【第六十七話】 光と闇
ライトの思わぬ大声に沈黙が流れた。窓にあたる雨音が、妙にはっきりと廊下に響く。
「……マスクさんお願いします、シンイチさんとイッチ姫様、どうか解放してください!」
胸の辺りで拳を作り、震えを抑えている。
「私……マスクさんがこんなことをするなんて信じられません」
「ライト様、何をおっしゃっている?」
ふっ、と嘲笑すると、一歩マスクが前へと出る。
「私のどこをどう見て、こんなことをするはずないとおっしゃっている? 全く理解ができぬことだ」
両手を広げふざけた様子で笑っている。だが、ライトは真剣そのもので表情を崩さない。
「マスクさんは、いつでも私を殺すことも捨てることもできたはずです。それなのに、私を殺すどころか目を治してくださいました! そんな……そんな方が、シンイチさんやイッチ姫様に対して、酷い仕打ちをするなんて信じられないんです!」
決してお世辞ではなく、本当に思っているのだろう。ライトの目は、迷うことなく真っ直ぐとマスクへと向けられていた。
その余りにも力強い視線に、思わずマスクは顔を背ける。一方で、リオとヨウはマスクを刺激しているのではないかと、注意深くじっとマスクを睨みつけていた。
「……ふっ」
丁度白い仮面を向けられ、本当の表情までは読み取れない。ただ、何か鼻で笑うような声がした。
「ふははははっ!」
突然、マスクが見たこともないような大声で笑い出した。
「ライト様! 何を滑稽なことをおっしゃる! その言い方では、まるで私が良い人間のような言い方だ! ありえぬ、全くありえぬことだ!」
笑い続けるマスクを三人はじっと見つめる。
「ははっ! 初めてですよ。私にそのようなことをおっしゃるのは。ふふ。本当に……本当に……」
マスクは顔を三人へと向ける。目を細め、気味悪く口の箸を持ち上げ笑っていた。
「見くびられたものだ!」
リオは何かを感じたのか、手早く槍を両手で持ち替えた。
と次の瞬間――マスクが目を見開き、リオに対し両手を突き出すような形になっていた。その両手の中には、黒い渦のような空気の塊が蠢いている。
その黒い渦と槍がぶつかり合い、リオとマスク、双方が力を押し合っている。
「き、貴様……!」
歯を食いしばり耐えるリオ。力に自信のあるリオでも腕が震えている。
「本気でライトさんを殺す気なのか!」
「黙れエルモ人! ……ライト様、貴方の視力を治したのはなぜか、お答えしましょうか」
にやりとマスクが口元を歪めた。
「貴方が憧れていた世界、そんなもの、薄汚れたくだらない世界だと知ってもらうためですよ! ほとんどの人間が、地位や肩書き、容姿で全てを判断する。愚かな人間ばかりだ! 貴方は幸いにも視力がなかった。だけど、疎まれたでしょう? 目の見えぬ統治者の娘、手のかかる娘だと!」
「そ、そんなこと……!」
「いいえ! だからこそ、貴方はその暗闇の世界から逃げ出したかった! だからヨウを一度、私へと差し出したのですよ!」
リオは思いっきり力を込めてマスクを突き離す。
そして、すぐに槍を構え刃先を前を突き出した。ヨウもライトの肩から離れ、リオと並んで険しい表情でマスクを睨みつける。
「ヨウ。まだこちらへ来る気にならぬか。新たな犠牲が出ても構わぬ、そういうことか?」
「ライトを傷つけたらただではすまさんぞ」
「愚かだ。だったら早くこちらへ来い」
今の攻撃は本気だった。ヨウは、これ以上マスクを刺激すれば、エルモ人かライトが犠牲になる――そう思った。そうなるより、最善の策はやはり――。
だが、ライトがそれを許さなかった。
「駄目です! ヨウさん、行ってはいけません!」
「ら、ライト! お主、何を言うておるんじゃ! 今のマスクを見たであろう? 奴は本気じゃぞ!」
だが、ライトは一歩前へ出ると丁度リオとヨウの間に立つ。視線は真っ直ぐ、マスクを見る。恐れのないしっかりとした表情だった。
「マスクさん。確かに私は、一度ヨウさんを渡してしまいました。だけど、やはりマスクさんに目を治していただいたこと、感謝しているんです」
冷たい視線ながら、マスクも黙ってライトの話に耳を傾けている。
「確かに目が見えないことで、父上や周りの方々に迷惑ばかりをかけていました。それに、どうして私は目が見えないのだろう、どうして私なのだろうと、自問する日々でした。そんな時に出会ったのが、シンイチさんとヨウさんです」
にこっと微笑みヨウをちらりと見たライト。
「お二人はとっても温かい人。見えなくても、感じたんです。私が盲目でもお二人は本当に、本当に普通に接してくれました。とても楽しかった。だって、盲目であることも、私が統治者の娘という肩書きも気にせず、お二人は私を仲間だと言ってくれました」
「ライト……」
「お二人が見る世界は、一体どんな世界なのだろう――そう思っている時に、マスクさんが少しの間視力を戻してくれました」
マスクはいつの間にか両手の魔術を解いて、じっとライトを見ていた。
「本当に、本当に眩しい世界でした。だけど、それは私にとって手を出してはいけない世界でした」
「……ふっ。やはり現実はくだらない世界だった、そう思ったわけですか?」
ライトは首を横に振った。
「……もっと強い思いが生まれてしまったんです」
「……ハギノ、ですか」
その言葉に少し顔を俯かせ頬を赤く染める。
「眩しい世界、美しい世界――暗闇ばかり見てきた私にとって、どれも心を満たすはずでした。だけど、違ったんです。やっぱり――シンイチさんを見たかった、のです」
ライトは真っ直ぐマスクを見る。
「マスクさん、どうかお願いします。お二人を解放してください! そのためなら、私はまた暗闇に戻っても構いません。……いいえ、命だって捧げます!」
「な、何を言っておるんじゃ、ライト!」
「目が見えるようになっても、何も満たされませんでした。……シンイチさんが助かれば、きっと私は満たされます。わがままだとわかっています。でもどうか! マスクさん、お願いします!」
ライトは深々と頭を下げる。それを憂い顔でマスクは眺めていた。
「……貴方は、ハギノを見たい、のではないですか?」
「……いいんです。シンイチさんが助かるならば、私はいいんです」
「ハギノのいない世界で、貴方はどう生きるのです? 貴方はまた、疎まれる存在になるかもしれぬのに、またその世界へ好んで戻る、そうおっしゃるのですか?」
その質問に、ライトは微笑んで頷いた。
「私は私らしく生きる、それしかありません」
その時だった。
王の部屋の扉が開いたのだ。皆一斉にそちらへと振り返る。だが、そこから出てきたのは王ではなかった。
「……何をしている?」
赤い杖を持ち、肩まで伸びる白髪。窪んだ目元から鋭い眼光で睨みつけていた。
「だ、ダック公爵!」
見た瞬間、ヨウは頭に血が上るのを感じた。顔が熱くなる。イッチ姫と別れる原因を作った張本人である。だが、当の本人はヨウを一瞥したものの、すぐに違う者へと向いた。
「……どういうことだ、マスク」
杖をつきながらダック公爵が近寄ってくる。その顔は深く皺を刻み、険しいものだった。
「なぜ、エルモ人とライト嬢がここにいるのだ! 私は、ヨウを連れ戻せとだけ言ったはずだ! 説明しろ!」
見ればマスクは跪き、深々と頭を下げている。
「……ダック様の部屋へと向かっておりましたので、足止めをしておりました」
「違う! 私が聞きたいのは、なぜエルモ人とライト嬢がいるのか、ということだ!」
「エルモ人は、ハギノが逃したものと思われます」
「ライト嬢はなぜいる?」
「……」
その質問に対して、マスクは頭を下げたまま何も言葉を発しなかった。
マスクの態度が気にくわないのか、怒りに震えダック公爵の顔がみるみると赤く染まり上がっていく。異様な雰囲気に、リオも思わず後ずさりをした。片手を伸ばしライトを守る。
「マスク……もう一度尋ねる……どうしてライト嬢がいる?」
「……申し訳ございません。それはお答えできかねます」
ダック公爵が杖を激しく床につける。
「どういうことだ! これからのことは他言してはならんと貴様に伝えたはず! それをこの場所にライト嬢を連れてくるなど、どう統治者たちに説明をするつもりだ! ……貴様、私の計画を潰す気か?」
「いいえ。そのような考え全くございません」
「信じられると思うのか! ……そうか、わかった。貴様を今一度信じてやろう」
ようやくマスクが顔を上げた。その顔は動揺しているわけでもなく、冷めた目でダックを見上げている。
「今この場で、ヨウ以外の人間を殺せ」
にやりと笑うダック公爵の顔を、マスクが初めて目を見開き驚きの表情へとなる。
一方、ヨウたち三人にも緊張が走る。
「……どうした、その顔は。私に仕えるというのであろう? であれば、ライト嬢とエルモ人、双方をはよう殺せ。貴様が処分すれば説明も容易い」
「……かしこまりました」
そういうと立ち上がった。
「トグを出せ」
主の言葉にマスクは白い仮面を外した。そこから、にやりと笑ったトグがダック公爵を見下ろしている。
「ダック、何を焦る必要があるのだ? イッチ姫も、ヨウの契約者もいる。もう全ての役者が揃っているではないか。この二人を今殺さなくてもよかろう」
「黙れトグ。そのような小言を聞くためにお前を出したのではない。……マスクとともにトゥルメイをしろ」
マスクの眉がぴくっと動く。
「ダック様……トゥルメイ、でございますか?」
「そうだ。どうせ殺すならばトゥルメイで魔力を生かしたほうが良い。それにトグとやればすぐ終わるであろう。こんなくだらんことに時間を割くことはない。さっさとしろ」
マスクはポケットから二つ、小さな小瓶を取り出し目の前に置いた。それを見たトグは、すぐにマスクと三人を挟むような形で移動した。
「トゥルメイ? 何をするつもりじゃ!」
「まぁ知らなくて当然だ。この魔術は俺とダックで考案した禁術だからな」
にやりと笑うトグを見て、ヨウは再びダックを睨みつける。
「ダック! どういうことじゃ! 姫はどこじゃ!」
「うるさい喚くな。心配せずとも、姫のところに連れてってやろうと言うのに」
「何?」
「だが、貴様が駄々をこねるから余計な犠牲が生まれる。全く愚かな使魔よ」
「どういう……!」
ヨウが飛び立とうとした――だが、何か壁のような見えないものが目の前にある。それはライト、リオにも同じようだった。
「こ、これはどういうことですか!」
「何かに囲まれている! ここから動けん!」
パントマイムのように、なにもない空中を叩いている。だが、それは三人をぴったりと逃がさぬように四方を取り囲っていた。リオが押したり、叩いたり、槍で叩いたりしたもののびくともしない。ライトも何か必死に叩くが駄目だった。
マスクが両手を広げる。やがてそこから青白い渦がだんだんと大きくなっていく。
何か悪いことが起こる――それはライトの身にもひしひしと伝わっていた。
「マスクさん! 出してください! ……っ!」
マスクの様子にはっとした。
それはリオもヨウも、気づかない些細なこと。ライトは見た。
一瞬、ほんの一瞬だけ――マスクが俯き、歯を食いしばり、何か苦悩するかのような表情を浮かべた。
冷たい――それがライトが盲目の時から抱いていたマスクの感想だった。声や手の感触、その存在さえも、冷たい――何も受け付けない冷酷さを持つ人間。それは、目が見えるようになって、初めてマスクを見たときもイメージ通りの人物だった。
だが、ライトはマスクに恐怖心を抱きつつも、どこか自分に似たようなそんな気がしていた。
――あの仮面をどうしてつけているのだろう。
ずっと疑問だった。あの下に大きな怪我の跡があるのも知っていた。しかし白い仮面は、マスクに対する恐怖心をより煽っている。まるで、人との交流を遮断するように――。
「マスクさん……」
そんなマスクが、今、初めて、目の前で苦しい表情を浮かべている。白い仮面の壁も超え、どうするべきなのか悩み、答えが導き出せず躊躇していた。それを一瞬、マスク自身が発信したのだ。
マスクが自分を逃がさず殺さず手元に置いていた理由――そんな考えがライトの頭を突き抜けた。
「マスクさん……シンイチさんとイッチ姫様をお願いします」
ライトは微笑んだ。
「な、何を言っている……」
思わぬライトの言葉に、マスクは言葉を詰まらせた。
そしてライトは足掻くこともやめ、ただ祈り始める。
「マスク! さっさとやらんか!」
ダックが鬼の形相で睨みつけていた。我に返ったマスクは再び両手に魔力を込める。
すると、マスクが三人の目の前までゆっくりと歩いて行く。
「……」
トグがじっとマスクの様子を見下ろしている。
「……ライト様」
マスクの呼びかけに目を開けた。一方、リオとヨウもやってきたマスクを睨みつける。が、そんな二人を見ることもなく、マスクはじっとライトを見つめる。そして、小声で囁いた。
「この場からお逃げください」
「えっ」
マスクが浮かび上がっているトグに目で合図を送る。それに対し、ふっと鼻で笑いトグが魔術を解いた。
その瞬間、三人を囲っていた壁がなくなった。自由になったことを確認したリオが、すぐさまライトの手首を握り下り階段へ向かって走り出す。
「逃げるんだ!」
リオがライトに向かって叫ぶが、ライトはマスクから目を離さなかった。
一方、ダック公爵の怒りが爆発した。
「貴様ぁ! 私に歯向かうのだな! もういらぬわ!」
赤い杖をマスクへ向けると同時に、マスクが壁へと吹き飛ぶ。その威力が凄まじいようで、ぶつかった壁から石の破片が飛んでいく。
マスクは声も出さず、がっくりと首をうなだれた。
「マスクさん!!」
ライトの叫び声に、顔だけ振り返ったリオが小さく舌打ちをする。
「くそっ! ライトさん、先に逃げろ! とにかく外へ出るんだ!」
そう言うや否や、ライトから手を離し風のようなスピードでマスクの元へ駆け寄り担ぎあげた。
ライトは言われるがまま階段を下り始める。すぐ後ろをヨウが付いて行く。
「私から逃げられるとでも思っているのか!」
リオはダック公爵を見ることなく、ライトたちの後を追いかけた。
ぎりぎり書き終えました。
次も頑張って一週間後に投稿しようと思います。