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辺境遊戯・改訂版  作者: 渡来亜輝彦
第十三章:聖域への道
62/98

2.方法


 ***


 メソリア王国のメアリーズシェイルの陣幕に、ふらりと彼女が姿を現したのは夕暮れにほど近いころだった。

 虹色の六枚のはねは、夕陽に透かされて赤くきらきらと輝いて、いつもとは違う不可思議な光を帯びていて綺麗だった。

「近頃は、日蝕が多かったからね」

 砂埃で霞む夕陽を眺めて彼女はロゥザリエの傍に座った。メソリア王国は狼人との親交も深く、妖精の彼女がいてもおかしくもない環境だったが、人嫌いのロゥザリエのことを配慮してか、メアリーズシェイルは人のいない岩場近くに彼女を連れ出していた。

「お日様もなかなか見られなかったもの。ここはとても夕陽がとてもきれいに見えるのよ」

「そう」

 ロゥザリエはため息をついた。メアリーズシェイルが綺麗だという夕陽も見ないで、彼女は心ここにあらずといった様子だった。

「ロゥザリエ、どうしたの?」

 メアリーズシェイルは、そっと彼女の傍に座って顔を覗き込む。

「なんでもないわ」

「そう。それならいいんだけどね」

 彼女は深く事情を尋ねずに、再び夕陽に視線を戻した。

「メアリズ」

 不意にロゥザリエは声をかけてきた。

「なあに?」

「私は、……そんなに今まで自由に生きてきたのかしら……」

 ロゥザリエはため息をついて呟いた。

「私の自由さが、誰かに犠牲を強いてきたって、そういうことってあるのかしらね……」

 あの時。

 二番目の司祭スーシャーを追い詰めたあの時、すんでのところで、彼女は二番目に逃げられてしまった。

「あなたのせいよ。私がこうなったのは」

 彼女はそういった。

「あなたがあまりにも強くて自由だから、……私はあなたといつでも比較されるの。二番目の司祭に就任してからも、あなたの強さと比較されてしまうもの」

「そんなこと、関係ないわ! だからって、あなたのやっていることを正当化できるはずないでしょう!」

 感情的になったが、彼女も動揺した。そのスキを突かれて、二番目の司祭は逃げ出したのだ。

 深追いしようとしたところで、そこで酔葉すいようのツァイザーに止められた。止められなければ、もしかしたら辺境の森を燃やすかもしれないのに、高熱の光球をそこいらに放ってしまっていたかもしれない。

「私は、私なりには、辺境のことも考えてきたのよ。五番目になったのだって、私みたいな性格の妖精が、辺境の者たちの上に立てないじゃない。先に筆頭司祭ディルイー・スーシャーに決まってたツァイザーがあの性格だし、……だから二番目にはもっとしっかりしたの方がいいと思って、私、代わりに彼女を推挙したのよ」

 ロゥザリエは、両頬に手を当ててため息をついた。長い耳が珍しく垂れていた。

「けど、それが彼女にとってダメなことだったのかしらね……。私が楽してただけなのかしら……」

「ロゥザリエ」

 メアリーズシェイルが優しく言った。ロゥザリエは顔をもたげる。

「私は、何があったのか詳しく知らないわ。でも、結局は、彼女が選んでしまったことなのでしょう? あなたが何かしら影響していたとしても、その道を最終的に選んだのは、彼女なの。でも、認めたくないのよね。自分が選んでしまったってことは。悪いことになってしまったことは、すべて人のせいにしてしまいがち。私もロゥザリエも多分そうよ」

 メアリーズシェイルの大きな目が、細められた。

「だから、ロゥザリエがそんなに気にすることはないわ。……もし、どうしても気になるのなら、今からその子を助けてあげればいいの。あなたが困っているなら、私も手伝ってあげる。私たち親友でしょ?」

 ロゥザリエはしばらく彼女を見ていたが、そのうちに少し不機嫌そうに視線をそらした。

「本当、あなたって気に食わないわ」

「あら、どうして?」

「私は、こんなことをしにきたんじゃないの。本当は、あなたを慰めにきたつもりだったの」

 ロゥザリエは、額に手を当てつつ少し膨れた。

「どうして、私がこんなこと言い出して、あなたに慰められなきゃいけないわけ?」

「さあ、どうしてかしらね」

 メアリーズシェイルはにこりと笑って立ち上がる。

「私が、あなたが思うほど落ち込んでいないからじゃないかしら」

「あいつが死んだって噂きいたわ」

「ええ、私も聞いているわよ」

 けろりと彼女は言った。

「心配じゃないの?」

「それは心配よ。でも……、私にはわかるのよ」

 メアリーズシェイルは、夕陽の方に目を向けた。

「まだ、ギルファレスはメルシャアド市に総攻撃をかけていない。彼の死が本当なら、そうしてもいいのよ。でも、しないということは……、何か裏がある」

 それにね、と彼女はつづけた。

「彼はそんなに簡単に死ぬ人じゃないわ。あなたも前に言ってたでしょう? 殺されても死ぬような人じゃないって……」

「そうね。しぶといのだけが取り柄だもの。口も性格も悪い屑男だけど」

 ロゥザリエは悪態をついて立ち上がる。それを聞いて、メアリーズシェイルはくすくすと笑う。

「元気になったわね、ロゥザリエ。良かった」

「べ、別に、元気になってなんかいないわ」

 ロゥザリエは、そう言われて少し動揺したように言った。

「メアリズに悩み事話してもダメだなって思っただけ。ばかばかしくなっただけだもの」

「ふふ、そうでしょう。でも、それでいいの」

 ロゥザリエは、ふいと横を向いた。

「私、あなたになんか感謝しないわよ」

 それをきいて、メアリーズシェイルはくすりと笑った。

「いいわよ。そのかわり、お夕飯に付き合ってくれればそれでいいわ」

 付き合ってくれるでしょ? と聞かれてロゥザリエは、一瞬きょとんとしてからため息をついた。

「仕方がないわね」

 

 ***


「レックハルドじゃないか?」

 ふと声をかけられてレックハルドは立ち止まった。

 ファルケンの”墓所”からそう遠くない場所で、ただふらふらと歩いて戻ろうとしていたところで、急に声をかけられた。彼の名を知って声をかけてくる狼人はそう多くないから、銅鈴のレナルだということはおおよそ気づいていたので、彼は驚かなかった。

「レックハルド、どうしてここへ?」

「ファルケンに挨拶してきたんだよ」

 レックハルドがそういうと、レナルは少し驚いた顔をした。

「どうしてあの場所が?」

「二番目の司祭スーシャーっていう妖精が、案内してくれたよ。なんでだかはわからないんだけどさ」

司祭スーシャーが?」

 レナルはかすかに眉根をひそめたが、ふむと唸った。

「何を考えてそうしたのかわからないが、あんたが無事に戻ってきたところを見ると、悪意はなさそうだな」

「悪意はないだろう?」

 不意にレナルの後ろから声が続いた。

「現在の二番目の司祭スーシャーエアギアは温厚な性格をしていると聞く。さて、彼の処遇をどうするかは、相当司祭スーシャーの間でももめているだろう。本来は彼らは合議制だが、今は一番目の司祭スーシャーの力は非常に強いともいわれているからな」

「あんた……」

 レックハルドはその声の主を見て、目をかすかに見開いた。見覚えのある優男だ。

「ああ、知ってるんだったか? サライ爺さんだよ」

 レナルが背後の人物を紹介する。彼を爺さんと紹介するということは、何かしらレナルはサライの持つ事情を知っているらしかった。

「辺境とかかわりが深くて、俺もよく知っているんだ。今回は辺境の奥まで案内してほしいといわれたので、ここまで案内してきたんだよ」

「ゲルシックのレックハルド、久しぶりだな」

 そういい、サライはうっすらと笑いを含んだ。

「ああ、どうも」

 レックハルドは静かに頭を下げた。

 レナルと知り合いとは知らなかったが、この謎の多いサライのことだし、何か裏があるのだろうとは思う。レナルの態度から、いよいよ彼が普通の人間ではないことはわかる。レナルは彼をほとんど人間扱いしていない。ただ、今は取り立てて深く知りたいとは思わなかった。そんな気分ではなかったのだ。

「今回は大変だったようだな」

 サライは、少し同情するように声をかけた。

「え、ええ」

 レックハルドは静かに答え、地面に視線をさまよわせた。

「……オレは、あいつに罪を背負わせちまったのかもしれませんね。あいつはオレのことを恨んでいるのかもしれません」

 それを聞きとがめたかのように、レナルが話に入ってきた。

「恨むだなんて、そんな。あんた、あいつに魔幻灯もらったんだよな」

 レックハルドの荷物入れに入っている、壊れた魔幻灯を指差しながらそう言った。無言でレックハルドは頷いたが、あの壊れた魔幻灯を見ると、あのときの情景が思い浮かびそうで、それを眺めることはしなかった。

「狼人が、そのシェンタールを渡すってのはさ」

 レナルは、そんなレックハルドを励ますように言った。

「相手に感謝してもし尽くせないときに渡すんだ。だから、ファルケンはあんたを恨んだりしてねえよ」

「しかしだ、そこまで自分を責めるのならば」

 サライが厳かな口調で、突然発言した。

「そんな覚悟で向かえば、お前は太母マーターに会えるかも知れんな」

太母マーター?」

 レックハルドの死んだような瞳が、わずかな光を得て、サライの方に向けられた。サライはにやりと微笑んだ。

太母マーターとは、聖グランカラン、狼人の言葉でムーシュエン。偉大なる母」

 それからレックハルドの方に近寄り、サライは意味ありげな顔をしていった。

「そなたは、あのファルケンを殺した毒について何も知らぬようだな。知っていれば、そんな顔をせずにすんだかもしれぬのだが……」

「何だって? どういうことなんだ?」

「レナル、そなたは知っていような」

 ちらとサライに見られ、レナルははっと息を呑んだ。その顔色が変わり、突然慌て出す。

「誠意の水のこと、そして、それが与える罰も……」

「レナル! てめえ何か知ってるな!」

 レックハルドは逃げようとするレナルの胸倉をつかんだ。

「何を隠してるんだ! 教えてくれよ!」 

「オレにいえるわけないだろ! あ、あんなむごいこと! それに、それを言ったら、あんた、絶対行動を起こす!」

 レナルは首を振って叫んだ。

「そんな馬鹿やったら、あんただって死んでしまう! そんなことになったら、ファルケンが浮かばれねえだろうが!」

「オレは死なねえから! 教えろ!」

 レックハルドの死んだような目は、突然、光を取り戻し、いつもの迫力を取り戻していた。

「教えてくれ! 何を隠してるんだ!」 

「レナル」

 サライが静かに言う。

「説明してやれ」

 うっとレナルは詰まった。

 そして、必死の様子のレックハルドを見る。少し沈黙した後、やがて彼はため息を大きくついて、レックハルドの手をはがした。

「わかった。ただ、これは伝説だ。これはあくまで伝説だからな!」

 レナルはそう前置いた。

「誠意の水って、知ってるな。あんたは、ファルケンが、血を吐きながら苦しんで死んだといっただろ?」

「あ、ああ」

 あのときの光景を思い出したのか、レックハルドは不意に顔を曇らせた。レナルはそれをいたわるようにしながらも、仕方なく話を続ける。

「あれは前もって誓いをするものが、絶対に裏切らないことを示すために、術者がつくった毒の水を一息に飲む。破れば術者が、それに対し報復する」

 レナルは、少しだけ言いにくそうに続けた。

「あれの中にはな、ある毒の花からとった毒薬が使われている。術者はそれを自分の魔力を含ませた水で包んで、普段はその効力が出ないようにしている。それを発動させると、まるで体の中から切り刻まれるようになって、ズタズタにされて、それで、術者が止めなければ死に至る。毒が発動したものには、胸に刺青でも入れられたような模様みたいなのができるんだ。黒い紋様が……、ファルケンにもあっただろう?」

「あ、ああ。そういえば……」

 レックハルドは、あの時、ファルケンの破れた服から見えた胸の刺青のような黒い紋様を思い出す。さして気にとめなかったが、禍々しい黒い紋様がたしかにあった。

「それは、毒の効力が残ってるって事なんだ」

 レナルは、眉を少しひそめた。

「あの毒は、例えば死ななかった場合でも、体内から出ることも、無毒化されることもないんだ。術者の命令一つで、いつでもその効力を発揮させることができる。もちろん、それは死んでいても同じだ。胸にあの模様が浮かんでいる限り、術者の呪縛から逃れることはできねえ」

 レックハルドは恐る恐る訊いた。

「ど、どういうことだい? 術者の呪縛って……」

「普通、誠意の水ってのは、辺境に反逆する可能性のある狼人に飲ませるものだ。だから、それで反逆したと認められた場合は、それで死にいたった場合でも、……完全に死んで滅ぶことが許されない。そういう目的で作られたんだ、あの毒薬は――。ほとんど見せしめのために。あの毒じゃ完全に死ぬことができねえんだよ」

「ど、どういうことだよ!」

 レックハルドの口調が鋭くなる。

「あいつは、脈も息も止まってたんだ。体だって冷たくなって……!」

「冷たく? 氷のように冷たくではなかったか?」

 サライが口をはさんだ。

 ふとレックハルドは思い出す。そういえば、あの時のファルケンは、あまりにも冷たすぎたように思う。まるで、本当に凍っているような……。

「ま、まさか、そういうことなのか?」

「ああ。毒の効力の他に術者の呪いがそこにはかかる。それで死んだ奴らの体は、凍りついて永遠に朽ち果てることがない。永遠に母なる大地に帰ることは出来ない」

 レナルは、仕方なくぽつりぽつりと続ける。

「それで、朽ち果てずに置かれた彼らは、辺境に最大級の災厄が襲ってきたときに、生きていたときの罪のあがないに、術者によってその凍結を解かれる。そして、命なき戦士として、戦いに参加してもう一度戦うことになる。術者の完全な操り人形の状態でな」

「そんな!」

 レックハルドは真っ青になった。今ごろになって、ようやくわかった。あの時、ファルケンが、「永遠に辺境に還れない」といったのは、そういう意味だったのだ。

「そんな、あいつは、また無理やり戦わされるのか! せめて、あいつを安らかに眠らせてやるとかできねえのかよ! どうなんだ!」

 レックハルドの目を見ながら、レナルは口を閉ざした。

「おい! 知ってるんだろ!」

「人間には無理だ。いいや、オレでもたぶんダメなんだ」

「答えろ!」

 レックハルドは、首を振るレナルに迫る。

「教えてやるがいい。そうでなければ、引き下がらんぞ」

 サライが静かに言った。

「し、しかし……、サライ爺さん!」

 レックハルドの目には、必死の色が浮かんでいた。

「教えてくれ! レナル!」

 懇願する様に、レナルはやや戸惑いながらもため息をつく。

「わかったよ……」

 レナルは仕方なく口にした。

「これは伝説だぞ」

 そう前置いて、少し迷ったような顔をしながら、レナルはさらに言った。

「あの毒によって制裁を下されて死んだものは、太母マーターに許しを請うことができれば、その術が解け蘇生もできるといわれている。そのとき、太母マーターが与えるのが、その涙の器という、グランカランの朝露を花で受けて集めたもの。その花は、聖グランカランの木の根元にしか生えていない。その中には、グランカランの葉から落ちた朝露が落ちてたまるんだ。それを罪人の口に含ませれば、すべての呪縛が解けて、罪が許されるという話だ」

「罪が許される? ってことは、生き返るってことなのか?」

 レックハルドは反芻し、レナルを見上げた。

「あいつが、もしかしたら、生き返るかもしれないのか?」

「これは伝説だって言っただろ! 真に受けるなよ!」

 レナルは、強く言った。

「そもそも、太母マーターに許しを得ないといけなんいんだ! それまでに、どんな試練があるやらわからねえんだぞ!」

「その太母マーターに許しを得さえすればいいんだな? そうだよ、あれはあいつだけの罪じゃないじゃないか。あいつに火をつけさせたオレも同罪だ。それを伝えて、許してもらえるかもしれねえんだな!」

 レックハルドの目は、何かにとり憑かれた様だった。もはや、核心に触れること以外は耳に入らないのだろう。

「それが無理だっていってるじゃねえか! 絶対そんなことをしたら、お前死ぬぞ! やめてくれ! これ以上、知ってる奴が死ぬのは嫌なんだよ!」

 レナルはレックハルドの肩をつかんだ。

「ファルケンだって、お前が死んだら絶対辛がるんだ! これ以上あいつを苦しめたくないってのはわかる。だけど、あんたがそんなことして、もし、取り返しのつかねえことになったら、一番悲しむのはあいつなんだぜ?」

 レナルは嘆願するように言った。

「レックハルド、あんたの気持ちはわかるよ。友達が先に死んじまうのは辛いよな。オレだって痛いほどわかるよ、それは。でも、そんなことして、あんたまで死んだら、あんたのほかの友達が辛がるんだ。オレだって……!」

「でも、やってみないとわからないだろ? それともそんなに危険な場所に行かなきゃいけねえのかい?」

「ああ、危険も危険だ。絶対に死ぬ! だからやめてくれ!」

 レナルの必死の言葉には嘘はなさそうだった。しかし、レックハルドは退かない。まっすぐにレナルを見たままだ。

「だったら、オレにどう危険なのか教えてくれよ」

「じゃあ危険なのがわかれば、諦めるよな。いいだろう」

 レナルは、ため息をついた。

太母マーターのもと、つまり、聖域といわれる場所なんだが、そこの森に行くためには、普通の辺境を通ってはいけないんだ。行こうとしても森の中の見えない壁によってふさがれている。それを通れるのは司祭スーシャーだけだ」

 そして、レナルは指を立てた。

「聖域に入る方法はただ一つだけ、死の砂漠を越えていくことだけなんだ」

「死の砂漠!!」

 レックハルドの顔に、驚愕と恐怖がひきつるのがわかった。死の砂漠とは、マジェンダ草原近くに広がる不毛の大地だが、その環境の厳しさは、マジェンダ出身の彼にはよく知るところだった。

「それを越える時点で、たいていの人間は死んでしまうだろう。もし助かったとしても、聖域までたどり着けるかどうか」

「そ、それからどうすればいいんだ」

 青ざめながらレックハルドは訊いた。

「聖域にはいれば、まず司祭スーシャーが現れる。さっきも言った通り、奴らだけは砂漠を介せずに聖域にいくことができるんだ。あんたは司祭に命を狙われているから、そこに危険がある。その司祭の手をかいくぐって、深くて危険な森をずっとまっすぐに抜けるんだ。そうして抜けていけば、想像を絶するほど大きい、大木が見えるはずだ。そこにたどり着きさえすればあんたの勝ちだ」

 だが、とレナルは顔を曇らせた。

太母マーター自身は、時々侵入者を試すといわれている。善良なものは認められ、近くに行くことができる。だが、認められなければ、その場で消え去るといわれている。オレもよくわからないんだが……」

「善良か……」

 レックハルドは内心自信がなくなっていた。自分は、今まで決して善良な生き方などしてこなかった。そんな自分が、認められるとでも? レナルは続ける。

「折りよく、花を手に入れたとして、それから、また砂漠を越えて、あんたはここに戻ってこなければならない。そんなこと、あんたには無理だろう?」

 レックハルドの顔が失望に満ちたのがわかった。

 それを気の毒に思ったのか、レナルは、励ますようにレックハルドにいった。

「ファルケンは、あんたにそこまでしろなんて言わない。だから、このことは忘れるんだ。いいんだよ、ファルケンは許してくれてるんだから」

 レックハルドは何も言わずに地面を見ていた。

 ただ、一つだけ変化があった。死んだようだったレックハルドの目が、わずかに光を得ていたことである。

 それに気づいていたのは、サライだけだった。その様子をみながら、彼はふっとため息をついた。

「じゃあ、また何かあったら辺境に来いよ。しばらく、シレッキにいるんだろう? オレもまた会いに行くからさ」

 レナルはレックハルドがすっかり諦めたものだと思い込み、ほっと安堵の表情を浮かべた。肩を軽く叩いてやりながら、少しだけ微笑む。レックハルドは、ああとだけ応えた。

(変わらん男だな)

 サライは、心の中で思う。歩き出したレックハルドの背には、ある決意のようなものが滲み出している。

(相変わらず、自分の力ですべて何とかできると思っているのだな、お前は)

 あの時、そういえば”彼”もそういった。失敗を恐れないのか、と尋ねるサライに、煙草をふかして彼はぞんざいに答えたものだ。立ち上る紫煙を見上げつつ、彼はにやりと笑ったものだ。

「失敗して死ねば、失敗して死んだことをありがたく思いますよ。生き恥をこれ以上さらさなくってすむってことじゃないですか、先生」

 あれは、彼にしてみれば一世一代の強がりだったのかもしれない。

 今、彼に同じことを尋ねたら、もしかしたら、同じ強がりを、レックハルドは口にするのかもしれないと思った。

(変わらん男だな)

 サライはもう一度思った。


 

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