出会いの物語
ブクマ等していただいた方には申し訳ございませんが前の作品は更新を諦めました。といっても飽きた、面倒になったというわけではなく、一人称から三人称に変えて再投稿させていただくためです。削除するつもりでしたが、削除はなるべくやめてほしいと規約に書かれていましたので、放置という形にしております。
どちらが自分に合っているかを先に考えて書くべきでしたね……設定等はたいして変わっていませんが、雰囲気はかなり変わってしまっています。楽しんでいただければ幸いです。
御訪浜学園高等学校の一年生、九曜葵は『覚』である。体は確かに人間のそれであり、老いもすれば死に難いという訳でもない。しかし魂は間違いようもなく妖怪そのものであり、見る者が見ればその異様さに驚くことは想像に難くないだろう。
古く古く、『覚』という妖怪が正しく認識された時期から彼女は世界に現れた。永きを生きる妖とは得てして精神が成熟していたり、あるいは達観の域に到達しているものだ。けれど彼女は、人の心を読む彼女は厭世観に塗れた人間嫌いの『覚』であった。
騙し騙され、傷つき傷つけ、殺し殺される。争いは自然の成り行き、視点を変えればそれは生物として当然の営みであるという考え方は彼女の性に合っていなかったのだ。恐怖や憎悪といったいわゆる『負』の感情から産まれる彼女達妖怪からしてみれば、その考え方こそが異端であるというのは言うまでもない。
『覚』妖怪はあまり好かれない。人間であろうが妖怪であろうが、心を読まれて気分の良い存在など極々稀であるのだから、それは当然のことだろう。彼女自身、同族に心を読まれることを良しとしないからこそ、自分が嫌われ者であるというのは理解し易かった。
けれど感情が納得できないというのはどうしようもなく、そして人間嫌いであるというのは裏返してみれば期待と好意の裏返しでもある。『覚』が専ら山を住処とするのに対し、彼女はいつだって人間の中に紛れて生きてきた。人ならざるものを調伏する除霊師、霊能者であっても彼女をどうにかできる者は僅かであった。
彼女は戦わない。不穏な気配を察知すれば脱兎のごとく――韋駄天も驚く程の速度で行方をくらまし、新たな地に身を置く生活を繰り返していたからだ。『覚』は人の心を読む妖怪であるが、それとは別にしても彼女の凶事を察知する感覚は群を抜いていたのだ。
『死』が怖い。思考を持つ者全てに共通する感情を、彼女は殊更に強く持っていた。ならば人間と関わらずにいればよいと、同じく永き時を生きる者に揶揄われる度に彼女は臍を曲げた。度し難い、というのは己自身が一番理解している故に。
津々浦々と全国を回り、気が付けば蝦夷や琉球国を除いた殆どを渡り歩いた古き『覚』。時代は移ろい、人間も変わりゆく。彼女はなんとなく不穏な気配に気付いていた。自分が退治されることを恐れなくなってきている、排斥されることを恐れなくなってきている。
しかしそれは自分の心境が変わったのではなく、そして人間が変わったのでもなく、“時代”が変わりつつあるのだと彼女は気付いていた。つまりは妖を退治する者が減ってきている、妖を恐怖する者が減ってきている――けれど妖は隆盛を迎えていない。
人は神に畏れを抱き、妖に怖れを抱く。だが人間が生きていくために彼等が必要かといえば、けしてそうではないのだ。
翻って、神や妖はといえばどうだろう。悲しいことに彼等は人無くしては生きていけないか弱い存在であった。恐るべき力を持ち、恐るべき事象を現実のものとする彼等は、人に現実として認められなくなれば消えてしまう儚い存在であったのだ。
誰からも名前を忘れられた時、人非ざるものは消える運命だ。故に、先見に明るい彼女は、人間嫌いの彼女は人間という存在に救いを求めた。曖昧な『モノ』として存在する恐怖を知った彼女は“器”を求めたのだ。
『転生』というものを彼女は知識として、真理の一つとして修めていた。人に近しい妖の常として、仏教や神道に明るいのは彼女もまた同様であったのだ。
けれどそれを否定もしていた。輪廻は巡り、精神は繋がり、意識は途切れないという教えを彼女は信じていなかった。どんな人間の、どんな感情をどれだけ深く読もうとも前世の記憶というものは存在していなかったからである。一つの心が消滅するとまた新たな一つの心が産まれる、それはいい。輪廻とはそういったものであり、物質の法則と同じでエネルギーの総和は不変であるというのが基本だ。
しかし消えたエネルギーと新たなエネルギーに類似性、あるいは共通点があるかという部分において彼女は否定的であったのだ。仮にあったとしても、それをエネルギー(魂)が自覚していないのならば、死とは状態の変化ではなく消滅そのものでしかない。逃れる術は輪廻の輪から外れる“解脱”という、『覚』の精神性からはかけ離れた選択肢のみだ。そもそもが仏教において『魂』という存在は否定的な部分もあり、故に彼女は輪廻転生そのものに懐疑的でもあった。
けれど妖のままでは、あまりにも不安定。輪廻を介さず、かつ確固とした肉体を求め彼女は古き友の間を巡り歩いた。『覚』が嫌われ者であるというのは事実だが、しかし誰とも友誼を結べぬかといえばそうでもない。永く生き強き力を持つものほど、心を読まれることに無頓着であるからだ。『覚』は口を動かす前に意図を汲むから面倒が無いな、とまで考える者もいるほどだ。そして古き妖であるが故に彼女の友人達は失われた秘術や珍しい秘法を持つ者が少なくない。そこに当てを求めて旅を続けたのは必然の行動だったのだろう。
会う者会う者に世の流れと移ろう認識の変化を説き、注意を促した。けれど返ってくる反応は望まないものばかり。それが自然の摂理と穏やかに微笑む者や、有り得ぬと笑い飛ばす者。殊更に多かった反応が『人間好きが高じて遂にそのものになりたくなったのか』という、彼女を憮然とさせるものであった。呵呵と笑いながら転げまわる様は友であっても腹が立つというものだろう。
果たして、幾度目かになる友との再会で彼女の目的は叶うことになる。人の一生分ほどの時間こそかかるものではあったが、人に依らず個として生きていける肉体を得られる、と。妖怪としての力は衰え、人と比ぶれば頑丈な体も、老いとは縁遠い体も消えてしまうが――そんな問いに彼女は迷うことなく頷いた。
目を細めながら彼女の目の前で寝そべる巨大な獣は、その頷きが死の恐怖によるものなのか人間への憧れによるものなのかをふと考えた。数瞬もせずに前者だと即答する彼女を見て、獣は口を歪ませ尾を楽しそうに揺らつかせた。
しかして『覚』は人間とも妖怪ともつかぬものになり、新たな生を受け人の世を生きることとなる。
――この物語はそんなひねくれ者の日常を書いた、ためにならない四方山話である。
――おーい……なんや、珍しいな
――ねね、ちょっとイタズラしてみない?
――丁度ここに水性ペンが
――……
微睡む彼女の耳に入ってきたのは、まだまだ付き合いは浅いにもかかわらず不思議と気の置けない友人達の声。随分と昔の夢を見たものだと頭を振り、悪事を企んでいる友人達の蛮行を阻止すべく口を開く。その際左右に振られた長い黒髪は、無造作な所作に反して乱れることもなく艶やかな光沢そのままに彼女の背を覆った。
「…レミ? 右手に持ったペンで何をしようとしているのでしょうか。皆目見当も付きませんが、よろしければ無知な私にその用途を是非教えていただきたいのです」
「お、おっはよう! これは水性ペンで、用途は紙に書くことでっす!」
「なるほど、ありがとうございます。ところで紙はお持ちでないように見受けられますが」
「うーん……なんでだろ? はっ! もしかしてこれはプランの陰謀ではっ…!?」(ちょ、ちょっと怒ってる? ヤバッ!)
誰もが目を見張るほど整った顔立ちの少女が、周りの友人達をじとりと睨む。右手にペンを持ちながら己の傍らで固まっていた青髪の少女へ特に強い視線を向け、彼女が逃げ出そうと踵を返した瞬間に腕を掴む――その瞬間、黒髪の少女の脳内には耳から入ってきた白々しい言い訳と、頭に直接響く“もう一つの声”が同時に聞こえた。
『覚』たる彼女には声が二つ聞こえる。それは他人が喋った声と、心の中で思った“声”の二種類であるのだが、後者については限定的な状況下のみであった。すなわち他者に触れたその時だけ、その人物のみ心の声が読み取れるというものだ。本来『覚』の能力とはそのような不便なものではなく、十間程の距離であればその内にいる人間の心を読み取ることなど容易い。
人間の器に収まったことで彼女は能力が制限された――劣化したといってもいい。有って当然の感覚器官が消失したことで戸惑う部分もあったが、転生前に警告されていたこともありすぐに納得したのは彼女の気質故だろうか。頭の中が騒々しくなくていい、というのはむしろ『覚』妖怪が羨む状態ともいえる。彼等が基本的に山を住処としているのは、他人の思考にいちいち脳内を搔き乱されたくないという部分も少なからずあるのだから。
「よいしょ、と。そろそろ往生際が悪いですよレミ。人に落書きをしようとするなんてお仕置きが必要ですね……勿論やり返される覚悟はあったんでしょう?」
「ぎゃー! 捕まったー! か、顔だけはやめてぇ…!」(に、肉だけは……額に肉だけわぁー!)
そんな彼女に引っ張られ抱きすくめられた、短い青髪の快活な少女の名は『雨ヶ崎麗美』。“麗”しく“美”しいなどという仰々(ぎょうぎょう)しい漢字を少し恥ずかしく感じており、故に下の名を呼ぶ時は英語っぽい感じでよろしく、と周囲にも喧伝しているのだ。『麗美』ではなく『レミ』。ちびまる子ちゃんだって海外に行けば『マルコ』になる、という単純にして明快な理由である。
「あっはっは、アホやなぁ。変なこと考えるからやで」
「プランもおもしろそうに見てましたよね? 同罪です」
「うぇぇっ!? そんな殺生な…」
「わかりました。額には『殺生』と書いて差し上げましょう」
「そういう意味ちゃうて!」
そしてじゃれ合いを楽しそうに見ていた金髪碧眼の少女は『青木扇』。愛称は王女の一部を文字ってプラン――レミとは逆に、愛称の方が恥ずかしい女の子である。別段高貴なる血筋というわけではないのだが、フランス人のクォーターであり祖父の血が色濃く出た結果、西洋人形のように美しい『王女様』が誕生したというわけだ。見た目に反してこてこての関西弁を喋るため、初対面の人間には大抵驚かれるのが密かな悩みである。
「私はセーフ」
「アウトです。むしろペンを持ち出したのはミグ、あなたでしょう」
「ギリセーフ」
「パーフェクトにアウトです」
さらりと無罪を主張する色素の薄い白い少女は『深江燕』。肌も白ければ髪も白い、私服も主に白を選択する漂白少女である。プランとは幼馴染であり、フランス語の愛称である『プラン』に対抗して自分も『渡り鳥』を意味する文字の一部をとってミグと名乗っているのだ。小学生特有の謎の対抗心がここまでもつれ込んだ稀有な例である。
「あうぅ……なんて書かれたの? 肉? 肉なの?」(胸やらかー……羨ましいぜチクショー)
「さあどうでしょう」
「くぅ、やるんじゃなかった。というかみらいには何にもなし? さっきこっそり笑ってた姿はばっちりこの目に収めてるぞー!」(死なば諸共! 道連れじゃー!)
「げ…」
「みらいはいいんです。ね?」
「お、横暴だー! 差別だー!」(許しても“いい”のかイタズラされても“いい”のかどっちなんだろ)
「は、はは…」
そして最初から最後までほとんど言葉を発しなかった、紫髪の小さな少女は『芦屋川未来』。おでこを広めに露出させ後ろ髪を二本にまとめて猫又の尻尾のようにしている、少し暗い雰囲気を纏った物静かな少女だ。レミのイタズラには我関せずを貫いていたが、こっそりと皮肉気な笑いを浮かべていた事実を暴かれて少々バツが悪そうだ。
「さて、と。じゃあ冗談はここまでにして作業に戻りましょうか」
「あたし冗談で落書きされたの!?」
「フタの付いてる方でなぞっただけですから何も書かれてませんよ」
「な、なーんだ……レミちゃんを驚かせおって! このこのー!」
「はいはい」
じゃれ合いもそこそこに、どことなく黴臭さが漂う化学準備室でノートパソコンを弄り倒し、図書館で借りてきた本を読み漁る少女達。彼女達が調べているのは全国各地で行われている『祭』の情報――特に歴史ある古い祭りや、特徴的な奇祭だ。『SFCS』である彼女達は、古くから伝わる祭りを体験し知見を得て、見識を広めるために赴く前準備をしているのだ。
平たくいうと、生徒会予算から部活動予算をぶんどって旅行に行こうという計画である。『society for culture studies』、通称『SFCS』は古典や芸能、廃れつつある文化を後世に正しく伝えるために先日発足した――建前だが――同好会である。元々は紫髪の少女みらいが『妖怪文書一覧』や神社仏閣などに興味を持っていたことに端を発する。“それ”を調べる集まりを作りたいと、ひょんなことから口に出したことがきっかけでこの同好会は結成されたのだ。加入した理由は各々様々だが、基本的には放課後に楽しく喋るために存在しているといってもいいだろう。
「ちゅーか葵、調べんのはええねんけどほんまに活動費はどうにかなるん? できたてほやほやの同好会に予算割くとは思えへんけど」
「そうですね……けれど、そもそも生徒会予算からそれぞれの部活に予算が振り分けられていることがまずおかしいとは思いませんか? 大元を辿れば、それは各家庭から徴収されたお金ですよ。部活に入らない生徒もいるというのに部活のために使用されるのは受益不平等であり、公平を旨とする学び舎において甚だ不当である――なんてどうでしょうか」
「…校長センセ、可哀そうやわ」
「そんなところまで話を広げるつもりはありませんよ。生徒会長と会計さんさえ陥落させれば問題はなしです。活動予算は私学だけあって余裕もありますし、そこまで難しくはないでしょう」
持ち込んだ電気ポットとティーバッグで淹れた紅茶を一啜りして、葵はそう言い放った。同好会は予算の対象でないことや、様々な部活の長が生徒会室に殴りこんでは撃沈されている現実を鑑みてなお、その程度のことはなんでもないのだとでもいうように。
「はっ……もしや色仕掛け? 確かに葵ならいけるかも!」
「そんなわけないでしょう。まあ完全に間違いとは言い切れませんが」
「どゆこと?」
「生徒会長たるもの、不純異性交遊や恋愛に現を抜かすのは言語道断。特に神聖な学び舎の、その中で最も風紀を乱すべきではない生徒会室で――ということですね」
「…ん? …あ、なるなる、そういうことか。ほほー……ほんまかそれ? お相手は誰なん?」
「『君に僕の心の会計も頼めるかい……きっと、計算できるようなものではないけれど』『か、会長…! 私も、私もこの気持ちは数字になんて出せません!』『…部屋の鍵、閉めてもいいかな』『ああっ…!』…こほん。まあ学生と恋愛は切っても切れませんけどね、分別は付けるべきでしょう。風紀委員としてこの事実は、並大抵のことでは口を閉ざすべきでないと判断致しました」
「ぶふっ…! くくっ、く…! ご、ごめん、もっかい言ってもろていい?」
「『樹里…! いや、僕にとって君はジュリエットそのものだ』『ああ、ロミオ様…』…んんっ。悲恋をお望みのようですから、いっそ暴露した方がいいのかもしれませんね」
プランが体を『くの字』に折り曲げ、両足をバタバタと上下に振り笑いを堪える。レミも同様に口をひくつかせて顔を伏せ、みらいに至っては拳で机を叩いて笑い声を上げるのを我慢していた。唯一ミグだけは笑う素振りもなく、話の続きに興味津々で続きを急かす。
「続き」
「…これ以上はプライバシーの侵害です」
「最後までいった?」
「秘密です」
「『…ならば君の体に聞いてみよう、ジュリエット』」
「ぶはっ、ミ、ミグ今のめっちゃ似とる…!」
「く、くひゅっ…!」
「…~~っ!」
「…こほん。『ぜひそうなさって、ロミオ様。あなたにそんな勇気がおありなら、そうなさってくださいませ…』」
「やみっ、やめぇや二人とも! も、もふっ、むり――」
プライバシーの侵害といいつつ、既に侵略すらしていそうな葵の一人芝居。風紀委員の業務の一環で生徒会長と知己を得た際、読めてしまった上級生の背徳的な秘め事だ。他人の秘密にずけずけと踏み入り、おもしろおかしく脚色し、むやみやたらに吹聴して、あまつさえそれをネタに部費を強請ろうなどとは人道に反しているに違いない。
しかし彼女は人であって人でなく、人でなしであるが故にこの方法に問題はなかった。強引さの背景には、どうしても“旅行”という名目で友人達を――その内の一人を目的の場所に連れて行かなければならない理由があった。金銭的な面で不自由はないが、しかし旅費は自分が出すから行こうとは言い出せない。それをしてしまっては友人とは言い難く、それを易々と受け入れるならば友人とは言い難く、それはダメだと口を揃えて言うとわかっているから彼女は少女達を友人として諾った。
『覚』にとって付き合いの長さは深さと同義ではなく、第一“心象”そのままに友人を選ぶことが自然であったからだ。
「『目を閉じて…』」
「『はい…』――ってどこまでやる気ですか。人の顎を勝手に持ち上げないでください」
「続きが気になる」(…綺麗)
「自分で言い散らしておいてなんですが、あまり下世話なのは感心しませんよ。あくまで目的のための手段ですから」
「下種よりはマシ」(でもそれがいい)
「自分と人を比べて安心するのは堕落の始まりです」
「堕落は悪いこと?」(自分がいいならそれでいいと思う)
「む……そうですね……失敗しても言い訳をしない、他人のせいにしないならば堕落は悪いことではないと思います。ですが、私は向上心のある人が好きです」
「…そう」(…なら、少し頑張ろう)
「ええ」
一人芝居から二人芝居になり、興に乗った白い少女は黒い少女の顎を片手でくいと持ち上げる。対照的な二人ではあるが、その美しさは共通していた。居住まい正しく綺麗な姿勢で椅子に座る葵の正面で、ミグは女王のように――品定めでもするかのようなおざなりさで目の前の少女の顎を持ち上げ、視線を交わす。日本人形から一切の不気味さを排除したような、美しさだけを残したような少女。
吸い込まれそうというよりは見透かされそうという方が正しい瞳の色に、茶目っ気のある芝居は鳴りをひそめて心のままに言葉を交わす。ともすれば棘のある言い合いにも感じるそれは、二人の間では真逆のものであった。知り合ってまだ間もない彼女達の、浅い関係が少し深くなった――そして両者ともにそれを自覚しもしていた。
最後に二人共がふわりと微笑んで、友人同士の洒落合いは終了したようだ。
「…続きはー?」
「そんな期待した目で見てもなにもありませんよ」
「ちぇっ。めくるめくどろどろの火サスで土ワイな劇場が始まると思ったのに…」
「そりゃ無理やで。この辺に崖とかあらへんから、解決編が始まらへんわ」
「だいじょぶだいじょぶ、屋上があるから。学生刑事純情派、レミちゃんの活躍を乞うご期待!」
「ではまず事件が必要ですね。レミ、いったん死んでもらってもよろしいですか?」
「いっぺん死んだら終わりなんですけど!? だいたい推理役が死んだら始まらないし!」
「探偵役が実は犯人だった――なんていうのは使い古されてますし、ここは斬新さを優先して探偵役が死体だったという脚本でいきましょう」
「誰が物語終わらせるのさ!」
葵とミグのやりとりをワクワクしながら見ていたレミは、話の続きも、色のある戯れの続きもないと知り落胆を見せる。花盛りの女子高生らしくそういったものは大好物なのだろう。そしてそれは彼女のみならず、みらいやプランも同様であった。両手で目を覆い、隙間から様子を窺うという古臭い真似をしている関西弁の王女様。興味無さげに作業に没頭している振りをしながら、ちらちらと視線を向けている知識過多な文学少女。
情報元が謎すぎる上に交流もない生徒会長の情事などより、目の前で繰り広げられる睦言に興味がいくのは女子として当然のことである。
「さて、なにはともあれ旅行の――失礼、“文芸奨励活動のための遠征”でしたね。それに際する費用は心配無用ということです。むしろ活動が終わった後の結果……レポートの方を心配するべきですね。お金を出してもらう以上、当然ながら手を抜くことは許されません。最低でもA4紙で各三十枚程度は必要と思っていてください」
「はーい」
「了解」
「…わかった」
「ええぇ!? 聞いてへんでそんなん!」
「今言いましたけど」
「えぇー……まぁしゃあないか。タダより高いもんはないっちゅうしな」
次の大型連休。つまりゴールデンウィークの内の数日を旅行にあてようと目論んでいた葵の目的は、枠組みも定まり徐々に形作られていく。回りくどいやり方は偏に芦屋川みらいという少女の為だ。
肉体そのものは人間として産まれ、そして人間として育てられていく中で消失した厭世観。そもそも本当に人間嫌いだったのかすらも既に定かではない。昔と比べて遥かに良くなった人々の生活は、その心をも豊かにさせた。
人間は衣食住揃って初めて礼節を知るのだ。『覚』たる少女には、この国に住まう人々から卑しい心が消え去ったとすら感じられた。飢えて死ぬ者などまず耳にしない。理不尽に殺される者など日常生活では目にしない。“人”として生きることが保証されているというのは、彼女にとって驚嘆に値することであった。
悪鬼の如き人間が消えたわけではない。人の不幸に幸せを感じるどうしようもない人間も存在しているだろう。けれど、彼女は今幸せだった。“やはりな”とかつての友に笑われようが、否定しようもない幸福の感情は何より愛おしいものだ。
だからこそ。芦屋川みらいという少女がどうしようもなく性質の悪い人間だからこそ、葵は彼女のためにできることをしたかった。身の内に悪意が渦巻く優しい少女。内心だけを聞いていれば、出来の良い小説にでも出てきそうな小悪党。
そんな彼女がどうしようもなく好ましい。
――作業が終了し、それぞれが帰路に着く。葵とみらいだけは寮住みであるため、少し歩いた先の『白鴨寮』と呼ばれる建物へ同じ歩を進める。
「…どうしたの?」
「――いえ。あの猫はきちんと旅立てたかな、と」
「…大丈夫、だと……思う」
「ふふ、そうですよね。私もそう思います」
常から小心者の典型のような態度。心を覗いてみれば悪態の嵐。およそ葵が交流を持ちたいという要素が一つとしてないみらい。きっかけが無ければ間違いなく言葉も心も交わすことがなかったろうと葵は断言できる。けれど運命の悪戯であったかのようにきっかけは存在し、『覚』は歪な少女に魅き込まれた。
まだまだ記憶に新しい、入学式初日のこと――
九曜葵は転生者である。昨今よく見かける、軽い文学においての転生などとは違い『死にたくない』からこそ、そのための手段として人間の肉体を求めて転生を果たしたのだ。神仏に依らない奇跡――といえば聞こえはいいが、強大な力を持つ妖などは大抵神としての側面を持っていたりするものだ。結局その力に頼ったのだから、本質は同じなのかもしれない。
ちなみに悪神と呼ばれようが善神と呼ばれようが、そのものにとってはさして興味のない話である。そこに重点を置くのは元々が神として世に出でた者達のみだ。
葵にとって心とは誰よりも既知であり、知らぬことの方が少ないと自信をもっていえる対象だ。けれどいつの時代にもいるものだ――半可通というものは。知らぬものなどないと通人ぶる愚か者は、物事の本質をよく見誤る。いわんや、自分の心の手綱すら握れていない『覚』が賢しらに生きている様はまるで道化というものだろう。故に彼女は芦屋川みらいという少女を最初に見誤った。
葵は人間だが、『覚』でもあるが故に人の気持ちを知りたがる。折に触れて他人の体へ接触したがるのは『覚』という妖怪の本能でもあり、自分という存在を再認識するための手段でもあった。
初の顔合わせで握手を求めたり、なにかとスキンシップを取る様は『触れ難い』美少女という幻想を良い意味で崩す。傾城傾国の美少女とすらいえる人物に気安く接せられて気分を損ねる者は稀だろう。
初日のHRでの席替えの際、みらいの後ろになった葵は当然の如く彼女の心を読んだ。小動物のような少女の心模様は、果たして毒舌の嵐であった。自己紹介での失敗もさることながら、担任の名前――少しキラキラしている名前である――に毒のある突っ込みを入れたり、後ろの席に咲く一輪の美しい花が邪魔だと罵ったりと悪態に暇がない。
そこまで読んだ時点で、葵は彼女との交流を控えるよう自身に課した。外面と内面が違い過ぎる者に碌な者はいない。それが今までの体験からくる判断であり、半可通であることの証左でもあったのだろう。
つつがなく初日の授業が終わり、クラスの生徒達が帰路につくのと同様に葵とみらいも学校を後にした時のこと。狐が嫁入りでもしているのか、晴れているにもかかわらずパラパラと雨が降っていた日のことだ。
二人とも寮に住んでいるのだから、帰り道は同じ。けれど葵はみらいへ特に話しかけることもなく、視界に収める程度に離れて歩いていた。常に折り畳み傘を準備している自分とは違い、勢い緩やかとはいえ雨に降られている少女を見てなにもしなかったことが、『紫の少女』に対する『覚』の嫌悪感を象徴していた。
視界に映ろうがまったく興味のない対象ではあるが、その人物が急に立ち止まれば気にはなるだろう。ふと気付けば車通りの少ない道路の中央に視線を移したみらいが呆と立ち止まっていた。何があるのだろうと葵が自らも視線を移せば、そこにあったのは黒い猫が横たわる姿。車に轢かれたのだろうか、黒ずんだ血とピクリとも動かない体が、既に寿命を終わらせていることを感じさせていた。
――死体にでも興味があるのだろうか。そんな無礼なことを考えた葵は、その数分後に自身を恥じた。みらいは少し逡巡した後、すぐ傍にあったコンビニへと入りビニール袋を携えて戻ってきたのだ。袋をガサゴソと漁り、軍手とスコップを取り出して装着した少女。走っていた車が通り過ぎるのを待ち、おもむろにガードレールを超えると一直線に猫の元へ向かった。
素早く、けれど丁寧に猫を回収し、コンビニの袋へ入れると彼女はそのまま近くの森林公園の方へ歩き出した。事の次第を驚きながら見守っていた葵は、ただ自然にその後を追いかけていた。
公園の中にあるなんてことのない木の一本、その下にみらいは蹲っていた。ガリガリと木の根元の土を削り、そこに猫を横たえて優しく土をかけ戻す。葵に見られていることも気付いていなければ、誰も彼女の優しさには気付いていない。
葵は少し離れた木の裏に持たれかかり、狐の嫁入りが終了して曇天に差し掛かった空を仰ぎ見る。数分もすれば本格的に振り出すだろう。パラパラ雨だったとはいえ長い時間振られていたみらいは、随分と濡れそぼっている。
葵は傘をたたみ、防水性のある袋に仕舞いカバンに収めた。勢いよく走りだし先ほどのコンビニへ舞い戻ると、大きめの傘とタオルを購入して急ぎ公園へと踵を返した。
戻ってきた葵の目に入ったのは、血の付いたビニール袋に血塗れの軍手を押し込んでいるみらいの姿。今にも大降りになりそうな空に不安な視線を向け、ちょうど急ぎ足で帰ろうとしているところであった。間に合ったかと息をつき、足早に彼女の元へ向かう葵。
――お優しいんですね
――っ! ……別に
――あ、動かないでください
――自分で拭くから、いい
――このタオルは私のですよ?
――っ…
それが彼女達の友人関係の始まり。帰り道、肩が触れ合う傘の中では照れ隠しと罵倒が入り混じっていた。勿論表面上は仲良く帰っているだけで、片方が片方の心を読んでいるなどとは誰も思わないだろう。
葵だけが知っている彼女の優しさと、そして深く読むにつれ理解した彼女の心を蝕む『毒』。なんとかしてあげたいなと、葵は隣の小さな少女の肩をもう少しだけ引き寄せる。
二人分には少し小さい傘。またぞろ少女の肩は濡れてしまっていて、その気遣いが葵を幸せな気持ちにさせた。二人で少しづつ濡れればいいじゃないかと囁いて、カバンに入っている折り畳み傘のことは一切口に出さなかった。
二人の本当の出会いは、そんな雨の日の午後であった。
ハーメルンとのマルチ投稿にさせていただいてます。