―潜む影―
町の影に身を潜める者がいる。ひっそりと静まり返る暗闇の中、半面の白い仮面だけがうっすらと浮かび上がっていた。
坂を下る黒いローブの男をじっと見張る。
息を殺した。相手は自分を探しているかもしれない。しかし、男は気づかぬまま横を通り過ぎて行った。見れば肩に乗る使魔に何か小言を言っている。が、その内容が耳に届くことはなかった。使魔を見れば、安心しきった様子で笑みを浮かべている。
「あいつは……異空間へ飛ばされる直前のことは忘れているらしいな」
建物の影から姿を現したマスクは、坂を下っていく真一たちを見下ろした。
長い棒を持ち肩からかばんを提げ、背中には何か背負っている。フードを被っているものの、その姿はやはり異常な格好であった。
マスクは腕組みをしたまま、じっと真一について思案した。
五匹も魔物を召喚した。が、再び目の前に現れた姿は別れた時のままだった。イシャイナーであるシトモンの娘が、回復魔術を施したのかもしれない。しかし、それを考慮しても腑に落ちない点がいくつかある。
まず、どうやって魔物を倒したのか。五匹もいれば多少なり苦戦する。当初は、自分に助けを求めに来た所を狙い仕留めようと思っていた。
が、失敗だった。別の出入り口があったことも原因の一つではあるが、やはり魔物を全て倒されたことだろう。手元に帰ってきた魔物は一匹もいない。
もう一つ疑問に思うのは、パラッグの雛の不在だった。
間違いなく頭の上にいた。見る限り、慣れている様子だった。そんなパラッグの雛を手放すとは考えにくい。非常食にもなる最弱の雛だ、殺したなら殺したで死体を売りさばけば金になる。となると、考えられることは一つ。雛の進化だった。
しかし、マスクはそれがどうしても信じられなかった。
「どうするんだ、あのまま行かせるのか?」
白い仮面の奥から幼い声が問いかける。思案を中断し、その問いかけに答えた。
「行き先は知らないが……大方予想はつく。が、確信はない。それを調べた上で、ダック様への報告が先だ」
そう言うと真一たちに背を向け、城の方向へと歩み始めた。
シトモンは真一が去った後も、ずっと窓から町を見下ろしていた。家々から灯りが漏れ、ほのかな灯りが町全体を覆っている。静かなことは町が平和である証拠。そのことにふっと息を漏らし胸を撫で下ろした。
ライトもこれからは心配させないと約束した。悩むことも少しは減るだろう。そう思いシトモンは窓を閉じようと手を伸ばした。
「夜分遅くに失礼、シトモン統治者殿」
と、部屋の中央から突然声がした。驚きすぐさま振り返ると、見たことのある片面の仮面を被った男が立っている。目を細め顔は笑っているように見えるが、仮面のせいか不気味さを感じた。
「……どうやって入ってきた」
それでも落ち着きを払い問いかける。ドアが開く音など聞こえなかった。何よりこの部屋へ来るのなら、誰か必ず警備の者がついている。しかし、ドアは開いた様子もなければ警備の姿も見えない。ただ手段があるとすれば――。
「移動魔術、と、言わなくても大方予想はつきましょう」
笑顔を崩さぬまま、その男は言った。しかしおかしい。男の腕に巻きついている布は青い。その布は男がイシャイナーであることを示している。
「あぁ……これですか。確かにイシャイナーです。ですが、私には使魔がいるのです」
「し、使魔だと?」
驚いた表情のまま、シトモンは慌てた様子でその男に駆け寄った。と、言うのも、最近新たな政策が発表されたのだ。じっと男の顔を見るが、男は冷めた様子でシトモンを見ているだけだった。
「……そなた、証を貰い受けに来たマスクと言う者だろう」
「おっしゃる通り」
にこやかな顔を向けているが、見つめられるだけで背中に悪寒が走るようだった。その視線から逃げるように、マスクの頭や肩を注意深く見た。が、やはり使魔の姿は見えない。
「どこにいるかは知らぬが、使魔は掃討作戦が近々実行される。そなたの使魔も気をつけられよ。契約者関係なく使魔は……」
「知っております」
言葉を遮った声ははっきりとしていた。驚き身を引いたシトモンとは対照的に、マスクはふっと笑みをこぼした。
「私はダック公爵の部下です……王族であるシトモン様もご存知でしょう」
「ダ、ダック公爵……の部下、だと? そなたがか!」
ダック公爵。貴族中の貴族で、魔天族の頂点に君臨する。
貴族は王族に対し資金援助をしていることが多い。王族と言えど、町を統治する上で経費は出てくる。税を民から徴収していても、厳しい財政に陥ってしまうことがあるのだ。それを防ぐために、貴族が王族の後ろ盾をしている。
四大都市を治める王族には、それぞれ資金援助をしている貴族たちがいる。表立っては公表しないものの、町への貢献度は高い。その一方で、見返りとしてそのような貴族たちには、特別な身分が与えられていた。
それが魔天族と言う肩書きだった。王族に直接関わっている証。資金援助をする代わりに、王族たちの相談役になっている。どの都市も王族と協力し、それぞれの町の発展に貢献をしていた。シトモンも例外ではなく、援助を貰っている魔天族がいる。
しかし、ダック公爵はそれをも超える立場だった。
ダック公爵が資金援助をしている相手はアラウ国王だった。そのためか、ダック公爵自身がアラウ国王と肩を並べる存在になっていた。四大都市の統治者たちでさえ頭が上がらない。しかし、実際に姿を見た者は少ない。シトモンも直接ダック公爵を見たことはなかった。ただ一言、ダック公爵に関する情報は耳に入っていた。――影の国王だと言う、噂を。
「……私が伺ったのは、そのようなことを言いに来たのではないのです。少々お尋ねしたいことがありましてね」
すっとマスクの顔から笑みが消えた。
「一緒に証を貰い受けに来た、ハギノシンイチ、と言う男についてです」
「……彼か。一体彼がどうしたと……?」
意外な人物の名に、シトモンは少々気が抜けた。部下直々に来ること自体が滅多にない。ましてや身分を隠して近づいてきたのだ。否応なく緊張してしまう。
「彼は、証を貰い受けた後どちらへ向かわれたかご存知か?」
無駄口を叩かせない無表情な面構えに、冷や汗が出てきてしまった。白い仮面がそれを助長させているのか。シトモンは唾をごくんと飲み込んだ後、慎重に言葉を選びながら答えた。
「……娘の話では、何かを返すため、とか申していたが……それ以上のことは知らぬ」
「そう、ですか。それだけで十分です」
再びマスクは目を細め笑みを浮かべた。そして、満足したのかそのまま窓へと歩み寄って行った。
「……どこへ行く?」
その後ろ姿にシトモンは思わず話し掛けた。一体何の目的でやって来たのか理解できなかった。
すると、顔だけ振り向かせ白い仮面をシトモンへ向けた。のっぺらの白い仮面は、暗闇に浮かび上がって見える。
「ダック様の元へ帰るのです。少々事情がありましてね。シトモン統治者殿には関係のないことです。ご安心なさってください」
そう言うと顔を元に戻した。が、シトモンはまだ食い下がった。
「ま、待て。彼が何かやったのか? どうして彼の行く先を聞くのだ」
「……彼、自体には問題はないのです。彼にまとわり付いている使魔に、少々用事があるのです」
「な……か、彼にも使魔がいたと申すのか……!」
すると、マスクは戻していた顔を再びシトモンへと向けた。が仮面の下から覗く目から殺気を感じた。シトモンは思わず口を閉じ、息を呑んだ。これ以上何か言うと身の危険がある、本能がそう悟った。
「……もうよろしいか?」
酷く低い声の問いかけに、シトモンは声を出すのがやっとだった。
「あ、あぁ……すまない」
「では、失礼する」
すると、窓にいたマスクはふっと姿を消した。残像さえ残すことなく、一瞬にして消えてしまった。窓には、いつもの夜空と町の風景が広がっている。
シトモンは一気に身体の力が抜け、その場に跪いた。今更ながら足の震えが止まらなくなってしまっていた。
「なんと……恐ろしい男。目的は一体何だったのだ」
知らないうちに頬を伝っていた汗が、床に落ちていく。シトモンはその汗を拭いながら、マスクがいた窓を呆然と眺めた。