1.レックハルドと隠者サライ
*
「これはこれは、サライ先生でいらっしゃいますな。御高名は聞き及んでおります」
その男の第一印象は、「いけ好かない優男」だった。
そして、ふと、以前にどこかで会ったような気もした。しかし、どこで会ったのか、いつ会ったのか、かつて会ったときも今のようにいけ好かなかったのか、そんな細かいことは思い出せない。
しかし、その男はギルファレス帝国の若き宰相レックハルド=ハールシャーである彼が、恐れるべき相手ではあったのだ。客分として諸国を回っているその男は、非常に頭の良い男であり、抜け目がないことを彼は良く理解していた。
ハールシャーの良き理解者であった先帝が亡くなり、彼の孫にあたるフェザリアが即位することになったが、彼はまだ少年だった。しかし、幼い少年ながら、フェザリアはすでにゼヴィリア公爵を初めとした取り巻きを抱え、ハールシャーへ対抗する意志を見せていた。先帝は彼の行く末を案じており、彼が道を外しそうならお前が帝位を簒奪してもいいと冗談交じりにいっていたが、どうやら杞憂ではなかったらしい。
その一つとして彼がこだわっていたのが辺境開拓であり、それは辺境の者たちとの共存を望むメソリア王国や神聖バイロスカートとの繋がりが強く、さらに言えば辺境の狼人、その筆頭司祭である酔葉のツァイザーと講和し、同盟を結んできたハールシャーと真っ向からぶつかる政策だった。
その為に、ギルファレス帝国の中ではお互いの根回し合戦が始まっており、ハールシャーも大変忙しい日を送っていた。
そこに、ゼヴィリア公爵が国にわざわざ招いたのがこの男だ。味方ではあるまい。
「はは、サライというからには、もっと可愛らしい少女でも来るのかと思っておりましたよ」
サライは女子に多い名前だ。ハールシャーは冗談半分、皮肉半分に彼に告げた。
(冗談じゃねえ。ロクでもねえ時に飛び込んできやがって……! なんかヘマでもしてくれりゃ、すぐに追放してやるんだが!)
「はは、それは私も同じだよ、ハールシャー殿」
サライと呼ばれた優男は、にこりと微笑んだ。薄い金髪に青い目をしているが、狼人ではない。おそらく西方の国の出身なのだろう。年頃はいくつかわからないが、実はこの男は狼人と同じぐらいに長く生きているという噂があるのを、ハールシャーは知っていた。
「お前様の噂を聞いたときは、もっと眼光の鋭い、恐ろしい男かと思っていた」
「はは、それはすみません。どうも私は風采が上がらないものですからね」
ハールシャーはそう答えつつ、相手をうかがっていた。何故この男はゼヴィリア公爵の求めに応じて、この国にやってきたのだろう。
「そんなに警戒しなくても、私はお前の味方ではないが、敵でもないよ、ハールシャー」
サライは、そんな彼を見透かすように笑って言った。ハールシャーも別に恐れなかった。相手がそのつもりなら、乗ってやる方が楽だ。
「ほほう、そんなことを私に宣言してよいのですか? サライ先生」
にやりとしてハールシャーは、壁に背をつけた。
「ゼヴィリア公爵も今の陛下も、私を失脚させたがっている。……貴方は私を失脚させるために現れた。違いますか?」
「お前様がよほど厄介な男だというのは聞いている。抜け目がないし、頭も良いし、先帝から特別に見出されただけはある。それに、一見ただの傲慢で強引な男に見えるが、存外に魅力的であることも――」
「それは褒め言葉として受け取っておきますよ」
「もちろん。褒めているとも。そして、そのことが彼らにお前を煙たがらせていることもな」
「ははは、よくおわかりだ。俺は別に帝位を分捕るつもりなんざあねえんだが」
と、ハールシャーはとうとう言葉を大幅に崩して笑う。
「……さて、奴等はどう勘違いしたのか知らないが、どうやら俺に必要以上に警戒していらっしゃる……。ははは、あの死んだジジイの妄言のおかげよ。あの先帝のジイさんは悪い冗談で俺に帝位簒奪をそそのかしたんだが、それを本気にとるとはね。冗談キツイぜ。正直、宰相の位だってアンタにくれてやりたいぐらいだよ。俺はあのジジイに義理立てしてなきゃ、すでにこの地位放り出して逃げてるさ」
「はは、彼らがお前に警戒するのはそれだけではあるまいよ」
「へえ、それではそれを俺にご教授くださるということですな」
ハールシャーは、にやりと笑った。
内心、この狸野郎が、と思っていたが、どうやら話を聞く価値はありそうだった。しかし、長話になりそうだ。失礼、と一言断って、彼は懐から煙管を取り出した。
本当に冗談じゃねえ。なんでこんな狸とこんなところで会話しなきゃいけねえんだい。煙草でも吸わなきゃ、やってられねえぜ。
*
レックハルドは、珍しく一人で道を急いでいた。途中で錦の織物を買い付けたが、我ながら自分にしては破格の手土産だなと思ったものだ。しかし、初対面の人間に、やや重い話を聞くのだからこれぐらいの手土産な必要だろう。
「ええと、確かこの辺だとかなんとか」
聞いた道順を書いた紙を見ながら、あちこちきょろきょろと見回した。すでに街道を外れ、辺境の森の少し中に入ったところだ。そこにその一軒家はあるという。ノルチェなどの例外を除けば、辺境の森に入ったところにある家は少ないので目立つはずだが。
辺境に片足をいれてみると、いつも彼のやや後ろを歩いている例の大男がいないのは少し寂しさを感じた。いつも大きな影が落ちて鬱陶しいところもあるのだが、いなくなってみると何となく物足りないような気がする。
「あいつ、うまくやってるかな」
ファルケンはシェイザスのところに行くということで、近くの町に留まっている。ファルケンはこの間からシェイザスを探していて、ちょうど彼女がそこにいるという噂を聞きつけたためだ。レックハルドはそれなら自分は行くところがあるといって、一人でこうして出てきたのだった。
サライ=マキシーンに会えばもう少し辺境の事がよくわかる、と彼に教えたのは当のシェイザスだった。その時に用心深い彼は道順を聞いていたが、その時は辺境について知る必要はないと思っていた。ファルケンが狼人だということは予想がついていたが、だからといって自分と彼の関係に何の支障もないとも考えていたのだ。しかし、あのシャザーンとか言われるはぐれ狼人に会い、そして、ミメルに会ってファルケンの状況を聞くと、どうも彼にとっても辺境の事情は他人事ではなくなってきていた。レックハルドも、そろそろ「お前が話したくなければいい」では止められない世界に足を踏み入れ始めているのに気がついてきていたのだった。
ただ、ファルケン本人の口からきくのはちょっと気が引けた。彼が落ち込んでいるのを見るのもかわいそうだし、それ以前に、口下手のファルケンから説明を聞くのは、凄まじい時間と労力を必要とするのである。前知識なしに話を平気で振るし、わかっていない話を常識として語りだすのが彼の常だったからだ。
そういう理由もあり、レックハルドは、そのサライ=マキシーンという男に話を聞くのが一番だと思ったのだった。しかし、シェイザスによれば、相手はディルハート王国でかつて宰相を務めたという男だ。隠遁しているという話だが、偏屈爺さんかもしれないし、身分の低い彼に会ってくれるとも限らない。それなもので、彼は手土産を用意することにした。
やがて、本格的に辺境の森が始まり、草が深く、頭上の木々が影を作り出してきたころ、向こうの大きな木の奥に一軒の家が見えた。
隠者の家というには、かなり整備されているようにも思えたが、一つしかないし、そこに違いはなさそうだ。
意を決してレックハルドは、そっと家に近づいた。それなりに大きな家である。庭もあり、色とりどりの花々が咲き乱れていた。身分の高いものの住みかという印象を感じる庭である。
庭に一人の青年がたたずみ、水を花々にやっていた。薄い金髪をしているところをみると、西の方から来たのだろうか。切れ長の青い目をしていて、顔全体が整っていた。なかなかの美青年である。
彼はレックハルドに気付いて、花に水をやる手を止めた。
「何の御用かな?」
訊かれてレックハルドは、丁寧に挨拶をした。サライの庭師か何かなのだろう。
「失礼いたします。私は、マジェンダに住まう黄色の草の民の出で、ゲルシックの末裔に当たりますレックハルドと申します。今は行商をしているのですが、このたび、お尋ねしたいことがあり、サライ=マキシーンさまにお目通りいたしたく存じまして参上いたしました。どうか、お取次ぎ願いますよう」
「ほう、マゼルダ人と見うけたが……」
青年は、西カルヴァネス風の衣装のまま、レックハルドを観察した。そして、にこりとした。
「ついてこられるが良い」
青年はそういうと、レックハルドを家に招きいれた。
家は、質素ではあるがなかなか洒落た印象だ。ここがサライの家であることを確信し、レックハルドは少しだけほっとした。門を通されると、彼はそのまま客間に通された。客間の真ん中に綺麗な花が活けられていた。その前に座が設けられていて、青年は彼にそこに座るようにいった。
「あの……」
レックハルドは、主人のサライらしき人が現れないのを気づいていった。
「あのう、これは些細なものですが、サライ様に。どうぞ、お受け取りください」
錦の織物を渡して、レックハルドは疑い深げにいった。
「そして、それから、サライ様はどちらに?」
「はっ」
青年は、堪え切れないといった風に笑い出した。
「ははははは」
レックハルドは、顔をしかめた。馬鹿にされているのだろうか。
「いや、すまんな。草原の商人。……私が、件のサライ=マキシーンだ」
「は、は?」
驚いて、レックハルドは、目を開いたまましばらく黙って立っていた。
「驚くのも無理はないが、正真正銘、私がサライなのだよ。……座りたまえ」
呆然としながら、薦められるままにレックハルドは席に着く。
「あ、あの……」
「まさか宰相を引退した男が、こんな若造だと思わなかったかな」
「あ、はい。いいえ、その」
さすがのレックハルドもしどろもどろになっていた。サライは、若い顔に不似合いな、やけに老獪な微笑を浮かべた。
「まぁ、多少、事情があってな。ありていにいえば、年を食わなくなっているというか。あまり常人には理解されない理由があるのでね」
サライのいうことはよくわからないが、レックハルドは、とりあえずうなずいておいた。サライは、レックハルドの右手に目を走らせ、驚いたとも感心ともとれるような言い方をして微笑んだ。
「ほう、魔幻灯のファルケンと知り合いか?」
「魔幻灯?」
レックハルドが聞き返すと、サライは少し笑った。
「あれがいつも身につけているだろう? 提灯を。あれの事を、魔幻灯と狼人たちはいうのだ。辺境古代語においては”ファンダーン”とね。君の手首の守りを見てわかった。その腕輪は守護輪というのだが、それに金属を使うのはファルケンだけだし、その意外と器用な彫り物を見ればわかる」
「あ、え、はいっ」
レックハルドは慌てて右手を出した。金属の板がついた数珠のようなあの例のお守りである。
「それは、狼人によほど信頼されないともらえない代物でな、彼らにより強いまじないがかけられている。ファルケンは、魔法は苦手だったはずだが、それでも魔力の流れぐらいは狼人として把握している。強力な守りになるだろう」
「そうなんですか」
あまりありがたみを感じていなかったのだが、意外と稀少なものなのかもしれない。レックハルドは瞬きした。
「しかし、手土産まで持ってくるとは……。誰の紹介でこちらに参ったのかな?」
「ああ、シェイザスという女占い師に……」
「シェイザス? あぁ、あれか」
サライはおもしろそうに笑った。
「なるほど。あれの紹介としたら、粗末にも扱えんな」
サライは織物を包んだ布をはがし微笑んだ。
「上質の錦だ。なるほど、君はいい目をしているな」
「あ、いえ」
宰相まで勤めたものに、さすがに安いものは贈れない。レックハルドも精一杯値切ったが、それでもかなり高価なものには違いなかった。
「ふむ、で、何を聞きたいのかな? まさか、商談をしにきたわけでもないだろう?」
「はい、あの……実は辺境の……」
言いかけたとき、可憐な声が聞こえた。
「あの、お茶を持ってきました」
「おお、そうか」
サライは立ち上がると、ドアの方まで駆け寄った。彼が到着する前に、入り口から一人の女性がしずしずと現れた。
綺麗な女性だった。おしとやかでどこかはかなげで、生命力がはじけるようなマリスとはまた違うものの、彼女ににたおっとりとした印象を与える。レックハルドは、こういう女性に弱いので、思わず少し見とれてしまった。
髪の毛はうっすらと金髪で何となく緑味を帯びているようにも見える。深い色の目の育ちの良さそうな美人の顔立ちだった。
「ありがとう、リレシア。これは私が持とう」
サライは盆ごとリレシアという女性から取ると、上にのったカップや皿を自分で配置した。
「あ、ありがとうございます」
レックハルドが思わずうっとりとして、軽く顔を赤らめながら女性に礼をいうと、彼女は控えめに微笑んだ。
「はい。ごゆっくりどうぞ。じゃあ、私、これで……」
「ありがとう」
サライは満面の笑みをうかべ、リレシアを見送った。淡い色の彼女のゆったりとした服が、非常に印象的だった。
「お、奥様ですか? 綺麗な方ですね」
レックハルドはお世辞抜きでぽつりと言った。どこかしらでれっとしているのは、本当にうっとりとしていた証拠である。
ところが、この些細な言葉が彼自身を恐ろしい目にあわそうとはレックハルドも、まだ気づいていなかった。サライの目が、きらりと光ったのである。
「そう思うかね!」
ぎくりとして、レックハルドは一瞬身を引いた。
「そうだろう! リレシアはとても綺麗だろう? 君もそう思うかね、そうだろうな!」
急に熱を帯びたサライの瞳は、まっすぐに彼に向けられている。レックハルドは後悔したがすでに後の祭りだ。サライは、どうやらかなりの愛妻家。しかし、それの度合いが飛びぬけているようなのだ。
「よし! 君には特別に、リレシアと私の馴れ初めなどを聞かせてあげよう」
「い、いえ! 私は、その……」
ぎらりと光るサライの目に射すくめられて、レックハルドは反射的に口を閉ざした。
「きくかね?」
「ぜひお願いします」
これから先、延々とのろけ話を聞かされる事を予感すると、レックハルドはげっそりとするしかないのだった。
本当に冗談じゃねえ。なんでこんな若作りジジイののろけ話をきかなきゃいけねえんだい。素面じゃやってられねえぜ。
*
「なぁ、ダルシュー。シェイザスってここにいるのかなあ?」
ファルケンはのんびりと聞いた。ちょうど視線の先には、顔なじみのダルシュがいる。
街を歩いて、シェイザスを探していると、ちょうどいいところにダルシュが現れた。どうやらシェイザスを探しているようなので、ファルケンは一緒に探す事にしたのだ。一人で探すより二人で探す方が楽しいし、シェイザスを相手にするなら良く知っているダルシュがいた方が安心だ。ファルケンは、ダルシュに会えてよかったと思っていた。
小さな地方の町、ぽつりぽつりと開いた店が何とも平和な感じである。取り立てて目立つものはなさそうだったが、道を歩いていくと、向こうには領主の屋敷があるらしく、ひときわ立派な館が見えてきた。
「たぶんな。あいつ、割と目立つからな」
ダルシュはうんざりと応えた。散々歩き回ったが、なかなか見つからないのである。
「ダルシュは何か訊きに来たのか?」
気の長いファルケンはこの無駄な散歩に対しても、別段いらだった様子も見せない。のんきな声で聞いた。
「ホントはあんまり来たくなかったんだが、調査が行き詰っちまってな。ここは、あいつになんか占ってもらった方がいいと思ってさ」
「そうなんだなー。その方がいいとオレも思うよ」
ファルケンはそう応え、少しだけにこりとした。
「ところで、ダルシュってシェイザスの事好きか?」
不意打ちに聞かれて、ダルシュは思わず転げそうになった。
「な、なんだって!?」
「ダルシュはシェイザスの事好きかって聞いたんだ」
ファルケンは悪気のない顔で、立っている。
「ば、馬鹿! そんなこと、いきなり訊くなよ!」
「なんで?」
「なんでって~っと……、そりゃあっ、何で悪いかってと、いきなり訊かれると心の準備の問題が……~っと、……うー……」
少し赤い顔でぶつくさと何故かを考えてみるが、上手い答えが出なかったのか、ダルシュは不機嫌な声で言った。
「と、とにかくオレはアイツの事なんか、どうでもいいんだし、そういう事を聞かれると、困るからだな!」
「ふーん、そうかあ。しかし、今の反応、ホントにレックとそっくりだな~」
「あいつと一緒にするな!」
先程よりも更に早い反応で、ダルシュは怒鳴りつけたが、ファルケンは、悪気がないらしく無邪気ににこにこしている。話を聞いているのかどうなのかもわからない。それ以上怒れないのがどうももどかしいが、ファルケンを相手にするという事はそういうことだ。あきらめて、仕方なく前を向き歩き始める。
「何処行くんだ?」
ファルケンに訊かれて、ダルシュは不機嫌な顔のまま、領主の屋敷を指差した。
「あいつ、たまに歌も歌うんだ。オレはそうも思わないんだが、周りから見ればどうもあいつ美人に見えるらしくって、結構ああいう身分の高い人に呼ばれたりしてな。時々、占いじゃなく、踊ったり歌ったりしてる事もあるみたいなんだ」
「じゃあ、あの辺りにいるかもしれないんだ?」
「可能性がある」
ダルシュは短く応え、
「まぁ、あそこにいなかったらいなかったらで、仕方ないって事だよ」
「そうだな。街はみんな見たし、じゃあ、あっち見に行こう」
歩き始めたダルシュについて、ファルケンは歩き始めた。
「あ」
不意にダルシュが振り返った。
「そういえば、お前さ、あいつは一緒じゃないのか? また、喧嘩でもしたのか?」
ファルケンは首を振った。
「そうじゃないけど。なんか、今日は特別な用があるんだって」
「ふーん。まぁ、アイツがいなくてオレは清々するけどな」
ダルシュは応えて、何事もなかったように歩き始めた。




