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辺境遊戯・改訂版  作者: 渡来亜輝彦
第五章:伝説と伝承
21/98

1.森とマリスとファルケンと


 『カルヴァネスには以下のような話があった。


 太古の昔、辺境の狼人おおかみびとが町を襲ったことがあった。

 人々は鉄と青銅の武器を右手に、左手に火のついた松明を持ち、彼らと戦った。

 都市は壊滅し、血の大河が流れた。日は落ち、やがて夕方になり夜が訪れた。

 あくる日、そこを旅人が通りかかった。そこでは、人々が倒れ、その上に折り重なるように狼人が倒れていたという。

 息のあるものはいなかった。

 


 その後、その都市は、砂漠に消えた。

 

 以来、カルヴァネスでは、狼人は災厄を運ぶものとして恐れられているという話である』


 *


 彼は煙草をふかしながら足を組んでいた。

「おいおい、マジかい?」

 彼の態度はぞんざいで傲慢ですらあったが、なぜかその野心的な瞳には妙な魅力があって、人をひきつけるようなところがあったらしく、意外とそういう態度も許されることが多かった。が、今回は別にわざとではない。男が現れたのが、ちょうど彼が宿屋でくつろいでいたところで、いきなりだったからだ。

「まさか、一番目の司祭スーシャー殿がわざわざ俺の部屋を訪れるとは。交渉は決裂したと思ってたんだが、そうでもないのかい?」

「私は個人的に貴方と話がしたくてな」

 対するのは銀色の短い髪をした背の高い男だった。多くの狼人がそうであるように、男は非常に線の細い、美しい顔をしている。怪力で知られ、人間とは比べ物にならない力を持つ狼人だが、彼らの多くはその男のように線が細く美しい容貌のものが非常に多かった。男はその白い頬に赤い顔料で何か模様を描いていた。それは紋様メルヤーと言われる狼人特有の化粧であり、それぞれに身を守る意味をもつものであるという。

 司祭スーシャーと呼ばれるのは、狼人の社会で頂点に立つ者たちである。いわば神官のようなものであるらしいが、彼らの権力は絶対的だった。十二人いる彼等をまとめているのが、「一番目」である。 

 辺境の広大な土地を目の前にして、人間と辺境の狼人の間では、多少の小競り合いが起こることがあった。狼人との共存共栄を掲げていたメソリアや神聖バイロスカートと違い、ギルファレス帝国はそこまで彼らを受け容れきれてもいなかった。

 ギルファレス帝国宰相であった彼は、その小競り合いの始末と今後の対応の為、辺境の司祭スーシャー達に接触を図ることですら、反対をするものが多かったほどだ。彼はそれをどうにかおさえこんでしまうと、ほとんど単独でここまでやってきて、どうにか司祭スーシャーの一部と接触したが、その成果は芳しくなかった。先に手を出したのはギルファレス帝国であるため、彼らは人間に対して不信感を持っていた。できたら、今後は同盟関係を結んで仲良くやっていきたいということを伝えに来た彼であったが、さすがにうまくはいかない。

 その時の会談に応じた司祭スーシャーの一人が、目の前の男であり、筆頭司祭、つまり「一番目」だった。それにもかかわらず、男はほとんど意見を出さず、人間を嫌う司祭スーシャー達の意見を黙って聞いていたので、彼は自分に会いに来た彼に驚いたというわけだった。

「宰相の俺じゃなくて、個人としての俺にかい?」

 彼は足を崩しながら煙をふーっと吐いて、相手を見上げた。

 男は首飾りをしていたが、そこには小さな瓶がつるしてあり、液体と葉が入っており、さらに腰には剣をつるしていた。

「変わってるね、アンタ」

 彼はぼんやりと言った。

「狼人のくせに、硝子も剣も平気なのか。いや、その葉はもしかしたらシェンタールなんだろうなとは思うんだが、剣は……」

「訓練をすれば、私のように平気になる狼人もいる。私は火も平気だが……、訓練の問題で、別に珍しいことではない」

 男はにっと笑った。なんとなく表情の薄い男だが、単に飄々としているだけで腹黒くもなさそうだった。

 交渉の場では、どうにもその表情の薄さが胡散臭くてならなかったが、意外に話の分かる人物なのかもしれない。彼は煙管から灰を捨てて近くの机の上におき立ち上がった。

「そうか。鉄が平気ということは、意外にもアンタこっち寄りなんだな。司祭スーシャーっていうから、てっきり……」

「私は昔、人間の間を旅をしたことがある。そんな私が筆頭司祭ディルイー・スーシャーをやっていることに、確かに仲間内から不満が出ることはあるな」

「ふぅん、苦労してるんだな。まあいいや」

 彼は苦笑した。

「別に俺は構わないぜ。どうせ、このまま手ぶらで帰るのもなんだと思ってたし、アンタと個人的に話して何か収穫があれば大儲けだ。それに、俺も司祭スーシャーとは個人的に話してみたいとは思ってたしね」

 そういって彼は男に座るように言った。

「後でなんか持ってこさせるから、適当にくつろいでくれ。で、……アンタ、名前は?」

「私は、酔葉のツァイザー。辺境古代語クーティスでいうところの、ツァイザー・ロン・シュエイェールだ。よろしく頼む」

 そういって、狼人は薄く笑った。意外に好奇心の旺盛な狼人らしかった。


 *

 

 

「あぁぁ~~~!」

 レックハルドが凄まじい声をあげたので、ファルケンは思わず驚いてひっくり返りかけた。

 彼の視線の向こうには、照れてデレデレになりながら、女性と話す騎士の姿がある。

 レックハルドが今日やたらそこまで浮かれているのは、マリスが辺境近くの野原まで、今日やってくることになっていたせいだ。ようやく、この前の傷がいえたレックハルドだが、さすがにあの恐ろしい目にあったマリスの屋敷には近づけないので、そっとファルケンにどこかでマリスと会えないか訊いてきてもらったのだった。

 ファルケンのような格好のものが屋敷に通してもらえるとは思えない。おそらく、屋敷にそっと忍び込んでマリスにあってきたのだろう。どうやって聞いてきたのかわからないが、辺境狼すら恐れるファルケンなら番犬程度相手にもならないのだろう。いや、むしろ手なずけたのかもしれないが。

 ともあれ、彼がマリスから直接聞いてきたというのが「明日、野原にでかけますからそこで会いましょう」というものであった。

 喜び勇んで出てきたのに、まさか邪魔ものでしかない男が先にきているとは。

「オ、オレが、顔が元まで回復されるまで待っているうちに、あいつがマリスさんと~~~!!」

 持ってきた贈り物も全部落として、レックハルドは、許せん! とばかりに駆け出す。贈り物を落とすと悪いだろうと思ったファルケンは、滑り込みでそれを受け止めたが、おかげですっかりレックハルドには置いていかれてしまった。あ、待って、と声をかけたところで、マリス最優先のレックハルドが止まるはずもなかった。

「あら、こんにちは。レックハルドさん。来てくださったんですね」

 マリスが、レックハルドに気づいて微笑んで会釈する。逆にダルシュが露骨に嫌そうな顔をした。

「はい!」

 レックハルドは、ダルシュに思いっきり目を向けながら、

「ああやって呼んでいただいたのに来ないなんて失礼な事は出来ません。あぁ、呼ばれてもいやしないのに、来てる図々しい連中も世の中には多いそうですけどねえ」

「何だと? オレは、ただ、通りがかったらマリスさんが暇をしているようだったから! 来るのが遅かったんだろ、お前が!」

 ダルシュがむっとする。

「あ、そうだったんですか。すみません、早くに出たつもりだったんですが、お待たせしてしまって……」

 ダルシュにでなく、マリスにのみ申し訳なさそうにいうと、マリスは屈託なく微笑む。

「いいえ。あたし、ちょっと早く来てみたんです。散歩が好きですし」

「そうですか~。それでも、マリスさんみたいな方が、こんな野蛮人と付き合っちゃいけませんよ」

 じっとダルシュを睨みながら、

「何しろ、この騎士殿は、ものすごーく喧嘩がお好きなようですから!」

 ひくりとダルシュが口元を引きつらせた。

「おやぁ、商人殿は、まだ顔がはれてるんじゃないのか? 随分と目つきが悪いように思うがなあ」

「それは、生まれつきでねええ。ご心配あ・り・が・と・うございます、騎士殿」

 二人の間を嫌な空気が包むが、マリスはそれに気づかずにこにことしている。

「あら、お二人は、お知り合いだったんですね。まぁ、奇遇ですわ」

「ええ、運命のいたずらとしか思えませんですよ、はい」

 レックハルドがダルシュから目を離さず、口だけ楽しそうに応える。

「ああ、本当に。本来なら、一生知り合わずにすむ所だったんですがね!」

 ダルシュが応酬し、きっとレックハルドを睨む。

 長身のレックハルドと、それよりも更に高いダルシュに取り囲まれて、間でマリスがちょこんと立っていた。それでも、マリスはマリスでのんきに微笑んでいる。全く、この場の空気を把握していないらしい。マリスもマリスで、ちょっと変わったところのある娘だ。

 遅れてやってきたファルケンは、二人を包む険悪な空気に怯えて一歩あとずさり、やれやれとため息をついた。

「あーあ、また喧嘩してる。どうして仲が悪いのかな」

 狼人のファルケンには、シェイザスの言った『鞘当て』の意味がわからないし、それがあらわす状況もわからない。彼らの複雑な思いの絡み方すら理解できない。とりあえず、なんでもいいから仲良くしてほしい。

「あ、二人とも、結構、似たもの同士だからかなあ。そういえば、昔、似たもの同士は仲が悪いんだってきいたことがあるような……」

 ある意味では真理をついたこの独り言を、地獄耳のレックハルドが聞きとがめた。

「ちょっと、どういう意味だよ! 撤回しろ! 撤回!」

「え? だ、だって、二人ともとっても似てると思うけどなあ、オレ」

 ファルケンは、レックハルドの剣幕にやや困惑気味である。

「そうだ! そんな不名誉な事撤回しろ、撤回! こんなのとオレのどこが似てるんだ!」

 今度はダルシュである。二人がやけに真剣に睨むので、ファルケンは更に戸惑った。

「……な、なんで、そんなに怒ってるんだ?」

 どうしたものかとファルケンは考える。そんなこと言われても、本気で似ているのは間違いないし、なんだろう。なんでこんなに反応するのだろう。

「どういうことだよ!」

「そうだぞ! こんな奴と一緒にするな!」

 ファルケンが迷っているうちに、マリスがファルケンの存在にようやく気づいた。

「あ! ファルケンさんもご一緒だったんですか?」

 マリスがにこりと微笑む。さすがに、ここでファルケンに圧力をかけ続けるわけにもいかず、一時停戦してレックハルドとダルシュは、振り返ってマリスに精一杯の作り笑いを浮かべてみる。助かった。ファルケンは、ほっとしてため息をついた。

「うん、こんにちは。マリスさん」

「はい、お元気そうで何よりです」

 にっこり笑うマリスにつられるというよりは、ごく自然にファルケンも屈託のない笑みを向け返す。

「マリスさんも元気そうで何よりだ。あ!」

 と言って、ファルケンはポケットに入れておいた小さな麻袋を取り出した。少し振ると、ちゃらんと音がする。あのお守りに違いなかった。

「これ、オレからマリスさ……」

 言いかけたとき、レックハルドが彼のマントを容赦なく後ろに引っ張った。思わずたたら足を踏んで、ファルケンは後ろに下がる。待ち構えていたレックハルドが、ファルケンの肩をぐいっと捕まえて笑っていた。

「レ、レック?」

「あはは、ファルケン、ちょっと話があるんだ。ちょっと、来い!」

 マリスの手前、笑顔には違いないが、レックハルドの顔にははっきりとぎこちなさが刻まれている。わけがわからず、「何だ、何だ」と言っているファルケンを無視してレックハルドは、少しはなれたところまで彼を引きずっていった。そして、小声で彼にいいながら、ちらりと睨んだ。

「お前、なんで先に渡しちゃうかなあ?」

「何でって? 元から渡す予定だったじゃないか」

「そーゆー問題じゃないの! オレがマリスさんに贈り物を渡してからにしろよ。お前は二番」

「なんで?」

 ファルケンがいつもの調子で聞き返す。

「なんでって、お前、オレに協力するんじゃないのか? だったら、オレの面目つぶすなよ」

「面目? うーん、つぶしたかなぁ?」

「あぁ、つぶしたつぶした! いや、正確にいうと、つぶす直前だったんだ」

「そうなんだー。なんか、よくわかんないけど、わかった」

 ファルケンはとりあえず応える。レックハルドはため息をつき、それから言った。

「オレはちょっとあの騎士野郎と話がある! お前、マリスさんとしゃべってろよ。あ、オレの面目をつぶさない程度に!」

「程度っていわれても……」

 オレは話すのが苦手だよ。と表情で訴えかけてみるが、レックハルドは聞き入れない。

「いいか、絶対に退屈させるな。それから、オレを出し抜くな! いいな!」

 難しい注文だ。

「わ、わかったけど……」

「じゃあ、行け! さりげなくマリスさんを今からお話に誘うんだ! いいか、女の子が聞きたがるような話をするんだぞ!」

「う、うん、わ、わかった」

 レックハルドはファルケンを放し、きっとダルシュを見る。二人の間に目に見えない火花が飛び散るが、マリスは未だにわかっていない。

「あ、あの、あのマリスさん」

 ファルケンが必死に話題を頭の中にひねりだしながらマリスに呼びかけた。

「はい?」

 何を話せばいいか考えていると、「毒キノコ」とか「トカゲの生態」などの言葉がぐるぐる頭を回る。女の子はどんな話題が好きだろう。そんな繊細な話題が、ファルケンにわかるはずもなかった。今までそんなことに気を遣わずに生きてきたのだ。今更どうにかしろと言われても困るのである。

 マリスがニコニコ笑っているので、ファルケンはやたらと追い詰められた。一瞬、頭に一筋の光明のように単語が思い浮かぶ。ファルケンは嬉々とした表情でこう尋ねた。

「オ、オレと一緒に辺境の食虫植物の一生について色々話してみませんか?」

(ちょっ! ……よりによって食虫植物の一生かよ! あぁ、せめて普通の花とかにしろ!)

 レックハルドは、頭を抱えた。女の子に向ける話題とは思えない。だが、マリスはにこにこして、

「まぁ、おもしろそうね。お話を聞きたいです」

 ファルケンとともにレックハルドもほっとする。

(マリスさんが、変わった娘でよかったぁ…)

 ファルケンとマリスが、食虫植物の一生といういかにも変な話題で盛り上がりはじめているのを確認して、レックハルドはダルシュと相対した。

「あいっかわらず、ずうずうしい奴だよな、アンタ。オレとマリスさんの幸せな時間に割り込みやがって!」

「オレを散歩に誘ってくれたのはマリスさんだぞ! お前が来ないし、話し相手が欲しかったんじゃないのか!」

 ダルシュは、言い返す。

「大体、別に二人でデートなんじゃねえんだろ。雰囲気は一切ないしな!」

「うるせえな、お前がぶち壊したんだ! この騎士野郎、剣もって戦うのが商売の癖に、こんなところで油売ってるんじゃねえよ! 野蛮人は野蛮人らしく戦ってやがれ!」

 レックハルドが、無茶を言うのでダルシュはかっとする。

「この前助けてやったのは誰だと思ってんだよ!」

「オレが頼んだわけじゃねーからなぁ」

 レックハルドは、はんと鼻先で笑った。

「お前が慈善事業で助けたんだろぉ? そんな事で恩が買えるほど、オレは安かないね」

「何言ってやがる! 雑草食って生活しているような安い生活の男に言われたかねえ!」

「雑草の何が悪いんだよ! その辺に生えてる草じゃなく、ちゃーんとした山菜を健康的に食う仙人のような高尚な生活だぞ? あぁ。お前みたいな短絡思考にゃ無理だよなぁ、こんな精神的に高次な生活なんざぁ」

 やたら語彙だけが豊富なレックハルドは、普段自分とは縁遠い言葉をべらべらと吐きながら、ダルシュを圧倒しようとする。

「精神的に高次な奴が、質素倹約通り過ぎてケチってーのもどうなんだよ? 人に施しするようなタイプじゃねえよなぁ?」

 ダルシュが負けずにやり返す。

「施しってのは、金のある奴がやるもんだ。そんな余裕ないもんなぁ。そういうのは、あんたみたいな金持ちがやるんだろ?」

 といいかけて、ワザとらしくレックハルドは気の毒そうな顔をしてみせる。

「あぁぁ、そうかそうか。悪かったよ。あんた、金なさそうだもんなあ。この前シェイザスに言われてたっけ、喧嘩っ早いと損するなあ。良かったら恵んでやろうか?」

「お前になんか恵んでいらんわ!」

 痛いところをつかれて、ダルシュは顔をゆがめた。各地で起こした喧嘩やもめごと、一部仲裁を含めて、ダルシュはあちこちで問題を起こしている。その分、給料がお安くなってしまっているらしく、どうやら貧乏らしいのだ。

「あ、そう。武士は食わねど高楊枝ってわけか? あぁ、かわいそうな奴~。ホントは、明日の飯にも事欠いてたりして~」

「うるせえ! ……くそ! この前、見捨ててくれば良かった!」

「言ってろ言ってろ! あぁ、そうだ、ファルケン! このかわいそうな騎士さまに干し肉の一つでも恵んでや……」

 顔をファルケンとマリスの居た方向に向けて、少し大声で呼びかけていたレックハルドはぴたりと止まった。

「おい、なんかあいつらいないぞ」

 二人はいつの間にやらいなくなっている。ダルシュは呆然とし、レックハルドは舌打ちをした。

「アイツ、抜け駆けしやがって!」

 レックハルドはいち早く、事情を飲み込んではき捨てた。

「面子をつぶすなといったばかりなのに! 裏切り者ー!」

 そんな叫びはすでにファルケンには聞こえていなかった。

 


 ファルケンがマリスを連れて、辺境の奥に入ったのは別にレックハルドを裏切ったからではないし、抜け駆けをしたつもりでもなかった。彼に言わせると、レックハルドの期待に応えただけなのだ。

 『退屈させるな。』とレックハルドは言った。

 話がうまくないファルケンは、とてもこの長丁場を乗り切れないと思った。一通り話してみたのに、レックハルドとダルシュの話し合いは、まだ終わりそうもない。だから、マリスを退屈させないように、木苺摘みに誘っただけなのだ。

 それに、ファルケンは話だけでなく実践を大切にする主義だった。イチゴを摘みながら、何か本物の食虫植物を見せてあげようと思った、彼なりの不器用な気遣いである。

 ファルケンのいう「穴場」は、一般人が入れない奥にある。といっても、別に険しい所にあるわけではない。ただ、目に付きにくいところにあるだけだった。そういう場所をファルケンはいくつも知っている。

 木苺の茂みには、とても甘そうないい色艶の果実がたくさん実っていた。

「素敵。ありがとう、ファルケンさん」

 わあと歓声を上げながら、マリスは喜んだ。

「これだけあるとお菓子にも入れられそうねえ」

「うん、もちろんだよ」

 ファルケンはにっこりと微笑み、一つ失敬して口の中に入れる。

「この周辺の木の木苺はすごく甘いんだ。オレの知ってるとっておきの場所なんだよ」

「ファルケンさんは辺境に詳しいんですね」

 マリスがすっかり心酔したような顔をして言った。

「あたしは、何も知らないので、すごく尊敬しますわ」

「そんなたいした事じゃないよ。だって、オレは猟師だし……」

 といって、ファルケンは少し迷った。

 自分の正体を明かしておいたほうがいいのかどうかを迷っていたのである。だが、レックハルドの事もあるし、これからは少し正直に話しておいたほうがいいと思って、こう付け加えた。

「オレは、辺境の狼人だから」

 ファルケンが反応をドキマギしながら待つまでもなく、マリスはにっこりと笑って即座にこう相槌を打った。

「まぁ、そうなんですね! 辺境の森に詳しくて当然ね」

 マリスは意味を知っているのかどうなのか、世間話でも聞いているような返事である。ファルケンは、初めての反応に戸惑った。ここまで無反応だと思わなかったのである。

「そうなんですかあって……あれ? マリスさんは、恐がったりしないのか?」

「ええ。何を恐がるんですか?」

 にっこりと微笑んで、マリスは首をかしげた。

「ファルケンさんはとてもいい人ですし、それに恐がる理由はないと思いますよ」

「でも、他の人は……、その、みんな、恐がったりするよ」

 ファルケンは首をかしげる。

「そういう人もいるのは知っているけれど、あたしはそんな事ないわ。皆、昔話を気にしているのね。大昔、辺境の狼人とカルヴァネスの人たちが戦って負けた。狼人はだから怖いんだって」

「うん」

 その話は、ファルケンも聞いたことがある。マリスは首を振った。

「けれど、このお話は、歴史書には出てこない話なんだってことも、聞いているの。だから本当かどうかはわからないんだわ。それに、うちの家には、マジェンダ草原の商人の方々が出入りしているのでよく話を聞くんですよ。マジェンダの方に言わせれば、辺境の狼人は大地の女神様の御使いだっていうお話です。だから、森で見かけると、願い事が一つかなうって伝えられているんですって」

「メ、メガミサマの使い?」

 ファルケンは目をぱちくりさせた。

「ええ。レックハルドさんもマジェンダの方でしたよね。だから、お二人は仲がよろしいんだと思っていました」

「レックからそういう話は聞いた事はないし、何も言われなかったぞ」

「じゃあ、レックさんは、話し忘れたに違いありませんわ」

 実際は、レックハルドはそんなこと言うのが恥ずかしいので黙っているのだが、二人はそんなこととは思わない。

「でも、あたしもそうだとずっと思ってきました。辺境の周りにはよく散歩に来るんです。遠巻きにそれらしい姿が見えることもあって、そうしたら、お願い事をお祈りすることもあるわ。流れ星にお願いするようにね」

 マリスが笑った。

「だから、全然恐くなんかないわ。むしろ、会えて光栄です」

「オレたちは、カミサマの使いとかそういう大層なもんじゃないよ」

 ファルケンは、いかにも大仰な話に照れたり、戸惑ったりと忙しくしていた。

「単に辺境に住んでるだけだし、別にそういうすごい力も何もないんだ」

「でも、信じられる何かがあるんじゃないかしら。きっと、レックハルドさんも……」

「そうかな?」

 ファルケンはふと、レックハルドも自分にあったときに何か願ったのだろうかと考えた。

 『オレはマリスさんと普通に話がしたい』と目を輝かせて語っていたレックハルドの願い事がそれだったとしたら、それが叶ってはいた。自分のせいだとは思わないが、もし、そうだとしたら、ファルケンは少し嬉しい気分になる。

「だったらいいな」

「ええ」

 マリスは微笑み、それからふと顔を上げて振り返った。誰かがいるような気がしたのだ。

 ふと長い薄い金色の髪がなびいているのが見えた。黒い上着にしろっぽいマントのような布が翻る。男だろう。背が高い。顔を一瞬こちらに半分向けている。だが、敵意を感じることはない。しかし、何か特別な感じがする。

「どうしたんだ? マリスさん」

 ファルケンが陽気な顔をしながら彼女の方を伺う。

 しかし、彼女の視線を辿ってサッと顔色を変えた。視線の先にある人物に見覚えがあったからだ。

「こんにちは」

 マリスが微笑んで挨拶をすると、向こうの青年も少し会釈をした。だが、それだけである。ふっとそのまま森の奥に消えていった。そう、消えたという感じだった。マリスは、首をかしげる。

「不思議な方ね。こんな辺境の奥に何の用かしら。あたし達と同じくイチゴをつみにきたのかしらね。どう思います? ファルケンさん」

 ファルケンは、黙って青年を見ていたが、何を思ったのか少し表情をかたくして、マリスのほうを振り向く。

「ごめん。マリスさん。オレと一緒に、ちょっと様子を見に行こう!」

「ええ。でも……」

 どうしたのだろうと、マリスは不安そうにファルケンを見上げた。ファルケンは、透明な碧色の目を警戒の光に輝かせながら、呟くように言った。

「なんだか、オレ、嫌な予感がするんだ……」

 

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