【第四十九話】 届かぬ思い
先ほどまで盛り上がっていた観客はそのまま、中央に対峙する雛をはやし立てるかのように声援が飛び交う。奥で観覧するオディは、ひじをつき口元を緩めたまま眺めている。客席に目を移せば、盛り上がる観客席の中、真一とライトだけが席に座り真剣な眼差しを送っていた。
様々な視線を集めている当人たちは、睨み合ったまま微動だにしない。移動の雛は箱を閉じたまま、飛び跳ねることもなくただの箱となっている。ピィも飛ぶこともなく、じっと雛を睨みつけていた。
「おい! おまえらさっさと戦え!」
そんな声が客席から上がり始めた。歓声だった声は、すぐに罵声へと変化してしまう。急かすような言葉が次々と降りかかるが、ピィは冷静だった。
移動の雛は最も謎が多い雛。それはパラッグの雛を生み出す人間の中に、雷魔元素を持っている人間が少ないためだった。また、第三段階となると、魔天族や王族の位にではないと生まれない。目の前の移動の雛が、誰の手から生まれたのかも謎である。が、それは今の戦いで追及すべき点ではない。
どうやって試合に勝つか。
考えたところで、ピィにできることは風を生み出しダメージを与えるだけだった。だが、微動だにしない雛も何か気味が悪い。
――それでも仕掛けなければ。
意を決し、ピィは宙へと舞い上がった。そして、大きく翼を仰ぎ風を貯め込んでいく。
身体の周りに風がまとわり、ピィを中心に大きな竜巻へとなっていく。その様子に客席からも歓声が上がる。
そして、一気に翼を大きく前に仰ぎ竜巻を雛へと飛ばした。
吹き荒れる風は広場全体にわたり、観客の服や髪が大きく乱れている。それでも目線だけは離れず、一点に注目した。
竜巻が雛を襲う。――しかし。
「馬鹿者」
言葉とともに大きく箱を開く。中は真っ暗だった。がしかし、変化しまるで鏡のようになった。襲うとする竜巻が映し出される。
「えっ」
――その瞬間だった。
放ったはずの竜巻が逆走し始めたのだ。予想だにしない竜巻の進路に、その場から逃げることができなかった。
ピィは自ら作り上げた竜巻に巻き込まれ、バランスを崩し巻き上げられてしまう。
「ピィ!」
真一の叫び声が竜巻の轟音にかき消された。抜け落ちた羽根がひらひらと宙を舞う。
物のように空へと舞い上がったピィは、そのまま地面へと激突した。ざわつく広場の中心に、羽根を無造作に広げたままぐったりと倒れている。
「第二段階の召喚の雛。余は何もしない。どんどん攻撃するがいい。それら全てお前に返し、どれだけ低魔力か味わせてやろう」
回復の雛とは違い、流暢な話し言葉が聞こえた。
その声に反応したようにぴくっと翼を動かす。そして、ゆっくりと翼を折りたたみ足を踏ん張り立ち上がる。
「……ずいぶんと……生意気な雛ですね」
「生意気? お前に無駄口を叩く暇はない。さっさと攻撃してこい。余を楽しませろ」
いつもの光沢のある羽根ではなくなり、羽根が抜け乱れている。それでもピィの目にはまだまだ生気は宿っていた。一方で、雛は箱を開けたり閉めたりするだけで表情というものがない。あるとすればしゃべる言葉のみである。
「……言われずとも……しますよ!」
叫ぶとピィは翼を仰ぎ、かまいたちのような薄く鋭い風を雛に放った。
だが、先ほどと同じように雛が箱を開くと、そこに鏡がある。同じように鏡に風が映ると、また逆行しピィに跳ね返したのだ。今度も避けることができず、鋭い風はピィの翼を切り裂いた。――茶色の羽根に赤い血が染み渡って行く。
「……なっなぜ……」
「馬鹿者。どう見ても余が跳ね返しているに決まっているだろう。もっと別の攻撃を仕掛けてこい。……む。なるほど、お前の攻撃手段は風しかないのだな」
的を得ている言葉に、ピィは言い返すことができなかった。それに、飛ぼうにも羽根を傷つけられてしまいうまく力が入らない。ぐっと嘴を噛み締め、痛さと苛立ちを隠す。
「やはりそうだな。……情けない。余を満足に楽しませることもできないか。所詮、召喚の雛、第二段階の姿か」
そう言い終えると、雛は今までの中で一番大きく箱を開いて見せた。そしてそのままの状態で一気にピィの真上に飛び上がる。
「お前の存在価値はない。このまま消えてしまうが良い」
「なっ……なんですって!」
迫りくる箱。大きく開いた箱の中に光はない。
――このまま呑まれてしまえば終わってしまう!
そう思ってはみても身体が言うことを聞かず、翼を広げることができない。頭上から雛が無情にも迫りくる。焦る気持ちの中、ピィは咄嗟に真一の方に顔を向けた。
盛り上がる客席の中、二人が心配そうに眺めていた。真一は叫んでいるのか大口を開け、ライトはひたすら手を組み祈りを捧げている。
――このまま死ぬわけにはいかない!
ピィはぐっと足を踏ん張り横へと転がる。
すると、すぐさま雛が落ちてきた。箱の蓋をぱっくりと開いている。もし、そこにピィがいたならまるごと飲み込んでいたに違いなかった。
ほっとしているのもつかの間、すぐに雛の声が届く。
「……無駄だ」
ぴょんと飛び上がると、雛は正面へと向き直った。そして大きく箱を開く。
「翼を奪われた雛に、何の取柄がある?」
身体がいきなり箱の中に向かい、強く引き寄せられ始めた。吸い込むような風が箱の中から来ている。
ピィは咄嗟に普段使わない足を使い、懸命に地面に踏ん張った。鉤爪を地面へと突き刺しなんとか身体を踏ん張らせるが、じりじりと流されていく。足は震え今にも力が抜けてしまいそうだった。それでも嘴を噛み締めながら、翼の痛みを堪え必死に耐えていた。――しかし。
「ご苦労であった」
雛からそんな声がした途端、吸い込む勢いが増した。さっきの比ではなかった。後ろから誰かに押されるような感覚となる。
「っ!」
鉤爪の一つが地面から離れる。踏ん張る足はすでに限界だった。逃げようにも翼に力はない。浮く身体。それに耐えきれず最後の鉤爪が地面から離れてしまった。
「……ごめんなさい」
聞こえはしない、それでもピィは呟いた。目に映るのは真っ暗な箱の中。
ピィにはもう逃げる力は残されていなかった。その言葉は、最後に諦めてしまったことに対する、真一への謝罪だったのかもしれない。
◇ ◇
死とは一体何なのだろう。生まれてくることに意味があるのなら、死ぬことにも意味があるのだろうか。
……今更こんな考えを巡らすのもおかしな話ですね。答えを見つけようと意味はないのに。
それでも――死ぬことに意味があるのなら、私にとってその意味は真一さんのためになるのでしょうか。
もし生まれ変われるなら、もう一度真一さんのそばにいたい。
生まれ変われなくても、そばにいたという記憶があれば良い。
……真一さんも私のことを、頭の片隅にでも覚えてくださればいいなぁ……。
何の役にも立てなかった私でも、もう一度ご一緒していただけるなら――。
その時は必ず力になります。
そしてまた、よろしくお願いしますね。
◇ ◇
移動の雛はピィを箱の中に閉じ込めると、そのまま飛び跳ね元の位置に戻ってしまった。そして、再び口を開くがピィはすでにいなかった。
「移動の雛、勝利! 今大会優勝、移動の雛!」
一気に沸き上がる歓声。と同時に拍手が沸き起こる。だが、その中で真一とライトだけは言葉を発することができずにいた。
一体何が起きているのか――頭で整理しようにもできない状態。広場にピィの姿がない。
しかし、広場はそんな二人に構うことなく盛り上がる。そして、統治者オディも歓声に押されるように席を立ち中央へとやってきた。
「今大会も優勝は移動の雛……か。まぁ当然のことであろう。短い試合時間ではあったが、時間がそのまま移動の雛の強さを示すこととなった良き試合であった。見事である」
統治者は移動の雛の隣にいた。満足げに口元を緩め笑っている。
「移動の雛に拍手を。皆もご苦労であった」
優勝した移動の雛に対する拍手と、観戦し無事大会が終了したことに対する拍手。沸き上がるような拍手は無事に大会が終了したことを意味していた。
が、真一たちは違う。
呆然とした表情のまま動かない真一とライト。ライトも見えはしなかったが、聞くだけでも状況が目に浮かぶ。
「あ……あの……し、シンイチさん……移動の雛が優勝って……。そ、それでは……ぴ、ピィさんは……」
言葉が震えていた。嫌な予感しかしなかった。
真一もライトの言葉に反応をせず、ただ呆然と移動の雛を見ていた。――あの雛に呑まれたピィはどこへ行った……?
気づくと勝手に身体が動いていた。
真一は素早く階段を駆け降りると、一目散に移動の雛へ向かって走っていた。もしかしたらあの中にまだピィが閉じ込められているのかもしれない。そう思った。いや、そうだと信じたかった。
「おい! ピィを出せ!」
乱暴に移動の雛を掴む。突如現れた真一に、統治者はムッとした表情となった。
「貴様、何者だ? いきなり余の目の前に現れるとは無礼な奴め」
「うっせぇ! おい! ピィを出せっつってんだよ!」
統治者には目もくれず、真一は黒い箱に向かって叫んだ。顔も何もないただの箱――移動の雛は箱を閉じたまま無反応だった。それでも、真一は手に力を込めグッと握り締める。
「聞いてんのか! どこにやったかって聞いてんだよ、答えろよ!」
「下がれ! 無礼者!」
すぐ真横からそんな声が聞こえたと同時に、急に吹き飛ばされてしまった。誰かに投げ飛ばされたかのように、真一の身体は簡単に広場の端まで飛んで行ってしまった。そのせいで背中を強く打ち、真一は少しその場にしゃがみこんでしまった。
「わかったぞ、貴様、召喚の雛の主だな。……ふん。今更何を言っている? この大会の勝敗はどちらかが死ぬまで続くのだ。勝敗が決まったということは、貴様の雛はすでに死んだということだ」
一瞬で頭が真っ白になる。
『すでに死んだ』
真一はその場座り込んだまま何度も言葉を反芻した。目を見開き微動だにしない。
「……その様子だと知らなかったのだな。憐れな奴だ。何の目的で今大会に出場したのかは知らぬが、何事も事前の調べが必要ということだ。良い学習となったな。次回、また参加するが良い」
統治者は真一に背を向けると、そのまま広場から立ち去ろうとする。それを移動の雛が後から追いかけて行った。
観客たちも何事かと、真一の様子を眺めていたが、一向に動かない真一に飽き徐々に広場から去っていく。満員となっていた広場から人が去って行き、やがて広場には真一とライトのみとなっていた。
大会は静かに幕を閉じる――二人だけを残して。