【第二十五話】 トトの話
水溜りのそばで座り込んでいるうちに、太陽は沈み夜となった。
暑かった砂漠が嘘かのように冷え込んでいる。夜空は雲一つなく、空一杯の星が輝いていた。
ヨウと男は相変わらず寝ている。真一は、ヨウには風呂敷を掛け、男には黒いローブを掛けてやった。真一自身の身体も冷えていたが、健康上何の問題もない。腕を組み身体を丸め、寒さにひたすら耐えていた。
「寒い」
と、同じく空中で丸くなっていたトトが突然口を開いた。それまで真一とトトの間に会話はなかった。トトに対する疑念をまだ持っていたし、それを持ったまま自分の話をするなどできなかった。向こうから何か情報をくれればよかったのだが、トトは真一と会話をしようとはしなかった。
「これでも食ってろ」
そう言って持っていた渋いりんごを投げた。受け取ったトトは顔をしかめ、あからさまに嫌な顔をした。
「いやだよ。これ、おいしくないもん」
「じゃあ我慢しろ」
トトは口の先を尖らし、頬を膨らませた。すると、りんごを真一の前に投げ落とした。そしてトトもそのりんごの元へと降りてきた。
「こいつを燃やして火を起こすよ。我慢なんてできないもん」
トトはそう言うと、置かれたままのりんごを掴んだ。そのままぐっと握り締める。すると、小さな爆発音とともに、突如りんごから炎が上がった。
真一は思わず身を引いた。
「なっ何でいきなりりんごが燃えるんだよ」
「へぇ、これってリンゴって言うのかい。ふーん……。あぁ、赤いから炎魔元素を含んでいるのかと思って、炎魔元素を使って炎を起こしたんだよ。……それが何?」
「い、いや」
赤い炎に恐る恐る手をかざした。冷たくなった手にじんわりと熱気が届く。
二人はしばらくの間、暖を取った。張り詰めていた緊張までもが、暖によって和らいでいく。すると、トトが炎を見つめたまま突然口を開いた。
「……君ってチキュウから来たんでしょ?」
「え?」
久しぶりに聞いた地球という言葉に、真一は思わずドキッとした。その様子をちらっと見たトトが頬を緩ませた。
「ふふ、どうして知っているんだっていう顔をしているね。僕ら使魔は、異空間移動ができるから時々異星に行くことがあるんだ。疲れるから頻繁には行かないけどね」
トトは再び炎へと視線を戻した。
「君は異星人だから、アラウのことを知らないんでしょ。アラウの人間だったら、エルモ人なんて助けない。君はさっきの僕を見て、ひどい奴、なんて思ったんじゃないの?」
真一は黙ったまま炎を見つめた。否定はしなかった。
トトはそれを肯定と受け取ったのか、ふふっと弱く笑って見せた。
「そう思われても仕方ないね。だけど、ヨウさんはエルモ人を助けた。きっと君の意思を汲み取ったんだよ。ヨウさんに感謝しなきゃね」
ヨウは小さな寝息を立て、穏やかな表情で眠っている。
「そうだな」
「きっと、エルモ人は近いうちに目を覚ますよ。警備をしているロイの防衛を突破したんだ、それなりにできる奴だと思う」
「ロイ?」
「あぁ、僕のマスターのパラッグの雛さ。国境で一匹、警備をしているんだよ」
「へぇ……」
雛と聞いてピィの姿を思い浮かんだ。――いくら鷹になったからといって、国境を一人で守れるものなのかと疑問に思った。
と、ピィの姿がいつの間にか消えていることに気がついた。真一は思わずきょろきょろと頭を動かし、ピィを探した。
それを見ていたトトは、何を探しているのか悟ったのか口を開いた。
「召喚した者は一定の時間しか居られないんだよ。そうだね……チキュウでいう時刻なら、一時間ぐらいかな?」
「へぇ、一時間か」
「それより――」
そう言うとトトは身体を真一の方へと向けた。見上げる眼差しは真っ直ぐ真一を見つめる。
「君は僕らのことを知らなさ過ぎる。使魔にエルモ人の治療をさせるなんて、狂ってる奴が行うことだよ」
狂っているという言葉にかちんときた。
治療をしようとしただけだった。真一は眉をしかめ、見上げるトトの目を睨みつけた。
「知るわけねぇだろうが。悪いが、俺は怪我人を粗末に扱う人間じゃねぇんだよ。俺に言わせればそういう奴ほど狂ってると思うけどな」
トトも目を逸らすことなく、真一を見透かすかのように見つめてくる。
「だったら僕が教えてあげるよ。アラウ人とエルモ人、そして僕らのことをね」
そう言うと、トトは再び炎に身体を向けた。その横顔から見える目は虚ろで、それはいつか見たヨウの顔に似ていた。
りんごを種に燃えている炎は、暗闇の中ゆらゆらと揺れている。
その炎を見つめながら、トトはゆっくりと語り始めた。
「昔の使魔は、一人きりで暮らしていたんだ。魔術が自由に扱えるから生活に不自由はなかったんだ。一人で生き抜く、それが使魔だったんだ」
炎の灯りで見えるトトの横顔は、遠くを見つめ、どこか虚ろだった。
「だけど、時が経つと使魔たちの考えも変わっていったんだ。少しずつ人間に関わろうとする使魔が増え始めたんだ。僕もその内の一人さ。最初は人間は不自由な生き物だな、って思ってた。けど、一人じゃどうにもできないから群れるでしょ。それで助け合って励まし合って……僕らにはそういうのがなかったから、すごく新鮮に見えたんだ。その内人間と契約する使魔が増え始めていって、人間との関係も友好になり始めたよ。僕も今のマスターと出会えてよかったと思ってるよ」
ふふ、と頬を緩ませた。しかし、すぐにその表情は消えてしまった。
「だけど、全てがそうではなかったんだ」
絶望したような顔つきだった。感情を忘れ、ただ無表情に炎を見つめている。
ただ事ではないと感じた真一は、少し間を開け尋ねた。
「……どういう意味だ?」
「僕らを利用しようとする人間が現れ始めたんだ」
それを聞いた瞬間、真一の身体を震えが止まった。ただならぬ予感がした。真一は息を呑み、トトの言葉を待った。
トトは思い出すかのように、しばらく炎を見つめた。
そして、怒りで声を震わすことも悲しみで声を詰まらすこともなく、淡々と語り始めた。
「使魔と契約した人間は、他の使魔の姿が見えるようになる。そいつらが、僕らを乱獲し始めたんだ。僕らを捕らえて、貴族たちに僕らを商品として売ってお金を儲ける。買い取った貴族たちは無理矢理契約する者もいたし、さらに高い値段をつけて軍なんかに売る奴もいたよ。そのおかげで、僕らの意思に関係なく契約させられるようになっていったんだ」
真一はそれを聞いて『それが……最近はひどいもんじゃ……』と、呟いていたヨウの顔を思い出した。
あの時真一は、自分自身のことを言っているものばかりだと思っていた。しかし、あれは今までの使魔たちのことを言っていたのだ。何も知らなかった自分の軽率な発言を恥じた。そして何より、奴隷のような扱いを受けた使魔たちを思うと、真一は心が痛んだ。直接関係はしていないものの、同じ人間だと思うと申し訳なく思った。どのような面を向けていいのかわからず、そっとトトから顔を背けた。
「今でも、軍は戦力の底上げをするために僕らを確保しようとしているよ。契約し終わっている僕やヨウさんには関係のない話だけどね……。だけど、仲間が捕らわれるって言うのはあまり気分のいいことじゃないね」
その言葉に真一は自然と証を見つめた。一部の人間にしか知らないはずの赤いリング。使魔とマスターの証。
これがほしいがために、一体いくらの使魔が犠牲になってしまったのだろう。
「契約するとね、マスターの死と僕らの死が一緒になるんだ」
「一緒?」
胸騒ぎがした。初めから単なる証だとは思っていなかった。
再びトトに視線を戻し言葉を待つ。トトは半面を炎の灯りに照らされ、どこか暗い表情に見えた。――そして、その胸騒ぎは的中した。
「うん。つまり、君が死ぬとヨウさんも死ぬ。そういうこと」
今までの、ヨウが必死に真一を守る姿が一気に思い起こされる。身を挺して守っていた理由――やっと理解できた。
そう分かった途端、真一はなぜか苛立ちを覚えた。今までヨウに救われたことは何度かあった。それ自体は感謝している。今でも気持ちは変わらない。
しかし逆に、真一自身の危険は自らの危険だと知っていたから守ってきたのではないか。
結局は何の頼りにもされていない。ヨウにとって、自分は命の危険を広げるただのお荷物だったのだ。マスターだから助けたのではない、自分の命が危ないから助けた。真一の中で薄っすらと感じ始めていた、ヨウに対する友情に似た信頼が一気に崩れていく。
命が危ないから助けるのは当たり前、そう頭では理解できてもなぜか悲しかった。真一は静かに唇を噛み締め、拳をぎゅっと握った。
「契約させられた相手は、ほとんど軍人だったらしいんだ。僕らの力を借り、魔力が上がった軍を見て、国の幹部たちがエルモ国に戦争を吹っかけた。使魔もその戦争に同行した者も多くいたよ。けどね、いくら使魔がいて魔力が上がったって言っても、やっぱりそれまでなんだ。力に驕れるようじゃ意味が無い。元々、アラウ国の人間は魔術に頼りすぎてる。それを助長させただけだったんだ。結果、多くのアラウ人が殺されたよ。それと一緒に使魔も、ね」
トトは目を閉じ、大きく息を吐いた。
力に驕れること。きっと誰でもあることだろうと、真一は思った。自分でさえ、魔術が使えると分かった時の喜びは相当なものだった。何か武器になるものを手にすれば、強くなったように感じる。おそらく、その武器がアラウ国にとっては使魔だったのだ。真一は表情を崩さず淡々としゃべるトトに同情した。
しかし、どんな顔をしていればいいのかわからず、再び顔を背けた。
「だから、エルモ人は許せない。あいつらのせいで多くの使魔が消えた。それに……本当は軍の奴らも許せないんだ。だけど軍のことは、マスターの手前大きな声で言えないけどね」
トトは炎から視線をはずし、真一の方を向いた。
「お話はおしまいだよ。アラウ人とエルモ人と僕ら……わかってくれた?」
見上げる垂れ目は至って穏やかだった。頬を緩ませている。
真一はトトを見ずに視線を伏せたまま答えた。
「あぁ、だいたいな」
「そりゃよかった。……じゃあ僕らも寝よう。町までもう少し歩かなきゃいけないから。遅れたら置いていっちゃうからね」
会ったときのような、にこっと笑う顔を見せた。そして、そのままその場に横になりすぐさま寝息を立て始めた。
わざと明るく振舞っているのか、それとも、もう何も感じないのか。
と、タイミングよく急に元の暗闇へと覆われた。見れば、炎の種となったりんごが燃え尽きていた。灯りがなくなった後も、真一はトトを眺めたが真意はわからなかった。どちらにしろ、辛い過去を知ることができたのだ。大きく息を吐き、真一は身体を横たえた。
何も聞こえない暗い砂漠。冷たい風は、真一の身体を冷やすと同時に、心細さまで与えているようだった。
ゆっくりと目を閉じる。
どれほどの使魔が犠牲になったのか、人間を憎んでいるのか。寒さに震えながら、そんな考えが頭を巡る。力に驕れたために死んだ――真一は自分自身に言い聞かす。
――魔術に驕ることはない、今までのやってきたことを信じるだけ。使魔の荷物なんかになるもんか。
そんな風に念じ続けていると、いつの間にか眠ってしまっていた。
じりじりと、肌に感じる熱気に思わず真一は唸った。暑い。寝返りをし、仰向けへとなった。瞼越しからは容赦なく強い日差しが照りつける。
それを避けるかのように目元に腕を重ねた。意識がはっきりしない状態でも、身体はどうにか工夫をするらしい。
「――起きろ」
と、聞き覚えの無い男声が遠くから聞こえた。夢心地のまま、唸って返事をする。
「――おい、起きろ」
目元に乗せている腕に、何か冷たいものを押し付けられた。鋭いのか、一点だけに集中している。
一体誰の仕業なのか、ヨウかトトか。そんなことを考えながら、真一は不機嫌そうに返事をした。
「ああ! うっせぇな……起きりゃいんだろ」
押し当てられていたものがはずされ、真一は一気に身体を起こした。身体は起こしたものの、目はなかなか開けられない。日差しが異常に眩しく感じた。
「お前、何者だ」
今度ははっきりと聞こえた。低い男の声。ヨウでもトトの声でもない。目をこすりその声のする方を見上げた。
見えたものは、昨日倒れていた赤髪の男が槍の先端を真一に向けてる姿だった。