1.砂漠に臨むイリンドゥ
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少し古い話をしよう。
お前の指にはまっているその指輪の話だ。
その指輪が、歴代このギルファレス帝国の宰相に与えられている印章であることは、お前も知っているだろう。今はお前が宰相となったのだから、その指にそれを嵌める資格がある。
随分と古い指輪だと思っているだろう。しかし、お前は目利きでもあるから、それがただの古びた指輪でもないことを知っている。
その黄金の指輪は、印章として粘土板や蝋に押し付けて使うことができ、それが宰相として命令するときに使われてきた。今もそうだが、今は寧ろ花押を書く方が多いかな。その指輪で命令を下すのは、実に限られている。何せ古い指輪だから、大切に扱わねばならないからな。
黄金の地金にのっている赤い石。それは紅玉でも瑪瑙でもない。ああ、さすがはお前は目利きだね。その通り、これは琥珀だ。
ただ、これはただの琥珀ではない。
その前に、まずは琥珀という宝石について話をしよう。
琥珀というのは、気が遠くなるような昔の木の樹液が長い年月をかけて変化したものだそうだ。ということで、この石も元々は樹から流れ出たものなのだよ。琥珀は宝石には違いないから、お前も知っての通り高額で取引されている。この石は、お前も分かる通り高値で取引される美しいものだ。
だが、これは普通の琥珀とは違う。
何が違うのか、お前にはわかるかな?
はは、まどろっこしいという顔をしているな。相変わらず、お前は気が短い。合理主義なのはいいが、人間余裕を持たなければならないぞ。
これは、実は辺境の聖樹グランカランの樹脂が固まってできた琥珀なのだ。グランカラン琥珀は、少数だが人の世にも出回っている。こうした血のような赤い色をしているのが特徴だが、それは我々にはわからない特別な力を帯びているのだそうだ。
そして、このグランカラン琥珀は、その中でも特別なものでね。
これに関しては、私も本当かどうかもわからないのだが、この琥珀はいわば太母と呼ばれる、辺境の森の女王であるグランカランのものなのだそうだ。
だからこそ、この琥珀には、普通の宝石ではありえない魔力を秘めているという。
何故、この琥珀が我が帝室にあるのかと、お前は気になっているだろう。それは私にも言い伝えでしかわからないことだ。
ただ、この指輪を最初に作った男は確かにいた。
その男は、とある国の人間の宰相だった。愚かな人間でありながら、賢明で勇敢な男だった彼は、辺境の太母にすら謁見することができたのだ。
彼は太母から、その琥珀を下賜された。男は辺境を守る為に、必要な力を与えると彼女から伝えられた。男はそれを指輪の形にした。彼は、必要な時にその力をつかい、幾度となく自らと辺境の森の危機を逃れたのだといわれている。
その男の指輪がとある王家に伝えられ、そしてそれが我が帝室にも連なっている。だからこそ、ギルファレス帝国の宰相の印として今でも使われているのだ。
我が国の今までの宰相たちは、とても賢明な者たちだった。私利私欲の為に、この指輪の力を使うことはなかった。そうした人物を、敢えて帝王が選んでいたからだ。
そして、私が選んだのは今度はお前。
お前も、決してこの指輪の力を悪用することはなかろう。私はそう確信しているからこそ、敢えて若いお前を宰相に選んだのだ。
私が死ねば次の帝王がつくだろうが、彼は何かしら危険な香りを漂わせている。だからこそ、私はお前を宰相として選んだ。彼を止めなければ、帝国はおろか、この周辺の地域全般が荒廃して滅びることになるかもしれない。それは、辺境を巻き込むことになるのかもしれない。
そうすれば、どうなるか、お前には予想がつくだろう?
お前はとても賢明な男。だからこそ、お前ならどうにかしてくれると私は思っている。
だからこそ、帝王として私は、お前に指輪を与えるのだ。
お前は、とても賢明で狡猾な男。しかし、私はお前に愚直な部分があることも知っている。
さあ、私の願いを聞いておくれ。お前には期待しているよ。
え? ああ、指輪の力はどう使えばいいのかって?
さあ、それは私にはわからないな。なにせ、私は宰相ではないから。
……使い方はお前が自分で見つけるのだよ。前の宰相もそういっていた。使い方がわからなかったのではないかって?
そういわれればわからないね。私も彼がそれを使うのを見たことはないから。
はは、そんな顔をするのではない。お前なら、きっと見つけられる。
なぜなら、お前はとても賢明な男だ。きっと自分で見つけられる。そういう力のある男だよ。
なぜなら、お前は、私の見込んだ唯一の男。
――ギルファレス帝国宰相レックハルド=ハールシャーなのだから。
***
イリンドゥの空は高く、暴力的なほど青かった。
あれから、日蝕は起こっていないらしい。空にはぎらつく太陽が、雲ひとつない青い青い空の上で、我が物顔に振舞っているのだった。
カルヴァネス東の国境周辺最大の都市、イリンドゥは、マゼルダ系らしい商人でごった返している。
草原ときわめて近い都市であるここは、草原系遊牧民とカルヴァネス系の住民がまじりあって生活をしていて、あちらこちらの文化がぶつかりあいまじりあう場所でもあった。
暗黒街も然り。混成の組織もあれば、両極端にわかれているものもいる。ただ、別に抗争が起こるほどでもないようだ。辺境であんな騒ぎがあったわりには、国そのものは割合平和だった。
ころんと目の前でサイコロが転がった。目を読み、覆面の男は手馴れた手つきで、黙って出された札を手に取り立ち上がる。そのまま換金し、止めようとする男を無視して外に出て行こうとする。
「おい、お兄さん、待った!」
鋭い声がかかった。後ろに小男が立っている。
「おい、お前、勝ち逃げか?」
男は、突っかかるように覆面の大男に言った。
「そういわず、もっと遊んでいったらどうなんだい、お兄さん」
「あいにくと、オレには時間が無いんでな」
つれない返事に、男は不機嫌にぱちんと指を鳴らした。大男の勝ち分はかなりの金額になる。
「それで済むと思っているのか? それなら、判断を間違えてるって事になるぜ、お兄さん」
後ろに数人の男が立ち上がってきている。腕には覚えのありそうな、屈強な連中だった。賭場の連中は、争いの予感に少しだけ顔を引きつらせる。
ただ、この覆面の男も結構な体格だ。だから彼らもすぐに彼に飛び掛ろうとはしないのだった。
ふっと覆面の男、イェーム=ロン=ヨルジュは微笑んだ。
「なにも勝ったままにげようというわけじゃない。このままだと、あんた達が怪我をするだろうし、オレも事を荒立てたいとは思わねえ」
「何だァ!」
いきり立つ男にちらりと目を向けると、彼はびくりとした。
布の端から見える髪の毛や目の色、そして頬の赤い紋様で、男たちも彼が狼人だと気づいてきたようだ。まさか狼人がこんな場所にいるはずはないとは思っていても、大柄の彼がそこに立っているだけであまりにも威圧的だった。
「他の賭場で聞いたんだがな、あんた達、どうやらヒュルカから来たそうだな。新参者だって話だ。結構、無茶をしているって噂も聞くぜ」
彼は、振り返った。
「情報をくれれば、情報料として勝ち分の半分以上はあんたにもどしてやるさ。オレもこの世界の規則を知らないわけじゃない」
奇妙な事を言う、とばかりの反応をした一番上役らしい小男に、イェームは視線を走らせる。
「マゼルダ人の博徒に聞いたんだが、レックハルドという男がここに来ただろう? どこに行ったんだ? 教えてもらいたい」
はっと小男は顔色を変えた。矢庭にあせった顔をして、男たちを追い立てる。
「お、お前らあっち行ってろ!」
男たちは妙な顔をしたが、小男は容赦なく彼らを追い払った。そして、イェームを静かに個室に先導する。彼は黙って後をついていった。
狭い人気の無い部屋に入ると、小男はひそひそとささやき声で彼に話しかけてくる。
「あんた、ヒュートの兄貴の関係者か?」
怯えたような声で、彼はそっと続けた。
ヒュート、というのは、いつかレックハルドにザメデュケ草をファルケンから聞き出すように強要した、暗黒組織の上役の名前だ。ダルシュにやられてそれっきりだったが、レックハルドに対して、まだ恨みを持っているらしい。
「だったら、何も言う事はねえ。あいつはすぐに逃げおおせちまった」
「関係のねえことだ。オレはあいつがどこに行ったのかが知りたいだけだ」
きっと目を向けながら、イェームは静かにきいた。だが、小男は油断しなかった。ヒュートの手の汚さは有名な話だ。
「だからしらねえと……。あんたの勝ちは勝ちでいいから、そのまま帰ってくれ」
小男は余計な争いに巻き込まれたくない、といった態度だった。
イェームは腰に下げていた剣をとった。この男は腰に長剣を一本、背中に大きな刀が一本、細かい武器にいたっては、どれほどあるかわからない。
「オレは奴とは関係ない。どこにいったか教えてくれ」
「しらねえ。他の奴にきけよ」
「正直に言え! オレは機嫌が悪いんだ!」
イェームは、彼としては珍しく乱暴に言い、ダンッと剣の鞘のこじりで床を叩いた。小男の顔色がさっと青ざめた。狼人かもしれない大柄の男、この男に暴れられれば勝ち目はない。
「わ、わかったよ! あんた、ホントにヒュートの兄貴とは関係ないんだな! ホントだな?」
「ああ。全く無関係だ。告げ口する気にもならねえ」
「そ、それならいいんだがよ」
それを確認してから、小男はおずおずと言いだした。
「こ、ここでラクダを一頭買って行ったんだ。砂漠に出るからって……。いや、ヒュートの兄貴から見つけ次第殺せっていわれていたんだが、あいつ、すっかり人が違ったみたいになってて……」
男は少し上目遣いにイェームを見上げた。
「まるで別人みたいになっちまってたんだ。ああ、一言の世辞も言わねえし、愛想笑いもしやがらねえで。生意気だっていって殴りかかった奴は、逆にうまくかわされてやられちまって……」
「別人?」
訊き返し、イェームは眉をひそめた。
「ああ、本当に。用件以外は口をききやがらねえし、やたらと度胸も据わっちまってさ。昔は、そりゃあ生意気だったが、面と向かって逆らわねえやつだったのに。まさか、用心棒を一人蹴り倒すとは思わなかった。いや、俺達もアイツに恨みはねえからよ、金払ってくれるってんで、こっそり手打ちにしたんだ」
「い、いつの話だ!」
話もそこそこに、イェームは身を乗り出しながら焦った様にきいた。
「いつ、ここに来たんだい?」
「おとといだ。もうイリンドゥにはかえらねえだろうから、お前には迷惑はかけねえとかなんとか、いってやがったがな。どうだか」
ざっとイェームは立ち上がった。
「お、おい!」
小男は、イェームに怯えて少しだけ身をすくめた。それを一瞥もせずに方向転換すると、イェームは手にあった金の大半を男に投げやった。
「情報料だ。とっておけよ」
袋越しに受け取ったまま、小男はきょとんとしていた。
そのままイェームは黙って扉から出て行った。
賭場を出てまっすぐに町外れのほうに走る。たしか、そちらのほうに急いでいけば、マジェンダ草原を抜けて死の砂漠に入るといわれている。
通りでは、レックハルドを思わせるような行商人や商人の姿がちらほら見える。おそらく彼と同族なのだろう。そこにレックハルドの姿が無い事に、軽く失望を覚える。
しかし、彼がここにいないということがはっきりしていることは、むしろ彼にとっては幸運だったともいえるだろう。
「もう、死の砂漠に向かったというのなら、かえってよかったかもしれない」
彼はつぶやいた。イリンドゥには、マゼルダ系の商人が多い。レックハルドと同じような服装の連中はゴマンといるのである。その中から、レックハルドを探すのは、もしかしたら砂漠で彼を探すよりも面倒かもしれなかった。
「……頼むから、早まった真似はやめてくれよ」
祈るようにつぶやいて、イェームはそのまま、商人の呼び声が聞こえるイリンドゥの町を門に向かって走り出した。




