3.狼人の宴
下に降りてみると宴の準備がかなり進んでいた。
ちょうど木の下は開けている。そこに枯れ木を積み重ね、火をつける準備がなされていた。それに果物が並べられており、イノシシかなにかのエモノ。どこからか土器の大きな鍋が運ばれてきている。
そんな中でのんきにやってくるファルケンを、レックハルドは機嫌悪く出迎えたのだった。
「よーくも、オレを置いていってくれたなあ、ファルケン!」
レックハルドは、じっとりとファルケンを睨んだ。ファルケンはさすがに居心地悪そうな顔をして、苦笑いをした。
「いや、その。だから、ホントに大丈夫だと思ったからー」
ファルケンの足元では、タクシス狼のソルが悠々と構えて座っている。それを見ると、レックハルドは、彼の説明不足に腹が立った。
「しかも、お前、オレに何の注意もなく」
「聞かれませんでしたから」
ソルはぬけぬけと応えてあくびなどをしている。なんという図太い狼なのだろう。こいつ、絶対わざとだ。
レックハルドは、むっつりしたまま、舌打ちをした。
「そ、それより、レックもたどり着けてよかったなあ。し、心配してたんだ~」
ファルケンが慌てて話をそらした。
「まったく、二度も食われて死ぬかと思ったわ!」
レックハルドは指を二本立てて思いっきり怒鳴りつけたものの、もともと短気だが気が変わるのも早い。
「まぁいい。お前にぐだぐだ言ってもしゃあねえし。今回は許してやるよ」
「ホントか?」
ファルケンが素直に嬉しそうな顔をした。
「あぁ、そん代わり、どっかで絶対お前にただで働いてもらうからな!」
「それは構わないし! よかった!」
ファルケンがへらっと笑った。それを横目で見ながら、レックハルドは、あまりにも図太くなっていくファルケンの成長ぶりに半ばあきれた。これはまずい相手に、処世術なんか教えてしまったものである。最初は、もう少し傷つきやすいと思ったのだが、意外とコイツ大物になるのかもしれない。
「それじゃ、点火するぞ~」
向こうでレナルが言った。見ればレナルは、手に彼らが火種に使う燃える草「火炎草」を握っている。
しかし、枯れ木をつみ終わり、そうレナルが叫んだ途端、先程まで騒ぎまわっていた狼人たちが、急に口をつぐんでひゅっと皆隠れてしまう。
総勢三十人ほど。それらが全員、木の後ろに隠れてびくびくとしているのだ。
「おい! お前達!」
「首領、やっぱり、オレたち火は恐い」
狼人の青年が、怯えながら言った。レナルが叫ぶ。
「こら! オレだけにやらせる気か!」
「首領だって苦手なんだろ!」
「苦手だけど、障害はいつかこえていかなきゃいけねえんだぞ! お前らだって、燃えてる時は平気だろうが! 事実、オレは三十年の月日をかけて、炎への恐怖に打ち克った!」
レナルが誇らしげに言った。だが、狼人たちは首を振る。
「三十年かかってるし」
「燃えてるの見るのはいいけど、つけるのは嫌だ」
「そうだ、そうだ」
狼人が口々に言った。レナルは憤然として言う。
「お前らは苦しみを超えていこうと思わないのか! 向上心がないぞ、お前達!」
レナルは、困ったような顔をした。彼自身は、火花ぐらいは平気だが、それでも少しだけ恐怖があるらしい。それに炎をつけるのは一箇所だけではないのである。ちょうど枯れ木を積んだ場所は三箇所もあった。火を起こすのは、案外時間と手間がかかるので、レナル一人では、手に負えなかった。
「何でえ意気地ないなあ、あいつら」
「仕方ないよ~。あ、レナル、オレがやるよ」
ファルケンが不意に申し出た。
「オレは、全然平気だし、よくやってるから」
「そうか。じゃあ、手伝ってもらおうかな」
レナルは、意地を張ることなく素直に彼に任せることにして、握っていた火炎草の束をファルケンに手渡した。それを受け取りつつ、ふとファルケンはそっと声を低めてきいた。
「で、でも、もしかして、レナル、”アレ”も作るつもりなのかな?」
「ああ、”アレ”か?」
ファルケンの顔は、何故か戦々恐々としていた。レナルは深く頷いて笑う。
「もちろんだ! やっぱり、祭りにアレは欠かせないからな!」
「あ、あれは、その、オレはやめといたほうがいいと思うんだけど~」
ファルケンが恐る恐るといった風にいうと、レナルはファルケンの肩をバンバンと叩いた。痛かったのでファルケンがわずかに顔をしかめたが、レナルはそれには気付かなかった。
「心配するなって! それに、アレ食うときのお前も十分おもしろいぞ!」
(あれはおもしろさを出すための食べ物なのか?)
ファルケンはそういう疑問に駆られたが、あえてきくのはやめておいた。何とかレックハルドがアレを食べなければいいのだが……と思いつつ、できるだけ考えないようにしようとも思った。狼人の連中は気まぐれで忘れっぽい。本番で忘れてくれればいいのだが。
そんなことをしていると、
「オレも火を起こすの、手伝おうか? お前ら苦手なんだろ?」
と、レックハルドが珍しく自分から声をかけてきた。
「え、客人には悪いよ」
「いいよ。オレは火ぐらい平気だから」
レックハルドは、ファルケンから火炎草の半分を更に奪い、持ち場をさっさと決めて歩き出す。
「へえ、意外といい奴だな~、レックハルドって……」
レナルが感心したような口調で言った。それから、キッと後ろの連中に睨みをきかす。
「それに比べてお前達は!」
びくうっと狼人連中は、震え上がったが、言い訳するようにお互いぶつぶつといい始める。
「だって、恐いものは恐いし……」
「うるさい! さっさと持ち場に着け!」
レナルが一喝すると、彼らはまたびくうっとしてから、一斉に木の後ろから飛び出した。レナルはレックハルドに向けて申し訳なさそうな顔をした。
「悪いな、あいつら、全然火と金属になれなくって」
「いいや、狼人の生態については聞いてるからな。仕方ねえだろ」
レックハルドは、手早く火を起こし始めた。煙が昇り始める。向こうでも煙が上がっていた。ファルケンが作業をこなしているということである。
「しかし、こう見ると、ファルケンは、英雄ザナファルの生まれ変わりみてえだなあ。ああやって火が使えてさ」
レナルが不意に言った。
「ザナファル? ええと、その、……ゼンクじゃなくってか?」
レックハルドが、怪訝な顔をした。サライ曰く、ファルケンはゼンクの生まれ変わりと見られて森から追放されたはずなのだ。そう聞かされていたのだから、彼が不審がるのも当然である。
レナルは首を振った。
「違う違う。ザナファルだ。確かにゼンクの生まれ代わりって、噂はあるけど、オレは全然似てねえと思うな。だって、顔も性格も違うって話だし。それにな、火が平気だった狼人は、何もゼンクだけじゃない。ザナファルだって平気だった。昔は、結構平気だったんだって。それで、この火炎草ってのを使ってたんだ。これは、古代の狼人が火種として使ってた植物の名残なんだっていうんだからな」
「ふーん。しかし、お前らにとっても、やっぱりザナファルは英雄なのか?」
「まあな! ザナファルは、ちょっと失敗したけど、人間と一緒に暮らそうとした狼人だからな! それに、森を守ったんだしな! オレにとっちゃあ一番の英雄だぜ!」
レナルは自信たっぷりに応えた。そのとき、ファルケンの声がむこうで聞こえた。
「レナルー!出来たぞ!」
さすがにファルケンは手馴れたもので、すぐに火をおこす事に成功していた。レックハルドと一緒に食事を作っている間も、ファルケンは常に火を起こす役なのである。
「おー!じゃ、オレ、ちょっとあっち見てくるわ!」
レックハルドにそういいおいて、レナルはファルケンのほうに走っていった。
レックハルドは、ファルケン以外で初めて接触した”狼人”というものにいろいろ思いをはせていた。
***
目の前にいる紅のギリアバスは、いつもと様子が違うようだった。
国境付近まで来たときに、あちら側から迎えが来たのだ。それについてはハールシャーとしては、ありがたいことではあったのだが、なんとなく雰囲気の違うギアリアバスの様子に、彼も気づいていた。
「調子が狂うな。いつもなら、もっと突っかかってくると思ったんだが」
ギリアバスとハールシャーは、相性が悪い。生理的にどうも合わないとお互い思っている。そんなもので、会えばまず皮肉の応酬から始まるのが常だが、今日の彼は雰囲気が違う。いつも紅の軍装に身を包んでいるはずの彼だったが、今日の彼は黒い衣服を着ていた。
「『レックハルド=ハールシャーだな。そうか、私とは初めて会うのだったか?』」
ギリアバスの声帯を使って、別のものの声が聞こえた。
ギリアバスの瞳は金色に輝き、その瞳はまるで爬虫類のそれだ。それで、ようやくハールシャーはぴんときていた。
「……そうか、もしかして、アンタ、ギリアバスじゃないんだな?」
「『その通り。私は竜王ギレス。この男の体を間借りしているものだ。今日はお前に聞きたいこともあって、私が外に出ている』」
「そうか。竜騎士は竜の魂を体に憑依させているんだったな。アンタがその知恵ある竜の長のギレスだね」
「『わかっているなら話は早い』」
血気盛んなギリアバスと違い、ギレスは老練で落ち着いた印象があった。同じ人間の体を使っているのに、ここまで違う雰囲気になるとは意外なものだとハールシャーは感心した。
「『なぜ、このような時節にこの国を訪れたのかと気になっていた』」
「俺だって自分できたかったわけじゃあないさ。でも、アンタんところの女王陛下に呼ばれていてね」
「『サラビリアが?』」
ギレスはかすかに眉をひそめた。
「『サラビリアは、確かにギリアバスにお前を迎えに行くように命令をしたが、お前を呼んだとは言っていなかったが』」
「さて、俺のほうにも密書の形で命令が下ったのでね。よくわからねえんだよ。ついでにサラビリア女王に俺にも聞きたいことがあったからな」
「『ほう、聞きたいことか? 大方メルシャアド市のことだろう』」
「ふむ、ギレスさんもなかなか勘がいいな。アンタの”ガワ”のやつとは大違いだぜ」
ハールシャーは苦笑した。
「そうだ、アンタも知っているんじゃないか。俺が知りたいのは、メルシャアド市のザナファル将軍のことだ。その男は狼人でありながら火を恐れず、人間と共同で暮らしている。カルナマク王を説得するには、やつの協力が不可欠だろう」
「『ほう、黄炎石のザナファルか』」
と、ギレスはふと目を細めた。
「『確かに、私は、その男と話をしたことがある。狼人の青年には、珍しい思慮深い男だ。しかし、火を恐れないということは、狼人の中でも異端を意味する』」
「異端?」
ハールシャーはきょとんとしたが、ギレスは目を細めた。
「『炎を操る力を持つ狼人は、それだけで異端な存在となる。しかし、……歴史的にそうした狼人は必ず一定数存在する。そうした狼人が、辺境にとって善なる存在となるか、仇なす存在となるか。それは、またそれぞれによって異なり、どちらになるかはわからない』」
ギレスは、かすかにほほ笑んだ。
「『それだけは産みの親の太母ですらわからないものなのだ』」
*++
宴が始まる頃には、とっぷり日が暮れていた。
主賓のレックハルドの前には、名前の知らない果物や、焼いた肉やら、焼き魚などが置かれていた。
横で通訳然として控えているファルケンによると、狼人は普通焼いた料理を食べないので、これらは彼らにとっては非常なご馳走に当たるのだという。
まさか、ファルケンに通訳をしてもらう事があるなどとは思わなかったが、正直、ファルケンがいないと困ったことになっただろう。今回ばかりは彼に感謝しなければ。
「ふーん、で、お前らの文化じゃ、果実酒と蜂蜜酒が多いんだな」
レックハルドは、木の器に入れられた酒らしい飲み物を見ながら言った。
「うん、まあな。好きな方を飲んだらいいよ」
ファルケンはいい、自分はひたすら木の実を口にしていた。レナルは、というと、向こうで大騒ぎしている連中のところで手拍子をうっている。かなり酒が入ってきていて、皆上機嫌になっていた。
「ソルも結構楽しそうだな、意外と要領いいんじゃねえの、あいつ」
レックハルドは、宴会場と化した草原の隅を見た。みると、ソルとその群の連中が集まってきていて、イノシシやシカなどのあまりの肉をちゃっかりといただいている。
「ソルは頭いい狼だからなあ」
「頭いいっていうより、アイツ、世渡りがうまいんだろ」
レックハルドはため息をついた。
不意ににょっと、横から手が伸びてきた。驚くレックハルドの前に、一人の若い狼人が微笑みながら現れる。
「ああ! ベニシッド!!」
ファルケンが、お椀の中身を見ながら、怯えたような口調で彼の名前を呼んだ。そこには、ワラビやぜんまいのようなくるくるした植物が調味料で煮込まれていた。前は緑色をしていたのだろうが、すっかりみょうなドドメ色に変化していて、それが肉と一緒に入れられている。
「客人にだー! ダラール草の煮っ転がし! どうか、食べてくれ!」
レックハルドは、ベニシッドという狼人の言葉を受けて、反射的にこくりと頷いた。
「う、美味いのか?」
「美味い美味い! これ以上、美味いシロモノはない!」
ベニシッドは、けらけらけらっと笑いながら自信たっぷりに応える。
横でファルケンが、慌てながらレックハルドに何か伝えようとしていたが、それにレックハルドが気付く暇はなかった。
「じゃあ、もらっとこうかな~」
折角すすめられたので、レックハルドは素直にそれを手に取った。ベニシッドが、にぱあっと笑った。
「そ、それだけはダメだ! レック!」
もはや一刻の猶予も無い。ファルケンは、とうとう彼らの間に割り込んだ。
「どうしたんだよ?」
レックハルドは不審そうにファルケンを見ながら尋ねる。何があったというのだろう。この慌てよう。ファルケンは必死になって彼に伝えようとした。その手の中の物が、いかに危なっかしいものかという事を。
「レ、レック! ダメだ! ダラール草の煮っ転がしだけは! 転がらないものを煮っ転がしちゃいけないって、ホントだよ!」
「わ、わかんねえこというなよな?」
わたわたと、ファルケンは手を広げて何か主張したが、レックハルドによりあっさり却下された。
意味がわからない。そもそも、元々ファルケンの言う事はよくわからないのだが、混乱している彼の言う事はもっとよくわからない。
「毒じゃなきゃ、何とか食べられるもんなんだろ? だったら問題ねえってば」
レックハルドは、良くわからないファルケンの言い訳に首をかしげ、ぜんまいのような植物の煮物を口に入れた。ファルケンは、口元に手をやり、心配そうな顔でそれを見送ったのだが。
ふと、レックハルドの時が止まった。一瞬、固まった後、
「な、な、なんだこれ!!!」
レックハルドは叫び、速攻で口の中のものを吐き出した。味覚がおかしくなりそうだ。感情が一斉に口から飛び出す。
「甘くてすっぱくて辛くて苦くてしょっぱい! なんだ、このシロモノは!! しかも、なぜ喉越しだけ爽やか、なんだ、これは!!!」
「あっはっはっは。大げさだな。レックハルドは!」
げたげたと狼人達が笑い出した。
「大げさじゃねえ! ま、まずすぎる! まずすぎるんだ!」
狼人はまだ笑っている。
「えー、こんなご馳走なのに? レックハルドは、変な奴だ! ファルケンと一緒だ! ほら、ファルケンも一緒だ!」
「え? ファルケン?」
言われてレックハルドは、ファルケンのほうを見た。本当は食べたくなかったらしいが、数人の狼人にすすめられ、断りきれなかったらしい。
ファルケンは、それをちょうど口に入れた後だった。しばらく、ファルケンは凍りついたように動きを止めた。それから、だらだらだらーっと傾いた器から煮汁がこぼれ、かたんと空のお椀が地面におちた。それを見て狼人たちはまた大爆笑した。
「あっはっは。ファルケンも変だ!」
(お前らが一番変だ! これがいけるとか、お前らの味覚どうなってやがるんだ!!)
レックハルドは心の中で叫んだが、それは声にはならなかった。
「おい、止まってるぞ。大丈夫か?」
レックハルドが、さすがに同情したような声で言ったが、まだ、ファルケンの動きは止まっていた。表情が固まったままで、動いていない。
「うん、今回だけはお前の言う事をきくべきだった」
口の中のものを吐き出してから、ファルケンは顔を上げた。少し涙目になっている気がしなくも無いが、何とか復活は遂げたようである。
「……な、転がらないものを転がしちゃいけないんだって」
「お前の言うとおりだった」
レックハルドは、感慨深げに頷いた。
「よお、楽しんでるか?客人」
レナルが突然どこからともなく現れて、彼の肩を叩いた。
狼人は、本当に油断がならない。神出鬼没である。さっきまで、彼は向こうで馬鹿騒ぎしていた気がしたのだが、いつの間に後ろにまわってきたのだろう。
「う、うん、微妙、ってところだな」
「微妙か~。それはいいや」
レナルは微妙の意味をわかっていないらしい。あっはっはと、明るく笑っていた。
「よし! せっかくだから、遠慮なく飲んだり食ったりしてくれ!」
レナルは、無神経にレックハルドの肩を力いっぱい叩いた。ものすごく痛かったのだが、やはりレナルは気付かずに豪快に笑って近くの酒を口に含むとそのまま、近くの集団の中に入り込んでいった。
「あいつ、無茶苦茶すぎるぜ!」
レックハルドは吐き捨てた。ファルケンを見ると、彼は苦笑いをして黙っていた。
つまり、仕方がないということなのだろう。
狼人と付き合うという事が、いかに重労働なのか、ファルケンが狼人としていかにおとなしいのか、レックハルドは改めて認識した。
*
夜行性の鳥の不気味な声が響き渡っていた。
夜の辺境を一人歩いていると、普通はたくさんの猛獣達が近寄ってくるものだが、彼は違った。彼が歩くと、辺境狼も辺境山猫も、みな恐れをなすように身を潜めた。
そのさまは何か触れてはならないものに触れることに怯えるようだった。
やがて、彼はその位置に立った。
懐から、木製の水筒を取り出し、彼は水を一口飲んだ。それから、その水筒の中に、取り出しておいた赤い染料の塊を投げ入れた。それは溶け出し、水はたちまちに赤い液体に変わった。
地面にその赤い液体を落としながら、彼はふうっとため息をつく。
「こんな方法しか、僕には思いつかないんだ」
その液体は、やがて魔法陣の形に草の上を広がっていく。自分で意思があるかのような広がり方で、それは不気味な動きでもあった。
「だけど、辺境があるから、この世は……」
彼、風裂きのシャザーン、シャザーン=ロン=フォンリアは、呟く。
「辺境さえ、なければ、我々はもっと幸せに生きられるんだ……。だから」
その声は、まるで自分に言い聞かせているようだった。
やがて、足元の草がさざ波を立てるように動き出す。草達が、迫る不吉な予感に囁きあっているかのようだった。
「そう、これしか、方法は、無いんだよ」
シャザーンは、指を立て軽く印を切った。やがて、彼の口から、古い辺境古代語が流れ始めた。
ざわざわ……
草が再び不安に揺れ、雲が月を隠した。
そのときの、シャザーンの繊細な顔を、やがて闇が覆っていく。




