13.太母の問答-1
目の前にそびえたつ、うすぼんやり発光している紫色の巨木。
その姿はいっそのこと神々しさに満ちていた。
圧倒されて声も出ないレックハルドに、旧き太母と名乗る巨木は、その落ち着き払った声で告げた。
『さて、あなたはどうしてここに来たのでしょうか。レックハルド』
レックはルドは答えることもできず、ただ茫然と”彼女”を見ていた。
うすく輝くエイダー・マーターの背後には、黒い森が広がっている。そこに妖精らしい影が、ふらふらと飛んでいるのが見えた。笑いあい、さざめきあっているようであまりにも幻惑的だ。
そんな不思議な空気に、レックハルドは自分は夢を見ているのではないかという気にさえなる。
そんな彼の頭に、声が響いてくる。
『あなたが私の誘いに乗った理由はおそらく二つあるのでしょう』
レックはルドが現実に引き戻されるように、彼女に視線を向ける。声は不思議な響きを持っているが、はっきりと聞こえる。
『一つは、イェームの正体を知りたいから。もう一つは、私の正体を知りたいから。そうですね』
「あ、ああ。そうだ」
そうきかれて、レックハルドは憑かれたように頷いた。
「確かに、オレはあんたの正体も知りたければ、あいつの正体も知りたかった。それで、あんたに敵意がないのを確認して、ここに来た」
そうでしょうね、と声が響いてきた。
『私の正体については、おおよそわかったでしょう。……言葉で伝えるよりも、私の姿を見せた方があなたは理解してくれると思っていました。あなたは、何より見えるものを信用する筈です。だから、私はあなたをここに呼び出しました』
全て見通しているようなことをいって、エイダー・マーターは少し笑うような声を立てた。
『この森は私の森です。ですから、私はここに入ってきた者について把握しています。もちろん、あなたのことも、イェームのことも、果てはあの司祭のことも。私の森の中のことは、私にはすべて見通せる』
「あ、あんたは、あの司祭とは関係ないんだよな?」
急に不安になったのか、レックハルドは尋ねた。
「危害は加えない、その約束は守ってくれるんだろうな!」
疑心暗鬼のレックハルドに、エイダー・マーターは少し優しい言い方で答えを返してきた。
『あの司祭は、筆頭司祭ギルベイス。確かに、今の太母はアレをしもべとしています。しかし、私はすでに引退した身、今では現役の司祭を操れるほどの力は持ち合わせておりません』
「そうなのか」
『ええ。それに、あれは彼の独走のようですし、司祭達全員の意思というわけではないのでしょう。どういうわけか、ギルベイスはあなた方に深い恨みを持っているようです』
なだめるような言い方に、レックハルドも少し彼女を信用する気になったようだった。軽く唸って顎をなでる。
「オレは、あいつに恨まれる覚えはないぜ」
『かもしれません……。今の”あなた”には……』
静かにエイダー・マーターは言う。それは少し寂しそうな気配を漂わせていた。そして、ふと話を変えた。
『ところで、あなたの旅の目的についても確認しておきましょう。あなたは、魔幻灯のファルケンを助けるためにここに来たのですよね』
「ああ、あんたならそれぐらいわかってるだろう?」
なんでも見通せると、彼女は言った。レックはルドは、隠し立てしない。
「オレはあいつを助けられる太母を探してここまで来たんだ。ただ、道を間違えてこの旧い森に入り込んでしまった。通りすがるだけで、別にあんたたちに危害を加えたりすることはないぜ」
『そう、魔幻灯を助けられるのは、私の娘、今の太母。司祭達はあの子の子供達ですから、その呪法もあの子の前には無意味ですからね』
「ああ、そうきいた」
『ですが、それは私も同じですよ』
エイダー・マーターは、穏やかに告げる。
『娘と同様の力は、その親である私にもあるのです』
「どういうことだ?」
レックはルドはきょとんとした。
『魔幻灯のファルケンの呪縛を解く、その力は私にもあるということです。私も太母、娘と同じ力を持ち合わせていますからね』
「えっ!」
レックハルドは驚いたように巨木を見上げた。無感動な事務的な声で、エイダー・マーターは、もう一度はっきりと言った。
『私も、ファルケンを蘇らせることができる、そう私は言ったのです』
「そ、それは本当なのか! あ、あんたも、そんな力が?」
レックはルドが急きこんで聞く。
「で、でも、だったらイェームだって知ってただろ。アイツも狼人だし、こういうことには詳しいだろう? それなら、この旧い聖域に来ても、別に間違いじゃない。なのに、アイツはここにきたのは間違いだったって言ってたぜ。アイツはなんで知らなかったんだ?」
『イェームはあえてあなたに教えなかったのではないでしょうか』
なぜ、と疑問に思ったが、それをエイダー・マーターに尋ねても答えてくれそうな気配がない。彼女は話を進めた。
『そもそも、魔幻灯にかけられた呪いを解呪するための”涙の器”というのは、グランカランの真下に生える花です。その朝露に特別な力を込められるのが、私や娘のような特別なグランカランだということだけです。私には以前ほどの力はありませんが、司祭の呪法をとくのは別に難しいことではありません。彼らの力よりも、私の力が上ですから』
「そ、そうなのか!」
レックはルドはその話を理解すると、喜びの声を上げた。
「じゃあっ! あいつを助けてくれるんだな! あんたが! 聖域までいかなくても、太母に会わなくても、この旧い聖域のあんたがファルケンを助けてくれるというんだよな!」
レックハルドは嬉々として、顔を上げた。
「あんたの力さえあれば、あいつは、助かるんだな!」
『ええ、助けることができますよ』
レックハルドに対して、エイダー・マーターはやや無機質に答える。
『あなたは人の身でありながら、死の砂漠を超え、私の旧い聖域にまで到達した。私に対し、並みならぬ勇気も意志も見せている。もはや、試練を乗り越えたものとみなしてもよいでしょう。少なからず、私はあなたの勇気や意志に敬意を払いたい』
「それなら……」
と、エイダー・マーターは彼を落ち着かせるように言った。
『ただ、魔幻灯を救うにあたり、一つだけ条件があります』
「じょ、条件?」
レックハルドは驚いた。
「な、なんだよ。どんなことだ?」
『あなたに一つやっていただきたいことがある』
「いいぜ! オレはなんでもやる! なんだってやってやるから!」
レックハルドは間髪入れずに答えた。
「オレはどのみちなんでもやるつもり、死んでもいいって思って、死の砂漠を超えてきたんだ。今更、何を怖がることもない。条件を教えてくれ!」
『なんでも、……やりますか?』
「ああ!」
確認するようにいったエイダー・マーターに、レックハルドは力強く答えた。
しばらく、エイダー・マーターは沈黙した。
彼女が沈黙すると、頭上で考え事をしているかのように葉の擦れる音がする。ざわざわ、ざわり、さざめく小声のようだ。
赤紫色の光が、わずかに交錯して、ぼんやりとあたりを明るく照らす。
『わかりました。では、まず、あなたにお話しすることがあります』
「なんだよ。焦らさずに話してくれよ」
レックハルドは、そろそろ持ち前の短気さをのぞかせる。徐々にエイダー・マーターにも慣れてきているのか、レックハルドは多少なれなれしくなっていた。
『ふふ、あなたらしいですね。けれど、話はじっくりと聞いてください』
エイダー・マーターは、それをどうとったのかわからないが、その声が一瞬楽しそうだった。しかし、すぐに元の事務的な声に戻る。
『まず、イェームの正体からお話ししましょう。それから話を聞いてください』
「なんでまた、あいつの正体から?」
レックハルドは待ちきれないといったように、急かすように訊いた。マザーは、あくまで無感動に、静かに静かに言う。
『彼の正体が、この話に大きく関わるのです。ですから、先にあなたに伝えないとならないのです』
「そうか。さっさと説明してくれよ」
つい、そう言ってしまったが。
と、レックハルドはすぐに後悔した。何故だろう。
ファルケンが助かるという話を聞いて、つい有頂天になってしまって言ったものの、イェームの正体を知るのが今更になって恐いような気がしてきた。
(あいつの、正体?)
それは、実はこの度の最中、意図的に深く考えないようにしていたことだった。イェームが言いたくないのなら、言わなくても良いと思っていたが、ずっと気にはなっていた。それに、ある種の予想や予感もあるのだ。そのことが段々レックハルドの中で、色濃い不安に変わる。
『聞かない方が良いのなら、かまいませんよ」
レックハルドの心を見透かしたように、エイダー・マーターの声が響いた。
『このことを知れば、あなたは後戻りすることは許されません。知りたくないのなら断ることも許されます』
「い、いや! 教えてくれ!」
レックハルドは強い口調で尋ねた。
「オ、オレは、もともとファルケンを助けるためにここに来たんだ。もう今更後戻りなんてできないんだぜ!」
レックハルドは決意して、深く頷いた。
「いいよ、覚悟はできている。話してくれ!」
恐れる心を隠すようにレックハルドは、はっきりとそう言った、
「あいつは一体何者だ?」
エイダー・マーターは、一瞬だけ沈黙し、再び木の枝を軽く揺らした。
ざわざわという木の葉の音が響く。そして、声が聞こえてくる。
『妖魔というものを知っていますか?』
「ああ、もちろん」
エイダー・マーターにそう尋ねられ、レックハルドは頷いた。
『彼らは邪気の塊から生まれ、やがて力と意思を備えたもの。通常、残留思念と呼ばれる心のかけらが寄り集まり生まれるものです』
「ああ、それは知ってるよ。だが、それと何が関係あるんだい?」
レックハルドは敢えてそう尋ねてみるが、内心落ち着かない。
『その質問は無意味です。あなたほど勘の鋭いものが、気づいていないはずがない。あなたが不安に思っている通りのことです』
レックハルドは、その鋭い指摘にぎくりと肩をふるわせた。流石の彼も動揺した。その予想をしていなかった訳ではない。しかし、はっきり告げられるのは衝撃だった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! そんなことが!」
青ざめた顔で首を振るレックハルドに、エイダー・マーターは容赦なく続けた。
『そう、あなたの予想通り、イェーム、狼人、旅人のイェームというものは、妖魔です。妖魔は近しき人の姿を借りる。彼はあなたに近づくために、『魔幻灯のファルケン』という、あなたの記憶の中の親友の姿を借りたにすぎない』




