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2 マーチング・トゥ・マーズ

 汎銀河コンタルコス同盟の基本理念は、各惑星における原住民の自治と相互不干渉である。平たく言うと、よその星が何をしようが知ったこっちゃないということである。

 同盟の加入惑星ならびに居住区域(人口施設、反宇宙、虚数位相含む)の総数は、アレキス星蟲の副肢の数に匹敵すると言われている。局地的ないちばん近い表現に翻訳すると、"バカみたいにメチャクチャな数"である。

 同盟加入惑星間の評議会結成を検討する必要を検討する必要が生じた際に、初めて同盟加入星の全貌を把握するべきだという意見が提出された。と同時に、少なくともその努力はするべきだという意見が提出された。と同時に、少なくともその努力をしているフリをしとけばいいんじゃないかという意見が提出された。かくして宇宙の歴史上初めて、銀河中の惑星を調査・記録する機関と、さらに多くの適当な名目の役所が設立された。

 同盟の結成当初から加盟星の記録を管理している本部というものは存在していなかった。これについては今日に至るまで諸説分かれるところであり、大別すると三つの主張に分類される。すなわち、中央管理組織を設立しておけば記録の統率は可能だとする意見と、同盟はその本質上不確定な余地を含むので完全な把握は不可能であるとする意見と、そもそもこんな同盟を言い出した奴は誰だという意見である。

 数宇宙周期もの間、調査機関は未統率な記録の収集を続けるのみであったが、やがて劇的な変化が訪れた。亜空間エーテルネットの普及により、瞬時に各惑星の現地情報が提供されるようになったのである。今や銀河中の一般住民が、調査機関を遥かに凌ぐ情報網を利用していた。主要な通信情報は、グルメガイド、バーゲン通販、合法ポルノ、違法ポルノである。

 ほどなくして調査機関はネット運営会社に吸収され、ついでに同盟の実質的な管理も社内に置かれることになった。どのみち管理にはネットが不可欠だし、そこらの政府機関より遥かに仕事熱心だというのがその理由である。

 実際、同盟の情報管理は効率的に進むようになった。業務を進めたのは、ネットを運営するハルコネン社と、宇宙の情報分類に宗教的使命を抱いている1001011100星人と、エントロピーを食料にしている*÷%次元虫である。

 惑星間ネットの運営には、各惑星の言語翻訳と、文化・価値観の把握と、トラブル処理の能力が不可欠である。ネット黎明期においては惑星間人材派遣サービス(成人向け)に関する筆舌に尽くし難い悲劇が後を絶たなかったという。

 当然の帰結として、惑星間の理解と調整と懐柔に最も精通した現地サービス派遣員が、次第に惑星規模の問題や紛争の調停にも駆り出されることになった。こうして、ネット社員サービス担当、兼汎銀河同盟情報局員は、惑星間外交官も兼任するようになったのである。

 ちなみに、汎銀河評議会は未だ設立には至っていない。いかなる宇宙規模の問題でも、議会の召集手続きをするぐらいなら問題解決に取り組んだほうがましだからである。


 ハルコネン宇宙ネット社2814宙域担当員、スコット・ルディ・ボラージは、とある恒星系の第四惑星に派遣された。原住民サーク人と、異星殖民@#@@人の領土紛争の調停のためである。悪名高き@#@@人は、第五惑星の鉱山で捕虜を強制労働させ、石油と貴金属と温泉をいっぺんに掘り当てようとして失敗し、惑星を粉々にしてしまった前科があった。

 今またサーク人と@#@@人の間では、惑星地表のリゾート開発計画を巡って利権と所有権が争われていた。おまけに両種族は呼吸する大気も違うため、一方が開発権を手にしたら、他方の種族は惑星からの撤退を余儀なくされかねないというのだ。

 スコットは両種族の首脳陣と会談を設け、検討資料として紛争解析シミュレーターを提供した。ハルコネン社のオンラインゲーム(初月無料)である。両陣営による利権の奪い合いはただちにゲーム内資産の奪い合いに取って代わられ、現実の紛争は土地開発もろとも棚上げになった。代わりに両民族ともに、専用のネットカフェと配信インフラの建設計画が持ち上がりはじめた。

 紛争の解決とオンラインユーザーの獲得とネット工事契約をいっぺんに達成したスコットは、休暇で近隣惑星に出かけることにした。第三惑星はいまだ同盟に未加入であるどころか、宇宙航行水準にも達していない未開人が生息するのみだが、ハルコネン社配信の観光ガイドによれば「宿泊と娯楽の施設はまあまあ。料理は文明に不釣合いなほどの高水準! ただし原住民は好戦的なため治安に注意。グルメとハンティング愛好家におススメ」らしい。

 ともあれ第四惑星の単調な赤い地表と乾燥した天気に飽きがきていたスコットは、現地人語で"地球"というその第三惑星を散策してみることにした。同盟の非加盟星への訪問はべつに禁止されてはいないし(なにしろ原住民から苦情が来たことは一度もない)、懸念される原住民の脅威も、量子精神生命体であるスコットには大した脅威ではなかった。なぜかこの星は近年、@#@@人を始めとする多種多様な異星種族が単体ないし団体で戦闘を試みているが、ことごとく地球人に撃退されたあげく、大多数の地球人はそのことに気付きもしないという有様だった。そんなに文明が遅れているのに他種族が勝てないないのはなぜだろうとスコットは訝しんだが、その点もまた地球観光の新たな目的となった。

 スコットはまず量子体のまま地球に降り立つと、適当なサンプルを採取して地球人の肉体を複製し、地球人と同じ感覚を味わってみることにした。現地語は観光ガイドからインストールしたので現地人とのコミュニケーションは問題ないはずだったが、スコットが最初に出会った数人の地球人は、彼を一目見るなり嫌悪か侮蔑を表してそそくさと遠ざかって行った。なにかこの肉体に問題があるのだろうか、とスコットは訝しんだ。DNAサンプルを採取した個体はごく平凡な雄性のはずだったが、もしかすると地球人にとっては特異的な個体だったのかもしれない。あるいはガイドもスコットもほとんど気に留めていなかった概念の、"衣服"とやらが欠けているせいかもしれない。

 そうするうち、新たな雌性の個体が接近してきた。その雌性もスコットの姿に気付くなりビクッと身をすくませたが、今度の個体とは意思疎通の進展が見られた。向こうが話しかけてきたのだ。

「真夜中のお散歩?」

「真夜中のお散歩だ」スコットは答えた。

「みんな洗濯に出して、着るもの一枚もなし?」

「着るもの一枚もなしだ」やはり衣服が問題だったのか。

「とりあえず、うちにいらっしゃい」

 宇宙的事象確率の為せる業によって、スコットがDNAを採取した雄性の個体は、その雌性個体の元夫だったことが後で判明した。その雌性地球人ジェニーは、元夫にそっくりなスコットを素っ裸のまま放置しておけず、自宅に保護し、衣服と食料を与えた。

 スコットはその食料「ピザ」を地球人の肉体で体験し、ガイドの評価もまんざら誇張ではないと判断を下した。しかし自分が普通の人間ではないことはジェニーも感づいているらしく、地球時間で一時間ほど考慮を重ねた結果、スコットは正体を打ち明けることにした。

 驚いたことに、ジェニーはスコットの話に納得した。

「ありえなすぎて、疑う気にもなれないわ」

 それから数日、ジェニーはスコットに地球人の生活を案内して回った。スコットは地球の事物にすっかり幻惑され、地球人の感覚を体験するのはたいへん魅惑的であると認めざるを得なかった。特に刺激的だったのは、二次元情報連続体の端末(現地語で「テレビ」)、一次元振動の記録固体(同じく「ビートルズのレコード」)、生物組織の外皮装甲(同じく「アンゴラのセーター」)である。さらにもう一つ、肉体の一時的な機能障害と引き換えに陶酔状態をもたらす「ビール」も、想像を絶する体験だった。

 そうして地球人の肉体で過ごすうち、思考回路も肉体の影響を受けているらしいことに気付いた。神経細胞の結合と電気信号によって構成される地球人の意識は、情報散逸と誤動作に満ちているが、その際たるものが、不用意な情報処理の歪曲である「感情」というものである。スコットは徐々に自分に感情が発生し、それをまた自然な状態として受け入れていることを自覚した。気がつくとスコットは、ピザを求め、テレビの出演者に腹を立て、ラジオの選曲にまた腹を立て、ジェニーへの接近を求めるようになった。

 とりわけ最後の現象が最も不可解だった。特定の一個体によって思考歪曲と代謝機能不全が誘発され、日に日にそれは強まっていく。もしかすると複製肉体には欠陥があるのではないか、それともジェニーとの相互個体作用に特異的な反応があるのか。ある夜スコットはビール二本の摂取を経た後、この現象についてジェニーに相談した。

「それは恋っていうのよ、おバカさん」

 その概念が小さくガイドに記されていたのをスコットは思い出した。銀河系の一部の生命体は異性交配によって繁殖し、そうした種族には異性接近と接触のための複雑怪奇なプロセスが生じるのだという。

 このような不合理な性質はスコット本来の量子種族にとってあまりに異質だったため、さらに経過を研究する必要があった。ひょっとすると、異星種族をことごとく退けた地球人の特質とは、あまりに不合理なゆえに予想外の突発現象を引き起こすことではあるまいか。

 ともあれ、調査のためには、現地人の行動様式に従った結果を見届けなければならなかった。しかる故に、スコットはジェニーとの接触をより感情的な段階に移行した。探求は成果を生み、スコットは地球人の突発現象を誘発する特質を思い知ることになった。

 かくして、ジェニー・ランバートは、娘エレノアを身ごもったのである。


『私の娘が音楽大使になるとは、これも因果というやつかな』

 リアたち三人と一体は、エレノアのスマホから聞こえる父親スコットの声に聞き耳を立てていた。純正宇宙人という話だけど、声にもアクセントにも変なところはない、流暢な日本語だった。外交官という職業のせいか、むしろ落ち着きを感じさせる響きがある。

 きっと人類には想像もできない物を目にしてきたに違いない。タンホイザーゲートのオーロラとか電気羊の夢を見るレプリカントとか。

「大使なんて、大げさよ。出演に行くだけじゃない」

 エレノアは父親の褒め言葉と、それを友達に聞かれる状況に顔を赤らめていた。とても珍しい光景だった。宇宙人の親と電話で話す高校生よりもさらに珍しかった。

『なにを言う、オグドル・シルに気に入られたそうじゃないか。ニャルラトテップさんから聞いたぞ』

 さすが外交官、あの名前もちゃんと発音できるんだ。

「ええ、まあ、そうみたいだけど」

 オグドル・シルの巨大触手と、ニャルラトテップの黒い顔を思い出して、リアたちは身震いした。気に入られてなかったら、今ごろ地球は粉々だったかもしれないのだ。

『そういえば、お前にやったチャイルドピアノガイドは役に立ったか?』

「父さん!」

 リアは必死に笑いをこらえた。あの指運ガイドのメガネはパパのプレゼントで、しかも子供用だったんだ。

『まあいい。出演は七日後だな。迎えに行くのは放課後でいいか?』

「え、それで間に合うんですか?」

 メラニーが口を挟んだ。エレノアは手を振って黙らせた。

「ちょっとみんなと相談させて」

『演奏に必要な物も連絡しろと言われてるぞ。何かあるか?』

「そのことも後でまた連絡するから。今日はちょっと、色々あって。あと、人数だけど・・・」

 "色々"の元凶である沙奈が自分を指差してピョンピョンと存在をアピールしていた。

「わたしたちが五人で、あと先生も一人、お願い」

 "五人"と聞いて、沙奈は喜びに全身を虹色に光らせた。エレノアは眩しさに目を細めながらハイハイと手を振った。

「それじゃ、みんなと相談するから、また明日ね」

『うむ。それと、ジェニーが話したいそうだ』

「母さん?」

 エレノアがまた表情を強ばらせた。宇宙人の父親のときよりも動揺が大きいように見える。

「わたしそろそろもう切らないと・・・」

『もしもし、エレンー?』

 いきなり底抜けに明るい女の声がスマホから響いた。エレノアがビクッと音量と衝撃でスマホを離すほどだった。

 気を取り直してエレノアはそろそろとスマホを引き戻した。

「・・・母さん」

『元気してるー? フェス出演だって、スゴいわねー』

「ええ、元気よ」

 急に疲労が濃くなった顔で、エレノアは答えた。

『学校はだいじょうぶー? 一人で不自由してないー?』

「大丈夫よ、ありが」

『部活のお友達ができたんですってねー。一緒にフェスに出るんでしょー?』

「うん、そのとき紹介――」

『ママもエレンの演奏楽しみにしてるからねー。パパと一緒に迎えに行くからねー』

「うん、来週――」

『パパもよろしくって。それじゃあねー』

「あの、母さ」

 ツー、ツー。

 一方的にしゃべくられて通話を切られたエレノアは数秒間固まった後、無表情でスマホをポケットにしまい込んだ。

「エリさんのお母さんって、なんていうか、豪快な人だね」

 リアがエレノアの背後から恐る恐る声をかけた。まあ、繊細な人は、宇宙人と結婚なんてしないだろうけど。

 さっと振り向いたエレノアは、ただちにいつもの冷静な顔に戻っていた。

「さあ、気にしないで、片付けるわよ」

 よく見ると額には汗を浮かべ、毛が数本パラパラと飛び出していた。疲労を隠して必死に平静を取り繕っていた。

「最初のときみたいにコードを外してね」

「はーい、エレンちゃん」

 アンナがニヤニヤしながら返事した。

「装置と一緒に停滞空間に監禁するわよ」

「わかった、分かったから、スマホこっちに向けんなよ」

「エリさんのチャイルドガイドって、ベース用のもありますか? わたしにも使えますか?」純真な目でメラニーが聞いた。

「何のことかしら。記憶に障害があるようなら、脳を初期化してあげるわよ」

「ごめんなさい、忘れますから、その銃しまってください」

 メラニーが怯えて必死に謝ると、エレノアは手に構えている「脳殺」と書かれた武器を下ろした。

 残る一人のリアをエレノアがジロリと見据えると、リアはそそくさと片付けに取りかかった。

『エリさん、というわけでこのモニター使わせてね』

 沙奈はまたいつの間にかモニターの中に戻り、画面の中から話しかけてきた。

「ええ、構わないけど」

 エレノアはそのモニターを沙奈にあげることにした。今どきブラウン管のモニターなんて使い道もあまりないだろうけど、それ以前にポルターガイストが取り憑いたテレビなんて、もう使う気になれない。

「沙奈さん、前より狭くない?」

『ううん、ちっとも。このほうがみんなも見られていいかも』

 モニターが一瞬暗くなったと思うと、いきなり音楽ステージのセットみたいな場面に変わった。その中でステージ衣装に着替えた沙奈が、色とりどりのスポットライトを浴びながらフワフワと踊り回った。時代と重力を無視したステージだった。

『しばらくはダンスと照明を担当しようかな』

「そのテレビ壊したら成仏できるんじゃねえか?」

『とんでもない、私の人生、じゃなかった死後はこれからよ! いっしょに火星にも行くんだから!』

「火星にそのテレビ持って行くんですか?」

『だいじょうぶ、このぐらいなら一人で持てる・・・と思う』

 画面の中で沙奈の顔が『うーん』と力み、モニターが10センチほど浮き上がったかと思うと、よたよたと危なっかしく空中を飛び、2メートルほど移動したところでドスンと着地した。

 モニター画面の中で沙奈はハアハアと喘いでいた。

『生前から力仕事は苦手で・・・ふんんん』

 今度はモニターがキキーッと床を滑り、数十センチ前進したところで床に引っかかったらしく、移動が止まった。

 代わりに画面の中の沙奈が前進を続け、顔が拡大していった。やがて唇がどアップになり、さらに今度はモニター画面が前方にぬぬーんと膨らんだ。

 様子を見ていた四人が仰天して飛びすさった。

「ビデオドロームかよ!」

 アンナが怒鳴ると、膨らんだモニターはポヨンと元に戻り、画面の中の沙奈はバストアップのサイズに戻って息を喘がせていた。

『こ、今度こそ、ふんっ』

 気合もろとも沙奈は上半身を画面から抜け出し、両手を床に着いて腕立て伏せの姿勢になった。下半身はモニターの内部に残したまま、まるで画面から這い出る途中のように。

『ふぬをおお』

 異様な咆哮とともに沙奈は両手をシャカシャカと動かし、モニターごとズルズルと前進した。沙奈は髪を顔の前に垂らし、全力の運動で凄まじい形相になっている。

「おわあー!?」

 迫り来る沙奈に四人は本気で怖がって後ずさった。

「沙奈子だ、沙奈子が出た!」

 と、沙奈子、もとい沙奈は、力尽きてぐったりと床の上に突っ伏した。

『ゼーゼー・・・や、やっぱり運んで・・・ゴメン』

 汗まみれで上半身を横たえる沙奈を、今度は気の毒そうに四人が見下ろした。

「アンナ、持ったげなよ」

「そうよ、こういうときの怪力でしょ」

『ゴメンね、キャスターか何か付ければ、一人でも動けると思う。平らなとこなら』

「開発中ドローンのクモ足型歩行器を付けてみましょうか、被験・・・もとい、モニターとして。文字通り」

 急にエレノアが眼を光らせて沙奈のモニターを物色し始めた。他の三人はクモの足が生えたテレビがシャカシャカと動き回る光景を思い浮かべて青ざめた。

「変なもん付けんな! いいよ、とりあえずオレが運ぶから」

 嫌そうな顔をしながらもアンナはモニターをヒョイと持ち上げた。ただし身体からはできるだけ慎重に離している。

 メラニーが気づかって申し出た。

「何でしたら、もういっぺん移ってみますか? わたしのスペアパーツお使いになりますか?」

「「やめて絶対やめて」」

 リア、エレノア、アンナが一斉に却下した。さっきのチャッキー人形の恐怖ウォークを人肉でやられたら、トラウマ級の衝撃映像になりそうだ。

「それってヘタしたらテレビより重いんじゃないの?」

「がーん。そんな重くないですよう」

 ゾンビでも体重は気にするらしかった。ていうか、ゾンビって太ったりするの、とリアは考えた。やっぱり主食は肉で・・・いや、よそう。

「メルの身体が二つになったら紛らわしいでしょ」

「本人もワケ分かんなくなったりして」

『「ここで死んでるのはたしかにわたしですけど、わたしを抱いてるわたしは一体誰なんでしょう」なんて』

「やめて元の話よりなんかすっごいコワい」

 たしか元は天然ボケ二人の話だったが、天然ボケ死人の話になると、とても生々しかった。それはもうボケじゃなくて分裂障害だ。しかも肉体的な分裂の。

「モニターはその動物に運ばせといて、あとの二人はとにかく他のを早く片付けて」

「おいコラ人を家畜みたいに」

「もしかしてさっきの電話を聞かれたの根に持って・・・あ、いえスミマセンすぐ片付けますですハイ」

 リアとメラニーはスタコラと片付けを再開し、アンナは不服そうながらもモニターを部室まで運んで行った。本人のイメージはともかく、確かに力仕事要員としてはアンナは頼りになる存在だった。その証拠に、アンナが一人で持ち上げていた巨大なパラボラアンテナは、リアとメラニーが二人でようやく動かせる重さだった。

 ようやく実験機材の解体とまとめが済むと、周囲に人影がないことを確認した後、エレノアがスマホを機材に向け、転送の光に包まれて機材は消え去った。後に残ったのは、いつも通りに何もない廊下の床だった。ただ一つこの床が前と違うのは、そこに取り憑いていた幽霊が今はもう引っ越して空き床であることだ。

 そこへアンナが戻ってきた。頭上には新居から外出中の沙奈を引き連れている。

「フツーに飛んでるんなら、やっぱテレビ要らねえんじゃねえか」

『そう言わないで、お願い。やっぱり部活にはどうしても必要なの』

 アンナはモニター運搬係にされたことでかなりご立腹だった。エレノアからは家畜扱いされるわ、あげく沙奈に付きまとわれる機会が増えるわ。

『ねえ~んお願い~、せめてライブで人前に出るときだけ~』

「ああもう分かったから触るな! 通り抜けるな!」

 アンナは迫り来る沙奈を振り払おうとぶんぶん腕を振り回した。当然ながら、沙奈は全く意に介さずニコニコとアンナの周囲を飛び回っていた。経過はどうあれ、アンナと沙奈の距離は初対面のときよりだいぶ近くなったようだ。物理的に。

「ご苦労さま、こっちも片付いたわ」

「まったくなんでオレがこんな目に。こいつがひっきりなしに飛び回ってしゃべりまくってうるさいったら」

『だって二十年ぶりに友達ができて、その上自由になったんだもん、もううれしくてうれしくてもう』

「分かったから目の前を飛び回るのやめろってんだよ! 顔に突っ込んだとき中身が見えるじゃねえか!」

『やん、服の中見たの? エッチ、ケダモノ』

「もうやだこいつ! メル、何とかしろよ、お前同類だろ」

「アンナさん沙奈さんとお友達になられたみたいで、よかったですう」

 笑顔でそう言いながらメラニーはカニ歩きでアンナから距離を離していった。

「てめえ同じ死人のくせに!」

「ギャーギャー騒がないで、ケダモノ。ようやくあんたの特技が見つかったじゃない」

「これが本当の荷役動物ビースト・オブ・バーデンだね」

「おめーらまで一緒にバカにすんじゃねえよ!」

『まあまあ、頼りにしてるから、アンナさん』

 体よく沙奈の世話を押し付けられた上に全員から家畜扱いされたアンナはカッカと腕を振り上げた。普通ならこんな真似をした相手をぶっ殺しにかかっているところだが、あいにくその相手はすでに死んでいる。

「ごめんなさい、とにかく帰りましょう」

「ほら、廊下で騒いだら、先生が来るかも」

「ん・・・センセか、わかったよ、ちきしょー」

「さ、帰るわよ、畜生」

「オメーは本当にぶっ殺すぞ!」

『まあまあ、アンナさん。誰かが来ないうちに』

「そだよ、先生に実験のことがバレたらまずいよ」

 リアがそう言い終えた瞬間、「ドオーン」と辺りに衝撃が響いた。とつぜん空気が冷たく重くなり、エレベーターで高いビルから降ろされたときのように耳の奥に圧迫を感じた。

 校舎のモルタルの壁は一面に黒く変色していた。廊下のリノリウムは蛍光灯の光を反射して黒く。そして光る線で魔法陣の模様や文字が縦横に走っている。

 白黒が反転した視界の中で、四人と一体はドキリと立ちすくんだ。

「とっくにバレとるぞ、バカもん」

 男の声が響いた。リアたちはビクッと身体を引きつらせ、声のした方向に首を回した。

「げっ、センセ!?」

「橋澤先生!」

 階段の上に立っていたのは、ワイシャツにネクタイ姿の教師、科楽部顧問の橋澤だった。額にはその正体を現す角が二本。爬虫類のような縦に細い瞳は、「またやらかしたな」という非難を湛えて黄色く光っていた。


「無断で勝手な活動はするなと言ったはずだぞ」

 腕組みをして見下ろす橋澤の前に、リア、アンナ、メラニー、エレノアは仲良く並んで正座していた。沙奈も正座の姿勢で空中に浮かんでいる。

 魔法陣が光る白黒反転した地面と空中で、四人と一体はうなだれていた。教師に叱られている生徒としてはまじめな態度だが、この空間内ではなおさら逆らえない。

 正体を魔界の地上監視官、またの名を"悪魔"である橋澤が作り出すこの空間は、内部の者も出来事もいっさい外部から切り離されるという結界、別名「あなたの悲鳴は誰にも聞こえない結界」である。橋澤がいかなる体罰を与えてもお構いなしというわけだが、そうでなくても異様な光景と音の反響、それに息苦しい空気のせいで、いつ入っても萎縮してしまう。

 橋澤の得技であるこの結界は、自らの正体はもちろん、リアたちの正体の隠蔽、そして活動がハメを外しすぎた時は被害の隔離、そのまた説教お仕置きルームにと、科楽部の活動に、また橋澤の事なかれ主義のために大活躍していた。

 その事なかれ主義は昨日の騒動でも遺憾なく発揮され、校庭を破壊した式神も、上空に出現した巨大邪神も、演出の特撮映像として無事に世間から隠蔽されたのだった。

「宇宙メカで『ゴーストバスターズ』でもしてたのか? しかも廊下の真ん中で」

『いえ、退治じゃなくて、私が頼んで解放してもらったんですよ』

 沙奈が四人をかばうように釈明した。

「そーです! みんなこいつに脅されたんです!」

「ちょっと、アンナ・・・」

 橋澤がジロリと眼光を向けると、アンナとリアはしゅんと小さくなった。

『まあその、私のせいなのは本当ですから、みんなを叱らないでください』

 宙に浮かんだまま正座で頭を下げる沙奈を、橋澤はどうしたものかと眺めた。悪魔が死人の一人ぐらい怖がるわけはないが、問題はそれが自分の管轄内で二十年もフリーランスのまま見逃されてきたことである。

「まあいい。問題なのは宇宙メカで派手な騒ぎをしでかしたことだ。さっきの爆発は職員室のほうまで聞こえたぞ」

 その騒ぎの首謀者であるエレノアがおとなしく頭を下げた。

「申し訳ありません。わたしの提案です」

「そーです! みんなエリにムリヤリ手伝わされたんです!」

「アンナってば・・・」

 橋澤が睨みつけると、四人はふたたび黙り込んだ。

「とりあえずさっきの爆発は変圧器の故障ということにしておいた」

「恐れ入ります。あとでちゃんと変圧器を壊しておきますから」

「そういう問題!?」

「やらんでいい。とにかく、二度と部室の外で勝手に変な実験をするんじゃないぞ」

 エレノアは黙って頷いた。気の毒そうに思ったメラニーが口を出した。

「あ、あの、わたしたちみんな、沙奈さんを助けたくて、手伝ったんですう」

 橋澤はやれやれと溜め息をついた。

「いいだろう。今回は人助け・・・幽霊助けということで許してやろう。この学校から離れることもできるようになったようだしな」

「もしかして沙奈さんを管轄外に厄介払いする気じゃ・・・いえ、なんでもないです」

 ふたたびリアは橋澤に睨まれて口をつぐんだ。

「まあいい、解放したことについては褒めてやるぞ。これでお前も心おきなく成仏できるだろう」

 その言葉に沙奈はぐっと橋澤に近寄った。

『とんでもない、私入部したいんです! 一緒にバンドやりたいんです』

 眼前に迫る沙奈の真剣な顔から、橋澤は体を引いた。

「・・・魔界に行くなら『地獄は楽しいところだぜマーダー・ライド・ショー』も付けるぞ?」

「出た、営業モード」

 リアたちが呆れ顔で橋澤を見る中、沙奈は熱弁をふるい続ける。

『私、部活でバンドやるためにこの世に残ってたんです! お願いですから、入部を認めてください!』

「しかし生徒じゃないしな・・・」

『元生徒ってことでお願いします! 制服だってほら!』

 沙名はパッと甲石高校の制服に着替えた。

『いざって時はホログラムってことでごまかします! ワタシ、リフリサナデス。エーアイデス。ドモアリガト、ミスターロボット』

「そんなAIがあるか、わざとらしい」

 橋澤にまでAI設定にダメ出しされた沙奈は、しょんぼりと振り付けのカクカクをやめた。

「分かった分かった、そこまで言うなら仕方ない。とにかく一般生徒にはバレるんじゃないぞ」

 沙奈は一気に顔を輝かせた。ついでに全身も輝かせた。

『ありがとうございます先生!』

 沙奈は橋澤をハグしようと前方にダイビングした。橋澤はサイドステップでかわした。もっとも避けなくてもすり抜けて結果は同じだったろうが。

「というわけで、こいつの世話はお前達に任せたぞ」

「なんか体よく世話係押しつけてませんか?」

「なるべく部室の外にも出すんじゃないぞ」

「薄情な先生ですう」

 無責任な顧問を差し置いて、エレノアが教師以上の威厳を込めて言った。

「部活のときはなんとかするから、沙奈さん、悪いけど昼間は部室にいてね。騒ぎになったら、私たちだって部活どころじゃなくなるかもしれないし」

 そもそも科楽部がエレノアたちの隠れ蓑なのだ。正体丸出しの幽霊がいたら、部員にも疑惑がかかるのは目に見えている。ホログラムよりましなごまかし方を考えないと。

『うんうん、分かってる。部活がなくなったら私、生きていけない』

「いやそれは元からだろ」

『万一のときは、幽霊部員ってことに』

「却下」

 沙奈はがっくりと肩を落とした。よっぽど今のギャグは自信作だったに違いない。

「万一のときは姿を消して。さっきみたいに」

「なにしろ二十年間存在を気付かれなかったもんね」

『うう、改めて言われるとツラい・・・でもその通りよね、分かった』

 そういうと沙奈は、ぱっと身体の光を消した。後に見えるのは、あるのかないのか判らない程度のぼんやりとした人影のみ。なるほどこれなら、万一見られても、幻覚か何かだとごまかせるだろう。

「さてと、問題も片付いたようだし、今日はもう帰れ」

「片付いたっていうか、先生が丸投げしたんだよね」リアが蒸し返す。

「生徒でも地上人でもない奴なんか知らんぞ」

「人でなし! 鬼! 悪魔! センプリニ!」

『・・・センプリニ?』

 最後のはともかく、それ以外は実際その通りなんだからしょうがない。

「この分じゃ、火星も管轄外とか言ってほっとくんじゃ」

「当然だろう、校外活動を許可してやっただけでもありがたく思え。宇宙で逮捕または事故にあっても学校はいっさい関知しないのでそのつもりで。あくまで自己責任でな」

「ひどい無責任ですう」

 いとも簡単に監視を放棄した顧問に非難の声が上がる――が、

「あ、でもセンセがいないほうが、遊べるんじゃねえか?」

「エリさんのお父さんもいるし、大丈夫だよね?」

『火星に観光地とか、ショッピング街とかないの?』

 一同は俄然、監視がいなくなったことがうれしくなってきた。

「中心街にジョン・カーター記念館があるわ。近くにはマッコーネル通りがあるし、郊外にはトライポッド・イン・シアターとか」

「よくわかんないけど、すごそうだね」

「あと、シャイニング・キャニオンもあるわね。元鉱山町なんで、接客業が盛んらしいわよ。別名"赤い地平線の歓楽地帯"、略して赤線地帯」

「俺も同行しよう。生徒だけで見知らぬ土地に合宿させるわけにはいかん」

 いきなり態度を豹変させた橋澤が割って入ってきた。ただでさえ怪しい眼を異様にギラつかせている。

「接客業が出たとたんにこれだよ」

「下心まる出しですう」

「このセンプリニ!」

「そーだそーだセンプリニ!」

『何だか知らないけど、センプリニ!』

 謎の罵倒が飛び交う中、ひとりリアだけはキョトンとしていた。「接客業ってなに?」

「子供は黙ってなさい」

『リアさんは十八歳になってからね、身体のほうが』

「ヒドいー。・・・でもいい、何となく分かった」

 橋澤は生徒たちの非難も無視して、宙を見つめてニヤニヤしている。すでに脳内はいろんな夜遊び計画を立て始めているらしい。

「先生、もう結界から出していただけませんか。もうほかの生徒もいないようですし」

 エレノアが苦しそうに身じろぎしながら訴えた。

「フム、そうだな」

 橋澤がパチンと指を鳴らすと、地面の魔法陣がたちまち収縮して消えた。周囲の景色は元通りの色になり、音の響きも普通に戻った。重苦しい空気から解放されたリアたちは、ほっと息をついた。

「あ痛た・・・」

 エレノアが正座を崩して脚をさする。

「だいじょうぶですかエリさん?」

 立ち上がったメラニーが手を差し出してきた。エレノアがつかまるが、足が痺れてすぐには立てない。

「日本の習慣もこれだけは慣れないわ。あんたは平気なの?」

「えへへ、血が通ってないもので」

「ああそう・・・」

 たしかにメラニーはどれだけ解体されても断面から血が出たことがなかった。血液なしでどうやって各パーツを生命維持しているのかとエレノアは考えたが、よく考えたら維持する生命はなかったんだった。

 ゆっくり立ち上がりながらリアとアンナのほうを見ると、二人ともまったく平気な様子だった。あっちはあっちで、ヴァンパイアの超回復力と動物並みの身体なんだった。自分ひとりが人並みにダメージを受けることで、エレノアはほんの一瞬引け目を感じた。あくまでほんの一瞬。

 エレノアは脚のしびれを隠して精いっぱい部長らしく威厳を見せる。

「それじゃ、今日は解散しましょう。各自、ライブで用意してもらう楽器とか機材を考えておいて。明日まとめて父さ・・・火星に連絡するから」

「はぁーい」

 リア、アンナ、メラニー、そして沙奈が揃って返事した。

「新曲候補も考えようよ、なるべく簡単なやつ」

「そうだな、時間ないし」

「がんばりますっ」

 リアの提案に、賛成の声が上がる。

「沙奈さんは、部室でおとなしくしててね、悪いけど。また明日部活の時間までね」

『うん、私もがんばる。夜のうちに特訓する。せめてコーラスぐらいできるように』

 沙奈も決意を新たに手を握り締めていた。

「部室で発声練習でもするの?」

『うん。あと、ちょっと遠出できるようになったから、コーチも探してみようかと』

「音楽教室に化けて出るんですか?」

「くれぐれも目立たないでね」エレノアが釘を刺した。

『分かってる。いきなり普通の人間の前には出ないから。女優霊っていうのもいるらしいし、歌手霊とかヴォーカル・コーチ霊もいるかも』

「霊界にもいろいろ職業があるんだね・・・」

「まあ、部室なら練習してもオーケーだろ。防音だし」

 科楽部の部室は、その前身である科学部のときから、エレノアによって人知れず特殊防壁に改造されていたのだった。施工主いわく、防音のみならず放射能や防疫保護機能もあるらしい。いったい何の研究をするつもりだったんだ。

「それじゃ、帰りましょう。先生、さようなら。沙奈さん、また明日」

『さよなら、また明日ね』

 沙奈はバイバイと手を振ると、さっそく『♪ア~ア~』と発声練習をしながら部室の方向へ飛んでいった。沙奈が歌いながら通り過ぎた廊下では、花瓶の花がうなだれて垂れ下がっていった。

 あのバイオハザード並みの歌が少しでも治りますように、とリアたちは耳を塞ぎながら祈った。さもないと本当にゴーストバスターズがやって来るかも。


『こんにちはー! さあさあ今日も張り切っていこー!』

 翌日の放課後、科楽部部室の扉を開けたリアたちを、さっそくテレビ画面いっぱいの沙奈のどアップが出迎えた。

「こ、こんにちは、沙奈さん」

『火星フェスまであと六日! もう死ぬ気で特訓するよ! と言いたいところだけど、もう死んでたわね、アッハハハハ』

「すいません、わたしもです」

「いちいち反応するなよ、メル」

 早くも軽く疲れたアンナたちは部屋の中央付近の椅子に腰を下ろした。その中央の台には沙奈のテレビが鎮座している。よく見るとその台は脚にキャスターが付いているワゴン型の台車だった。

『見て見て! これなら私も自分で移動できるよ!』

 画面いっぱいに沙奈の笑顔を映したままのテレビは、キャスターを転がして床を移動した。笑顔のテレビがひとりでにキコキコと動き回る光景はたまらなくシュールだった。

 そこへ準備室のドアが開いて、エレノアが入ってきた。

「みんな揃ったわね」

『あ、エリさん、台車借りるね!』

「ええ、いいけど」

 自走式テレビにもひとり表情を変えないエレノアは、部屋の中央のリアたちに加わった。さすがエイリアン、並の変メカじゃうろたえない。

 ひとしきりデモ走行を終えると、沙奈はテレビを部室の端に移動させ、テレビから抜け出して等身大の姿で、部員の輪に加わった。

「それじゃ、準備してもらう物は考えてきた?」

 エレノアが机を輪の中央に引っぱってくると、アンナ、リア、エレノアがそれぞれリストを書いた紙を机に出した。

「あれ、メルちゃんはないの?」

 ひとり何も出さないメラニーにリアが声を掛けた。

「わたしはリアさんにもらったベースがありますから。まだ他のを弾けるほどじゃありませんし、それに機材とかよく分かりませんし。みなさんに従います」

 メラニーは素直に答えた。初心者としてはもっともな意見だ。

「そう。でもまあせっかくだし、新品一本ぐらい頼んだら? あれ中古だし」

「そーだよ、どうせならうんと高級でカッコいいやつ」

「調子に乗ってダブルネックとかいっちゃう?」

「え、二本いっぺんに弾くんですか? 腕を四本に増やすんですか?」

「ゴメン、忘れて」

 リアは慌てて取り消した。メラニーなら本当にスペアパーツで腕を増やしかねない。これが本当のダブルベースか。

「じゃメルの分は、新品のベース一本ね」

 エレノアはそう言うと、白紙の紙を取り出し、"ベースギター"と書き込んだ。こっちは提出用のリストらしい。

「はっ、はいっ、よろしくお願いしますっ」

『いいなあ、新品の楽器なんて』

 パートが未定な上に、文字通り楽器に触ることもできない沙奈が羨ましそうに机をのぞきこんでいた。

「言っとくけど、調子に乗って変なもの頼むんじゃないわよ。用意してくれるかどうか分からないんだから」

「だいじょぶだよ、向こうは宇宙最強のプロモーターだもんね」

 この火星フェスの主催者、ナイさんことニャルラトテップは、オカルト筋の語るところでは、ほとんど全能の神らしい。たぶん地球の物の複製ぐらい朝飯前だろう。神が朝飯を食べるかどうかは分からないけど。

「それから、何といってもまず、マイクとPAシステムよね」

 エレノアは提出リストに"マイク""PAシステム"を書き込んだ。科楽部には自前のマイクがまだなく、おとといのデビューライブではぜんぶ校内から借りてきたのだった。PAに至っては、スピーカーアンプ一台にギターとベースとマイク四本をぜんぶ繋ぎ、サウンドもへったくれもなかった。

 エレノアはちょっと考えた後、沙奈をチラリと横目で見て、リストの"マイク"の横に"5"と書き込んだ。

『エリさんありがとう! 私も数に入れてくれるのね!』

「予備よ」

 沙奈は勢いよく前方にずっこけて滑空していった。

「冗談よ。いちおう必要になるかもしれないしね」

『うう、冗談に聞こえなかったけど、でもありがと。必要になるようにしてみせるから。聞いて! 特訓の成果を!」

 スゥー・・・

「「歌はやめて!」」

 四人は一斉に沙奈を止めた。大きく息を吸った沙奈は、力なく息を吐いてしょんぼりと引き下がった。吐息は沙奈の発光で本当に青色に見えたような気がした。

『ぐすん、せっかく徹夜で特訓したのに・・・』

「後でね。酔い止め飲んどくから」

 沙奈はさらに力を落としてヨロヨロと漂って行ってしまった。

「エリさん、一日経ったら新入部員に対しても容赦ないですねえ」

「オレなんか初対面のときから毒舌吐かれてるぞ」

「あんたは幽霊じゃなくて動物だもの」

 睨み返すアンナを無視してエレノアは提出リストを書き続けた。

「それから、アンプと・・・」

「ハイハイ! わたし書いてきた! アンプならやっぱりマーシャルだよね!」

 リアが自分のリストを押し出してぱしぱしと指で叩いた。指差した項目には"マーシャルアンプ"と書かれている。

「この"5×3"ていうのは何?」

「壁みたいにどーんと並べるの! イングヴェイみたいに」

 両手で力いっぱいに夢を語るリア。マーシャルの壁を背負ってのライブ演奏というのは、ギタリストにとっては夢の舞台に違いない。

「変なもの頼むなって言ったでしょう」

「音圧で吹っ飛ぶんじゃねえか?」

「バック・トゥ・ザ・フューチャーみたいですねえ」

「飛ばないよっ!」

 今度は両手で力いっぱいに憤慨を表すリアを、エレノアが優しくたしなめた。

「まあ、どのみち一人一台分のアンプは頼む予定でいたけど。でも十五台はやりすぎよ」

「リアさんだけ目立ちまくりですう」

「じゃ、じゃあ、できたらって事で! 野外ライブのときにも使えるしさ! ね、お願いっ!」

 純真な目に星を瞬かせて迫るリアに、さすがのエレノアもたじろぐ。

「・・・まあ、ダメモトってことで」

 エレノアは提出リストに"マーシャルアンプ 4"と書き、横に(できたら積み上げ用に、もう数台)と書き足した。

「お、オレの分もあんのか?」

 アンナが身を乗り出した。

「沙奈さんの分よ」

 アンナが机に頭を激突させた。

「オレのドラムは新人のコーラス以下かよ!」

「冗談よ」

「エリさんもう冗談はいいから」

 恨めしそうに額をさするアンナに、冷たく微笑みながらエレノアが言う。

「今度は会場も広いだろうし、ドラムもスピーカー通さなきゃいけないでしょう。いちおう予備にもなるしね」

「始めからそう言え、バカ」

「まさか会場中に生音で聞かせるつもりじゃないでしょうね」

「いや、この際だから全力で叩こうと思ってたけど」

「それを至近距離で聞かされる私たちのことを考えてよ。あんたみたいに障害で野生化したらどうすんの」

「だれが障害だコラ」

 エレノアの毒舌に形相で対抗していたアンナだったが、突然血相を変えて、ガバッと立ち上がった。

「オ・・・オレ! とんでもない事に気がついたぞ! みんな大変な事を忘れてやしねーか!」

 突然のことにエレノアたちは目を丸くし、壁際でイジけていた沙奈も何事かと寄ってきた。

「オレたちの楽器って火星で使えんのかよー! 電気とかプラグとか違うんじゃねーか! 向こうで用意してもらったやつだって、持って帰っても地球じゃ使えねえかもしれねーぞ!」

 リア、メラニー、沙奈はポカンとしたまま無言だった。

「ふぅ」エレノアが溜め息をついた。「誰も忘れてやしないわ。あんただけよ」

 今度はアンナがポカンとする番だった。エレノアは説明を続けた。

「確かに火星で地球と同じ100Vの交流電源を使ってるとは限らないけど、電源の変換器もちゃんと用意してもらうわよ。プラグのアダプターとかもね。いざとなったら現地で合成もできるし。向こうの合成装置の性能は、ここのとは比べ物にならないわ」

「ぜ・・・全部、合成できんのか? ・・・もしかして心配してたのオレだけ?」

 アンナはチラリと目をリアとメラニーのほうへ向けた。

「わたしは、エリさんがなんとかしてくれるかと思って」

「わたし、気にしてませんでしたあ」

「ま、犬の頭で気づいたのは褒めてあげるわ。ぶつけた衝撃で利口になったのかしらね」

「ぐぬぬ・・・」

『さすがエリさん、技術面も抜かりないわね』

「部長として当然のことよ」

 押し上げたエレノアの眼鏡がキラリと光った。

「さてと、機材はこんなとこかしらね。次は楽器と――」

「はいはい! わたし新品のギター! レスポールのタウンゼンドモデル!」

「オレはツーバスと、ハイハットと、タム四つと、それから――」

「ハイハイ、順番よ、順番。犬、お座り」

「んだとこの!」

 エレノアは迫り来るリアとアンナを押し留めて椅子に戻した。リアは興奮を隠しきれないでいる。お預けを食わされた上に犬扱いのアンナは思いっきり不服そうな顔でエレノアを睨んでいた。

「ええと、リアはレスポール?」

「そう! 赤のサンバーストボディで、トーンダイヤルと、トレモロと――」

「落ちつきなさいって。宇宙人にもわかるように説明して」

「なんかカッコよさそうですう」

 興奮するリアをよそに、沙奈たちはリアが新品のギターを抱えた図を想像してみた。

『あれってけっこう重いらしいけど、大丈夫?』

「リア持ち上がんないんじゃねえか」

「それより、ギターの後ろに隠れちゃうんじゃないかしらね」

「隠れないよっ! バカにしないでよっ! もー!」

 真っ赤になって膨れるリアを、一同は生暖かく見守った。本人には悪いが、どうも子供が無理して大人サイズのギターを抱えた図しか想像できない。

「お前、超速はあるけど体力はフツーだろ? 重いと途中でへたばっちまうぞ?」

「むー。じゃ、じゃあ、フライングV! 軽くて使いやすいってマイケル・シェンカーが言ってた!」

『地球の神のおススメね』

「カッコよさそうですう」

 たちまち機嫌を直して眼を輝かせるリアに、エレノアは微笑み返した。チョロい子だわ。

「じゃ、フライングVの小さいのね」

「小さいは余計だよっ!」

 エレノアは提出リストに"ギター(フライングV)"と書き込んだ。

「はい、お待たせ、ドラムよ」

「よっしゃ、ようやくオレの出番だな!」

 勢いよく身を乗り出してアンナは自分のリストをバンバンと叩いた。

「まずはツーバスだぞ、ツーバス! これはぜってーだかんな!」

「ハイハイ」

『ハードロックはツーバスが基本だもんね』

「おうよ。それから、ハイハットとシンバルも2種類! 今はたったの一枚だもんな」

「ええと、ハイハットと・・・」

「あとはタム4つ、フロアタムも2つは欲しいな。スネアも3つか4つ」

「ちょっと、待って待って」

「本格的ですう」

「あーもうめんどくせえ! いっそデッキ丸ごとバーンと頼んじまおう! こーいうのこーいうの!」

 アンナはリストの上に音楽雑誌をバサッと取り出して、ドラムセットの写真をバンバンと叩いた。

 エレノアは溜め息をひとつついた。あのリストは何だったのかしら。

「まあいいわ。わたしも説明が面倒だし」

「あ、アンナずるーい! わたしもギター選ばせてよ!」

「わ、わたしも見ていいですか?」

 リアとメラニーも加わり、三人はやいのやいのと雑誌をめくり回しだした。

『いいの? 勝手に選んじゃって』

「いろいろ細かく言うよりも、実物から選んだほうがいいでしょ。画像を送って、向こうで解析してもらうわ」

『宇宙人に地球の楽器が分かるの?』

「ええ、分かる種族がいると思う」

『あー、例のコバイア人ね』

 エレノアの話では、自分も含め、宇宙人はとっくの昔から地球に溶け込んで生活しているらしい。中には正体を公表して音楽活動をしている者もいるそうだ。地球人が誰も信じないだけで。『地球に落ちてきた男』も、いつしか『地球に落ち着いた男』になったらしい。

 そういうわけで地球の文化や製品も宇宙には出回っており、エレノア所有の宇宙製アプリも、地球フォーマットに対応しているのだった。

 やがて雑誌を物色していた三人が目当ての写真を見つけ、順番にエレノアの眼前に突き出してきた。

「オレこれ! このデッキのフルセット!」

「わたしこれ! 色もこれがいい!」

「わたし、これがいいですう」

 エレノアはハイハイと各自を押し留め、それぞれが突きつけてきた雑誌の写真をスマホで撮影した。

『どれもみんな、庶民の高校生の自費じゃ買えそうもないね』

「この際いいじゃねえか、ホントはニール・パートみたいな360度デッキって言いたいとこだけどよ、まあフツーのやつで手を打っとくわ」

「相手が神だからってあまり調子に乗るんじゃないわよ」

「分かってるって。あとな――」

「まだ何か頼むの?」

 アンナはさっき面倒だと放り出した自分のリストをふたたび前に押しやった。エレノアはやれやれと目を通した。

「この"ゴング"ってのは何? プロレスでもするの?」

「ちがーう、銅鑼だよドラ。あのぶら下げて叩くデカいやつ。アレックス・ヴァン・ヘイレンがガンガン叩いてて楽しそうだったからさ」

「じゃ、その下の"大砲"ってのは?」

「ああ、"1812年"のドラムソロで使おうと思って。心配すんな、空砲だ」

「当たり前よ」

『あ、AC/DCの曲にも使えるね。フォー・ゾーズ・アバウト・トゥ・ロック! ファイヤー! ぼーん!』

「よしなさいって。戦争行為だと誤解されたらどうするの。これでもいちおう地球代表なんだから、変な挑発行為はやめときなさい。却下」

「ちぇー」

「"火星"っていうぐらいだから、火には慣れっこかと思ってたけど」

「そんなわけないでしょ。言っとくけど、ステージパイロもなしよ」

「えー」

 リアが不満を漏らしたが、エレノアにジロリと睨まれて口をつぐんだ。それからバツが悪そうに、自分のリストの"花火""ロケット発射ギター""火炎放射ギター"を折り曲げて隠した。

 沙奈はエレノアの持ってきたリストをのぞき込んでいた。なにやらサウンドシステムに使うらしい機材名が並んでいるが、最後の名前に目を留めた。

『エリさん、メロトロン頼むの?』

「プログレには必需品よ」

 キリッと断言。

『あれ手入れとか調整とかすっごく大変って聞いたけど』

「大丈夫、劣化対策にデジタル・フィードバックを付けておくから。ピッチの自動調整補正もしておくわ」

「もうそれフツーのシンセサイザーでいいんじゃねえのか?」

 アンナの突っ込みを無視し、エレノアは提出リストに"メロトロン"を書き込んだ。

「火星対応の変換器とかは私が頼んでおくわ。さて、こんなとこかしら?」

 エレノアは提出リストを見、次いで一同を見回した。

「PAとマイクと楽器。うん、いいんじゃね? 普通だけど」

「これで機材ぜんぶ揃いますねえ」

「しかも新品の楽器まで! すっごーい!」

「スポンサーが宇宙魔神でさえなけりゃね」

 ひとりごちたエレノアも、何だか出来過ぎのような気はしていた。素人バンドがいきなりステージ出演、おまけに機材も楽器もくれるという。いくらスポンサーがほとんど全能の宇宙神とはいえ怪しすぎる。

 といっても、少なくともウソではなさそうだし、だいいち断ったら天罰が下る。いや違った、宇宙罰か。具体的にいうと、オグドル=シルの巨大触手という罰が。その破壊規模は、どんなヘヴィメタルのジャケットをも凌ぐだろう。

 というわけで、どのみち出演はやめるわけにいかない。リアみたいに素直に喜んでるのが一番かもしれない。エレノアは少しだけリアの単純な性格が羨ましくなった。

「それじゃ、機材を連絡して、宿泊の手配も――」

 ズバーン!

「ちょおぉっと待ちなさあぁい!」

 いきなり扉が開いて、キーンと叫び声が響いた。一同は飛び上がって入口を振り向いた。ヤバい、調子に乗りすぎて宇宙魔神のお仕置きが来たか。

 いや違った。入口に仁王立ちしているのは、風紀委員長、白菊霧乃だった。

 一同はうんざりと椅子に腰を落とした。この女に比べれば、説得の余地があるだけ、まだあの触手のほうがましかもしれない。


「わたくしを差し置いて、本校の代表で出演するなど、図々しいにも程がありますわ!」

 ビシッと前方を指差し、高らかに糾弾するのは、甲石高校風紀委員長、自称PMRC代表、白菊霧乃。校内の公序良俗を守るためと称し、誰かれ構わず言いがかりをつけた生徒を摘発して回る、早い話が校内一はた迷惑な人間である。

「フェス出演の話は聞いたわよ」

 霧乃の後方に控えていた、風紀副委員長の倉内久里子(くりす)が姿を現した。こちらは霧乃の参謀にして、校内一腹黒い女と噂される人間である。得意技は霧乃を笠に着た、押収品の着服。

「あ、あのう、お邪魔します」

 さらに久里子の後ろから、気弱な男子生徒がおずおずと顔を覗かせた。霧乃の手下として連れ回されている、通称"委員長のM奴隷"、黒間光。得意技は半ベソ顔による泣き落とし。

 だが光が顔を見せた途端、たちまちリアたちは歓迎の笑顔を浮かべて入口に殺到した。

「黒間くーん! 入って入って!」

「演奏聴きに来てくれたんですか?」

「じっくり聴いてけよ! 今夜は寝かせねえぜ?」

「楽にしていらっしゃい。さあ早く服を脱いで」

 目をギラつかせて迫り来る四人の変態に、光は「ひいっ」と後ずさった。うち一人は眼鏡の奥で本当に眼を光らせている。

 二日前の事件において巫女服姿を披露した光は、委員長のM奴隷から、全校女子の癒しペットへと昇格したのだった。リアたち四人も例外ではなく、光を目にするたびに、保護欲、愛玩欲、着せ替え欲に駆られるようになってしまった。約一名は文字通り、獣欲も。

「ええい、近寄るんじゃありません妖怪ども!」

 入口に立ちはだかった霧乃が腕をぶんぶん振り回し、迫り来る変態の群れを威嚇した。光が癒しペットとしてデビュー、もとい、巫女服を着せられたのは、リアたち妖怪の正体を目撃した霧乃の命令である。

 校内でゲリラライブを繰り返していたリアとアンナに、霧乃たち風紀委員会が因縁をつけたのがそもそもの発端だった。ムリヤリ霧乃に加勢させられた男子生徒たちとリア、アンナが乱闘になり、巻き添えになったメラニー、エレノアともども、正体が発覚してしまったのだ。

 妖怪系ビジュアルバンドという弁解で一般生徒は納得したが、風紀委員の三人は別だった。特に恐怖のあまり醜態を晒してしまった霧乃は、羞恥と妖怪排除の使命に燃え、オカルトマニアであった久里子と、神社の霊力者であった光を引き連れ、本気で妖怪退治に乗り出してきたのである。

 というわけで、光が巫女服姿にされたのは、断じて女子受けを狙ったのではない。

 いや、重要なのはそこじゃなく、霧乃たち三人は、リアたちが人間ではないことを知っているのである。

 だが妖怪以上に凶悪な形相で立ちはだかる霧乃を、ヴァンパイアの超速で難なくすり抜けたリアは、霧乃の背後にいる光の眼前に現れた。光にとっては、いきなり目の前にリアがパッと現れた状況になる。

「ひいいっ!?」

「ほら早く早くっ」

 妖怪に怯えて後ずさる光の腕を、リアがぱっと掴んだ。

 バチイッ!

「あっぢいーっ!?」

 光の手を掴んだリアの手に電撃が走った。仰天したリアは思わず、全力の超速で部室の中に逃げ戻った。そばを通った衝撃波で、霧乃は吹き飛ばされて顔面を壁に激突させた。

「な、なに? 今の?」

「ふ、服にお札を貼ってあるんです。魔除けのために」

 光の巫女服は神社の本物で、決してコスプレではない。

 いや、しつこいけど重要なのはそこじゃなく、光には本当に退魔能力が備わっているのである。

「ほほほほ! 驚きましたか変態ども! もうあなた達に手は出させませんわ!」

 立ち直った霧乃がすかさず部室入口に立ちはだかって、ヒリヒリと激突跡が赤い顔で勝ち誇った。

「そう何度もナメられっぱなしじゃないからね」

 久里子が不敵な口ぶりで言った。光のガード装備は、オカルトマニアのこいつの発案か。よく見ると久里子の首にも、お守りらしい紐が掛かっている。

「白菊のシモの防御もしてきたのか?」

「当然。きちっとトイレを済ませて来たわ」

「久里子、余計なことを言うんじゃありません! そんなことより!」

 霧乃はまたビシッと指を突き出した。

「フェスの出場は、わたくしたちPMRCこそがふさわしいですわ! 変態妖怪バンドなど下がりなさい!」

 一方的に宣言すると、霧乃は部室内にズカズカと踏み込んできた。続いて久里子も、油断なく周囲を警戒しながら入ってきた。光はまだ扉の陰で、おそるおそる様子を窺っている。

 久里子が部室内を見回しているとき、リアはハッと気付いた。沙奈さんは? 沙奈さんの姿を見られたら、また大変な騒ぎになるかもしれない。

 リアは背後を振り向いた。

『♪ふんふふんふーん・・・』

 沙奈はテレビ画面に戻っていた。アイドル歌手のステージを映し出し、沙奈自身がアイドルのフリをしている。歌詞が分からないので歌はハミングだ。

 リアは苦笑と安堵が入り混じった顔で、霧乃たちに向き直った。霧乃も久里子も幽霊に気付いた様子はない。

「そういうわけで、わたくし達があなた達に代わって火星へ行きますわ」

 HBの鉛筆を手でへし折るように、霧乃はさも当然というように言い放った。

「どーいうわけだよバカタレ!」

「勝手に決めないでくださいよう」

「図々しいのはどっちのほうよ」

「そーだよっ、そっちなんてちゃんとしたバンドじゃないじゃんっ」

 一斉にアンナたちの抗議を受けても、霧乃の鉄面皮は崩れなかった。そもそも霧乃に聞く耳があれば、この前みたいな騒ぎは起きなかったのだ。

「ほほほほ、何を言っているのあなた達? わたくし達は軽音部に所属する、れっきとしたバンド"PMRC"ですわ」

 得意満面で霧乃は宣言した。

「そのまんまですう」

「ひでえ名前」

 復讐と反妖怪に燃える霧乃はライブ排除に乗り込んできたものの、退魔術の暴発で自滅し、あげく霧乃がヤケになって召還した邪神オグドル=シルに恐怖し、またもや醜態の上塗りをする結果になってしまった。ショックで頭のネジが吹っ飛んだ霧乃は、何を思ったかリアたちに対抗して自分たちもバンドを始めるという暴挙に出たのだった。これが本当の『恐怖の頭脳改革』。

 なお"PMRC"というのは霧乃が名乗っていた"風紀規定委員会"の略である。よりによってこんな名前をバンドに付けるなんて、ディズニーランドで共産党集会を開くようなものだが、霧乃はお構いなしだ。

「わたくしの華麗な美声に聞き惚れるがいいですわ。ちょっと、そのヘタな歌のテレビ、消してくださる? 耳障りですわ」

 アンナがやれやれと頭を振った。この学校の生徒が知っている霧乃の声といえば、傍若無人なガミガミ声と、傍若無人で甲高い笑い声だ。人気取りが目的なら、どう考えてもこいつは歌担当にはしないほうがいいと思うのだが。というか、まだ自分が嫌われ者という認識が無いのかこいつは。

「今そのテレビ、ひとりでに消えなかった? なんか歌手が恨めしそうな顔で睨んでた気が」

「久里子、気にするんじゃありません。妖怪屋敷で変なものにいちいちビクついてはキリがありませんわ」

「チビる心配がなくなったとたんに図太くなりやがったな」

「お黙り! そんなことより、フェス出演ですわ」

 霧乃はふんと胸を張った。

「わたくしたちPMRCが、地球の清く正しい芸術を知らしめて参りますわ」

「勝手なこと言わないでよっ! わたしたちはちゃんとナイさんから招待されてるんだから!」

 リアが両手を振り上げて抗議した。そうしないとふんぞり返った霧乃の視界に届かないからである。

「ほほほほ! 招待状でしたら、わたくしの元にも届いていますわ! 光!」

「はっはいっ!」

 委員長のお呼びにビクンと飛び上がった光は、恐る恐る部室の中に足を踏み入れた。光にとっては魑魅魍魎と貞操の危機が渦巻く魔窟である。

 リアたちはただちに出迎えて着替えさせて飼育箱の中に保護したくなる衝動を憶えたが、さっき魔除けに触れたリアの反応を思い出し、ぐっと抑えた。

 光は制服の上着のポケットからおずおずと封筒を取り出した。リアたちも見覚えのある封筒だった。古文書のような年季の入った紙質、厳格さ溢れる字体、それに紋章入りの封蝋。

 差出人はまちがいなく、やること為すこと時代劇調の、ナイさんだ。

「今日軽音部に届いてたのよ。霧乃宛てに」

 久里子が説明を付け加えた。

 霧乃はふんぞり返った姿勢のまま、片手を後方に回して、チョイチョイと催促している。光は封筒の中身を慎重に取り出して、霧乃に手渡した。

 霧乃はバッと手紙を突き出した。ファントムズの四人が顔を寄せる。


『   甲石高校PMRC 白菊霧乃 他二名

  汝ら不遜の徒も楽奏に手を染めたと知るに及んでおる。

  火星の宴を神々への禊の場としてやるのも一興なり。

  せいぜい神々に許しを乞うて慰み者となるがよい。

                     ニャルラトテップ  』


「どこが招待状だよ」

「オマケ扱いですう」

「ていうか、生贄なんじゃないの? これ」

 アンナたちの呆れ声に、霧乃のドヤ顔にピクピクと青筋が走り出した。

「お黙り! 誰が何と言おうと、わたくし達は火星に参ります!」

 有無を言わせない霧乃の後ろで、光は青くなってガタガタと震えていた。

「い、い、い、生贄・・・」

 半泣きで震える光の姿に、リアたちの保護欲メーターがさらに上昇した。

「あ、黒間君はだいじょうぶ! わたしたちがピッタリエスコートするからね!」

「おトイレが怖いときはついてってあげますよお」

「夜も添い寝で離れねえぜ、もちろん!」

「私に任せておいて。用心のため、クローン肉体のダミーを造っておきましょう」

 一瞬で白衣に着替えたエレノアが、眼鏡をクイッと上げながら歩み出た。

「というわけで、精子をちょうだい」

 ずいっ、と突き出したエレノアの右手に握られている三角フラスコがキラリと光った。

「わたし採取する! わたし採取する!」「よし、オレは前立腺の刺激を」「ハイじゃ脱いでくださいねー」

 迫り来る変態の集団から、光はザザーッと後退した。

「ひいっ、やめてくださいっ!」

「下がりなさい変態ども! 光、あなたもいちいち怖気づくんじゃありません! お札の防護があるでしょう!」

「ハ、ハ、ハイ・・・」

 光は内股でブルブル震えながら元の位置に戻ってきた。M奴隷の本能のせいか、妖怪よりも霧乃のカミナリのほうが恐ろしいらしい。

「ちぇー」

「おいオカルトマニア、お前止めなかったのかよ」

 アンナが久里子に話を振った。その筋のマニアとして、この場でニャルラトテップやオグドル=シル神の脅威を唯一理解しているらしい者だ。

「ニャル様直々に禊のお達しがあったのに、背くなんてとんでもない。どうあっても火星へ行ってご命令に沿わなければ」

「ニャル様・・・?」

 怪訝なアンナの前で、やおら久里子は両手をバッと頭上に上げた。

「いあ、宇宙の深淵にまします這い寄る混沌よ、千の御姿以て我に叡智を賜らんことを・・・ハァハァ・・・」

 久里子は顔を赤らめ、ブツブツと呪文だか祈りだかを唱えだした。目に星をちりばめて上目づかいで、おまけに息を喘がせて両脚をモゾモゾと擦り合わせている。目の前に崇拝するスターが現れたグルーピーみたいなものか。

 脳内がニャル様サバトに行ってしまった久里子はほっといて、霧乃に別の話を聞くことにした。

「ところで、お前ら、楽器は何やるんだ?」

 そう聞いて、リアたちも霧乃の答えを待った。聞いた話だと、バンド結成を思い立って強引に軽音部に入部したのが昨日のことだという。そんなに急に結成できるなら、もしかして元々なにか楽器をやっていたのかもしれない。

 霧乃はここぞとばかりピンと背筋を伸ばした。

「よくぞ聞いてくれましたわ。聞いて驚きなさい!」

 霧乃はビシッとリアたちに指を突き出した。リアたちはゴクリと身構える。

「これから考えますわ」

 どしゃー。

 リアたちは一斉に勢いよくずっこけた。

「ノープランかよ!」

「勢いで結成しただけじゃん!」

「驚きましたあ」

 やっぱりこの女は何も考えてないだけだった。実力ゼロなのに、この根拠のない自信はいったい。

「わたくしにかかれば、音楽活動など造作もないですわ。久里子も少しは歌えますし」

 一同は久里子を見た。そういえば二日前の騒動では、全校生徒が仰天するほどの歌を披露したんだった。あのときは有名なオペラ歌手の霊が憑依していたとはいえ、少なくとも声の素質はあることになる。

「フフフフ・・・あたしの歌をニャル様に聞かせる日が・・・」

 まだ脳内サバトを続けている久里子は緩みきった笑いを浮かべている。妖怪よりも不気味な顔だった。

「光は・・・わたくしが調教、もとい、特訓すれば、何とかなるでしょう」

「無茶言わないでくださいよう」

 光は虐待に怯える目で懇願した。すると、光も演奏経験ナシか。

「さてはアレだろお前ら、口パクだろ」

「わーひどーい」

「禊どころか、かえって冒涜ね」

「いるよねー、格好だけのバンド。ポーザーってやつ?」

 四人一斉に軽蔑の眼差しを注がれた。リアにまで低位置から。

「ぶっ、無礼なっ! わたくしがそんな姑息な手段を使うとでも!」

「「うん」」

 四人一斉に頷かれた。

「お黙り! 見てらっしゃい、我らPMRCの華麗なるステージを! 妖怪バンドなどわたくしの人気に霞むがいいですわ、ほーっほっほっ!」

 霧乃は空元気を総動員して胸を反らした。やっぱり、いちばん口がでかいこいつがフロントか。

「上等だ! お前らのほうこそオレたちのステージに腰抜かすんじゃねえぞ!」

 アンナが拳を突き出して啖呵を切った。

「わたしのギターにかなうもんなら、やってみなよっ!」

 リアも無い胸を張って、アンナの隣に踏み出した。

「せいぜい恥をさらさないことね」

 エレノアも最大級の見下し目線とともに、リアの隣に進み出た。

「わたしだって、負けませんから!」

 メラニーも両腕でガッツを作って三人に並んだ。

『ファントムズの本気、見せてあげるわ!』

 沙奈もやる気満々で四人の中央に進み出た。

「えっ?」

『えっ?』

 沈黙。

 PMRCの三人は、いきなり現れた五人目の少女をまじまじと見つめた。

 気のせいか、この女の足は地面から浮いているように見える。それだけじゃなく、身体は青い光を放っていて、さらに背後が透けていて、まるで――

 みるみるうちに三人の顔は、沙奈の身体よりも青ざめていった。

 ファントムズの四人と一体は、決めポーズのまま気まずい顔で固まっていた。冷汗をにじませながら。

 アンナが横目でリアを見た。

 どうすんだ、これ。

 リアが目で応えた。

 よし、笑ってごまかそう。

「あはははは、紹介しまーす! 新入部員の沙奈さんでーす!」

『どーもー、利降沙奈でーす! 十六歳でーす! 幽霊部員でーす!』

 どさっ。

 光が床に倒れて気絶した。

 蒼白の久里子は、沙奈の自己紹介と同時にズザーッと後退したが、すぐに取って返すと床に伸びている光をつかみ起こし、盾にしながら引きずって後ずさり、そのまま部室出口から姿を消した。

 後に独り残された霧乃は、床に尻餅をついた姿勢のまま動けないでいる。

「ひ・・・ひ・・・ひっ・・・ひっ・・・」

 悲鳴も上げられない状態で霧乃はガクガクと両脚を震わせた。リアたちは気まずいような哀れなような目で見下ろしながら、霧乃が前もってトイレに行ってくれていてよかったと心から思った。

「ひ、ひ、光――っ! 久里子――っ! わたくしを置いていくんじゃありませ――――ん!!」

 腰が抜けて脚が動かない霧乃は、そのままの姿勢でドタバタと両手を動かして後ずさった。めくらめっぽうに後退した霧乃は、壁に後頭部をドシンと激突させた。

 衝撃で壁の棚から、何かがぽとりと霧乃の前に落ちてきた。

 霧乃の両脚の間から、人形がまっすぐ見返していた。

『ハーイ、僕、チャッキー』

「うっぎゃああああ――っ!?」

 こんどは両手両脚をジタバタさせて、後頭部をガリガリと壁に擦りつけながら、霧乃は死にもの狂いで出口のほうへ殺到した。どうにか廊下へ後ろ向きにべたんと飛び出した霧乃は、仰向けのままバッとブリッジの姿勢で身体を持ち上げ、シャカシャカと四つ足走行で廊下をまっしぐらに逃げて行った。

 遠くのほうから霧乃に驚いた一般生徒の「うわっ!」「キャーッ!」という悲鳴が聞こえてきた。

「ったく。またあいつら除霊に押しかけて来るかもしんねえぞ」アンナが頭を掻きながら霧乃が逃げていった廊下を見つめた。

「お祓いはヤですう」

「いや、あの様子じゃ当分ここには近寄らないんじゃない?」

「とにかくもうこれ以上面倒はご免よ」エレノアがやれやれと頭を振り、騒ぎの元凶を見た。

『私まだやれる・・・幽霊としてやっていける・・・』

 当の沙奈は感涙にむせびながら身体を虹色に輝かせていた。霊になって苦節二十年、あれほど本気で怖がられたのは初めてだった。


 とりあえず、PMRCは放っとくことにした。光と霧乃が立ち直るのは少なくとも明日だろうし、今日はもうあの連中のことは考えたくない。

 というわけで、乱入で中断していた用事を再開した。火星フェス出演者世話係、つまりエレノアの父親に、頼むステージ機材と楽器を連絡するのだ。

 いくらスポンサーが全能の宇宙邪神といっても、揃えるには時間が掛かるかもしれないし、なるべく早く伝えておくに越したことはない。それに、気は進まないが、本っっ当に気は進まないが、PMRCが追加で参加することも連絡しておかなくては。ナイさんは承知みたいだし。

 エレノアは溜め息を一つつくと、スマホの番号を呼び出した。

「もしもし、父さん」

『やあ、エレノア』

「火星フェスのことだけど」

 こういうときは嫌な話から先に済ませてしまうに限る。エレノアは一息つけて、切り出した。

「まずはええと、人数のことなんだけど。わたしたちと先生の他に・・・え? もうナイさんから聞いてる?」

 いや、やっぱり準備に関しては、心配いらないかも。

「うん、そう、別のバンドで、三人。・・・え? いやまあ、友達っていうか、何というか」

 エレノアは目を泳がせた。少なくとも白菊さんと倉内さんは、まちがっても友達じゃない。黒間君はぜひ飼い主、もとい、友達になりたいけど、残念ながら今はすぐ逃げられるか、気絶されるかだ。

 しかし、ファントムズと先生を除けば、わたしたちの正体を知っているのはあの三人だけだ。そう考えると、赤の他人とはいえないかも。言ってみれば、秘密の共有者同士か。

 待てよ、そういえばわたしだって、元はといえば巻き込まれて仲間にされたんだった。そう思うと、意外と立場は近いのかもしれない。向こうも今は何だかんだで、妖怪の存在を認めてるみたいだし。

「そういうわけだから、全部でええと、九人になるわね。火星までの送迎と、あとホテルもお願い」

 "ホテル"という単語を聞きつけたアンナとリアが、横からちょっかいを出してきた。

「はいはい! ホテルは海沿いに建ってるやつ! バルコニーから釣りができんの!」

「あと、部屋にはM&Msの茶色抜きを用意しとくよーに!」

 すぱぱーん。

 どこからともなくエレノアの手の中に出現したハリセンが二人の頭にヒットした。

「もしもし、少し雑音が入ったみたい」

『はははは、楽しい友達だな』

 外交官たるもの、客の無茶振りにいちいち慌てたりはしないのだった。

「あと、先生はフェスの間、クリスタル・キャニオンを案内してやって」

『接待は任せとけ。言っておくが、お前たちはそんな所はいかんぞ』

「分かってる」

 エリさんのお父さんって普段どんな外交してんだろ、とリアは怪しんだ。ていうかそれを顧問教師相手に画策する父娘っていったい。

「それから、楽器とステージ機材をお願いね。楽器は見本を写真で送るから」

 エレノアは雑誌写真のベースギター、ドラムセット、ギター(フライングV)を送信した。それからさっきリストにまとめたステージ機材、マイクとPAとアンプを読み上げ、さりげなくエレノア希望のメロトロンも。最後に「できたらなんだけど」と、積み上げる用のアンプ15台分を話した。本当に気が進まなそうに「できればでいいからね」と念を押して。

『分かった、こっちの担当者に伝えておく』

「いろいろ頼んで悪いけど」

『いいさ、わたしも楽しみにしてるぞ』

「それじゃ、よろしくお願い――」

『もしもし、エレンー!!』

 いきなりスマホから大声が響いた。エレノアは顔をしかめてスマホを耳から話した。

「・・・もしもし、母さん」

『わたしもすっごくすっごくエレンのステージ楽しみよー。お友達にも早く会いたいわあ』

 周囲にも丸聞こえの声に答えて、他のメンバーたちもスマホに向かって挨拶を送った。

「どーもー、エリさんのお母さん。お世話になりますっ」

「オレたちも楽しみでーすっ!」

『お会いするのを待ってまーす』

「よろしくお願いしますう」

 こんどはスピーカーの音が割れるほどのさらなる音量で返事がかえってきた。

『まあーまあー皆さん、エレンがお世話になってますねえー。早くお会いしたいわー』

 エレノアが大声に目をしばたたかせながら話し返した。

「母さん、そんな大声でなくても聞こえてるから」

『エレンもお友達ができてよかったわねー。それじゃ、待ってるからねー』

「あの、父さんに――」

 ツー、ツー。

 数秒間無言で立ち尽くしていた後、ながーい溜め息をついて、エレノアはスマホを切った。

 周りで見ていた三人と一体は、生暖かくそれを見守った。

「会うのが楽しみだねえあはは(棒読み)」

「優しそうなご両親ですう(棒読み)」

「気遣いはいらないわ」

「それがなんで娘はこんな冷血になったんかねえ(わざとらしい棒読み)」

「あんたみたいな野性の放し飼いとは違うからよ」

「んだとこのエイリアン」

『うん、やっぱエリさんには気遣いより毒舌よねえ』

 睨み合うエレナとアンナを沙奈が無邪気に囃し立てた。二人は「フン」と顔を背けた。

「さてと、あと六日だわ。動物の調教をしてるヒマはないわね」

「うっさい」

「まあまあ、じゃさっそく新曲に取りかかろうよ」

「まだ曲も決まってませんし」

「ほら、あんたも来て。ドラムがいなきゃ始まんないでしょ」

「ぐぬぬ・・・」

 さすが部長、アメとムチの使いこなしも慣れたものだ。

「当日までに弾けなかった人は、ナノマシンで強制操縦よ」

「「それだけはヤメて――!!」」

 主にムチだった。


 エレノアとアンナは性格が正反対な上に、プログレ好きとメタル好きという点でも気が合わなかった。おまけにどっちのジャンルも、ファンが他のジャンルを見下しがちという問題がある。そうでなくてもアンナは見下されるネタが満載なのに。

 だが両方に指示されるバンドも、わずかながら存在する。プログレ・ハード、ラッシュだ。幸い比較的テンポも遅くて音数も少なく、何とか短期間で弾けそうな曲がある。しかも天体現象の歌なので、もしかしたら宇宙人に受けるかもしれない。

 だが、問題がひとつ。

「ラッシュって三人でしょ? わたしたち四人でやったら、一人余っちゃうじゃん」

『うう、五人じゃないのね・・・ぐすん』

 訂正、正確には問題は二つだが、今のところ沙奈は戦力外なので、ひとまず無視。

「わたしは歌だけにするわ。原曲もキーボード無いし」エレノアが言う。

「キャー、主役ね、エレンちゃー・・・分かった、ゴメン、向けるなこっち向けるな」アンナがエレノアが向けた"脳殺銃"から遠ざかった。

 同じく弾けそうなので選ばれたのが、"トップ・オブ・ザ・ワールド"。カーペンターズじゃなく、ヴァン・ヘイレンのほう。リアとアンナはすでに部活初日に披露したので、あとはメラニーとエレノアが練習するのみ。この曲のビデオではバンドが宇宙を飛んでいたので、これも宇宙人に受けるかもしれない。

 観客は宇宙のありとあらゆる種族がやって来るとあって、まちがっても宇宙戦争を焚きつけないよう、ヤバそうな歌詞の曲は外された。何しろあのオグドル=シルのような、触手一本で地球をぶっ壊しかねない方々が、団体さんで押し寄せるのである。というわけで、「騒げ」「ハメを外せ」系の歌は却下。「ぶっ殺せ」「力を見せてやれ」系は論外。誤解されるとまずいので「生きていけない」「もうこんな世界はやだ」もボツ。

 というわけで、必然的に無害な歌詞のポップソング、ラブソング(失恋じゃないやつ)が候補に残った。これはメラニーとリアが好きなジャンルなので、候補曲には困らない。ただし残念ながら、ゲリラライブでリアとアンナが歌っていた"お気に召すまま"は却下。「一晩中抱きしめて、君の好きなように」を文字通り実行されたら困る。

 幸い、前のライブで披露した四曲はその手の歌詞じゃなかったので、そのままセットリストに加えることができた。もちろんオグドル=シルに受けた二曲はやらないわけにいかない。ただし"ゴーイング・ホーム"は客が帰ってしまうかもしれないので、セットの最後ということに。

 というわけで、ラブソングから二曲選び、これで四人に一曲づつヴォーカル担当が増えた。セットリストは合計八曲。フェスの出番にはちょうどいい長さだ。宇宙フェスにちょうどいいかはどうかは知らないが。

 あとは練習あるのみ。

 なにしろ観客は宇宙邪神の団体、お気に召されなかったらたぶん命に関わる。もしかしたら地球の命運も。

 それに、トチッたりしたら、PMRCに思いっきりバカにされる。

 何より、トチッたりしたら、エレノアによる人体改造というお仕置きが待っている。

 特に最後のが恐ろしかった。リア、アンナ、メラニーは必死に練習した。

「メル、その調子よ。新しいベースならきっともっといい音になるわ。リア、曲はもう覚えたみたいだから、スピードの出しすぎだけ気をつけて。アンナ、力入れすぎ、今度ずれたら麻酔弾撃つわよ」

「なんでオレだけ扱いヒドいんだよ!」

 プレッシャーに押されがちなメラニーとリアにはアメを、悪ノリしがちなアンナにはムチをと、エレノアのコーチも堂に入っていた。しょっちゅうリアが切る弦とアンナが破るドラム(時々スティックも)の復元修理にも秘蔵の合成装置が活躍した。

 エレノア本人はといえば、責任感のためか、それともこっそり例のチャイルドガイドを使っているのか、新曲はいち早くマスターしていた。もしかしたら両親が見に来るからかもしれないが、それを問いただす勇気のある者はいなかった。

 最も経験の浅いメラニーは、三人に後れを取るまいと、ちょっとテンパり気味だった。幸い、腕の上達ペースは頭とは別らしく、なにしろ本当に頭と腕が別れても演奏は続けられるのだった。といっても、他の者が「♪トップ・オ・・・おわぁー!?」と歌を中断してしまうので、やっぱり気をつけないといけないが。

「緊張すると間違えやすいからさ、がんばるんじゃなくて、思いっきり楽しんじゃおうよ、ねっ?」

「は、はいっ。それに緊張して指が固くなると、外れやすいですし」

「うん、そっちも気をつけようね・・・」

「リアさんみたいにわたしもヘッドバンギングとかしたら、リラックスできますか?」

「おっし、ロック魂を燃やすにはノリからだ! やってみ!」

「はいっ!」

 ぶんぶんぶん。

 ぽとん。

「おわぁー!? や、やっぱりダメ、ヘッドバンギングはヤメろ!」

「はう~、すみませぇん」

 観光ガイド『オトナの火星街』を一箱渡しておいた橋澤は部室には現れず、心おきなく練習に専念できた。もちろんエレノアの作戦だが、入手方法は「それを知ると脳を蒸発させなきゃいけなくなるわ」だそうだ。

 PMRCの連中もあれ以来、部室には現れなかった。幽霊に恐れをなしたのか、それともまた気が動転してバンドに熱中するようになったのかは知らないが、少なくとも練習に励んでいるのは本当らしい。その証拠に、軽音部員が連日部室から締め出され、彼らの証言によると、部室内からは霧乃の怒号と光の悲鳴がひっきりなしに聞こえてくるという。またある時は久里子が「きっとニャル様もお喜びになるわ、げへへへ・・・」と、名状しがたい不気味な笑い声を上げていたそうだ。それ以来PMRCの練習を覗く者はいなくなった。

 ただし漏れ聞こえてくる悲鳴をネタに、またもや光が主人公の同人漫画が作られ、その中で光は発声練習や精神修行と称してあんな事やそんな事をさせられていたのだが、それはまた別の話。・・・いえ、よい子にはとても話せません。

 そんなこんなで、邪魔する者もないファントムズの練習は順調に進み、残る問題は一つ。

『せっかく・・・入部したのに・・・一緒に練習したいのに・・・やっぱり私なんて・・・・・・』

 一人ものすごーく雰囲気の暗い一角が部室に発生していた。見ているほうも滅入ってくるので、ついつい目を逸らしてしまい、それでますます沙奈は落ち込みを深くするという悪循環。

 沙奈の表情もますます生気を失っていくように見えた。もともと生気はないんだからしょうがないけど。

「そう落ち込まれてもさ、沙奈さん楽器さわれないんだから、しょうがないじゃん」

『トドメ刺してくれてありがと・・・ぐす』

 床に座り込んで沈んでいる沙奈を見かねたリアが背後から声を掛けた。沙奈の腰は文字通り床に沈んでいる。

「じゃ、せめてコーラスぐらいできるようにならない? 音程合わせて」

 がばっ!

『やる! やります!』

 リアの超速にも劣らない瞬間移動で、沙奈は飛び上がってリアの目の前に迫った。表情も一瞬で半ベソから特訓に燃える顔に変わっている。

「そ、それじゃ、合わせてみて。♪あ――――」

 沙奈は二歩分後ろに下がり、背筋を伸ばし、顔を上げた。

 スゥー・・・

『あア@ぁああア#α*ァァД――~~―~―~!!』

 魂の叫びを出し切った沙奈が顔を下げると、四人の姿が消えていた。

 いや違う、アンナ、エレノア、メラニーは床にぶっ倒れて見えなかったのだ。

「れ、練習のしかたをまず考えよっか・・・」

 リアがヨロヨロと部室入口の陰から姿を現した。倒れる前に超速で部室から避難したのだった。

『うう・・・みんなごめん、しばらく一人で練習するわ・・・エリさん、地下シェルター借りるね・・・』

 タイタニックの凍死体よりも暗く沈んだ顔で、沙奈は床下に消えていった。

「ふえ~、頭がクラクラしますう」

「違うメル、首が外れてクラクラしてるんだ・・・まったく、何とかなんねえのかよ、あいつ」

「テレビに取り憑いてるとちゃんと音が出るのにね」

 エレノアが最後に頭を振りながら起き上がった。「きっとそれよ、リア。頭の中では音が合ってるのに、声の出し方がまちがってるんだわ」

「でも、このままじゃ沙奈さん仲間はずれで可哀そうですう」

「アイツの歌でエリのメカが爆発したりしないだろうな?」

「まさか、ギャグマンガじゃあるまいし――」

 ガチャーン!

 部室の蛍光灯が天井から落ちてきた。四人が驚いて天井を見上げると、他の蛍光灯にも何本かヒビが入っている。

 忘れてた。ギャグマンガじゃないけど、これは超常ホラーだった。

「・・・電磁シールドを張っとくわ」

「頼むぜ。部室が崩壊する前にな・・・」

 こうして、沙奈は地下に引きこもり、リアたち四人は特訓に集中して数日が過ぎた。

 部室は崩壊しなかったし、人体改造されたメンバーも出なかった。

 ついにフェス本番は今日。


 その日の放課後すぐ、リア、アンナ、エレノア、メラニーは部室に集合した。

「うう、いよいよ今日ですねえ」

「ついにホントにデビューだね、わたしたち」

「おーし、やるぞ! やったるぞ!」

「ほらほら、落ち着いて、お座り」

 メラニーとリアは緊張でソワソワ、アンナは気合で浮き足立っている。そんな三人を引率者のエレノアがなだめていた。

「みんな忘れ物はないわね?」

「うん」

 四人とも私服や着替えその他のお泊りグッズで、ボストンバッグやキャリーバッグを持ってきている。

『ていうか、そう言われて「あっ忘れた」って言う人いないよねえ』

 そして沙奈も部室で準備万端だった。本体であるテレビをキャスターワゴンに載せて、画面の中ではしゃいでいる。リゾート帽にリボン付きワンピースというお出かけスタイルだ。

 数日間仲間はずれにしたことで四人とも沙奈の機嫌が心配だったが、今は根に持っている様子はないようだ。沙奈なりに気を使ってくれてるのか。

「ゴメンね沙奈さん、ハブっちゃってて」

『気にしないで。私がヘタなのが悪いんだし。そんなことより初めての旅行よ! 合宿よ! キャッハー!」

 違った、何も考えてないだけだった。

 部室で使っている楽器類はすでにケースに入れてまとめてあった。新品は楽しみだけど、普段の使い慣れたやつももちろん持って行かないと。

「さてと、あとは・・・」エレノアは一同と荷物を見渡した。

「待たせたな」

 部室の入口から声がした。一同は振り返り、そのまま絶句した。

 入口に立っていたのは、名目上の引率者である橋澤だった。原色のジャケット、アニマル柄のシャツ、ラメ入りのパンツ、ラインストーンが輝くバックル、とどめに金のチェーンネックレスにミラーサングラスという、目が発狂しそうな格好をしている。

 口をあんぐりさせた一同から、ようやく言葉が発せられた。

「・・・センセなんすか、そのポン引きのパチモンみたいな格好は」

「アホめ、これが大人のハイセンスだ。火星のオン・・・来賓に地球の『格』を見せてやらんとな。並みの凡人には見えんだろう」

「ええ、教師にも見えません」

『ウケ狙いとしか思えません』

「いま"女"って言いかけたよね」

「夜遊びする気まんまんですう」

 部員から口々に酷評が浴びせられたが、橋澤はどこ吹く風でポマードが光る髪をなでつけている。もしかしてこれが地獄のセンスなのか。まさに"地獄のような"としか言いようがない。

「もうヤだ。おい、向こう着いたらさっさとキャバにでも置いてきちまえ」アンナが小声でエレノアに耳打ちした。

「ええ、わたしも並んで歩きたくないわ」

「先生、向こうにいるのは火星人ですからね、いちおう言っときますけど」

 前途多難な旅立ちに、エレノアたちは脱力した。

「んじゃ、これで全員だな」

「ええ、それじゃ――」

 ズバーン!

「待ちなさーい!」

 凄まじい勢いで部室の扉が開き、声が上がった。そこにいたのはもちろん、PMRCを従えた霧乃だ。

 エレノアたちは疲れでさらに肩を落とした。

「やれやれ、やっぱり来たのね」

「せっかくこのまま忘れようとしてたのに」

「お黙り! わたくし達を置いていくなんて、許しませんわ!」

 毎度のようにビシッと指を突き出し、霧乃は部室内にずかずかと入り込んで――こなかった。

 霧乃は部室入口の外に立ったまま、部室内を油断無く見回している。霧乃の背後から、久里子と光がそーっと顔を出し、同じく部室内を覗き込んでいる。

「こないだ沙奈さんから逃げてったままだったんで、このまま寄り付かなくなるかと思ってた」

「ほ・・・ほほほ、わ、わたくしがそ、そんなことでおお怖気づくとでも」

 霧乃は精一杯強がりを見せたが、顔じゅうビッショリと冷汗を流している。脚はブレイクダンスみたいにカクカクと震えていた。

『それじゃ、改めまして、こんにちはーっ』

「ひいいっ!」

 沙奈がテレビ画面から抜け出してふわりと入口近くに現れた。霧乃たち三人はズザッと壁際へ飛びすさった。

『大丈夫ですよお、べつに呪怨とかポルターガイストとかヘルハウスとかじゃありませんから。フツーの幽霊でーす』

「お、お、お、お下がり、怨霊! 光、何とかしなさい!」

 霧乃はムリヤリ光を押しやって背後に隠れた。自分はお札をかざして防御している。久里子のほうは、怪しげな模様のメダルを構えていた。きっとオカルトコレクションの魔除けかなんかだろう。

「は、はわわ、わわ・・・」

 沙奈の前に突き出された光は、背後の二人よりも激しく全身をガタガタ震わせながら、目の前の幽霊を凝視していた。顔色が蒼白なのは、沙奈の身体に照らされているせいだけではない。

『光くん、よろしくう。旅行の間じゅう、思いっきりサービスしちゃうわよぉん』

 言うと沙奈は一瞬姿を消し、パッとまた現れると服を着替えていた。

 ビキニの水着だった。生地は健全指定図書ギリギリのサイズ。身体の光も南国をイメージして黄色くなっていた。

 仕上げに沙奈は胸と腰を突き出すポーズをとり、バチッとウインクを投げた。

 光は気絶した。

『あらあ、ちょっと刺激が強すぎた?』

「違う、恐怖映像が強すぎたんだ! 急いで中で手当てしろ!」

「すぐにベッドの用意を!」

「いえ、膝枕を!」

「とにかく、服を脱がせるのよ!」

 気絶した光目掛けて、アンナたち四人が入口に殺到した。

 べべべべしっ!

 霧乃が光に往復ビンタを食らわせた。

「光! 起きなさい! 変態どもの餌食になりたいんですの!」

「ふぇ・・・え、あ、委員長?」

 目を覚ました光を、霧乃は再びぐるんと向き直らせた。

「早くあいつらを何とかしなさい!!」

 光がパチパチと瞬きすると、視界には迫り来る変態妖怪四人と、空中に露出狂の幽霊が。

「ひ、ひいっ!?」

 光は必死に制服の上着の中をまさぐり、ばさっと白い塊を取り出した。

「よよよ寄らないでくださいっ!」

 取り出したお払い棒をぱっと身体の前に構えると、あーら不思議、いきなり突風が巻き起こり、妖怪四人は風圧に押されて足を止めた。

『あ~れ~』

 風を受けないはずの沙奈まで、突風に吹かれてすっ飛んで行った。なのに周囲の貼り紙やカーテンはびくともしない。どうやら人外だけに威力を発揮するアイテムらしい。

「ぐぬぬ、武装してきやがったか!」

 アンナが毒づいた。強風にあおられて髪が後ろ方向へ逆立っている。

「ほほほほ、もう手出しはさせませんわ! 恐れよ、妖怪!」

「今日のは紙を増やしたパワーアップ版だよ!」

「二人とも、煽らないでくださいよう」

 妖怪を退けた本人を差し置いてなぜか霧乃と久里子が勝ち誇る。妖怪撃退アイテムの威力を目にしたとたんに、態度がでかくなった。

 と、壁をすり抜けて室外まで飛ばされていった沙奈が、ふわふわと戻ってきた。

『もう、いきなり脱がすなんて、ダ・イ・タ・ン』

 沙奈のビキニは強風で飛ばされ、かろうじて紐でぶら下がっているだけの状態だった。そしてポーズは健全指定図書ギリギリの角度。

 ばっ。光は真っ赤になって振り向いた。

「ごごごゴメンなさいっ」

 しかし、今度は目の前に鬼瓦みたいな形相の霧乃が。

「いちいち気にするんじゃありません! さっさと妖怪どもを下がらせなさい!」

「うう・・・は、はい・・・」

 前門の変態、後門の鬼の板挟みとなった光は、お払い棒を構え、空中の沙奈から慎重に目を逸らしながら、部室内の四人に声を掛けた。

「あ、あのう、すいません、お邪魔します」

 震えながら上目遣いでおずおずと話す姿に、リアたちはたちまち浮き足立った。

「いらっしゃあーい。ささ、入って入って、どうぞ中までぇ」

「さあさあ、ラクにラクに、さっそく上着を脱・・・」

 バチイッ!

「あぢっ!?」

 性懲りもなく今日はアンナが、光の魔除け入り服に弾け飛ばされた。驚いたアンナは思わず全力でバック転ジャンプし、一回転して着地し――損ねて後ろの壁に激突した。

「ほらほらお前ら、いい加減にせんか。時間が押してるぞ」

 不毛な騒ぎに痺れを切らした橋澤が声を上げた。

「橋澤先生、何なんですの、そのいかがわしい格好は」

「なんかの芸人ですか」

 ようやく部室に足を踏み入れた霧乃と久里子も、橋澤を一目見るなりセンスにダメ出しした。

「バカもん、これが大人の・・・まあいい。利降もその辺にしとけ」

『はぁーい』

 光を脳殺して満足したらしい沙奈は、パッと元のリゾートスタイルに着替えた。

「せ、先生は、あ、あの・・・ゆ、ゆ、幽霊が、平気なんですか」

 まだ沙奈から目を逸らしたままの光が、橋澤に恐る恐る尋ねた。幽霊を一喝しておとなしくした教師は、光の目にはとても偉大に映った。見た目はイタいことこの上ないが。

「いや、平気なわけじゃないぞ。生徒じゃないから退学にもできんし、部屋からつまみ出すこともできんしな」

「そういう問題なんですか・・・」

 光の尊敬の眼差しがちょっと薄れた。

「というわけで、つまみ出すときはお前に頼むぞ」ぽんと光の肩を叩く。

「うう、そんなこと言われても・・・」

 だしぬけに、光の目の前にすっと沙奈が降りてきた。

「ひ、ひいっ!?」

『ゴメンなさいね、ちょっとイタズラしすぎちゃって。もうしないから、その棒しまってくれる?」

 光はお払い棒を構えたまま、ザザーッと後ずさった。

『もう、そんなに怖がらないでよ。私もその服のせいで指一本触れないし。ていうか、普段でも触れないけど。アッハハハ』

 光はさらに後ずさり続け、霧乃と久里子にドシンとぶつかった。霧乃は光からお払い棒をひったくると、沙奈に向けて突きつけた。

「下がりなさい、色情霊!」

「光、いいから荷物を運んどいで」

「ハ、ハ、ハイ」

 久里子に命令された光は、一目散に部室から廊下に飛び出して行った。

『もう、どうしてみんなそんなに怖がるのかしらねえ。幽霊なんて、ただ出るだけで、襲うわけじゃないのに。ねえメルさん』

「そうですよねえ、わたしだって普通に生き・・・死んでるだけですけど」

「死人が動いてる時点でぜんぜん普通じゃありません!」

「気持ち悪いわよ!」

「がーん。気持ち悪いって、見た目は普通ですよお。血だって出ませんし。ホラこんなふうに刺しても・・・」

「「よしなさいっての!」」

 ファントムズとPMRCが仲良くハモったところで、廊下をゴロゴロと台車がやって来た。光がPMRCの荷物を押してきたのだ。

「あれがお前らの楽器か?」

「ずいぶん大荷物・・・でもないか」

 台車に積まれた荷物は、スピーカー2台が大半を占めており、あとは何かの大きいケースが1個、その他は小さめのカバンやバッグがいくつか。お泊りセットも含まれているとすると、三人のバンドの荷物にしてはずいぶんコンパクトだ。

 光は台車を押しながら慎重に部室に入り、そのまま台車を盾にして恐る恐る隠れている。

「それで全部か? よし、迎えを呼んでくれ、ランバート」

「分かりました」

 橋澤に促されたエレノアがスマホを取り出した。

「え、このままここで?」リアが驚いた。

「そうよ、何を予想してた?」

「屋上に行って、ビームでフワーっと、とか思ってた」

「そんなことしたら人目につくでしょう。転送よ」

 そういえば、前にもエリさんが「今どきUFOなんかいちいち使わない」って言ってたっけ、とリアは思い出した。

 地球人三人は聞き慣れない宇宙用語に反応した。霧乃は疑惑の目を向けている。

「ちょっと、何なんですの。まさか宇宙船にアブダクションされるんじゃないでしょうね」

「似たようなもんだけど、危険はない・・・と思う。たぶん」リアが目を泳がせた。

 久里子はオカルトマニアの血が騒ぎ、期待に目をギラつかせている。

「ついに宇宙人の生態とテクノロジーが白日のもとに・・・ぬふふふ・・・」

「いや、お前いっぺん至近距離で見ただろ」アンナが突っ込んだ。久里子は科楽部結成の発端となった騒動で、エレノアのパワーローダーが転送で現れるのを間近で目撃したのだった。そのときの久里子の反応は、宇宙テクノロジーのビーム乱射をも振り切るほどの全力逃げだった。

 光は、哀れなほどに涙目でブルブル震えていた。

「ア、アブダクション・・・拉致・・・洗脳・・・実験・・・解剖・・・ひ、ひい・・・」

「大丈夫ですよう、黒間さん。わたしたちがついてますから」メラニーが優しく声を掛けた。

「そ、それは別の意味で心配です・・・」

 そんな話の間に、エレノアのスマホが繋がっていた。

「もしもし、父さん。あ、もう上空まで来てるの? それじゃ、転送をお願い」

 いよいよか、とリアたちはゴクリと身構える。エレノアが物を出したり消したりするのは何度も見てるけど、生き物を転送させるのは見たことがなかった。まして自分が転送させられるなんて。

 あのキラキラした光に包まれて移動するのはどんな感じなんだろう?

「あっ白菊の肩にハエが!・・・とか言ったりして。ヒヒヒ」アンナが顔面蒼白の霧乃をからかった。

「う、う、うるさいですわよ! わたくしがそんな、幼稚な脅しに引っかかるとでも」

「と言いつつ脚ガクガクじゃねえか。トイレには行ってきたろうな?」

「もちろんで・・・って何を言わせますの!」

「ちょっと、静かにして。黒間くん、ドアを閉めて」

 アンナたちはおとなしく黙った。光はおっかなびっくりドアを閉めると、すかさず台車の陰に戻って縮こまった。

 エレノアはスマホに話を続けた。

「荷物はロックしてる? うん、二つにまとめたのと、テレビが一つ。人数は、全部で9人・・・ええと、8人と1体ね」

 果たして幽霊は人数に加えていいものだろうか。ていうか、沙奈さんは霊体とテレビのどっちが本体なんだろう。

『私も転送で移動できるのかな?』

 本人も心配なようだった。

「前例はないけど、たぶん大丈夫でしょう。テレビを移動すれば、きっと沙奈さんも憑いてくると思うわ」

「今度は沙奈さんが世界初の宇宙旅行幽霊だね」

『これが本当のゴースト・オブ・マーズね!』

 一同に期待と不安が高まる中、エレノアが通話を終えてスマホをしまった。

「じゃ、みんないいわね。行くわよ」

 にわかに空気が張り詰めた。一同はビタッと動きを止めた。

「そんなに固まらなくていいわ。その場から動かないで、普通にリラックスしていて」

「う、動いたら危険なの?」

「もしかしたら背が縮んだり他の動物が混ざったりしてあんなふうになるかもね」

 エレノアはちょいちょいと"あんなふう"なリアとアンナを指差した。

「縮んでないよっ!」

「人を失敗作みたいに言うなてめー!」

「冗談よ」

 涼しい顔のエレノアに二人が声を上げる中、部屋の空気に光の粒がチラチラと瞬きはじめた。

 いや違う、視界が瞬いているのだ。自分の身体が光の粒子に包まれている。

 リアたちは目を見開いて自分と互いを見比べた。今や室内の全員の身体に、金色に瞬く光の筋が走っている。それに荷物の山にも。とてつもなく巨大な排気管に吸い込まれるようなシュルシュルいう音の耳鳴りが高まってきた。

 視界も周囲の皆も金色の光の筋で覆われている。リアは足の下に床を感じなくなった。足を動かして感覚を確かめようとしたが、足がない。

「わ、なんか、浮いてるっぽい」

「吸い込まれる感じですう」

『キャハハハなんか気持ちいーい』

「ううううろたえるんじゃあありませんっ! PMRCはうろたえません!」

 と言いつつ恐怖に引きつる霧乃の顔は、無重力で逆立った髪も合わせて、ものすごい形相になっていた。

「つ、ついにっ! 宇宙人との接近遭遇がっ!」

 対照的に久里子は興奮で目をギラつかせている。光が反射する眼鏡と合わせて、こっちも別方向ですごい形相だ。

「天地におわします御霊よ御加護を・・・ひいい・・・」

 光は力いっぱい目を閉じて震えながら荷物にしがみついている。

「フフフフ待ってろよ火星の女ども」

 橋澤はサングラスやラメに光が反射してえげつなさも倍増だ。

「慌てないで、天井のシミでも数えてなさい」

「ちょ、バカ、何だこれ、うおおぉぉぉぉぉ・・・・・・」


「・・・・・・ぉぉぉおおお・・・・・・・・お?」

 目をぱちくりさせたアンナに見えるのは、変わらず立っているファントムズとPMRCの面々。

 視界を覆い尽くしていた光の粒はどこにもない。

 アンナはさらに二度まばたきをした。皆も荷物の山も変わらず目の前にいるが、背景が見慣れた部室じゃない。

 壁は白いつるつるした曲面で、床はひずみ一つないピッカピカの平面。ゆっくりと視線を動かしてみると、アンナたちが立っているのは、一段高くなっている台だった。壁はカーブして天井のドームに続いており、ところどころにメタリックな幾何学模様が走っている。SF映画のセットみたいな部屋だった。

 ドームの壁は一部が長方形に黒く削られている。よく見ると、黒い壁には点々と小さな光の点が散らばっていた。

 壁じゃない、窓だ。宇宙の星が見えているのだ。

「つ・・・着いた・・・のか? オレたち」

 他の何人かもキョロキョロと周りを見回している。それ以外は転送のショックで目を回していた。光はきつく閉じた目をそぉっと開き始めた。エレノアだけが唯一平然としている。

「ようこそホライゾン号へ」男の声がした。

 全員が一斉に声のほうへ振り返った。

 部屋から出る通路の入口に男が立っていた。中年の、白人の顔立ちだった。どこをどう見ても普通の人間である。服装もその辺の人と大差ない。

 男は微笑んだ。

「お帰り、エレノア」

 エレノアはかすかに無表情をほころばせた。

「父さん」

「「父さん!?」」

 エレノア以外の全員が訊き返した。

 男は全員をかるく見渡し、会釈した。

「皆さん始めまして。エレノアの父、スコットです」

 全員が呆気にとられてスコットを見つめ返した。

「そしてこっちが――」

 どどどどど。

 通路の奥から恐ろしげな地響きが近づいてきた。リアたちは通路に目を向けた。

 いきなり通路からバッと大きな何かが飛び出し、アンナたちのほうへ突進してきた。驚いて何人かが身を避ける中、突進した何かが一人に飛びついてがしっと捕まえた。

「エレ――――ン!! お帰り――! 久しぶりね――!!」

 捕まったのはエレノアだった。捕まえたのは人間の女だった。エレノアを両腕の外からがっちりとホールドし、互いの頬が変形するほどむにゅむにゅと顔を押しつけている。

「――妻のジェニーです」

 スコットが紹介を続けた。一同はポカンとして、熱烈なハグを続けるジェニーと、なす術もなく蹂躙されるエレノアを見た。

「か、母さん、みんなが見てる・・・」

 ほっぺたを押しつぶされながらエレノアが呻いた。ジェニーはぴたりと動きを止め、自分にじっと注がれている周囲の視線に気付いた。

 と、ジェニーはエレノアを離し、近くにいた者から順々に、すごいスピードで挨拶回りを始めた。

「まあまあお友達の皆さんよくいらっしゃいましたわゆっくりしてってくださいねまあ先生エレンがいつもお世話になっていますわまるでマネージャーみたいな格好をされてますのねあらあらこちらのお嬢さんは可愛らしいのね撫で撫でしちゃってもいいかしらあらまああなたがいちばん新しいお友達の方ねちょっと顔色が良くな・・・あら通り抜けちゃうのねまあいいわ」

 怒涛の勢いでジェニーは全員に両手握手をして回り(リアはその上両頬をむにむにされた)、いつの間にかスコットの隣に立っていた。

「というわけで、よろしくねえ、皆さん」

 ジェニーはひらひらと手を振った。一同が呆然と立ちつくす中、スコットが続けた。

「転送は初めてだと思うが、みんな大丈夫かな」

 無重力のような転送の感覚と、嵐のようなジェニーの挨拶で、一同は軽くめまいを感じていた。エレノアも含めて。

「ちょっとクラクラするけど、大丈夫です」

「なんかフワーってしましたあ」

 リアとメラニーが感想を返した。沙奈も初めての経験に戸惑っている。

『昇天ってこんな感じかしらねえ』

「じっさい三万メートルほど昇天したがね」

「父さん、いちいち真面目に答えなくていいから」

 エレノアが台を降りながら言った。

「あ、あの、エリさんのお父さんって・・・宇宙人・・・なんだよね?」

 リアがちらちらとスコットを見ながら、エレノアに小声で話しかけた。

「何を想像してたか知らないけど、これが普通の姿よ」

「正体は爬虫類で、皮を被ってるとかじゃないっすよね?」

「エリさんみたいに目が光るんですか?」

 アンナとメラニーは遠慮せず、直接スコットに話しかけている。

「いや、私は光らないよ。本来の私は肉体を持たないのだが、ジェニーのために地球人と同じ身体にしている。合成だが、普通の地球人と同じ肉体だよ」

『身体がないって、私みたいにですか?』

「いや、目にも見えない。しかし君みたいな意識構成体もいるとは興味深いな。地球人は皆そんなふうに変移できるのかい」

「「いえいえ、できません、フツーは」」

 アンナとメラニーが揃って否定した。

「あー、父さん、母さん、紹介するわ。部員の、リア、アンナ、メラニー、それと沙奈さんよ」

「『よろしくお願いしまーす」』

「それとこっちが、顧問の橋澤先生」

 橋澤がジャケットの襟を立たせながら台を降りてきた。

「どうも、ランバートのお父さん。お世話になります」

「それと、あっちが、えー・・・別のバンドよ。白菊さん、倉内さん、黒間くん」

 エレノアの紹介が終わるやいなや、久里子がダッと駆け寄ってきた。

「は、始めまして、倉内久里子です! お初にお目にかかります、宇宙人様!」

 久里子は熱烈に目をギラつかせていた。同じオカルトなのに、どうして妖怪と宇宙人でこうも対応が違うんだ。

 霧乃のほうは、転送された位置から動かず、小さく脚をカタカタと震わせている。

「よ、よろしく・・・お願い・・・しますわ」

「白菊さん、トイレはあっちよ」

「う、うるさいですわ!」

 一声怒鳴ると、霧乃はなんとか一歩を踏み出した。手と足を同時に。

 残る一人、光はまだ動かないまま、じっと目を見開いている。

「う・・・」

 さあ来るぞ! 気絶だ! と、エレノアたちはただちに光を受けとめようと駆け寄り、

「うわぁー! 星がいっぱいですー!」

「へっ」

 エレノアたちは呆気にとられて固まった。

 光は足取りも軽く、目を見据えていた窓に駆け寄ると、顔を押し付けんばかりにして満面の喜びを浮かべた。

「すごーい! 月があんなに大きく見えますよ・・・あっ、失礼しました。黒間です。お世話になりますっ」

 ポカンと見守る一同の前で、光はスコットとジェニーに駆け寄ってぺこりとお辞儀した。

「ははは、君は宇宙が気に入ったみたいだな」

「まあ、こちらの坊やもいい子ね。可愛がっちゃおうかしら」

「母さん、黒間君に変なことしないでね」

 アンナたちは怪訝な顔で久里子に詰め寄っている。

「おい、ここは『キャー宇宙!』って気絶するシーンじゃねえのかよ」

「あ、あたしも意外だった」

 当の光は目を輝かせて、窓の外や宇宙船のインテリアに見入っている。

「あ、そうだ、荷物を運びますっ」

「ああ、荷物はそのままでいいよ。着いたらそのまま転送で向こうに降ろすからね。一時間もすれば火星だ」

「え、そんなに速いんですか?」

「そうだ。出演は今日だろう? 着いたらすぐに準備だそうだよ」

 スコットの言葉にリアたちは身を引き締めた。そうだ。宇宙旅行で浮き足立ってたけど、あとほんの数時間で、宇宙人相手にライブをするんだ。

 ザ・ファントムズにとっては二度目のライブ。新曲は初めてのライブ。

 着いたらまず、サウンドチェックにリハーサルをしなきゃ。時間あるかな。

 いや、それより、大勢の観客や他の出演者の中で、ちゃんとステージが務まるかな。

 いや、そんなことより、巨大邪神やら宇宙人の集団に囲まれて、正気でいられるかな。

「エレンと皆さんがステージに出るのよね! 私も楽しみー!」

「着くまで向こうの部屋へどうぞ」

『お邪魔しまーす』

 スコットの後について一同は宇宙船の通路を歩きだした。窓の外では星が光の線となって流れている。いつしか宇宙船は移動を始め、火星へ向かっているのだった。

 人類未体験の転送と宇宙船と、そして待ち受けるライブの緊張に、黙りこくる一同。が、一人、まったく動じてない者がいた。

『これこそ"宇宙の彼方へ"ね! ♪モア・ザン・ア・フィーリング・・・』

 沙奈がいつも通りの調子外れな音程で歌いだした。ジャケットが宇宙船のイラストの曲だった。

「あら、わたしもそれ好きよ。♪感覚を超えて・・・」ジェニーも楽しそうに合わせて歌いだした。

「あ、わたしも知ってます。♪あの昔の曲を聞くと・・・」メラニーがつられて歌いだした。

「♪モア・ザン・ア・フィーリング!」リアがコーラスを合わせ、振り向いて後の二人に微笑みかけた。

「♪僕は夢の中へ、モア・ザン・ア・フィーリング・・・」

 アンナ、そしてエレノアも、歌に加わった。

 流れる宇宙の光に照らされながら、ファントムズとジェニーは、歌いながら通路を進んでいった。

 陽気な歌の中を、橋澤と、外の景色に見とれる久里子と光もついていく。


「ちょ、ちょっと、わたくしを置いていくんじゃありません! こっ、怖いんじゃありませんわよ、足がうまく動かなくって! きっとあの変な光線のせいで・・・ウヒー! なんですのこの窓! ガラスがないですわ! ウキャー!」

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