カフカスの虜
金融街へのフェリーを待っているとある気配が心を掠めた。そして喉の奥にある湿った空気のかたまりが震えた。出発までしばらく時間があるためか、フェリーを待つ者は私以外、誰もいなかった。対岸にある発電所の四本の煙突から白い蒸気が立ち昇り、一定の高さで透明な気体へと姿を変えた。岸辺には洗剤の水泡らしきものからポリスチレンの容器や断熱材の破片が打ち寄せていた。河川の基準はそれを設けた行政によって名称は異なるが、目の前の河は水の流れを浩々と湛えた一級水系に属する河だった。私はこの地に住むようになる前、幾つかの事情から父親が指定した大学の土木建築学科で学んだ。それは異国で生活する今の仕事とは全く異なる領域で二十年前のことだった。しかし今でも河川の流量を表わす数式は自然に想い出せた。
Qy = kpA x 103
Q = kpA x 103 / 365 x 24 x 60 x 60
Qy :河川の年間流出量[m3]
Q :河川の年平均流量[m3/s]
k :流出係数
p :年間降水量[mm]
A :流域面積[km2]
それは記憶に染みこんだ雑多な音や色、舌にまとわりつくざらついた感触とともに浮き上がってくる。見知らぬ言葉が降臨する予感だった。視界のどこかに旅の誘発点が横たわると微かに気付いていた。そして私は自然にもう片方にある心のどこかに沈殿している点を、ごく自然に洗い出し始めていた。これら二つを結ぶ時、景色と言葉がシネマトグラフのように浮かぶ。私は長年このパズルに慣れ親しんでいた。それは私にとって一人で黙々と詰め将棋を完成させるような気晴らしで、そうやって時を追いやる夢想癖を幼い頃から身に付けていた。心理療法家の妻は興味深くその点と点をつなぐ手筋に耳を傾けたが、いつも「ほどほどにね」とコメントし、最後に「・・・」と付け加えた。妻の表情にはいつも翳りが含まれていた。その眼には年老いた両親の思い出話を聞きながらも、忍び寄る記憶障害の影を見極めようとする実務的な観照が感じられた。妻は妄想に耽る私の癖を少なからず気に懸けていた。
地球の水を二つに分けるとしたら、それは海水と陸水に分けられる。海水は全水量の97%。残り3%の陸水は、北極と南極の雪と氷、地下水がほとんどを占めた。どれほど目の前の川が大きく見えようともこの惑星の河川を流れる全水量は、地球全体の水量の百万分の一にしか過ぎなかった。目の前に横たわる河川に対する割合を計算すると、分母のゼロが九桁以上になる。それはあくまでも土木建築学科の知見による水量で、私自身の体内の全水量に対する割合になると、数式や計算による測量は用なしになった。私は学校では教えられることのない別の測量方式を用いたからだ。一人間の肉体から割り出される値は、分母のゼロが二十桁以上の比率ではなく「1」になった。私の抱く空漠には時として姿を見せる水脈があり、それは辺境の川へと繋がっていた。その辺境の川は世界を映し出す鏡でありながらも、楽園では限りなくゼロに近い比率の水量だった。
波にさらわれないようにじっと佇む無数の丸石。その石の上で変化する清らかとは言えない液体を眺めていると、知覚をどこかへ移動させようと風が頬をなでた。フェリー待ちの退屈な心持ちはいつしか彷徨を始め、喉奥の湿った気体は意識がそこから離れないよう少しだけ心拍数を上げた。冷たいシリコンの塊のようになった自分の手を見つけた。少しだけ力を入れてみる。指は微かだがまだ動く。私の身体は既に反応していた。知らぬ間に指先から体温が抜けていた。深海の高い水圧で生きてきた底生性魚類が、突然水揚げされ心臓が膨張するように、私は胸に圧迫を感じていた。あたかも私の心臓だけが深海から海面に突如浮上したようだった。それは暗い門を通過する際に感じられる境界の変化だった。この感覚に導かれ私は幾つかの存在を知った。肉体移動ではたどりつけないが、身体に潜む微かな感覚と視界の点を結びつけることでたどり着ける境界だった。そこでの出会いは出会いと呼べるほどのものではなかった。なぜなら私以外の人間にとって、その存在は見えないし知りえることもなく、永遠に私の身体内で閉じられているからだった。それはそのままそこに留めて置くべきだったのかも知れない。時の変遷において痕跡を残す才能は、選ばれた人間にのみ与えられると自身を呪縛してきた。しかしそこで得られた感触は、私をいつまでも捉え続けた。幾つかの学校を卒業し、就職し、結婚をし、子供が生まれ、景気の悪化と失業、そして二度目の就職活動の身になっても、その感触は私から消えなかった。それは私の身体に潜み続け、少しずつ私を縛り上げた。ゴルディオスの結び目。私はそこでの痕跡を詳細に書き記さなければならなかった。何者かに誘われ訪れていた彷徨。ここから先は、書くことによって彷徨が精査され、それは点となり、初めて私自身でそれらの点を結ぶことができた。そしてそれらの結び目を私自身の手で解く必要があった。そうやって結び目は背後にしまわれなければならなかった。私は初めて私として生まれ変わることが出来るのではないかと感じた。その胸の膨らみはそう主張した。
その辺境の川は世間から少しだけずれた時間と空間に位置し、今も手を伸ばせば届きそうな境界の川だった。
そこはいつも薄暗い木造建築の教室から始まった。まだ鉄筋コンクリート製の校舎が普及せず、床、天井、壁と、おおらかな時代特優の木材が使われていた場所だった。使用されていた多くの板には、「死に節」が抜け落ちた穴があった。「死に節」とは、枝打ちの際の節や、成長の過程で枝が折れたり枯れた枝で出来る節のことを言う。「生き節」に比べて光沢がなく、節の周りがボロボロの穴状や黒く柔らかくなっていて、板にした際、時と共にこの節がよく抜け落ちて穴になった。この教室には大小の抜け穴が多数あり、その穴はあたかもこの教室自体が呼吸をするかのように点在した。そしてそこを流れるすきま風は、天井裏や床下に広がる暗闇が醸成した黴びた時の匂いを運んだ。
私の机下には床裏の乾いた地面が見えるほどの抜け穴があり、私の椅子はその穴によく脚をとられた。頭上の天井にも気付いただけで四つあり、この穴は耳を澄ますと微かな息吹が聞こえた。そして時としてその息吹の主、アシダカグモが顔を見せた。私の掌ほどになる長い八本の脚を伸縮させ小さい穴にそれらを通した。蜘蛛の頭胸部はこの穴より少し大きいのだが、そこを器用に通り過ぎる姿はとても華麗に思えた。それは水槽の底で鎖に縛られた奇術師が、慌てることなく腕や足を巧みに動かし脱出する姿を想い起こさせた。アシダカグモは網を張らない徘徊性の蜘蛛で、この為、出糸突起部を含む袋状の腹部は、網を張る蜘蛛の腹部に比べて著しく小さかった。アシダカグモの豊かな頭胸部とスリムな腹部を合わせたその姿は、さながら逆三角形のボディビィルダーのように端正で攻撃的だった。夜行性のため住人が寝静まると天井や壁、水洗い場に姿を現し、かさかさと布をこするような比較的大きな音を立て徘徊した。幼い頃、この音にその姿以上の怖れを抱いたものだった。怯えては母に駆除を訴えたが、彼女はこのアシダカグモを家屋の神のように遇した。この地方では夜に姿を現す蜘蛛は縁起が良いと伝えられていた。幼い息子にそのことを説き聞かせ、病気を運んだり、人を咬むことはないと母はなだめた。そしてこの蜘蛛が住まうことによって当時家屋に当たり前のように生息した油虫が居なくなると教えた。怯えは決して消えることはなかったが、そう諭されるとその蜘蛛の六つ眼に、光を感じるようになった。その頃この光が何なのかはっきり知ることはなかったけれど、その光が伝える不思議な感触は子供の心にすとんと落ちた。蜘蛛は小さな虫でありながらも別な存在へと変身していた。命の役割を全うする知性を備えた存在と感じると、それは人と等身大の存在感を持つ生き物へと変身した。駆除されるべき害虫は雲散霧消し、言葉は交わせないけれどお互いを認め合う個のつながりを見出した。
幼い心に自然に機能していたこの回路はいつのまにか消失していた。存在していたことさえ忘れていた。それを気付かせない何かの支配を知ったのはこの教室に来てからだった。この教室の抜け穴にはアシダカグモの姿は最初からなかった。しかしその穴はこの光の感触を私に放ち、息吹を吹き込んだ。この教室にどうやって来たのか、そしてどれくらいここに佇んでいるのか思い出せなかった。全てが曖昧でぼんやりしていたが、その穴だけはなぜか私にしっかりと碇を下ろし、私がどこかへ流れようとしても、そこから延びた糸が私を引き止めた。それは一時的な覚醒を促す暗い鏡のように働いた。いつもは見逃してしまう心を掠めるだけの淡い煙がそこには映り込んだ。しかしそんなものは気に留めず、いつの間にか無意識に手順を省略しお決まりの回答に帰着させる回路を私の心は構築していた。この教室は私に定点観測を促した。放埒な私の心の発煙を、つぶさに観察する単純な作業だった。それは微かに灯る光を一つ一つ丁寧に捉え、その光が伝える不思議な感触を拾い上げる作業だった。それらの作業はどこかしら懐かしくそれでいて新鮮だった。あたかも仄かに(ほのかに)受精したばかりの数少ない胚を大切に温める行為に思えるのだった。
記憶には様々な耐久性を備えた殻が存在すると定点観測は教えた。解体は一度に完了するのではなく、消去と回想を繰り返す。そうやってゆっくりとその殻を浸食し切り崩す。殻の弱い記憶はいとも簡単にこの河の水に希釈された。殻を失った記憶が水の中をしばらく漂い、記憶に付着した想いは永久に消えた。「アシダカグモはずいぶん硬い殻に違いない」私は定点観測を続けながらそう感じた。しかし同時にアシダカグモの眼光に再び火をともそうとすると、定点観測に組み込まれた解体作業が生に死が必ず伴うように開始されるのだった。私の身にじわじわと近づくぬめりがその灯火を掻き消そうとした。それは湿った表皮を持つ蛇のように私の身体に纏わり付いた。その蛇はゆっくりと私を取り込みながら、私を深くへ引き戻した。まるで蛇に催眠療法を施されているように。私は沈みながらその声を聞いた。その水には時を希釈する知があると大蛇は伝え、大蛇の河の先にある恍惚に似た無の地帯へ進むよう水を向けた。私は沈みつつも水面に浮かんでいる小さな蜘蛛の影を見つめていた。その小さな蜘蛛から伸びた細い糸が私を引き留めてくれるような気がした。しかし私はまだ手元にその糸を手繰り寄せられないでいた。その糸口を探せば探すほど、その水は私を深い懐に誘いとろとろとしたまどろみで包んだ。私は複雑な心境を得ていた。この教室での定点観測は見えない解体作業の過程が伴い、それが帰結するところの根幹はサーチ・アンド・デストロイという戦術に違いなかった。私は大蛇の河が伝えるとおり、自らの手で耐久性のある記憶を一つ一つ葬り去る作業に精を出していた。
暗い鏡に映り込む発煙の定点観測は、目の前の事象に興味深い考察を繰り返し加えた。それはあくまでも確証のない直観に過ぎないのではないか、身勝手な妄想ではないのか、それらを客観的に精査する手立てまでは「某」の私には思いつかなかった。この教室には他の生徒も居るには居たが、客観的な意見を尋ねるにも皆は、輪郭を持たなかった。私は放埒な気性だけを頼りに、ずるずると思考の放浪に身を任せるだけだった。「独房に収監され精神を病み始めた受刑者」という声もあり得ると否定はしなかった。私の肩を叩き肉声を発する会話へと導く生身の人間が懐かしく感じられた。ただそれも少し懐かしいだけで、実際に姿を現すと億劫に感じられるのだろうという声も反響した。ここには確固とした主体はなかった。生身の存在の煩わしさもなかった。教室には「某」という文字の上に小さな埃のような記憶を付着させていた私と、私と同じように定点観測と解体作業を同時に進める煙のような存在、輪郭を持たない四人の生徒が居るだけだった。点在して座る他の四人が誰なのか、どんな服を着、性別や年齢、体格、人種はと、触手を伸ばしてみてもさっぱりわからなかった。窓にうつりこむどんより曇った外光の変化に対して、彼らの気配も時より揺らいでいるように感じられるだけだった。この教室の窓の外光が示していたことは、ここでは決して日は暮れないという感覚だった。そのぼんやりした外光の不定期な濃淡の変化によって、この教室に微かな時の淀みが生じ、久遠と一時が皆既食のように重なった。その時はほとんど止まっているように感じられ、午後四時の辺りを行ったり来たりしているようだった。他の四人の煙が色濃く増すこともあれば、最後の一人が揺らいで消えることもあった。外光の微妙な明暗でこの教室に時の瀞が生まれ、生徒の気配はそれらの変化に干渉された。この教室で私に課せられた自習は、定点観測で何かが起きる事を待つことだった。それは予約を持たずに過ごす待合室と変わらなかった。回想と消去を繰り返していたけれど、私の名を呼ぶ者は誰一人いなかった。それでもこの教室で待たされることは不思議に苦にならなかった。時間は常に午後四時の辺りを行ったり来たりしていた。
私の席は前から二番目の中央左側にあった。私の前に生徒はいない。私を含めここにいる五人を生徒と呼んで良いか正直わからなかった。私の机と椅子は私の身体には不釣り合いで、それはとても小さく小学校低学年用に思えた。私がこの教室の生徒であるという必然性は思いつかなかったけれど、生徒と呼ぶ事がこの状況では相応しいと思われた。そして前述のように他の四人の気配は感じるのだが、詳細とまでなると自信はなかった。その感覚は視覚に映り込む情報と言うよりも、五感を駆使して浮かび上がらせる知覚全体の計測値と言えた。その計測値はホログラムのようなイメージに似ていた。計測値が常に安定しないように、その立体像は揺らぎやすく、煙のように変化した。その知覚を通して私にははっきりと分かることがあった。この教室には教師の気配はなく、その教師がいつ現れるのか知らされていないことだった。
ここでは互いに口をひらくことはなかった。自身に語りかける独白だけが間接的に木霊した。この木霊がくぐもった言葉の響きなのか、それとも感傷や後悔に伴う吐息なのか、はっきりしなかった。私の独白もこの教室の見えない回路を通して変換され、くぐもった音の木霊に姿を変えた。明確なことはこの教室の木霊は、聴覚器官を通して伝わる音だけではないということだった。この木霊はこの教室のある「現象」に関与した。木霊も揺らぐホログラムだった。「文字情報というイメージが揺らぐのか」と問われれば、そうではなかった。それらの独白はゆっくりと漂う綿雪で、その一つを掌に取り込むと胸の奥が少し膨らむという感覚だった。そこには言語の情報はなかった。それ故、どの言語で放たれる独白も、綿雪が掌で溶けて水になるように変換された。それは胸で膨らみ景色と印象的な思いに変わった。その情景を理解するには、もちろん言語は必要なかった。それはとても便利な伝達ツールに思えるのだったが、一方、大きな疑問を残した。生徒や木霊は捉え所無いが、綿雪から解凍される情景は明瞭で簡潔に思えた。ここにはこの変換を誘導する見えない介入者の存在があるように思えるのだった。
綿雪は私が独白を始めるとどこからともなく漂い始めた。その独白に夢中になればなるほど多くの綿雪が漂い玉雪となり、独白を止めてしまえば綿雪は灰雪になりそして次第に消えた。しかし私が独白を止めてしまっても、その降雪が止まないことも多くあった。それはおそらくこの教室の他の生徒が行っている独白に違いなかった。独白に夢中になり室内を漂う綿雪に気付かない時もあれば、独白に飽き虚空に漂う綿雪を見つめるだけの時もあった。他の生徒の独白が始まると、彼らの息づかいは綿雪になり、この雪景色は虚空を作った。それは私が独白するときには気付かなかった変化だった。綿雪はこの教室に光の濃淡を作った。時として綿雪は室内全体が白く大きく膨れあがる光の玉にまで変化することもあった。それが起きると厚いベルベットのカーテンと重い絨毯が同時に出現した。深遠な静寂が浮薄な木霊を吸いこんだ。いつものどんよりした窓の外光は、室内の白い光の玉に、彩度、明度を吸いとられ暗さが凝縮した。そうなるとそれは立ち眩みに似て、抜け穴のような黒い玉になった。それは大きな白い玉の激しい吸引を避けるように教室中を逃げ惑った。そして次第に力尽き、一匹の蠅のように小さくなり終いには消えた。この教室に溢れ出した独白が白い大玉になり、そこに重力が生まれ、影と音を引き寄せ最後は冷たく励起した。出現したのは全てが雪で覆われた白い部屋だった。それがこの教室の虚空の雪景だった。これら一連の光と音の戯れを、深海の水母を観察するように私は眺めた。綿雪が作り出す光の放射、全てを吸いこむ静寂、立ち眩みに似た黒点、それら全ての変化に身を任せると、どんな微かな吐息さえ胸には残らなかった。この教室の空気には独自の蔵つき酵母が存在していたのかも知れない。それは生徒の独白を、もろみのように甘く溶かし、くまなく発酵させ、そして独白とは異なる姿に変える。この教室をたゆたう安堵感はそうやって喪失感を変質させた。嵐の後にはどことなく遠い南国のなまぬるい夜の匂いが漂った。私はどれだけこの光玉の嵐を経験したのだろうかと思い巡らしてみたが、やはりよくわからなかった。それは初めてのような気もしたし、以前経験したような気もした。
周りの生徒の気配がなくなり、繽紛とたゆたう灰雪が収まると、一面の雪景色が現れた。手持ちぶさただと感じた事はなかった。この教室に夜が訪れないように眠気もおとずれる事はなかった。私の両手は重ねられ机の上にあった。私はそこにある沈黙と静止を見つめていた。十本の指には木炭を火鉢にくべたように木墨がついていた。手を広げてみるとその平には白い部分が残っていた。なぜそのように手が汚れているのかわからなかった。私は嵐が残した安堵感に身を浸したまま、左の掌の白い部分を、木墨の付いた親指で触れていた。深浅さまざまな溝がその掌にあり、木墨によってそれらが鮮明に浮かび上がった。指の腹は独自の意志を持った手つきで、木墨で濃彩を加えていた。木墨が足りなくなると足下にある抜け穴に指を差し入れ床裏をなぞった。すると黒光りする新鮮な木墨が手に入った。木墨にまみれた親指は左掌から何かを引きずり出そうとしているようだった。今では左手を机の上にかざし、机上の虚空で右手親指はデッサンを続けていた。私は私の両手が何を行っているのか分からなかった。その右手はただただ左手から何かを引きずり出そうとしているように見えた。虚空をなぞる木墨は独自の意思を持つ煙に姿を変えていた。さながら私の親指はその仄かな煙に心肺蘇生を行っているように見えた。
胸が膨らんだ。鏡のような水面に一滴の水が落ちた。「強度のある時もあれば希薄な時もある。柔らかい時もあれば、弾力のある時もある。要は指の腹で正しい時の圧力を見つけること」私の目の前に現れたのは体長50センチほどのアシダカグモだった。机の中央に陣取りむしゃむしゃと机の上を覆った綿雪を食べていた。頭部の二列に並んだ六つ眼は半球形に飛び出し、それぞれが広角の視界を得られるようになっていた。上段の二つの眼は蜘蛛の背後にまで視界が届き、下段の四つの眼は私を見透かし、教室の壁の向こうさえも視界に収めているような眼光を放っていた。六つ眼の下には白い帯があり、その軀は斑点を伴った灰褐色で、ふっさりした綿毛に包まれていた。四組ある脚が全方位に均等に延び、蜘蛛の頭胸部と腹部は卓上20センチほどの高さに保たれていた。六つ眼の両脇には一対の触肢が垂れ下がり、触肢の内側には縁なし帽子をあご下で逆さに被ったような鋏角があった。その鋏角の中に綿雪は運ばれていた。私は目の前のアシダカグモが油虫を食べていないことに少し安堵した。蜘蛛の六つ眼は高僧の様な面持ちで、棘のある長いしなやかな脚は近衛兵の風格を漂わせていた。私には目の前の生き物が清廉の士のように見え、親しみと敬意を抱く事が出来た。すると耳慣れない声が聞こえた。『「七人の侍」の百姓の爺様に似ているとよく言われる』一瞬この声が自分の独白なのか、目の前の蜘蛛のものなのか混乱した。爺様は清廉の士と呼ばれたことに、こそばゆさを覚えているようだった。「蜘蛛の肺は一対あり書肺とよばれる。肺の姿が本の頁に似ている為、その名が付けられたそうだ」。私はおそらく目の前のアシダカグモと会話しているのだろうと察した。微かに上下に動く腹部から蜘蛛の呼吸が伝わった。それでもアシダカグモには、直接私と会話しているような仕草は全く見られなかった。彼の六つ眼もどこに焦点を合わせているのか皆目見当も付かなかった。蜘蛛はただただもくもくと綿雪を食べているだけだった。「蜘蛛の命綱。しおり糸」。しばらくして再び声が降りてきた。蜘蛛の腹部の先、出糸突起部から白い糸が机の上に垂れ下がっていた。それは不動の八本の脚と異なり、オナガザルの尻尾のように長く器用で、指揮者のような繊細な動きを見せていた。
アシダカグモが口にしている綿雪は一枚の和紙のように見えた。触肢で支えられた綿雪は、アシダカグモの軀の下へ敷物のように延びていた。それは鋏角の下で少しめくれ口に運ばれていた。蜘蛛の咀嚼は牛が草を食むようなもぐもぐと反芻する動きだった。その口は鋏角の奥に隠れていて、その見えない蜘蛛の歯はなにやら静謐で精巧なシュレッダーを私に想い浮かばせた。綿雪の上にはところどころ何かシュメール文字のような楔形の紋様があった。私はおそるおそるアシダカグモの鋏角の前に右手を伸ばした。椅子と机が私の体に馴染んでいることに気付いた。知らぬ間に私の体が小学生のように小さくなったのか、それとも椅子と机が私の身体に合わせて大きくなったのか分からなかった。机と椅子に一瞬気を取られると、アシダカグモの口に私の手が十分にはまる事に気付いた。その気になれば私の手を捕獲し蜘蛛の「体外消化」を行うことが出来た。「体外消化」とは蜘蛛が獲物を捕獲した際、噛口から消化液を注入し、獲物の体内の体液を溶かしジュースにし後で吸うことだった。体液を吸われた獲物は体躯が干からびることなく空っぽになった。少しだけ背筋が寒くなるのを感じ、私は伸ばした手を引き戻そうか考えた。それでも私はその綿雪に描かれた楔形の紋様に引き寄せられていた。目の前のアシダカグモは「体外消化」を丁寧に私に説明し、少し威嚇したにも関わらず、私の差し出した手には脇目も触れず、その紋様を解読するようにむしゃむしゃと食べ続けていた。私の親指と人差し指がその綿雪に触れるとさくりと分離した。私は綿雪を掌にのせた。それを私は豆大福だと思った。そしてためらいなく口に運んだ。その豆大福は見渡す限りの平原に孤立して立つ断崖絶壁で急峻な丘の上に私を立たせた。大地は怒りに満ち天はいまにも崩落し塵寰に帰する容相だった。私の知覚では一生切り取ることのできない世界が一瞬にして胸に広がった。この綿雪はこの教室にいるマリという生徒の独白だった。過ぎ去った強度ある時というものは、常に新鮮な詳細と新しい輪郭を開示しながらその密度を高めた。マリの持つ時は過去に支配されていた。過去は巨大な渦を巻く台風のようで、その渦の中心には空漠な眼を持った現在があった。激しい風雨を伴う過去は現在よりも妖美に輝き、現在はいくぶん輪郭が歪められ空洞を作っていた。その拒絶と犠牲の輝きを放つ永久運動の夢を作り出していたのは父親の自死だった。父親は死してもなお、マリの命によって生かされていた。その暴風雨の中心から漏斗状の雲が垂れ下がり、そしてそれは細長く遥か彼方まで延びていた。その姿はあたかも龍のようで、その尾はしなりながら揺れその尖端のある極点に向け少しずつ移動していた。この嵐がどこに導かれているのか、マリの独白にこのまま耽りたかった。その渦に身を投じることが、それを可能にさせるかもしれないと思えた。しかしそれは叶わなかった。誰かがマリの走馬燈の明かりをふっと消したように、その竜巻に似た嵐は唐突にも消失し私は落胆した。私は私の椅子と机にいた。その椅子と机は再び私の体には小くなっていた。私は落胆の霞が晴れるのを待った。机の上にいたアシダカグモも姿を消していた。他の生徒達の気配も捕らえることが出来なかった。しかしそこには見慣れぬ光景が映り込んでいた。教師は黒板に背もたれながら煙草をくゆらせていた。他の生徒達は進路指導を終え下校したと教室の静寂が私に教えた。それは突然の排斥と孤立を私に迫り、この教室の時も永遠には続かないことを予感させた。教師は私を待っている風にも見えたが、ひとときの喫煙を楽しんでいるようにも見えた。教師の視線はこの教室ではないどこか遠くに向けられていた。
彼は1932年ヴォルガ川近くにある繊維の町に生まれ、1986年パリで客死した。私が彼の作品を知った時、彼はすでにサント・ジュヌヴィエーヴ・デ・ボワに永眠していた。彼は生前、決して多いとは言えない数の映像作品を残した。それらひとつひとつに彼の命の一部が分け与えられていた。照明が落とされ上映開始を待つ瞬間、世界は静止し沈黙した。張り詰めた緊張の中、最初の光と音が放たれると、胸の中で世界が爆縮した。私にはさきほどの落胆がまだ煙っていた。そこに高鳴る動悸が入り混じり、何が起きているのか理解できず硝煙の霞に迷い込んでいた。目の前にいるのは師と仰ぐ映画人だったが、そう語ることによって胸に生じる自らの卑俗を恥じた。彼の作品が世界との向き合い方を私に吹き込んだように、面と向かって彼と会話することは深遠な叡智をもたらす機会と信じていた。それは本質的にほとんど宗教的であり盲目的な崇拝だった。彼の作品には高い精神的な義務に対する神聖な自覚をうながす奇跡が宿っていた。その奇跡がこの教室で再現されうるかのような錯覚を私は感じていた。しかし進路指導というのは一体どういうことだろうと私はいぶかしく思った。それは教師へ向けられたものではなく、私が劣等感として感じていた彼の世界観と半端な人間との現実との落差から生じていた。その落差を解消することを奇跡と呼んだのは私であり彼ではなかった。この奇跡を疑わしく思っているのも私だった。このことは私自身が奇跡を今もどこかでまだ捨てられずにいることも暗示していた。私はこの教室に来る以前、いつぞや与えられた奇跡をポケットにしまい込んだまま、その奇跡の雷管を自らの意志で押せば良いだけの祈りさえ忘れてしまっていた。もしくはその祈りさえも揶揄しかねない程、冷笑家になっていた。私はこの奇跡をもう一度信じてみようと思った。そして彼がこの教室で指し示す光を真摯に探し出そうと決意した。
教師は厚手のオーバーコートを着ていた。ツイード生地で細かな杉綾模様があしらわれたグレイのコートだった。首の周りには黒いスカーフがかけられ、白いシャツの上に黒のシェットランドセーター、そして黒のスラックスを着ていた。それらの服は長年愛用しているらしく、少しくたびれた印象を与えた。足下の焦げ茶色の革靴もずいぶん年季の入ったもので、靴の機能性以外すべての装飾が落とされていた。ひとつひとつの品は大量生産のもので、個としての主張は控えめか、もしくは不在だった。遠くを見つめるような眼つき。深く通った鼻筋。その下に生えている鼻髭。教師が醸し出す求道者の品格が、それらの量産品を上質な服へと引き上げていた。おそらく彼は服を選ばずとも、常に彼自身でいられるのだろうと私は思った。それでも私がそれまで彼に抱いていた、天才だけが発散する畏れ多い霊気もどこかに息を潜めているようだった。教師の雰囲気はどちらかというとこの教室の壁に掛けられた深い藍色の黒板に似て、素朴で木訥な人柄に見えた。
教師は煙草を吸い終えると、コートのポケットに手を入れた。そして一本の白いチョークを取り出した。教師のひとつひとつの動きに注視した。私から声をかけるべきなのか教師の指示を待つべきなのか分からなかった。私は彼の母国語を話せなかった。それでも思考を巡らし、教師に話しかける自身の言葉を探した。いくつもの問いや想いが次から次へと浮かび上がったが、それら一つ一つを簡潔な言葉に置き替えることも、優先順位を付ける事もできなかった。教師は考え事をしながら教卓でチョークをコツコツと小さくならしていた。それまで教師は一度も私に視線を向けなかった。そのことは私自身を不安にさせ、今度は私の椅子と机がとても大きく感じられるのだった。しかしこの居心地の悪い席で、じっと進路指導の行方を見守るしか私には出来なかった。しばらくすると教卓でコツコツと音を立てていたチョークの動きが止まった。教師は私に背を向け黒板にチョークをあてた。一呼吸置くとチョークのカッカッカッカッという小気味よい音が室内に響いた。そしてその音が唐突に止まると彼は黒板消しを手に、残響を優しく誘導するかのように右腰あたりにある線を軽く消し、薬指で入念に残された線を延ばした。残響は消え薄れ閑雅な静寂に姿を変えていた。彼は私の方を振り返った。それは30秒程の所作だった。教師の切れ長の瞳はとても暗く深かった。そこに光を私は感じ取れなかった。それでも教師は私をじっくり見つめた後、軽くうなずき手に持っていたチョークを教卓に置いた。そして引き戸の方へすたすたと退出した。引き戸に取り付けられたぺらぺらのガラスがシャンと音を立て、教卓に置かれたチョークが転げ落ちた。チョークは二つに割れ、細かい破片と粉を床の上に残した。それら一連の動作の余韻に浸りながら、私は胸の中に残された小さな包みを知らぬ間に見ていた。それは明るく照らし出され、柔らかい布でくるまれていた。私はそれをゆっくり開いた。教師の吐息がこぼれた。「君の映画に足りないもの」。透明な感想が包まれていた。私は顔を上げ黒板を見た。そこには猫の顔が描かれていた。その猫はお寺で見かけるような普通の猫だった。
教師の後を追いかけるべく私は席を離れた。教室を出ると急に罪悪感に囚われ、私を硬直させた。私は席を離れるべきではなかったともろみのような教室の安堵感は私を少し不安にさせた。しかし私の身体はそれまでにない軽快な動力を身に付けていた。大胆にも身体を動かせたことが不思議に感じられた。教師の姿は既に廊下にはなかった。私はこの建物をくまなく歩き回った。二階建ての校舎は歩く度に床板がぎしぎしと音を立て、私の身体を柔らかく跳ねた。全ての階段には踊り場が設けられ、そこで踵を返すように階段は折り返されていた。踊り場で身体の向きをそのように変えられることがとても新鮮で楽しかった。階段の踏み面の先端部分、段鼻は両脇から中央に行くほど丸みを帯び、手すりも全て角が落ちていた。耳を澄ますと生徒の忙しい足音が響いてくるようだった。「皆どこへ消えたのか」私は戸惑った。教室、職員室、保健室、音楽室、美術室、用務員室、どこにも人の姿はなかった。それは下校時間をとうに過ぎた学舎だった。ただひっそりと静まり返ってはいるのだったが、かえってそこに潜む未知なる存在を際立たせた。繰り返される午後四時の不文律は、その存在の顕現を持って解かれようとしていた。夜はそこまで歩を近づけていた。「時が動く」私の鼓動は高鳴った。私は中央玄関を抜け校舎裏へ出た。裏門近くにある飼育小屋には藁が敷かれていた。そこには小鳥やウサギの姿はなかった。学校は低い石垣で囲まれ、裏には竹藪があった。私は門前に移動し校外を眺めた。裏門は土手路に面し、その下には小川が流れていた。川向こうは稲刈りの終わった晩秋の田畑が広がり、更に先には幾重にも連なった山々が霞んで見えた。人家はなく、動物や鳥の姿もなかった。学校から眺めたその景色は、なんだか映画セットの背景画のようで自然の息吹が感じられなかった。足下には白い石灰の線が引かれていた。その白い石灰の線はつい先ほど引かれたように端整で、二つの門柱を端から端まで結んでいた。人差し指と中指でその線に触れると、浅い凹みができ指を放すと膨らんだ。弾力のある石灰の線は初めてだった。指に付いた石灰の粉を怪訝な面持ちで眺めていると、石垣裏の竹藪が揺れた。何かが近づいて来るようだった。それは大きな帆船が埠頭に身を寄せるように静かに竹藪を揺らし、石垣の裏まで近づくとふっと立ち止まった。私は虎ではないかと一瞬ひるんだ。こちらに気付き、私を伺っているらしい気配が伝わった。動揺していた私は知らぬ間に愚かな思いつきをその気配に差し向けていた。「虎の尾を踏む男達」。返礼は一瞬だった。「無知の知」。足下の白線が波打つように跳ねた。刃物のような羞恥心が身を刺した。「生徒達が消えたのではなく私が望んで消えた・・・のではないか」、「君の映画に足りないのは」、石垣に飛び乗る影が、思考の放浪を引き留めた。それは茶トラの猫だった。その猫は毛艶のよい橙色の体毛に覆われ、虎のように頭と尾を結ぶ軸に直交する濃い茶の縦縞を持っていた。猫は通い慣れた足取りで石垣の上を歩き、門柱に着くと臈長けた姿勢で着座した。猫は眼前に広がる風景を前に望楼から眺めるように目を細めた。毛並み良いふさふさとした胸元から前脚はまっすぐに伸び、そこへ濃い斑紋混じる尾が襟巻きの様に添えられた。長く深い呼吸に呼応するようにその尾は時より小さく安寧に跳ねた。体毛の一本一本にまで浸潤した冷徹な観想を湛えるその姿は、なぜか果たし合いを受け入れるアレクサンドル・セルゲーヴィッチ・プーシキンを思い出させた。彼の詩「カフカスの虜」の一節が喉奥まで出掛けた。だが私はそれらの言葉をもどかしくも全く思い出すことが出来なかった。石灰のついた手を再び見つめ、そこに向かって吐息を漏らした。この門から退出するべきか考えあぐねた。投げやりな感情の小槌でくだかれた生半可な思索の残骸が散乱していた。正門から登校した記憶はなかった。つながりを喪失した無力感と、後悔という名の老廃物が交互に捨て荷のように押し寄せた。足下の白い石灰の線は波打っていた。なぜ白線が波打つのか私には理解出来なかった。しかしそれはモールス信号のように時々小さく跳ねては、私に何かを伝えているようだった。猫の尾はその信号と呼応しているように思えたが、それでも私はその信号を読み解けなかった。いくら定点観測に心を差し向けても答は同じだった。猫は相変わらず目の前の風景を見つめていた。あらゆる想念から自由になり一点をみつめているようだった。そのトラ猫を前に私はいつしか祈り始めていた。投げやりの小槌を懐にしまい、私が私として命の役割を全うできる場所を見つけられるようひたすら祈った。黄昏時の淡い光の下、地面には輪郭のおぼつかない影が貞淑に足下に寄り添い続けていた。巡り合わせの悪い一蓮托生の身の影を不憫に思うと、影はそれでも歩を続けようと想いを伝えた。そして山陰に音もなく陽が沈むように、影は明暗を失い透き通った空気に姿を変えた。私はその想いを徐に受け入れた。裏門に背を向け踵を返した。
木造校舎の中央玄関を通り抜け、旗のない国旗掲揚台を過ぎると、私は立ち止まった。10メートル程先の運動場でアシダカグモが私を出迎えていた。そのアシダカグモは私の三倍程の高さのアシダカグモだった。八本の脚は均等に八方向に伸び、その横幅は私が両手を広げた幅の軽く数十倍はあった。その六つ眼は相も変わらず、それぞれが違う方向に向けられ、私を捕らえた眼は一つも無かった。しかし不思議に全てが私に向けられているようにも思えるのだった。その触肢と鋏角に綿雪はなく、物静かに運動場に佇んでいた。身体全体を覆う体毛は、まるですすき野のようで、ところどころ溶岩のような黒い固まりから蒸気のような白い煙が立ち上っていた。六つ眼には漆喰の鏡のような艶があり、同時にそれらはどこか遠くへ繋がる洞窟にも思えた。しばらくその一つを凝視しようものなら、暗示に掛かったように私の心はいとも簡単に吸いこまれるようだった。本能からか恐怖からか、私はアシダカグモから目を逸らした。違えた視線にとまったのは、蜘蛛の背後、運動場の中央左手にある高さ15メートルほどの栴檀の木だった。葉は落ち、銀杏のような楕円形の黄色い実がなっていた。さらにその先には煉瓦造りの正門が見えた。十字路に面しているらしく、黄色い信号が点滅し続けていた。そこにも車や人の影はなかった。私は居心地が悪かった。動いて良いものかどうか計りかねた。蜘蛛の六つ眼には親しみを持っていたが、手持ちぶさたな触肢と食べ物をくわえていない鋏角はあまりの巨大さゆえ、私の身体をきゅうきゅうと縛り上げるような恐れを抱かせた。その気になれば一瞬にして私を捕食できる境界に知らぬ間に入り込んでいた。この場に居合わせた自身を慰める妄想はないものか、いつもの悪い癖に依存しようとした。「捕食されればXX、捕食されなければXX」。M字にぶら下がったパワーショベルほどの長い触肢が内側に少し揺れるだけで、あらゆる妄想は立ちのぼる前に消え失せた。その長い触肢は捕食できる間合いを、針に糸を通すような注意深さで計っていた。「君の映画に足りないのは」突然、トラ猫は姿勢を変えずに私に話しかけた。「卑しい思索に耽ることなく。一点をみつめる。言葉に囚われず。差し向ける。心を。」猫は私の胸にそれらの言霊を親授した。
蜘蛛の腹部下に大きな白い糸の絡まりが見えた。注視するとそれは大きなバスケットの形をした半透明なドームだった。私の腕ほどの幼虫が、その中を無数に蠢いていた。幼虫の透明な脚には、茶色い腕章をつけたような縞模様があった。母蜘蛛の脚の上には鉾のような二本の棘が天を指し、計十六本の棘は子を守ろうとする繁殖期の母蜘蛛の強い霊力を吹き出していた。この運動場に満ちた母蜘蛛のマナに抗わないよう、更に心を落ち着けた。
アシダカグモの周りは200メートルほどの白い周回線が引かれていた。それは小学生の運動会で良く見られるトラックだった。裏門の白い石灰の線に良く似ていた。しかしよく見るとそれは線ではなかった。それはアシダカグモの下腹部から出た長い蜘蛛のしおり糸だった。それはまるで消防車に接続された白いホースのようで、これから水が通されるのを待っているようだった。あたかも蜘蛛自身が結界を作るように、そのしおり糸は大きな楕円を描いていた。私はその周回線を迂回し、正門の方へゆっくりと移動した方が良いと結論づけた。気味悪さや親しみが複雑に入り交じった母蜘蛛の結界は、周回線上に密度の異なる空気の断面を作り出しているようだった。私は観察しながら知らぬ間に爪を噛んでいた。そこに微かな違和感を見出したのは少ししてからだった。裏門で触れた白い石灰の粉が指にはまだ付着し、石灰には似つかわしくない風味にはっと息をのんだ。この風味が何なのか思い出そうとしたが、なかなかはっきりしなかった。それは山羊のチーズのような酸味のある匂いを連想させたし、またユーカリの葉を精油したアロマオイルを思わせる清涼な匂いも喚起させた。しかし同時にいずれの二つにもあてはまらなかった。ひょっとすると周回線の内側にある栴檀の木の果実が放つ匂いかも知れないと、その憶測にたどり着くとなぜだか気分が少し軽くなった。その匂いには少なくとも心を落ち着かせる薬効が含まれていた。ビーコンが放たれたように周回線が小さく波打った。その小山の波は静かに一周し、一定の間隔で同じ動きを繰り返した。目の前をその波が通り過ぎた後、私はゆっくりとかがみ線に触れた。裏門にあった白い石灰の線と同じ感触だった。再び指についた白い粉を軽く舐めた。この粉も裏門のものと同じだった。裏門に引かれた白線もアシダカグモから切り離されたしおり糸だった。この芳醇な風味を持ってそのしおり糸と母蜘蛛を眺めると、私の心にはそれまでと違う印象が生まれていた。アシダカグモの下腹部に大事に抱かれている幼虫たちが愛おしく思えた。それら一つ一つの命は母蜘蛛の命から少しずつ切り分け与えられ、そこへ間もなく微かな光が初めて灯されようとしているようだった。アシダカグモの結界から放射されていた威嚇の気配がふっと消失した。私は吸い寄せられるように波打つ白い線の内側へ一歩踏み出していた。
私が一歩踏み出した場所は無明の闇だった。突然の暗転に目眩を起こしたのかと私は動揺した。元に戻ろうとバランスを崩しながらも一歩後ずさると、私は尻餅して地面に手をついた。目眩が収まるのを待った。視界には鶉斑のような暗い雲がゆっくりと漂っていた。そこはそれまでの運動場とは似つかわしくない場所だった。私はどこにいるのか理解出来なかった。そこは闇で雨が降っていた。見えない地面は柔らかく、手の感触から一面苔むしているように思われた。そう自分に言い聞かせるまで少し時間がかかった。視覚を急に断ち切られた知覚は他の感覚が立ち上がるまで通信障害を伝えるテレビの静止画面のように虚ろだった。突然のアドリブを要求された俳優のように触覚、聴覚、嗅覚は戸惑いながらも急拵えで脳裏に信号を送った。苔という認識を否定すると、この闇では私は私でいられなくなるような気がした。心に浮かぶ言葉や映像をそのまま受け取った。視覚喪失で得られた知覚を積み重ねて出来た塔は、拙い設計と出来合いの資材で作られた塔のようでもあった。しかし「某」という私は是とあまり大差の無い塔をこれまで作り上げてきた。それらは蜃気楼のように空漠ではあったが、それらの塔はそれはそれでいて地味ながらも温もりと艶を放っていた。頬に噴霧のような霧雨を感じた。時々、大粒の水滴が頬や身体に落ちてきた。「樹雨」だと私は思った。「森」。闇に浮かび上がっては消える綿毛のような文字を追いかけた。栴檀の木の匂い。アシダカグモがずいぶん遠い存在に感じられた。足には水たまりがあった。そこへ両手を浸そうか躊躇した。水たまり、池、河、海、想いが定まらなかった。放浪していた私の意識は、再びゆっくりと五感に戻ろうとしていた。階段の踊り場で踵を返す動作が懐かしかった。慣れ親しんだ私自身の肉体を隅から隅まで思い出そうとした。しかし視覚無くしては細部を思い出すことは出来なかった。片方の手で別の手に触れた。掌をこすり合わせながら顔の近くに寄せた。皮膚の擦れる音を聞き、皮膚の臭いをかいだ。それらの感覚を水の中にいると微かに感じた生物に向けた。足下の水からは何の返事もなく、私の心に光は宿らなかった。私は栴檀の木を思い浮かべ合掌した。「祈り」という言葉が浮かび、「記憶を手繰り寄せる行為」という返事を聞いた。時を希釈させる水。水は税吏のように記憶を徴収した。私はずっと大蛇の河を泳いでいた。私は合掌していた手を足下の水に浸した。
水たまりはほんの数センチの深さだったが、ゆるやかな流れを感じさせた。両手でその水を掬い匂いを嗅いだ。その水には栴檀の匂いが仄かにあった。私は濡れた靴を脱いだ。そのとき初めて私は上履きのままだと気付いた。足下の水は生ぬるく、足の裏にはきめ細かい砂が感じられ、しばらく静止していると水の流れが伝わった。そうやって体が少しずつ地に戻って来た。私は水辺を歩きたいと思った。腰の辺りの柔らかい地面に上履きを置き、手を地面に這わせ水辺と靴の距離を計った。水辺まで約50センチ。仄かな文字が再び浮き上がり消えた。左足を前に投げ出すと、踵からつま先までぬるい水が足を覆った。もう片方の上履きを左手に、私はゆっくりと立ち上がった。暗闇で立ち上がることは容易ではなかった。視界がない分、平衡感覚がなかなか定まらず、立ち上がっては数度尻餅をついた。ようやく柔らかい地面の上で姿勢を制御できるようになると、私は少し腰を落とし左足を軸足にして右足を踏み出す姿勢を作った。私は足先に意識を集中させ慎重に一歩先の着地点を探った。一歩だけ離れた場所も苔と湿った砂の入り交じる地だった。右足がそこに足場を固めると、私はゆっくりと重心を移動させ一呼吸置いた。そして平衡感覚を失わないように左足を右足の隣に慎重に移動させた。霧雨が止んだ。気圧が急に萎えた。なぜその突然の変化を私は感知したのか少し戸惑った。闇は予想以上に複雑だった。一瞬この闇は私ではないかと知覚が意識を掠めた。足先に集中しもう半歩だけ先の地表を探した。そこに苔の感触はなく、乾いた砂があった。つま先から踵までをゆっくり注意深く地表に着地させると、砂は生き物のように濡れた足にまとわりついてきた。身体全体を包んでいた湿度が体温をさらいながら消散した。左足はそれまで苔を感じていたが、みるみるうちに足裏の苔の感触が消え、それと入れ替わるように乾いた砂の感触が沸き上がった。瞬く間に砂はくるぶし辺りにまで絡みつき苔は完全に消失した。まるでこの闇からすべての苔が一瞬にして消滅してしまったようだった。熱風が吹き、乾いた空気が喉の湿りを乱暴にさらった。栴檀の実の香りは既になく、私の肺がその熱風を取り込むと、皮膚の汗腺が一斉に開いた。慌てて熱風を吐き出すと、鼻腔から熱い液体が流れ出た。汗のにじんだ手で鼻をこすると、べったりと鼻血のついた手が絵となって見えた。そして広大な砂漠に一人佇むシルエットが立ち上がった。高鳴る動悸が歩を戻すことを要求した。直ぐさまその要求に従い、慎重に二歩後退した。そこは乾いた砂の地のままだった。私は身体全体に冷たいものを感じ、同時に置かれた状況を可笑しく思った。私は見えない巨人となった。一歩踏み出すとそこは河で、一歩踏み出すとそこは砂漠だった。更に歩を進めると森もあり火山もあり氷河もありえた。巨人は片足で環境の変化を楽しめるとても小さな星に一人住んでいた。しかし住人はその星を見ることが出来なかった。いつか目覚める夢の中にいるに違いないと思った。私はその場に座り込み、夢から覚めようと努力した。しかしいくら辺りを見回しても光は見つからなかった。私は足下の乾いた砂を掬った。砂の付いた手を顔の前まで近づけた。何も見えなかった。私は少しやけになり、その砂を口にした。その砂には錆のような鉄の味がした。私は方向感覚を失った。それだけのことだ。改めて方向を変えこのまま進んでも、水辺に置かれた上履きから離れる可能性は大きかった。三歩圏内にその上履きはあるはずだった。しかし水辺も上履きも消失したと胸では感じていた。思い描いていた地図はここでは用を成さなかった。私はその地図の感覚を掻き消した。喪失感に囚われないように砂の上にあぐらをかいた。私はまだ地と結ばれていると自分に言い聞かせ、何かしらの変化を待つ為に心を落ち着かせようと思った。しばらくして私は消え入りそうな声を聞いた。「あれは天の恵みだったのだよ」。その声は失われた場所から響いているようだった。「なぜ水辺に沿って歩かなかった」と左手にあるもう片方の乾いた上履きは伝えた。私はその上履きを、力を込めて暗闇に投じた。上履きがくるくる回り空気を切りながら弧を描く。そんな絵を思い浮かべながら耳をすました。しかし音はついに訪れなかった。空を切る上履きの音も、着地する音も、着地によって散乱する砂の音も、いくら待っても音は生じなかった。それはあたかも上履きが手元を離れた瞬間、異なる世界に流失してしまったようだった。私は両手を合わせ、その手を祈るようにすり合わせた。皮膚の擦れる音、匂い、感触がそこにはなかった。もう一度、手をすり合わせ、顔に近づけその手で鼻を覆った。その手は鼻も顔も捉えることが出来なかった。私は深い眠りに落ちた。
「ふぅぅぅぅ、ふぅぅぅぅ」という息の長い呼吸を聞く。その呼吸音を聞くと、先ほどまで私を絡めていた不安がひとつひとつ切り離されていった。不安が一つ残らず消えてしまうことの不安さえ消えてしまいそうだった。大蛇の河は以前私にこう伝えた。「この大河の流れの先には恍惚に似た無の地帯が潜んでいる」。抜け穴に錨を降ろし私を結んでいた糸。無の地帯への入京を拒もうとしていた不安。不安はもうどこにも見つからないような気がした。拒む理由も初めからなかった。しかし私にはまだ先を知りたいと思わせる何かが存在した。その先は立ち戻ることが許されないと理解していても、そこから立ち戻り、その先を他に伝えたいという欲が残されていた。私はもう地がどこにあるのか分からないでいた。「ふぅぅぅぅ、ふぅぅぅぅ」その呼吸音が聞こえてくると、私の意識は遠のき夢見る心持ちになった。抜け穴の夢をみた。アシダカグモが顔を覗かせ、しおり糸を細長く私に垂らした。私はその糸を頼りに宙にぶら下がっていた。それは闇夜の空中ブランコで、この糸もいつかは切れると予感した。
流れ星のように糸を引くおぼつかない光が現れると、しおり糸が発光しているのだと思った。その光は至る所で流れ始め、私は夜空に輝く流星群を眺めていた。光の糸は次第に絡まり始め、それは光る蜘蛛の巣のようになった。光っては消え、光っては消え、その網は広がり絡まり続け光の繭になった。私はその核にいた。私は光る殻にいるさなぎだった。「ふぅぅぅぅぅぅぅぅ、」再び息の長い呼吸音が聞こえた。私は意識をまどろみから引き戻した。踵を返すように光る繭を後にした。実務的にその光から離れる為にまぶたを閉じた。いつの間にか引き際を私は習得していた。そう確信を得ると、私は見えない森を得ていた。肉体感覚はすでに溶け落ちていた。しかし身体に染みついた習慣は、残されたいくつかの夢や記憶を拾い上げては森の木々の枝葉に添えた。私は慎重にもう一歩だけ左に移動した。そう知覚すると南国へ向かう時期がもうそこまで来ていると皆が囁いた。夜空には数限りない瞬きが生まれていた。森はそれを数えながら夜明けが訪れるのを静かに待っていた。世界は密やかに新たな位相を組み立て始めていた。