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１．火柱

　歴史学者、スティルフはギルファレス王国を扱った歴史書にこう書きのこした。

　　レックハルド＝ハールシャー。

　　ギルファレスの三十六代目宰相。その名は、砂の大地。

　　その口は蜜の如く甘く、しかし、その心は邪悪で思いやりも優しさも知らなかった。

　　彼の統治した五年間は、まるで地獄のようだったと言われている。

　　彼の行った暴虐を考えれば、彼が後にザナファルとカルナマクに攻められ、

　　自殺をしなければならなかったのも仕方がないことである。

　　それが自業自得だというものなのだから。

　夢だ。これは、夢だ。

　途中まで、彼はそれが夢だと思っていた。それは、今までも何度か見ている男の夢だ。

　ただ、目が覚めるといつも忘れてしまっているその夢が、今日ははっきりした輪郭をもって表れていた。

　***

　目の前に、金の詰まった袋がおかれていた。

　彼はそれを手に取り、中の黄金の光を嬉しそうに見る。ざらざらと手のひらに出して、彼は軽く一枚を弾いた。

「いいねえ、世の中、何があっても失われないこの黄金の色。やはり、俺は政治家より商人に向いてると思うんだよな」

　はじめは自分が話しているのだと思っていた。同じ声、同じような思考、そして同じ動き。とても見覚えがある。だが、何かがおかしい。

「しかし、買収の為とはいえ、俺にこんなのを送ってきていいのかい？　ついつい、私腹を肥やしちまうぜ？」

　誰だ？

　これは、誰だ。

　自分の記憶ではありえない。しかし、あまりにも夢にしては現実的すぎる。

　金を触る時の感触、見につけている服の布の感触、近くの花瓶にさしたチューリップの芳香、そしてどこか遠くから響く笛の音。

　そして、彼の心の動きが、レックハルドの心の中に流れ込んできた。

（やはり、そう来たか。……なるほど、これが最後の機会というわけだな。とんだ無理難題を押し付けられたもんよ）

　舌打ちしながらも、彼はこの状況を楽しんでいるような気がした。

　バイロスカートのよりの帰路、メルシャアド手前の宿で本国よりの使者が彼を訪れてきていた。その男は、自分のよく知る後見人の老人だ。

「しかし、だらしねえもんさ。狼人に捕まった奴ァ、全員帰ってきたら首が無かったとかなんとかいう噂で、兵士共が怖気づきやがったとか。そりゃあ勝てるもんも勝てねえよ」

　夢の中でレックハルドの視点にたつ男は、レックハルドそっくりの声と物言いで言った。目の前に立っていた見覚えの無い、人の良さそうな老人が明らかに焦って彼を止める。

「ば、馬鹿っ！　誰かに聞かれたらどうするのだ。陛下のお耳に聞こえでもしたら、お前の首も即飛ぶぞ！　せっかく機会を下されたというのに、もっと立場を悪くするつもりか」

「どうせ、飛びかけの首ですよ」

　彼はせせら笑いながら言った。

「今のオレは、首の皮一枚で繋がってるだけだからねえ。別に、何時飛ばされたって不思議じゃあないだろ？　サライの狸も焼きが回ったね。俺をサラビリア女王が呼び出したふりをして、外に出させてメルシャアド市を説得するように命令したのはいいものの、裏をかかれて俺のいない間にあっちを暴発させちまうとは」

「お前は……。サライ殿が、必死でお前の助命嘆願をして、ようやく聞き入れられたというのだぞ。もっとサライ殿に感謝をして……」

　彼はけろりと老人に言った。全く悪びれない。

「そりゃあ、悪い事をしたもんだ。でも、それもあの男の作戦さ」

　と、にっと彼は笑った。

「サラビリア女王と内密な関係にあったため、こんな一大事でも出国したというかどで、あの小僧共は俺を失脚させるつもりだったが、サライはそれならメルシャアド市のカルナマクを説得し、停戦させる第一の使者として俺を遣わすことにした。成功の可能性は限りなく低く、失敗しておめおめ戻ってきたときは処刑、そのままカルナマクに殺されることも想定される。陛下が条件をのんだのはおおよそそういうことだろう」

　男は立ち上がり、姿見のある方に向かった。　

「俺にやつらを帰順させるための説客なれ。もともとのサライの狙いはそういうことだったから、あのオッサンは計画を修正しただけのことさ」

　鏡に、彼の姿が映った。

　黒い布を頭に巻き、黒い衣をまとった長身痩躯の男は、細い目を少し笑わせた。ルビーで飾ったターバン飾りは、それでも豪奢というには程遠い、権力者にしては随分と質素な印象があった。手入れされた口髭が少し生えていたが、年齢はよくわからない。

　恐らく三十台。だが、彼はそれにしては随分若く見えた。

　そして、その顔立ちは、レックハルドと寸分変わらぬものだった。

　――やはり、コレは自分の見ている夢なのか？

　レックハルドはそう思った。

　だが、レックハルドと同じ顔をした男は、彼が叫ぼうとしても、全く彼の思うとおりには動かない。鏡に映った自分を眺めて、身なりを繕っている。そして、ゆったり口を開いた。

「いいだろう。カルナマクを口説きおとしゃあいいだけのことさ。もとよりそのつもりでバイロスカートを出たんだしな。そうしたら、オレも死ななくて済むし、まぁ、宰相の位はどうなるかしらないが、別に権力にしがみつく気もねえしな」

　そうして、彼は老人の方に振り返った。

「大体、俺は頼まれてやってるだけだからな。第一あんな安月給で俺みたいな才能豊かな男を縛り付けとくとか罪もいいとこだぜ。普通に商売したほうが、金も儲かるっていうのに、政治家やってんのは、ホント、社会奉仕もいいとこなんだ」

　とんでもない事を言い出す男に、老人は慌てて叫んだ。

「レックハルド、なんということを！　お前は、ことの重大さをわかっているのか？」

「もちろん。わかってるさ。失敗すれば俺の首が飛ぶだけのことよ。　ん？　なにさ、そんな顔することはないんだぜ。安心しろって。残念だが、俺は自殺志願者じゃあないからねえ。死ぬつもりでいくんじゃない」

　レックハルド！？

　レックハルドは、驚いた。

「だったら、どうするつもりだ？　レックハルド。相手はカルナマク王と狼人達だよ」

　彼の心配を他所に、レックハルドと呼ばれた男は、笑った。その態度に自信があふれている。

「まあ、何とかなる。カルナマクはしょせん、青二才。問題なのは、狼人の連中がどれだけ興奮状態にあるかだ。ザナファルってやつがどこまで話聞いてくれるかどうかだろう。しかし、ま、俺はあいつらとは一応付き合いなれてるからね」

　彼は、心配そうに彼を見た。

「お前の態度を見ていると、何時もいつも、どうも不安になるよ」

「相変わらず心配性だなあ。前のジジイと一緒じゃないか」

「ぜ、前国王陛下を爺呼ばわりするな！」

　レックハルドの無礼を咎めつつ、彼はため息をつき額に手を置いた。

「まあまあ、そんな心配しなさんなって」

「どこまでいっても、悲壮感という言葉に縁のないお前にあきれているだけだ。……本当に、大丈夫だろうな？」

「ははは、俺を誰だと思っていやがる」

　彼の問いに、レックハルドは大きく頷いた。

「このレックハルド＝ハールシャーにおまかせあれ」

　そういう彼の顔には、自信たっぷりの笑みが浮かんでいた。

　レック、ハルド、ハールシャー……？

　砂の大地の名を持つあの古代最悪の宰相……。

　そういわれた男の容貌も、声も、そういわれるにはあまりにも物足りなかった。せいぜい小悪党がいいところで、悪党の貫禄に欠けていた。まるで自分と同じような取るに足らない男。

　だが、なぜこんな夢を見るのだろう。

　レックハルドは、首をかしげた。

　その記憶は、明らかに鮮明で、あまりにも現実的すぎる。

　――これは、一体誰の記憶だ？――

　ほかにも思い出せることはないだろうか。レックハルドは、そう思っておぼろげな記憶の中をたどろうとした。

　しかし、そのとき。急に足元が揺れた気がして、レックハルドは慌てて周りを窺おうとした。

　一瞬にして、目の前が暗転し、風景も老人も溶けるように暗闇にかわる。さらに、目の前で強烈な光がはじけたような気がした。

　***

　ドオン！　という、大地を突き抜けるような音で、レックハルドは目を覚ました。

「な、何だ！」

　近くで鳥が飛び立つ音がした。

　空はすでに明るい。

　慌てて周りを見回したところで、レックハルドは、昨日の夜派手に飲んで踊って、そのまま倒れこんで寝てしまったことを思い出していた。

　周りには酒の入っていた瓶や杯が散乱していた。狼人の中には、まだ寝込んでいるものもいる。　

「昨日のみすぎたからなあ。二日酔いか？」

　レックハルドは、あぐらをかいて額を押さえた。

　だが、特に頭が痛い、気分が悪いなどはない。そもそも、彼はあまり二日酔いにならない質でもあった。

　二日酔いだからといってさっきの震動と音は一体なんだろう。けして、感覚的なものではなかった。証拠に、なにか、彼に備わった直感のようなものが、何か警鐘を鳴らしている。

　近くには、ファルケンの姿はなかった。ファルケンは朝が早いし、昨夜は全然酔っ払っていなかったので、恐らく水でも汲みに行ったのだろう。

「あいつがいれば事情が聞けそうなんだがなあ」

　レックハルドは座りなおし、顎を軽く撫でた。必要な時にかぎって、ファルケンはいないことが多い。

　横では、まだ狼人がぐうぐう寝ているし、どうしたものかと思ったが、良く見ると、明らかに狼人の数は減っていた。

「やつら、やっぱり、朝早いのか」

　ファルケンもそうだが、大体、日が昇る頃になると彼らは目を覚ます習性になっているらしい。ここで寝ている連中は、よほどのぐうたらと見ていいだろう。そういえば、首領（リャンティール）のレナルも姿を見ない。

　と、急に周りがざわめいた気がして、レックハルドはそちらをむいた。

　彼と同時に起きだしたと思われる、狼人が不安そうな顔をして、西の空を見上げては、口々に何か叫んでいる。

「どうした？」

　レックハルドは起き上がり、彼らの方に向かう。

「あれを、見ろ！」

　血相をかえている彼らは、皆、一様にそちらを指さした。レックハルドはその視線を辿り、思わず目を疑った。

　辺境の森の真ん中から、大きな火柱が立ち上っているのである。それは青い朝の爽やかな空を異様に赤く染めあげていた。

　先程の音、そして光は、まさかその火柱が立つ音だったのだろうか。

　怯えたような声が一様に響く。

「火だ！」

「森が燃える！」

「け、消さないと！」

　狼人たちは、一種の恐慌状態に陥っていた。皆、おろおろするだけで、どう行動していいかわからないようだった。まして、首領（リャンティール）のレナルはいない。

「落ち着けよ！」

　レックハルドは、とりあえず声をかける。

「お前らのうちで、あの火に近づける者はいないのか？」

　狼人の一人が首を振った。確か、彼にダラール草を食わせたベニシッドとかいう狼人の若者である。

「首領（リャンティール）とファルケン以外はムリだ！　オレたちは恐くて動けなくなるから！」

「ファルケンが悪いんだ！」

　突然、声が響いた。

「あいつが来たからこんな事に！」

　レックハルドがキッと睨みつける前に、ベニシッドが、叫んだ狼人に掴みかかっていた。

「ファルケンを悪く言うな！」

「じゃあ、こんな事になったのは誰のせいなんだ？」

　ベニシッドは首を振る。

「誰のせいって、そんなのわかるもんか！」

「首領（リャンティール）が司祭（スーシャー）の言う事をきかなかったせいだ！」

「違う！　どっちにしても、オレたちはもう終わりなんだ！」

　様々な狼人が叫びだす。

　場は、正に混乱していた。

　狼人が火を見ただけで、ここまで恐慌をきたすのだとは思わなかった。レックハルドは、しばらく呆然として言葉が出なくなった。

　もはや、誰かに責任をかぶせなければ、正気を保っていられないのかもしれない。ファルケンやレナルの態度からは、考えられないほど、彼らは炎というものを恐れているのだ。

「おい！　お前達！」

　急にレナルの声が響き、彼らはそちらを見た。そこにどこからか帰ってきたレナルが、立っていた。浮き足立った狼人たちとは違い、レナルは冷静だった。

「首領（リャンティール）！」

　何か言いかけた狼人の口を、レナルは厳しく遮った。

「これは誰のせいでもない！　もちろん、ファルケンが悪いんじゃない！　何かが森の中で起こってるんだ！　これは普通じゃない！」

　手短に言うと、レナルはざっと彼らをみて、命令を飛ばす。意見を挟ませなかった。

「湖から水を！　俺たちは魔法はちょっと苦手だが、妖精たちにも手伝ってもらう！　とにかく、あの火を消すんだ！　お前達も手伝え！」

　今まで混乱していた狼人たちは、首領（リャンティール）の言葉を聞いてそれぞれ我に返る。一瞬にして、冷静さを取り戻し、首領（リャンティール）の言葉に耳を傾けている。その統率力は、レックハルドも舌を巻くほどだった。

「じゃあ、二手に分かれろ！」

「わかった！」

　声を揃えて返事をし、狼人たちはさっと二手に分かれた。

　まるで訓練された軍隊のように、的確な判断で誰一人迷うものもいない。一人置いて行かれて、どうすればいいのかわからずに、少し戸惑っているレックハルドに気付くと、レナルは彼のそばに駆け寄ってきた。

「悪いな。こんな事になっちまって！」

　と申し訳なさそうな顔をする。

「い、いや、それはいいんだが、ファルケンは？」

　レナルは、首を少し傾げた。

「水を汲みに行ったのは確かなんだ。それから、あれが起こって、あいつの性格なら、多分そのまま様子を見に行っていると思うんだが……」

　レナルは心配そうな顔をした。辺境でもファルケンの立場は弱い。何かなければいいのだが。

「オレはどうすればいい！？」

　レックハルドは訊いた。

「オレは火は平気だし、手伝おうか？」

「だけど、人間が近づくにはアレは危なすぎるぜ」

　レナルは眉をひそめる。レックハルドに手伝ってもらえばありがたかったが、下手をすると怪我をさせることになる。

「別にそのくらいは大丈夫だ。遠慮せずにオレも使えよ」

　そういわれて、レナルはため息混じりに頷く。

「ホントに、悪いな。レックハルド。客人にこんな事までさせるなんて……」

　レナルは心底申し訳なさそうな顔をした。レックハルドは、首を振った。

「気にするなよ。……こういう事態じゃ仕方ねえしな」

「よし！」

　レナルは、レックハルドの肩を少し叩いた。

「じゃあ、あの火柱のあるところに行ってくれ！　オレが護衛してやりたいんだが、オレは他に用があってな。誰か一人つけようか？」

「ああ、かまわねえよ。護衛だなんて……」

　レックハルドは、手を振った。

「大丈夫だ。アレだけ火が立ってれば、危ない動物の類はナリを潜めているだろ？　オレひとりでも何とかなるよ。その辺にファルケンがいるだろうし、何かあれば大声を立てるから」

「そうか、ホントにすまないな」

　レナルは少し頭を下げた。正直、余分な人員を他にまわすわけにはいかなかった。

「あんたには、いつか十分な礼をさせてもらうぜ！　じゃ、あとでな！」

　レナルはそういうと、タッと地面を蹴った。彼の印（シェンタール）である銅の鈴が澄んだ音を立てて響いた。

「畜生！　なんでこんな事に……！」

　レックハルドは、舌打ちしながら空を見上げた。

　まだ火柱は上がっている。何だか、ひどく嫌な予感がした。胸騒ぎとでも言おうか、何ともいえない不吉な感覚が、振り払っても消えてくれなかった。

　枝を蹴り、次の枝へと飛び移る。木の上を風のように速く走りながら、ファルケンはそこに急いでいた。

「なんで、なんで、辺境に火が！　しかもあんなに大きな炎が？」

　火炎草が他の植物にうっかりと燃え移る野火があることがあるが、それは百年に一度ほどしか起こらない。人間が火を落として山火事になることもあるが、それも違うだろう。

　あんな異常な火柱は、人間では起こせない。少なくとも、今の人間の技術では。

　他の狼人は、すでに恐慌状態に陥っているだろう。あの火を消す為には、彼らの力だけでは心もとない。火を恐がらない者の存在が不可欠である。

「オレが何とかしないと……！」

　火を恐がらないのは、彼の生まれ持っての性質だった。それが色んなところで彼には不利に働いた。

『だが、必ずそれが役に立つ時がある。他の狼人が出来ない事がお前にはできるんだから！』

　そうファルケンを慰めてくれたのは、レナルだった。それ以来、ファルケンはレナルの言葉を信じてきた。

　そして、役に立つ時。それが今に違いない。

　ファルケンは、木から下に飛び降り、比較的障害物の少ない地面を走る事にした。

　緑色交じりの金髪が、やがて近づく橙（だいだい）の光に照らされて赤く染まっていく。

　――ファルケン……！

　不意に声が聞こえ、ファルケンは立ち止まった。全速力で走ってきたファルケンは、肩で息をしながら、慌てて周りを見回す。

　――魔幻灯(ファルケン＝ロン＝)のファルケン(ファンダーン)……！

　辺境古代語（クーティス）で名前を呼ばれ、ファルケンはキッと声のするほうを睨みつける。だが、声は正確には複数の方向から同時に聞こえてきたような気がした。正確な方向はわかりそうもない。

「だ、誰だ！」

　ファルケンは、反射的に肩にかけていた剣の柄を握った。いつもあまり使わないので、存在を忘れている剣だったが、戦いの時は必要だった。相手が、辺境のものだったとしたら、この金属製の剣は思いのほか威力を発揮するのである。

　―ファルケン……！　こちらだ！

　急に近く、背後で声が聞こえ、ファルケンは驚いて剣を抜きながら振り返った。

　だが、遅かった。

　ファルケンは鳩尾あたりに、突然殴られたような衝撃を受けて、思わず息を詰まらせ、そのまま体をくの字に曲げた。

「がはっ……！」

　ファルケンは、膝をついた。

　何とか立ち上がろうとしたが、それ以上はどうにもできず地面に突っ伏し、何度か咳き込んだ。

（今のは、普通の打撃じゃなかった……魔力が何か…）

　確かに、魔力が加えられていた気配がある。それに、相手の姿が見えなかった。こんな事が出来る者は、そう多くはない。

　口元をぬぐいながら、何とか抵抗しようと上を見る。

　まだ殴られたところは痛んだが、奥歯を噛みしめて、相手を探す。姿はどこにも見えない。だが、声が響き渡った。

　―やめておけ！　お前の魔力（チカラ）では、私には敵わない！

　ファルケンは、ハッとして目を声が響き渡った場所に上げた。だがやはり姿は見えない。

「まさか！」

　声に聞き覚えがあるような気がした。それは、間違いない。一度だけ、印（シェンタール）を決定する儀式の時に彼に会った事がある。

「まさか、スー…シャー……」

　それは、司祭（スーシャー）といわれる十二人の狼人・妖精のうちの一人の声に違いなかった。だが、それ以上はわからない。

　みぞおちに一撃を食らったためなのか、それとも違う何かのせいなのか、急速に意識が遠のいていったからだった。

　まるで、強制的に眠らされでもするように、異様な眠気が彼を襲う。支えていた腕が崩れ、草の匂いがする地面に倒れこむ。

――お前には一働きしてもらう……

　薄れる意識の中で、声がそう言った。何か、不可解な力が自分の体に影響を及ぼしてきているのがわかる。

（……なんで、司祭（スーシャー）が、オレの事を？）

　疑問が頭にぐるぐる浮かぶ。だが、徐々にそれもどうでもよくなった。全身を倦怠感が覆い、ファルケンは徐々に意識を失っていった。

（あぁ、そうだ）

　完全に意識が闇に落ちる前に、ファルケンは一つだけ思い出した。

（こんな事になって、レックはどうしているだろう）

　何だか申し訳ないような気になった。また、事件に巻き込んでしまったようだ。

（あとで……、謝っておかなきゃな……ぁ……）

　そして、そのまま、ファルケンの思考は完全に暗黒の中に落ち込んだ。