【第三十話】 紅一点
◇ ◇
「全く……。暇だわ」
椅子に深く腰掛けている女は、ふうとため息を漏らした。大きな背もたれがある椅子は、彼女よりもはるかに大きい。手すりに肘をつき、ため息をもらしながら正面の扉を見つめる。
扉の外に立っている警備員は、一度も振り向こうとはしない。真紅のローブが揺れることなく、立っているだけである。誰かが駆け込んでくる気配もない。いつものように、のんびりとした時間が流れていた。
ふと、机の上の状に目を移す。一番上に大きな文字で『使魔掃討作戦』という題が付けられていた。
何を考えているのだ――それが読み終えた後の感想だった。
使魔は一度も見たことはないが、気配は時々感じることがある。サモナーにとって、使魔は切っても切り離せない関係であるのは間違いないだろう。
サモナー政策で必要とされた使魔の血。その作戦により、幾人もの使魔が血を流したそうだ。それによってサモナーの数は増え、いくらか民の生活も楽になったと報告されている。それなのに、なぜ使魔に対しこのようなことを行うのか――。
彼女は苛立ったのか、状をぐしゃりと握り締めると、そのまま床へ放り投げた。
国王の考えが理解できない。サモナー政策を発表してからどうもおかしい。発表されてから、サモナーに対し風評が立った。サモナーで王族でもあった彼女も、その煽りを受け、当時はくだらない噂に苛立ちを覚えた。同じ召喚魔術を扱うものとして、同志が貶されるのにはいささか腹も立つ。
しかし、彼女はその思いを町の発展への力とした。できる範囲で、サモナーを集めることにしたのである。
おかげで、町も険しい環境ながら豊かになった。他の町で受けやすい軽蔑の目もない。サモナーが自由に公平に扱われる町へと変貌を遂げた。
その結果が、今のおだやかな時間の流れなのだといつも感じる。山岳の冷たい風でさえも、今では心地よい。
しかし――この新たな作戦。この穏やかな時間に何かしらの影響を与えそうな、そんな雰囲気を漂わせている。
状に書かれてあった理由は一言『全ては民のため』だった。
胡散臭い理由である。民のためという理由だけで、使魔をこんな扱いにしていいものなのか。もっと他にやり方はあるのではないか。そう考えては見ても、所詮統治者だった。王のやり方に口を挟むことは許されない。コマでしかない統治者という立場。
思わず彼女は頭を抱え、再び深いため息を吐いた。床に転がる状を見下ろす。幾人もの使魔が、あの紙切れ一枚によって失われるかもしれないのだ。そう思うと心が痛む。
使魔、という言葉にふと思い出すことがあった。――あの赤色好きの男にも使魔がいたはずである。
名はトトロイ。王族の中でもっとも変わった男。
あいつのところにはどう報告されているのやら。黙っている男ではないと思うが――と耽っている時だった。
「うおっ!」
突如、机の前の空間が歪むと声が響いた。声と同時にいきなりおかしな格好をした男が、どこからともなく倒れた。彼女も驚き思わず立ち上がる。
扉の向こうにいた警備員も、突然の物音に驚いたように部屋へと入ってきた。その間に空間の歪みはなくなり、元通りとなっている。
「何者だ! どこから入ってきた!」
「えぇ! ちょ、いきなり何だよ!」
◇ ◇
真一たちが送られた場所は、部屋の中だった。真っ暗になったかと思えば、急に足元が開けそのまま床へと落下する。幸い、落下の高さも低かったことと床が柔らかな絨毯だったことから、打ち身をすることはなかった。二人が頭をさすっていると、遠くから怒声が届く。
その方向に顔を向けたと同時に、いきなり身体を押さえ込まれた。腕は背中に回され、うつ伏せにさせられる。手荷物はその場に散乱し、頭も押さえ込まれた。
「何すんだよ!」
必死に首を回そうとするが、押さえ込まれ自由が効かない。目を動かし見える範囲で状況を確認する。――どこかの部屋の中のようだ。とにかくこの状況は良くないと考え、逃げようと必死にもがく。が、頭をぐっと床に押し付けられ立てない。ただ、ヨウは捕まえられてはおらず、すっと空中へと浮かんだ。
「おぉ! こりゃなんと……」
ヨウのため息が頭の上から聞こえた。すると――。
「この部屋へ来るとは……彼――トトロイからの使者ですか」
後方から落ち着きのある女性の声が聞こえた。が、姿までは確認できない。ひたすらもがくが、どうにも上に乗る男がそれを許さなかった。頭を抑えられていることに抗議の意味も込め、真一は力いっぱい叫んだ。
「トトロイさんから移動魔術で送ってもらったんだ! 何もしねぇからどけよ!」
しん、と部屋が静まる。すると、上に乗る男あっさりと立ち退いた。すぐさま立ち上がりキッと男を見上げれば、男も眉をひそめ見下ろしている。真一は軽く舌打ちをした後、荷物を拾い集め乱れた袴を直す。
直していると、目の前に立っていた男がいきなり一礼し、部屋から出て行ってしまった。不審にそれを眺めているとすぐに後ろから声がした。
「彼が送るとは珍しい。名前は何と言うのですか?」
真一は後ろを振り向きながら口を開いた。
「萩野真一。あんたこそ――」
その姿にはっと息を呑んだ。
真紅のローブを身にまとい、胸の辺りまで伸びている黄色の髪。軽くウェーブしており、艶やかだった。顔は小さく、細身の身体であると一目でわかるが、それに似つかない大きな胸が目に飛び込んだ。ローブで覆っているのにも関わらず、誇張してるかのようにどんと大きい。
「私はこの町の統治者です。名はガナオン。それで、なぜトトロイから送られたのですか? 彼が送るなんて珍しいんですよ」
口元を緩ませ微笑んだ。よく見れば口元に小さなホクロがあり、綺麗な顔立ちに思わず魅入る。
が、真一ははっと意識を取り戻し、誤魔化すように咳払いをした。ちらりと目の前を見れば、いたずらっぽく彼女は笑っている。
「……俺、証を集めてるんです。それでトトロイさんがガナオンまで遠いから送ってやるって。――まさか目の前まで送ってくれるとは思いませんでしたけどね」
「そう、貴方のことが気に入ったのね。……あら」
統治者はじっと真一の腕を凝視した。釣られて真一自身も見てみれば、腕の胴衣の下から黒い布が出ている。
視線を逸らしたガナオンは、突然引き出しを開き、黒いバッチのようなものを取り出した。それを机の上に乗せ、前へと出す。
「証ね。差し上げます」
出されたものは、間違いなく証である。黒い光沢が輝いて見える。素直に受け取れば良いのだろうが、真一は身動きができなかった。
普通に部屋へと尋ねてきたならまだしも、いきなり現れたのだ。それに対して説明もしていなければ、その証拠も見せていない。自分ならこんな怪しい奴に証など渡さないが――そう考えれば考えるほど、証が怪しい物に見える。
頭の中で考えても埒が明かず、ちらりとヨウを上げた。何か助言をくれるかもしれない、そんな考えがあった。が、ヨウは証を見ることもなく、口元を緩めたままガナオンを見つめ続けていた。どうやら完璧に色香にやられてしまっているようだ。呆れ果て頬が思わず引きつる。――すると。
「証を渡すのはちゃんとした確信があるから。別に貴方を試そうというわけではないわ。だから受け取って」
ガナオンのはっきりとした声と、大きな瞳が真っ直ぐと向けられる。色香を漂わせていてもやはり統治者は統治者らしい。真一の考えを見抜いていた。
「――は、はい」
有無を言わさぬ雰囲気に飲み込まれ、真一も手が自然と証へと伸びた。
拾い上げれば、手のひらに収まる小さな証。これまでと変わらない形である。やっと三つ目か――そう思いながら、トートバックの中へと入れた。
「私が貴方に渡した理由は二つ」
彼女は大きな椅子に深く腰掛け、手を太ももに組み置き足を組んだ。
「一つは、トトロイが直接私の部屋まで貴方を届けたこと。これは、トトロイがよほど信用する者でない限りありえません。あの人は言うなれば変人です。好き嫌いがはっきりしていて、兵士も雇わないくらいですから。そんな人がわざわざ送り届けた――私はトトロイを信用していますし、どのような人物かに対し疑う余地もありません」
そういえばトトロイの屋敷はがらんとして、人気を感じなかった。好き嫌いのために兵士を雇わないとは――聞きながら変に納得してしまった。
「そしてもう一つは、貴方がサモナーだからです」
意外な答えに思わず首を傾げる。そんな様子にガナオンはくすっと口元を緩ませ、話を続けた。
「私自身もサモナーなのです。……すでにご承知かもしれませんが、世間ではサモナーに対する偏見の目は厳しい。その目は私自身も苦しめました。統治者という立場関係なく、サモナーという時点で人の目は変わってしまいました。治める土地を移動することになり、岩肌しかない切り立ったこの土地へ身一つでやって来ました。しかし、私は逆に――この町だけでも、サモナーが住みやすい町にしよう思いついたのです」
「サモナーが……住みやすい場所」
「そうです。場所も場所ですから、この町までやって来る民は少ないでしょう。ですが、追い返したりなどしません。全ての人を歓迎しますが、サモナーなら大歓迎です。この町は偏見のない、全ての民が平等に扱われる町なのです。――この二つの理由で、私は証を渡しました。納得されたかしら?」
大きな目を垂れ、ほくろのある口の端をにやりと上げる。小首を傾げ妖艶なその笑みに、真一は自然と頷いてしまった。――顔が火照りそうだった。このときだけは、同じサモナーでよかったと真一は心から思えた。
「……とは言え、貴方――シンイチ、くんでしたっけ。珍しい格好をなさっているのね。色々なサモナーを見てきましたけど初めてだわ。一応聞いてみるのだけど、アラウ城へは何の御用なのかしら?」
「実は、使魔がいて、そいつを前マスターに返しに行くんです」
「使魔……。では、『使魔掃討作戦』という新たな政策について……ご存知かしら?」
「え、はい。知ってますけど……あ」
しまった、と思ったがすでに遅い。
にやにやとさせているヨウの服を咄嗟に掴み、自分のところへ引き戻した。いきなりのことでヨウは不満そうに眉をひそめた。
「なんじゃい! いきなり!」
黙れ、と言葉にしない代わりに、軽く舌打ちをし睨みつけた。それを見て、ヨウはきょとんとした表情となる。が、すぐにはっとしてすぐさま背中の後ろへと隠れた。
トトロイの時は特別だった。彼自身にも使魔がいたため、使者を対峙することとなった。が、目の前にいる彼女はまた違う。統治者とはそもそも王族で、王の考えに沿う行動をする者たちのことだろう。だとすれば、『使魔掃討作戦』を忠実に実行する可能性が高い。
うっかり使魔がいるとバラしてしまった自分を後悔しつつ、ガナオンから後ずさりし一定の距離を置いた。
「知ってますけど……使魔を捕まえる、そういう意味ですか」
「警戒させてしまいましたね。本来、王の命令に従わなければいけないのですが……私は捕まえようとは思いません」
そういうとガナオンは椅子から立ち上がり、おもむろに後ろにある窓から外を眺め始めた。外は霧がかかり、白いもやに覆われている。
「使者に用心なさい。もしかしたら、町の近くにもいるかもしれない」
「え?」
身体を強張らせ警戒心をむき出しにしていた真一だったが、途端力が抜けていく。ヨウも意外な言葉に背中から顔を出し、肩へとしがみ付いた。
背を向け外の様子を伺っているガナオンは黙ったまま、そのまましばらく沈黙が流れる。窓からひんやりとした風が流れ込み、真一は思わず身震いをした。すると、タイミングよく彼女は振り返り、真剣な眼差しで真一を見据える。
「アラウ城から状が届いたのですが、もしかすると使者たちが直接来るかもしれません。ここから見渡す限り、使者の姿は見受けられません。ですが、道中にいる可能性もあります。残念ですが、私はトトロイのように送ってやることができません。ですから十分気をつけなさい」
「はい……でも、いいんですか? アラウ国王の命令なんですよね? トトロイさんは自分に使魔がいたから背いたっていうのはわかるんですけど、ガナオンさんは違いますよね?」
すると、彼女はふっと表情を緩めた。
「心配してくださるの? 貴方は……変わった人ね。捕まえようとすれば敵意をむき出しにし、気遣ってやれば遠慮がちに。ふふ、格好もそうだけど人柄も面白いわ」
目を細めて笑うその顔に、またも二人は呆然と眺めていた。窓からそよぐ風は彼女の黄色の髪をなびかせ、霧の間に差す太陽の光が艶やかな髪を照らし、より一層輝かせる。絶世の美女という言葉は、まさに彼女のためのもの、と思わせるほどだった。
「そんなに見ても、もう何も出てこないですよ」
「あ、え、す、すいません! じゃ、じゃあもう俺行きますので」
我に返りすばやく回れ右をし、出口へと足を向ける。すると、後ろから再び声がした。
「もし、使者たちに出くわし身の危険が迫ったなら、私の証を強く握り締めなさい」
「え? それはどういう……?」
「もしその時が来たならわかること。……幸運を祈ります」
真っ直ぐ真一に向けられるその瞳は真剣そのもので、それ以上彼女の口から言葉が出てくることはなかった。真一は頭を下げ、そのまま部屋から去っていった。肩に乗るヨウも視線をガナオンへと残したまま、真一とともに去った。
◇ ◇
彼女は再び椅子に腰掛け、深く息を吐いた。自分が行ったことは正しいのだと、言い聞かせるように何度か軽くおでこを叩く。ふと見れば、丸められた状はそのまま床へと転がっている。あんな紙切れ一つのせいで、今のようなサモナーが苦しむことはないのだ。
すると、再び目の前の空間が歪み始めた。思わず顔を上げ、険しい眼差しでその歪みを凝視する。
「ん、なんだ? そう睨むな。まだ何もしてないだろう」
見えたのは短いローブを着た、ターバンを巻いた男だ。――トトロイである。
彼は出迎えたガナオンの態度にむっとした表情を浮かべたが、一方で彼女は気にする様子もなくほっと息を吐いた。
「――驚いた。使者でも着たのかと思ったわ」
「俺が使者なわけがないだろう。わざわざ来てやったんだ、もっと嬉しい顔をしたらどうだ?」
「別に私は貴方なんか呼んでいないわ。……それで、何の御用?」
彼は頭を忙しく動かしながら部屋を見回している。何度も来る彼にとって、この部屋の様子など見慣れているはずだった。
その態度に疑問を抱き、ガナオンは小首を傾げた。
「何か探し物?」
「いや……俺が送った奴がいると思ったんだが……。どこだ?」
「あぁ。彼ならもう行ったわ。一応使者に気をつけろとは言ったけど……」
彼は動きを止め、ガナオンに向き直る。困ったように眉を八の字にし、低い声で唸りながら持っていた小さな袋を目の前に掲げた。
「うーむそうか。リオから渡すものがあったんだがなぁ……遅かったか」
「渡す物? それが?」
茶色の布にしか見えない小さな袋。食料が入っているわけでもなさそうである。彼はそれを机の上の軽く投げた。落ちる音も静かで、硬いものではなそうだ。
袋を手に取り持って見ると、何も感じないほど軽い。小さく振ってみれば、中からさらさらと粉末のような音がする。
「それはな、アラウにはない代物だ」
目をやれば、口の端を持ち上げにやりと自慢げに笑っている。
「もし会う機会があったなら、それを渡してくれないか。一応俺のもある。もし俺が会えば俺のを渡す。――頼めるか?」
「いいけど、これは一体何?」
「触媒だ。お前でも扱えるだろうが、お前は武器など召喚しないだろ」
「……触媒。そう、わかったわ。もし喚ばれることになれば、その時渡しましょう」
ガナオンはその袋を自分のローブのポケットの中に入れた。それを見届けると、トトロイは何もない肩に視線を移した。
「じゃあ戻るか。移動魔術頼むぞ」
どうやら使魔がいるらしく、行動を追っているのか視線が泳いでいる。しかし、ガナオンにはその姿は見えず、トトロイの様子を伺うしかなかった。初めこそ戸惑ったものの、慣れればおかしいとも思わなくなった。もっとも、この男自体が変わっているのだ。
「貴方のところにも、使者が来たんじゃないかしら?」
「あぁ来た。おかげで食費が浮いた」
意味が理解できずガナオンは首を傾げた。しかし、彼はそれ以上の説明をする様子もなく、使魔を視線で追い続けている。
「ひとまず、王がおかしいことは間違いない。……お前も見逃したのだ、気をつけろよ」
「貴方こそ」
力強い眼差しで見つめられた後、彼は頬を緩めた。片手を上げそのまま口を開く。
「じゃあな。また来る」
そして、彼はふっと姿を消した。何事もなかったかのように、再び静寂した部屋となる。
ガナオンはふうと息を吐いた。――相変わらず身勝手である。それでも嫌な気分にならないのは、彼が彼なりに気遣っているせいなのかもしれない。