【第六十四話】 合流
途中から気を失ってしまい、真一はアラウ城のどこにいるのかわからなかった。
身動きの取れないまま、マスクとトグに連れられてアラウ城を進んでいた。が、進んですぐにマスクの魔術により意識を失ってしまった。
どれぐらいを時間が過ぎているのかわからない。まっすぐ部屋に来たのかもわからない。気づくと、どこかの部屋の一室だった。
「……っ!」
飛び起きる。周りにマスクの姿はなかった。部屋は小さな机と椅子があるだけで、ほかになにもない。真一は冷たい床に寝かされていた。
窓もあるが、外から鉄格子がしてある。おそらく侵入者を防ぐためなのだろう。そう考えると、ここはアラウ城で間違いのかもしれない。真一は荷物を確認するが、近くに弓はなかった。また、証が入っていたトートバックもない。
何かないか、胴着の懐や腰を手で確認していくと――。
懐に何か感触がある。取り出すと――触媒の袋だった。
思わず真一は全身の力が抜けた。
――これがあれば……どうにかなる!
その時だった。
ガチャ、と扉が開く。思わず真一は袋を再び懐に仕舞い込んだ。部屋に足を踏み入れた人物は――。
「マスクっ!」
「随分早い目覚めだな」
ふん、と笑みを浮かべるマスクとトグの姿があった。
◇ ◇
時間は、真一が目覚める前に遡る。
リオはマスクから逃れるため、階段を上ってすぐの扉に逃げ込んだ。真一が命がけで行った行為を、無駄にするわけにはいかない。ただその思いでがむしゃらだった。
必死に逃げ込んだ先に見えたのは、ひたすら続く長い廊下だった。左手には、鉄格子が嵌められた窓が一定間隔にある。その窓には雨が打ち付け、時折雷鳴が轟いていた。
一方、右手には一定間隔に扉が並んでいた。
「ちっ!」
扉からいつ兵士が出てくるかもわからない。リオは先の見えない廊下を走りだした。
が、ヨウはこの廊下の異様な光景に目を見開く。
「こ、ここは……」
身体をぐっと踏ん張り、リオの耳元に近寄る。身体をふらつかせながら声を絞り出した。
「エルモ人止まるんじゃ……。ここは無限回廊……この廊下に終わりはない。……止まるんじゃ!」
肩を叩くもリオは全く反応せず、ただ廊下を走る。
「おのれ……わしに、魔力が残っておれば……。言葉が通じるならば……。どこかに無限回廊を解く、鍵がどこかにあるはずなんじゃ……。このままでは……」
叫んだせいなのか、再びリオの肩に力なく身体を預ける。ヨウも体力の限界だった。魔力はゼロに近く、意識が今にも飛びそうな状態。一方、リオも怪我が完全に治ってはいない。無理をしていることなど、治療をしたヨウはわかっていた。
このままでは共倒れ。おそらく、マスクが追いかけてこなかったのは、それを見越しての判断だったのだろう。
「……おのれ。……このままでは……シンイチを救えん。イッチ姫も……救えん」
唇を噛み締める。今にも目が閉じてしまいそうだ。どうにかして、この廊下のことを伝えなければ。だが、考えれば考えるほど、瞼が重く感じる。
――誰か……こやつを……止めて、くれ。
ヨウはとうとう完全に意識を失ってしまった。力なくリオの肩に垂れさがる。が、リオはそのことを知る由もなかった。
どんどんと廊下を突き進むものの、変わらない景色を走っているだけだった。
――くそ! どうなってる!
おかしいと感じながらも、足を止めることも振り返ることもできなかった。いつ兵士が来るかわからない。リオの体調が万全であれば、多少の兵士は簡単にあしらえるだろう。だが、ここはアラウ城の中。どれだけの兵士がいるのかも想像ができない。
――どこかに身を潜めて体力の回復を待つしかない!
身を潜めそうな場所が探したい。だが、身を隠すことができない長い廊下がひたすら続く。
――一か八か、どこか適当な部屋へと進むか?
体力に自信があるリオだが、息が上がって来た。これ以上、無駄な体力を消費するわけにはいかない。だが――。
「いたぞ! あっちだ!」
突如後ろから兵士の声と、それと同時に複数人の足音が耳に届く。走りながら、ちらりと後ろを見る。
水色のローブにフードを目深にかぶっている、兵士だろう人間が五、六人追いかけてきている。リオは小さく舌打ちをして、再び速度を上げた。
だが、進めど進めど一向に変化がない。ひたすら真っ直ぐな廊下だった。リオも息苦しく、力を抜けばすぐに倒れるだろう。だが、まだ後ろから足音が聞こえるのだ。
止まるわけには行かない。が、もう身体が限界だった。――その時だった。
急に少し前の扉が、ゆっくりと開かれる。
――兵士か!
だが、止まるわけにはいかない。まだ後ろから兵士が追いかけてきている。リオは仕舞っていた銀の棒を再び槍へと変化させた。
――戦うしかない!
勝ち目はほとんどない。だが、黙って投降する気もなかった。
「うおおおお!」
叫びながら開かれた扉へと駆けて行く。だが、扉から姿を見せたのは思わぬ人物だった。
金色のおかっぱの髪。白いローブ。見覚えのある背格好。
「なっ、ど、どういうことだ……!」
だが、その人物は前とは違っている。以前は目を閉じて、盲目の少女のはずだった。だが、そこから出てきたのは――。
「え! あ、貴方は……。あっ! こ、こちらへ!」
その少女は何かに気付いたのか、自分の部屋へ来るように大きく扉を開いた。
リオは疑問を抱いたままだったが、答えなど見つかるはずもない。招かれるまま、扉の中へと倒れ込んだ。少女はすぐに扉を閉じる。
ぜぇぜぇと苦しい呼吸を繰り返すリオ。少女は静かに扉に耳をすませ、魔術が解けたことを確認した。
「……もう大丈夫ですよ。無限回廊からは逃れることができました」
「ら……ライトさんなのか。しかし、あんた……」
紛れもなくライトで間違いなかった。
が、以前見られなかった大きな瞳がリオを釘づけにする。
――どうして視力が戻っているんだ。
だが、その言葉をする前にライトが言葉を発した。
「リオさん……ですね。すぐに治療をします」
視線を合わせず弱く微笑む。リオのすぐ近くで膝をつき手のひらを身体へ向けた。すると、すぐに両手から水色の空気の歪みが沸き出てきて、ゆっくりとリオを包んでいく。
少しひんやりとした心地よさ。身体のあちこちから悲鳴を上げていた痛みは、その冷たさを感じるとともに消えていく。思わず目を瞑り、その冷たさを感じていた。
「……終わりました。まだどこか痛いところはありますか?」
その声に目を開け、身体を確認する。
手首は綺麗さっぱり元通りになっている。手のひらも滑らかに動く。リオは立ち上がり、屈伸をしてみた。先ほどとは打って変わって、何の違和感もなく身軽になっている。
「いや……ない。ありがとう」
「よかったです。……え」
ライトから表情が消える。視線が扉の前の床に向けられていた。リオも釣られてその場所を見るが、なにもない。
「何か……あるのか?」
リオに見えるはずもなかった。そこには、倒れた拍子に肩から落ちてしまった、ヨウがいたのだ。だが、ぴくりとも動いていない。
ライトはすぐに駆け寄り、両手でヨウを抱える。そっと口元に手を当てて息を確認する。
「よかった! まだ大丈夫……」
ほっと胸をなでおろすと、すぐに両手が水色の大きな泡のようになった。リオはその様子に首を傾げながら、中の様子を見てみるがやはり何もいない。
「……今ここに、ヨウさんがいるんです」
リオの様子に気づいたライトが言った。
「ヨウ? ……シンの使魔か。あぁ、そう言えばそんなことを言っていたな。逃げるのに必死で忘れていた」
「逃げる? 今、シンイチさんは……どちらに?」
ライトは顔を伏せ、表情を見ることはできなかった。
「……ライトさん、俺もシンが今どこにいるのかわからない。心配なのは一緒さ」
「ど、どうして、シンイチさんとヨウさんが、別々になっているんでしょうか? お二人に何があったんでしょうか?」
「その説明の前に……先にライトさんの話を聞きたいね」
微かにライトが震えたように見えた。
すると、ライトの両手の水色の泡が小さくなる。両手の中、眠っていたヨウがゆっくりと目を開けた。
「……ここは。……えっ」
「ヨウ、さん……」
見えたのはおかっぱ頭の金色の髪。が、眉を八の字にし目を潤ませ、今にも泣きそうな顔。
「お、お主……まさか、ライト、なのか?」
「……はい」
ゆっくりとヨウは浮かび上がった。ライトの治療のおかげで、左腕も治っている。魔力も十分回復していた。
「治療してもらったのはありがたいんじゃが……。お主、目はどうしたんじゃ?」
ヨウの問いかけに、目を伏せなかなか答えない。
「ライトさん。治療は終わったのか?」
リオの声に、初めてヨウは顔を向けた。ライトの治療のおかげで、すっかり傷の跡もない。逞しい身体となっていた。だが、少し表情が険しい。
「確か、あの洞窟の中では目を閉じ、盲目だったはずだ。そして、あのマスクとかいう男と一緒にいた。それがなぜ、今ここにいる? そして……どうして目が治っているんだ?」
リオの鋭い視線がライトを貫く。ライトは言葉も発せず固まっている。
「全く。エルモ人はおなごに対して、優しい言葉をかけることができんのかの」
そう言うと、ヨウはリオの視線を隠すように移動した。
「ライト。お主が、わしらを無限回廊から解放してくれたんじゃろう? わしも気を失っておったし、ライトがおらねば、このエルモ人はおそらく死んでおった」
ヨウは微笑みながら言葉を続けた。
「まず、ライトが無事でよかったわい。きっと、シンイチもこれを聞いたら喜ぶに違いない」
シンイチ、と言う言葉にライトはやっと顔をヨウへと向けた。涙を堪えているのか、瞳が潤んでいる。
「じゃがな、そのシンイチは、わしらを助けるためにマスクに捕まってしもうたんじゃ」
「え……マスクさんが……シンイチさんを……」
ライトは絶句したまま視線を床へと落とした。
その様子にリオは、おそらく使魔が説明したのだろうと考えた。顔はこちらに向けているものの、視線は合わず、どこか別のものへと向けられたからだ。
ふう、と短くため息を漏らしリオはライトに背を向けた。
正直、このライトのことはよく知らない。
――シンと永くいた使魔の方が話しやすいだろう。
全てのアラウの人々を信用しているわけではない。ましてや、一度目の前で裏切りを見ている。だが、目の前の少女は別だ。
リオはちらりとライトを見た。
――シンがあれだけ心配していた人だ。きっと何かあったんだろう。じゃなければ、あんな表情で……。
その時ライトは、口元を手で覆い大粒の涙を必死に堪えていた。