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覚妖怪の四方山話  作者: ラゼ
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再会の物語


 姫路城。日本百名城にも数えられる、白漆喰しろしっくいに彩られた美しい白亜の城だ。古くは南北朝時代から営々と威風を誇る、日本人であるならば知らぬ者の方が少ない名城だろう。名のある武将や天下人てんかびとを見守り、歴史の変遷へんせんの中を朽ちることなく耐え抜いた偉大な遺物だ。


 そして歴史ある建造物とは往々にして何らかの怪異が付き物である。天狗は山の、河童は川のというように妖怪とは基本的に特定の“場所”にいるものだ。故にこの城も――本来の役割を離れ、観光地として隆盛を迎えているこの城も例外ではない。


 長壁姫おさかべひめ――刑部姫おさかべひめなどとも伝えられるそれは、城内に祀られてはいるもののれっきとした妖怪の一種だ。広大な城の何処かに常に潜むとされ、歴代の城主達に厄を、あるいは福をもたらすこともあったと伝承されている。かの剣豪『宮本武蔵』に剣を賜ったという言い伝えもあり、地元の風土記ふどきにも記述が散見される、一部では有名な妖怪といえるだろう。


 老いた狐とも十二単じゅうにひとえを纏う美しい女性とも言われ、その正体は定かではない。人間嫌いであると記述する書物も存在するが、前述した逸話然いつわしかり人に福を授けた記述も多い。


 ――そして実際のところは、古い狐でもあり美しい女性でもあるというのが事実だ。年の頃十と半ば、紫を基調としたみやびな着物に身を包んだ長い黒髪の少女だ。


「春風が心地良いですね……あなたもそう思いませんか? 長壁姫」


 姫路城中堀内、色鮮やかなぼたんが咲き誇る『千姫ぼたん園』。備えつけられた木のベンチに座り、持参した水筒に淹れてきた紅茶で一服しながら葵は独り言を呟く。一般開放され、少し早い開花で賑わう筈のこの場所で彼女は“独り言を呟いた”のだ。有り得ない程に人気ひとけのない花園で、言葉は宙に消えゆくかと思われたが――


「おお、おお。わらわに気付き、典雅な花見を邪魔するれ者はいったい何処の誰じゃ。あまりほたえなしゃんせ、花が枯れゆうに」

「ああ、これは失礼しました。ですが他にも見たい人はいるでしょうし、人を払うのは如何いかがなものかと思いますよ」

「此処は妾の地。誰に何をしようとも妾の勝手じゃ」

「“典雅に花見”をできるように整備したのはあなたではないでしょう。敬意を払えとまでは言いませんが、ほんの少し気遣いしてあげるくらいのことはすべきです」

「…ほほ、口が達者な小娘だこと。それで、お前様は何者じゃ?」

「おや……気付いていないんですか? 私ですよ、私」

「…っ! ち、ちまたで噂されとる“おれおれさぎ”という奴じゃな? 妾をたばかりよるとは、好かぬ小娘じゃ!」

「なんでそうなるんですか。それに今は『母さん助けて詐欺』に変更されてますよ」


 袖口で口元を隠し、優雅に微笑む長壁姫は葵に興味津々であった。人と喋ることすら何時振いつぶりか、異能を持つ存在が減少した頃から彼女は人前に姿を現さなくなったからだ。故に自分に気付き、あまつさえ喋りかけてきた存在には好奇心を刺激させられたのだろう。


 しかし話してみれば、それは観光客の会話などから漏れ聞いた詐欺の常套手段そのもの。彼女が憤慨したのも仕方ないだろう。『オレだよ、オレ』という言葉は現代では基本的に詐欺だ――などと勘違いしているのは、まさに年寄りの固い頭特有の現象であった。


「なっ…! ならば――ぬしは妾の娘、ということ…?」

「だからなんで詐欺を前提に考えるんですか。私ですよ、『覚』の『冥眼秘女くらめのひめ』です」

「…?」

「お忘れですか?」

「…はて……妾が知るそ奴はもそっと侏儒しゅじゅであったがの」

「む――まぁ体も小さかったですし、見識が広かったとも言えませんけどね。まったく……尻尾が増えても明け透けな毒舌は変わらないじゃないかキツネ」

「おお、妾をそう呼ぶのは確かにめくらじゃの。にしても……くく、なんじゃ先程までの殊勝な物言いは。『覚』ではなくなって悟りでも開いたかえ?」

「ふん、郷に入っているだけだ。あと“めくら”はやめろ……それにしてもお前……尻尾が四本になっているが天狐になったのか? 仙狐を目指す性質たちでもあるまいし、意外だぞ」

「妾も“悪さ”をしなくなって久しいのよ。騒々しい人間共とはいえ、祀りあげようというならば悪い気はせん。この時勢、神性を得れば益もあろう」

「…神から化生になって、また神に戻るとは忙しいことだな。私の言えたことじゃないが」


 普段から穏やかな笑みを絶やさない葵は、随分と久しぶりに皮肉気な笑みを顔に浮かべる。人間になってから初の怪異――そして旧友との再会だ。染みついた丁寧な口調とはいえ、実際に生きた年数と比べればまだまだ馴染んだとは言い難い。懐かしさもあいまって彼女は昔の口調に戻し、相好を崩した。


「時にめくらよ。転生するとは聞いておったが随分と見目麗しくなったようじゃの。どれ、妾にもその美しさの秘訣を教えてたもれ」

「ふふ、羨ましいか? 羨ましいだろう。もはや世界で一番美しいと言っても差し支えないと思うんだが、どうだ?」

「うむうむ、その通りじゃ。じゃから早う教えい」

「…」


 ちょっとしたお茶目でその美しさを誇る葵であったが、長壁姫の答えはそれを素直に肯定するものであった。そして彼女の知る化け狐はそのような殊勝な性格をしていない。間違っても手放しに賞賛を送るような人物ではけしてないのだ。故に葵はつかつかと歩きながら彼我の距離を縮め、彼女の手を握った。


「ん? なんじゃ?」(人間になって心を読むことが出来なくなったようじゃのう。好都合好都合、適当におだてあげれば今度の茶会の余興に適当じゃ。良き見世になるじゃろうて。心を読んで生きてきたということは、他者の心の機微を考えずに生きてきたも同然。酸いも甘いも噛み分けてきた妾のあしらいで翻弄されぬ筈もなかろうて、くふふ)

「…」

「あびゃびゃびゃ! にゃ、にゃにをしゅる!」(妾に“いー”をさせるとはなんたる不遜!)

「相も変わらず餅のような頬だなキツネ。この感触、懐かしすぎて涙が出そうだよ。ほら、私の指は甘いか? それとも酸っぱいか? 嚙み分けてきたんだろう、答えろよ」

「むぐっ…!?」(よ、読めるのかや! 読めぬ振りをしよって、そっちこそ相も変わらず意地の悪い『覚』じゃ!)


 果たして、彼女の心中は葵の想像通りに悪巧みをしていたようだ。葵は握っていた手を放し、優雅に座っていた長壁姫を押し倒して馬乗りになり――両手の親指を口に突っ込んで逆方向に引っ張った。俗に言う“いー”というやつだ。かつて友人付き合いをしていた頃もよく見られた光景であり、親しさ故のじゃれ合いとでもいうべきものである。無遠慮に突っ込まれた指をガジガジと甘噛みして、軽い噛みあとを付けるやりとりも彼女達のお約束であった。


「茶会の余興とは随分な言いぐさじゃあないか。だいたいなんの集まりだ? …へえ、全国稲荷の会合か。猫の集会みたいなものか」

「一緒にするなって? なに、犬よりはマシだろう。しかし全国というには数が少なくないか」

「…ああなるほど。神々が殆ど消えたから狐達もてんてこ舞いなのか」

「しかし丁度いいな。私がここに来た訳の一つなんだが……笠間の稲荷は茶会とやらに来ていたか?」

「来ていないか。ふ、ん……あそこの神社なんだが“天邪鬼”が名代になっているようでな。しかも近隣の世話まで焼いているようだし、どういうわけだ?」

「知らないか……役に立たん奴だ」

「っ、馬鹿、冗談だ」


 一言も喋らない長壁姫をよそに、葵はどんどんと独り言を進める。とはいえこれが彼女達の――というより、葵と友人達の基本的な接し方だ。『覚』であった彼女に伝えたい言葉は、思った瞬間に既に察せられているのが当然のことだった。どう伝えようか、という言葉の取捨選択も『覚』相手には一切不要。そしてそれを不快に感じるような存在はそもそも彼女の友人にはなっていないのだから、葵にとって友人付き合いというのは元々こういったものを指す。だからこそ長壁姫は、わざわざ言葉を交わしていた葵が既に心を読めなくなっていると判断したのだ。


「いたた……まったく、冗談の通じないやつめ」

「…」

「…」

「……何故黙るのじゃ!」

「ああいや、人間になってからというもの触れていないと心が読めなくなってしまってな…」


 役に立たないと言われ腹を立てた長壁姫は、自分に覆いかぶさる葵を跳ね除けベンチの上で仁王立ちになった。腕を組みながら心の中で不満をまくしたてる彼女であったが、まったく反応しない葵につい口を動かした。そして返答はというと『覚』としての能力が劣化したという事実。なるほど、合点がいったとばかりに手をポンと叩いた瞬間には先ほどの不満もどこかに行ってしまったようだ。細かいことを気にしない、気を取り直すのが早い、というのは葵の友人のほとんどに共通する性分だ。心を読まれても構わないということは、つまりそういうことなのだろう。


 そしてその事実を知った長壁姫はにんまりと口の端をのばし、人の悪い笑みを浮かべる。


「それはそれは……不便じゃろうに。人の心を読むときも一々触れておるのかえ?」

「まあな。だがこれはこれでメリットもある。悪い事ばかりじゃないさ」

「くふ、あれだけ人間は嫌いじゃ嫌いじゃと言っておったのにのう。今では人肌恋しゅうて自ら触りに行くのかや」

「む…」

「魂は『覚』じゃもの。つぶさに心を読んでおらぬと落ち着かんのじゃろ? くく、くくく……肌が恋しいのなら、妾のねやにでも来なしゃんせ。存分に可愛がってやろう」

「(けもの)臭そうだからいい」

「な、なんじゃとー!」

「冗談だ」


 しかし『覚』は種族共通の特徴として口が達者なのだ。たとえ触れなければ心が読めなくなったとしても、彼女の弁の立ち方は衰えていない。からかう筈がからかわれることになった長壁姫だが、これもまた懐かしいと頬を緩ませた。ひとしきりじゃれ合った後、彼女は葵が訪ねてきたわけを問う。


 そして聞いた一人の少女と呪いの話。顎に手を添え、ふーむと唸って考え込む長壁姫。呪いに関しても考えつつ、人間の為に奔走する葵にも思考を伸ばす。あれだけ人間嫌いだと標榜ひょうぼうしていたにもかかわらず、変われば変わるものだと。勿論彼女が本当に人間嫌いだなどとは、彼女の友人全員が信用していなかったが。しかしその事実を本人が素直に受け入れるようになったのは相当な変化だ。


「そうじゃのう……まあ正直なところ、大した呪いではないと思うがの」

「ああ、確かにな。大した人数分でもない上に数年程度しか溜まっていない穢れだ。ある程度格のある神や、神職につくものなら容易く祓えるとは思うんだが…」

「今現存する神じゃとのう。更にいえば信者でもない者に力を割くとは思えん」

「お前は無理か?」

「できなくはないの。ただし荒っぽいやりかたになるじゃろうし、廃人になっても構わぬというならやってもよいが」

「なら駄目だ」


 ベンチに並んで座りながら話す二人。一方が提案すれば一方が否定するというやり取りを何度か繰り返した後、結局現状でやれることは無さそうだと結論付けた。基本的に長壁姫は城に引き篭もって動かず、伝手も少ない。近場で力のある友人ということで足を延ばした葵であったが、そこまで期待していたわけではなかったため意気消沈というほどのこともなく、気を取り直して旧友との会話を楽しんだ。まじないに阻まれて入ってこられない人間には悪いがもう少しだけ、と。


「めくらとこうして話すのは新鮮じゃのう。悪くはないが、前と比べるとちと億劫じゃ」

「ニートかお前は」

「む……確か『のっといんえでゅけーしょんえんぷろいめんととれーにんぐ』というやつじゃったか。現代の貴族と呼ばれておるそうじゃのう? くく、間違いではなかろう」

「相変わらず半端に知識を仕入れるなお前は…」

「妾はいつでも流行の最先端を走るのじゃ。最近では政治家がクールビズとやらで肩まではだけて『ワイルドだろぉぉぉっ!』と落ち武者の頭や河童の皿を罵るのが最先端らしいの」

「混ざり過ぎだ」


 苦笑しながら長壁姫の肩を軽く小突く葵。屈託のない笑顔は前世ではついぞ見せることのなかった晴れやかなものであり、それを見た長壁姫も頬を緩ませる。彼女の体に触れる度その心にも触れ、母性に近い感情を読み取った葵は照れ隠しのように脇腹をつつく。


 絆とは言葉を交わして深めるもの。それが彼女が人間になってわかったことだ。自分が一方的に喋っているだけでは乾いた砂を積み上げているようなものだ。少し動かせば崩れてしまう砂上の楼閣で、それでもかつて友人と呼べる存在がいたのは己の徳ではなく相手の器が深かっただけ。崩れても全て受け止めてくれる程に深かった、ただそれだけのこと。遅まきながら彼女はそれに気が付いたのだ。


「ん、もういい時間だな。そろそろ帰る」

「申の刻下りじゃ。まだよかろ?」

「そろそろ逢魔おうまどきだ、充分遅い。名残惜しいがまた来る」

「…むぅ」

「いつでも会えるだろう? 此処から離れられんわけじゃあるまいし、別にそっちから会いにきても構わんさ……尻尾と耳さえ隠せばな」

「楽しい時間は過ぎるのが早いのう……あにはからんや、『覚』であった時よりもずっと匕首あいくちよう過ごせたの。妾は今のお前様の方がずっと好きじゃ」

「…っ」


 ベンチから立ち上がり別れを告げる葵に向かって彼女はそう告げた。それを聞いて驚きながら言葉に詰まり、眼を見開いて固まる少女。夕日が赤いせいか、少女の顔も朱一色に染まっていた。ぶわりと風が舞い、次の瞬間には花園に葵一人となっていた。少しの静寂の後、騒がしくなりそうな人の気配。長壁姫が張っていた人払いの効果が切れ、花見にきていた筈の人々が一斉に入場したのだろう。


 葵は入れ替わるようにぼたんの花園を後にし、一言、二言何かを呟いて堀の外へ出た。まだ一つ目の当てが外れただけ――故に心配することなど何もない。再会に意味は無かったかもしれないが、意義は十二分にあったと。一度だけ寂しそうに振り返り、彼女は今度こそ帰路につくのであった。



















 高等学校においての保険体育の定義とは『生涯にわたって健やかな体を培うための身体能力と知識を定着させ、個人に応じた豊かなスポーツライフを実現する資質や能力の育成。個人生活及び社会生活における健康・安全に関する内容を総合的に理解できるようにし、生涯を通じて自らの健康を適切に管理し改善していく資質や能力を育てる』というものだ。


 個人によって合う合わないは当然あるため、いくつかの選択肢を提示して生徒に選ばせるという学校も多いだろう。文科省が定める指導要綱においては器械運動、陸上競技、水泳、ダンスのまとまりと球技、武道のまとまりの二つがある。前者から一つ、後者からも一つといった具合だ。


 葵が通う御訪浜学園では夏に水泳授業があるため、器械運動と陸上競技からの選択となっていた。ちなみにクラスの女子全員が器械運動を選択したのは、陸上競技に必ず存在するマラソンを忌避したからに他ならないだろう。この競技が好きという人間は中々いない。それこそ好きで陸上部に在籍するような人間のみといっていいだろう。


 葵が在籍する一年三組、本日四時限目の体育の時間。女子は広大な体育館の一角でマットを敷き、それぞれグループで柔軟運動をしている最中だ。男子はその隣のコートでバスケによる熱い展開を繰り広げていた。


「い、あぐ……無理無理無理! それ以上は無理やって!」(折れる折れる折れる!)

「プランは体が固すぎます。その若さで体前屈マイナスってどういうことですか。せめてプラスにはもっていきましょう」

「むぃ~、か、関節が千切れるて…!」(おもっ! 葵意外とおもっ…!)

「…へぇ」

「あだだだだ!? 膝、膝はあかんって! ぐりぐりせんとってー!」


 プランを座らせて開脚させ、背中を押していた葵。最初は優しく両手で押していたものの、内心の“重い”という一言を聞いて膝で押す体制に移行した。妖怪だろうが人間だろうが女性は女性。見た目と体重はとても重要なことなのだ。彼女の奮闘によって僅かながら体前屈プラス域に突入できたプランは、準備運動の時点で少々グロッキーになっていた。


「みらいは柔らかいですねぇ。床にペタンと体が付くのは羨ましいです」

「…うん」(誰がペタン娘だ。ぶっとばすぞ)

「ミ、ミグ……背中に乗るのは反則ぅ~……うぎゅっ」

「レミもついた」

「ミグ、人の背中で正座するのはやめなさい」

「座り心地は悪くない」

「行儀は悪いです」

「レ、レミちゃんにも悪いと……思えよう……ぐえっ」


 いつものグループでかわるがわる手伝いをしあい、準備を終える。女子はマット運動と跳び箱の二つに分かれ、交代で授業を行う方式だ。気だるげに器械を運ぶ者や嬉々として箱を積む者と様々だが、概ね前者は帰宅部か文科系の部活、後者は運動部といった感じだ。体を動かすことが嫌いな人間の意欲が低いのは仕方のないことだろう。葵のグループではみらいとミグがその分類である。


「よっしゃー! 葵、何段から行く?」

「十二段くらいから行きましょうかね」

「モンスターボックス!?」

「冗談です。十段くらいでお願いします」

「りょうかーい……ってそれでもたこない? ちゅーか十段までしかあらへんし」


 本当にそれでいいのかと訝しみながらも跳び箱を積み重ねるプラン。男子でも少し厳しい高さの箱を前に、葵は躊躇することもなく走り出し、悠々と飛び越えた。足を拡げずに跳び箱上で一回転する『前方倒立回転跳び』――に更に二回転程空中で捻りを加えたスペシャル技である。


 彼女が人間であって人間でないというのは、こういったところにも表れているのだ。妖怪の時から見れば随分と弱体化したのは間違いないが、人間としては破格の運動能力である。ちなみにこういった風にそれをひけらかしてドヤッとするようになったのは人間になってからだ。ある意味とても人間らしいといえるだろう。


 クラスの女子全員から賞賛の目を向けられ、葵もご満悦のようだ。なんてことないかのようにスタスタと自分のグループに戻る様は誰が見ても格好よく、しかし彼女の内心を読める者がいたならば微妙に残念な気持ちになることうけ合いだろう。


 そしてレミとプラン――ミグもみらいも、常に飄々(ひょうひょう)としている葵の子供じみた部分に少し気付いていた。短い付き合いではあるものの、基本的に真面目な葵が“えっへん”といった雰囲気を滲ませているのだから、わからない筈もない。


 当然、彼女達がそう“思え”ば葵はすぐに気付く。少しばかり頬を染めながら、わざとらしい咳をついてそっぽを向いた。見ないふりをしてあげた彼女達の優しさが光る一事であったが、みらいだけはニヤニヤとした笑いを堪えることができなかったようだ。葵はピクリと眉を動かし、上手く機を外して一度も跳んでいなかったみらいに声をかける。


「…みらい。準備してあげますから跳んでみましょうか。六段くらいでいいですか?」

「え……う……よ、四段で…」

「ええ。はい、どうぞ」


 顔を引きつらせながら離れた跳び箱を見つめるみらい。自分の背丈よりもずっと低いことは確かだが、彼女にとっては反り立つ壁のように高く見えていた。のろのろと助走をつけ、ロイター式踏切板を踏み――そのまま横に逸れ、跳び箱の真横に居た葵の腕に収まる。


「…」

「…」(こんなもん跳べるわけねえだろうが馬鹿野郎!)

「…」

「…」(私を哀れそうに見るな! この体力馬鹿ぁー!)

「…介助してあげますから、練習しましょうか」

「うん…」(余計な世話だっつーの! 恥の上塗りじゃねーか…)


 しおれた花のようなみらいをニコニコと見つめ、練習に付き合う葵。挑戦する度、ぽふりと跳び箱の上に馬乗りになるみらい。それを何度も何度も抱きおろし踏み切るタイミングや手の位置を修正させ、なんとか四段を自力で飛べるようにしたのは『覚』の面目躍如といったところだろうか。


 運動ができないことと筋力が無いということはイコールではない。日常生活をなんら問題なく送れる女子高生が四段を跳べないというのは、単純に力を入れる場所とタイミングがずれているだけのことだ。人間が体を動かす時は基本的に無意識だが、どう力を入れているか意識できない訳ではない。


 故にまず葵は跳ぶ時にどう力を入れているかを問い、都度修正して自分が跳ぶ感覚に徐々に近づけていったのだ。専門知識があればフォームを見ただけでどう間違っているかわかるだろうが、葵にその知識はない。しかし代わりに『覚』の能力を駆使して同じことをしているのだ。勿論自分が完璧にできるものに限られ、筋力、体格で微調整が必要なものに関しては役に立たないものではある。この状況にはぴったり当て嵌まったというだけのことだ。


 二回、三回と連続で成功させ完璧に四段をものにしたみらい。拳で小さくガッツポーズをとり、嬉しそうに抱き着いてくる葵を引きはがしつつ感謝の言葉を述べた。口では普通の感謝を、そして心中では悪態交じりの感謝を。目を細めながら笑って頷く文武両道の少女。


 そうこうしている内に授業も終了の時間となり、片づけをして彼女達は体育館を後にした。そして教室に移動する最中、担任に声をかけられ立ち止まる。


「昼休み終わったら次の英語で転校生の紹介するからよろしくね! 仲良くしてやってくれ!」

「…はい? あ、ちょ、佐藤先生…!」

「転校生…?」

「この時期に……っちゅーかこの時間に? なんやそれ」


 寝耳に水の情報に目を丸くする五人。三組のグループで一番仲が良いのは彼女達であり、そこに疎外されやすい転校生をあてたいというのは解らないでもない。問題は“転校生”という存在そのものだろう。


「まだ入学式終わって二週間くらいだよねー……これはミステリアスな匂い!」

「そんなことあるん? しかもなんで昼からなんやろ」

「有り得るか有り得ないかで言えば後者だと思いますけどね。私立ですから転校については公立より緩いですけど、基本的には年度変わりしか認められませんし。親の都合で――という場合でも、四月半ばはいくらなんでもおかしすぎます。いえ、おかしいというより……学校が認めるとは思えない、といった方が正しいですけど」


 ありえるとすれば学校に非常に影響力があり、断ることができない程の権力を持っているような存在だけだ――そう言いかけたところで、葵はちらりとレミの方を見る。御訪浜学園はそういったことがまずできない学校だからこそ、彼女はここに入学した。少なくともレミの実家にはできない芸当である。財力、権力等は日本有数ともいえるが、彼女の父が経営する会社は歴史が浅い。


 この学園のように歴史ある組織というものは、上に立つ人間も高齢なことが多い。そして高齢者には地位、権力よりも旧習、伝統、古い繋がりを重視する者が往々にして存在するものだ。古くから続く歴史ある名家ならば、ゴリ押しが絶対に通らないとはいえないかもしれない。


 雨ヶ崎麗美という少女は、謙遜けんそんしているがれっきとした美少女だ。そして日本の財界、政界ではあまり見ない類の性格でもある。そこに惹かれ、無理を通してきた輩という可能性はないだろうか――葵はそう思ったのだ。そんな人間が好きではないからレミは此処にきたというのになんという皮肉だろうか、と。


 昼休みに入り、呑気な顔で卵焼きを頬張るレミを見て葵はため息をついた。その様子を見ていた彼女が残り一つの卵焼きを箸でつまんで差し出してきたのを見て、苦笑いしながら口に放り込む。あまり好きではない甘い卵焼きだが、なんとなく元気が湧いたようだ。考えても詮無いことか、と転校生の登場を待つ。


 どんな存在であれ、自分はレミが悲しまないようにするだけだと彼女は考える。幸いにして三組の担任は熱血のきらいがあるものの、生徒に対して真摯な存在だ。頼り切りにはできないが十分にあてにはなるだろう。そう決意して、授業開始のチャイムを聞き流しながら教室に入ってくる人物を注視する。


 “高貴”という言葉が似あう存在であった。“我を通す”という響きが似合う存在であった。性格というのは存外顔に出るものだ。その格言からすれば、性格が良いとはまず言えない人物であった。葵が危惧していた条件に驚く程符合し、彼女は顔を歪ませて筆箱から消しゴムを取り出し――思い切り振りかぶった。


おさかべ……おっと。『姫島躬恒ひめじまみつね』じゃ! しなに――ぷぎゃっ!?」

「アホかぁーー!!」


 二週間程で築き上げた『才色兼備で文武両道な超絶美少女』というイメージを、葵は消しゴムと共にぶん投げたのであった。

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