【第四十七話】 優しい雛たち
静まる広場。軽い傾斜部分は階段のようになり、そこに数えきれないほどの人々が試合開始を待ち望んでいる。その中央――ピィと回復の雛が対峙していた。
ピィを見下ろす回復の雛。雛という言葉が似つかない、人型の雛である。水色の肌。ふわふわとする薄く透けたドレスは、太陽の日差しにより一層輝いて見えた。目に瞳はなく、何を考えているのか、それさえもわからない幻想的な雰囲気を漂わせていた。
「では、始め!」
真紅の男の声が広場に響く。
と同時にピィは翼を広げ、一気に空へと舞い上がった。
音もなく空へと舞い上がる姿に、観衆は釣られるように空を見上げる。その中に真一の姿もあった。
「……ピィ頑張れ……」
呟いた真一の横で、ライトはひたすら祈りを捧げていた。
ひたすら高く高く舞い上がる。近づく太陽の光と暑さを感じながらピィは考えた。
相手は回復の雛の第三段階。ピィ自身、第三段階がどのような相手であるかは十分承知している。回復の雛だから攻撃手段がない、そんな憶測はもってのほかだった。
一見人間のように見える雛。薄く微笑むその顔に邪気はない。ピィにも恨みはない。だが、試合はどちらかが死ぬまで続くのだ。
――初めから全力でいかないと死んでしまう。
グッと翼に力を込めた。そして半回転をし、今度は太陽を背に一気に急降下を始める。眼下に見える広場が小さく見えた。
狙いは一点。水色の女。
視線をそれ一つに集中し、急降下しながら翼に風を貯め込んでいく。風を切る轟音がピィを包み、かかる重力がさらに速度を上げた。どんどんと近づく地上。近づくにつれ、観客全員が注目しているのが見えた。
一方で、雛も表情を変えず、黙って空を見上げピィの行方を追っていた。
すると、遠くから何かが落下するような音が聞こえ始めた。逆光の中見えたのは、翼を大きく広げた鳥――紛れもなくピィだった。それに気付いた観客たちからは再びざわめきが起こり始める。
そんな中、雛は静かに片手を口元へやった。手のひらを広げ、まるで息を吹きかけるような姿勢だった。
ピィにもその姿は確認できた。しかし、気にせずそのまま雛へと向かっていく。
ぶつかるその瞬間だった。
雛は目の前にピィが迫った時、ふぅっと息を吹きかけた。息ははっきりと見える青色で迫るピィをそのまま包み込む。目を見開き翼を広げていたピィだったが、包まれた瞬間その勢いを失った。と同時に、雛は両手を空へ向かって伸ばした。――すると、雛から一気に青い空間が広がりそれはピィをも巻き込む形となってしまった。
「ピィ!」
真一は思わず立ち上がり叫ぶ。広場の中央に小さな青いドームのような半円が、くっきりと出来上がっている。しかも中まで確認することができなかった。
「シンイチさん、きっと大丈夫です……大丈夫です」
そう呟くライトだったが、声は弱々しく合わさる手に力が入っていた。
ピィの目の前に広がっていたのは、真っ青な空間だった。他になにもない。勢いよく急降下していたはずなのに、今は身体は勢いを失い止まっている。いつの間にか地面へ降り立っていた。
「……アナタ、ナゼ、タタカウ?」
片言のような言葉が上から聞こえた。ハッとして声のする方を見ると、いつの間にか雛が立っている。口元を緩めたまま微笑んでいた。
驚いたピィは思わず身を引いた。雛と距離をとり、翼を広げ警戒心を露わにする。
一方で雛は小首を傾げるだけだった。殺気を全く感じさせない。
「モウイチド、キク。……ナゼ、タタカウ?」
「……」
同じ言葉を繰り返す雛に、ピィは黙ったまま答えなかった。
なぜそのようなことを聞くのか、聞いて何になるのか――そんな疑念だけが頭に浮かぶ。
そんな質問よりも、今の状況がピィには不安だった。
この青い空間の中で、雛は一体何をしようとしているのか。周りを見ても青一色で、隠れる場所もなければ物音もしない。雛の術中に嵌ってしまったと思った。
ならば――と、ピィは突如浮かび上がり翼を大きく仰いだ。羽音が無音の空間に響き、そこから風が発生する。翼に集まる風は増えて行きやがて竜巻となる。翼の中渦巻く風をそのまま大きく仰ぎ、真っ直ぐ雛に向かって放った。
しかし雛は慌てる様子なく口元に手を添えた。そして先ほどと同じように息を吹きかけたのだ。
向かってくる竜巻と吐き出された青い息がぶつかる。すると、形のないはずの竜巻が青い息の中に固まってしまった。
「ワタシ、シツモンシタ。……ナゼ、タタカウ?」
固まった竜巻はそのまま地面へと落ちていく。それを見届けた後、ピィは険しい眼差しを雛に移した。
戦う姿勢を感じられない。ただ微笑み答えを待っているように見えた。
――このままでは埒が明かない。そう判断したピィは宙に浮いたまま答えた。
「……主に恩を返したい。だから戦っているんです」
「オン?」
すると、微笑んでいた口元がなくなり真顔へとなった。そのまま言葉を発さず、呆然とピィに顔を向けている。瞳がない分、真顔の表情が全くの無表情に見えた。何を考えているのか全くわからない。
ピィはますます警戒を強め、少しずつじりじりと後ろへと下がって行く。回復の雛とはいえ、攻撃されてしまえば命を奪われてしまうかもしれない。そんな風に考えていた最中だった。
「ウラヤマシイ」
突然、雛がぽつりと呟いた。そして目から一筋の涙が頬を伝う。
「アルジ、アナタ、ヨイ、カンケイ。ワタシ、タダノ、モノ。……オモチャ」
「え」
流れる涙を前に、ピィは思わず翼を閉じ静かに地面へと降り立った。雛は涙を拭くこともなく、涙を流しながら微笑みを浮かべる。
「ワタシ、シヌ、ケド、カワリ、タクサン。アルジ、ワタシヲ、キニシナイ」
「代わりが……たくさん?」
予想外の言葉にピィは思わず顔をしかめる。だが、雛はなお続けた。
「……ウラレタ。ホントウノアルジ、ワタシ、ウッタ。……ワタシ、ヨリ、カネ。……ワタシ、カナシイ」
雛は華奢の手でそっと涙を拭う。
透き通るような美しい雛の青い肌。しかし今の状況において、その肌は青色の空間の中に消えてしまいそうなほど弱々しく見えた。
パラッグの雛の運命は、全て主によって決められる。
どんな姿になり、どんな性格になり――どんな運命を辿るのか。全ては最初に触れられた人間の手に掛っている。
ピィはそれが真一だった。自分を信じ、頼りにしてくれる――だから今、この戦いの場に挑んでいた。だが、今目の前にいる回復の雛は違った。
城下町オディによくあることなのだろう。上級階級ばかりが住むと言われるこの町に、パラッグの雛で商売をしている人間がいないはずはない。定期的に行われるこの大会も、きっとそんな人間の存在があるからこそだろう。それでもパラッグの雛は、本当の主のため、偽りの主に従う。
――歪な忠誠心がピィの心を締め付ける。
「そんな……そんなことを聞かされて……私にどうしろと言うんですか!」
翼が石のように重い。声を張り上げ、失いそうになる闘争心を再び燃やそうとする。
だが、殺さなければならない相手は同じパラッグの雛。この戦いも人間を楽しませるだけの活劇。
相手は何の罪もなく、ただ戦わされている。主の欲望のために――偽の主のために。
「同情はします! ……けど、私は命を賭けてるんです!」
ピィは再び宙へ舞い上がり、大きく翼を仰ぎ始めた。翼に風を貯め込んでいく。
憎いとも思わない相手を殺さなければならない――そんなジレンマがピィを苦しませる。
「私に向かってきなさい! 私は貴方を倒さないと進めないんです!」
そう叫ぶと大きく翼を仰ぎ、先ほどよりも大きな竜巻を作り上げた。それを躊躇うことなく雛へと放った。
轟音を響かせながら向かってくる竜巻。
だが――雛は何もしない。真っ直ぐ顔を向け微笑んでいた。
当然避けることもなく、そのまま竜巻に巻き込まれ雛の身体が大きく裂かれ舞い上がった。そして、受け身をとることなくそのまま地面へと激突してしまう。
「なっ……なぜ防御しないんですか! 戦う姿勢を見せなさい!」
倒れた状態からゆっくりと立ち上がる雛。服は竜巻のせいであちらこちらが引き裂かれ、浮いていた布もだらしなく垂れ下がっている。透き通るような青い肌も、裂かれたところから赤い血が流れていた。
「コロシテ」
切れた口元から流れる血を拭いながら、雛は静かに言った。
「ワタシ、イキル、リユウ、ナイ。アナタ、アルジ、イル、マッテル。ダカラ……」
「ふざけないで!」
ピィは一喝した。そして、雛の元まで飛んでいくと翼で思いっきり雛の頬を叩いた。
叩くこと自体に痛さはない。だが、雛は微笑みをなくし呆然とピィを眺めた。
「私は、昨日から大会で優勝することを考えていたんです! 勝敗がどちらかの命が尽きるまでと知っていたし、対戦相手が第三段階だということも知っていました! 全ては真一さんに恩返しをするため……だから私は……命を賭けても証がほしい! なのに……どうして貴方は私の戦意を削ぐようなことばかり言うんですか……!」
目を潤ませながらピィはなお続ける。
「私は本気で貴方を殺そうと思ったのに……なのに、どうして……殺してなんて言うんですか……! 私は……私は……貴方のためなんかに殺すわけじゃない!」
そう叫ぶとくちばしで何度も雛の足を突き始めた。鋭いくちばしで、すぐに足からは血が流れ始める。
「反撃しなさい……私を……本気で殺しにかかりなさい……! 私を、恨みなさい!」
何度も突くピィ。同じところを突くので、痛々しく血がどんどんと流れていく。だが、雛は叫ぶこともなく顔色を変えずピィを見下ろしていた。
雛は何かを考えるように黙り込んでいる。突くピィをやめさせるわけでもなく、その行為を受け入れていた。
すると、雛は再び口元を緩め微笑んだ。そして、両手を伸ばしそっとピィを抱き上げた。
「……戦う気になりましたか」
翼を抑えられ身動きがとれなくなってしまったピィ。鋭い視線を雛に向けるが、その瞳は潤んだままだった。
「アナタ……トテモヨイ、アルジ、デアッタ」
「私は簡単には死にません。例え翼を奪われようとも、絶対に勝ちます」
くすっと雛は笑った。目尻を下げている表情に、ピィは初めて笑ったと思った。
「アリガトウ」
そう言うと雛は思いっきりピィを上空へと放り投げた。突然のことに、ピィもすぐには翼を広げることができず上空でバランスを失う。くるくると上空で回る中、視線を雛へと移した。
見ると、雛は微笑んだ表情のまま上空に両手伸ばしている。
何をするのか――そう思った矢先だった。なんと、雛はそのまま勢いよく振り下ろし自らの胸に腕を突き刺した。
手は鋭い刃のように胸を突き破っている。水色の肌が赤く染まる。吹き出る血の雨に、青白い身体には赤い斑模様ができている。
――それでも雛は笑顔のままだった。
ピィが叫ぼうとした時、丁度青色の空間が一気に晴れた。と同時に、観客席が現れ一気に歓声が耳に届いた。
「……召喚の雛、勝利!」
男の声がした。だが、ピィにはその声は遠くに聞こえた。
先ほどまで笑っていた雛は、胸に自らの手を突き刺したまま倒れている。微笑む顔に噴き出した血が生々しくついている。――先ほどまで微笑んでいた回復の雛。
呆然とするピィの前に、雛の主が現れた。
「……負けたのか。やっぱり回復の雛は戦い向きじゃないわね……次は別のにするかぁ」
そう言うと主は背を向け、そのまま席へと戻ろうとする。ピィはすぐに後を追いかけようとした時、後ろから真一の声が聞こえた。
「ピィ! よかった……無事でよかった」
「……し、真一さん」
「あの青いバリアみたいなやつのせいで、中の様子が全く見えねぇし聞こえなかったんだよ」
「そうですか……」
真一は倒れている回復の雛に視線を移し、気の毒そうな表情を浮かべた。
「こいつ……なんで自分の手で胸を差してんだ……。なんで……自殺なんか……」
「……真一さん」
ピィの呼びかけに視線を戻した。ピィは真っ直ぐ真一を見上げている。だが、その目は薄ら潤んでいるように見えた。
「席に戻りましょう。ライト様がお待ちですよ」
「あ、あぁ。そうだな」
席に戻って行く真一とピィ。だが、途中ピィは足を止め振り返った。
倒れていた回復の雛は、真紅のローブの男たちによって運ばれていた。死体をどう処理するのかわからない。ただ――とピィは思う。
せめて主の元へ返してあげてほしい。せめて近くで眠らせてあげたい。
運ばれる回復の雛を見届けた後、ピィの目には光るものがあった。