【第二十八話】 忍び寄る影
「待てよ、おかしいだろ」
真一は吐き捨てるように言い放った。
「リオはここまで来る間暴れなかったし、町に入っても何もしてねぇだろ。なのになんで連行なんだよ」
不躾な言い方だった。それでもトトロイは気分を害してはいないようで、薄笑いを浮かべている。
「それが何だ? その言い分だと、俺の判断に異議があるように聞こえるが……シンイチは、俺が間違っていると言いたいのか?」
「あぁそうだよ」
間髪入れず言い放つ。リオが連行されない方法はただ一つ。拒否するほかない。だが、当人は諦めたような笑みを浮かべていた。
なぜ笑っていられるのか、真一はそんな疑問を抱いている。連行されればどうなるかわからない。それをわかっていながら、笑みを浮かべる神経が理解できなかった。足掻く行為さえ見せないリオに苛立ちさえ感じる。
一方でリオは、思わぬ言葉に笑みは消え、驚いた顔を向けている。
トトロイも真一の言葉に眉をひそめ、不愉快な表情を浮かべていた。少しの間椅子に腰掛けていたが、突然バンッと机を強く叩きつけるなり、勢いよく立ち上がる。
真一を見下ろす。威圧にも似た眼力が真っ直ぐ向けられる。心まで見透かされる眼差し。真一の意思を見定めるかのような目。
統治者としての品格なのか、一瞬にして身体が張りつけにされたような感覚になる。一つの動きも見逃さない鋭い視線。次第に視線を逸らしたくなる衝動が起こり、鼓動が足掻くように早くなっていく。真一はそれでも、半ば睨みつけながら決して目を逸らさなかった。
「……まぁよかろう」
意志が通じたのか、トトロイはふっと鼻で笑い目を伏せた。小さく息を吐くと、今度はリオを見据えた。
「どうしてこちらに来たのか、その理由だけでもお聞かせ願おうか。その理由によっては、俺がどうにかしてやる」
どかっと乱暴に椅子に身体を預けると、再び口元を緩めリオを見上げた。
「言うか言わないか。言わないのではあれば、再び縛り上げる」
有無を言わさぬような強い口調である。
リオは小さくため息を漏らすと口を開いた。
「俺は祖国では武器商人だった。素材を集め、武器を作り、それを売る。その作ったものが祖国では受け入れられず、追い出された」
「ほう、武器……か」
怪訝そうな表情を浮かべるトトロイを察したのか、リオは持っていた銀の棒を取り出した。
「なんだ、それは」
手のひらに乗る棒に顔を近づけ、物珍しそうに眺めている。一方で、真一はその棒に見覚えがあった。ヨウとトトも気づき、小さく口を開けている。
まさかトトロイに攻撃を仕掛けるのか――真一は思わず唾を飲み込んだ。そのような行動に出てしまえば連行は間逃れない。
しかしその予想とは反し、リオはあっさりと言ってのけた。
「これは武器だよ。ほら」
棒の横に小さな出っ張りがある。それを押すと、銀の棒は一気に伸びた。その先端に鋭い刃が飛び出した。その瞬間、トトロイも身を引いて驚き、唖然とした表情浮かべた。
が、槍はトトロイに向けられることなく、刃先は真っ直ぐ天井へと向けられた。
「この武器はアラウで拝借した素材とエルモで取れる鉱物を掛け合わせたものだ。色々と試したんだが、ほとんど脆く使い物にならなかった。唯一、これだけが成功した」
槍は美しかった。何かラメでも入っているのかと思ってしまうほど、全体から光っているように見える。丁寧に扱われているのだろう、柄には傷一つなく、刃もこぼれてはおらず、妖しい光を放っていた。
その美しさに息を呑む真一に対し、トトロイとトトは一層険しい表情となっていた。
「待て。どうしてエルモにいたお前がアラウの素材を持っているのだ。答えろ」
強く言い放つ姿に迫力を感じる。明らかに殺気立ち、気のせいかトトロイの周りががゆらゆらと揺れているように見えた。
リオはその殺気から逃げるかのように視線をはずし、床を呆然と眺めている。
「……何度かアラウに侵入した」
その言葉と同時に、トトロイは椅子を倒しながら立ち上がる。腕を真っ直ぐ伸ばしリオに手のひら向け、鋭い眼光を向けた。
「やはり貴様はスパイか!」
部屋の中が一気に緊張感に包まれる。
トトロイの目は部屋全体を見据えたように見開き、手のひらは何か牽制しているように動きを封じ込める。
「説明しろ。その内容によってはお前を今、動けない身体にしなければならん」
「……説明するさ」
その張り詰めた空気の中、真一は身動き一つできず立っているだけだった。直接は関係ないが無駄な動きも許さないという雰囲気を感じる。だが、リオは至って冷静だった。
涼しい顔をしてふっと息を吐く。そして真っ直ぐトトロイを見据えた。
「あんたも知っていると思うが、エルモには魔術という概念はない。目に見えぬものよりも己の力、それが考えだ。それには賛同するし、今まで必死に身体を鍛え武器を作ってきた。だが、職人という目線だと、その考えは余りに小さい」
そう言うと持っている槍を見上げた。微笑むリオに反応するかのように、槍はより一層輝きを放っているように見える。
「より良いものを作りたいと思うのが職人だ。今までの材料だけでは限界が見えていた。だから、俺は魔術が存在するアラウに目をつけ、何度か侵入しいくつかの素材を持ち帰った。……今考えてもよくできたと思うさ。その内、葉を溶かした鉄で作った槍が成功した。それがこれだ。銀色に輝き、堅さも尋常じゃない。後の素材は脆く使い物にならなかった。ようやく完成した喜びをなんとか抑えて、町の長に報告したよ。だが……長は激怒した」
リオは自嘲的な笑みを見せた。
「当たり前だよな。今でこそ戦争はないが対立しあっている二国だ。それなのに不法侵入し、その上相手の物品まで盗んで帰ってきた。そのことが相手に知られてしまえば、信用問題となり、戦争にまで発展しかねない。当然、このことはすぐに国家に通報されたよ。すぐに処罰が下され、与えられた刑は祖国追放。……馬鹿だよな。祖国のため己のためと作ったこの槍は、祖国に対する裏切りと捉えられてしまったんだ。急に馬鹿らしく思えて、足掻く気力もなくなり、そのまま国境を追い出されたのさ。で、今の状況だ」
話を終えると、リオは再び槍を小さな棒へと変化させた。
トトロイは無言のまま腕を下ろした。目を伏せなにやら考え込んでいる。しばらくそのまま間を開けた後、再びリオを凝視した。
考えを見透かすかのように無言のままである。重苦しい雰囲気の中、真一はただその様子を眺めていた。
話を聞く限りでは、侵入こそ悪いが悪意はないと感じた。より良い物を作りたい、その一心だけだったように思う。だが、それが国レベルの話で通用するのかというと、それはわからなかった。許可なく侵入し、ましてや盗みを働くなど言語道断である。この話をトトロイがどう受け止めるのか――真一はただ言葉を待った。
すると、突然トトロイは後ろを向き、窓から顔を出し外を眺めた。遠くから小さく足音も聞こえる。何か堅いものを叩くような軽い音が響き渡ると、すぐに声がした。
「トトロイ様! 派遣所でございます。どうか扉を開けてください!」
「待っていろ! すぐに開ける! ……トト、扉を開けて迎えに行け」
「うん。わかった」
いきなりの行動に真一とリオの二人は、訳が分からず呆然とした。トトロイはそんな二人を振り返り頬を緩めた。
「派遣所の役人どもが来る。さっさと身を隠せ」
「え、俺を連行させないのか?」
行動しない二人に苛立ったのか、トトロイは小さく舌打ちをした。
「俺がどうにかすると言っているんだ。さっさと隠れやがれ」
乱暴な物言いに少し驚いたが、段々と言葉の意味が飲み込めた。
つまり、連行されない。その時ようやく頬を緩め、互いに顔を見合い笑い合った。
すぐさま目に入ったベッドの下に二人が潜り込み、息を潜める。
床から響く足音は二人か三人。ばらばらと近づく足音が、部屋の手前で止まった。思わず唾を飲み込む。
「参りました。入ってもよろしいでしょうか」
「入れ」
隙間から見える足の数が丁度三人分ある。やはり予想したとおり三人やってきたようだった。見えるローブの裾は真紅と水色が見えた。真紅のローブには見たことがあるので想像できたのだが、水色は初めてである。あんな色のローブを着た役人がいたのか――水色のローブを見つめながら、心の中で妙な引っかかりを覚えた。
そのやってきた三人は、微かに息が漏らした。入ってすぐに言葉を出さないので、どうやら真っ赤な部屋に圧倒されているようだ。黙っていたトトロイだったが、苛立ったのかぶっきらぼうに言い放った。
「何だ、用事がないのなら帰れ」
「あ、いや失礼致しました! 捕まえたというエルモ人を連行しに参ったのですが……どちらでしょうか」
緊張が頂点に達する。
少しでも物音を立ててしまえばすぐに見つかるだろう。身体を強張らせ、息も止める。早く出て行くように祈り続けた。
「逃がしてしまった。俺の不注意だ」
「トトロイ様が……ですか? 珍しいですね」
「俺にも間違いはある。さぁ帰れ、俺も忙しいんだ」
「はぁ。……では私はこれで」
そう言うと、真紅のローブが入り口へと引き返していく。があとの水色のローブたちは動こうとはせず、その場に立ったままだった。
真紅のローブは出る前に一度立ち止まり、振り返った。
「言い忘れておりました。その者たちは、城からの使者です。ではお先に失礼いたします」
扉が閉まる音が聞こえた。と同時に静まり返る部屋。二人の使者とトトロイが見合っているのか、布が擦れる音一つも耳には届かなかった。
城からの使者とは一体どういう意味なのか。それが気になり、真一は少しだけ頭を動かしそっと下から状況を覗き見る。
机が丁度使者たちの上半身と重なり顔は確認できなかった。やはり二人いるようである。さらに上を見てトトロイの表情も盗み見る。――一段と険しい顔だった。
「使者だと? 何か伝言ならば状をよこせばいいだろう。直接来るとはどういう用件だ」
眉をしかめたままぶっきらぼうに尋ねた。鋭い眼光で二人を睨むように見つめている。
「トトロイ様は、四大都市統治者の中で唯一、使魔と契約者の関係に在られる方です」
「よって、今回の伝言は直にお会いし伝えるに至った所存です」
抑揚のない二人の声に何かを察したのか、トトがトトロイの肩にしがみ付いた。訝しそうな表情を浮かべ、不安そうな気持ちが見て取れる。トトロイもちらりとトトの様子を見て、再び視線を使者たちに向けた。先ほどよりも牽制するような鋭い視線である。
「……どういう意味だ。お前たち、使魔が見えるのか」
「その通りです」
その声と同時に男が腕を前に真っ直ぐ伸ばした。
「アビシャス」
手のひらから空間が歪んでいくのが見える。その歪みはすぐに向けられた者を捉えた。
その腕が引かれ視界に入ったものは、歪んだ空間に身動きが取れないトトの姿だった。
「トト!」
トトロイの叫びも空しく、目は見開かれた状態のまま腕と足は震えるだけで動く気配が見えない。声を出そうとしているのか、口元だけが微かに動いているのが見えた。そして、トトはその状態のまま二人の使者の間に無理矢理引き込まれてしまった。
「トトロイ様、使魔掃討作戦により、こちらの使魔を回収させていただきます」
余りにもそっけなく冷たい、無感情な声だった。
見る見る間にトトロイは怒りに震え、顔は赤く染まり上がっていく。唇から血が出るのではないかというほど噛み締め、手を見れば握りこぶしが揺れていた。
トトロイは迷うことなく手のひらを使者たちに向け、その手の内にすぐさま炎を作り上げた。
「ふざけるな! 使魔掃討作戦など知るか! トトを返せ!」
あっという間だった。
手のひらから放たれた炎は、目の前にいる使者たちに放たれ激しく炎を上げた。凄まじい勢いで上がる炎を目の前に、生きてはいないだろうと予感させた。一緒にいたトトは大丈夫なのかと、不安が過ぎる。がそれは意味のないものとなる。
炎が収まって見れば何もない。黒く焦げた床のみ。
「一度の過ちは報告いたしません。どうか怒りを静めてください」
冷淡な声が突如響く。が姿はない。足元を必死に探す真一だったが、トトロイは真っ直ぐ天井を見上げた。
「貴様ら逃げる気か! このトトロイをなめるな! 俺を誰だと思っている、逃れられると思うな――」
今度は両手を合わせ真っ直ぐ天井へと向ける。より強い炎を作り上げるのか気なのか――そう思った矢先だった。
「これは国王様のご命令です」
ぴくっとトトロイが反応する。しかめていた眉は解け、鋭い目は大きく開けられる。
その言葉は一瞬にしてトトロイの怒りを静まらせた。
向けられていた腕は段々と下がり、開かれた口はなかなか言葉を発さない。
「な……な、何だと。アラウ国王からの……命令、だと」
ゆっくりと俯かせた顔から見えたのは、とまどいの表情であった。視線は彷徨い、あからさまに動揺が見て取れる。
そんなトトロイを察したのか、再び二人の使者が目の前に現れた。今度は机に重なることなく顔が見えた。――二人とも目元には白い仮面を被り口元だけが見ている。
二人の間に、固まってしまっているトトの姿が見えた。目は開かれ、その視線はがっくりと肩を落とすトトロイに向けられていた。声を出せるわけもなく、微かに動く口元が必死に助けを求めているようにも見える。
しかし、トトロイは首をもたれたまま言葉を発しなかった。
すると、二人の使者のうち一人の使者がローブから一枚の紙を取り出しそれをトトロイに向けた。
「国王様の命により、使魔を回収する。これに逆らう者は反逆者と見なし身分関係なく刑を与える。――以上」
無感情な声が部屋の中に響いた。トトロイはゆっくりと顔を上げ、その紙を何度も読み返すようにしばらく見つめている。読み終えると、目を再び伏せた。唇を噛み締めている。悲痛な表情を浮かべ、拳を作り強く机を叩いた。なお強く握り締めているのか甲には筋が浮かんでいる。そしてまた机を強く叩く。
「すまん……すまない、トト」
かすれた声で、目を伏せたままトトロイは声を絞り出した。
その声に反応するように、身体の中で何かのリミッターが切れる。が、それは真一だけではなかった。
すでにリオがベッドから出ている。
使者らの後ろで槍を握り締め、大きく振りかぶり、今にも振り下ろそうとしていた。