【第十六話】 罠
螺旋状の階段を一歩ずつ慎重に降りて行く。一定の間隔で灯りが灯っているが、薄暗いことには変わりなかった。一人がやっと通れる狭い階段で、真一自身の足音だけが響いている。弓を真っ直ぐ前に突き出し天井に当たらないよう気をつけ、矢筒の矢も音が出ないよう慎重に身体を動かした。
もし、下から誰かが上ってきたなら立ち往生してしまうだろう。こんな狭いところでは弓も引けない。上から誰かやって来て挟み撃ちにされてしまってはそれこそ終わりだ。真一は進みながらそんなことを考えていた。地下に降りていけば行くほどひんやりとした空気を感じ、緊張の余り流れる汗で身体が少し冷えていた。
「……もう上は見えんの。いつまで階段があるんじゃろうか」
少し振り返ってヨウがため息交じりに言った。ヨウは対照的に涼しげな表情だった。恐れている様子もなく、肩にしがみ付いている。
「肩に力が入っておるの。……やっぱり怖いんじゃろ」
「うっせぇ」
と、言い返したが声に覇気がない。そんな返事にヨウはため息を漏らしながら言った。
「心配するでない。わしがおる。シンイチは一人ではないんじゃから」
「ピ」
頭の上に乗るピィも短く鳴いた。まるで自分もいるんだと誇示しているようだった。
ヨウはそんなピィを疑いの目で睨みつけるが、ピィも負けじとヨウを見下す。
「……どうもこのひよことは合わんの」
「ピッ」
それから階段を数段降りると、急に広い場所へと出た。天井も少し高く、弓を立ててもぎりぎり当たらない高さだった。円形の広場で壁には数個灯りが灯り、岩でできているのか、天井も床も壁もごつごつとしている。
階段を降りて真正面を見ると木の扉が三つあった。他に道はないのかと、床を丹念に見回ったがそれ以上降りる階段はなかった。
「……どれかを開けるしかあるまい」
三つの扉をそれぞれじっと見つめた後、真一はゆっくりと手を伸ばした。がすぐに手を下ろしてしまう。そしてまた手を伸ばすが、迷っているのか手をそれぞれの扉に向けている。が、またすぐに下ろしてしまった。それを何度も繰り返している。
黙ってみていたヨウだったがイライラが限界に達した。
「さっさと選ばんかい!」
「うっせぇ! 開けていきなり見つかったらどうすんだよ!」
その時だった。
扉の向こうからカランという物音が聞こえてきた。そして、人がうめくような声も聞こえた。真一は思わず耳を扉に近づけ、それぞれの扉に耳をすませた。
そのうめき声は真ん中の扉から聞こえている。
「……誰かいるのか」
小声で扉の向こうに尋ねた。が、返事は返っては来ない。少しの間返事を待っていた真一だったが、大きく深呼吸をした。
最悪の想定ばかりが頭を巡る。
複数いたらどうするか、武器を持っていたらどうするか、襲われたらどうするか――。そんな悪い考えばかりが浮かぶ。それらの考えを振り払うように頭を振ると、深呼吸をした。
真一は、目を閉じ肺にいっぱい空気を吸い込むと、目をカッと見開き勢いよく扉のノブを掴んだ。そして、一気に引き開いた。
中は小さな丸い部屋だった。天井の中心部に灯りが一つ灯っているだけで薄暗い。扉付近にはぼろ衣が散乱し、部屋全体が少しかび臭い。真正面にはおぼんらしき物とその上には食器が一つ置かれ倒れていた。
そして、そのすぐ横に人が一人倒れている。
薄暗い中でも分かる黄色のおかっぱ頭。そして白いローブ。敵がいないことに少し胸を撫で下ろしつつも、すぐさま真一は駆け寄った。
「助けに来たぞ、大丈夫か?」
華奢な肩に手をかけ起こしてやった。見ると、口を布で塞がれ苦しそうに眉を八の字にしている。手首には細い紐が結ばれ自由が効かなくなっていた。すぐさまその布と紐を取り外すと、途端ライトが手を乱暴に動かし離れようと暴れ始めた。暴れるライトの冷たい手をなんとか掴むと、真一は握り締めた。
「落ち着け! 俺は萩野真一。あんたを助けに来たんだ」
すると、ライトはぴたっと止まり、握る真一の手を恐る恐る握り返してきた。
「ハギノ……シンイチ、さん? ……その声と、この感触は」
真一の手を両手で優しく包み込んだ。つるんとした綺麗な手だった。
「あ、ありがとう、ございます」
肩を小さく震わせながら、少しだけ頬を緩ませ微笑んだ。
真一はひとまず倒れていたライトを壁にもたらせる様に座らせた。ローブを見れば白かったローブは所々黒く汚れている。が、身体や顔に怪我はなく、ほっとした。
「とにかく早くここから出よう。ここはあんたをさらった奴らのアジトなんだ」
その言葉にライトは眉をぴくっと動かし、驚いたように言った。
「アジト、ですか? どうして?」
「あんたさらわれたんだよ。いいから早く立って……」
「わ、罠だわ! シンイチさん、早くここから出てください!」
急にライトが眉間に力を入れ強い口調で叫んだ。
「は? あんた、何を言って……」
と、その時だった。いきなり後ろから足音が響き渡った。
「やっと来たか、待ちくたびれたぜ」
その低い声に真一はすぐさま弓を握り、立ち上がると同時に振り返った。
そこには部屋の出入り口を塞ぐように三人の坊主頭の男が立っていた。口の端を釣り上げにやにやと笑っている。
「ばれていないとでも思ったのか、馬鹿が」
「お前がここに来ることは計算済みなんだよ」
三人とも真一よりも背が高く見下すような形になっている。それでも、真一は咄嗟にライトを自分の身体の後ろに隠し、臆することなく言い返した。
「だ、だったら何なんだよ! 俺が一人で来たと思ってんのか?」
心臓が暴れている。身体中が波打つほど緊張していたが、真一の中に一つ考えがあった。
アジトの入り口にはマスクがいる。ここで大声で叫びマスクを呼び寄せれば挟み撃ちとなり一網打尽だと、そう考えていた。狭い部屋に高くはない天井。弓を引こうと、弓を持ち上げれば天井が邪魔になり、引くには難しい場所だった。この部屋から出ることができる出入り口は、目の前に立ち塞がれてしまっている。
そんな危機的状況の中でも、マスクの存在だけが希望の光となっていた。
しかし、男たちは真一を鼻で笑った。
「ふん、勝手に虚勢を張っておくんだな。お前が何を考えているのか知らんが、もう遅い。俺たちはさっさとここからおさらばだ。……おい、行くぞ」
そう真ん中の男が言うと、左右の男たちが頷いた。そして、三人とも真一たちに背を見せそのまま階段を上ろうとしている。
「は? てめぇらふざけてんのか!」
余裕とばかりに背中を見せる男たちに、さすがの真一もむかっとし叫んだ。が、男たちは真一に構うことなく、列を成しさっさと階段を上ろうとしていた。
「ふざけやがって……なめんじゃねぇよ!」
「ばっ馬鹿もん! あのままどこかへやればいいではないか!」
追いかけようとする真一をヨウは止めようと叫んだが無駄だった。頭に血が上っている真一は、あろうことか部屋に弓を投げ捨て素手で男たちに殴りかかろうとした。
走りながら、かけをつけている右手の拳を掲げる真一。が、それに気づいた一番後ろの男がまた鼻で笑うと、手のひらを向けた。
「馬鹿が。……シント」
歪む空間が真一の胸にぶつかる。そして、前と同じように後ろへと吹き飛んでいってしまった。
あっという間に元いた部屋まで吹き飛び、壁に背中と頭を強打した。そのせいなのか、真一は痛みに顔を歪めうめき声を出した。
「……シンイチさん、どうしたんですか? 何があったんですか?」
「シンイチ! 大丈夫か?」
返事はしないものの、打った頭に手を当て痛みに耐えている。そこへ、真一を吹き飛ばした男が引き返し部屋の扉の前までやって来た。真一の様子を見るなり再び笑った。
「ふん。……これなら俺たちの手でも始末できそうなんだが。まぁいい。ここでおとなしくしてろ!」
そう叫ぶと男は勢いよく部屋の扉を閉めた。そして、扉の向こうからは何か物を引きずるような音が聞こえ、それが扉の前で止まった。遠のいていく足音。
ライトはその音に嫌なものを感じ、壁を支えにし立ち上がると、壁伝いに進んで行き扉に手をかけた。
開かない。押しても引いても全く動かない。
「シンイチさんたち……どうしよう! 扉が……扉が」
必死に扉を動かそうとしながら、ライトは叫んだ。扉の向こうからは声さえ聞こえない。男たちは階段を上っていってしまったようだった。真一は歯を食いしばりつつ痛みに耐え、どうにか立ち上がり扉の近くに進んで行った。
「どうしたんだよ。扉がどうかしたのか」
薄目を開けている真一に、ライトは叫んだ。
「開かないんです! 私たち閉じ込められてしまったんです」
「……なんだって?」
その言葉に真一は意識をはっきりと回復させ、自ら扉を押してみた。
びくともしない。もしかしたらと思い、引いてもみたが動かない。そこで真一は扉に向かって体当たりを何度かしてみたが、それでも扉は頑なに開放を拒んだ。
「どういうことだよ……あいつら何が目的なんだ」
ヨウはじっとライトの顔を見つめた。目を閉じている顔は呆然と扉に顔を向けている。
「わからん……。それもそうじゃが……わしはさっきの小娘の言葉が気になる」
ヨウがそうしゃべった瞬間、ライトがヨウがいる方向へと顔を向け口を開いた。
「……小娘ではなく、名前はライトと言います。貴方のお名前は何ですか? シンイチさんのお連れ様ですか?」
その言葉に真一とヨウは驚いた表情のまま、互いの顔を見合わせた。