【第十三話】 白いローブと白い仮面
船上で、陽が七度海へ沈んだのを見た。ゆっくりと進む船からようやくアラウ本島が見えたのは、八度目の日の出を見たあとだった。船のスピードは変わることなく、ゆっくりと進んで行く。穏やかな波で激しく揺れることもなかった。もう目の前には大きな大陸が見えている。
「そんなにイダワ島とアラウ本島は遠いのかよ。七日ぐらいたっただろ」
船上で本島を望みながら真一が言った。起きたばかりなのか、あくびをしている。
「遠くないんじゃが、船が遅いんじゃよ。大体、移動魔術があるんじゃぞ? それらを使えんもんのための船なんじゃ。余り文句を言うでない」
それからしばらくすると、船が減速して行きやがて止まった。
船から降り立った場所は浜辺だった。船に乗っていた人々が次々と浜へと降りて行く。真一もその列の中に入り、本島へと上陸した。
「はぁ、これが港町シトモンか」
左右を見れば砂浜が湾曲するように続いていた。浜から陸を見ると、イダワ島にあったような建物が立ち並んでいる。その建物を縫うように続く道は、丘になっているためなのだろう坂道となっていた。四角い建物が隙間なく丘に立ち並んでいるが、その一番上、頂上付近に大きな城のような建物が建っている。浜から見上げれば一際目立った建物だった。
「……あれが統治者のいる場所か」
「じゃろうな。……しかし、シンイチ。なかなかローブ姿も似おうとるぞ」
「そりゃどうも」
ため息交じりに真一は言った。
マイク邸から出る時、マイクが真一にフードのついた黒いローブを着させたのだった。おかげで、今真一は真っ黒のローブが全身を覆い、足元はスニーカーを履いているもののフードを被っているため髪の色まで見えなくなっている。が、弓と矢筒までは隠し切ることができなかった。弓は弓巻きに包んでから手に持ち、矢筒はたすきをかけるように肩に提げ背中に背負っている。
「ったく、なんであのおっさんが俺の格好を気にしないといけねぇんだよ」
「そりゃシンイチがまだマイクに雇われておるからじゃろ。何かあったらマイクにも影響あるんじゃ。……にしても、その頭の上のひよこはどうにかならんのんか。せっかく隠しても目立っておるぞ」
呆れた目つきで真一の頭の上に乗るピィを睨みつけた。ピィもじろりとヨウを睨み返した。
「しゃーないだろ。トートバックの中は畳んだ袴が入ったし、手はいっぱいだし、頭の上しかねぇんだよ」
「やれやれ……」
統治者に会うべく浜を歩いて行く。真っ直ぐ行くと足元にあった砂はなくなり、堅い土となった。
その土になると同時に、道は坂道となった。少し先の坂道の両脇を見れば、縦長の四角い建物が立ち並んでいる。そんな坂道を少し上った時だった。
「おっと」
周りをきょろきょろと見ていたせいだろう、坂道を走って下ってきた人とぶつかってしまった。真一は倒れなかったものの、ぶつかってきた白いローブを身にまとった人はその場に尻餅をついてしまっている。
「ごめん、前を見てなかった。大丈夫か?」
膝をおり、フードですっぽりと頭を覆っている顔を覗き込んだ。
「わ、私の方こそごめんなさい」
少し高い女の声だった。色白の肌で目を閉じ、不安そうに眉を八の字にしている。
真一はその女の前に手のひらを差し伸べた。
「ほら、掴まれよ」
「あ、ありがとう」
女は手を伸ばすと、すぐに真一の手には振れず少し彷徨うように手を動かした。まるで見えていないかのようである。その様子に、真一は待っていた手のひらで女の手首を掴んだ。そして、ゆっくりと女を立ち上がらせた。
「あんた、もしかして目が見えないのか?」
「……はい。あの、少しお願いがあるんですけど」
「ん、何?」
女は手首を掴んでいた真一の手に触れると、真一の手を両手で包んだ。それには真一も驚いた。肩に乗っているヨウはにやにやと頬を緩ませている。
「浜辺へ行きたいんです。私を浜辺まで連れてってくれませんか?」
「あ……あぁそんなことか。じゃ、手離すなよ」
女に左手を握らせたまま、真一は浜辺へと戻って行く。真一が少し前を歩き、すぐ後ろでは真一の手を両手で包む白いローブの女が歩いている。
少し照れている真一をからかう様に、ヨウがにやにやと頬を緩ませていた。真一はヨウを睨みつけたが、やめる気配がない。
が、ピィが代わりにヨウの頭を突付いた。それに驚いたヨウがピィを睨みつけたが、ピィも負けじと見下ろしている。両者が睨み合いをしている間に浜辺へと出た。
海に近づくにつれ、潮の香りが漂ってくる。女もその香りで気づいたのか、歓声を挙げた。
「わぁこの香りは、海ですね! すごい……それになんて綺麗な音」
女は真一の手を離すと、ふらふらとした足取りで波の近くまで行った。そしてしゃがむと、恐る恐る手を伸ばし波が手に触れた。
「冷たい……。なんて気持ちいい」
白いローブの裾が波によって少し濡れている。が女はそれに気づいていないようで、ずっとしゃがんだままだった。
「じゃ、俺はこれで。そこに座ってたら危ねぇから気をつけろよ。じゃあな」
真一はそのまま女に背を向け、再び坂道を登ろうと引き返して行った。背中の向こうから女の小さな声が聞こえた。
「……ありがとう」
真一は顔だけ振り返って見た。
女は目を瞑っていながらも、嬉しそうに微笑んでいた。
坂道を登りながら町の様子を見て行った。歩く人々は個性豊かな色のローブを着て、髪は相変わらず紫色だった。イダワ島の時よりかは視線を集めることはなく、やはりローブとフードを着ているせいだろうと、真一は思った。それでも手に持つ弓や矢筒、頭の上のピィのこともあってやはり訝しそうに眺められる。
「……シンイチ」
力のないヨウの声だった。
「お腹すいとらんか? わし……よく考えたら何も食べておらん」
タイミングよく真一のお腹の虫が鳴いた。ヨウにそう言われたかどうかはわからないが、急にお腹がすいてきた。
おまけにいい匂いまで漂っている。その匂いに釣られるように、再び真一のお腹が鳴いた。
「ここ、市場みたいなんじゃ。何か食べる物買わんか? お金は確かマイクからもらったじゃろう」
ローブのポケットを探ると、金貨が二枚ほどあった。どうやらマイクが真一にローブを渡す際に入れていたらしい。
おせっかいなおっさんだ、と真一は思いつつも周りの店を見渡した。
建物の一階が店になっているらしく、どれも入り口の上には看板が掲げられている。が、真一はそれを読むことはできなかった。蛇のような字が書かれているようにしか見えなかった。真一はおいしそうな匂いを頼りに、一つ店を選んだ。窓から出る匂いに釣られて見てみると、なにやら肉まんのような丸く白いものが置かれている。
「いらっしゃい」
中から髭を生やした中年の男が顔を覗かせてきた。
「それを二つくれ」
「はいよっ。その前にちょいと確認だ」
そう言うと男は突然、真一の右腕を掴みローブを捲し上げた。
「おい、何すんだよ!」
「……黒い布。あんたサモナーか」
巻かれた布を見るや否や、男の態度が一変した。舌打ちをし手を払うような仕草をした。
「別の場所を当たってくれ。この店にサモナーに買われるようなものは売ってないんだ。どこかへ行きな、商売の邪魔だ」
「な、なんじゃと! このおやじめ! わしらは客じゃぞ!」
ヨウは身を乗り出し男に文句を言っている。が、見えないので当然男の反応はなかった。真一も唇を噛み締め男を睨みつけたが、男はさっさと店の奥へと消えてしまった。それでも真一は店の前で立っていると、後ろから突然若い男の声がした。
「おっさん、それ三つくれ」
その声の主が真一の隣にやって来た。その姿に真一は少し驚いた。
一番目を引いたのは、顔につけている仮面だった。真一のいる側、顔の左半分に白い仮面を被っている。目の位置に小さな丸い穴があり、口のところは切れ目が入っている。それ以外はただ真っ白で、少し気味悪ささえ感じた。髪の毛は紫色で、短いせいなのか逆立っている。格好がローブではなく、ヨウと同じようなゆったりとしたズボンと長袖で、それぞれ水色のものを着ている。足元は短いブーツのようなものを履いている。右腕には青色の布が巻かれていた。
「……イシャイナーか。ちょっと待ってくれよ」
店の男は布の色を確認するとにこっと笑い、置かれていた肉まんのようなものを袋に三つ入れた。
「はい、おまち! また来てくれよ」
袋からおいしそうな匂いが漂っている。隣に立ったままだった真一の鼻にもその匂いが届いた。買うことを諦め、真一はため息を漏らしつつその男から離れ坂道を登ろうとした――その時だった。
「ちょっと待ってくれ」
突如後ろから声をかけられた。振り返ると男は一つ肉まんらしきものを口へ頬張り、残りの二つが入った袋を前に掲げている。
「これ、あんたのだ。腹減ってるんだろ?」
「え……俺?」
立ち止まっていた真一の元へ男が近寄り、袋を真一に渡した。
「あんたの腹の音。こっちに聞こえてたんだ」
「あ、はは、そうか。わりぃな。じゃ、これ……」
笑いながら真一はポケットの中から、金貨二枚とも男に差し出した。男は金貨を受け取ると、にこっと笑った。顔の左半分が隠れているが、出ている目と口が笑っている。
「じゃあ、またな」
男は手を挙げ別れを言うと、そのまま横道へと入って行った。
「……変わった男じゃの」
「まぁいいんじゃね。さ、これ食べながらさっさと坂上ろうぜ」
真一は一つをヨウへ渡し、残った一つを半分に割るとピィの口の中へ投げ入れた。そして、その半分を頬張りながら坂道を再び上り始めた。
「……肉まんだな。……肉? まさか、この肉ひよこなのか」
「当たり前じゃ」
それに思わずピィと真一の口が止まったが、どちらも空腹には勝てず食べきってしまった。
坂を上りきるとそこに大きな四角いお屋敷のような城が建っていた。周りには木々が植えられ、細い幹ながらも葉が生い茂っている。振り返れば海と港町シトモンの様子が一望でき、立地の良さを伺わせた。
「これが統治者の城か。ま、入ろうぜ」
「素直に証をくれればいいんじゃが……」
城の扉の前に真紅のローブを着ている男が二人、真一の前に立ちふさがった。その腕には緑の腕章がつけられている。
「待て、貴様の身分は何だ?」
「統治者様に何の用件だ?」
それぞれ背の高い男たちは訝しそうに真一を見下ろした。目が行くのはやはりピィと弓と矢筒のようだった。
「……俺の身分はサモナー。証をもらいにやって来た」
そう真一が言うと男たちは一瞬眉をひそめ嫌な顔をした。そして、互いの顔を見合いため息交じりに頷き合った。
「……入れ。中に統治者、シトモン様がいらっしゃる」
「失礼のないようにな」
そう言うとあっさり扉を開いた。追い返されるのではないかと一瞬思った真一は、拍子抜けしてしまった。
「どうも」
首だけでおじぎをして、さっさと横を通り過ぎ城の中へと入って行った。