サウンドチェックに入っていただきまス」

 フーパーが説明を再開した。

「それから一時間後に出番となりまス」

「一時間!?」

「もう出番!?」

 リアとアンナが驚いて目を丸くした。

「調整のほうはこちらで大半済ませておりまスので。あとは皆様が新しい機材に慣れていただくのみでス」

 メラニーが不安そうに手を握り締めた。

「うう、あと一時間で出番ですか・・・そわそわ」

「メル、口に出してそわそわしないの」

「ヘッドライナーってフツー出番最後じゃねえのか」

「まあ、フツーのフェスじゃないしね、いろいろと」

『みんな頑張って。私は一緒に立てないけど、陰ながら応援してるから。文字通り草葉の陰で』

 四人と一体が不安を口にし始めたところで、フーパーがふたたび続けた。

「ファントムズの皆様には、フェス2日目、つまり明日にもステージに出ていただくことになっておりまス」

 一同はぴたりと話を止めた。

「あ、そーなの・・・?」

「何しろ宇宙規模のお客様がいらっしゃいまスので、一度に会場に入りきりませんのでシて。ご迷惑をお掛けいたしまスが、ニャルラトテップ様からもなにとぞお願いいたしまスとのことでシた」

 フーパーは懇切丁寧にお辞儀を交えながら依頼を伝えた。

「オレはべつに構わねーけど」

「ナイさんの頼みじゃあ、断れませんねえ」

「出番が増えるの、むしろ歓迎!」

 皆の賛同を確認して、エレノアはリアたちとフーパーに頷きかけた。

「恐れ入りまス。PMRCの皆様は、ステージが別となりまスが、出番は同じく一時間後となりまス」

「よ・・・よろしくてよオゴエベベベ」

 霧乃はまだ吐いている。光はオロオロと霧乃と久里子の間を行ったり来たりしていた。

「オイオイ大丈夫かよ、そっちは」

「あれ重力酔いだけじゃないでしょ、出番のプレッシャーもじゃない?」

 アンナとリアは軽蔑半分、同情半分で久里子に話しかけた。

「こっちはあんたらと違って生身なのよ。妖怪だのエイリアンだのにも免疫ないし」

『メルさんの解体を見ちゃったせいじゃない?』

「えー、わたしのせいじゃないですよお」

「思い出させないで。あたしまで気持ち悪くなってきた」

 盛り上がるファントムズと沈むPMRCを置いて、フーパーは残る一人の橋澤へ話しかけた。

「それから、橋澤様には直ちにクリスタル・キャニオンへご案内するようにとのご指示が出ておりまスが」

「ああ、すぐに頼むよ」

 橋澤はサングラスを光らせて大っぴらにニヤついている。ここまで来ても生徒たちのステージには関心ないらしい。本当に何しに来たんだこの顧問。

「それでは皆様、フェス会場へご案内いたしまス。お集まりくだサい」

 フーパーは谷間の道の先のほうへ手を指し示した。その先には、とんでもなく高い山が聳え立っている。山肌には数え切れない光点が灯り、いくつかは瞬きながら移動している。崖の陰で見えない山の麓からは、サーチライトが暗く赤い空に登っている。

 あのライトの下が、会場にちがいない。するとあの大きな山は観客席で、光点の群れは宇宙人の観客だろうか。

 観客。光の点々だけでも数千はいそう。もしかしたら数万かも。

 リアは前方にそびえる壮大な景色と、自分たちを待っている何万人もの観客を思い、圧倒されて立ちつくしていた。アンナも同じく観客に気づいたようだが、彼女は感動するより先に口が動いた。

「おいエリ、あれがもしかして・・・」

 エレノアも聳え立つ山を見上げた。

「ええ、あれはオリンポス山。なるほど、天然の巨大スロープを観客席にしたわけね」

「いったい何人ぐらいいるんでしょうねえ」

 メラニーの呟きに、フーパーが回答した。

「本日の来客は二千万人ほどがいらっしゃいまス」

 その言葉に全員が顎を外した。

「「にせんまん!?」」

 フーパーは構わず説明を続けた。

「はい。それから、亜空間エーテルネットで宇宙各地にも中継されておりまス。視聴者数は四十ヨタ人ほどが見込まれておりまス」

 エレノアさえも肝を潰した顔をしている。

「まさに天文学的ね・・・」

 メラニーは本当に顎を外したらしく、よいしょと両手で元に戻してから慌てだした。

「そっ、そんなにっ、どうしましょう、オロオロ」

「だから口に出してオロオロしないの」

「ちくしょー、もうヤケだ! 観客にビビッてロックができるかっ、二千万がなんぼのもんじゃい・・・っておいリア、大丈夫か、おい?」

 いとも簡単にやけくその覚悟を決めたアンナと対照的に、リアはまだ「にせんまん!?」のまま固まっている。

『ちょっとリアさん、もしもーし?』

「・・・・・・う・・・・・・」

 あ、起きた。

 大丈夫かこいつ、まさかこのまま泣き出したり――

「うっっわあ―――――!!! すっご――いっ、すっごい人数だよアンナっ!」

「へ・・・? あ、お、おう」

 固まったリアを心配していたアンナは、いきなりの喜びの爆発に面食らった。リアは飛んでいかないようにアンナの両手を掴んでピョンピョン跳ねている。

 よかった、こいつは状況を理解できるほど大人じゃなかった。

「ガンバろうねっ、メルちゃん、エリさんっ!」

 今度はメラニーとエレノアの背中をびったんびったんと叩く。おかげでメラニーはまた上半身が落っこちそうになった。エレノアはずり落ちた眼鏡を押さえながら睨み返すが、リアは興奮でまったく気にしない。

 弾みで沙奈の背中も叩こうとしてすり抜け、体勢を崩したところでようやくリアは我に返った。照れ笑いしながら謝り、まだ抑えきれない興奮に両手を胸の前で握り締めて、中腰に姿勢を下げて、

「ぃよぉぉおおっし、ファントムズ――」

「飛ばないの!」

 エレノアにハイタッチを止められたリアは、中腰のままアンナと小さくコツンと拳を合わせた。

「・・・ガンバロー・・・」

「・・・ぉーぅ」


「ワタシ共アカシック・コミュニケーションズは、宇宙各地でのイベントをコーディネートしておりまス」

「はあ」

 一同はトライポッドに光線で乗せられ、ガシャンガシャンと歩くポッドに揺られて谷間の道を進んでいた。

 フーパーが現れたときと同じ光線がポッドの下から、地面に集合した一同にパッと当たると、そのままエレベーターのようにすーっと上昇し、ポッドの床を抜けて、機内の景色が見えたと思ったら床の上に立っていた。

 全員が機内の客席に着くとポッドは歩きだした。機内は地球人やフーパーが立って歩けるほどの広さで、エレノアの両親の宇宙船とは違う、なんか有機的というか、革だか植物の茎みたいな手触りの素材で覆われていた。ご丁寧にアンビエント・ミュージックも流れている。なぜかエチケット袋まで用意されており、霧乃がすかさず手を伸ばしていた。

 道中フーパーは、営業経歴を滔々と語っていた。リアたちはさっぱり理解できず、適当に相槌を打つのが精いっぱいだった。出てくる単語が全く意味不明な上に、裏声と軽い身振りのせいで、どうにも軽薄な自慢話のようにしか聞こえない。翻訳機のせいか、やたらとカタカナも多いし。

 それでもなんとか、宇宙のイベントなら何でもお任せですよ、と言っているらしいことは聞きとれた。

「アンドロメダ・ネビュラ賞の授賞式に、ギャラクシー・クエスト・コンベンション、そうそう、ミス・スターダスト・コンテストも毎周期開催しておりまス」

「なにそれ? ミスコン?」

「左様でございまス。実は、ワタシの同族が一度、地球でミス・スターダスト・コンテストを開催したこともございまシて」

「うそーん!?」

 リアたちはエレノアを見たが、エレノアも「知らないわよ」と首を振った。

「本当でス。ですがあいにく、ほとんど地球でも話題にならなかったようでシて。ごく一部の地球人が、作り物のテレビ番組だとお考えになられただけのようでス」

「ま、そうだよね・・・」

 その点はリアにも想像できた。何しろ自分達ファントムズが、似た手口で正体をコスプレだとごまかしているのだから。

「そのとき、異星の音楽を演奏した出場者が地球人にも好評を博したそうでス。ですから皆様の地球の演奏も、異星人の方々にきっとご好評いただけるかと」

「だといいわね。実際、一種族にはウケたんだし」

 ファントムズの四人は、その種族、というか宇宙神オグドル=シルの、巨大触手を思い出して身震いした。

「うう、観客がみんなあんな気持ち悪かったらどーしよ・・・」

 リアの懸念にフーパーが愛想よく応えた。

「もちろんオグドル=シル様にはVIP席をご用意しておりまスが、あのようなサイズのお客様には、ワームホール中継を提供させていただいておりまス」

「え、中継? なんか分からないけど、じゃ直接来るんじゃないってこと?」

「はい。深宇宙クラスの方々、特にアザトース様などは、直接接近されましたら火星が重力崩壊しまスので」

「よく分かんねえけど、オレたちは安全なんだよな・・・?」

「あのニュルニュルさんが来ないんなら、安心ですう」

「会場が触手まみれじゃ、ライブどころじゃないものね」

 一同は前方の空を見上げた。前に地球の空に現れた、宇宙空間の穴とか、その中から伸び下る巨大触手とかは今のところ見当たらない。どうやらいきなり触手の団体さんに迎えられることはないようだ。少なくとも、デカいやつには。

 代わって空に見えるのは、列を成して行き来している、宇宙船や円盤の姿だった。小さいものはほとんどが、観客席である巨大なオリンポス山の向こう側に降りていく。たぶんあっちが駐車場になっているんだろう。ガレー船みたいに胴体の横から長い棒が一列に突き出している大きいものが何台も、忙しく離着陸してまた飛んで行く。バスだろうか。

 山が近づくにつれ、飛行機に加えて、稜線にも大勢のトライポッドが列を成して歩いているシルエットが見えてきた。まるで子グモの行列のようだが、その一台一台が自分達が乗っているこのポッドと同じだと思うと、ポッドの乗客だけでも数千人になりそう。そしてこちら側に向いている山肌には、様々な色合いの粒々がびっしりと蠢いている。

 あの粒々がぜんぶ観客。ものすごい大きな山の麓から山頂まで、どこもかしこも観客で埋め尽くされている。

「おおー、いるいる」

 アンナが観客の山(文字通り)を眺めながら呟いた。

「すっごい数ですねえ、この前の学校でのライブとは大違いですう」

「あんなのと比べてどうするの、こっちは本物のステージよ」

『ガレージからいきなりウッドストックに来ちゃったねー』

「あんだけいりゃあ、エリのママがペンライト振っても目立たないんじゃねえか? ケケケ」

「ほっといて」

 リアだけは何も言葉が出ず、陶然と観客を眺めている。顔は期待と興奮を湛えて。

 一方、PMRCのほうも、それぞれの理由で身体を震わせている。

「ふ、副委員長、あ、あ、あんなたくさんの、ひ、ひ、人が・・・」

「あ、あたしが見ていただく方は一人だけよ。にゃる・しゅたん! にゃる・がしゃんな!」

「ほ、ほほ・・・わたくしの偉大さを知らしめるには十分で・・・うぷっ」

 霧乃が搾り出す呻き声はつとめて無視し、ファントムズは前方の眺めに注意を向けた。いつしかポッドは谷間を抜け、平原へと踏み出していた。

 とたんに、周囲を行き交う機械の群れが現れた。平原のあっちの端からこっちの端へ何列も走っている車両や、それと平行に空中を飛んでいる円盤、垂直に離着陸している一回り大きな宇宙船たちがいる。宇宙船が何台も着陸している区画もあって、開いた宇宙船の搬出口からは、貨物を抱えたトライポッドがいそいそと建物へ運び入れている。無機質なプレハブを組み合わせたショッピングモールみたいな建物の周囲では、トライポッドの脚の下を縫って、人型のロボットがのっしのっしと作業に立ち回っていた。エレノアが学校で装着していたあれと同じ、パワーローダーとかいうやつだ。

 そうしているうち、一行の乗っているポッドも、他の大勢のポッドやロボットに混じって、その建物へ向けて歩みを進めていた。やがて建物の壁面のすぐ近く、眼下に小さな出入口があるところでポッドが歩みを止めた。

「さあ皆様、会場に到着いたしまシた。レッドロック・ステージでございまス」


 リアもアンナも、コンサート会場のバックステージを実際に歩いたことなんてなく、ライブDVDで見たことがある程度だった。だいたいのイメージは、楽屋からの通路に機材や進行表を持ったスタッフが右往左往していて、ヘッドセットをした係が「あと○分です」とか言ってくる中を、颯爽とステージへ向かう、みたいな感じ。いつか自分が颯爽と歓声に迎えられるところを夢想していたものだった。

 それがまさか、本当に実現しようとは。しかも火星で。

 といっても実際に目にしている光景は、イメージとはだいぶ違っていた。確かにスタッフは右往左往しているが、巨大な一つ目が3色に分かれている人だったり、緑色の小人が空中をテレポートしていたり、おなじみのタコ型種族が壁面をうにょうにょと這っていたり、ギョロ目で頭が脳ミソの人がちょこまかと小走りしていたり。極めつけはプロデューサーのキャベツ人間だ。火星というより、なんか、ハロウィンタウンかデヴィッド・ボウイの迷宮にいるような気がしてきた。

「それでは皆様、こちらの重力フェイザーをお付けくだサい。これで地球の重力下と同じように動けまス」

 トライポッドから会場の通路入口に降ろされ、周囲を行き交う多種多様なスタッフを呆然と眺めている一同に、フーパーが細いベルトのような道具を手渡した。バックルには腕時計のリューズみたいなダイヤルが付いている。

「腰の辺りに巻いて。ダイヤルを回すと、重力が増加するわ」

 エレノアが率先してベルトを巻き、ダイヤルを4目盛り回して、その場でぽんぽんと跳んでみせた。ジャンプの高さも滞空時間も、地球でやるのと変わりない。

 リアたちも続いてベルトを装着し、試しに飛び跳ねたり、小走りに回ってみたりしながら様子を確かめた。

「これなら地球と同じように動けますう、どうも」

「重しを付けるとかじゃなくてよかった。何これ、どうなってるの?」

「多次元虚数位相の相関乗数を上げて、相対引力係数を変えてるのよ。分かる?」

「わかんない」

『もしかして、さっきの円盤とかが浮いてるのとおんなじ理屈?」

 沙奈だけは重力調整は必要ないが、面白がってとりあえず本体のテレビに巻いている。

「さすが沙奈さんは大人ね。そこらの子供や犬とは大違いね」

『あ、じゃあ逆にテレビを軽くして、浮いて移動できるかも。キャッハーイ!』

「・・・やっぱ今のなし」

「まあいいや、とりあえずこれでいつも通り動けるしな。おっし、そんじゃ改めてやるか、リア!」

 アンナに呼び掛けられたリアがとてとてと走ってきた。

「一世一代のステージだぜっ! やったるぞー!」

「おーっ!」

 向かい合った二人はジャンプし、頭上高くで両拳をパシンと合わせた。

「あ、楽しそう、わたしもやっていいですか?」

「悪いけど後にして、メル。早くサウンドチェックをしないと。フーパーさん」

 呼ばれたフーパーがすかさずエレノアの正面に現れた。

「それではさっそくリハーサル・ルームへご案内いたしまス。PMRCの皆様もご一緒にどうぞ」

「は、はいっ」

 フーパーに呼ばれた光がビクッと返事した。光と久里子は、息も絶え絶えの霧乃を両脇から支えている。ナメクジのような顔色の霧乃も辛うじてうなずいた。

「橋澤様のほうは、コンパニオンがクリスタル・キャニオンへお連れいたしまス」

 フーパーが通路脇のほうへチョイと手招きすると、黒髪の女が現れた。身体のパーツも背丈も地球人の女と同じだが、骸骨のように白い肌にきついアイシャドー、顔には線や文字のような刺青が描かれている。ゴスメイクをやりすぎたシェールのようだ。

「ミス・ヘンストリッジがご案内いたしまス」

 紹介された女は橋澤にニッコリと微笑みかけた。たちまちデレきった橋澤は遠慮なくコンパニオンを上から下までじろじろと眺め回した。

「おお、そうかそうか。じゃ、よろしく頼むよ、ミス」

「ターシャとお呼びくださいな」

 コンパニオンの女は橋澤の腰に腕を回し、建物出口のほうへ連れ出して行った。橋澤は背後から一身に受ける軽蔑の視線も省みず、ぞんざいにひらひらと手を振り、女と連れ立って街へ繰り出していった。

「行ってらっしゃーい」

「そのまま失踪しちゃいなー」

「ほっときなさい。行くわよ」

 エレノアに促されて、ファントムズとPMRCの一同はフーパーの後を付いて通路を進んだ。通路の一区画ごとに、会場から伝わり聞こえてくるサウンドが大きくなっていく。

「フェスはもう始まってるの?」リアがフーパーに訊いた。

「はい、フェス自体は昨日の夜から始まっておりまス。初日の夜はスパイス・トリップによるレイヴでした」

「なにそれ? 宇宙のアシッド・パーティー?」

「ある意味では左様で。アンビエント・ミュージックを聴きながら、アレキス産の香料(スパイス)メランジを服用して、時空間を肉体移動(トリップ)するイベントでございまス」

「いろんな意味で危なそうですう」

「初心者の方は元の姿に戻れなくなることもありまスが。お試しにお持ちシましょうか?」

「「いえいえいえやめときます」」リアとメラニーは慌てて両手を振った。

「よい子は十八歳になってからよ」

「なったって飲むかよ、そんな怪しいもん」

 そうこうしながら進むと、数人のスタッフが操作盤(コンソール)で調整をしている一角に出くわした。機材で囲まれた壁の中央には、会場の様子が映し出されているモニターがある。

 モニターの中では、歌う生物のステージが繰り広げられていた。その生物の顔には口だけしかなく、というより口だけの頭がパカパカと歌っている。触手状の身体はステージ中を右に左にくねって動き、ステージでは他に数体のもっと小さい頭が、パカパカとコーラスに合わせて一斉に口を開いていた。歌には翻訳機も効かないらしく、宇宙語の歌詞はさっぱり分からないが、声はとてつもなくファンキーなノリのソウル・ミュージックだった。

 初めてエイリアンの歌手を目の当たりにした一同は、その生物に負けずあんぐりと口を開けてモニターを見つめた。

「この、えーと・・・アレが、出演バンドなの?」

 フーパーが答えた。

「はい、あちらはフォー・トップス星系人の『オードリーⅢ』様でス。バンドではなく、ソロですが。小さいほうの頭は全て、ご本人から生えたものでス」

 そう言われてよく見ると、ステージ中にニョロニョロとのたくっている触手、というか蔓は、全て中央のリード・シンガー頭の根元に集まっていた。

『なんかこういうのゲームに出てたよねえ、土管から出てきてパックン』

「それじゃ、あれってお花なんですか」

「宇宙じゃ動く植物ってよくあるもんなの?」久里子がステージの出演者と、フーパーをジロジロと見比べた。

「左様でス。確かにワタシも、細胞組織は地球の植物に近いものでございまス。太陽系にも冥王星に菌類のミ=ゴがおりますし、ホークス星系人が地球を訪れたこともございまス。フォー・トップス星系人は特に声の良さで有名でスので、今回のラインナップに加えまシた」

「歌って踊るお花って、楽しそうですねえ」

「ですが、フォー・トップス星系人やホークス星系人は動物の血液を好んで吸いまスので、あまりお傍に寄らないほうがよろしいかと」

「なんだリアの同類か」

「わたしは植物じゃないよっ!」

「ええ、植物は成長が早いものね」

「ぶー」

「ひいい、ひ、人食い植物・・・」光は蒼ざめてモニターからも遠ざかろうとしている。

「そういえば莢から生まれるボディ・スナッチャーってのもあったね・・・」久里子もよせばいいのに他の植物種を思い出して身震いしていた。

 モニターに釘付けのファントムズと、震え上がるPMRCに、エレノアが手を叩く。

「ほらほら、みんな、他の出演者が気になるのは分かるけど、自分のステージに集中しないと。他のステージは後で観ればいいから。録画してあるんでしょ、フーパーさん?」

「勿論でございまス、ランバート様。ワタシ共アカシック・コミュニケーションズはネット中継はもちろん、ソフト製作とパッケージ配信も手がけてございまス。このフェスもドキュメンタリー映画の製作に加え、個別アーティストとステージセクションごとの配信も網羅しており、今なら全て込みのプレミアム・コースで――」

「ありがとう、それじゃリハーサル・ルームへ案内してもらえるかしら」

「――そちらでございまス」

 コマーシャル演説を中断されて心なしか不服そうなフーパーは、モニター区画から広間の反対方向にある通路の扉を指し示した。

 扉の上には何かの宇宙文字の表札が書かれているが、扉の横にある手書きの貼り紙には、"ザ・ファントムズ御一行様"と、日本語の文字が。

 始めて目にした自分たちのリハーサル・ルームに、アンナたちは小躍りした。

「よっしゃ! オレたち専用の楽屋だ! 行くぞリア!」

「やったっ、あそこに新しいギターが! 行こっ、メルちゃん!」

「わーい、新品の楽器ですう」

 アンナ、リア、メラニーは一斉にルーム目掛けてダッと駆け出した。

「PMRCの皆様は、あちらの部屋で、衣装のお着替えをどうぞ」

 キキーッ。

 駆け出した三人が一斉にブレーキを掛けた。

「よし、まずはそっちの着替えだな! オレたちも手伝うぞ!」

「着替えたらすぐにフォトセッションだよね、黒間くん」

「衣装の最終調整をしたほうがいいと思いますう、隅々まで」

「特に腰周りの動きやすさは重要だから、念入りにね」

 ただちにファントムズの四人が、光めがけて駆け寄る。

「じっ、自分で着替えますからっ! 入らないでくださいっ!」

 光は霧乃と久里子を引っ張ってわたわたと楽屋の扉まで後ずさり、入り込むと急いでバタンと扉を閉めた。

「ちぇー、また逃げられた」

「仕方ない、わたし達も衣装に着替えるわよ」

「沙奈さんデザインのですよね・・・てあれ? 沙奈さん?」

 ファントムズの四人が見回したが、沙奈の青い光が見当たらない。と、その途端、

「キャ――――――!!」

 血も凍るような悲鳴がPMRCの楽屋から響き、続いてドサッと倒れる音が。

「ノゾキ魔よっ! ノゾキ霊ですわっ!! さっさと出て行きなさーいっ!」

「こ、この色情霊! ニャル様に代わって天誅よっ!」

 続いて霧乃と久里子の怒号と、次々に物を投げつけるガシャンパリンという音が聞こえてくる中、楽屋の壁をぬっと突き抜けて沙奈が顔を出した。

『あはは、やー、どんな衣装かちょっと敵情視察に』

 エレノアたち四人はやれやれと肩を落とした。

「イタズラしないで。またキレて騒ぎを起こされたら困るわ」

「そうだよ、沙奈さんだけのぞくなんてズルい」

「まったくね・・・じゃなくて、ゴホン、そんなことより」

 エレノアの仕切り直しに、沙奈が期待をこめて顔を近づけた。

『うんっ、私たちの衣装よね!』

「いや、そんなことより楽器だ!」

「そーだよ、楽器見に行こっ!」

『あの、衣装・・・』

「わたしのメロトロンも届いてるかしら」

「どうしたんですか? 沙奈さんも早く行きましょう」

 一人無視された沙奈を置いて、四人は意気揚々とリハーサル・ルームへ向かって行った。沙奈は仕方なく後を追いながら、いっそ"バカには見えない衣装"とでもしておけばよかったかもと考えていた。


「おおおおおお~~っ」

 勢いよくリハーサル・ルームのドアを開け放ち、中に飛び込んだアンナは部屋じゅうに絶叫を轟かせた。後から入ってきたリアとメラニーも「わあー」と声を上げた。エレノアも入るなり息を呑んだ。

 真っ白な床と壁の部屋に、天井一面からの照明を受けて光り輝く新品の楽器たちが鎮座していた。ギター、ベース、キーボードセット、ドラムセット。それぞれの近くにはマイクスタンドが立っており、さらにその足元にはスピーカーアンプ。

「やったー! オレのドラムだー!」

「わーいっ!」

 アンナとリアはただちに自分の楽器に駆け寄った。部屋のいちばん奥に据え付けられているドラムセットには、ずらりと並んだタム、シンバル、背後にはリクエストしたゴング、そしてなんといってもツーバス! 部室のとは比べ物にならない豪華なセットだ。

「よっしゃー、ツーバスだ!」

 アンナは座席に滑り込むと、すぐに待望のツーバスをダカダカと踏み鳴らした。足を連打しながらスティックを手に取り、並んだタムとシンバルを順々にバン、ダン、パーンと試していった。やがて手数を増やしていき、本能のままにドシンバタンと乱れ撃ちを続けた。

 リアは違った。新品のギターに駆け寄ると、しゃがみ込んでうっとりと外見を眺めた。顔が映るほどにピカピカの、真っ赤なボディのフライングVだ。ボディの縁に沿って3つのダイヤルが並び、トレモロアームの銀色が光る。弦に沿って視線を上へ移動すると、虹色のインレイがネックに輝き、ヘッドには"Gibson"のロゴが燦然と――

「あ・・・れ・・・?」

 ロゴのフォントは同じだが、よく見ると"Goblin"と書かれている。「何これ」と言おうと振り向いた拍子に、床のアンプが目に入った。

 アンプの正面に書かれているのは、ロックファンなら誰でも知っている筆記体のロゴだったが、これも"Martian"と書いてある。視線を移すと、キーボードの"BORG"のロゴが目に入った。

「え? 何これ? フーパーさん?」

 リアが怪訝な顔で呼びかけると、入口からフーパーが顔をのぞかせた。

「お気に入られまシたか? 皆様ご要望の機材を取りそろえ、エレノア様より頂いた資料を基に、可能な限り再現しまシた」

「でも、あの、マーシャル・・・」

「ただし名称だけはちょーっと変えてありまス。再現複製品にコピー元の製品銘を入れるのは汎並行パラドックス(TPP)協定に反しますもので。ですがご心配なく、複製品といえど性能はオリジナルに引けを取りまセん」

「いや、心配だけど。著作権が」

 ロゴまでそっくりなだけによけい心配だった。

「何だよ、じゃこれ全部ホンモノじゃねえのかよ」

 口を尖らせるアンナに、エレノアがキーボードセットの椅子に腰掛けながら答えた。

「地球製の本物をここまで運ぶのは無理があるでしょ。税関手続きの時間も掛かるし」

「そういう問題か?」

「肝心なのは音よ、音。あんたも大喜びで叩いて気付かなかったじゃない」

「ン、まあ、そーだけどさ・・・」

「そ、そうだよねっ、見た目じゃないよね、肝心なのは音だよねっ! よーし・・・」

 リアは自分で自分を説得しながら、ギターを首に掛けた。ちゃんとストラップの長さ調整もされていて、ぴったりリアの腰の位置に下がった。

 ぐっとネックを握ると、感触は実物と変わらない。腰に当たるボディの硬さも、肩に掛かる重さも、いつものギターと実感に違いはない。違うのは、V字型のボディが身体に当たる位置と、傷一つない手触りだ。

 新品を扱うときの慎重さで、コードプラグを取り上げてギターに挿し、スピーカーアンプのスイッチを入れた。ピックを一つ手に取り、右手を構え、ゴクリと一つ息を整えて、それから――

 ジャアァ―――ン!!

 抜けるようなコードが一つ響き渡った。壁も天井も越えてどこまでもエコーが拡がっていくかのように、フィードバックが徐々に薄れてゆく中、リアはピックを振り下ろした姿勢のまま、じっと動かない。

「リアさん? どうですか、リアさん?」

 メラニーが心配そうに寄ってくる。

「・・・す・・・」

「リアさん?」

「すっっごお――い! すっごくいい音だよっ! やっぱ専用アンプは違うよ! メルちゃんも試してみなよ、ねっねっ早く早く!」

「あ、あはは、よかったですねえ」

 うって変わってピョンピョン跳ねながら、リアは新しいギターに狂喜していた。

「本物じゃなきゃヤダーって泣かれたらどうしようかと思ったわ」

「もーエリさんってば、そんな子供じゃあるまいし」

 有頂天のリアに苦笑しながら、そのときメラニーはリアのギター用アンプから太いケーブルが伸びているのに気付いた。

「こっちにも何かありますう」

 ケーブルを目で辿ると、部屋の隅の布の下へ消えていた。部屋の一角が凹んでいるのかと思っていたが、そこには天井まで届く四角い何かが、布を被っていたのだった。

 一同がその物体を見上げると、フーパーが話してきた。

「そちらはリア様ご要望の特設スピーカーアンプでございまス。複数台分ということでシたので」

「えっ、わたしの壁アンプ!?」

 リアは喜び勇んでとたとたとその物体に駆け寄っていった。

「まさか本当に用意するなんて」呆れたエレノアの呟きも構わず、リアは被せてある布に手を掛ける。

「そおーれっ!」

 バッサーッ。

 勢いよく布が取り払われた。一同はあんぐりと口を開けた。

 そこにはアンプの壁があった。床から天井まで、普通のスピーカーアンプがそっくりそのまま巨大化したものが一台、でんと聳えていた。透けて見えるウーファーも直径が数メートルはある。

「な、なんじゃこりゃ・・・」

 聳え立つ巨大アンプを見上げながらアンナが呟いた。

「通常のスピーカーを基に特注いたしまシた、名づけて『ウォール・オブ・サウンド』モデルでございまス。迫力は折り紙つきでス」

「迫力っていうか、出オチじゃねえか」

「さらに地球の大音量モデル『スパイナル・タップ』仕様を取り入れ、なんとダイヤルのメモリが"11"まで付いてございまス」

「やっぱギャグですう」

 誇らしげなフーパーの解説と突っ込みの応酬の間、リアはまだポカーンと巨大アンプを見上げていた。

「おいリア、使えるのか? こんなもん」

「・・・使うもん」

「え? マジで?」

「せっ、せっかく壁アンプ用意してくれたんだもん、わたしだって負けないんだからっ!」

 謎の対抗宣言をしたリアは、意を決してギターのプラグを巨大アンプのPAに繋ぎ替えた(幸いこっちは普通サイズだった)。PAのスイッチを入れると、巨大スピーカーからブーンと威圧感のある空電音が部屋中を満たした。

 皆が固唾を飲んで見守る中、リアは巨大アンプの正面でギターを構えた。縮尺のおかしいアンプを背景にした小さいリアは、さながら『縮みゆく人間』か『アントマン』のようだった。

 キッと顔を上げ、リアはピックを振り下ろした。

 ドッギャアアァ――ン!!

 雷と隕石がいっぺんに落ちたかのような爆音。衝撃でリアは文字通り吹っ飛ばされ、向かいの壁にべちゃっと激突した。周りの皆は、フーパーに至るまで耳を押さえて床にひっくり返った。

「何なのよもう」エレノアがずり落ちた眼鏡を直しながら起き上がった。

 リアは背中を壁にひっくり返って目を回していた。アンナが立ち直りながら呼び掛けた。

「いきなり"11"にするやつがあるかよ」

「ふぁ、ふあい・・・」

「爆音でぶっ飛ぶってホントにあるんですねえ」

 エレノアはつかつかとPAに歩み寄ると、巨大アンプのスイッチを切り、念のためボリュームも下げた。

「さ、おバカな子は放っといて、わたしたちもサウンドチェックするわよ。メルも早く試してみなさい」

「あ、はぁーい」

 爆音で乱れた髪を直すと、エレノアはキーボードセットの席に着いた。メラニーもおずおずとベースに歩み寄る。

 エレノアに用意されたのは最新鋭の二段キーボード("BORG"ロゴ)と、オルガンのように本体が下に伸びている、妙に古風で重そうな鍵盤楽器だった。こちらにはメーカーロゴの代わりに、なにやらメタリックであちこちが尖ったエンブレムが付いている。

「そちらはエレノア様ご要望のメロトロンでございまス」フーパーが説明しながら近くに来た。

「アナログだかデジタルだか分からんやつだな」アンナが横槍を入れた。

「いえ、サウンドの自動調整と磁気損失の補正はデジタル・コントロールを入れておりまスが、再生は正真正銘、アナログ・テープによるものですとも」

「なんでそうまでしてアナログにこだわりを」

「動物に繊細なサウンドの違いは分からないわね。さあ聞きなさい」

 アンナを一喝したエレノアは、メロトロンの鍵盤にすっと指を伸ばす。

 ピィ―――――。

「わあ、70年代ですねえ」

「うん、クラシック・ロックだな」

「もっと知的にプログレッシブと言いなさい」

 いまいち反応が薄いメラニーとアンナは無視して、エレノアはメロトロンのスイッチやダイヤルをいじって試した。フーパーが解説した。

「アナログ再生デバイスには金属生体神経節を使用しておりまシて、生物の感覚で判断し、筋肉の反応で調整するシステムを搭載しておりまス。名付けて"メガトロン"」

「まさかロボに変形したりするんじゃねえだろな」

「オプションで変身機能も付けられまスが」

「付けるな付けるな」

「せっかくだけど、ロボットならもうあるから」

「そういう問題かよ」

 アンナとフーパーのやり取りをよそにエレノアはメロトロンの試し弾きを続ける。その横で、メラニーは新品のベースを試すべく、ストラップを掛けた。

 ボン―――ンン。

「わあ、いい音ですう。ありがとうございますっ」

 素直に喜んだメラニーは、ボンボロンと他の弦も試しに弾き続けた。試し弾きの単音の連なりはやがて、曲のリフへと形を取りはじめた。

 メラニーが即興を始めたのを察したアンナが、すかさずリズムを刻んで加わった。始めはドラムを一つ一つ、徐々にフィルを加えて手数を多く。アドリブなら負けないとばかり、デッキをフルに駆使しての即興を本能にまかせて叩いた。

「わたしも! やるやる!」

 そこへようやく立ち直ったリアが走って戻ってきた。幸いギターは、リアが身を挺して無事だったらしい。リアはギターのプラグをアンプ(普通サイズ)に繋ぐと、アンナとメラニーの即興に合わせてコードを繰り出し始めた。

 負けじとエレノアもメロトロンで参戦した。今や演奏はエスカレートしてアンナとリアのアドリブ合戦となり、それほど経験の長くないメラニーとエレノアはテンポに合わせて少ない手持ちから精一杯リフを合わせた。サウンドチェックという名のジャムがひとしきり続いた後、メラニーがだしぬけに叫んだ。

「あそうだ、まだ試してないのがありましたっ」

 メラニーは演奏を止めると、近くにあったマイクスタンドの前へ移動し、スイッチを入れた。

『♪僕らは何を待ってるの』

 メラニーのヴォーカルはドラム、ギター、メロトロンの音量を抜けて、スピーカーから室内にはっきり響き渡った。

 それはライブ用に練習していたセットリストの1曲だった。アンナとリアはニヤリと視線を交わし、ともにマイクスタンドを準備すると、曲の伴奏とヴォーカルを合わせた。

『♪忘れるな』

『♪恐れることなんかない』

 アンナとメラニーがコーラスを合わせ、リアがメインヴォーカルを伸び伸びと歌う。三人に合わせて、エレノアもマイクスタンドを構えた。

『♪言いたいことを言えるんだ』

 ヴォーカルのサウンドバランスも、フーパーの言っていた通り最適に調整されていた。もちろん楽器のチューニングも完璧。四人は今までに経験したことのない、調整されてフル装備揃った最高の環境での演奏に酔いしれた。ちゃんとした機材での演奏は、まるでプロみたいに段違いに良く聞こえる。じっさい、設備はプロ並みだった。

『♪奪わせはしない、この地はホーム――』

『♪オぉ%ォ#ぉオ~~¥~*~っブザブレ~~エл~ぇ~%ェェ~~~ッぶ』

 そして幽霊も自らの歌に酔い痴れた。音質がクリアな分だけ破壊力も段違いだった。

 沙奈が気が付くと、演奏が止まって室内は静まりかえっていた。他の四人はゲルニカさながらの体勢で悶絶していた。

『衣装の用意するね・・・』

「う、うん・・・」

 マイクスタンドを支えにヨロヨロと立ち直ったリアがかろうじて返事し、沙奈はすごすごと荷物を取りに向かった。沙奈が背を向けた瞬間、リアは超速で移動し、PAの沙奈のマイクのボリュームを最低に下げた。

 沙奈さんには悪いけど、今のを聴かせたら、本当に宇宙人の脳ミソが破裂するかもしれないし。


 四人がようやく立ち直ったころ、トランクが一つゴロゴロと床を転がってくると、四人が見守る前で止まった。

『ジャジャーン! お待たせしました、ザ・ファントムズのステージ衣装を発表しまーす!』

 本当にジャジャーンと効果音付きで、トランクがぱかっと開いた。さっきセッションをぶち壊したのを忘れるかのように、沙奈は意味なく明るい司会者口調になっている。トランクに憑いているのか、姿は見えなかった。

 期待半分、このさい歌以外にやる気を向けてくれればいいのにという思い半分で四人が見守る中、トランクの中から服が一着、空中にぬっと立ち上がった。どう見てもポルターガイストの光景だった。

『エントリーナンバー1番は、吸血鬼ドラキュリアこと、リアさん!』

「わー、ぱちぱちぱち」

 ひとり律儀に盛り上げるメラニーをよそに、勝手に芸名を付けられたリアは、口元を引きつらせながら空中に回転する衣装を眺めた。

 衣装の出来はなかなかのものだった。ジャケットは真っ赤な光沢レザーに、スパンコール入りのパンツ、そしてこれまた赤いブーツ。まさしくロッカーというスタイルだ。

『元祖ガールズ・ロッカー、ジョーン・ジェットの衣装を、リアさんのイメージカラー赤にアレンジしました! もちろん、サイズも一回り小さく!』

「そこは言わなくていいから」

『名づけて"リトル・チェリーボム"! うん、これでイキましょ』

「だから"リトル"は外してってば!」

『アンガス・ヤングみたいな小学生ファッションにしようかとも思ったけど、リアさんだと本物の小学生にしか見えないのでやめました』

「ヒドいー」

 アンナとエレノアは必死に笑いをこらえているが、唯一メラニーだけは目を輝かせている。

「わあリアさん、カッコいいですう、いい衣装ですねえ」

「そ、そっかな」

 素直で褒め上手なメラニーの存在は貴重だった。彼女がいなかったら、このバンドはすぐにオアシスみたいにケンカ別れになるかもしれない。

『さあ、そんないい子のメラニーさんに、エントリーナンバー2番の紹介です!』

「わーい、わたしの衣装ですう」

 先ほど空中に浮いていたロッカー衣装がパサリと着地し、代わってトランクの中からふわりと別の衣装が浮かび上がった。

『カワイさを追求するメルさんには、萌えの真髄を体現してもらいます』

「「わーお」」

 全体を現した衣装に全員が感嘆を漏らした。ロッカースタイルとはうって変わって、ボリュームたっぷりのゴージャスな衣装だった。黒のレース地が基調のドレスで、袖もスカートもいたるところがフリルで飾られている。どこかのファンタジーの宮廷衣装のようだ。

「すっごいキレイですう」

『そしてさらに、脳殺スペシャルアイテム!』

 トランクからさらに別のパーツがふわりと浮き上がり、ドレスにぴたりと装着した。ドレスと対照的な白い前掛けで、縁はレースに彩られている。そのサイズや位置はまるでエプロンのような――じゃなくて、エプロンそのものだった。

 さらにもう一点が浮き上がって、ドレスの上、頭の位置に治まった。やはり黒と白のレース飾りがついたカチューシャだった。エプロンドレスと合わせた姿はまさしく、

「メイドさんですう」

「なんでメイド!?」

『これぞ冥土の屍者と書いてメイドの使者! いろんな意味で天国往き!』

 衣装のゴージャスさを台無しにして余りある沙奈の解説に、メラニー以外の三人は無表情で固まった。ややあってエレノアが口を開いた。

「まあ・・・メルが気に入ったならいいけど。エプロンもつけるの?」

「はいっ、わたし『めいどかふぇ』って一度やってみたかったんですう」

「火星でマニア受けを狙ってどうすんだよ」

『火星婦は見た、なんちて』

 し―ん。

 今度はメラニーも固まってしまった。

「はいはい、次よ、次」

 疲れた声のエレノアが促すと、ヤケ気味の沙奈のアナウンスが響いた。

『ゴホン、さあて、エントリーナンバー3番は、未知空間の恐怖・エリさん!』

「なんかわたしだけ方向性違わない?」

 エレノアが不服そうに眉をひそめた。

『いやいや、エリさんの氷の知性と部長の威厳をバッチリ強調してるのよ。それっ!』

 3着目の衣装がトランクから浮かび出た。白地のスーツ型ジャケットに、金のボタンや房飾りが付き、詰め襟が立っている。下はショートスカートだが、不釣合いに丈夫そうなベルトと、これまた金の紐飾りが下がっている。そして帽子は、頭頂部が平らで前方につばが出ているタイプ。

「軍人さんですか?」

「うん、司令官ぽいね」

「悪の副官で"処刑!"とか言いそうなやつだな」

 よほどの神経でないと、これを着て人前には出られないだろう。

『マッドサイエンティストのイメージとどっちにするか迷ったけど、やっぱエリさんは司令官タイプよね』

 三人と一体は固唾を呑んでエレノアの反応を待った。もし気に入らなければ、ここでビームだか消去砲だかが火を噴くはずだ。

「・・・仕方ないわね。せっかくの衣装を無下にするのもなんだし」

 エレノアの声は妙に棒読みだった。視線は軍服風の衣装にクギ付けで、上気した頬の周囲には花柄のエフェクトが見えそう。

 やばい、気に入ってらっしゃる。

「カ、カッコいいですねえ、エリさん司令閣下様」

「落ち着きなさいメル。普通に"閣下"でいいわ」

「どこが普通だよ」

 エレノアの気に入りように、他の皆は安堵と不安を合わせた表情を浮かべた。あれを着込んだエレノアは、部長を通り越して恐怖の独裁者になるんじゃなかろうか。

 とりあえず沙奈は衣装にOKが出てホッとしたらしく、明るい口調で司会進行を続けた。

『さーお待たせしました! エントリーナンバー4番は肉食野獣、プレデター・アンナさん!』

「誰がプレデターだコラ、人を宇宙怪獣みたいに・・・」

 芸名に噛みついたアンナは、浮き上がった衣装を目にして言葉を詰まらせた。

『メタラーのアンナさんの衣装は、もちろんレザー&スタッド!』

 沙奈の言葉通り、銀のスタッド付きレザーベルトが、身体を取り巻くようにリングやバックルで組み合わさっている。

 問題はレザーベルト以外の面積がないことだ。レザーの網みたいなボディに、かろうじてブラとショーツのところだけ生地が付いている。しかもヒョウ柄。

「せくしーですう」

「な、なかなか・・・ぶっ・・・野生的ね・・・ぷぷ・・・」

「ぎゃははははなにその露出――!!」

 赤面するメラニー、必死に笑いをこらえるエレノア。リアにいたっては隠しもせずに爆笑している。

『名づけて"性本能と緊縛戦"! これでアンナさんも女子力がレベルアップ――』

「痴女力を上げてどうすんだバカタレ! 着れるかこんなもん!!」

 アンナは毛を逆立てて怒鳴った。

『ぐす・・・せっかく作ったのに?』

「泣いてもダメ!」

『ワイルド路線で人気暴発よ、あはははは!』

「笑ってごまかしてもダメ!」

 怒りに震えるアンナを、笑いに震えるエレノアとリアがなだめた。

「気にすることないわ。変身で素っ裸になってたじゃない」

「変身してステージ出るわけじゃねえし」

「黒間くん脳殺しちゃうかもよ? にひひ」

「・・・・・・ダメ。変態だと思われるじゃねえか」

「あ、ちょっと迷った」

「心配しないで。もう思われてるわ」

「ざけんなコラ! とにかくダメったらダメ!」

 歯を剥いて怒るアンナをよそに、メラニーはまだ興味津々でレザーの衣装を眺めている。

「こーいうのって、日本でなんて言うんでしたっけ? じょおうさま?」

『あー、そういえば、あのプッツン委員長とか、Sそうな副委員長だったら、喜ぶかも』

 デザインした張本人も偏った人種向けであることを暗に認めたそのとき、部屋の扉がズバーンと開いた。

 なんか最近よくあるパターンのような。そう思いながら、一同は顔を入口へ向けた。

「ほーっほっほっほっ! 本番前の陣中見舞いに来てあげましたわよ!」

 やっぱり。


 ぐったりと力が抜けたファントムズの目に映ったのは、バッチリとステージ衣装を着込んだ仁王立ちの霧乃だった。さっきまで重力酔いとプレッシャーでヨレヨレだった様子はどこへやら、キンキン声の高笑いは完全にいつものはた迷惑さを取り戻している。

 霧乃の衣装は、フリルの袖やリボンがごそっと付いた上半身に、チェック地のミニスカート、頭にはフワフワのコサージュ。完全にアイドル路線で売り出すつもりのようだ。というか、某アイドルの衣装の丸パクリだった。

 そこへ、霧乃の背後に同じ衣装の久里子が姿を現した。

「フフフとうとうニャル様にあたしのステージを捧げるときが来たわフフフ」

 久里子は小声でなにやらブツブツと呟いている。薄笑いを浮かべているのはいつもと同じだが、どうも目の焦点が合っていない。意識の焦点も合っていないらしく、コサージュを股の間に、ショーツを頭に乗せている。

「ちょっとフーパーさん、なんかヘンな薬でも飲ませたの?」二人の様子を怪しんだリアが聞いた。

「いえいえ、PMRC様には重力酔い止めに"ユービック"をご用意しただけでスが。しかし、はて、多幸感の効果はないはずでスが」

「あー、アレは地だよ」

「そこ、自分を差し置いてヒトを変人みたいに言うんじゃありません!」

 いや、そんなことより。

「ねえねえ、黒間くんは? 黒間くんも衣装に着替えたんでしょ? ミニスカートなの!?」

「ミニスカートなんですか!?」

『ミニよねっ!』

「ミニなのよね!?」

「ミニなんだろ!?」

 一斉にファントムズが入口へ詰め寄った。衣装のせいでウザさも倍増な霧乃を覗き越して見ると、廊下の向こうにおずおずとやって来る光の姿が。

 一同は息を呑んだ。光の衣装はファントムズの予想をはるかに超えていた。

 ミニスカートではなく、普通のロングパンツにジャケットのスーツスタイル。ただし生地も色も、霧乃たちの上下とお揃いだ。胸にもネクタイの代わりに、お揃いのリボン。

 男子の衣装としては実に健全なのだが、うつむき加減にもじもじと顔を赤らめる光の、お人形さん度がハンパない。まるで七五三にムリヤリ親に着飾られた男の子のように。

「あ・・・あの・・・どう・・・です・・・か・・・?」

 その一言をとどめに、ファントムズは理性崩壊した。

「「カァァワァイイィィ!!」」

 四人と一体は光めがけて殺到し、霧乃を押しのけ、久里子を床にびたんと突き飛ばした。先頭に出たのはもちろん、超速移動で目を赤くたぎらせたリアだ。

「触らせて嗅がせて吸わせてー!」

 リアは空中をぴゅーんと飛びかかり、光の両肩をガシッと、

 バチバチイッ!

「くるゃあーっ!?」

 光の身体に触れた両手から電撃が走り、感電したリアはのけぞって後ろに弾き飛ばされた。同じく飛びかかる寸前だった他のファントムズにリアが衝突し、四人はボーリングのピンのように床に転がった。沙奈もリアから電撃が伝わったらしく、空中で痺れて止まっている。

「シ・・シビれたあ」目を回しながらもリアはうっとりと呟いた。

「い、いきなり触らないでください、もう」

 一瞬とはいえ吸血鬼に掴みかかられた光は、半泣きで身体を縮こませている。その様子がまたそそられ、ファントムズの面々は床でのたうちながら、光の姿を上から下まで食い入るように見つめていた。エレノアは眼鏡に「●REC」の表示が点滅している。

「わたくしのバックメンバーに手を出すんじゃありません、変態ども!」

 床に尻餅をついていた霧乃が怒声を張り上げる。

「ニャル様の到来で時空が歪んでるわ、ウヒヒヒヒヒ」

 久里子のほうは、突き飛ばされて床に伸びたまま、両脚をバンザイした姿勢で奇声を上げていた。

「しっかりなさい、久里子! 光もいつまでも震えてんじゃありません! わたくし達の出番ですわよ!」

 ようやく立ち上がってぱんぱんとスカートを払ってから、霧乃はPMRCの二人に檄を飛ばす。

「ハイっ、ニャル様っ! 今参ります!」

 久里子は両脚バンザイの姿勢から、いきなり背筋でびょーんと跳び上がると、霧乃の横へ直立ポーズでスタッと着地した。

「は、はいっ、委員長!」

 震えていた光は、命令を聞くなりシャキッと気をつけをした。

 ファントムズの面々も立ち直り、エレノアは霧乃に特上の冷たい視線を投げかけていた。

「せいぜい地球の恥をさらすんじゃないわよ」

「ほほほほ、あなた方こそわたくし達のステージに腰を抜かすんじゃありませんことよ」

「だいじょぶです、腰はちゃんと付いてますから」

「メル、黙って」

 PMRCの三人とファントムズの四人は睨み合った。少し前は、風紀委員VSゲリラバンドという構図だったのだが、それが今やどういうわけか、アイドルグループ(自称)VSロックバンドになっている。

 リアはPMRCを見渡した。演奏はどうか知らないが、お揃いの衣装を着て、少なくとも見た目はそれなりにちゃんとしたグループに見える。

「あなた方も宇宙と一緒に、わたくしにひれ伏すがいいですわ、ほーっほっほっほっ」

 高笑いとともに霧乃はファントムズ目の前で、ずかずかと部屋を出て通路を歩いていった。

「委員長、こっちです」

「う、うるさい、分かってますわ」

 霧乃はつかつかと光が指差した反対方向へ早足で進んでいった。久里子がふらつく足で後を追う。

「え、ええと、それじゃ、皆さんもがんばってくださーい」

 光は慌しくファントムズに挨拶すると、霧乃の後を追いかけていった。あさっての方へ歩いて行く久里子の手を引っぱり、久里子が落としたショーツとコサージュを拾いながら。

「ありがとっ、黒間君もガンバってねー・・・じゃなくて、わたし達のステージも見てよねっ!」

 リアが遠ざかる光に向けて手を振った。

「ほらリア、敵の応援はもういいの。黒間君のステージなら録画してるから」エレノアがリアの肩を引っぱる。

『ローアングルでね、もちろん』

 リアはくるりと皆に向き直った。

「よーしっ、わたしたちもサイッコーのステージにしよっ!」

 鼻息も荒く紅潮するリアに、アンナが苦笑しながら、ばっと片手を突き出した。

「おしきたっ、やるぞっ! ファントムズッ!」

 アンナの号令で、リアがすかさず手を伸ばして重ねた。メラニー、エレノアが続く。沙奈も重ねられないけど合わせて手を伸ばす。

「やるぞっ、ファントムズ、レッツゴーッ!」

「おーっ!」「はいっ!」「やるわよ!」『イェーイ!』

 四人と一体は手を上に跳ね上げてから、ちょっと気まずそうに離れた。次にこれをやるときには、掛け声を決めておかないと。

 号令をスベッた一同が所在なさそうに視線をさまよわせていたとき、廊下からフーパーが声を掛けてきた。

「ファントムズ様、そろそろステージのお支度をお願いしまス。本番十五分前でございまス」

 その言葉に、リア達はゴクリと視線を合わせた。

 いよいよだね。

 いよいよです。

 やるわよ、みんな。

 さあ、衣装に着替えて。

 やなこった。

 ファントムズの面々は緊張と決意と抗議を無言で交わし、リハーサル室の扉を閉めた。


 本番前の緊張と興奮を紛らわそうと、四人は互いに衣装の着替えをわいわいと手伝った。普段着とはかけ離れたメラニーとエレノアは少し装着に手間取った。その場のノリでレザー衣装も着てくれるかと沙奈は期待したが、残念ながらアンナはTシャツとスパッツの校内スタイルだった。

『アンナさんってば、せっかくの大舞台なのに、普段着で出るなんて』

「うるへ、変態衣装よりマシだ」

 四人が着替え終わった頃を見計らって、フーパーがドアをコンコンとノックした。

「皆さま、それでは出番でス。ちょうど前の出演者のステージが終わるところでス」

 ドアが開いてフーパーが顔を覗かせると同時に、部屋の壁にぱっとモニターが点灯した。

 モニターに映ったのはフェス会場のステージだった。同時に会場の轟音がモニターから聞こえる。ステージのバンドの演奏が数音響いたところでピタッと止まり、一瞬の間をおいて観客の大歓声がどっと沸きあがった。

 ステージのバンドは歓声に応えて手を振っている。バンドのメンバーは人間のようだが、何人かはどうも見た目が変だ。三頭身のゆるキャラみたいなのや、カクカク動くメタリックなボディの人?や、白塗りに黒のローブ姿の人がいる。

「この人たち、人間なんですか? フーパーさん」リアが訊いた。

「はい、彼らは地球で結成された"ワイルド・スタリオン"でス。中心メンバーは地球人ですが、そのほか宇宙人、ロボットがおりまス。それから地球の"死神"という方もいるそうで」

「・・・なんかわたしたちよりメチャクチャなメンバーだね」

 モニターでは、"ワイルド・スタリオン"のメンバー全員が、ステージの前に出て並んでお辞儀をしていた。

「そうね、うちは死神じゃなくて悪魔だけど。顧問だし」エレノアがすました顔で言った。

「いや宇宙人がいるだろオメーがよ」

「わたしはあんなクリッターみたいじゃないわ」

「わたしたち以外にも宇宙人さんや妖怪さんのバンドっていたんですねえ、知りませんでした」

「"ワイルド・スタリオン"はもっぱら宇宙や未来世界で活動されておりまスので」

 フーパーの説明に、一同は納得するのをあきらめ、苦笑しながらモニターを見返した。さっきの歌う花といい、宇宙フェスの出演者にフツーのバンドらしさを期待するほうがまちがってたみたい。

 それに、今は他の出演者を気にしている場合じゃない。あのステージにこれから、自分たちが上がるんだ。この"ワイルド・スタリオン"と同じくらい、観客を沸かせられるだろうか。

 リアがぎゅっと拳を握っていると、アンナがぽんと肩に手を乗せた。

「心配すんなって、オレたち宇宙の神サマにだってウケたじゃねえか」

「またあのときみたいにいいステージにしましょう、リアさん」

 自分にも言い聞かせるようにメラニーも声を掛けてきた。

『うんうん、このメンバーならきっと大丈夫。私も草葉の陰から応援してるからねー』

「あ、ありがと、沙奈さん・・・」

「さあ、いよいよよ。シャキッとしなさい」

「「はっはいっ!」」

 軍服風衣装の制帽をビシッと決めたエレノアの一喝に、リアとメラニーは思わず気をつけをしてしまった。心配したとおり、この格好のエレノアは普段よりも威圧感がグレードアップしてる。

 そのうえエレノアはステージに備えて眼鏡を外しており、両目を爛々と光らせていた。この目を向けられると洗脳光線でも飛んで来そうで、本気で怖い。

「宇宙中に見せてやるわよ、フフフフフ・・・」

 エレノアの不敵な笑いにリアとメラニーは震え上がった。もう司令官を通り越して悪の征服者レベルだ。

 だが悪のエイリアンに怯まない者もいた。

「お前だって緊張してんじゃんか、目がギンギンに光って」

「お黙り、これは武者震いよ」

「まちがってキーボードの自爆ボタン押すんじゃないぞー」

「あんたこそ床を踏み抜くんじゃないわよ」

 アンナとエレノアのいつもと変わらない応酬に、リアはいくらか緊張が解けた。

「そうだね、いつもと同じだよね、ガンバロっ、メルちゃん」

「はいっ!」

 ひとしきり各自の心の準備ができたところを見計らって、フーパーが声を掛けた。

「それでは皆様、楽器のスタンバイをお願いしまス。そのままステージへ移動しまス」

 スクリーンを見ると、いつしかステージは"ワイルド・スタリオン"が退場し、無人になっている。

「え、この部屋からそのまま? 楽器ごと?」

「左様でございまス」

「当然でしょ、機材はここにあるんだから」

「いや、機材セッティングしてから登場かと思ってた」

「ま、フツーはそうだよな」

「ほらほら、いいから楽器持って、マイクの前に行って。あんたも早くドラムに座りなさい」

「へいへい」

 リアとメラニーは言われた通りギターとベースを肩に掛け、マイクスタンドの前に移動した。言われてみると、マイクスタンドの置いてある場所は、ステージでの立ち位置と同じだった。

 エレノアはすでにキーボードセットに移動していた。残るアンナもドラムセットまで移動してスツールに腰を下ろすと、スティックを両手に構えた。

 アンナはドラム越しに他の三人を見渡した。リアとメラニーはスタンバイを終えて、こっちの様子を伺っている。エレノアは緊張だか武者震いだかが治まったらしく、目の光が消えて「そっちこそ準備はいい?」とばかりに見返している。

 四人とも無言だった。アンナはもう一度リアを見た。目を合わせて、小さく頷いた。

 リアも頷いた。ひと呼吸置いて、くるりとフーパーに向き直った。

「じゃ、転送お願いします」

「いえ、そのまま移動いたしまス。では」

「え、それってどう――」

 ガゴーン!

 リアが言い終える前に、いきなり天井から、列車の連結のような重機の起動音が響いた。四人が天井を見上げると、天井の中央に光の帯が現れていた。

 光の帯はどんどん幅を広げていった。それにつれて轟音のノイズが光の中から浴びせられた。徐々に目が慣れてくると、部屋の天井が二つに分かれて両壁の中へ消えていくことに気付いた。

 やがて天井が壁の中に全て吸い込まれ、轟音の中で再びガゴンと重機音がした。天井が消えた頭上には、ミサイル発射基地みたいなトンネルが上に数メートル続き、その向こうから無数の光と、嵐のような大音量のノイズが降り注いできた。

 リアはその轟音に聞き覚えがあった。ライブ映像でおなじみの音。さっきまでバックステージの通路に漏れ聞こえていたのを数百倍にボリュームアップした、二千万人が上げる歓声だ。それにあの光の並びかたは、ステージのスポットライトにそっくり。

「ここって会場の真下!?」

 リアはフーパーに訊こうと声を上げたが、頭上からの歓声と、ふたたび起こった重機音にかき消された。ただし今度の重機音は足元からで、しかも床全体がガタガタと振動している。

「ちょっ、フーパーさーん、どうなって――」

 慌てて叫ぶリアの揺れる視界の中で、フーパーの姿が床に沈んでいった。

 いや、そうじゃなくて、フーパーを残して床全体がせり上がっているのだった。上に頭を向けると、トンネルの壁がこっちへ向かって移動している。それに向こうに見えるライトも。

「おおおい、まさか――」

 アンナが怒鳴った。その答えの代わりに、頭上から大音量の声が降ってきた。歓声をも突きぬけるほど明瞭に。

『皆様、拍手でお迎えください! ザ・ファントムズ!』

 リア、アンナ、メラニー、エレノアが呆然と顔を見合わせる中、お構いなしに床はトンネルを登り続けた。

『ファントムズーっ、ゴーっ!』

 沙奈の無責任な応援と、拳を上げて跳び上がる姿が一瞬見えたのを最後に、リハーサル室はトンネルの下に消えた。

 入れ替わりに目に飛び込んできたのは、トンネル上端の地平線からだしぬけに現れた、視界いっぱいにぎっしりと蠢くカラフルな砂嵐。

 ワァァァ――――ッ!

 いや違う、砂嵐じゃなくて、人混みだった。動いている一粒一粒は、みんな叫んだり手を上げている人だ。沸き立つ人々が見渡すかぎり何千人もいる。

 人の群れは左右にだけでなく、上のほうにまで果てしなく延びている。途方もない巨大な登り斜面が正面に聳えていて、それを全て人々が埋め尽くしているのだ。

 視界を埋め尽くす人々と、耳を圧倒する歓声の中、ズシンと床の上昇が止まった。振動でよろめいたリアが視線を泳がすと、アンナ、エレノア、メラニーが呆然と固まっているのが見えた。それに今までリハーサル室の床だった足元が、今はもっと広い床の一部につながって、無数のライトに照らされているのを。

 リアの心臓が跳ね上がった。

 どうしよう。

 ステージに上がるって、まさかステージごと上がらないでしょ、フツー。


 ワァァァ――――ッ!

 フーパーさんの話だと、この観客は二千万人だって。

 それって、ウッドストックの百倍ぐらい? 東京ドームと比べたら千倍ぐらい、この前の校庭ライブと比べたら百万倍ぐらい――

 リアは動転してよろめいた。ぐるぐる回りだす視界の中で、メラニーが両腕を震わせ、エレノアはこわばった顔で爛々と目を光らせ、アンナは呆然と脱力しているのが見えた。

 そして自分の顔も。悪夢のように巨大なリアの顔が、リア自身を見下ろしていた。

 じゃなくて、それはモニター画面だった。ステージの背面に巨大なモニターが映っていたのだ。

 他の三人に増して、泣き出しそうな目のリアがいちばんひどい顔をしていた。しかも巨大化して。

「わわっ」

 慌ててリアはモニターから顔を逸らし、その結果、マイクに顔をぶつけてしまった。

『ゴツン!』

 マイクにぶつかった音は会場じゅうにはっきり響いた。衝撃に目をしばたいたリアは、歓声が徐々にトーンダウンしていくのを聞いた。それから自分がみるみる赤面していくことも、それがモニターに大映しされていることも感じた。

 パニックに駆られてリアは背後を振り向くと、アンナとエレノアがリアの失態にいたたまれない表情をしている。メラニーは緊張と震えがさらにひどくなっている。

 どうしよう。ダメだ。どうしよう、もうやだ――

 リアはぎゅっと目をつむり、唇を引き結んで歯を食いしばり、両手を握り締めて立ち尽くした。歌うどころか、声も出てこない。目も開けられない。耳の中で血が流れる音が歓声を凌いで、何も聞こえない・・・

『ゴアアァァァ――――ンン!』

 だしぬけに雷のようなとんでもない衝撃音が轟いた。リアはビクッと思わず目を開けた。

『ズダン! バン! ダダダダダダン! ドシャーン!』

 続いてドラムやシンバルがけたたましく打ち鳴らされる音。リアは振り向いた。アンナがドラムを乱打している。アンナの背後では、さっきのものすごい一撃を鳴らした銅鑼(ゴング)が揺れていた。

 アンナはスネアに連打をかましてから、マイクを引っつかんだ。

『レディース! アンド! ジェントルメーン! ウィアー! ザ・ファントムズ!!』

 リアは呆気にとられてアンナを見つめた。真っ赤になって握り締めていた手を開いて。視線を巡らすと、エレノアとメラニーもポカンとしてアンナを見ている。アンナは緊張を隠すためか、それとも緊張しすぎて頭のネジが飛んでしまったのか、とにかくいつもみたいに力いっぱいスティックを握って、叫んでいる。

『宇宙人のみなさんよーこそー! 手の生えてる人は拍手を、それ以外の人は、えーと、何でもいいからジャラジャラ鳴らしてくださーい!』

 会場からうねるような短い歓声が起こった。笑い声だろうか。リアもつられて笑ってしまった。はずみで目の端に浮かんでいた涙の玉がポロリと落ちた。

 マイクをつかんだままのアンナはチラリとリアに視線を向け、そのまま思案するように目を泳がせた。

 リアは理解した。わたしが固まって弾けないので、なんとか間を持たせてるんだ。気まずくてアンナから目を逸らした。でもまだ観客のほうも見れない。結局アンナも観客もいないステージ横のほうに目を向けたまま、必死になって落ち着こうとした。

 落ち着いて。がんばれ。がんばれ。いつもの練習なら一度も間違えたことない曲だ。できる。だいじょうぶ。まずはイントロのリフ。テンポは速くない。だいじょうぶ。それから歌。ヘイ、ベイビー、僕を信じて、それだけでいい・・・えーと・・・もう止められない、くじけたりなんかしない・・・

 それを歌う自分がくじけてどうすんだ。

 リアはギターのネックをぎゅっと掴んだ。この手の震えを止めなきゃ。みんなに、わたしは弾ける、歌えると、信じさせなきゃ――

 それだけでいい。きっとその後は、この歌が続きをやらせてくれる。

 リアはギターのストラップを肩から外し、ギターを床に置いた。

 アンナ、エレノア、メラニーは息を呑んだ。ムリか? まさか逃げる気?

 するとリアの姿が消えた。

 と、リアはメラニーのすぐ横に超速移動で現れた。メラニーが驚く間もなく、リアはメラニーの右胸からむぎゅっと抱きついた。

「え? あ? リアさん?」

 リアは両腕でメラニーにしがみつき、目を閉じて頭をメラニーの右肩に押し付けた。

「ごめんメルちゃん、ちょっとだけ、ちょっとだけ落ち着くまでこうさせて」

 メラニーは目をぱちくりさせ、やがて「そうですか」と、自由な左手をリアの腕に添えた。ふわふわのレース生地の衣装と、負けずにボリュームのあるメラニーの髪が、リアの身体を包んだ。

「前のライブはわたしが落ち着かせてたのにね」

「大丈夫ですよう。リアさんならいつも通りに、きっとできます」

「わたしたちなら、ね」

「はいっ」

 メラニーが少し強く手を握り返したと思った瞬間、リアはぱっといなくなった。メラニーはちょっと戸惑ってから、しっかりと観客を見据えてベースを握りなおした。

 リアは次にエレノアの横に姿を現した。不意を付かれたエレノアの光る目が文字通り瞬きする間に、リアは横からエレノアにぎゅっと抱きついた。

「エリさん、慌てちゃって、ごめんなさい」

 エレノアは一つ息をつくと、ぽんとリアの背中に手を当てた。エレノアの豊かな胸がリアの腕を押し返した。

「もう大丈夫ね」

「うん」

「なら、いつも通りにできるわね」

「うん、エリさんもね」

 エレノアは身体を離してリアに微笑みかけた。「当然よ」

 光が治まったエレノアの目に、リアの笑顔が一瞬見えたが、ぱっと消えた。エレノアは両腕を組んで伸びをすると、鍵盤の上に手を置いた。

 アンナはリアが背後に現れたのを風で感じた。リアはアンナの背中からがしっと抱きつき、肩に顔を乗せた。

「ありがとね」

 リアは一言だけ言った。アンナはわしゃわしゃとリアの髪を撫でてやった。

 背中に当たる呼吸で、リアがもう緊張してないことがわかった。アンナも一言だけ言った。

「んじゃ、やるか」

「うん」

 返事がアンナの耳に届く間に、リアは元の位置に戻っていた。ギターもすでに肩に掛けている。オレのことも少しは気遣えよ、と苦笑しながらアンナはスティックを握りなおした。

 目を伏せたまま、リアは左手でネックをぎゅっと握り、右手のピックの感触を確かめた。

 そして、意を決して、顔を上げ、天上はるかに続く観客を見上げた。

 二千万人の視線が見返してきた。

 一瞬声をつまらせたが、そのとき三人の声が頭をよぎった。

 きっとできます。大丈夫ね。んじゃ、やるか。

 リアは目を閉じ、その声に心の中で答えた。

 行くよっ、ゴー、ファントムズ!

 目を開け、リアは息を吸い込んだ。

『ザ・ファントムズでーす! 聴いてくださーいっ!』

 ワァァァ――――ッ!

 耳を聾する歓声の中、今度ははっきりとアンナの声が聞こえた。

『ワン、ツー、スリー、フォー!』

 リアはピックを振り下ろした。

 

 ギターの音は火星の大気を震わせた。

 ステージ上のPAから、観客席のスピーカーから、中継ステーションのモニターから、銀河の視聴者のテレビから、時空の果ての超空間ワームホールから、地球のバンドから放たれたギターリフは、観客の、スタッフの、視聴者の、宇宙神の、鼓膜と波形感覚器と意識構成量子を揺さぶった。

 数小節のギターイントロに続いて、ドラム、ベース、キーボードの音がぴったり揃ってリズムに加わった。

 ヴォーカルの地球人少女が力の限りに叫んだ。

『ヘ―――――イ、ベイビ――!』

 その声に応えて、観客は一斉に歓声を返した。


 見渡す限りの観客が、腕を振り上げ、あるいは触手を振り上げ、あるいは歓声を上げ、あるいはよく分からないが様子が変わったのを、リアは見てとった。二千万人が爆発させたそのエネルギーは、まぎれもなく自分たちの曲に合わせて生まれたものだった。

 リアは同じエネルギーを自分の声に感じた。

『♪僕を信じて それだけでいい』

 さっきまで視線の圧力で喉を塞いでいた観客が、今は声に力を与える燃料になってくれている。

 他の三人の演奏も、リアの演奏をエンジンのようにずんずんと進めていた。力強く曲に引っ張られながらリアはふと、飛び交う歓声と反響音の中でもバンドの演奏音はクリアに聞こえることに気付いた。それから、どうも直接頭の中から聞こえるような感じがするのと、そういえば翻訳装置を耳の中に付けられていたことを思い出した。きっとそれがイヤフォンの代わりになってるんだろう。

 そんなことより、メルちゃんもエリさんも、わたしほど緊張してないみたいでよかった。それにアンナ、どんなときもノリよく叩いてくれる。観客も野次馬も気にしない豪快な性格がときどき羨ましい。

 そんなことを考えているうちに、コーラス・パートが近づいてきた。タイミングで最大の声を出せるよう、息を次いで――

『♪世界のてっぺんに立とう』

 リアは四人の声に乗って、身体が浮き上がるような感覚を足下から感じた。ステージから声を合わせるって、ほんとに空まで駆け上がりそうなくらいに爽快。観客も同じくらい幸せだといいけど、とリアは客席を見上げた。

 ワァァァ――――ッ!

 観客はコーラスに合わせて高揚していた。リアは抑えきれなくなって、徐々にジャンプやヘッドバンギングを繰り出し、ついにはギターソロのところでステージを飛び跳ねて一周した。回りながらアンナ、エレノア、メラニーに近寄ると、演奏しながらリアに笑みを向けた。リアは満面の笑顔で返した。

 それにステージ脇に沙奈が来ていることにも気が付いた。曲に合わせてヨーヨーのようにびょんびょんと上下しながら、全力で手を振り上げ、叫んでいる。幸い、歌ってはいないようだ。

 ステージを回りながら、リアはあの巨大アンプも一緒に移動してきていたことに気付いた。聞こえる感じだと、音量もいつのまにか調整され直されてるらしい。リアは四人のコーラスが、巨大スピーカーから観客席の山の頂上へ、そこを超えて宇宙の彼方へ放たれるところを想像しながら、ありったけの声で叫んだ。

『♪世界のてっぺんに立とう 僕らの全てを賭けて』

 そしてエンディングのリフ、最後にアンナが振りかぶるタイミングに合わせて――フィニッシュ。

 徐々に消えていく最後の一音とともに、歓声は大きく膨れ上がっていった。

『ありがとうございまーすっ!』

 リアは一声呼びかけると、改めて観客席を見上げた。最初はカラフルな砂粒のような印象だったが、見分けられる範囲でもいろんな体色の宇宙人がひしめいている。原色系とか、虹色系とか、目まぐるしくチカチカと色が変わる人までいる。見ているだけでサイケトリップしそうな眺めだった。

 宇宙人の姿形は千差万別だった。さっきバックステージで見かけた緑のとかタコみたいなのとか、出演者にいた植物とか着ぐるみみたいなのとか。クモみたいなのとか、あるいは――いや、今のは見なかったことにしよう。リアはその宇宙人から目を逸らし、個々の姿が見分けにくい上方へ視線を移した。しかしはるか山頂まで遠く離れているはずの観客席にも個人の姿が見てとれる。きっと身体がすごく大きい種族で、そういう人たちは後ろの席にされているんだろう。

 そうだ、大きい種族といえば――と、リアは山のさらに上、空のほうを見上げた。

 いる。

 リアは急いで視線を下げた。このフェスのスポンサーで、数日前にリアたちの学校上空に現れた宇宙神、巨大触手のオグドル=シルだ。地球に出現したときと同じく、空にワープ穴を開けて姿を覗かせている。

 それだけでも充分ゾっとするのに、今回はさらにお友達が団体でやって来ていた。空はさながら邪神の団体ツアーのようで、そこかしこにワープ穴と触手が蠢いていた。中にはさらに異様で吐きそうな姿のものも、それどころか一目で卒倒しそうなものも混じっている。アンナたちもリアにつられて上空を見上げたが、すぐに目を伏せた。どんな姿なのかはっきりとは見なかったが、二度と見たくないことだけは確かだった。

 あれがフェスのVIP席なんだ。後で楽屋でミート&グリートしろとか言われたらどうしよう。

 そんなことを考えているうち、しばらく突っ立って観客を待たせてしまったことに気が付いた。リアは慌ててマイクに叫んだ。

『ありがとうございまーす! 火星のみなさん、こんばんわーっ!』

 ワァーッと観客が応える。よかった、まだ観客は冷めてない。言葉がうまく翻訳されてるといいんだけど。

『これが、地球のロックです、楽しんでくださーいっ!』

 再び観客が期待に歓声を上げる。リアは振り返った。アンナが軽く頷く。

『オ―ケ――イ! 次の曲行くよ――!』

 アンナは力いっぱい叫ぶと、二曲目のカウントを叩いた。

 シンプルなドラムに乗って低い音のイントロが流れ出す。観客は期待に耳を傾ける。

 今度のヴォーカル担当はアンナだった。ドラムがシンプルで歌いやすいこともあったが、何といっても元曲のヴォーカルが男気あふれる骨太な声だったため、歌うのはアンナしかいないと意見が一致した。例によってエレノアにはどうもバカにされてる気がしてならないが。

 上等だ、エリも火星の奴らも全員、オレの歌でノックアウトしてやるぞ、聴けよ――

『♪今度はゲームじゃない』

 アンナは力強い声で歌い始めた。伴奏はあくまで抑え目のコードで、ヴォーカルを浮き上がらせている。派手に盛り上がった1曲目とは違う叙情的な曲に、観客は身体を委ねながら聞き入っていた。

 宇宙人のみんな、パワー・バラードは気に入るかな? さあ、こっからだぞ――

 アンナはコーラスに一段と声量を広げた。ドラムを叩く手にもぐっと力を込める。リアの声が合わさる。

『♪独りの眠れない夜はもう来ない

 運を試そう 新しく踏み出すんだ――』

 ワァ――ッ! 観客はコーラスの盛り上がりに乗って叫ぶ。それに向かって、アンナはさらに大きく声を張り上げる。ラストの1フレーズを、アンナはたっぷり二小節ぶん伸ばしてシャウトした。

『♪不安は捨てて お前と走り出そう――――』

 歓声が最高潮に大きくなる。リアが(やったね)と振り向いて笑う。会場に響く間奏のドラムに合わせて、観客が手拍子を始め、またある者はジャンプを始め、またある者はカタツムリの目のように膨らんで伸び縮みしながら体色をリズミカルに変えている。

 チラリと視界に入ってしまった上空の邪神の群れも、リズムに合わせて触手を蠢かし、あるいは何ともいえないパターン模様を表示していた。まあ、気に入ってくれたんだろう、たぶん。

 リズムに合わせて、巨大な観客席全体から歓声が上がり、腕が上がり、脚が上がり、巨大な響きと振動が会場を震わせた。ドォン!ドォン!ドォン! 観客で覆われた山の輪郭が揺れ、山全体が飛び跳ねているような錯覚がした。ひょっとすると、本当に山が揺れているのかもしれない。

 このうねりに逆らえるはずもなく、リアとメラニー、それにエレノアまでも身体を上下に大きく動かしてリズムに乗っていた。そして中心の発生源となっているアンナは、自分のドラムが何億倍もの揺れに増幅される快感に高揚し、自らがリズムに合わせて鼓動しているかのような喜びで、歌い続けた。

『♪行こう 走ろう お前と』

 最後の一音をバシン!と叩くと、観客のリズムが止まり、変わって振動のエネルギーが全て変換されたかのような大歓声が空気を満たした。

 アンナは満面の笑顔でマイクに叫んだ。

『サンキュ―――!! さあお次は、君らの同類、エリー・スターダストの出番だよ!』

 勝手に付けられた芸名で宇宙中に紹介されたエレノアは、しかしアンナを睨みつけることもせず、じっと無表情でキーボードセットの中で立ち尽くしていた。その目は地球から観測できそうなほどに明るく光っている。さしもの冷血エイリアンも緊張が最高潮らしい。

(エリさん、大丈夫ですか?)

 メラニーが心配そうな顔で振り向いて声を掛けていた。歓声で直接は聞こえないが、翻訳機を通して声は伝わってくる。エレノアは(大丈夫)と答えると、おもむろに目を閉じた。

「2,3,5,7・・・11,13,17,19・・・23,29・・・よし」

 目を開いたエレノアは、もう目の光は消えていた。

(何だそれ、宇宙式精神統一か?)

 あっという間に落ち着いたエレノアに驚いて、アンナが訊いた。

(いいえ、地球式よ)

 エレノアは涼しい顔で答えると、マイクに顔を寄せた。

『次は、地球の天体現象の曲・・・"アースシャイン"です』

 簡潔にそう言うと、エレノアはアンナの方を向いた。どこまで冷血なんだこいつ、と呆れ感心しつつ、アンナはカウントを叩いた。

 重厚な低音が重なったイントロが響いた。エレノアが自分でアレンジして加えたキーボードパートも重なる。さっそくあのメロトロンを使って。

 前の2曲とはうって変わった重いサウンドに反応した観客が唸りを上げる。

 エレノアはメロトロンの和音をズシンと響かせながら、一片のブレもない声で歌いだした。

『♪特別な夜 角度が合い 月が細く欠けているとき』

 なんて科学的な歌詞だ、とアンナは苦笑した。さすが科楽部部長。こんなサイエンスな曲で受けんのかな、とアンナは客席を見渡した。

 一人、異常なぐらい盛り上がっている客がいる。蛍光色で「GO!GO!ELLEN」と書かれたド派手なハッピに、ハチマキにペンライトを挿し、モッシュさながらにピョンピョン跳び上がっている。ミドルテンポの曲なのに。周囲の観客は釣られて乗せられる者も数人いるが、ほとんどはドン引きで距離を置いている。

 地球人の女だった。ていうか、エレノアの母親だ。あろうことか、エレノアの顔写真入りTシャツと団扇まで装備している。

 絵に描いたようなバカ親の出現に吹きながら、アンナは横目でエレノアの様子を伺った。

 エレノアは慎重に母親の方角から目を逸らし、微塵も動揺を顔に出していない・・・ように見える。

 ステージ前方を見ると、リアとメラニーも気付いているらしく、必死に笑いをこらえながらコーラスに備えてマイクの前に立っていた。

 気を取り直してアンナもマイクを寄せた。エリの曲でバックをしくじり、しかもそれがエリのママに気を取られたせいだなんて知れたら、後で宇宙級のお仕置きをされるに決まってる。

 かくして四人とも努めて平静を装いながら、コーラスの声を合わせた。

『♪ウー・・・ 地球照 夜空の標を 僕は見上げる』

 織り重なるコーラスと演奏の流れに、観客(一人を除く)はゆったりと心地良く身体を揺らしていた。アンナはほっとした。よかった、宇宙人はメロディアスな曲も好きそうだ。一瞬だけ頭上に目をやると、邪神の団体も観客の揺れる波に合わせてのたうっていた。

 天体の運動さながらに重厚で雄大なメロディーで会場を揺るがしながら、四人は演奏を終えた。余韻の中から急激に歓声が沸きあがる。

 エレノアは一言『ありがとう』と言った。客席をつん裂く「エレーン! 最高ー! 愛してるー! ギャー!」という声にも、視線ひとつ変えなかった。徹底的に見なかったことにするらしい。

 目を逸らしているエレノアの視線の先は、次の曲のヴォーカル担当であるメラニーだった。歓声の中でメラニーは、興奮と緊張と、衣装の自慢がちょっぴり混じった顔でマイクに顔を近づけた。

『ありがとうございますう。次は、えっと、わたしとみんなで歌いますう、"スロウリー・スリッピング・アウェイ"です。聴いてくださーい!』

 さらに大きくなる歓声の中で、メラニーは演奏と歌に集中するために目を閉じ、背筋を伸ばしてまっすぐに立った。その姿勢を合図に、アンナのカウントが響いた。


 沙奈はファントムズの演奏を草葉の陰から、もとい、ステージ横から見守っていた。

 いや、「見守っていた」というのは的確な表現ではない。実際のところは、飛んだり跳ねたり、横に回転したり縦に宙返りしたり、ヘッドバンギングで悪霊さながらの形相になったりと、曲に合わせて力の限りに悪ノリしていた。いや、曲に合ってもいなかった。メチャクチャなリズムでサビもブリッジも関係なく、発狂したアクロバット芸人のように飛び跳ねまくっている。悪ノリはエレノアの母親といい勝負だった。

 幸か不幸か、幽霊でも体力は無尽蔵ではなく、息切れでフラフラになったところでちょうどメラニーのややスローな曲になり、ようやく沙奈はステージをじっくりと眺める機会を得た。リハーザル室から運んできた、沙奈の本体であるテレビに肘を突いてステージを見つめる。

 曲自体は部室の練習で何度も見ていたが、こうしてステージの上で、歓声を浴びながら演奏する姿は、まるでスターのように眩しく映った。いつもなら、発光で眩しがられるのは自分のほうだが。

 沙奈はうっとりと演奏を眺めながら、一緒にリハーサル室から来たフーパーに話し掛けた。

『みんなスゴいわよねえ。宇宙人にもあんなに大ウケだし』

「実に見事な演奏でいらっしゃいまスね」

『私だって同じ部員なのに、一緒に出られなくて悔しいっ、ムキーッ』

「そう仰らずに、あなたがお仕立ての衣装もお見事でいらっしゃいまス」

 フーパーは如才なく沙奈をフォローした。

『そ、そう? エヘ、へへへへへへ』

 沙奈の世にも不気味な笑顔を目にしたスタッフが一人、ビクッと怯えて逃げ出して行った。

 ステージでは、メラニー&リアと、アンナ&エレノアの二組が交互にコーラスを取っているところだった。

『♪ゆっくりと消えていく――』

『♪朝 僕は感じる』

 衣装を褒められて上機嫌の沙奈はつい、合わせて自分も歌ってしまった。

『♪*ス÷ロ&~リ~$リ~πン@ウェイ#~~』

 その瞬間、沙奈の周囲からスタッフがザザーッと引いていった。運悪く逃げ遅れた一人は、"クリムゾン・キングの宮殿"さながらの形相で床に倒れこんでしまった。

 幸い沙奈は1コーラスで息が切れ、こんどは観客席の宇宙人たちを観察した。

 エレノアの母親は騒いでいなくてもライトを光らせてかなり目立っている。今はあの顔写真入り団扇を周りの観客に配っているところだった。団扇を渡された客は大半が迷惑そうな顔をしている。唯一嬉しそうに受け取った客は、団扇を食べた。

 そこから少し離れたところに、エレノアの母親に匹敵してケバい集団がいた。

『あそこの人たちは何? チンドン屋みたいな格好してるけど』

 沙奈はこっそり耳栓をしながら戻ってきたフーパーに訊いた。沙奈が指差した先には、人間に似ているが、量販店のパーティグッズのような、過度にカラフルなウィッグやらサングラスやらを身に付けた団体がいる。

「あちらはトランシルバニア星系人でスね。宇宙のどこでも、パーティがあれば現れると言われてまス」

『へー。あ、なんかラインダンスしてる。あ、あっちのデカい人、もしかしてエディ!?』

「はい、左様で。宇宙を股に駆けて活躍されておりまスが、地球ではアイアンメイデンというバンドの専属モデルをされているそうで」

『ほへー。・・・で、えーと、あのニョロニョロしてるのが、このフェスの・・・』

 沙奈は小さく空を指差した。

「いかにも、主賓のオグドル=シル神である」

 いきなり背後で重々しい声がして、沙奈はドキリと身をすくませた。部室に現れてこのかた、ゾンビにさえも怖がられてばかりの自分が、気配だけで怯えさせられるなんて。

 沙奈は恐る恐る声の主を振り返った。

 真っ黒な肌をした男が立っている。

「これはこれはニャルラトテップ様、わざわざステージまでお越し下さりまシて」

 フーパーは男の姿を目にしたとたんに、シャカシャカと揉み手をしながら腰を90度に曲げ、超低姿勢で出迎えた。

 沙奈は漆黒の男の異様な雰囲気にゴクリと固まってから、意を決して挨拶をした。

『ど・・・どうも、あなたがスポンサーの、ナイさん・・・ですね』

「左様」

『は、始めまして、私は新入部員の――』

「存じておるぞ、転移種」

『へ、あ、ソデスカ』

 オカルトマニアの倉内さんの話だと、宇宙のことなら何でもお見通しの神様らしい。その気になれば地球も余裕で破壊できるパワーがあるのに、なぜかあのニョロニョロのパシリをされているとか。

「下僕と言うがよい」

『ひゃいっ!? し、失礼しましたでごじゃいますっ』

 ニャルラトテップの放つ威圧感は幽霊も舌を噛むほどだった。しかも読心術まで使えるらしい。とりあえず接待は切り上げて、沙奈はステージを見守ることにした。

「神々の皆様は、イベントをお喜び頂いておりまスでしょうか、ニャルラトテップ様」

 フーパーは低位置からスポンサーの顔色を伺いながら尋ねた。どういう角度で見ても、相手の顔色は真っ黒にしか見えないのだが。

「上々だ。オグドル=シルを始め、外なる神々の皆、頓に御機嫌であらせられるぞ」

「それはそれは恐れ入りまス。このフーパー、開催に尽力した甲斐がありまシた。可能な限り皆様のお好みに合わせ――」

「下がれ。汝の戯言など聞くに値せぬ」

「ははーっ」

 ニャルラトテップに一喝されたフーパーは90度お辞儀の姿勢のままシャーッと後ずさりした。ニャルラトテップは目もくれず、ステージのファントムズの演奏を見守っている。

「どうやら新しい演目も神々はお気に召されたようだな。褒めて遣わすぞ」

『お、恐れ入りましゅですっ』

 ステージでは四人が曲を終え、メラニーが歓声を浴びながら深々とお辞儀をしていた。

 横に立つ漆黒の男のプレッシャーに耐えかね、沙奈はとりあえず話題を探した。

『そ、そういえば、機材をいろいろ準備していただいて、ありがとうございます。みんなも喜んでました』

「うむ。製作は彼奴ら現地人に命じたがな。ただ複製するだけでは芸が無いでな、たわむれに一つ尺度を変えてみた」

「・・・あー、アレはナイさんの作ですか」

 沙奈はステージの端にそびえ立つ巨大アンプを見上げた。神様のセンスはどうもよくわかんない。

 もっとも演出効果は絶大だった。巨大スピーカーから放たれる爆音は、衝撃波を感じられそうなくらいの迫力を生み出している。ていうか実際、前に立っているリアの髪や衣装が音圧の衝撃で煽られていた。ギターの重さがないとふっ飛ばされそうだ。

 今度の爆音の曲はアンナのヴォーカルだった。ここからの四曲は前の校庭ライブのときのレパートリーで、オグドル=シル神に気に入られた二曲が今回の締めを飾ることになっている。観客は再びのアッパー・チューンに興奮していた。

「機材はニャルラトテップ様の仰せの通りに、ワタシ共が製作してございまス」

 フーパーができるだけ主催者の機嫌を損ねない距離を保ち、自分の貢献をさりげなく主張した。

「いえいえ、イベントのためならばお安い御用でございまス。他にもフェスの会場や送迎の手配、諸々の一環でございまスから。もちろん、このフーパーが先鋒をお勤めいたシます、フェスに続く、ニャルラトテップ様の新計画も――」

 不意にニャルラトテップの目がぎらりと光ってフーパーを睨んだ。フーパーはギクリと言いかけた言葉を飲み込んだ。沙奈はニャルラトテップの異様な剣幕と、フーパーの不吉な言葉に身震いした。

「そ、それでは、ワタシは装置の準備をしてまいりまぁース」

 1オクターブ高い声で逃げ口上を述べると、フーパーはゴキブリのように素早く退散していった。後に残された沙奈は、不穏な空気を漂わせるニャルラトテップの顔を伺った。

 漆黒の顔は、フーパーの失言も沙奈の不安も意に介せず、全く何も起きなかったかのように泰然とステージを見ている。ステージではアンナの歌が終わり、エレノアが次に自分が歌う曲のイントロを弾きだした。

 客席では「ギャー! エレーン!」という叫びとともに、エレノアの母親がとうとう顔写真入りTシャツを全方向にバラ撒きだした。

 エレノアの心情とニャルラトテップの沈黙の両方にいたたまれなくなり、沙奈はついに訊いた。

『あ、あのー、ナイさん・・・』

「何だ、転移種」

『フーパーさんが今言ってた、その・・・新計画って』

「汝らの与り知る次元のことではない、地球人。尤も、たとえ知らしめたところで、汝らに手出しできる筈もないがな」

 ニャルラトテップは眉一つ動かずに答えた。蟻を踏んだ人間のように気にも留めない表情だった。

「この催事が高位神の愉楽のためだけと思うたか。これは新たな宇宙秩序の足掛かりに過ぎぬ。真の宇宙支配はこれより始まるのだ」

 うわー、自分で言っちゃったよ、この人。まるで犯人の告白タイムみたい。まだ終盤でもないのに。

「犯人ではない、黒幕(フィクサー)と呼べ」

『すいません、読まないでください』

「「冥土の土産に教えてやろう」とか言う場面であろうが、汝はもう死んでおるしな」

『エヘヘ、お約束の台詞をどうも・・・じゃなくて、何なんですか、宇宙支配って』

 沙奈の独りボケにもニャルラトテップは微動だにしなかった。

「言うた通り、汝らに手出しは敵わぬ。計画は既に動いておる。装置も用意済みだ。あ奴に命じてな」

 ニャルラトテップがはじめて視線を動かした。フーパーが去っていった方角だった。そこには地下設備へと通じる通用階段がある。

 最後にフーパーさん何て言ってた?「装置の準備」?

『フーパーさんも・・・グルなんですか』

「悪企みのように呼ぶでない。全ては神々の安寧と秩序のためなり。惑星の土着生物ごときに異を唱える資格はない」

 沙奈は底知れない悪寒を覚えながら漆黒の男を見つめた。

「何ゆえ汝に計画のことを明かしたと思う。汝らごときに止められぬはずが無き故、そして彼の者達が、自ら新支配に従うと見越してのことだ」

 ニャルラトテップはステージ上の四人を手で指し示した。沙奈は驚いて四人を見た。ファントムズは漆黒の男の出現にも気付かず揚々と演奏を続け、エレノアの曲が終盤に差し掛かっている。

「左様、あの楽奏は実に利用価値がある。あの者達も皆、喜んで征服に手を貸すだろう」

 沙奈はニャルラトテップを見据えた。

『それじゃ、フェスを・・・ファントムズのステージを、ナイさんの宇宙支配に、利用しようっていうんですか』

「現にこうして、支配の第一歩を成し遂げて有頂天ではないか。見るがよい」

 その言葉と同時に曲が終わった。観客から割れるような歓声が沸き起こる。ファントムズは四人とも、満面の笑顔で歓声に応えていた。

『待って、そんなの――』

 沙奈は抗議に振り返ったが、漆黒の男の姿は無かった。

 ぞくっと背筋を震わせながら見回してみたが、すぐ前まで横に立っていたはずの男はいない。ステージ脇に独り取り残された沙奈を、耳を聾する哄笑のような歓声が包んだ。

 まだステージ裏を見回していると、二人の男の姿が見えた。さっきフーパーが姿を消した、地下への階段から登ってきたところだ。二人とも地球人で、三十歳ぐらいの白人だ。沙奈は何となく見覚えのある顔だと思ったが、ステージのマイクの声から響くメラニーの声に振り向いた。

『ありがとうございますう! あと2曲、えー、スポンサーさんのお気に入りで、わたしたちがフェスに呼ばれたきっかけになった曲ですう、聞いてくださいー!』

 沙奈は無邪気に声を張り上げるメラニー、笑顔のエレノア、アンナ、リア、興奮に沸く観客、興奮に蠢く上空の神々を順に見渡した。

 この全てが、宇宙支配に利用されてるっていうの?

 沙奈の不安は、歓声と一体になったイントロの音に飲み込まれていった。


 そのころフェス会場の外れ、メインステージから売店棟や仮設トイレを隔てて離れた広場では、柵で囲まれたエリアに人だかりができていた。

 エリア内のステージ上では、PMRCの三人がぶっ続けでパフォーマンスを繰り広げていた。霧乃と久里子は歌とダンス、光はサウンドファイル操作の傍らときどきコーラスを担当している。

 霧乃は一心不乱に歌とダンスとMCをノンストップで続けていた。楽屋で飲んだ謎の酔い止め薬の効き目はとっくに切れていたが、周囲を取り囲む観衆の視線と歓声が、霧乃の自己顕示欲をとめどなく燃え立たせる。

『♪P・M・R・C! P・M・R・C!

  正義の鉄槌 受けてみなさい

  浄化の炎は 平和と健全の証

  有害分子は消毒ですわ 』 (作詞・作曲・振付 白菊霧乃)

 レパートリーは2曲しかないのだが、入れ替わり立ちかわりする観客は気にしていなかった。加えて霧乃が全身全霊で観客を煽り続けているため、常に歓声が途切れることはない。

『さあ皆さんもご一緒にーっ!』

 周囲を取り囲むカラフルで雑多な宇宙人の観客は、絶え間なく手を叩き、あるいは何だかよく分からない器官を振り上げ、キャーキャーと歓声を上げ、あるいは可聴音外の音を出しているらしい穴をもにゅもにゅと蠢かせている。久里子はダンスと歌の合間に、マニア知識を総動員させて異星生物を分析していた。

(あのチビっこいのはまちがいなくロズウェル事件のやつだ・・・ハチみたいに飛んでるのはユゴス星のミ=ゴ・・・ドーナツみたいなのはもしや、あの宗教団体が崇拝してる・・・)

 しかし、久里子が目を皿のようにして本当に探しているのは、他ならぬニャル様の姿である。出演の召喚状を受け取って以来、ステージはもとより身も心も貞操も捧げる覚悟であの方を探し続けているが、未だ自分の前には現れてくださらない。しかし、相手は千の貌を持つと言われる宇宙神、きっと別のお姿で見ていてくださるに違いない。きっとそうだ。うん。

 というわけで久里子も、どこかで見ていてくれるはずのニャル様のため、一心不乱にパフォーマンスを続けていた。ニャル様のお気に召されたなら、あの妖怪連中のバンドよりも取り立ててもらえるかもしれない。

 いっぽう光のほうは、二日酔いのシュールレアリストが描いたような宇宙人に囲まれて、何とか気絶をこらえてステージを続けていた。宇宙人よりも、伴奏をしくじったら霧乃と久里子からどんなお仕置きを受けるか、そっちのほうが考えるのも恐ろしい。

 というわけで光は考えるのをやめた。できる限り歌と伴奏のルーティンワークに集中して、観客を意識しないようにする。いちど観客の一匹が光の足元に触手をニョロニョロと伸ばしてきたときは本気で逃げたくなったが、同じ形のもう一匹が頭をぱしっと叩くと引っ込めたので、ほっとした。いちおう全身に妖怪退散のお札も貼ってある。宇宙人の一般住民に効くかは分からないが、心の安心にはすこし効いた。

 そんなこんなでPMRCは、三者三様に熱を込めたステージを続けていた。霧乃は歌に応えて素直にキャーッと返ってくる歓声に酔い痴れている。柵の入口高くに燦然と輝く看板は宇宙語で読めないが、きっとPMRCの偉大さを大々的にアピールするフレーズに違いない。看板の下を続々とくぐって来る賑やかな観衆に向けて、霧乃はさらに恍惚と呼びかけるのだった。

『感謝しますわー! 楽しんでらしてくださーい!』

 実際、看板に引き寄せられて来た観客は、半分がステージを無邪気に楽しみ、残りの半分は出演者の才能が看板どおりであることに満足していたのである。

『 託児所

 ちきゅうの うたう どうぶつと あそぼう!

 エサは あげないでね! 』


 ファントムズは最後の一曲"ゴーイング・ホーム"のエンディングを力いっぱいに鳴らし終えた。歓声の中、メインヴォーカルのリアは肩で息をしながら、紅潮した顔で呆然と立っている。エレノアは満足した表情で観客席を眺め回していた。ただし母親のいる方角は慎重に避けている。メラニーは感激に涙ぐみながら歓声に震えている。

『ありがと――う! また会おうぜーっ!』

 アンナが腕を振り上げて力の限りに叫ぶと、ドラムデッキからピョンと飛び出して、ステージ前方へ駆け出した。リアはまだ焦点の合わない目で立ち尽くしている。アンナが肩をポンと叩くと、リアはビクッと我に返って振り向いた。

 そのままリアは首をがっちりとアンナに抱えられた。汗でじっとり湿ったアンナのシャツが頬に押し当てられる。リアの髪も汗でぐっしょりだが、アンナは気にせずリアの頭を抱えたまま、後ろの二人に「来いよ!」と合図した。

 呼びかけに応えてメラニーがとてとてやって来た。エレノアも颯爽と歩み出たが、足取りが僅かに震えている。

 四人はステージ前に並び、誰からともなく手を繋ぎ、揃ってバンザイからのお辞儀をした。

 歓声の中、エレノア、メラニー、アンナが順々に手を振りながらステージ横へ歩み去っていった。リアはまだしばらく呆然と立っていたが、ふたたびアンナが戻って首を抱えられ、ようやく足を動かした。アンナにヘッドロックされながらステージを後にするリアを、スクリーンがでかでかと映し出した。

 ステージ脇では沙奈が待っていた。興奮で身体の光がピンク色になっている。

『すごいすごーい! やったわね!』

「はいっ、やりましたっ!・・・とっと」

 メラニーは沙奈とハグしようとしたが、すり抜けてよろめいてしまった。沙奈を追って振り向くと、アンナがまだリアの頭を抱えながらやって来るところだった。

「わははは、大成功だったな! メルも、お疲れさん!」

「いたた、アンナ、いいかげん離してよう」

「おめーも大活躍だったじゃねえか、こいつめこいつめ! わははは!」

 アンナはまだ興奮冷めやらずに、振り切れたテンションでリアの頭をぐりぐりと掴まえている。

「そのへんにしてやりなさい。リア、お疲れ様」

 二人にエレノアがタオルを差し出した。

「あ、ありがと、エリさん。お疲れ」

「おー、エリ、おめーもよくやったぜ! わははは!」

 アンナはようやくリアを離すと、上機嫌でエレノアの肩をびったんびったんと叩いた。エレノアはウザい犬を見る目で睨み返す。

『みんなお疲れ様! 大成功ね!』

「お疲れさまですう」

 沙奈とメラニーも三人に加わった。リアはタオルを頭に被って、赤い顔でまだポーッとしている。

「リア、大丈夫? いくらヴァンパイアだからって燃え尽きないでよ」

「あ、うん。なんかもー、信じらんなくって」

「バッチリ決めてやったな! わははは!」

「あんたはさっきからハイになりすぎよ」

「わたし、ちゃんと演奏できて、よかったですう」

「おーう! メルもバッチリだったぜ! わははは!」

 テンションの差はあれど口々に称え合う四人を、沙奈は羨ましそうに眺めていた。週末のパチンコ屋のように七色に輝くはずが、いつも通りの青い光に戻っている。そんな沙奈の様子にメラニーが気付いた。

「あの、沙奈さんも、カワイイ衣装とか、ありがとございますう」

『うん、ありがと、メルさん』

「沙奈さんもおんなじくらい嬉しいといいんですけど」

『うん、私もホントはみんなをムギュっとハグしたいぐらい』

「それはムリだと思いますう」

『あはは、言ってみただけよ。気づかってくれてありがと』

「こんどは一緒にできるといいですねえ、わたしも応援しますう、元気出してください」

『あ、うん、だいじょぶ、心配なのはそのことじゃないから・・・』

「?」

 メラニーが沙奈の言葉に首をかしげたとき、場違いに甲高い声がした。沙奈が顔を強ばらせる。

「どうもどうもザ・ファントムズの皆様、お疲れ様でシた」

「どーもー、フーパーさん」

 四人は上機嫌で挨拶を返した。

「実にすばらしいステージでいらっしゃいまシた。ニャルラトテップ様はじめ主賓の方々もお喜びいただいたと存じまス」

 フーパーがその名を口にすると、沙奈がさらに顔を曇らせた。

「「ありがとうございまーす」」

 何も知らない四人は、ステージを褒められて素直に喜んでいる。

「その調子で明日のステージもよろしくお願いいたしまス。機材は我々が片付けてメンテナンスしておきまス」

「あ、そっか、明日も出るんだっけ」

 リアが思い出したそのとき、背後ではステージの床が再び下がって、ステージ機材一式が床下へ降りていくところだった。

「おーし、明日もぶちかますぜ! わははは!」

 まだテンションがレッドゾーンのアンナはべしべしとリアとエレノアの背中を叩いている。

「それでは皆様、本日はホテルでお休みください。すぐにお送りいたしまス」

 フーパーがそう言うと、リアが口を挟んだ。

「え、もう? せっかくだから他のバンドとか聞いてこうと思ってたのに」

「あ、わたしも宇宙人さんのステージ見てみたいですう」

 メラニーも言うと、フーパーが答えた。

「フェスは夜間も続いておりまスが、皆様にはお気に召さないかと。ここからは多次元間種族向けの時間帯で、三次元人には可聴音外となりまスので」

「・・・なんかわかんないけどムズかしそうだね」

「ちなみに次のステージはショゴス・オーケステケリによる"狂気山脈の魔王の宮殿にて"でス」

「やっぱいいです」

 床が消えたステージにはぽっかりと大穴が開き、両脇では次の出演の準備でスタッフが右往左往している。

 沙奈はその中に、さっきの地球人の男ふたりを見つけた。何かの書類を見ながら話しているが、ラフな格好の男が不意にこちらのほうに顔を上げ、ニヤリと笑いかけてきた。沙奈はなにか値踏みされているようで、男への嫌悪を感じた。もう一人、スーツの男のほうは、真面目そうに書類を見て考えこんでいる。

「それじゃ、ホテルへ移動しましょうか?」

 メラニーが口火を切ると、皆わいわいと続いた。

「うん。あー、汗ベタベタ」

「そうね。衣装のクリーニングも頼みたいし。あんたも動物くさいわよ」

「おめーだってエイリアン臭いぞ」

「まあまあ、早く行こうよ。火星の町とか見られるかもしれないよ」

「リア、あんまり飛び跳ねないの。また頭ぶつけるわよ」

 アンナの手を引っぱってスキップを踏みそうなリアをエレノアがたしなめた。その横でフーパーがスタッフから何か連絡を受けていた。

「エレノア様、お母様がこちらへ来られるそうで――」

「さあみんなすぐに行くわよ」

 エレノアはフーパーの言葉を聞くなり、シャカシャカとビデオの早回しのような足取りで通路へ出ていった。

「おーいエリ、オレたちを置いてくなよ! 道がわかんねえじゃねえか」

「ご心配なく、ご案内いたしまス。お荷物も運んでおりまスので」

 フーパーがアンナに「こちらへ」と手で促した。

「おっし、一休みしてまた明日もブチかますぞ! わははは!」

「その前に火星の観光しとこうよっ」

「わーい、火星のお泊りですう。沙奈さんも行きましょ・・・沙奈さん?」

 返事がないのでメラニーが振り返ると、沙奈は本体のテレビの脇に立ち、不安そうな顔で向かいのステージ脇をじっと見ているところだった。メラニーは沙奈に駆け寄った。

「どうかしましたか? 沙奈さん」

『あ、メルさん。いやあの、なんで地球人がいるのかなって』

 メラニーが沙奈の視線を追うと、たしかにその先には二人の地球人がいた。しかしなぜ沙奈がそんなに心配そうなのかは分からない。

「わたしたちみたいに出演者なんじゃないですか? さっきのバンドの中にもいましたし。それとも単に人間に似てる宇宙人さんとか。エリさんのお父さんみたいな」

『ん、それにしても、なーんか見覚えがある気がするのよねえ』

「えー、でもここ火星ですし、沙奈さんのお知り合いがいるわけないですう」

 万一知り合いだとしても、二十年歳をとってるはずだし、とメラニーは心の中で付け加えた。

『そうなんだけどさ・・・』

「どしたの?」

 二人が遅いのでリアとアンナが見にきた。

『え、あ、何でも・・・』

「あー、テレビか。運んでやるよ」

 アンナがテレビをキコキコと押す間も、沙奈はちらちらと地球人のほうを見ていた。

「沙奈さんが、お知り合いを見たような気がするそうです」

「えー、何それ、宇宙デジャブ?」

「いやいや、ゴースト・オブ・マーズだろ」

「ゴーストならもういるじゃーん!」

 三人は屈託なくはしゃいでいる。沙奈は独り思い悩んでいた。たしかに地球の知り合いがこんなとこにいるわけないし、さっき聞かされたナイさんとフーパーさんの秘密計画のことで心配しすぎなのかもしれない。それにしてもその計画のことをどうみんなに伝えようか、そもそもあんなにステージを楽しんでるみんなに言うべきか――

「まあ、宇宙船に乗ってから、いろいろ変なことも起きてますし」

「火星の謎なんか"分かってたまるか"っての」

「"マジカル・ミステリー・ツアー"だね、アハハ」

 その単語に沙奈はハッと思い出した。

 さっきの地球人、見覚えがあったのは、知り合いだからじゃない。

 音楽雑誌で見た有名人だからだ。

 スーツの上品そうな男は、プロデューサーとして、たぶん世界一有名な人。作ったレコードも世界一の有名バンド。もう一人の、ラフな服装で欲深そうな男は、お騒がせバンドのマネージャーとして悪名高い。

 生前の沙奈さえ、日本の高校生でさえ知っていた、音楽業界の超有名人だ。それがなんでこんなところに。

 ジョージ・マーティンとマルコム・マクラーレン。たしかもう死んだはずなのに。しかも若返ってる。

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