【第二十話】 思いもよらぬ進化
ヨウはやっとのことで洞窟から出ることができた。洞窟から出た場所は、ライトの言う通り森の中だった。細い木々が立ち並び、その隙間から見渡せば海が見えた。海の方角をよく見ると、岩肌が見えアジトの入り口らしき大きな岩も見えた。一方、指を持たれ誘導されるがまま走ったライトは息を切らしている。苦しそうに何度も咳き込んだ。
「すまんのライト。無理をさせてしもうたの」
「い、いえ。これぐらい平気です。それより……早くシンイチさんの所へ」
「あぁすまん。ここでじっとしておるんじゃぞ」
ライトが頷いたのを確認したヨウはすぐさま羽根を忙しく動かし、洞窟の中へと戻っていった。
ヨウには真一を守らなければいけない理由があった。使魔とマスターの関係は、単なるものではない。もっとも、このことは真一にとっては何の関係もないことだった。ただ使魔にとってマスターとの関係は重要な意味があった。
マスターが死ねば使魔も死んでしまうのだ。
契約をすれば自動的にそうなってしまう。ただし、逆はない。使魔が死んでもマスターの身には何の変化もない。
それ故ヨウは真一のことを守ろうとしている。
――とにかく早くシンイチの元へ。
ヨウは必死に羽根を動かし暗い洞窟を飛んでいった。
前方を立ち塞ぐように頭上から見下ろす二匹のツバメを前に、真一は地面に膝をつけたまま立てずにいた。
切り傷が痛み血が流れる。手元には弓も矢もなく、丸腰の状態。洞窟の出入り口となっている差し込む光ははるか遠くに見えた。何もできない悔しさにツバメたちを睨みつけた。
「なんで俺を狙うんだよ! 俺はツバメなんかいじめた覚えはねぇぞ! てめぇらの仲間のことだったら、そっちが先に手出してきたんだろうが!」
叫ぶもののツバメたちは怯む様子もなく見下ろしている。
「くそ……。ツバメに言っても意味ねぇよな。ピィ、俺が的になるからお前だけでも出口に行け。……いいな」
「ピ、ピィ……」
ピィは首を横に振ったように見えた。まるで嫌だと言っているようだった。しかし、真一はそんな行動に構うことなく、そっと自分の腕から離した。そして、ピィの背中を軽く押した。
「行け」
振り返るピィの黒い瞳が潤んでいる。真一の言葉にも従わず、ただ真一を見つめていた。
真一はそのピィの視線から逸らし、ぐっと足に力を入れ立ち上がった。少しだけ足元がふらついたが、目線はしっかりとツバメたちに向いていた。
「来いよ。ツバメのくちばしなんて怖くねぇよ。たかが鳥に、人間の俺を倒せると思ってんのか。ほら……早く来いよ!」
その叫び声と同時に、一気にツバメたちが真一に向かって急降下をしてきた。先鋭のくちばしは真一に向いている。
真一はそのくちばしに集中した。
――避ける、避けなきゃいけない。死んでたまるか。
飛んでくるツバメたちの攻撃を見て咄嗟に右へと転がった。ごつごつとした岩肌が傷む傷口に触れるが、気にしている暇などなかった。すぐ寝転がった状態から膝を付きツバメたちを見た。ツバメたちはすぐまた頭上へ浮上し、真一に襲い掛からんとしていた。と、その時だった。
「インディションサモン!」
突然、出口の方からヨウの声が聞こえた。はっとしてその方を見れば、険しい顔をしたヨウが両手に短剣を持ち目にも止まらぬ速さでツバメに向かっていた。
ツバメもその速さに逃げることができず、気づき振り向いた時にはヨウが目の前で短剣を振りかざしていた。
そして、ヨウは短剣を躊躇うことなく振り下ろした。
音もなく突き刺さる短剣。刺されたツバメは、木の葉が落ちるかのように真一の目の前に落下した。そして、黒い砂へと化しさらさらと消えていった。再び視線を上に向けると、最後のツバメがヨウに襲い掛かっていた。が、ヨウも鈍くはない。上へ右へ左へ下へ。ツバメの攻撃をひらりとかわしている。
「シンイチ! 早くこの場から去るんじゃ! わしがどうにかする!」
しかし、シンイチは出口に向かうどころか、ふらつく足取りで洞窟の奥へと進んで行っていた。
「ば、馬鹿もん! 逆じゃ! 何やっとんじゃシンイチ!」
その行動にヨウは思わず動きを止めた。しかし真一は足を止めることもヨウを見ることもなく、奥へ奥へと進んでいる。
一方で、ツバメは止まったヨウに構うことなく先鋭のくちばしを向けた。殺気に、はっとして気づいたヨウはすぐ身体を翻し避ける。が、避ける間際にツバメの身体に当たり衝撃で吹き飛んだ。吹き飛んだ先に、上から伸びていた岩がありそこへ正面からぶつかってしまった。
「いたた……。危うく顔に傷が付くところじゃったわい。おのれぇ……馬鹿シンイチめぇ。わしの働きを無駄にしよって」
ちらっと真一が向かった方向を見た。すると、真一は手に弓とはずし落ちていた矢を持っていた。そしてヨウのところへ向かってきている。
思わずじっと見てしまい、ヨウの気が逸れてしまった。がツバメの殺気を感じすぐさま避けた。ツバメは攻撃の手を緩めることなくヨウに攻撃を繰り返している。
「おい! お前、ツバメの動きを止めろ!」
その声にヨウは下を見た。見れば、真一が傷ついた腕や身体で弓を引こうと矢を番えている。よく見れば痛みで顔が歪んでいる。
「無理言うな! じゃから、ここはわしが何とかする! 早く出てライトに治してもらうんじゃ!」
「うっせぇ! こんなもんなんともねぇよ」
真一は足踏みをし、動作を始めた。逃げる気がない、そう感じたヨウはため息を漏らした。そして、攻撃を繰り返すツバメを睨んだ。
「ぬぅ仕方ない。魔力が減っておるからどれぐらい持つかわからんが……やるしかあるまい」
ヨウは一旦ツバメとの距離をとり、両手を真っ直ぐ伸ばした。手を三角にし、その中に丁度ツバメが入るようにした。
「アビシャス」
その言葉と同時に、ヨウが手で作った三角の空間から透明な空間の歪みがツバメ目掛け飛んでいく。それを見たツバメは避けようと上へ飛んでいくが、その歪みは追尾しツバメの飛ぶ速度よりも速くツバメに追いついた。そして、その歪みに飲み込まれたツバメはその飛んでいる格好のまま固まった。
「今じゃシンイチ! やれ!」
真一は黙ったまま弓を打起こした。そして引き分けようとしたその時だった。大きな切り傷を負った、左わき腹と右肩に鋭い痛みが走った。思わず顔を歪め、一気に力が抜けてしまった。しかし、真一は諦めずもう一度引き分けようと試みた。がやはり鋭い痛みが真一を邪魔した。どうしても引けない。引けたとしても、会を維持できる自信がない。会を維持しなければ、頭上にいるツバメに届くとは思えなかった。
「くそっ……弓が引けねぇ」
「なにぃ?」
浮かんでいたヨウが真一の元へ降り、そのまま左肩へとしがみ付いた。真一の肩をぺしぺしと叩きながら、少し大きな声で言った。
「なんともないんじゃなかったのかの! じゃからさっさと洞窟から出ろと言ったじゃろうが!」
「引けると思ったんだからしょうがねぇだろうが!」
と、固まっていたツバメがくちばしをかすかに動かした。小さく鳴き声も聞こえる。
思わず二人とも頭上を見上げた。見れば羽根も動き始め、ツバメがぎこちなく首を動かし真一たちを睨みつけた。
「ぬ……もう魔術が解けるか。はよう出口に行くんじゃ」
「あぁ」
互いに叫ぶのをやめ、真一は傷口を気にしつつも出口へと走って行く。
真一が跪いていた場所に戻ってみるとまだピィがいた。すぐ横には紐が切れた矢筒が置かれている。矢筒と寄り添うように座っているピィは、真一の顔を見るや否や元気よく「ピィ」と鳴いた。
「ピィなんで逃げてないんだ。ったく、どいつもこいつも……自分で動こうという気にはならねぇのか」
そう言いつつピィを頭の上に乗せ、矢筒を拾い上げようと腰を曲げた。矢筒を手に取り、腰を伸ばそうとした時だった。
後ろから甲高いツバメの声が響き渡ってきたのだ。その声は一匹の鳴き声とは思えないほどの音量で、洞窟の壁に跳ね返っているためなのかあちこちからその鳴き声が聞こえてくる。その鳴き声と同時にピィがもがいていた。何か危険を察しているのか、羽根をばたつかせていた。一方で真一とヨウはその鳴き声に驚き、一瞬行動が止まってしまっていた。
鳴き声がする方へ振り返る。
が、ツバメは鳴き終えた一瞬の間に真一の目の前まで飛んできていた。先鋭のくちばしは、真一の脳天を目指し今にも飛び掛らんとしている。
真一もヨウもそれは確認できたが行動を移す暇もない。声も出すこともできない。一瞬のことで脳からの伝達を身体全体が待っている状態だった。
もう駄目だ、と真一もヨウも思った。
まさにその瞬間だった。
ピィが真一の頭から落下してきたのだ。落ちるタイミングは最悪だった。狙っていたのか、真一の盾になるかのようにくちばしの先端と真一の頭の間に落ちる。
真一の目の前を黄色い毛が覆う。その毛は少し血の臭いがした。
何が起こっているのかわからない状態で、真一は口を開けたまま声が出せなかった。
「……!」
急に目の前が真っ白になった。
眩い光が途端目の前を覆う。真っ白で何も見えず、ピィがどうなったのかツバメはどうなったのか何もわからない。
「なんじゃこれは!」
真一の耳元でヨウの叫び声が聞こえた。何がどうなっているのかわからぬまま、その光が徐々に収まっていく。
そして真一の目の前に現れたのは褐色の鳥だった。羽根をばさばさと揺らしながら真一に背中を向けている。広げた羽根の大きさは真一が両手を広げたぐらいとほぼ同じだった。斑点模様のように黒い羽根が混じり、少し光沢のある身体は美しいと思った。ちらりと前を覗き込めば、黄色の目にくちばしは短く先が尖り少し下に曲がっている。胸の部分も白い羽根に所々黒い羽根が混じっている。足元を見れば鋭い爪をむき出しにしている。
その鳥から目線を移し、少し先を見てみるとツバメが倒れ砂へと化している最中だった。いつの間にか倒したらしい。
再び鳥を覗き込みじっと見つめていると、ふとある鳥が浮かんだ。
「……鷹か?」
そう言ってみたものの、実際に間近で見たことはない。どことなく鷹に似ているような感じだった。
急にはっとした真一は頭をきょろきょろと動かした。先ほどまで見えたピィの姿が見えない。
「あのひよこどこ行ったんじゃ? おらんぞ」
ヨウもそう言って視線を泳がした。しかし、どこにも見当たらない。すると、目の前にいた鳥が大きく羽ばたいて、真一たちと対面に向き直った。翼を畳み黄色い目をぱっちりと開け真一を見つめてくる。
真一も視線をはずさずじっと鷹らしき鳥を見た。見当たらないピィ、急に現れた鳥。
「ま、まさかの。ひよこが……進化するはずは……」
浮かんだ考えを先にヨウが口に出した。顔を引きつらせ半分笑っている。真一が眉をひそめじっと見ている時だった。
「そうですよヨウ。私はピィ。文句ある?」
しゃべった。
口は開いていない。だが、その声が確かに聞こえた。低くも高くもないその声は真一とヨウの耳に届いた。その言葉に固まってしまった。鳥――ピィは悪びれる様子もなく、とことこと歩いて近づいてくると真一の足に擦り寄った。
「やっと話せるようになりました。真一さん、私ピィです。とにかくここを出ましょう。あぁ矢筒は私が持ちます。ローブ全体が破れていて見るからに痛そうです」
そう言うとピィは真一が持っていた矢筒に鉤爪で掴んだ。呆然としている真一の手から力なくすっぽりと抜けると、ピィは矢筒を持ったまま空中に浮かんだ。
「さぁ出ましょう。足元に気をつけてくださいね。きっとライト様が心配されています」
「あ……あぁ」
一言だけ返事をすると、ピィの後ろをついて歩いた。ヨウも呆然とピィの後ろ姿を眺め、目を丸くしている。
「パ、パラッグの雛が……進化じゃと? わしは聞いたことがない」
そう呟いたが、真一はこの鷹がひよこのピィだとはにわかに信じがたかった。
「ひよこは成長したら鶏だろうが……鷹になるなんて聞いたことねぇぞ」