【第二十三話】 新たな使魔と召喚魔術
真一たちは北に向け、ひたすら森の中を歩いていた。
ヨウ曰く、港町シトモンから一番近い四大都市は、潤いの町トトロイだった。
アラウ国は横長の国土であり、その中央を山脈が両断している。
その東側の南東部に、真一たちがいた港町シトモン。港町シトモンより北には潤いの町トトロイ。
そして山脈を挟み西側には、山岳の町ガナオン。南西部に城下町オディがある。
真一たちが目指しているアラウ城は、西側の北西部、山の頂上付近に建っていた。
そんな風にヨウがアラウの地理の説明をするが、真一は聞きながら軽い眩暈を覚えた。想像以上に広大な土地過ぎた。
港町シトモンを眺めている時、乗り物らしきものは船しか見当たらなかった。自動車や自転車、バスや電車、ましてや飛行機などない。移動手段は徒歩か移動魔術しかなかった。移動魔術に頼ればいいのかもしれないが、使えるのはヨウだった。しかし本人曰く、魔力が低い上に得意ではないのでどこへ行くかわからない、らしい。その言葉にますます気が重くなった。
四大都市を全て徒歩で歩かなければいけない――。前マスターに会う前に倒れて死ぬのではないか、と真一は思った。
と、ようやく森を抜けた。しかし目の前に広がっていたのは――。
「さ、砂漠かよ……」
「じゃの。さぁこれからが正念場じゃ」
がっくりと肩を落とす真一とは対照的に、ヨウは生き生きとした顔をしていた。
前方には途方もない砂漠が広がっている。建物も何もない。見るからに強い日差しが照りつけ、砂から湧き上がる熱気が蜃気楼のように揺れているのが見えた。砂漠の砂と真っ青の空がくっきりと地平線を作っている。
「……どれぐらい距離あるんだ」
「わしが知るわけなかろう。姫とおった頃は金があったし、運搬屋に頼んでひとっとびだったからの。じゃが歩いていくというのも、なかなか楽しいかもしれんのぉ」
真一の気持ちを知ってか知らずか陽気に笑っている。ふざけている様子でもなく、本気で楽しみにしている様子で目が輝いていた。
が、歩く真一はたまったものではない。おもむろにトートバックを肩から落とすと、中から風呂敷を取り出した。中には袴が入っている。
「まさか着替えるのか?」
「ったり前だろうが! こんな糞暑い日差しの中、全身真っ黒のローブで歩けるか。どうせ、誰もいねぇよ」
真一はさっさと袴に着替えた。白い半そでの胴衣が涼しい。
着替え終え、いざ砂漠へ踏み出そうとするも躊躇してしまった。途方もなく続く砂漠から人の気配など感じない。踏み入れると永遠に彷徨ってしまうのではないか、と思った。真一が砂漠を呆然と眺めている――その時だった。
「変わった人間だなぁ。黒髪にその格好。……珍しいマスターだねぇ」
突然聞き覚えのない声が聞こえた。周りを見渡してもその姿が見えない。きょろきょろと頭を動かしている真一に、その声が再び話しかけてきた。
「こっちだよ」
真正面の砂漠から聞こえた。ゆっくりと見上げると、ヨウと同じ格好をした使魔がいた。金色の髪にゆったりとした紺色のズボンとシャツ。ただ羽根が赤い。垂れ目の幼い顔は真一をじっと見た後、視線をヨウへと移した。
「久しぶりに仲間を見た気がするよ。嬉しいなぁ」
「おぉ」
呆然と見上げる真一と対照的に、ヨウは目を見開き嬉しそうな顔をしながら浮かび上がった。
「わしもじゃ! こんなところで仲間に会えるとは……嬉しいのぉ」
よく見ると目が潤んでいた。そんなヨウを見ながら、赤羽の使魔はにっこりと笑った。
「ふふ。……で、何をしているの?」
ちらりと真一を見た。不思議そうに首を傾げている。
「と……トトロイに」
いつからいたのか。何者なのか。無意識に警戒してしまい、自然と言葉が詰まってしまった。
が、ヨウは全く警戒心がないようで、肩に戻ってくると嬉しそうに笑っていた。
赤羽の使魔は微笑みながら言った。
「だったら案内してあげるよ。ついておいで」
そう言うと赤い羽根がついた背中を見せ、砂漠へと飛んで行った。
いくら半そでの袴姿になったからといって、暑さから逃れることはできなかった。汗が全身から出て、口の中は乾ききっている。少しでも体温を下げようと必死に呼吸をするが、生暖かい空気しか入ってこない。いつの間にか口も半開きのままになっていた。
「……君たち、だらしないねぇ。これぐらい慣れないと」
少し前の頭上を浮く使魔は涼しそうな表情で、真一たちに笑みを見せた。暑さを屁とも思っていないようで、すいすいと進んで行く。
一方、同じ使魔であるはずのヨウはぐったりとして真一の肩に掴まっていた。
「慣れるわけなかろう……」
ヨウも真一と同様に口を半開きにし、苦しそうに呼吸をしている。浮かんでいる使魔とは大違いだった。と突然、肩に預けていた身体を起こし目を見開いた。
「そうじゃ!」
何か思い出した様子でヨウは叫んだ。
「シンイチ、ひよこじゃ! ひよこを召喚して、水がある場所を探させるんじゃ」
「ピィを……召喚?」
真一は立ち止まった。頭上に浮いている使魔も振り返りじっと見ている。
「でも、どうやるんだよ。……そういやお前、まだ召喚魔術教えてくれてねぇよな」
召喚魔術という言葉に、赤羽の使魔は屈託のない笑顔を見せた。そして、そのまま真一の目の前に降りてくる。
「へぇ、君のマスターは召喚魔術を扱うのかい。僕もお腹が空いたから、何か食べ物を召喚してほしいな」
お腹を摩りながら言った。すると、今度はヨウが口を開いた。
「教える機会がなかっただけじゃよ。シンイチは魔力がないと、パラッグの卵に触れた時点で明らかだったしの。時間がかかると思って教えんかったんじゃ。……まぁひよこが進化したのは、わしも驚いたし……おそらく魔力は増えておるんじゃろう。それを試すいい機会じゃの」
「へぇ! 君のマスターはパラッグの雛まで所有しているのかい? ますます期待が持てるねぇ」
無邪気な顔を見せる使魔に、真一は思わず苦笑いを浮かべた。
その様子にヨウは慌てて口を開いた。
「これ、余り期待をするでない。そう言えば……お主、名は何じゃ? わしはヨウじゃ」
「マスターからはトトって呼ばれてるんだ」
顔を少し傾けて、にっこりと笑っている。
一方、ヨウは顎に手を当てその話に頷いていた。
「ふむ……トトか。お主、マスターから離れてもいいのか?」
「うん。見回りしていたから。後で紹介するよ。それより、早く召喚魔術を教えてあげようよ」
「そうじゃの。じゃ、シンイチ、まず先に召喚本を出してくれ」
真一は、ポケットの中から召喚本を取り出した。思えば、この使い方も知らない。
魔術をどう扱うのか、全くわからなかった。そう思うと、何か損をしたような気がしてきた。
魔術が使えると聞かされた時には心躍ったはずなのに、いつの間にか自分には扱えないものとして受け入れていた。
散々サモナーだと馬鹿にされたせいかなのか、と真一は思った。しかし考えてみると、物や人を召喚できる召喚魔術は便利であるように思った。所持金はなく、このまま町へ着いても何もできない。しかし、食べ物やら寝る場所まで召喚してしまえば――そう思うと自然と頬が緩んだ。
とにかく今は、ヨウの言葉をしっかりと聞くことにした。
「確か……一ページ目にひよこの血が記憶されておるの。そのページに、証がついとる方の手を乗せるんじゃ」
使魔とマスターとの証、赤い二つのリング。真一の左腕にそれはある。真一は一ページ目を開き、一滴の血の上に左手を置いた。
「よし。それで『プレサモン』と詠唱すれば、ひよこが召喚されるんじゃ」
「……プレサモン」
そう言葉にした瞬間、本が眩い光を放った。強い光に、真一は思わず目を閉じた。白い光は一瞬辺りを包んだが、すぐに消えてしまった。
瞼越しに光が収まったのを感じた真一は、薄っすらと目を開けた。すると、目の前にピィがちょこんと立っている。いきなりの出現に、目をこすりピィを凝視した。
ピィもいきなりのことに驚いているのか、頭を左右に動かしている。
「あ、あれ……どうして私はここに? あ、真一さんが私を喚んでくださったんですね」
「そ、そうなるのか……?」
「そうじゃよ」
信じていない様子の真一を見かねてヨウが口を開いた。驚いた様子もなく、平然としていた。
「で、どうして私を?」
嬉しそうに小さな歩幅で真一の足元までやって来た。見つめてくる黄色の瞳は、期待しているのか輝いていた。
「あぁ……俺たち、この暑さで喉がカラカラでさ。近くに水がないかどうか、探してもらおうかと思ったんだ」
「なるほど、お安い御用です! 探してきますので、少し待っててくださいね」
舞い上がると、大きな翼を使って羽ばたき、すぐさま遠くへ飛んで行ってしまった。
見上げながらその様子を見ていると、トトが口を開いた。
「あれは召喚の雛だねぇ……第二段階かぁ。……マスターのパラッグの雛もあれぐらいならいいのに」
「なんじゃ、トトのマスターもパラッグの雛を持っておるんか」
ヨウの問いかけに、顔をこちらに向きなおした。そして、頭を掻きながら照れ笑いを浮かべた。
「そうなんだぁ。……なかなか勝てなくて結構馬鹿にされてるんだよ。ま、それは置いておいて……」
期待するような視線を送りながら、トトは真一にしゃべりかけた。
「プレサモンはマスターなら誰でもできる召喚魔術なんだよ。だからこれは腕試し。これからが本当の召喚魔術だよ……ね、ヨウさん」
トトの視線を受けてヨウは深く頷いた。
「そうじゃ。プレサモンはマスターなら誰でもできる召喚魔術じゃ。どうじゃ、少しは召喚魔術が身についておると実感できたかの?」
「うーん」
唸りながら、真一はじっと召喚本と左手を交互に見た。
異常はない。本が破れたような痕跡もないし、置いた左手に怪我もない。
本当にどこからともなくピィが出てきた。さっきまでいなかったのだから、真一自身がプレサモンという詠唱で喚んだのは間違いなかった。真一は召喚本をポケットにしまい、手を合わせて感触を確認した。――間違いなく自分の手だった。暑さで少し汗ばんでいる。
「少し……な。まだちょっと信じられねぇけど」
「まぁ最初はそんなもんじゃ。よし、じゃあ……フェル草を出せ」
「フェル草……? あぁあの草か」
イダワ島でもらった金色に光る草。そのまま食べると中毒症状を引き起こすが、本来は触媒用の草。
真一はトートバックの中から、六枚ある内の一枚を取り出した。手のひらに乗せると、少し熱を帯びているのか温かい。
「これをどうするんだよ。……まさか、食べ物に変える、とか言うんじゃねぇだろうな」
肩に乗るヨウに半分冗談のつもりで投げ掛けた。しかし、ヨウはその発言に満足そうに頷いた。
「そうじゃよ」
「……マジか」
「味も形も魔力次第じゃから、食えるか食えんかはシンイチにかかっとるからの」
草が食べ物に変化する。疑いの目でフェル草をじっと見た。これが何かに変わるなんて想像がつかなかった。
「食べ物の詠唱は『インディションサモン』じゃ。道具やらを召喚する時もこの言葉じゃからな。それを言えば召喚される。じゃが、ただ言うだけではダメじゃぞ。具体的な味や形を想像しながら言うんじゃ」
フェル草を見つめながら、耳だけヨウの言葉に傾けていた。何を召喚しようかと考えた。
「液体はダメじゃからの。固形の食べ物のみじゃ」
真一は食べたいものを決め、ゆっくりと目を閉じた。
赤い球体。ほのかに香る甘い匂い。口に入れれば広がる甘酸っぱい果汁。
「……インディションサモン」
言った瞬間、フェル草が乗っていた右手が急に重みを感じた。
「……!」
見た瞬間驚きの余り、言葉が出なかった。
手のひらに乗っていたのは、真っ赤なリンゴだった。鼻に近づけ匂ってみれば、想像通りの甘い匂いがした。ヨウも驚いているのか嬉しいのか、口を開いたまま感嘆の声を出していた。
「おぉ……やったのシンイチ! 見た目は合格じゃぞ。問題は味じゃが……」
「それなら僕にまかせて」
と言う声とともに、トトがリンゴの元に飛んでくるとそのまま一口食べてしまった。
無表情のまま口を動かし、何も言わずにごくんと飲み込んだ。考え込んでいるのか、首を傾げてじっと真一を見た。
「……なんだか渋いよ?」
「え?」
その言葉に、思わず真一はリンゴにかぶりついた。が、すぐに口の動きが止まった。
口の中が縮むような渋みが一気に広がる。これ以上噛むことができず、すぐさま吐き出した。
「うえ……まずい」
「どれ、わしにも」
ヨウもリンゴにかぶりついたが、同様に入れた瞬間にすぐ吐き出してしまった。
「……し、失敗じゃの。見た目は十分だったんじゃが、味が悪かったか。……召喚できたんじゃから練習すればどうにかなるじゃろ」
「魔術もすぐにできるってわけじゃねぇのか。……まぁそうだよなぁ」
と、日差しに大きな影ができた。それに釣られ顔を上げてみると、広げた翼が見える。ゆっくりと降下しながら、音もなく着地をした。
降りてきたのは水を探しに行ったピィだった。