―主の部屋にて―
広い部屋には本棚と机しかない。そこに、椅子に腰かける人物が一人。肘をつき、今か今かと報告を待っている。外は相変わらずの濃い霧が立ち込め、窓からアラウ城を見ることができなかった。暇を持て余していたが、報告の期待感がそれを相殺していた。
「……只今戻りました」
そこへ、ふっと人が現れた。すでに跪いた格好となっている。
主は身を乗り出し頬を緩ませた。
「待っていた。それで、始末はできましたか?」
主の声にその者は顔を上げた。顔半分に白い仮面をつけている男――マスクである。が、視線は彷徨い、主と目を合わせようとはしなかった。視線を落したまま口を開く。
「残念ながら……失敗に終わりました」
「何! お前とトグがいながら失敗?」
「申し訳ございません。……途中邪魔が入った上、トグが負傷しました故に……」
そう言ってマスクは両手を差し出した。その中には気を失ったままのトグが倒れている。目を瞑ったまま、手をだらりと垂れ下げていた。
「……何があった?」
それを一瞥し、主は低い声で問いただす。杖を握り締めている手の甲は、力が入っているのか血管が浮き上がっている。
それでもマスクは平常心を保ったまま、今度は真っ直ぐと主を見上げた。
「ヨウの契約者であるハギノシンイチが、召喚魔術により複数人を呼び寄せました。それらに応戦している最中に、トグは負傷した模様です」
「……お前は何をしていた」
「ライト様にある条件を出しておりました」
そう言うと、マスクはトグを前に横たわらせた。一方で、主は思いもせぬ名前に驚き眉をひそめる。
「ライト? ライトと言えば、シトモンの娘の名ではないか。……どういうことだ?」
「ハギノは、ガナオン様、エルモ人、ライト様の三名を召喚しました。また、トグをやったのもハギノ。予想以上に力をつけてきているようです」
「……ガナオンにエルモ人か。アラウ国王に逆らうとはいい度胸をしている。……まぁ良い。で、ライト嬢に出した条件とは?」
「盲目を治す代わりにヨウをこちらによこせ、と」
すると主は一変、豪快に笑い始めた。
「あっはっはっ! あのシトモンでさえも完治できんのだ。それをお前が治すだと? そのような条件誰も信じまい!」
静寂する部屋の中、その声だけが反響し響いている。それを顔色一つ変えずにマスクは見つめ続ける。
「……失礼ながらダック様。同じことを言ったライト様に対し、少しの間光を与えました」
マスクの言葉に主は口を閉ざした。そしてじっとマスクを見下ろし沈黙する。疑い眼だった。真意を探るように睨みつける。
物音一つせず、重苦しい沈黙が部屋を支配する。マスクは決して目を逸らさなかった。主も顔色一つ変えない。が、ようやくゆっくりと口を開いた。
「――私を除き回復魔術の極めた者はシトモンだ。それをお前が一瞬でも治しただと? 一体何をやった?」
その問いにマスクはポケットから小さな小瓶を取り出し、主に示した。
「これを使いました」
栓をした小さな小瓶。透明なガラスの中には何もない。ただ、ぼんやりと淡く光っていた。
「奪った生命か。……行った魔術はトゥルメイか」
「おっしゃる通りでございます」
そう言って頭を下げたマスクは、その小瓶を再びポケットの中へ忍び込ませる。そしてそのまま、頭を上げることなく主の言葉を待った。
「やはりお前は冷血に徹してはいない」
その言葉と共に大きなため息が漏れた。なお主は続ける。
「トゥルメイは禁術だ。命を奪うことは一向に構わない。だが、それを他人に分け与えるという考えは無駄だ。生命はいわば最大の魔元素。四大魔元素とは別の全くの力なのだ。それをお前に教えたのは、私の部下として認めた故だ。意味がわかるか、マスク」
「――はい」
「お前は私の手となり足となる者なのだ。その力を……」
主はそこで言葉を切ると、乱暴に椅子から立ち上がった。がたん、という大きく椅子が引かれる音が響く。
「他人に分け与えることなど言語道断! 私を侮辱する行為に匹敵する!」
それでもマスクは頭を下げたまま微動だにしない。そこに、足音が忍び寄り真横までやってきた。見えた黒い革靴は、主その人である。
「マスクよ。お前の命を奪うことは造作もないことだ。しかし、お前にはこのトグを渡した故簡単には殺せん」
先端に赤い宝石をつけた杖が、真っ直ぐとトグに向けられた。そこから青白い光が帯び、やがてそれはトグ全体を包み込む。
強く光ったや否やすぐになくなり、トグがゆっくりと目を開いた。
「……ここは?」
「私の家だ」
はっとしたトグはすぐさま身体を起こした。見下ろす主を見上げ、そしてそのすぐ横で頭を下げているマスクに目をやった。
「……ヨウを逃して戻ったのか」
トグの問いかけにも、マスクは何も言わず動かなかった。
「俺のせいで戻ったのだろう? 愚かな……」
小さく舌打ちをすると、そのままトグは浮き上がった。そして主の真正面で浮遊する。
「ダック、今回は俺のせいだ。エルモ人にカッとなってしまった。その結果がこれだ」
「……ほう」
「俺はマスクに貸しができた。もし、マスクに対し何らか罰を与えるつもりなら俺にやれ」
マスクは驚きすぐさま顔を上げた。冷めた顔でダックと対面するトグがいる。一方で主は不機嫌そうに顔をしかめていた。
「トグ。心までマスクの契約者に成り下がったか」
「違う。俺は貸し借りが嫌いなだけ。俺は俺だ」
しばらく睨み合いが続いたが、突然、主がふっと鼻で笑った。すると、そのまま椅子に戻り再び腰かける。
「……立てマスクよ」
言われた通り立ち上がる。主は椅子に肘をつき、にやりと口の端を持ち上げていた。
「トグの心意気を買い、今回は見逃してやろう」
マスクは表情を変えず、真っ直ぐ主に視線を送る。
「それにお前は使魔掃討作戦の責任者。引き続きその公務に携わってもらう」
「かしこまりました。……ヨウはいかがされますか」
「放っておきなさい。こちらに向かっているならば、向かわせれば良い。記憶が戻ろうとも、姫がいる限り意味はない。それに、力をつけてきているとは言え使魔の契約者は異星人。私の魔力に叶うことはない。……むしろ、姫の目の前で惨状を見せるのも一興だろう」
窓に雨が当たる音が響き始める。静寂する部屋の中、雨音が音楽のように流れ始めた。
確かに、とマスクは思った。この方に比べれば自分は冷血などではない。もしあの時、主が同じ状況に置かれていたなら、ためらうことなくヨウを奪い去っただろう。マスクの中で、やはり女だという躊躇いが生じていた。同じイシャイナーであるライト。そして、同じではないにしろ障害を持つ同士。片目だけでも世界が拝めるマスクより、ライトはその世界さえも失っている。
同情していたのだ。単なる気まぐれだ――とマスクは思う。ヨウさえ手に入れば良い。それさえできれば、万事がうまくいく――。
「かしこまりました。では、失礼いたします」
マスクは腰を折りおじぎをした。そして白い仮面に手を伸ばし、それを取り外す。黒い穴。そこにためらうことなくトグが中へと入った。それを見計らい再び白い仮面をつける。
すると、身体が軽くなりすっと目の前が暗くなった。トグが移動魔術をしたからである。どこへ向かうのか、答えはすぐに思いつく。
「城下町オディか」
トグは黙ったままだったが、マスクはそれを肯定と受け取った。主からは放っておけと言われたが、どうやらやはり気になるらしい。それはマスクも同じだった。
「だが、手は出すな。ダック様の命令は絶対だ」
「……ふん」
ふっと重力を感じた。それと同時に目の前が明るくなる。そこは綺麗に舗装された道の真ん中だった。行き交う人は多く、マスクたちの出現にも動じる者はいない。そのままマスクは人ごみの中に紛れた。
すれ違う度、人々は驚き少し身を引いていく。しかし、マスクは堂々と歩いた。マスクの中に感情はほとんど残ってはいなかった。他人からどう思われようが関係ない、己を必要としてくれる主にだけ従っていれば良いのだ、と考える。
と、ちらちらと視線を感じその方へ視線を流した。すると相手は驚いたようにすぐ顔を背けた。
じっと睨みつけた後、また正面を向き直す。
愚かだ、と心の中で吐き捨てた。この白い仮面をつけるようになって、ますます人はくだらない生き物だと感じる。所詮、人は外見やその者にある身分や体裁にしか目がいかない。それが世間では受け入れがたいものだとすれば、人はそれを避け見て見ぬ振りをする。自分には関係ないものだと決めつける。――全てがくだらない。
立ち止まり、ため息交じりにふと空を見上げる。真っ青の空が広がっていた。
『こんなにも眩しい世界だったなんて』
ふとそんな言葉を思い出す。そう言ったのは誰だったか。まるで、今考えたことと逆の言葉である。マスクは自嘲気味に笑うと、再び歩き始め人ごみの中に消えて行った。
次話から第五章が始まります。この先も、どうぞよろしくお願いします。
一応、今まで通り日曜日に更新をしたいと思っています。
……ですが、間に合わない場合があるかもしれません。その時はブログで報告しますのでご参照ください。なるべく、更新できるよう頑張ります。
いつもお読みいただきましてありがとうございます<(_ _*)>