【第二十四話】 赤髪の負傷者
ピィは翼を畳むとさっそく言葉を発した。
「真一さん戻りました」
「おつかれ。水はあったか?」
ピィは一つ頷いた。
「ここから少し行った場所に、綺麗な水が湧き出ている場所がありました。ですがそこに少し気になる人が……」
「気になる人?」
すると、ピィは背を向け再び翼を広げた。
「人がいたんですが、身動き一つしないんです。すぐに案内します」
「わかった、頼む」
真一は渋いリンゴを手に持ったまま、ピィの後を追った。
ピィは迷うことなく進んで行った。真一は砂に足を捕らわれながらも、急ぎ足で進んで行く。
やがて、日光を反射しているような地面が見えた。反射する光に、目を眩ませながらも近づいて見ると、そこに小さな水溜りがあった。淵は大きな岩が囲み、中の水は透き通っていて、底の砂まで鮮明にはっきりと見える。底から小さな泡がいくつか浮き上がっており、どうやら水が湧き出ているらしかった。
と、その水溜りの反対側に人が倒れていることに気がついた。うつ伏せの状態で、薄茶色のローブにフードを被り動く気配がない。真一はすぐさま駆け寄った。
「おい! 大丈夫か?」
持っていた荷物を砂の上に置き、その人物の肩を持ち仰向けにした。
見えた顔は目が閉じられ、凛々しい太い眉に口は半開きの状態だった。頬には火傷らしき生々しい傷もある。
と、仰向けにしたせいなのか被っていたフードが取れた。そこから出てきたのは――赤髪の団子頭だった。
「なっ……赤髪じゃと!」
見た瞬間、真一も珍しいと思ったが、ヨウは目を見開き驚いていた。トトも険しい表情で地上へと降り、男の口元に手をやった。
「……息があるよ。まだ死んでない」
男は全身火傷を負っているようだった。薄茶色のローブは所々黒く焦げている。顔はもちろん腕やふともも、特に背中がひどかった。ローブを焼き裂き、見える肌は赤くただれ、中心部は黒く焦げていた。生きているのが不思議なほどだった。
「どうしてエルモ国の人間がアラウにおるんじゃ? 警備に穴でもあるのか!」
険しい表情でヨウは男を見下ろした。歯を食いしばり、力が入っている。
「エルモ国? ……そう言えば、マスクがそんなこと言っていたような。でもそれがどうしたんだよ」
「アラウの民は紫色の髪が特徴じゃ。そして、エルモ国は赤髪が特徴……。こやつは紛れもなく、エルモの者じゃ」
「あぁだから赤髪か。……なんでお前そこまで警戒してんだよ」
ヨウもトトも、怪我人を見守る目ではなかった。人ではなく物を見下ろしているようだった。心配するような素振りもない。倒れている男に対する憎しみのような感情が、その態度から見て取れた。
「エルモ国はトトロイから東にある大きな国じゃ。アラウ国とエルモ国との国境は長い川なんじゃが、それぞれ対岸に軍の者がおると聞く。常に睨み合いが続いておるんじゃ。……意味がわかるかの?」
「……戦争でもしてんのか?」
ヨウは目を閉じ、俯き加減に首を横に振った。
「今は……しておらん。アラウ国王は、争いをもっとも嫌う人じゃからな……。じゃが対立はしておる」
神妙な面持ちで呆然と地面を見つめていた。しばらく沈黙が流れたが、トトが大きく息を吐いた。
「……で、このエルモ人どうしようか? 気を失っているし、このまま引きずってトトロイの派遣所にでも届けようか」
そう言うと火傷をしている腕をおもむろに握り締めた。赤い皮膚に小さな手が握り締めている。
男は気を失っているため何の反応も示さなかったが、見ている真一が顔を歪めた。
「おい、そこ火傷してんだぞ。……引きずるどうこうの前に治療が先だろ。こんだけ火傷してんだ、早く手当てしてやらないと」
ゆっくりと頭を下げていき、砂の上に仰向けに寝かせた。男は口を半開きのままびくともしない。
一方、トトは握り締めている腕を離すことなく、怪訝な顔をしていた。
「ヨウさんのマスターは正気かい? 敵を治療する、なんて言った人間は初めてだよ」
「シンイチは事情を知らんからな……」
ヨウも目を伏せがちに呟いた。肩にしがみ付いたまま降りる素振りも見せず、ただ男を見下ろしている。
男がいつから倒れているのかわからなかったが、早く手当てをしなければ命に関わることは明らかだった。男の唇はひび割れ、手の甲にも火傷を負っている。
無表情のまま見下ろす二人の使魔を前に、真一は大きくため息を吐いた。そして、トートバックの中からハンカチを取り出した。
「シンイチ、何をするつもりじゃ?」
水溜りの淵へ行き、ハンカチを水の中に入れた。水分を十分に含ませた上で弱く絞る。薄い青だったハンカチは、水により濃い青へと変化した。それを手に男の元へ駆け寄り跪いた。そして、男の頬にある火傷の上にハンカチをそっと置いた。
「手当てに決まってんだろ。お前らが治療する気がないなら、俺がやる」
トトは火傷した所を握り締めていたが、真一はそれ見て無理矢理離した。トトは小さく「あっ」と言ったが、真一は無視した。ハンカチを取り、その腕の火傷に当てる。ハンカチは照りつける日差しと火傷のせいで、すでに温まっていた。
「そんなこと、やっても無駄だよ?」
真一は黙ったまま、水溜りと男の間を行き来した。火傷の箇所に冷たいハンカチを当て、冷たくなくなれば水に浸し、また火傷に当てる。
ヨウは、真一の真剣な横顔を複雑そうな表情で眺めていた。トトも、やめようとしない真一にため息を漏らした。
「……くそっ」
何度か往復した後、真一は思わず舌打ちをした。
冷たいはずのハンカチを当てても男は反応しない。顔を歪めることも、うめき声を出すこともない。真一の行為を黙って受けているだけだった。
地球にいるなら、携帯で救急車を呼んでそれで終わりだった。しかし、今携帯は持っていないし、あったとしても電話など繋がるはずもない。では応急手当をすればいいと思っても、やり方など知らなかった。知っていることは、火傷は冷やせばいいという風説だけだった。その通りにやってみたものの、余りに頼りない行為だった。
自分の情けなさに思わず手が止まる。火傷は赤いままで、治まった気配もない。
アラウ国とエルモ国が対立していようが、真一には関係のないことだった。あくまで、真一の目的はヨウを前マスターに返すことである。アラウ人だろうがエルモ人だろうが、目の前にいるのは同じ人間だった。
エルモ人だから治療をしない。真一はそんな考えが信じられなかった。意地でも自分一人で治してやろうと思った。
しかし――ここまでが限界だった。このまま冷たいハンカチを当て続けても、命が救えるとは思えなかった。あくまで、その場での処置でしかない。
真一は苛立ちを隠すように俯き、拳を振るわせた。
「もういいシンイチ」
その声にはっとして顔を上げた。見れば、大きく息を吐きながら頭を振るヨウがいた。
「シンイチは十分やった。後はわしにまかせろ。……回復魔術を施す」
「お前……」
ヨウは肩から降りた。そして男の元へ近づくと、身体の上に腕を伸ばし手を広げた。しかし、これを見たトトがすぐさま叫んだ。
「ヨウさん! どうして? これはエルモ人なんだよ! 僕らの、アラウの敵なんだよ。回復魔術を施して、逆に襲われたらどうするの!」
「その時はその時じゃ。わしら三人でやれば、縛り上げることぐらいできるじゃろ」
「そんな無駄なこと……。このまま町へ持っていけばいいじゃないか。敵なんだ、生きようが死のうが関係ないね」
トトは腕組みをし、顔を背けた。頬をいっぱいに膨らませ、気に食わないようだった。
「その様子じゃ、トトは回復魔術を手伝ってくれそうにはないの……」
「当たり前じゃないか」
ヨウは大きくため息をついた後、再び真剣な表情となった。仰向けに倒れている男を見据え、掌に力を入れる。
すると、ゆっくりと青い光が掌から膨れてくる。それぞれ片手に膨らんでいた青い光は、合わさり一つとなった。合わさった後もどんどんと膨らんでいく。そして、その膨らみが男に触れたとき、ゆっくりと青い光が身体全体に広がっていった。腹部からそれぞれ頭と足先に向かって、ゆっくりゆっくりと流れていく。
ヨウは眉間に皺を寄せ、伸ばしている腕は細かく震えていた。
そして、青い光が男の身体全体を包み込んだ。
「ぬぅ……」
ヨウは唸り声を出しつつ、なお掌に力を入れる。そのためか震えが大きくなった。顔も力み歪んでいる。
男を見れば、腕や太もも、顔などの火傷が徐々にではあるが薄くなっていった。所々あった黒く焦げた肌はすでにない。あとは赤みを消すだけ――真一がそう思った矢先、青い光が引き始めた。引く早さはあっという間で、すぐさま男の身体から消えうせてしまった。
「も、もうだめじゃ!」
そう叫ぶと、ヨウは後ろへと倒れこんだ。顔には汗が流れ、ぜえぜえと呼吸をしながら息を整えていた。
「これぐらいの怪我を完治できないなんて……どうしたの?」
トトが首を傾げヨウを見下ろした。ヨウは薄っすらを目を開け、呼吸が落ち着いたところで口を開いた。
「……ま、魔力がの……少ないんじゃ。これでも、増えた方じゃ」
「ふーん。でも、ヨウさん苦しそうだね。水魔元素使い果たしちゃった?」
トトは倒れるヨウを見ても、手伝う気にはならないようだった。その場に座り込み、服の袖でヨウの汗を拭っている。
「しばらく動けん。シンイチ、悪いが今日はここで野宿じゃ。……これぐらいは許してくれるかの?」
男を見ればやはり意識は戻っていない。このまま放置するのも中途半端のように思えた。
倒れているヨウもヨウだった。今でも荒い息をしていて、小さな身体が膨らんだり萎んだりしていた。身体にこれ以上の負担をかけると、また気を失うかもしれない。
「無理することねぇよ……それより」
「……ん」
真一は視線落としたまま、つぶやくように言った。
「結局お前の魔術に頼っちまった」
すると、ヨウはふっと笑みを見せた。
「何を言っておる。使魔は、マスターと一心同体じゃ、よ。悪いが……寝る、ぞ」
そう言い終えると、すぐに寝息が聞こえ始めた。ヨウは寝てしまったらしい。そんな姿を見て、真一は思わず頬を緩ませた。