【第二十一話】 ピィの進化
ピィを先頭にようやく洞窟から出ることができた。青空だった空は赤く染まり、太陽は海に落ち始めている。出口は人一人がやっと通れるほどの幅で、頭を下げ身体を捻りながらようやく脱出した。出口を出て少し離れた岩を見ると、ライトが腰を下ろし不安そうに身を縮こめている。ヨウはすぐさまライトのそばへと飛んで行った。
「ライト! 待たせたの」
「ヨウさん! シンイチさんは……だ、大丈夫ですか?」
ヨウの声にすぐさま立ち上がり、不安そうに眉を八の字にしている。
「あんまり良くないんじゃ。全身血だらけでの……」
「えぇ! は、早く治療を……治療をします!」
ヨウはライトの指を握り、焦らないよう真一の元へ誘導して行った。
その真一は洞窟を出てすぐに座り込んでいた。顔を歪め、痛さに耐えている。左わき腹と右肩の切り傷はもちろん、背中や太もも辺りのローブまでもが引き裂かれていた。その破れたローブからは血がシミとなり、黒いローブを暗い朱色へと染め上げている。
「真一さん、大丈夫ですか?」
ピィは持っていた矢筒を真一のそばに置き、地面に降り立った。首を下げ心配そうに覗き込む。真一は視線に気がつき、瞑っていた目を薄っすらと開けた。
勇ましい顔つき、鋭い鉤のくちばし、黄色の目――どう見ても鷹にしか見えなかった。どうしてひよこのピィが鷹に変化したのか。真一はピィの問いには答えず、疑問を口に出した。
「ピィ、お前はひよこじゃなかったのか? なんでいきなり鷹になったんだよ」
「え? あぁ。ひよこの姿は第一段階の姿です。魔力もなければしゃべることもできない。自然に孵化した雛はこの姿です。……私の場合は真一さんの魔力がなくてあの姿だったんですけどね。それで……」
すると、近づいてきたライトがその声に驚き足を止めた。
「い、今の声は……一体どなたですか?」
「ライト様、ピィです。それより早く真一さんの治療をお願いします」
「あ。は、はい!」
驚いているライトの指をヨウは右肩のすぐ上まで誘導させた。ライトがそっと手を下ろすと丁度真一の傷口に触れてしまった。真一は歯を食いしばり険しい顔となったが、声を押し殺し痛みに耐える。ライトも突然触れた冷たい液体に驚き、すぐさま手を引っ込めた。
「す、すいません!」
「……大丈夫。気にすんな。わりぃけど、早く治してくれねぇかな」
ライトは黙ったまま頷いて答えた。
ライトは両手をその右肩の怪我の上にかざした。眉間に皺を寄せ、何かを念じるかのように集中している。すると、手のひらに青白い光ができ始めた。その光が真一の怪我に触れるまで大きくなると、その触れた部分からゆっくりと赤く染まり始めた。血を吸い上げているように見える。一方真一は、それが痒いとも痛いとも感じなかった。むしろ温かいと思った。マスクに腕の治療をしてもらった時のような、冷たく麻痺するような感覚ではない。怪我を和らげその痛みを吸い取っている、そんな感覚だった。
ズキズキと痛んでいた右肩から痛みが消えた。
「痛くない。すっげぇな、もう大丈夫だ」
その真一の言葉にライトは手を下ろした。光がなくなった右肩を見れば、破れていたローブまで元通りとなっている。そのローブには血の跡もない。真一は右肩を回し、異常がないことを確認した。
「よかったです。……次はどこをすればいいでしょうか?」
そんな調子でライトは一つ一つ丁寧に回復魔術を施した。どれも怪我を治すとともに、破れたローブまでも元通りとなった。便利な魔術だな、真一はそう思いながらライトの様子を眺めた。そして全ての怪我の治療を終えた後、真一は切れた矢筒の紐の修理を頼んだ。ライトは手渡された矢筒を持ち、その切れた紐の部分を確認した。切れた部分に手を当て、同じように青白い光を発光させた。切れた部分に青白い光が包まれる。そしてまもなく光は消えた。
「どうでしょうか、直っていますか?」
ライトは矢筒を真一に差し出した。受け取り確認すると、元通りつながれた状態になっている。
「すっげぇ。便利だなぁ回復魔術ってやつは。ありがとな」
「い、いえ。そ、そんな」
真一はいつものように矢筒を肩から斜めに提げた。弓を支えにようやく立ち上がる。黒いローブは綺麗に修繕され、まるで新品同然となった。
と、弓と一緒に持っている矢が視界に入った。
最後の矢。真一は、はずれてよかったのかもしれない、と思った。自衛手段はこの一本の矢のみ。アラウという世界に矢なんてものがあるとは思えなかった。
矢を眺めていると、買った時のことを思い出した。練習用の黒いシャフトに黒い羽とは違い、銀色のシャフトに白と青の混じった羽。弓具店から届いた時は声こそ出さなかったものの、飛び上がるほどの嬉しさを覚えている。自分だけの矢だと思えた。しかしそれも、もうこの一本しかない。ぎゅっと握り締めながら、ため息を漏らした。
「なんでため息をつくんじゃ?」
「……別に。それよりも、俺はピィがなんでいきなり変化したのか知りてぇよ」
いつの間にか肩にしがみ付いていたヨウとともに、ピィを凝視した。ライトも胸に手を当て緊張しているようだった。静まり返る場に、ピィは全員を眺めた後落ち着きのある声でしゃべった。
「ヨウが言っていた通り、私は進化したんです。普通はありえないことですが、全て真一さんのおかげです」
相変わらず口は開いていないが、そう聞こえた。ライトにも届いたのだろう、びくっとし驚いている。なおピィは続けた。
「通常、人に触れられたパラッグの卵は、二段階目の状態で孵ります。なのに真一さんが触れて孵ったのが、一段階目の姿、最弱の雛の私でした。だからイダワ島の派遣所で馬鹿にされたんです。覚えてます?」
「え? あぁ、あったなそんなことも」
「一度生まれた場合、その姿を変えることはありません。なぜなら、影響する触れた人の魔力が急激に変化することがないからです。ですが、真一さんの場合違いました」
ヨウが疑いの目で真一の顔を覗きこんだ。じろじろと見ている。ヨウの無言の訴えに、真一は舌打ちで返す。ピィはそんな二人の様子に構うことなく、話を続けた。
「真一さんはアラウの人間ではありません。魔力は確かにゼロです。ですが、成長することができる。決められていない魔力だからこそできることだと思います。先ほどもずっと見ていましたが、真一さんは諦めなかった。冷静に矢を放っていました。きっとその気持ちが魔力にも影響しているんですよ。だから私が二段階目の姿に生まれ変わることができたんです」
目線をしっかりと真一に向けるピィの言葉に、偽りがないように思えた。ヨウもそれを感じたらしく、納得したのか一人唸っていた。
「成長……ね。そんな気は全然ないけどな」
真一自身はただ必死だった。
実際、弓道をやっていてあれほどプレッシャーのある場で引いたことはない。ましてや身の危険を感じながらの射など一度もない。今思えば、あれほど冷静に引けた自分が信じられないほどだった。そんな状況が魔力にも影響したのかと、少し疑問に思った。実際、身体の変調は全くない。相変わらず召喚魔術をどうやるのかわからないし、そもそも魔力と言う言葉自体が胡散臭い。ゲームでよく見かける言葉だが、自分にできるようになったと言われてもどうも信じがたい。魔力うんぬんの言葉は余り考えないことにした。
ひとまず知りたいのは、ピィのことだった。
「一段階目がひよこで……二段階目が鷹……それより成長できんのか?」
「もう一段階あります。それは……」
「一角の竜じゃよ。わしもそればかりは見たことない」
ピィの言葉を遮るようにヨウが言った。それにピィがむっとしたのか、睨みつけるようにヨウを見ている。そんな視線をもろともせずヨウはなお続けた。
「召喚の雛に限らず、それぞれのパラッグの雛の二段階目は比較的よう見る姿じゃ。だいたいのアラウの人間にはそれなりの魔力が備わっておるからの。ただ、竜は別じゃ。王族か魔天族か……その辺りもんが卵に触れんと孵らんじゃろうな」
「いいえ、きっと真一さんは私を竜まで進化させてくれますよ」
間髪入れずにピィが言った。それに今度はヨウがむっとした。真一の肩から離れピィの目の前まで飛んでいった。
「ふん、えらくお主はシンイチを買っておるの。だいたいの、さっきから気になっておったんじゃが、なぜわしだけ呼び捨てなんじゃ」
「ヨウがヨウだから、という理由じゃ不満なんですか? さん、やら、様をつけるなんて……私を馬鹿にした奴なんかにつけたくないですね」
「なんじゃと、このひよこめ! 誰かに似て失礼なやつじゃな!」
「ヨウに言われたくないですね! それにひよこではなく、ピィです!」
互いに睨み合い、今にも喧嘩が始まりそうだった。が、真一が頭を乱暴に掻きながら大声を出した。
「ああ! うっせぇよ!」
ライトを含めその場にいた全員がびくっとした。一気に静まる場。
真一は大きく息を吐いた後、口を開いた。
「……あのな、俺はここの人間じゃねぇんだ。いきなりわけの分からん単語が出てきたらそこで理解不能なんだよ。……なんだよ、魔天族って」
ヨウが答えようとしたが、それより先にピィがしゃべった。
「魔天族とは王族に出資している貴族のことですよ。貴族は貴族なんですけど、王族との繋がりがあると言う意味で魔天族と言う名称があるんです」
「へぇ。……まぁ聞いてもすぐに忘れそうだな。俺には関係ないっぽいし」
真一は手早くかけをはずし、かけ袋の中に入れた。持っていた矢を矢筒の中にしまい、そして近くにあった木を使って弓の弦をはずした。そして手早く弓に巻きつけると、ライトが持っていたトートバックを返してもらった。
「これ、ありがとな。中に大事なもんが入ってるから助かった」
「は、はい……」
そして、トートバックの中から弓巻きを取り出すと丁寧に弓に包み始めた。
「とにかく、説明はもういい。一気に聞いても理解できねぇよ。それより、マスクが心配だ。さらった奴らがアジトから出たのは間違いねぇんだ」
そう言っている間に、弓は綺麗に弓巻きに包まれ一本の棒のようになった。すると、ピィが羽根を広げて宙に浮かび上がった。今にも飛びそうな雰囲気に真一は首を傾げた。
「ずっと思っていたんですが、私がそばにいると真一さんが否応なく目立ってしまっています。ですので、これからは上空から真一さんを見守ることにしますね」
ピィは冷たい目線でヨウを見た。
「ヨウ、召喚本は持っていないんですか?」
また出たわからない単語に、真一はますます首を傾げた。一方、呆然としていたライトがその言葉に反応し、ローブのポケットに手を突っ込み何やら探し始めた。
「持っておらん。前マスターに渡しておるからの」
「……役に立たない使魔ですね」
その言葉にヨウはむかっとしたのか、頬を膨らませピィを睨んだ。
「あ、あの、私持っています」
と、背後から急にライトが口を開いた。
見ればライトの手のひらに、小さな分厚い本が乗っている。丁度手のひらに収まる大きさで、表紙は真っ黒で特に何も書かれていない。
それを持ったまま、ライトはおぼつかない足取りでピィの方へ歩いて行く。ピィは羽ばたいてゆっくりと近づき、翼で軽くライトの手に触れた。ライトは一瞬驚いたように身を引いたが、すぐにピィだとわかったのか頬を緩めた。
「あ、ピィさんですね。これ……私と契約した使魔さんがくれたものなんです。必要でしたら使ってください。私にはもう意味がないものですし」
「ライト様ありがとうございます。すいませんが、一枚ページをめくってくれませんか?」
ライトは言われたとおり本を一ページ開いた。中は真っ白で何も描かれていない。そこにピィが自ら足をくちばしで突付き、血を出した。その血が爪を伝ってそのページに一滴落ちた。すると、本が一瞬ふっと光った。
「ありがとうございます。それを真一さんへ渡してください」
本を閉じ、手を無造作に動かしながらゆっくりと真一の声がした方へ歩んで行く。真一は見かねて自らライトのそばへ寄ると、手を取った。
「で、なんだよその本は」
「え、あ、こ、これは使魔と契約している人だけが使える本なんです。召喚本という文字通り、血を記憶した者の召喚をすることが可能になるんです。はい、どうぞ」
そう言われ受け取ったが、意味がわからない。真一は怪訝そうにその本を眺めた。――どう見ても普通の小さな本にしか見えない。そんな様子の真一を見て、ヨウがだるそうに答えた。
「要するにじゃ。あのひよこは、用事があるときはその本を使って呼べと言っておるんじゃよ。ちゃんと説明せんからシンイチが困っておるんじゃ」
「……そもそも事前にヨウが説明するのが道理だと思いますけどね」
再び睨みあう両者。
真一はそんな両者に構うことなく、本を眺めていた。そんなことできるのかと疑問に思えた。が、今は試す暇はない。さらった男たちが階段を上っていったのだ。だとすれば、マスクの身に何かあったのかもしれない。
それをポケットにしまうと遠くに見えるアジトの入り口に目を向けた。
「……ひとまず、マスクとこ行くぞ」
森を出ると、そこは岬だった。殺風景な岩肌と見渡す限りの海が広がっている。潮の匂いが風に乗って吹き付けていた。その岩肌を見るとひときわ目立つ大きな岩が見えた。あれこそがアジトの入り口の大岩だった。真一を先頭に、ライトを気遣いながらゆっくりと歩んでいく。ヨウはライトの指を握り締め先導している。ピィは空高く舞い上がり、大きな翼を広げ真一の上を悠然と飛んでいた。下から見れば小さな黒い点にしか見えない。
真一は視線を再び地表へ戻し、入り口へと向かって歩き進んだ。
マスクはずっとアジトの入り口に立っていた。気配を感じない階段をひたすら見つめている。白い仮面を身につけ、ただ無表情に眺めていた。
「マスク」
その声にはっとしてマスクが振り向いた。目を見開き驚いている。
「よかった、無事だったんだな。さらった奴らが階段上ったと思ったんだけど、マスクが倒したのか? ん……どうしたんだ?」
目を一杯に見開いている顔は明らかに動揺している。視線を泳がし、真一の顔を見直そうとはしなかった。そのまま視線をはずし、目を伏せながら頬を緩ませた。
「あ、あぁ。別に何でもない。男たちはどこかへ行った。それより、ライト様も無事だったか。よかったな」
そう言うとそのままアジトを離れ、一人町へ向かって歩き始めた。そして、振り向くことなく言った。
「悪い、俺は先に町へ戻っているぞ。少し用事ができた」
そう言って足早にその場を去っていく。
「……なんだあいつ? 怒ってんのか」
「さぁ……。それよりシンイチ。わしがライトの手を握って歩くと不自然じゃ。お主がライトを誘導してやれ」
確かに今から町へ戻り、ライトが一人で不自由なく歩く姿は違和感がある。ヨウが見えるなら別だが、見えないのだ。意見に納得した真一はライトの手を握った。すると、ライトが驚いたようにびくっとした。
「なんだ、俺だと嫌なのか?」
「そ、そんなことありません。……温かいなぁ、と思っただけです」
消え入りそうな声でライトは呟いた。が、真一は気にすることなく歩み始めた。
「ま、行こうぜ。歩きながらでもしゃべれるしな」