【第二十二話】 別れと約束
真一はライトの手を取り、歩幅を合わせる様にゆっくりと歩いて行った。浜から見える夕焼けは美しかった。赤い太陽の光が放射線状に伸び、それが海に反射してきらきらと光っている。地球でも見られる光景に真一はほっとしていた。地球から離れていても、どことなく同じ匂いのする光景を見れば、心休まるものがあった。
「……綺麗だな、夕日は」
思わず言葉が漏れた。普段なら絶対口にしない。夕日なんていつでも見れるものだった。しかし、今は違う。この先どうなるのかわからない現状。前マスターに会えばいいだけという、安易な考えがあった。しかしそれがどうだろう。カラスにツバメ、わけの分からない魔術、疲労が溜まる身体。
この先が思いやられ、思わずため息が漏れてしまう。
「ど、どうされたんですか?」
ため息をした途端、ライトが足を止めた。眉を八の字にし不安そうな表情を浮かべている。
「いや、何でもねぇよ。ほら、早く行こうぜ」
「わ……私のせいですか?」
「は?」
顔を俯かせ、声も消え入りそうなほど小さい。
「わ、私がさらわなければシンイチさんたちにも迷惑をかけていませんでしたよね。それに、目が見えないから今だって迷惑かけっぱなしです……本当に……」
思わず真一は再びため息を漏らした。
一方ヨウは優しい笑みを浮かべながら、真一の肩から離れるとライトの肩へと移った。
「ライト、わしらは迷惑だったとは思ってはおらんぞ。もっと胸を張れ。お主は王族じゃろ? いづれ港町シトモンの統治者になるかもしれんのんじゃ。そのような態度では務まるもんも務まらんぞ」
ヨウの言葉にますます顔を俯かせた。立ち止まったまま下を向いている。
真一は頭を掻いたあと、無理矢理引っ張った。驚くライトは、びっくりしたように顔を上げ再び歩み始めた。
「ったく、堂々としねぇからなめられるんだよ。あんたにとって、目が見えねぇのが負い目なのかもしれねぇけど、関係ねぇよ。迷惑だと思ったなら、初めからあんたに会いに行ってない」
ずんずんと前を見て進む真一の姿を見て、ヨウはそうかもしれないと思った。
「俺はこのアラウの人間じゃねぇんだ。さっきも、あんた聞いてただろ」
「は、はい」
「ここの世界のことはさっぱりわかんねぇ。身分やらなんやら意味がわからんねぇし、魔術? そんなもん知るかっつーの。だいたいな、俺はそいつを前マスターに返すためだけに来たんだ。それがなんでこんなめんどくせぇことになってんだ。……おい、全部お前のせいだぞ」
足を止め振り返り、ヨウに向かって指を刺しながら叫んだ。苛立っているのか、眉間に皺を寄せている。
「全部わしじゃと? シンイチが落ちてきたわしとぶつかったのがいけんのんじゃろう! わしだってな、魔力のほとんどないマスターなんぞと組とうなかったわ!」
「は? 俺だって同じだよ! じじくせぇしゃべりの、妖精もどきみたいなやつと一緒に旅なんかしたくねぇよ」
互いに顔を近寄らせ、睨み合いをしている。ライトにはその状況は見えなかったが、声の具合からして本気の喧嘩ではないと感づいた。そう思う、真一とヨウがじゃれ合っているような会話に聞こえ、思わず笑い声漏れた。
ふふ、と笑うライトの声にはっとし、二人ともライトの顔を見た。夕日を浴びるライトの黄色の髪は光り、色白の頬は赤く染まっている。上品に口に手を当て笑っているライトは、先ほど見せた暗い顔はどこかへ行ってしまったようだった。
「お二人とも仲がいいんですね。羨ましいです」
そんなライトの言葉に、二人が一斉に声を出した。
「仲よくねぇよ」
「仲よくないわい」
微妙なハモリに再びライトは微笑んだ。
再び浜辺を歩み始めた。海からの風が心地よく、潮の匂いを運んでいる。少しずつだが町の建物も近づいていた。ヨウはライトの肩にしがみ付いている。ぼうっと手を繋いで前を歩く真一の後ろ姿を眺めた。
気遣いができない男だなぁと思った。それとも恥ずかしいのか。ライトが盲目なのだから、隣で寄り添って歩けばいいのに、前をすたすたと歩いている。何か会話をするわけでもない、黙ったままだった。ライトもそれに対し文句を言うわけでもなく、手を握り締め歩いていた。
「……あの、シンイチさんの主魔術は何なんですか?」
真一はちらりと軽く顔を向けてた。
「傷だらけになって、魔物をやっつけたんですよね。それに素早い魔物なんて……一体どうやって倒したかと少し疑問に思って……」
真一はじっとライトの顔を見た後、再び前を向いた。そして、そのまま口を開いた。
「俺は魔術なんかで倒してねぇよ。……まぁ一応召喚魔術が使えるらしいけど」
「召喚魔術……ということはサモナーなんですね」
真一は様子を伺うように再び顔を向けてきた。じっとライトの様子を見ている。一方でライトは軽く頷き別段嫌そうな顔もしていない。すると、いきなり首を傾げた。
「……魔術で倒していない? じゃ、じゃあ一体何で倒したんですか?」
今までサモナーと言うと嫌な顔をされた。ダリィからサモナーに関する話を聞いて大体の事情は掴めた。格差があるのだ。貧しい人々――サモナー。そんな図式が出来上がっている。ライトがどんな反応を示すのか、真一は少し興味があった。再び馬鹿にされるのか、それともマスクのように笑って終わるのか。
が、ライトはサモナーと言った真一に対しあまり興味を示していない。魔術以外で倒したという言葉の方に釣られた。
「……俺は地球、日本って国で弓道っていうクラブに入ってたんだ。それで倒したんだ。……本当は倒すためにやってきたんじゃねぇんだけど」
「よ、よくわかりませんが、すごいですね。サモナーという身分の上にそんな技まで使えるなんて……本当にすごいです」
嫌味な言い方などではなく、感嘆のため息を漏らしにっこりと微笑んだ。
この女も違うのかもしれない。そう真一は思った。
「……サモナーは関係ねぇんじゃねぇの? アラウじゃ嫌われてるんだろ、サモナーは」
「え? あぁ……確かに政策によっていろんな方たちがサモナーになっていると、話は伺っています」
ライトは少しだけ顔を下向きにしながら、なお続けた。
「ですが、それだけサモナーの皆さんは特別なのではないでしょうか。ティレナーにしろフィティナーにしろ、私のようなイシャイナーにしろ、無の状態から何かを生み出すなんて普通はできません。それができるサモナーの方々は素晴らしいと思います。……それに」
ライトは片手だけで握っていた真一の手を、大事そうに両手で包み込んだ。
「私は目が見えません。私にとって身分なんて関係ないんです。話をしたり肌で感じたり、そうするだけでどんな人かわかります。……シンイチさんが素晴らしい人だと言うこともわかります」
口の端を上げにっこりと、笑った。夕日のせいなのか、それとも照れているのか、ほのかにライトの頬は染まっている。
「ば……馬鹿。いきなり変なこと言うんじゃねぇよ……」
「す、すいません」
再び前を向いた真一はずかずかと歩き始めた。握られている手を握りなおし、ぐっと引っ張って歩いていく。その勢いでライトの両手は離れ再び片手となった。
ヨウはライトの肩から離れ、真一の肩にしがみ付く。そっと真一の顔を覗き込んだ。見えるその横顔は、これまた夕日で染まっているのか赤くなっている。
「……照れておるんかの?」
「うっせぇ」
それ以上言葉を交わすことなく、すたすたと町へと歩いて帰った。
町へ着いた時にはすっかり陽は落ち、暗闇が町を支配していた。地球のような街灯などなく、家灯りだけが道をぼんやりと照らしている。出回っている人の数も少なく、賑やかだった市場もすっかり静まり返っていた。そんな坂道を黙々と上っていき、ようやく城へ到着した。
二人の門番はライトの姿を見るや否や、慌てた様子で駆け寄り声をかけた。
やはりシトモンは心配していたらしい。門番二人は声こそ荒げないものの、言葉の端々からライトの行動を非難する考えが伝わってくる。「毎回、どれだけの人が心配していると思っているのですか?」「仮にも王族だということを忘れないでください」など、口々にライトを責める。なかなか扉を開けないので、真一が早く入れるよう言うとはっとしたように黙り込み、すぐ扉を開けた。
「……あんた大変だな」
入るなりそう声をかけると、ライトは反省しているのかしゅんと顔を俯かせていた。
再び書斎へと案内された。部屋に入ると、シトモンは目を見開き驚いた表情で出迎えた。その視線は真っ直ぐライトだけを見ている。
そして、真紅のローブを揺らめかせながらずかずかとライトに歩み寄ると、いきなりライトに平手打ちをした。ペシッという乾いた音が短く響く。
「……一体こんな暗くなるまでどこをふらつき歩いていたのだ」
ライトは赤く染まった頬を手で抑えながら、声のする方を見上げた。隣で見ている真一は、入る隙がなくただ見守るしかなかった。
「……申し訳ありません。父上」
「それは答えになってはいない。……ライト、私を含めどれだけの人間が心配していたと思っているのだ? お前は女なのだぞ。それに目が見えぬという障害もある。いつ、危険な目に合うのかわからんのだぞ? ……一体何をしていたのだ」
ライトは唇を噛み締めたあと、ゆっくりと口を開き消え入りそうな声で答えた。
「実は……さらわれていたのです」
「何だと? ……貴様、どういうことだ」
怒鳴り声を上げながら、隣にいた真一を睨みつけた。眼光が鋭く光り、眉間に皺を寄せ今にも殴られそうな雰囲気がある。真一は思わずびくっとしたものの、目を逸らさず答えた。
「……最初は浜辺にいたんです。それが、目の前で三人の男にさらわれてしまって……。でも、娘さんに怪我はないですよ」
「なぜ、私に報告しなかったのだ? 何かやましいことがあったのではないか? ……それとも全て貴様の狂言ではないのか。そうだ、証がほしいがために計画したのだろう。え、どうなんだ?」
「は? なんでそんなことを……」
「そう言えば貴様はサモナーだったな。なんと卑しい……」
と、シトモンの言葉を遮るようにライトが思いっきりシトモンの頬に平手打ちをした。
ライトは唇を噛み締め、うっすらと目には光るものがある。興奮していたシトモンだったが、目が覚めたように唖然とした表情でライトを見た。真一も呆然とその様子を見た。
「失礼です! シンイチさんは私を助けてくださったんですよ? どうしてそのようなことを口にするのですか」
「あ、あぁ……す、すまない。少し……興奮してしまった」
顔に手を当て、少し頭を振った。おでこについている青い宝石が揺れている。そして、そのまま真一たちに背を向け窓へと歩いていった。興奮している身体を冷やすためなのか、少しの間風に当たっている。真紅のローブが揺れ、シトモンは呆然と夜空を眺めていた。
ライトはゆっくりとした足取りで、物を伝いながら窓へと近づいていく。やはり自分の家だからなのか、足取りに迷いはない。
「父上、証をください。シンイチさんは私の命の恩人です。証を差し上げる理由で、これ以上のものはありません」
「……そうだな」
手を広げて待つライトに、シトモンは机の中から青色のバッチのようなものを取り出した。手のひらに収まるほど小さなバッチをライトへと手渡した。シトモンはため息を漏らしながら、再び窓へ顔を向けた。呆然と眺め、見える横顔は疲労の色が見えた。
証を受け取ったライトは再び真一への元へ歩み寄ってきた。手を無造作に動かしながら、真一がいる位置を確かめようとしている。真一はその手を握った。
「あ……。こ、これが証です。どうぞ受け取ってください」
握っていた真一の手を確かめると、手のひらに証を乗せた。
証は青くボタンのように円形だった。布につけることができるよう、後ろには小さな出っ張りがある。どこかで見た色だと思うと、それはシトモンがおでこにつけている宝石と同じ色だった。何か意味があるのか、証を見つめていると肩に乗るヨウが口を開いた。
「港町シトモンの統治者は代々イシャイナーなんじゃ。おでこについておる宝石は水魔元素の塊。おそらく、証の色具合から見て、宝石と同じじゃろうな。なくすんじゃないぞ」
頷いて答え、それをトートバックの中へと放り込んだ。この中に入れておけばなくすことはない。
「ありがとうございました。では、失礼します」
一礼し、シトモンに別れを告げた。ここに残る理由はない。部屋を出ようとした時だった、ライトが真一の腕を咄嗟に掴んだ。
振り向くと眉を八の字にしたライトの顔があった。
「お、送ります……」
「あぁ……悪いな」
視線を感じ、窓を見るとシトモンがこちらを向いていた。何か寂しそうに微笑んでいた。すると、深々と頭を下げた。その姿にぎょっとした真一だったが、すぐさま頭を軽く下げた。その様子に、シトモンはふっと笑みをこぼす。そして再び窓の外へと顔を向けた。
よく見ると少し頬が痩せこけているのが伺えた。ライトが盲目だということを一番負い目に感じているのはシトモンかもしれない。イシャイナーは治療の魔術だ。それを持ってしても治せないのだろう。会った時の呆然とする姿と、今見る思いに耽る姿を見る限り、シトモンも思い悩んでいるのかもしれない。自分がイシャイナーだと言うのに治せないもどかしさ、それ故ライトを城に閉じ込めたいと思っているのか――。
子どもを心配する親。統治者、王族、そんな肩書きは関係ないのだ。
ただ親の責任を果たそうとするだけ、真一の目にはそう映った。
「シンイチさん。召喚本を出してください」
城から離れ、坂道を下ろうとする手前までライトは見送りに来た。周りには誰もいない。門番も遠くライトの後ろに見え、会話は聞こえていないだろう。
真一はいきなりのライトの申し出に、疑問を抱きながらもポケットの中から小さな召喚本を取り出した。
「何すんだ?」
受け取ったライトは二ページ目を開くと、自分の指を思いっきり噛んだ。すると、指からは少量の鮮血が流れていく。
「お、おい。何やってんだ」
ライトは真一の声を気にすることなく、指をそのページの上に掲げた。すると、一滴、真っ白なページへと落ちていった。落ちた瞬間に光る召喚本。
「ライト! お主……それがどういう意味かわかっておるのか?」
「はい。これでいつでもシンイチさんに会えますね」
にこやかな笑顔をヨウに向け、召喚本を閉じた。そしてそれをシンイチへと手渡した。一方で意味のわからない真一はヨウを睨みつけた。
「……説明しろ。どういう意味だ」
「んなもん、あのひよこと一緒じゃ。……いつでもライトを召喚できる、そういうことじゃ」
「……は?」
驚く真一の声にクスクスとライトは笑った。そして、真一の手を取ると、それを大事そうに両手で包み込んだ。
「もし、シンイチさんがまた傷ついてしまったら、いつでも呼んでください。……今回で私は出歩くことは控えます。ですが、シンイチさんの役に立ちたいんです。お願いします」
「で、でも。俺、召喚なんてできねぇよ」
「いいえ、ピィさんが進化されたんですよね。でしたら、きっとシンイチさんの魔力は上がっているはずです。……ヨウさん、お願いしますね」
ふふ、と笑うライトは真一に魔力が身についたと信じているようだった。
「まぁ……わしもライトに会いたいしのぉ。そろそろ、本格的にわしがシンイチを鍛えやってもええの。まっとれよ、ライト」
「はい、いつでもお待ちしております」
笑い合う二人に、見えないプレッシャーを感じた。
思わず顔を背け、ばれないように小さくため息を漏らしていると、ある人物のことをふと思い出した。
「なぁ、マスク見てないよな。……あいつどこいったんだ」
「そういやそうじゃの。あやつも証が目的だったろうに……どうしたんかの」
と、ライトの顔が急に曇り顔が俯き加減となった。それを不思議に思い声かけようとした時、ライトが口を開いた。
「マスクという方は……何か隠しているような感じがします。……シンイチさんのお友達ですか?」
珍しくはっきりと物を言うライトにますます不思議に思った。首をかしげながらも真一は答えた。
「友達……じゃねぇけど、知り合いかな? なんでそう思うんだ?」
「冷たかったんです。言葉も感じた感覚も。……あぁ私の直感ですので、あ、あまり気になさらないでくださいね」
「あぁ……そう」
真一は持っている荷物を持ち直し、ライトの手を逆に両手で包んだ。ライトは驚くとともに、恥ずかしいのか顔をますます俯かせた。
「じゃあな、ライト。もし、召喚できるようになったらいずれ呼ぶから、待ってろよ」
「……はい!」
顔をぱっと上げにっこりと微笑んだ。少し頬を赤く染めているのが、城から溢れる灯りでかすかに見えた。
真一はそのまま暗い坂道を下って行った。
「ふふ、名前で呼ばれちゃった」
軽くスキップをしながら、上機嫌でライトは城へと戻って行った。