2.首領:銅鈴のレナル
***
「バイロスカートに行くつもり?」
いきなり声を掛けられて、どきりとして振り返ると、そこには妖精が佇んでいた。
相変わらず虹色に輝く翅を背中に六枚も背負っている美しい少女のように見える妖精だ。「五番目」の司祭暁のロゥザリエで間違いなかった。それを確認して、レックハルド=ハールシャーはほっとした。
明日、出国という日。
先ほどまで部下と一緒だったのだが、ふと、外の見える場所で一瞬一人になった時があり、彼女はその時を見逃さずに声をかけてきた。
「なんだ、刺客かと思ったじゃねえか。脅かすなよ」
「そんなに警戒しているなら、一瞬でも一人にならないことね」
「そーできりゃー、俺もいいんだが、そうもいかねえこともあるだろ。それに、人気がねえ時は、アンタみたいな辺境の連中が声をかけてきやすいだろう? ツァイザーはここんところ見かけないが、忙しくしているのかい?」
そう尋ねると、ロゥザリエは、そうねと答えた。
「貴方が忙しいのと同じ理由じゃないかしらね。貴方のところの王様の不穏な動きに過敏に反応するモノは意外と多いわ。それに、辺境にも異変が起こっているの。妖魔の数も増えている……」
「へえ、仕事してねえみたいな奴だが、意外と忙しいのなあ」
ハールシャーは、やれやれと言いたげだ。
「それで、貴方は神聖バイロスカートに出張かしら? お忙しいことね」
ロゥザリエは相変わらず、やや冷ややかに話しかけてくる。
「仕方ねえだろ。俺は行きたくねえんだが、あっちの女王陛下が来いってんだ。俺はあっちの宰相の印章も持ってるが、それだけに逆らえねえのよ。一応臣下だからな」
と、彼は不満げに言った。
「あら、行きたくなさそうねえ」
「あたりめえよ。この状態で国元留守にして無事で済むと思うかい?」
ハールシャーは、口をとがらせる。
「実はな、今、俺は立場が悪いんだ。しかし、ゼヴィリア公爵側が圧迫しているせいで、メルシャアド市のカルナマクが暴発寸前でねえ。それはサライが何とか抑えているんだが、限界があるらしく、サライは俺にメルシャアド市のカルナマクを説得させたがっている。しかしな、俺自身も奴等からにらまれてるからそうやすやすと動くわけにはいかねえの。だから、のらくらっと躱してたつもりなんだが……」
「サラビリア女王からのお召しは、サライの罠だといいたいのかしら」
「どうせそんなことだろう。メルシャアド市はバイロスカートまでの道程の途中にある。帰りにでも立ち寄れって説得して来いってことだよ」
ハールシャーは、腕組みした。
「しかし、カルナマク王を説得するよりも、もっと難しいのは奴の抱えている狼人軍団の方だろう。将軍のザナファルは、比較的穏やかな狼人だというが、お前さんやツァイザーがどうにか説得できないもんなのかい?」
「ザナファル=ロン=ファイェーシェンのことかしら。彼は確かに狼人の首領の一人だけれど、彼ほど人間社会にかかわりをもってしまうと、かえって私たち司祭の影響からは離れがちになるものよ。それに、ザナファルは、炎を恐れない者。ザナファルに賛同している仲間たちも、皆、火を恐れないもの達。辺境の森を出てはいるけれど、精鋭ぞろいだと聞いているわ。そんな彼等に強制的に命令をきかせるというのは、難しい話よ。ツァイザーは、一応彼とは接触しているみたいだけどね」
「なるほどねえ。……やっぱ、そのザナファルにも会って話する必要がありそうだな」
「ふうん」
ロゥザリエは、何やら意外そうな様子だ。
「なんだ、その反応」
「いいえ。意外と貴方、真面目な部分もあるのね、と思っただけ」
「え? なんだよ?」
ハールシャーは、意味が分からず、彼にしては珍しくきょとんとしてしまった。
「サラビリア女王との変な噂があるから、もしそれでバイロスカートに向かうなら、メアリズがかわいそうかなと思っていたんだけれどね」
ロゥザリエは、長い耳をやや下げつつやれやれと言いたげな顔をする。
「本人も気にしていなさそうだし、貴方も仕事の話しかしないし、心配して損したわ」
「そりゃそうだ」
ハールシャーはため息交じりに言った。
「勝手な噂ばっかりたてやがって! それに、お前さん達は勘違いしているようだが、例え俺がさんざん浮名流してる遊び人だったところで、別にあの人は嫉妬なんざあしやしねえさ。むしろ、大した反応されてないことの方が悲しいぐらいだ。逆の立場なら、俺は発狂寸前なのになあ」
「あら、どうして?」
「ふふ、妖精のアンタに話してもわかんねえかもしれねえけど……」
と、ハールシャーは前置きして苦笑した。
「その件に関しちゃあ、俺が一方的に惚れこんでるだけだってことだよ」
***
辺境の地形は複雑だ。下に大木が寝転がっていたり、つたが生い茂っていたりする。
逃げるレックハルドにとっては、非常に厄介な地形でしかない。どうにか器用に避けながらレックハルドは走っていたが、後ろから追いかけてくるものはもっと器用で慣れている。
「は、はやい!」
半ば後ろをうかがいながら走り続けたレックハルドは、狼人のあまりの速さに驚いた。狼よりも、更に速い位であっという間に追いつかれてしまいそうだ。
「人間のカッコで四つ足モノよりはやいってどうなんだよ!!」
咄嗟に吐き捨て、レックハルドは前を向いた。そして、慌てて足を止めた。
「うわっと!!」
大木に阻まれてしまった彼は、慌てて違う道に入り込もうとするが、狼人がそこにすでに回っていた。
奇しくもまたしても狼に追いかけられた時と同じ状況になったわけである。
今日は何てついてない日なのだろう。全てファルケンのせいだ。
「ち、畜生……」
じりじりと狼人は間合いを詰めてくる。珍しいものを見るように、好奇心に輝いた目をしているが、まるで、鳥を狙っている時の猫のようだ。
「よ、寄るなよ! ホント、火ィ焚くぞ!! 本当だからな!」
脅し文句になるのかどうだかもしれず、レックハルドは思わず叫んだ。だが、やはり一団はじりじり迫ってくる。
「そこまで!」
森の中を凛と声が響き渡った。声は上からだ。レックハルドはハッと上を見たが、木の葉が生い茂っていて何者がいるのか見えない。
「お前ら、また逃げられたらどうするんだ! もっと、声のかけ方を変えろ」
軽く注意するような声にレックハルドを取り巻いていた十人ほどの狼人たちは、上を見上げてからややしょぼんとする。それから、言い訳をする子供のような口調で言いだした。
「首領。だって、オレたち、歓迎しようとおもったんだ!」
首領といわれた男は、木の上から少し叱るような口調でいった。
「だってじゃないだろ。これまで、何人に逃げられたと思ってるんだよ? 折角自分から辺境に入ってきてくれたんだぞ! そんな変わり者な人間あんまりいないんだから、大切にしなきゃな!」
(か、変わり者だと?)
ひく、と頬を引きつらせたレックハルドだったが、声がする木の上から、何者かが飛び降りてきたので、驚いて身を引いた。ざんと着地し、降りてきたものはレックハルドに向き直る。思わず身構えた彼に、男はにこりとした。
「悪いな。客人」
髭を蓄えた狼人だった。
頬の赤い紋様については、ファルケン曰く個性が出るらしい。確かに周囲の狼人の中には、芸術的に細やかなのもいれば大ざっぱなものもいた。その狼人は、ファルケンと同じようにどちらかというと大きな形を描いている。
狼人は中性的な外見のものが多いのだが、彼はやや男性的で、しかし、ファルケンよりは線が細い。髪の色は、やや茶色っぽい金髪だがやはり緑の色彩が混じっている。狼人全般に言えることだが、彼も美青年ではあったのだが言葉遣いと雰囲気が不似合いなほど豪快すぎた。
首の傍に辺境狼の毛皮がかかっている。動くたびに、甲高い澄んだリィンという鈴の音が聞こえるが、毛皮の尻尾の部分にくくりつけられているようだ。他の狼人と違い、腰に剣が帯びられているのが目を引いた。
「他の連中は、ちょっと世間知らずでな。人間の歓迎方法をよくしらねえんだ」
彼は、にこと、見かけにあわない純粋な微笑を浮かべた。
「え、い、いきなり言われても、だ、誰だい、あんた?」
「俺は、こいつらの首領である狼人、レナル=ロン=タナリー。あんたには、銅鈴のレナルといったほうが通りがいいな」
「レナル?」
ぴんとレックハルドは、顔をあげる。
「そうか、あんたがレナルか」
「ん? オレを知っているのか? あぁ、お前さん、ファルケンと知り合いかぁ。じゃあ、知ってるか」
レナルは、一人納得して、なるほどなるほどと呟いている。
「へえ、すぐわかるな。これか?」
レックハルドは、右手の守護輪を引き出して見せた。レナルはこっくりと頷いた。
「そうだ。ファルケンの作る守護輪は特別だかんなぁ」
レナルは、ちらと後ろでぼけーっとしている狼人に目をやった。
「こら、お前ら! ぼさっとしてないでちゃんと、働け!」
「はい、首領!」
狼人はどやしつけられてようやく我に返ったように、四散した。
「全く! 全然役に立たないんだから!」
レナルはそう呟いた後、レックハルドの方に振り返る。
「すぐに用意させるからな~。もうちょっと待ってくれよ」
「い、いや、オレは道を聞きたいだけで……」
「早く準備しろよな! こんな時のためにあらかじめ打ち合わせしておいただろ!」
この変な狼人たちを相手に話をしたくないレックハルドは、とっとと帰りたがるが、レナルは笑いながら向こうの狼人たちに指示を飛ばしている。
(用意って何の用意だ)
レックハルドは不安に駆られた。もし、自分を食べるとか何とかいう話だったらどうしよう。
「さ、さっきから用意用意って、な、何の用意だよ?」
レックハルドが、ぞっとしたような顔をしたので、レナルは心配ないとばかりに微笑む。
「もちろん、宴だ」
(誰の何の宴だ!)
レックハルドは急速に不安になった。
さっきから聞いていると、ほかの狼人同士の会話がどうも巻き舌がひどくて聞き取れない。辺境古代語かと思ったが、かすかにわかる単語もあるから、間違いなくカルヴァネス語だ。しかしわからない。よって、このレナル以外、話が通じそうにないのだ。サライが、ファルケンは随分と人間なれしているからといったが、それは本当のようだ。
「ちょ、ちょっと待った。あのさ、今、オレ、ファルケンと一緒に旅をしているんだ。アイツ抜きで宴っていうのはどうかと」
「そうか!」
いきなり、レナルががっとレックハルドの肩を掴んだ。びくうっと怯えるレックハルドに気づかず、レナルはばんばんとレックハルドの肩を叩く。力が強いのに容赦ないので、無茶苦茶痛かったが、この際もうどうでもよかった。
「そうかあ! ファルケンもやっと人間と一緒に付き合えるようになったんだな! じゃ、お前さんは特別だ。より豪華な飯をつくらなきゃ!」
「ご、豪華な飯……」
そんなものよりも早く帰りたいのだが。
余計な事を言ったかもしれないと、頭を抱えてしまった。
そういえば、ファルケンしか狼人を見たことがないから気にしていなかったのだが、狼人が人間を食さないという保証はないのだ。しかも、目の前の男たちは野生そのもの。たとえ、彼らがレックハルドを食べ物とみていなかったとしても、何を食わされるかわかったものではない。
(こ、こんなところで終わってたまるか! オレの人生!)
レックハルドは恨めしげな目で、緑に覆われてほとんど見えない空を睨んだ。
(畜生! ファルケンの奴~~! おぼえてろよ!)
*
速い速度で、ソルとファルケンは暗い森の中を歩いていた。さすがに人間のレックハルドとは違い、彼らは見えなくても地面の様子が手に取るように分かるらしく、何の躊躇もなく足を滑らかに運んでいた。
その途中、不意にソルが頭をもたげて、ファルケンに話しかけてきた。まだレナルのいる場所からは程遠い。
「しかし、珍しいですね」
言われてファルケンは怪訝そうにソルを見た。
「何がだ?」
「いえ、兄貴がこの辺りまで来る事ですよ」
「あぁ。そうだな」
ファルケンは、少し寂しげに微笑んだ。
「オレは本当は、境界線から中入っちゃいけないんだからな」
「司祭ですか?」
「まあね。でも、ちょっとぐらいなら文句は言われないよ。一週間以上中に入ってたら、排除されるだろうけど」
ファルケンはそういいながら、深い森の更に奥の方を見るように目を狭めた。
「……先程の旦那は、全て知っているんですか?」
「あ、レックのことか?」
ファルケンはソルに目を戻し、少しだけ笑った。
「あぁ、レックは多分。色々分かってるんだと思う。オレには何も言わないけどね」
目の前の木の枝をパンと払いつつ、ファルケンはうなずいた。
「そういうとこ、意外と気を遣うんだ。でも、頭のいい奴だから、いろいろわかってると思う」
「なるほど。それで、レナルの旦那のところへも?」
「そう。だから、連れていっても大丈夫だと思ったんだけど」
ファルケンは、それから少し苦笑いした。
「レナルの群のやつのこと、すっかり忘れてた。レック一人じゃ大変だろうなあ~」
「レナルの旦那の群は、若い連中ばっかりですからね」
「そうなんだよな、レナルだけなら落ち着いてるけどほかのやつらがいるとー……。ソル、お前、レックを案内する時、ちゃんと周りの狼人たちが、無茶するかもって言ったか?」
「ええと、どうでしたかね」
ソルはすっとぼけた。実際は、ソルは彼自身の悪戯心からあえてその辺のことを告げていないのだ。
「ま、仕方が無いか」
ファルケンは、そういってぽんと手を打った。
「じゃあ、とりあえずレナルのところへ急ごう!」
「了解」
そういうと、ファルケンとソルはスピードをやや上げて、深い森を進んでいった。
暗い森のなかを、ファルケンの魔幻灯だけが、ぼんやりとした赤い光を放っていた。
*
準備が出来るまで一緒にまっていようと、レナルに言われ、レックハルドは一緒に木の上で待っていた。
レックハルドはまだ何かとびくついているので、向こうで大きな音がするとびくりとしているのだが、そのたび、レナルは顔に合わない豪快な笑い声を上げて、それを笑い飛ばした。
本当に、狼人というやつは、顔と性格が一致しないものが大多数である。外の世界なら、役者でもやりそうな美青年なのだが、ファルケンのほうがよほど繊細だ。
「あはは、なーに恐がってるんだ? オレたちがまさか、人間を食うとでも思ったか?」
「い、いやっ。そ、そういうわけでは!」
図星を指されて、さすがのレックハルドも少し狼狽する。
「ま、いいや。そうそう、準備の間にこれでもどうだ?」
そういって、レナルは木のお椀に入ったトロトロした飲み物をすすめてきた。
「何だコレ?」
不審そうにするレックハルドだが、レナルは自分の分をがぶ飲みしながら言った。
「それは、クルセラン蜂の蜂蜜を水で溶いたものだ。遠慮せずに飲んでいいんだぞ」
(いや、遠慮してるわけじゃなくてだな)
本気で躊躇しているのだ。しかし、その辺りをレナルに伝えるのはどうも難しそうである。レックハルドは、とうとう観念してそれを口にふくむことにした。
一口飲むと、舌の上に程よい甘い味が口の中に広がる。なんだかさわやかだ。
「う、美味い」
レックハルドは、驚いた顔をしてお椀の中の少し濁った液体を見た。
「甘いのに何かあっさりしてるし、後味もなかなかだ」
コレは外で売れるぞ! とか考えてしまう商人のサガを押し込めつつ、レックハルドは素直に評価する。
「だろう? クルセラン蜂は、辺境の森にしかいないからなあ。外じゃ飲めないし」
レナルは、得意そうに言った。
「たくさんあるから好きなだけ飲め。おまけに体にもいいんだぞ、これ」
「ふーん。なるほど。味も良くて健康にもいいか。商品価値高いな、これは……」
レックハルドはすでに商人としての観点からの言葉を吐いてしまいながら、その飲み物を更に三口程飲んだ。
「首領!」
木の下から、狼人の青年が叫んだ。おうとレナルが応えると、青年が何か言った。やはりカルヴァネス語に違いないが、それはレックハルドにはほとんど聞き取れない。やがて、狼人の青年は、たったとどこかに行ってしまった。
「なんていったんだ?」
「あぁ、『もうすぐ、準備できる』って」
「何言ってたかオレには全然わかんなかったぜ?」
レックハルドがいうと、レナルは、にっこりとした。
「ああ、そりゃあそうだろうな。他の連中は辺境古代語訛りがひどい。狼人の大半は外の人間と同じ言葉をしゃべってんだが、何しろ肝心の外の人間とはあまり喋らないもので、訛ることも珍しくない。聞き取る分には大丈夫なんだがな」
「辺境古代語ねえ。ん? その割に、あんたは随分と、他の連中よりも……」
レックハルドが首を少し傾げる。片言のような言葉を話す狼人の中、レナルははっきりと他と違っている。ファルケンよりもまだ聞き取りやすいぐらいの、きれいなカルヴァネス語だった。
「ああ、それは、オレが、昔、ファルケンぐらいの年んときに、人間界を旅した事があるからさ。その時、訛りがかなり抜けたんだ」
「追い出されたのか?」
「いいや、好奇心っていったっけ。あれで」
「好奇心?」
レックハルドは奇妙な顔をした。人間界に狼人が出るということは、相当な苦難を伴うのである。それなのに、彼は好奇心で外に出て行ったなどというのである。ファルケンでも、追放されなければ外に出てこなかっただろう。
「嫌な事も多かったんじゃねえのか?」
レックハルドはそう訊いて、飲み物を口に入れる。レナルは、木の上まできてようやく覗いた青空を仰ぎながら応えた。
「そりゃあ、自分から外に出て行ったんだ。辛い事もうれしい事もあるだろ。だけど、最終的には楽しい事のほうが多かった。オレは外の世界が好きだぞ」
レナルはにこりとした。
「ファルケンにもそういったんだけどな。最初は嫌がってたみたいだが、最近はようやく外の世界のよさっつーのがわかってきたかな」
レックハルドは。ある事を思い出してレナルに訊いた。
「ちょ、ちょっと待て! あんたがファルケンに人間界のこと色々教えたのか」
レナルは、きょとんとして、ああ。と応えた。
「ちょっとだけだけどな。基本的なこと。ああ、そういや、人間は風呂に入って食事することもあるとか、そういうのを教えたら、後でそれは全然違ってたって言われたなあ。あはは~、オレはそう教えられたのになあ」
(あいつの持てる人間界についての間違った知識の元凶がここに!)
レックハルドは、半ばあきれた目をレナルに向けながら思った。だが、それ以上突っ込む気になれないので、黙ってため息をつく。
「人間は、とても優しいって教えたんだよな。あいつ、最初は全然なじめなかったらしくて、何度か相談に来てたんでね」
「ふーん、そうなのか」
「昔、アイツはよく泣く奴で、何かとぴいぴい泣きながらオレんとこきてたよ」
「泣く?」
レックハルドは怪訝そうな顔をした。
「そういや、オレ、アイツが泣いたの見たことないな」
彼と旅している期間はそう長くはないのだが、色々あったにはあった。だが、レックハルドが涙しそうになっても、ファルケンは涙一つ見せなかったのである。感情の起伏は激しくはないが、表情豊かな方のファルケンが泣かないというのは、不思議な気がした。
「何十年前だったか忘れたが、ある時からいきなり泣かなくなったな。そういえば」
レナルはいった。
「いきなり?」
「さぁ、男は泣かないもんなんだ、とか言い出して」
「はぁ?」
レックハルドは間抜けな声を上げた。
(またどこかで変な事吹き込まれやがったかな)
「まぁ、それから妙に大人びてきちまって、ここにいるやつらより、よっぽど頭いいし落ち着いてるぞ」
レナルが、下を指し示した。そこでは狼人がせっせと働いている。レナルは緑を基調とした布を使った、袖のある服をきっちりと着ているが、ほかの狼人はいろいろである。毛皮を適当に体に巻いているものや、袖のない布の服をきているものも多い。
しかし、彼らは必ず目立つところに何か一つ装飾品を持っていた。乾燥させた花や木の実で作った首飾り、木で出来た額冠をつけている。それは非常に目につきやすい。
レックハルドが注目しているのが分かったのか、レナルはこう話しかけてきた。
「オレの群 は服をちゃんと着せてるが、狼人は、普通毛皮一枚ぐらいしか身につけないもんなんだぜ。だけど、それじゃあ人間がみたら逃げるだろ?」
「チューレーン?」
「そうだなあ。群れのことだ。あいつらが花とかつけてるのがわかるだろう。それが印」
「あんたの印は?」
レックハルドが尋ねると、レナルは笑って、首に巻いている毛皮に引っ掛けた鈴を指でつついた。りいんと音が鳴る。
「これだ」
「それで銅鈴のレナルか。それじゃあファルケンは?」
レックハルドは何気なく尋ねる。
「あいつは魔幻灯を持っているから、『魔幻灯のファルケン』。 辺境古代語じゃ、ファルケン=ロン=ファンダーンっていうんだ。狼人は、印をつけて名乗るのが礼儀だ」
不意に、レックハルドは真剣な顔をして、ぽつりと呟いた。
「なぁ」
「何だ?」
レナルが訊くと、レックハルドはややためらいがちに言った。
「アイツが追放されたってのは聞いてるけど、その、中に入れてやるわけには行かないのか?」
レナルは表情を曇らせて、少しうつむいた。
「オレは入れてもいいと思ってるんだが、狼人を統率している司祭がな。力で対抗しても、あいつらには勝てない。いさかいを起こしてまで森にいるのは、あいつ自身も好まないだろう」
「そうか」
レックハルドは、ため息を軽くつく。
「それにな」
レナルは付け足した。
「最近は、あまり戻りたいって言わなくなったな。やっぱり、外の世界が気に入ったんだろ。それに、仮に戻るにしたって、アイツも結構強情だし、自分から言い出さない限り戻ってはこねえよ」
「強情? まぁ、言われて見るとそんな気もするが、そんな強情っぱりだっけ?」
レックハルドはファルケンがそう意地を張っているのを見た覚えがなく、少し考え込んだ。レナルは首を振って言う。
「いや、あれは結構強情だぞ。一度決めるとてこでも動かないしな」
「そうなのか? まあ、オレも意地っ張りだからなあ」
レックハルドはそういって頭に軽く手をやった。
「ん?」
レナルがぴんと顔を上げ、やがてゆっくり立ち上がった。
「どうやら、到着したらしいな」
レックハルドが続けて顔を上げた。
「何が?」
「ファルケンだよ。ほら、あそこに魔幻灯が見える」
レナルは、森の中を指し示した。木々の深い枝の中、赤い光がちらついて見えた。
「あのやろー……! ようやく来たのか!」
レックハルドは、今更ながらに彼に対する恨みつらみがよみがえってきて、どう責任を取らせようかと考えながら呟く。
「まったく随分と待たせやがって!!」
「結構時間食ってたな。まあ、そろそろ準備も終わる頃だし、ちょうどいいか!」
レナルはレックハルドの思惑などに気づきもしないで、嬉々としていった。
「さて、客人! オレたちも下に降りようぜ。そろそろ、宴の始まりだ!」




