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辺境遊戯・改訂版  作者: 渡来亜輝彦
第十七章:旧い太母(エイダーマーター)
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1.漂着神話

 暗闇の中に、か細い光の瞬く、音もない空間。

 ただ、時間が流れて、闇の中に消えていく。そこには、一見なにもないようにみえた。


 "彼女"は、その何もない空間を、長い間彷徨っていた。


 ”彼女”、いや、正確にはその存在は”彼”でも良いのかもしれない。

 しかし、それには我々の言う性別などというものはなかった。それらはその一つの存在で生み出すことができた。

 ただ、ものを創り出し、産み出すものを”母”と呼ぶのなら、それはまごうことなく”母”だった。その言葉に女性性を見出すのなら、そのことを”彼女”と呼ぶのが感情的にふさわしい。


 その”彼女”が母なる大地を旅立ってから、もうすでにどれだけの時間が経ったのかも、彼女は忘れてしまっていた。それは長い旅路だったのである。

 すでに母なる大地はなかった。

 そこは増えすぎた彼女の”同族”によって老いた古い大地だったのだ。まだ若かった彼女はそこを捨てざるを得なかった。まだ彼女は新しい場所に移動できる力を持っていた。だからこそ、力のあるうちに行かなければならなかった。

 彼女に必要なものは暖かな光。そして、豊富な水のある大地だった。

 恒星の放つ光を安定的に受けられる大地、そして清らかな水。それが生み出す温暖な気候。

 広大な空間に漂いながら、彼女はそれを探し求めていた。

 それをすべてかなえられる場所は、さりとてそう多くなかった。


 彼女は最初、好ましい場所に手当たり次第住み着いてみた。

 彼女が求めるのは、それこそ豊富な日の光であったが、まずは贅沢は言えない。最初に棲みついてみた星は、彼女の求めるほど豊かな大地を持たなかった。

 彼女はその貧しい大地に根を張った。光はか細かったが、彼女は逃すまいと黒い触腕を広げて光を目いっぱい吸った。

 降り注いでいたか細い光は彼女の腕で全て吸い尽くされた。

 地上から見るとそれは日蝕に見えただろう。地上は真っ暗になってしまった。

 そして、そこに息づいていた少ない生き物は、彼女が光を喰らい尽くしたことにより、簡単に死滅してしまった。

 

 彼女は嘆いた。そして罪深さに涙した。涙、といっても、ヒトの感覚で言う涙ではないが、彼女がヒトの姿をしていたら、涙を流していたのだろう。

 彼女は、慈悲深い性格をしていた。そして、寂しがり屋でもあった。

 彼女は孤独だったが、それゆえに仲間を欲していた。

 だからこそ、自分のせいで他のものが滅びたことに責任を感じ、悲しんだ。

 

 しかし、背に腹はかえられないのだった。何度か、彼女はそうした大地を見つけては、試してみた。貧しい大地に根を張って、降り注ぐ光を黒い触腕で受け止める。彼女としては控えめに食事をしたつもりでも、それでも、他の物を傷つけてしまう。

 彼女はその兆候が表れると、耐え切れずにその大地を去ることにした。すぐに新天地に向かって旅立った。


 彼女は、安心して暮らせる約束の地を探し求めていた。

 彼女が根を張っても、他のもの達の大きな負担にならない、暖かく豊かで生命力に満ちた大地。

 広大な世界の片隅には、きっと彼女の望む場所があるに違いない。そして、それを探し求められるだけ、彼女の命もまた長かった。

 

 どれだけの時間が経過したのか、いくつもの大地を転々としてきたのか、彼女はもはや覚えていなかった。

 

 ある時、彼女は暖かな陽光を感じて、そちらに向かった。

 そしてその先で、初めて彼女の希望に叶う大地を見つけたのだった。

 それは緑の蔓延る大地だった。豊富な水が流れ、溜まり、雨となって降り注ぐ。あたたかな陽光はあくまで穏やかでありながら、彼女の求めるままに降り注いでいた。

 そこは、命に満ち溢れた大地だった。

 彼女は、いつも通り根を張った。けれど、彼女も少し臆病になっていた。それはおそるおそるだった。いつも通り黒い触腕を伸ばして光を喰らうと、一時的に日蝕が起こった。しかし、降り注ぐ日の光は多く、また水も豊富で、彼女を支える栄養分にも満ち溢れた大地であった。彼女はすぐに満ち足り、触腕を伸ばすのをやめた。空はすぐに明るくなった。

 地上に住む生き物たちは、少し驚いた様子ではあったが、大きな影響はないようだった。

 彼女は、感激した。

 こここそ約束の地なのだと確信し、彼女は、初めてゆったりとその大地に根を下ろした。


 長い月日が穏やかに流れた。

 彼女は外来の存在だったが、そのころにはその大地を愛し始めていた。

 たった一人だった彼女は、やはり寂しかったのだ。その地に息づいた生き物達と共存しようと考えた。

 あくまで彼女は友好的だった。仲間になろうと思った。

 

 さて、その大地には、彼女以外にも”知的生物”と呼べるものたちがいた。

 単純な生き物しかいないのだと思っていた彼女は驚いたが、同時にとても喜んだ。

 彼女はさっそくその生物と接触した。

 彼らは、硬い鱗と変温する巨大な体を持つものだった。彼らは竜だった。

 そのころの竜には、少なからず意思疎通のできる知的なものたちがいた。彼らも彼女に興味を抱いた為、彼女は彼らの姿に似せた”守人”を作ることにした。

 それは彼女の子であり、分身でもあった。

 それゆえに、守人はあくまで性別を持たず、彼女とよく似た思考をしていた。この大地についての理解はあまりなかったが、守人を作ったことで竜から情報を得ることができた。

 竜は守人の影響を受け、更に知的な存在になった。彼女が教える魔術を覚え、自らの特性を磨いていった。竜のうち、特に賢者であり、実力のあったものが歴代の王となった。

 彼女と竜の関係性は良好であった。


 しかし、あるときに竜の王は告げた。

 すでに我々は滅びに向かっているのだと。

『貴方が本当に、この大地と融合したいのであれば、今からこの大地に蔓延り、支配するであろう存在に近づいた方が良いだろう』

 それは何かと彼女は尋ねた。

『それは人間という。彼らはこんな深い森の中には来ないのだ。貴方が知らぬのも無理はない』

 彼女はそれに興味を抱いた。

 ほかに”知的生物”といえる存在がいるのは興味深い。そして、話をしてみたいと思った。

 竜の守人はあくまで竜の姿をしていた。森の外に出るのには向いていないと竜の王はいった。

 その為、彼女はまず広がり始めていた自らの森にいた猿や狼を経由させた。

 そもそも植物もそうであったが、彼女の力に触れたモノは、独特の変化を遂げるのである。竜ですら影響を受けたようにだった。この大地に棲みついていた植物は、彼女の力を受けて独自に進化し形を変えていた。だから、彼女の配下となった猿や狼も、また影響を受けていった。彼女の力の影響を受けた動物たちは、高い知能を得ることができるものもいた。いわゆる、タクシス狼と呼ばれる狼に、時折人語を解するものがいるという噂は、彼らが実際に高い知能を持った彼女の眷属の狼の子孫だからである。

 そうした彼らを駆使して、彼女はそれを探した。


 ようやく見つけ出したそれは、竜の王がいったとおり”ヒト”とか”ニンゲン”とか呼ばれていた。

 

 彼らは数が多く、いつの間にか大地はヒトであふれていた。逆に竜は滅びに任せていた。

 一方で、彼らは臆病な生き物であった。竜の姿をした守人が彼らに接触する前に、彼らは恐れおののいて隠れてしまった。  

 ヒトは知恵こそあったものの、さほど強靭な体をもたなかった為、竜達を恐れていたのだ。

 しかし、彼女は根気よく接触をはかっていった。ヒトは、竜ですらたじろぐ力を持つ彼女を崇めた。ヒトは小賢しくはあったものの、か弱さも見せる存在だった。弱さゆえに彼女に怯え、弱さゆえに彼女に甘えた。

 彼女は、ヒトを可愛らしいと感じた。

 

 ヒトは彼女を”神”と呼んだ。

 ”神”がなにを示すのかという概念を彼女は知らなかったが、彼女を畏怖し崇める彼らは彼女の長き孤独を癒すものだった。

 

 だからこそ、彼女は、ヒトを可愛らしく思った。

 そして、この大地が生み出した”ヒト”と混ざり合えば、この大地とまじりあえるのではないかと考えた。ヒトは、少なくともこの大地が生み出した意思のある代表的な存在だったからだ。

 彼女は、最初の、竜の姿をした守人を自分と同じ姿に戻した。守人だった”娘”は、彼女と同じように大地に根を張り、やがて次の世代の太母となるべく教育することにした。

 そして、彼女は、改めて守人を作ることにした。

 彼女は自分の分身たる子供達を、ヒトに似せて作ることにした。つまり、彼らは”ヒトの似姿”として作られた。


 まず、彼女は守人を雌雄に分けた。

 本来強靭な力と超常ともいえる力を持っていた守人は、雄に似せた強靭な力を持つものと、雌に似せた超常の力を持つものに分けられた。

 雄を狼人、雌を妖精と呼び分けたのはヒトであったが、彼等は見た目ではっきりと違いがわかった。本来彼女には性別がないため、正直分離する理由には理解しづらい部分も多かった。その為、彼女の子供達もヒトと比べると不自然なものではあった。そもそも、彼女の子供達は、生殖の必要がないのだった。その為、彼等は発情することがなく、多くはヒトの恋愛感情を理解することができなかった。彼等にとって、雌雄が一緒になるのは、母なる彼女と同じ姿……、つまり真の姿になる為の手段だった。分けられた二人が融合して一つの存在となる。

 しかし、それは、ヒトの感覚とはまったく違うものだ。

 だが、彼女は理解できないながらに、一つ手を打っていた。

 彼女は、敢えて子供達をヒトと交雑可能な体に作っていたのだ。

 あくまで、彼女にはヒトのことが理解できない。しかし、彼女がこの大地の動植物に影響を与えたように、長くヒトにふれていくと、やがて彼女の子供達の中には、やがてヒトの感情や本能を理解できるものが現れるに違いない。きっと、それは、突然変異的にあらわれる。

 そして、それらの子がヒトと交雑していけば、いつしか、彼女はこの大地の生み出したヒトと同化していけるのだ。


 それは彼女の願いだった。

 

 彼女はあくまで仲間が欲しかった。

 今のままでは、彼女はやはり”外来の神”だった。この大地に根付いて、この地のあらゆるものを愛してきた。けれど、彼女と彼らは明確に違っていた。

 彼女は、ただ、この、愛すべき大地に受け入れてもらいたかった。自分も、同じ大地に溶けてしまいたかった。

 彼女は、”外来の神”でなく、この地そのものになりたかったのだった。


 

 ・

 ・ 

 ・

 

 長い長い月日が流れた。

 

 変わらず、彼女はヒトを愛していたが、ヒトは愚かしく罪深い生き物だった。

 やがて、自らの欲望の為、彼女に盾突く者もあらわれた。

 彼女の子供たちも数を増やしていた。そして、好き勝手するヒトとの争いも起こるようになっていた。

 そのころには彼女の子供たちも、やがて多少なりとも彼ら自身の意思を持つようになっていた。ヒトへの憎悪すら抱くようになっていた。

 彼女は双方をいさめたが、幾度か争いがおこるようになっていた。


 実のところ、争いをとめられなくなるほど、彼女は年老いていた。緑に染まっていた葉は、紫色の輝きに変化していた。年老いたといっても、彼女の命は恐ろしく長かったが、力の衰えがみられるようになっていた。

 以前の彼女なら、双方の精神に作用する力をもってして、何とか争いを回避することができたのだ。しかし、それができなくなっていた。

 彼女は、”娘”に代を譲ることにした。

 ”娘”とは、もともと竜の姿をした守人だったものだ。娘が新しく太母になることになった。

 ”彼女”は娘にすべてを託して隠居し、自分たちは旧い守人たちと自らの聖域の奥へと引き込んだ。

 しかし、ほどなくヒトが森に火を放ち、森が焼けた。新しい太母である娘は炎を憎悪し、そして、いくらかヒトに対しても憎悪を抱いてしまった。

 娘が生み出す子供たちも、炎に対する嫌悪と、ヒトに対しての警戒感を持って生まれてきた。

 彼女の望んでいた願いは、もはやついえたのかと思っていた。


 しかし、彼女にはひとつ希望があった。

 彼女は、とある男と約束をしていた。それはヒトの男だった。

『もし、困っているのなら、俺がアンタを助けてやろう』

 その男は、ヒトの国の代表として使いに来た男だった。

 臆病で力もなく、しかし、知恵だけは回る男。何の力も持たないくせに、何故か彼には日の光のようなものを感じた。嘘でも彼女にそう声をかけるような、傍若無人さが、彼女には嬉しかった。

『その代わり、俺にもアンタの手を貸してほしい』

 彼女は――、彼に指輪を与えた。その婚約指輪なのだという指輪に、彼女の木からできた琥珀の宝玉をつけるようにいった。

 そして、彼女は、彼女の子の一人が男をいつでも守るようにと願った。

 

 彼は幾度となく彼女の危機に現れる。

 自分の約束に縛られているのか、それとも、彼の意志なのか。魂を巡らせて、いつでも彼は助けに来てくれる。

 そして、いつでも、彼のそばには狼人が一人ついているのだった。

 

 それは、彼女の願った通りだった。

 彼女が若い頃生み出したような、炎も恐れず、ヒトを憎悪しない、そして、まだヒトの感情を理解しきれないような、不器用な狼人。

 彼女は、彼らを懐かしく、快く思っていた。

 彼らが笑い合っていれば、自分の望んだ未来がやがて来るのではないかと、そんな風に思えるからだった。


 ”彼女”は、いつだって待っている。

 もはや、誰も来ることもなく、ヒトが決して近づくこともなくなったこの森の奥で。


 自分とこの大地が溶け合う未来を――。



 *


 花びらのように降り注ぐ、赤紫の葉。

 広大な森の中は、その赤紫色の輝きに満たされていた。

 古い魔力に満たされた森は、その影響により雑草までもがその色に染まっている。

 木々の間から、さざめき合うように声が聞こえる。ただですら古い辺境古代語クーティスよりも更に古い言語の流れるような響き。

『誰かが森の中にやってきた』

『ああ、この森の中に』

『古い聖域に』

『偉大なる太母ムーシュエンの赤い聖域に』

『旧い太母エイダーマーターの美しい聖域に』

『誰か? ああ、あれはヒトじゃないか』

『そんなはずはない、人間がここにくるはずがないじゃないか』

『しかし、ヒトのように見える』

『実際に人間だ』


 さわさわと風で葉が揺れる。その葉のさざめきに紛れて彼らは話す。


『あの男に見覚えがある』

『ああ、そうだ、あの男だ。懐かしい』

『あの男が帰ってきた』

『ああ、また来たのか』

『遠い記憶だ』

『でも何故?』

『きっと約束だからだ』

『約束』

『約束をしている』

『我らが太母マーターと』

『だが何故”妖魔ヤールンマール”をつれている?』

妖魔ヤールンマール? 何故彼が妖魔だと?』

『彼は道案内人だ。妖魔ではない』

『いや、妖魔だとも』

『妖魔なら排除しなければならない』

『ああ、妖魔なら排除を』


 そこに一つの声が割り込んだ。


『待て。まだ行動してはいけない』

『何故?』

『何故?』

『何故?』

『様子を見るのだ。彼らが本当に排除しなければならないものかどうか、よく見てから行動しよう』

『そうか、お前が言うならそうなのだろう』

『お前が一番彼らのことを知っている』

『わかった』

『それよりも、もう一つの気配の方が問題だ』

『ああ、それは問題だ』

『でも、どちらにしろ』

『我々は』

『我々は』

『我らが太母ムーシュエンをお守りする』


 赤紫色の森が、ゆらゆらとざわめく。

 彼らは静かに視線を、森の入り口に向けた。

 その森の入り口からひょろりとした背の黒髪の男と、狼人を思わせる体格の覆面の大男が歩いてくる。舞い散る赤紫色の葉が花吹雪のように彼らに降り注ぐ。

 その色は祝福にしては毒々しさを伴っていたが、拒絶にしては優しく華々しかった。


 赤紫色に輝く旧い森は、彼らを迎えて一層輝きを増していた。


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