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辺境遊戯・改訂版  作者: 渡来亜輝彦
第十章:異端・シャザーン=ロン=フォンリア
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3.燃え盛る邪悪


 黒い鎌を持つ”それ”が、イェームの上からのしかかるように跳んだ。鎌が彼を狙って真下に振り下げられるが、先ほどまでそこにいたイェームはすばやくそれをかわしていた。

「詰めが甘いんだよ!」

 鋭く足払いをかける。”それ”の何本もある足のうち、三本をすくってやった。急に黒いものはバランスを崩し、鳴き声ともなんともつかぬ悲鳴のような音を上げる。その間に、イェームは後ろに飛び下がって、別の木の枝にうつり、それから距離をとった。

(さて、こいつが本物の妖魔ヤールンマール かどうか)

 イェームは、まだくわえていた煙管を思い出したように指に取った。それから、中身をぽんと外に出す。まだ湯気を立てていた乾燥させた干草のようなものは、地面にたどり着く前に、急に燃え上がり、そのまま黒い粉になった。煙管を元の麻袋の中に戻し、イェームは何食わぬ顔で前を見た。

 体勢を立て直したカマキリもどきは、苛立ちの声を上げた。そのまま、怒りに任せてイェームのほうに突っ込んでくる。怒りに任せた攻撃は、底が浅い。難なくかわし、隣の枝に飛びうつる。

(やっぱり、本物の妖魔ヤールンマールだ)

 その動き、容姿、行動。そして、自分に向けられる黒い殺意。

 それらを総合的に見て、彼はそう判断した。辺境の森には、時折信じられないような生き物もいるが、こいつは生き物でもない。だから、生きている気配がない。

 妖魔ヤールンマールとは、辺境の中に凝り固まった邪気が、そのまま意思を持ち、周りに害を及ぼし始めたものの事を言う。妖魔や邪気というものが、様々なモノ達の悪意や負の感情の残留思念の塊だとイェームは、何度もかかわるうちに身にしみて分かってきていた。それらが、周りを破壊しようとする衝動は、おそらく、その思念の中の憎悪が暴走した結果なのだろう。

 憎しみと怒りの塊。それが、この黒いものの正体だ。

「おっと!」

 次に懐を狙ってきた一撃を、軽く斜め上に飛んでかわす。

 上の枝をつかみ、くるりと一回転すると、その反動をつかって更に高い枝の上に足をかける。背後で、ぎゃああという叫びにも似た咆哮が聞こえた。

 空気を裂いて、黒い鎌が背後から、イェームを襲う。顔の傍の布が、それに掠ってわずかに千切れた。足元の枝を、彼の足が蹴った。そのまま、空中でとんぼ返りをしたイェームは、右手に持っていた剣に両手を添えて思いっきり振りかぶっていた。そのちょうど下に、妖魔の胴体があった。イェームは、妖魔が真下に来る瞬間を狙っていたのだ

 かまきりの妖魔ヤールンマールは、それに気づいてあわてた。妖魔ヤールンマールは、何か声らしいものをあげた。だが、イェームは躊躇しなかった。

「だぁあああ!」

 力任せに振り下ろす。切るというより、叩き落すといったほうがいいような振り下ろし方だった。それは、斬ることを前提にしていない強引な戦法だった。かまきりのような妖魔ヤールンマールは、彼の一撃に直撃され、高い枝の上から真下に飛ばされる。そのまま、地面にたたきつけられ、妖魔は軽くもがいた。

「急いでるっていったろ! 悪いが、とっとと消えてもらうぜ!!」

 その上に葉を鳴らしながら、ザーッと降りてきたイェームはすばやく身を翻した。それから、それの胴体の真ん中めがけて、振りかざした刀を今度は切れるようにたたきつけた。

 一瞬、妖魔ヤールンマールが動きを止め、それに気づいたイェームはさっと身を翻した。

 直後、その得体の知れない妖魔の姿は著しく崩れ始めた。黒い塵のようなものがざっと舞い上がり、空気中に散った。一瞬にして、その姿は消え、黒い煙と一緒に風に流されていった。

「……ふう、油断ならねえな」

 イェームは安心し、刀を納めようとしたが。ふと、自分に飛び込んでくる黒い影が、黒煙の向こうに透けて見えた。

「何!」

 それは、黒煙を割り彼の方に飛び込んでくる。そのごつごつとした肌が、視界いっぱいに広がった。

 あわてて体をそらせる。その上を、何か黒いものが通り過ぎていった。イェームは、思わず肝を冷やす。さすがに顔面に攻撃は食らいたくない。

「ちぇ。まだ、他にも仲間がいたのかい?」

 イェームは、向き直りうっとうしそうに刀を振った。先ほど彼の頭上を通り過ぎたのは、黒い竜のような姿をしたものの尻尾だった。改めてみると、その尻尾だけでなく、全身にとげが付いている。

 この不定形な黒いものは、やはり妖魔ヤールンマールだった。彼らは決まった姿を持たない。

「本気で急いでるのに、妖魔ヤールンマールどもが今日に限ってどうして……」

 イェームは、不満そうにつぶやいた。封印が解けたのもあるだろうが、こんなに集中して突っかかってくる事はないだろう。

「まさか、妖魔の祭りでもあるんじゃないだろうな」

 訝しげにイェームはつぶやいた。目の前には、先ほどの竜の小型のような妖魔ヤールンマールと、それから黒い大きな鳥のような妖魔ヤールンマールが立っていた。

 奴らはどうやら増えてきているようだ。上空にも何匹かいる気配がするし、彼の存在をかぎつけてか集まってきたのだろう。

 どうする? まとめて倒すか?

 イェームは、軽くあごをなでた。それら妖魔ヤールンマールの背後では、黒い煙が森の中から立ち昇っている。

 それを見ていたイェームの目が、不意に大きく見開かれた。

「しまった!」

 イェームはさっと顔を青ざめさせた。

「あいつらの目的は、オレじゃないんだ!」

 そのとき、彼の前を何か鋭いものが走った。反射的に後ろに避けたが、顔を覆っていた布がずたずたに千切れた。先ほどのカマキリの一撃で、顔を覆っていた布の一部がはがれていたのもあり、今度は完全に彼の顔があらわになった。今はその紋様メルヤーの形まではっきりと見える。

「ちっ!」

 イェームは、顔を少し隠すように手を添えた。

「お前らに誰が知恵を貸してるのか知らねえが!」

 イェームはいきなり後ろに刃を振るった。彼のすぐ後ろに忍びよってきていた鳥の妖魔ヤールンマールは、突然の事にそれを避ける暇も無く、そのまま両断された。声もなく、妖魔ヤールンマールは黒い塵になって空気中に広がる。直後、その真ん中からきらりと光る虹色の光球が、一瞬だけ輝いてすぐに消えてゆく。それを目の端で認めると、イェームは刀を一度振った。刃に張り付いていた黒い物が、ぱっと空中に飛んで溶けて消えた。

「オレも容赦しねえからな!」

 イェームは、唸るように吐き捨てた。


 

 *

 

 煙が多くなってきた。レックハルドは、軽く咳き込み、左右を見回す。燃え移るのが速すぎる。どういうことだろう。

「くそ……、おかしいな。風向きを読んだはずなのに!」

 レックハルドは忌々しげに吐き捨てた。風向きまで読んで、炎がこっちにはこない事を確認したにもかかわらず、すでに煙がこちらに回ってきている。風が変わっているのか、それとも炎で風向きが不安定なのか。

 いや、しかし。

 自然が起こす偶然だったら別にかまわない。恐いのは、この現象に人為的な何かを感じる事だった。

「ど、どうしたの! ねえってば!」

 ただならぬ気配に気づいてロゥレンが騒ぎ出す。レックハルドは、彼女を急かして前に進ませながら答えた。

「なんでもねえよ。煙が流れてきただけだ」

「嘘! あんた、あたしに嘘ついているでしょ! 感覚で分かるのよ!」

 外套をかぶせられたままのロゥレンは、その中でもごもごと暴れた。それを軽くおさえながらレックハルドは、困ったような顔をした。

 あの鈍いファルケンでも、生半可な嘘ならすぐに見破る。辺境の連中は、多少の嘘は簡単に見破ることができるらしい。だから、あれよりも鋭そうなこの娘を、簡単にだませるわけがなかった。見通しが甘かったのだとレックハルドはため息をついた。

「……もういいから、あんたは心配せずにオレについてくればいいんだよ」

「信用できないっていってるでしょ!」

(だって、あんたにホントの事いったら暴れるだろが!)

 レックハルドは心の中で、そっと吐き捨てた。

「とにかく、話はここを乗り切ってからだ。あんただって、ここで煙に巻かれるのはいやだろ? すすがつけば、顔だって真っ黒になるし」

 それを聞いて、ロゥレンは考え直す。

「そ、そうね。わ、わかったわ」

 続けて、ロゥレンが少し震える声で、レックハルドに告げた。

「でも、でもよ! ……ホントにホントに危ないときは、あたしに本当のことを話してよ」

 足元で、ぱちぱち音が鳴っている。もしかしたら、この子も本当は感づいているのかもしれない。レックハルドは、なんとなく居た堪れない気分になった。

「あぁ、わかってるよ」

 ぶっきらぼうに答えながら、レックハルドは、炎の周りを計算しつつ、早足で、ロゥレンを誘導する。

 何か、草ずれの音がした。今までとは違う音に、レックハルドは、不意に嫌な予感に襲われた。

「こっちは駄目だ!」

 ロゥレンの肩をつかみ、レックハルドはそのまま後ろに下がらせようとした。瞬間、突然、目の前から赤い光が飛び出した。それとともに、風が巻き起こり、背を向けかけていたレックハルドの体を突風が襲った。

 ちょうど体を横向けにしていたところを一気に熱い風にあおられ、レックハルドはそのまま前に倒れた。ロゥレンをややかばうように倒れこみ、受身をとってそのまま起き上がる。

「何だ!」

 背後を見て、彼ははっと声を呑んだ。ちょうど転んだ拍子に、ロゥレンにかぶせてあった外套がはらりと地に落ちた。どうしたの? といいかけたロゥレンは、目の前の赤い光を見て叫んだ。

「な、何だってんだ?」

 レックハルドは、熱に顔をそむけながら呆然とつぶやいた。彼らが進もうとしていた前方は、今は火の海になっていた。

 辺境の木々は決して乾いているわけでもないというのに、すぐに火がつき、一斉に緑から赤へと色を変化させていった。水分があっという間に蒸発して、すぐに隣の苔むした木に燃え移っていく。

(誰が……、誰がこんなことを?)

 レックハルドは、かすかに歯噛みした。もはや疑いようが無かった。誰かが、自分達の行く先々で邪魔をしているのである。

 だが、何のため?

(司祭スーシャーってやつか?)

 『あんたは、辺境にかかわりすぎた』と、イェームは言った。となると、これは司祭スーシャーという連中の仕業だろうか。ファルケンを使って彼を殺そうとした彼らなら、別にそのくらいのことならありえそうだ。だが、ひとつだけ納得のいかない事がある。

「でも、奴等は火が使えねえはずだ」

 急速に充満する煙に気づき、彼はターバンのはじをつかんで顔の下半分を隠した。今は考えている場合ではなかった。背後で、ロゥレンが立ち上がる音がした。レックハルドは、地面に落ちた外套を拾い上げると、後方に走り去ろうとするロゥレンを無理やり捕まえた。

「どこへ行くんだ! そっちに逃げたら火の海だぜ!」

「やだ! いやだってば!」

「大人しくしろって!」

 炎の恐怖に混乱しているロゥレンを押さえつけるには、やはり視界を奪うしかない。レックハルドは再び外套を上からかぶせると、力づくでロゥレンを引っ張った。元から力には自信がないレックハルドだが、さすがにロゥレンのような小娘よりは力が強い。

「大人しくしてくれ!」

「あんた、やっぱり嘘ついてたじゃない!」

「あんたを無事に誘導するにはあれしかなかったんだよ! いいから、言う事聞け! あんた一人じゃここから出られないだろ?」

 ロゥレンは、外套の中で唸った。

「わ、わかったけどっ! じゃあ、どうするのよお」

 彼女の声はすっかり涙声になっている。

「これ、絶対普通の野火なんかじゃないわよ……。このあたりは森の深いところなの。南の乾燥地域とは違うの。なのに、どうして火の回りが早いの? おかしいとは思わないの? あんただって、ちゃんと火が回らないところを選んでるはずなのに」

「ああそうだな。わかってるよ」

 レックハルドは、ロゥレンの頭を軽くたたいて慰めるように言った。

「大丈夫だよ。何とか逃げ切ってやるから。それに、今は駄目だが、どうしょうもなくなったら、あんたは飛べるんだろ? いいときに逃がしてやるよ。それまで待ってくれ」

 レックハルドは、少しだけやさしい口調になっていた。その言葉を聞いて、ロゥレンが、外套の間からそうっと顔を上げた。

「ん? どうした? なんか言いたい事があるのかよ?」

 じっとその隙間から自分を見ているロゥレンをみて、レックハルドは不審そうに訊いた。

「あたし、あんたの事誤解してたわ」

 ロゥレンは、一度瞬きをしてからぽつりといった。

「……あんたって、本当は結構優しいのね」

「な、何、馬鹿なこと言ってんだ!」

 レックハルドは慌てて顔を背けた。そんなことをしなくても、炎で彼の顔は真っ赤に染まっていたので、頬が紅潮したことは気づかれずにすんだのだが、更にレックハルドは、突き放すような言い方で言った。

「成り行きで助けただけだろ! そんなことでいい人扱いされたくないぜ!」

「何よ! 折角ほめてあげたのに!」

「はん! 余計なお世話だ」

 レックハルドは言いながら、まだ照れている事を隠すように急に方向を変えて進んでいく。

「ほら! とっとと行くぜ!」

「ま、待ってよ! あたし、前が良く見えないのに!」

 ロゥレンは、相変わらず外套に包まったまま、慌ててレックハルドの後を追いかけた。

 炎が激しくなり、先ほどまでとは違い、その熱にも脅かされるようになってきた。じりじりと焼けるような熱さに、レックハルドは身の危険を感じ始める。煙も危険だが、このままだと本当に焼き殺されかねない。

(くそ、ちょっと無謀すぎた!)

 このときになって、レックハルドは一人でここまで来てしまった事を後悔し始めた。せめて、イェームを待てばよかった。どうも、いつもファルケンが横にいるので、自分の無力さを忘れてしまう。昔の自分は、もっと分をわきまえていたし、そんな無鉄砲な事はしなかった。

(所詮オレは、虎の威を借る狐だな)

 レックハルドは、心の中でつぶやいた。狐は虎がいなければ、大した力をもてない。相方もいないのに、判断を誤ったのは命取りになって当然である。自分でもわかっているつもりだった。

 ふと、後ろで小さな悲鳴が上がった。肩をつかんでいるので、まさかロゥレンが逃げる事は無いが、またかよ、とばかり、レックハルドはロゥレンの方を向いた。

「今度はどうした? 火花が散ったか?」

「ち、違うわよ。い、いくら炎が苦手だって、こんなにずっとじゃ、ちょっとぐらい慣れてくるもの」

 彼女が精一杯虚勢を張っているのは、その口調からわかる。だが、確かに慣れてきているのも本当なのだろう。はじめよりもずいぶんと大人しくなっているからだ。

「あそこ、わかる? 妖魔ヤールンマールがいるの」

「ヤールン? ああ、お前らが悪魔みたいなっていう化け物か?」

「そう、あたしには、感じでどこにいるのかわかるの」

 ロゥレンは、外套の端からそっと顔を覗き込み、中空を仰いだ。赤い炎が目に入ると、飛んで逃げたいような衝動に駆られるが、それを何とか我慢してその中で動いている”もの”を見る。そして、言った。

「あれ、火の妖魔ヤールンマールよ。間違いないわ。滅多にみることはないものだけど」

 レックハルドは視線を負う。妖魔ヤールンマールの姿は、ただの人間であるレックハルドには見えないはずだ。だが、ロゥレンの目には、そこに暴れまわる朱色と黒で構成された異形のものが飛び回っているのが見えているのだった。

「あたしとあんたを逃がさないようにしてるのは、絶対あれの仕業よ」

 ロゥレンの言葉には怯えとそれに対する確信が同時に感じられた。同時に、火花が散って、ロゥレンは外套の中に完全に顔を隠してしまった。

 彼女の視線を追っていたレックハルドは、ふと目を細めた。赤い炎の動きに混じり、何か別のものがうごめいているように見える。次に、彼のどちらかというと細い目が、ふっと大きくなった。

 目の錯覚だとはじめは思っていた。だが、今ならはっきり見える。レックハルドはロゥレンの肩をおさえたまま、わずかに後退した。

「ロゥレン。 妖魔 ってえのは……」

 レックハルドの声は、わずかに震えていた。

「ああいう、化け物のことを言うんだな?」

「え? あんた、見えるの?」

 ロゥレンは驚いたように、レックハルドに言った。普通の妖魔ヤールンマール は、人間の目には見えないのである。もともと魔力のある人間か、そういった訓練をした人間は別であるが、それにしてもレックハルドにそういった力があるとは思えなかった。

「あ、ああ。炎が生えてる蛇みたいなやつだよな」

「え、そ、そうよ」

 いやいやながら、ロゥレンはそうっともう一度だけ外を覗いた。レックハルドの言ったとおり、何匹かの妖魔ヤールンマールに混じって、ひときわはっきりと蛇のような妖魔がいるのがわかる。

「で、でも、何で人間のあんたにそんなにはっきり見えてるの? 本当は見えないはずじゃ」

 言いかけてロゥレンは思い出した。妖魔でも、特別に強いものは人の目にも見えるのだとか。そういう話を、とある先輩の妖精から聞いた。その時は、別に人間にも興味もないし、どうでもいいことだと思っていた。

 もしそれが、本当なら、アレは……。

「おいっ!」

 レックハルドの手が、ロゥレンを揺らした。不意に顔を上げたロゥレンの視界に、赤い妖魔ヤールンマールの姿が飛び込んでくる。こっちに向かってきているのだ。

「ええい、畜生!」

 レックハルドの舌打ちが聞こえた。つづけて、ロゥレンに向かって、早口で告げた。

「なるべく安全なところに突き飛ばすから、後はお前一人で逃げろ!」

「え? ちょっ……!」

 ロゥレンが、答える暇も無かった。

 レックハルドは、なるべく火気の少ないところにロゥレンを突き飛ばした。まだ火の回っていない芝生の上に勢い良く滑り込んで、膝小僧をすりむいたロゥレンは、レックハルドの事前の了承もない行動に腹を立てた。炎の中だという事もわすれて、彼女は振り返った。

「そこから逃げろ! あんたなら飛べるはずだろ! 巻き込まれないように気をつけて飛べば……! うわっ!」

 折りよくレックハルドの叫ぶ声がきこえたが、炎にまぎれて彼がどこにいるのかすぐにはわからなかった。

「に、逃げろって……! あんた、どこよ! どこにいるの?」

 ロゥレンが叫ぶが、返答はない。徐々にここも炎に包まれていく。ロゥレンは、突き飛ばされたときに脱げてしまった、レックハルドのコ外套をひっつかんだ。

 しゅるりと、燃える蛇の尻尾が、向こうの木陰の向こうに消えた。そこにレックハルドがいるのかもしれない。火は相変わらず燃え盛っている。

「ちょ、ちょっと待って! あんた置いていけないじゃないの!」

 ロゥレンは、立ち上がってそちらに足を踏み出しかけた。

 と、その時、突然、目の前がばっと燃え上がった。

 赤い光とすさまじい熱気が飛び込んできて、ロゥレンは炎への恐怖の余り、そのまま気を失ってしまった。


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