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辺境遊戯・改訂版  作者: 渡来亜輝彦
第七章:隠者~辺境の管理者
29/98

5.サライ=マキシーンの感傷

 *


「私は敵ではない。しかし、味方ではない。目的の為なら、なんでもするがね」

 そう告げたときの彼は、どこか挑発的だった。私は、その男のそういう顔をずいぶん昔から知っている。それと寸分たがわぬ表情で、彼は私の宣戦布告を受け容れた。

「ふふふ、そりゃあ助かりますよ。名言してくれるだけ、こちらも注意をしやすい」

 彼は、目を伏せてニヤリとした。

「しかし、どちらにしても、私と貴方の目的は同じということですな。貴方がたとえ、私を陥れようとも、結局のところ、辺境ヤツラの為にはなるというもの」

「私は、カルナマク王の利益を図る。彼が辺境のもの達と共存しようとしているのなら、そういうことだろうね」

「ごもっともです」

 彼はうなずいた。

「しかし、それなら、なおさら注意をしていただかなければね」

 彼は目を細めて言った。

「貴方の留守中に、メルシャアド市のカルナマク王が暴発する危険を私は懸念しているのですよ。そうなれば、貴方の努力も私の努力も無駄になる」

「そうなれば、お前さんを犠牲にしてでも彼を助けねばならない」

 ふっと、彼は笑い、ややぞんざいな言葉遣いで告げた。

「そう、はは、せいぜい俺がそんな汚れ役を踏まないように、そちらさんもお願いしますぜ、先生」


 *


 そこは小さな街の小さな市場ではあったが、人間の世界に初めて出てきたロゥレンにとっては十分すぎるほど刺激的だった。

 目の前にキラキラしたものがたくさんぶら下がっていて、綺麗な色とりどりの布がかかっている。原色の果実や食べ物、人間の街とは、これほどたくさんの色に満ちているものだろうか。

「ロゥレンちゃん、かわいー!」

 マリスに連れられて、装飾品を売る店の前に彼女はいた。マリスが、色々とじゃらじゃら音を鳴らしながら、布を巻いた頭の上から装飾品を飾り付けてくる。幾らなんでもつけすぎだと思いつつも、ロゥレンだって心の底からイヤなわけではないのだ。キラキラした宝石は、辺境では「石」と呼ばれているものだが、彼らは人間ほどそれを好みはしない。しかし、金属がたくさんついたものは、やはり火を嫌う辺境の一員としてロゥレンも苦手だ。それをマリスに告げたところ、

「金属が苦手なのね。そういえば、かぶれるって人、良く聞くわ」

 と、妙に同情深げな顔をして、金属ではないものを勧められた。

(そういう意味じゃないし)

 と、ロゥレンはややむっとして唇を尖らせる。どうも、この娘はどこかずれてて、意思疎通が上手くできない。しかも、にこにこされて流されてしまうし、言う気も失せる。

「じゃあ、これとこれと、これとをいただきますね」

 ロゥレンがそんなこんな考えているうちに、マリスは店の主人にそう告げて、早々と買い物を済ませていく。どうやら、かなり時間がたっているのだが、すでにロゥレンには時間の感覚がわからなくなってきている。

 それほど、人間の街というのは、色々なものがありすぎるのだ。辺境も、違うものがたくさん溢れているけれど、あれとそれでは感覚が全くちがう。

「あ、そうだ。ロゥレンちゃん」

 いつの間にか、マリスに手を引かれて店の前から移動していたロゥレンは、マリスに呼ばれて我に返った。頭に木製の装飾品をじゃらじゃらつけたままらしく、慌てて頭に手をあてると、翡翠らしい緑の宝石がびよんと垂れ下がってきた。

「い、幾らなんでも、これ、つけすぎじゃない? 変でしょ?」

 ロゥレンはそういったが、マリスはそうかしら? という顔をしている。

「じゃあ、ロゥレンちゃんがその中から好きなのだけをつければいいじゃないの?」

 にこりと微笑むマリスに言われると、どうも皮肉が言いにくい。ロゥレンは図らずも苦しい事態に追い込まれていた。なんだろう、この娘にちょっと意地悪な物言いをしてやろうかと思ったのに、どうしても言えない。

「そうそう、ロゥレンちゃん、あたし、ちょっとそこでお菓子を買ってくるわ。おなか空いたでしょ? ちょっとここで待っててくれる?」

「子供みたいに言わないでよ。待ってればいいんでしょ」

 ロゥレンがふんと顔を背けて言うが、マリスは満足げににっこりした。

「それじゃ、買ってくるからちょっと待っててね~」

 ぱあっと微笑み、マリスはるんるんと歩いていく。どうも、あの娘、何だかぼんやりしているし、何を考えているのか全然分からない。

「わけわかんない」

 そう言いつつも、彼女も装飾品には興味があった。マリスが見ているときに、興味のあるそぶりをするのは、どうも負けた気がして嫌だったが今ならだれも見ていない。そうっと頭からはずして、手のひらに乗せてみた。三日月や星をかたどったものなどが、数珠つながりにされている。

 綺麗だなあと、ロゥレンは彼女には珍しく思わずうっとりして、次のを頭からはずしてみる。

 だが、ロゥレンが引っ張った時に、いきなり被っていたショールが外れて下に落ちたのだった。彼女の金色の髪の中から、長い耳が飛び出た。

「あ!!」

 近くを通っていた男が声を上げた。瞬間、それに気づいてロゥレンは慌ててショールを被りなおす。慌てたせいで装飾品が、地面にばらばらと落ちていく。

「おい、今の……」

 ぼそりと男が、横の男に声をかけた。あまり感じのよくない男たちである。ロゥレンは、慌てて逃げようとしたが、突然肩を掴まれた。

「お嬢さん、ちょっと待てよ!」

「いやっ! 放してよ!」

 ロゥレンは慌てて、もがいた。余計にショールがはずれて、耳が見えてしまう。

「ほら、やっぱりそうだ!」

 男の一人が仲間に言った。五人ほどの男たちが集まってきた。皆、人相などがよくない。どうやら、厄介な人間につかまってしまったようだ。そのまま、手を掴まれてそのまま引っ張られる。逃げようとしたが、手を放してくれなかった。

「見ろよ! こいつ! 人間じゃないぞ!」

 男たちが笑いながら言う。容赦なくつかまれた手が痛くて、ロゥレンは喚いた。

「痛い! 放してってば!」

 やっぱり人間の町なんかに来てはいけなかったのだ。ロゥレンは思った。

 やはり、人間の街なんてそんなに楽しいところではない。ファルケンの言った事は全部嘘だ。ファルケンは、あんなにも騙されやすいのだから、人間界を楽しいところだと騙されていてもおかしくない。

 このままじゃ、どうにかされてしまう。自分の能力を使って逃げなきゃ、と思うが、混乱していてうまく力が使えない。

 と、油断していたところ、いきなり腰を蹴られて、男の一人がその場に転げた。

 拍子に、ロゥレンを掴んでいた手が外れて、彼女は慌てて男たちの間から抜け出した。

 一体誰だと後ろを振り向くと、くるくると巻いた紅い髪の女が、腕を組んで立っていた。

「貴方たち、私の友達に何をするの?」

 彼女は、そういって彼らを睨んだ。まさかと思ったが、どうやら攻撃してきたのは彼女のようだ。

「女の子をいじめるなんて、最低だわ!」

 いつもぼんやりしているマリスだが、こういう時はキリリとして凛々しい。しかし、マリスはマリスだ。女性としてはそれなりに上背はあるものの、どことなくあどけない可愛らしい顔に大きな目。相手はいかにもお嬢様で、か弱そうな若い小娘である。世間ずれしていない純粋そうなかわいい顔で、いくら凛々しい表情をしても、そう迫力があるわけではないのである。

「なんだよ、ずいぶん威勢が随分いいじゃないか」

「怪我でもしたら、そのかわいい顔が勿体ねえぜ? お嬢ちゃん」

 男たちがにやりとした。

「暴力をふるうというのなら、私が相手します。かかっていらっしゃい」

 マリスは、彼らを睨みつけながらそう言い放った。

「ちょ、ちょっと、何言ってるの? あんた」

 ロゥレンが、マリスを止めに入る。こんなところで挑発するなんて、どうかしている。ところが、マリスは、てんで話をきいていないようだ。

「おい、ちょっと相手をしてやろうぜ?」

 一人が笑いながら言った。

「そうだな」 

 にやつきながら彼らは、マリスに近づいていき、間合いを詰めたところで一斉に襲い掛かった。

「ちょっと! あんた…ッ!」

 ロゥレンが、叫んだが、マリスはまだ動かなかった。

 


 おかしいなあ、とつぶやきながら、ファルケンは街のあちらこちらに回っていた。狼人である彼は、人間より多少勘が鋭い。このあたりにいるだろうという予感をもって、彼を探していたのだが、意外と彼の姿が見当たらなかった。

 ともあれ、それなりにあちらこちら歩き回った挙句、ようやく草原でふてくされたように寝転ぶダルシュを見つけたのだった。 

「あ、ダルシュ、こんなところにいたんだ」

 ファルケンはたったと走りよっていくが、ダルシュは軽く彼に目をやっただけだ。

 なんだよ、と言わんばかりの彼にファルケンは、声をかけた。

「あのさあ、オレ、シェイザスと話してたんだけど」

 と言いかけて、不意に話しづらくなってファルケンは、言葉を選ぶ。

「シェイザスは、あの、その、ダルシュのこと、怒ってないんだって。助けてくれたことは感謝してるんだっていってたよ。……だけど、その……」

 せっかく仲裁してやろうと思ったのに、どうもうまくいかない。ダルシュはむっつりとしたままなので、ファルケンは困ってしまった。しばらく黙っていると、ふとダルシュが返答をかえしてきた。

「別に。わかってるよ、あいつの性格ぐらい。どうせ、そんなんだと思ったけど」

 意外と怒っていないような口ぶりだ。

 なるほど、どういう理由かわからないが、二人はお互いの性格はよくわかっている様子だ。ファルケンは、ダルシュの横に腰を下ろしながら訊いた。

「シェイザスとは、随分古い知り合いなんだな?」

「あぁ、オレとシェイザスは同族でさ。身寄りがなくって一緒にこのカルヴァネスにやってきたんだ。そのときからずっとだな」

「そうか」

 ファルケンは、軽く腕を組む。

「アイツは占い師の婆さんの養女だったっけ。……それで、ああいう事に詳しいんだな。オレの方はさ、農民の家にいったんだけど、こんな性格だろ。あちこちでケンカして、問題起こしてさ。結局、王国の騎士団に入るまで、ずーっと落ち着かなくて……。あぁ、どうしてだろうなあって思ったけど、オレは暴れてないとなんか、こう、生きてるって感じがしねえんだ。血の気が多いんだろうな、きっと。凄く迷惑だとは思ってんだけど、止められないっていうか……」

「でも、ダルシュは悪い奴じゃないと思うよ?」

 ファルケンは言った。

「悪い事してる奴が許せなかったんだろ? だから行動しただけなんだよな?」

「そうとも言うけどさ、でも、どっちにしろ、暴力ってのは社会的には悪いことなんだよ。どんな理由があったってそうなんだってさ」

 ダルシュはため息混じりに言った。平和な時代では、彼のような人間の出る幕はないのである。幸か不幸かは別として、ダルシュは戦乱の時代なら、きっと英雄にでもなっていたはずの男であった。平和な時代に生まれたのは不運ともいえるかもしれない。

 その辺のことはファルケンにはわからない。ただ、ファルケンは、彼は「混ざったもの」であると思っていた。その何者かわからない血が、彼を暴走させている原因なのかもしれない。

「お前は変な奴だよなあ」

 ファルケンがそんなことに想いを馳せていると、唐突にダルシュが苦笑しながら呟いた。

「何が?」

 ファルケンは彼の顔をまじまじと覗き込む。

「なんか、お前と話してると、妙に身の上話を話したくなっちまう感じがするぜ。どうせ、あの守銭奴も何かお前に話しただろ?」

 ファルケンは言われて、レックハルドと最初に会った時の事を思い出した。レックハルドは生い立ちは話さなかったが、マリスとの出会いと借金をした経緯について妙に丁寧に話したものだ。

「うーん、そういえばそうかなあ」

「だと、思うぜ。だから、アイツはお前とつるんでるんだろ」

 ダルシュは、どうでもよさそうに、しかし、少し感心したような口調で言った。

「ホント、お前って変な奴だよ」

 そうダルシュが言った時、不意にファルケンはぴくっと顔を上げた。

「どうした?」

 ファルケンは、市街地の方にそれとなく視線を送りながら小首をかしげた。

「向こうの方が騒がしいなあ」

「わかるのか?」

「うん、ちょっとだけ」

 ダルシュが、奇妙な顔をした。狼人である彼は、人間より聴覚もやや鋭いのだ。

「何となくだけどね、大騒ぎが起きているような気がするんだ。オレちょっと様子を見てくるよ」

 ファルケンは立ち上がると、おい、と声をかけてくるダルシュをおいて、市街地のほうに駆け出した。

 

 

 ファルケンがたどり着いたころには、そこには、人だかりができていた。

 どうやら喧嘩のようだということは、周囲の反応でわかったのだがどうやら片方が女の子らしく、観衆がやんやとヤジを飛ばしている。ちらりと見えるのは、紅い髪の毛でどうも見覚えがある。

「あ、ちょっと、すいません。どいて、どいて」

 ファルケンが、要領を得ないながら、大柄の体をようやく人ごみの前のほうに移動させた時、ふと目の前に男が飛ばされてきた。

 ちょうどマリスのひじうちが華麗に決まったところだったのだ。周りの連中は、それをみておおーっとのんきに歓声を上げたが、ファルケンはあれっと声を上げて驚いていた。

「マリスさん?」

 マリスの方は、ファルケンには気付いていないようで、残った男たちを睨みつけていた。

「この女、無茶苦茶強いぞ!」

 四人目が伸びてしまい、残る男はたった一人。マリスは無傷なうえ、なにやら余裕すら感じさせるたたずまいだ。

「くそう!」

 小柄な男が腰の短剣を抜いた。周りの野次馬達が、どよめきをあげる。

「なめるなよ! このアマ!!」

 マリスは、きっと相手を睨んだ。大きな目でどれだけ睨んでも、別に恐くはないのだが、実際目の前で三人の仲間を倒されているだけに、彼女の静かな視線はともすれば恐怖を感じさせるほどだ。

「死ね!!」

 しかしマリスは冷静だった。叫ぶ男の振るう短剣をあっさりと避け、マリスはその背中に回し蹴りを叩き込んだ。ぎゃあ、と悲鳴を上げて、男が倒れた。どうやら起き上がってくる気配はない。

 マリスがふうとため息をついて構えを崩したところで、不意にファルケンが声をあげた。

「あれっ、ロゥレンじゃないか? こんなところで、お前何してんだ?」

「な、何って、今それどころじゃないでしょ?」

 マリスが視線をやると、マリスの背後の方でショールを頭からかぶったままどうなることやらと見守っていたロゥレンが、ファルケンに発見されたところらしかった。

「あら、ファルケンさん?」

 急にマリスはいつものどこか抜けた娘に戻っていた。

「こんなところにいらしたのね?」

「あ、マリスさん、お疲れさま。大丈夫だったかな?」

 どうみても大丈夫そうだけど、とファルケンは思いつつそう声をかけた。

 周囲の観衆は、事が終わったのを見て、徐々に引き始めていた。

 ファルケンは人がいなくなったので、ようやく自由に行き来できるようになり、ホッとした顔でマリスの方まで歩いていった。そして、ショールを適当に頭から被ったまま、口をあけて呆然としているロゥレンと、それからマリスの足元にごろごろ転がっている気絶した男たちとの両方を見た。

「すごいなあ。こいつら全員マリスさんがやっつけたのか?」

「ええ。暴力はいけないことだと思ったんですけど、この方達がロゥレンちゃんをいじめるので、ちょっとぎったんぎったんにしてしまったの」

「そっか~。ぎったんぎったんか~。まあ、それは仕方がないな

 物騒な言葉にも、ファルケンはニコニコしている。マリスも相変わらず表情が変わっていない。

「ちょっと! あんたたち、意味わかっていってるの? 不穏すぎるわよ!」

 ロゥレンが慌てて、マリスの袖を引っ張ったが、さらりと二人に流された。

「そっか、マリスさん、ロゥレンに会ってたんだ」

 ファルケンなどは、ロゥレンをやや無視しながら自分の話を続ける。

「ええ、ファルケンさん達に会えるかなとおもってこの街に向かったら、途中でロゥレンちゃんと会ったの。お話をきいてたので、きっと彼女がロゥレンちゃんだろうなって。会えてよかったわ」

「そうなんだ。ロゥレンも良かったなあ。マリスさんと遊んでもらえて~」

 ファルケンがにこやかに言うと、ロゥレンは、顔を背けた。

「何よ、違うの! あたしが遊んであげたのよ!」

(もう、道には迷うし、変な奴に絡まれるしで、最悪だわ! この娘も意味わかんないし!)

 ロゥレンは思ったが、当人はニコニコしながらファルケンと話をしている。

「ロゥレンちゃんって、とってもしっかりしているのよ」

「そうなんだ。よかったな、ほめられて~」

「あんたたち! ちょっとは、現実を見なさいよ!」

 疲れてきてロゥレンはこの場から逃げてやろうとしたが、それとなくマリスがロゥレンの服の裾を掴んでいて、逃げるに逃げられなかった。マリスとしては、これ以上はぐれたり、いじめられたりしないようにとの親切のつもりらしいが、彼女にとっては迷惑以外の何者でもない。

 仕方なく、ロゥレンはファルケンに話を振った。

「だ、だいったい、なんで、こんな所にいるのよ! ファルケン!」

「オレがこの街にいるのはおかしくないだろ? 用があったんだから。それよりも、どうしてこんな所にいるんだよ? ロゥレン」

 切り替えされてロゥレンは詰まった。確かに、街の中にファルケンがいてもさして珍しい事ではないのだが、辺境の中から出てこないロゥレンが、街のど真ん中でキラキラ光る石を頭につけてうろついているのは普通ではないことなのだ。

「な、なんでもないわよ!」

「ふーん、時々オレの後追いかけてくることがあるもんな、お前。街に本当は興味あったんだろ?」

「違うってば!」

 図星。ロゥレンはちょっと慌てつつ、ふんと顔を背けた。

「この娘が無理やりあたしを連れて行ったの! さらわれたも同然なんだからっ!!」

「マリスさん、ロゥレン、迷惑かけなかったか?」

 ファルケンが少し兄貴面してそう訊いた。ロゥレンにとってはあまりうれしくないのだが、ファルケンはロゥレンよりも十は年上である。辺境に住まうものにとっての十年など、ほんのわずかな差だ。しかし、いつのまにやら、すっかりファルケンが兄貴面するようになって、どうも気に食わないロゥレンだ。

「いいえ。とっても楽しかったわよねえ、ロゥレンちゃん」

「あたしを無視して話すすめないでよっ!」

 ロゥレンは怒ってふくれるのだが、相手が相手だ。まだファルケンだけなら何とかなるのだが、マリスがいるとどうしようもなく手ごわい。

 それに、ファルケンはしばらく見ないうちに、妙に要領がよくなってきている。

(やっぱり、あの横にいる悪党が悪影響を与えているんだわ!)

 ロゥレンは、自分をひたすらからかってくる、あの目の細い青年の事を思い出した。

 向こうからおーい、と声をかけながら、ダルシュが走ってきた。途中でファルケンに置いて行かれて、道に迷っていたようだ。一瞬、マリスがいるのを見てぎょっとしたようだが、マリスの足元に強そうな男たちが、文字通りぎったんぎったんにされて伸びているのをみて、更に驚いた。

「ど、どうしたんだ? これ、お前がやったのか?」

 ダルシュは、ファルケンに訊いた。

「いいや、これはマリスさんだよー」

「ええっ!」

 ダルシュは、更に目を大きく見開いて叫んだ。

「ま、まりすさんですか?」

「ええ」

 にっこりとマリスは微笑んだ。どうやら、嘘は言っていないらしい。ダルシュは関心を通り越して、やや冷や汗をかいた。こんなタチの悪そうな男共を一人で撃退するなど、普通の女子ではありえない。

「……す、すごくお強いんですね」

 引きつった笑顔でそういうと、マリスはきょとんとして首をかしげる。

「そうかしら? ダルシュさんのほうがずっと強いと思いますよ」

 純粋な笑みを浮かべて答えてくるマリスに、ダルシュは、それ以上返す言葉がみつからなかった。


 *


 いつの間にか、窓の外は真っ赤に染まっていた。

「あぁ」

 何の気なしに窓の外を見たレックハルドは、やや焦った顔になっていた。

(いっけねえ、夕方になっちまった……!)

 ファルケンはふもとの町に待たせてある。

 近頃、妙に成長してきた彼はやたらと融通がきくようになったので、生真面目に心配したりはしないだろう。しかし、それにしたってファルケンを一人でほったらかしておくのは危なっかしかった。狼人からの情報を得ようとするものはたくさんいるし、それでなくても、何をしでかすかわからないところもあるし。

「どうやら、時間が一杯一杯のようだな?」

「すみません。長居しちまいまして」

 レックハルドは、苦笑して立ち上がった。

「オレはこの辺でおいとまする事にします」

「そうかね。……では、またおいで」

 サライも立ち上がり、レックハルドを見送る用意をしていたが、ふと、思い出したように付け足した。

「そうだ、時間のある時にでも、太母マーターと狼人と妖精のことを考えてみるといいのではないかな? 彼らがなぜ人に似ているのか、よく考えてみるといい」

 サライは意味ありげに微笑みながら言った。

「本来繁殖の必要性のない彼らが、彼らが男と女に分かれているのか、そして、太母マーターとは何者か。日蝕は何故起こるのか? そして、……ファルケンがなぜ火を平気で扱えるのか。辺境の者達と人間のかかわりの歴史は? そして伝承との食い違いについて……」

「学のないオレには、難しすぎますよ」

 畳かけるように持ち出されて、レックハルドは切って捨て、愛想笑いを浮かべた。

「目の前に問題が出てきた時に、考えます。それまでは、オレには荷が重過ぎるでしょう」

「なるほど。それでもいいだろう。……相変わらずのようだな、レックハルド」

 サライが急にそんな事をいったので、レックハルドは怪訝そうに彼を見た。

 なぜ、昔から知っていたような口をきいたのだろう。目でそれとなく尋ねてみたが、返答は当然サライから来ない。

 ただ、微笑みながら彼はこういった。

「また困った事があれば来るがいい」

 レックハルドは怪訝な顔をしたままだったが、サライから答えが引き出せないような気がして、それ以上は聞かない事にした。

「ありがとうございました」

 レックハルドは、そういうと礼をして部屋から出て行こうとしたが、不意に考え直して振り返った。

「そういえば、シャザーン=ロン=フォンリアという狼人を知っていますか?」

 訊かれてサライの口から笑みが消えた。

「耳に入ったか?」

「ええ。この前ちょっと……」

 サライは、囁くように言った。

「シャザーンについては、狼人に直接聞いたほうが早いだろう。そうだな、ファルケンが一番親しい狼人にきいてみるがいい。私よりも詳しく教えてくれるだろう」

「あなたは、教えてくださらないんですか?」

 レックハルドは、不満そうな顔をする。

「私の口から言っても、よくわからんだろうからな」

 サライはゆったりと笑った。

「……答えを得るには、お前の時はまだ熟していないのだ」

「……わかりました」

 シェイザスといい、全くこの人種は苦手だ。自分の都合しか考えやがらねえ。

 レックハルドは、ため息とともにそう答えると、さっさと諦め、にっと笑った。もとより切り替えは早いほうである。出せない答えを、執拗に追いかけても仕方がないと彼は判断したようだった。

「では、またお世話になりに来ますよ。その時は、オレに答えを下さい」

「そうできればいいのだがな。……ファルケンによろしく伝えておいてくれ」

 サライに見守られる中、レックハルドは礼をひとつして扉を開け、そこからするりと抜けるように外に出た。

 しばらく、サライは夕日の中去っていく彼の後姿を見ていたが、ふと背後に気配を感じて振り返った。

「リレシア」

 そこには、サライの妻のリレシアが立っていた。

「あなた。どうして、本当の事を言わなかったの?」

 彼女はそう静かに言った。

「あの方は、カルナマク様には似ていらっしゃらないわ。レックハルド様によく似てらっしゃる。そして、本来のレックハルド様は、本当はとてもお優しい方……」

「私の口から言っても詮無い事だろう」

 そっと、リレシアの肩に手をかけながら彼は続けた。

「あれは答えを自分で見つけ出す。そうでなければ納得しない。あの青年が、レックハルド=ハールシャーと同じなら」

 リレシアは、黙ってサライの顔を見ている。

「レックハルド=ハールシャーは、何も持たずに生まれ、常に上ばかり見ていた。私は彼をよく知っている。切り替えが早く、計算高く、冷徹で人を平気で傷つけ、弱者を足場にしてうえにのぼりつめたり、計略で他人を平気で陥れたりする男。しかし、情にもろい所もあって、計算を捨てて人助けに走り、後でちょっと苦笑しながら自分の失敗を嘲笑いもする。風采は上がらないが、妙に見捨てがたく、そして、人を自分に引っ張り込む。本来はとても優しく、そして、強い男だ」

 サライは、どこか遠くを見るような目をした。

「あの青年は、名の通り、レックハルド=ハールシャーによく似ている」

 サライは、立ち上がった。

「そして、ファルケンは……、ザナファルと……」

 サライは、窓の外をみた。

「狼人、妖精、マザー、人間、ザナファル、レックハルド=ハールシャー、カルナマク、そして歪められた伝説」

 サライは目をふせ、それからそっと窓の外をもう一度見た。  

「ゲルシックのレックハルド……。お前は真実を知った時、どんな顔をするだろうか」

 窓の外には、帰っていくレックハルドの背が見えていた。赤い夕日に向かい歩く彼の、どこか飄々とした感じの歩き方は、昔、砂漠に去っていった黒い服をきた背の高い男を思い出させてやまなかった。


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