2.ダルシュとシェイザス
先に入った宿でレックハルドが、うきうきとした顔で、楽しそうに何かを書いているので、ひょこっとファルケンが後ろからのぞきにきた。
「何やってるんだ?」
「ははは~。お前にはわからねえことさ~」
レックハルドは安心しきっていたが、
「えーと、マリスさんへ。あなたは、とてもお優しいお美しい娘さんです。私はこの前のあなたの姿を見て……」
「ちょ、ちょっと、待て!」
思わずいすから立ち上がったレックハルドは、がばっと手紙にすがってそれを破いてしまった。
「あ、折角書けてたのに、もったいないなぁ」
ファルケンがレックハルドの行動を怪訝そうに眺めてきた。
「し、下書きだ! こんな恥ずかしい文章、そのまま出せるかよ! それより……」
反射的に言い返しながら、レックハルドは本当に訊きたかったことを尋ねる。
「お前、字が読めたのか?」
ファルケンは、首を少しかしげた。
「あれ? 知らなかったのか?」
カルヴァネスの識字率は決して高くない。レックハルドが文字を覚えたのは、それがいつか役に立つと思って、結構な苦労をして覚えたものだ。辺境で猟師をやっていて、ろくろく本など読まなさそうなファルケンが字を読めるとは思わなかった。
「いや、ほら、この国じゃ、字を読めるやつも少ないしさ」
「レックだって言ってたじゃないか。読み書き計算ができないと、これからの商人としてやってけないって。オレは読むのも書くのも、計算も出来るよ」
当然じゃないかと言いたげな顔で、そんなことをいうファルケンに、レックハルドは返す言葉が無かった。
「そ、それはそうだが……」
(お前、そんな教養のある人間だったのか?)
まさかとは思うが、学校なんて高尚なものに通ってたんじゃあるまいな。
レックハルドは、ファルケンを見る目を思わず改めてしまう。
「なんか、ちょっと見直したな~。ちょっと待て、じゃあ、オレが帳簿の後ろに書いている言葉も」
気づいてレックハルドは慌てた。
「あ、マリス命っていう走り書き? レックって字が上手いよな? 上手いからすごい読みやすいんだよな」
「わわわ、馬鹿!」
大きな声なので、レックハルドは慌ててファルケンの口を押さえた。恥ずかしい走り書きに思わず赤面してしまう。
「そ、それは秘密だ。マリスさんの前でそんなこと言うなよ?」
「マリス命のどこが悪いんだ? マリスさんと命だろ?」
「お、お前、命って後ろにつけることの意味をわかってねえな? と、とにかく、言うなよ、絶対にだ!」
「何で?」
「マリスさんの前で言わないって言うなら、お前に何かおいしいものをおごってやろう。そうだ! お前、羊の串焼きって食べたことあるか? あれ、おいしいんだぜえ」
ケチなレックハルドがおごるなんて言い出すのは珍しい。ファルケンは素直に喜ぶ。
「あれ、見たことあるけどまだ食べたことない。楽しみだな!」
「そうそう、だから、マリスさんの前でそんなこと言うなよ~。今から、お前はそのことをぜーんぶ忘れる。いいな」
レックハルドは、偽りの笑顔を向けてファルケンを買収する。少し暗示でもかけるような口調である。
「そうだな~。じゃあ、わかった」
「ああ、物分りがいいよな~。それだから、お前はいいヤツなんだ」
ほっと胸をなでおろし、レックハルドは、これからはみだりにファルケンの前で何か書き残せないなと思った。
*
街の商店の並ぶ一角に、占い師の女性が店を広げていた。そこには、流れの戦士風の男が、一人、占い師の女性に占ってもらっている。
「あんだとぉ!」
ようやく見つけたシェイザスの言葉に、ダルシュは怒り交じりの言葉を吐く。
「狼人に接触するのは無理ぃぃ!」
「大声出すんじゃないの」
「あいて」
思い切り頬を引っ張られ、ダルシュは赤くなった頬をなでた。今度は少し小声でたずねる。
「け、けどよお。じゃあ、オレはどうすればいいんだよ」
ダルシュは、すでにへこたれ気味だ。
「無理とはいってないでしょ。難しいといったのよ」
「同じだろ!」
「静かにしなさいってば。つまり、狼人は辺境の奥にいるわけ。人間と出会うのは偶然って言うのが多いのよ。探している間に迷うか、狼に追われるか、沼にはまるかするのがオチなの」
「何だよ。全部経験済みだよ。畜生」
ダルシュはつむじを曲げた。
「どうすればいいんだよ! じゃあ!」
「ま、あきらめて帰んなさい」
シェイザスは、冷たく言った。
「そ、そんなわけにもいかねえんだよ! こっちは、仕事なんだぞ!」
ダルシュはしつこく食い下がる。シェイザスは、少し考えてちょいとダルシュのマントを引っ張った。
「そういえば、外で暮らしている狼人が確か何人かいるわ」
「え! ホントか!」
ダルシュは素直に喜ぶ。
「でも、まぁ、まともに口きいてくれそうなのは一人だけね。あとは、そんな事聞いたとたん、攻撃してくるか、慌てて逃げるかのどっちかだわね」
「だ、誰だよ! どこにいるんだ!」
ダルシュがせかすのをうっとおしそうに手であしらい、シェイザスは応える。
「ゆっくり話しをきかない人ねえ。……そうね、彼、ファルケンとか言ったかしら。『魔幻灯のファルケン』という名前で彼らの中では呼ばれているわ。しるし といわれる、狼人が辺境で身に着ける特徴は、カンテラよ」
「カンテラ?」
「そう。火を使う狼人は珍しいからすぐ見つかるんじゃない」
ダルシュは、打って変わって嬉しそうな顔をする。
「よっしゃ! 魔幻灯のファルケンだな! 探しに行くぜ!」
「待ちなさい!」
走り出そうとするダルシュを、シェイザスはマントをつかんで引き止める。
「ただし、彼には連れがいるわよ」
「え? 何だよ、そりゃあ」
「事情があって、人間と一緒に旅をしているの。連れは行商人だったわ。その辺、ちゃんと気を遣ってやりなさい。狼人はあぁ見えて繊細なところがあるから」
「そうなのか?」
「だから、いきなり呼びかけたりするんじゃないわよ。事情を隠していることもよくあるから」
ダルシュは、少しうなる。そんな細やかな気遣いなど、無骨で大雑把なダルシュには、あまりにも向かないことなのだ。
「わ、わかったが、うまくやれるかな」
「あら、『待ち人来る』」
シェイザスが、ダルシュの後方を見て突然ぽろっといった。
ダルシュが、はっと後ろを向くと、覆面をした商人風の男と背の高い大柄の男が向こうを歩いていた。あまりのタイミングのよさとその突然に、ダルシュは戸惑った。
「え! あれかよ! い、いきなり現れるとどうしていいか」
「さっさと行かないと、どこか行っちゃうわよ。いい? そうっと近づくのよ」
「よ、よし!」
ダルシュは、決意して二人に歩み寄っていった。
後ろで、シェイザスが何となく頼りなさそうな顔をしていたことを、ダルシュは知る由もなかった。
「レ、じゃなかった、ハルド……、は、ヒュルカには詳しいんだな」
お達しを守りつつも、居心地悪そうにファルケンは話しかけた。
手にはおごってもらった羊肉の串焼きが、三本ほど。いくつか肉が欠けているのは、彼が食べてしまったからだろう。香辛料が効いていてなかなかうまいのだが、このレックハルドの妙な命令さえなければ、もっとうまいのにと思うとファルケンは複雑である。
「よしよし、その調子」
言いつけを守っているのをききながら、レックハルドはうなずく。それから、質問に対して答える。
「オレはヒュルカには長くいたからな。詳しくて当たり前よ」
「へえ、そうなんだ」
ファルケンはにこにこした。
「オレ、ヒュルカにはあまり来たことがないんだ。都会には一人で行くと、いつも散々な目にあうから行かないようにしてたんだけど、レ、じゃなくハルドが一緒なら大丈夫そうだな」
言い直したのは、途中でレックハルドがすさまじい目で睨んだからである。
「まぁ、ちょっとした観光ぐらいなら案内してやってもいいぜ」
レックハルドはそういったものの、顔の覆面を直した。
ファルケンの手前、そんな偉そうな言い方をしてみているが、あちこちに、顔見知りが潜んでいるようで、レックハルドは気が気でない。
「そうか、楽しみだなあ」
ファルケンは、素直に喜ぶ。
「そうよ、楽しみにして……」
そこまで言いかけたとき、ふと、向こうから近づいてくる男がいた。
流れの戦士風のその風体に、レックハルドはただならぬ危険を感じ、反射的にファルケンの後ろに回りこんだ。もしかしたら、組織の用心棒かもしれないのだ。
黒髪の若い戦士は、ファルケンのほうに近づいてきた。怪訝な表情を向けるファルケンだったが、相手に殺気のようなものがないのはわかっていたので、その顔は無邪気なものだった。
「何かオレに用かい?」
「い、いや、用は用なんだが」
男は変な言い方をした。
そうっとレックハルドは、相手の様子をうかがってみた。若い青年の少し荒っぽそうな目や黒い髪、立ち振る舞いに見覚えがあった。あの時、通り過ぎた王国騎士団の中にいた男ではないだろうか。用心棒ではないと判断したレックハルドは強くでる。
ひょいっと飛び出すと、相手を指差しながら、
「なんだあ。あんた、あの時の王国騎士……」
「わー! 言うな言うな!」
焦ったのは相手の方だった。慌ててレックハルドの言葉を遮ると、きょろきょろと周りを見回す。誰にも聞かれてないのを確認し、男は彼らに向き直った。
「なんだ? あんたも、何かに追われてるのか~? 確か、ダルシュとか言ったっけ?」
にやりとレックハルドは笑った。自分はともかく、人のこととなるとからかいたくなる性分なのである。ダルシュは、カーッと赤くなりながら、ぶっきらぼうに答えた。恥ずかしいところを見られてしまったものである。
「ち、違うわ。オレは、その、オレは極秘任務中で……。それより、ちょっと、あんたに聞きたいことがある」
「え? オレ?」
指差されてファルケンは、更に首をかしげた。
「あんた、辺境に詳しいんだろ? ちょっと、オレに話を……ってうわ!」
言いかけたダルシュのマントをつかんで、誰かが後ろに引っ張った。誰だとばかりにぎらりと睨むと、相手は妖艶に微笑みながら冷たくささやいた。
「アレほど、単刀直入に訊くなといったでしょう?」
「しかし……」
(方法がわからないんだから、仕方ないじゃねえか)
そういおうとしたが、シェイザスは言わせない。
「それに、あなたねえ、初対面の人間に『極秘任務』とかばらしてもいいわけ? 何も考えてないわね? 自分の正体がばれるよりややこしいことになるでしょう?」
「あがっ……! しま、っ、た!」
今更気づいて、大慌てをする彼を尻目にシェイザスは、ため息をつき、ダルシュを冷たく突き放した。それから、レックハルドに向けて、綺麗な笑顔を向けてやる。
「また会ったわねえ」
成り行きをおもしろそうに見守っていたレックハルドは、シェイザスに気づき、少し困ったような目を向けた。なるほど、この間会った占い師だ。綺麗な女だったことと、そもそもレックハルドはこういう怖い美人が苦手なので逆に覚えていた。
レックハルドは覆面を少しはずした。どうせ少しの時間なら、ばれないだろうと思ったし、顔を見せなくて、シェイザスに怒られる方が怖い。
「ああ、ど、どうも、この間は……」
「あれ? レック、この人は?」
ファルケンは、ついに『レック』と平然と呼んでしまったのだが、さすがにレックハルドも、このときはそこには気が回らない。
シェイザスの方に気を取られている。しかも、そのニガテな女が、王国騎士(今は極秘任務中であるらしい)と一緒にしたしげに現れたのだから、興味もあった。
「私は占い師のシェイザス。このダルシュとは、古い知り合いってところかしら」
「……嫌なことだが、幼馴染だ」
ぼそりとダルシュがつぶやく。
「へえ」
騎士らしくない無骨で流れ者っぽい男と、この美しい占い師との取り合わせは、あまりにも不釣合いである。レックハルドは、思わず本当に驚いてしまっていた。
「オレはファルケンだよ。こっちはレックハルドって言うんだ」
レックハルドが相手に気を取られている間に、ファルケンが思わず素直に紹介をしてしまう。
にこりとシェイザスは微笑んだ。
「そう、ファルケン。ところで、あなたは辺境には詳しいみたいね。猟師をやっているんですって?」
「ああ、そうだよ」
ファルケンはにこにことしながら応える。
「ダルシュが辺境に興味があるらしいんだけど、よかったらちょっと話してあげてくれないかしら」
ファルケンは、ダルシュを見た。騎士の中でも背の高い方だったダルシュだが、ファルケンはもっと高かった。
(な、なるほど、狼人っていうのは、こういう感じか……)
こんな大男がたくさんいるのだとしたら、さすがに喧嘩をしかけられたりしたら、自分でも分が悪い。森で下手に接触しなくてよかったかもしれない。とダルシュは思う。
だが、そんな体格に似合わない穏やかな目を彼に向けて、ファルケンは更に微笑んだ。
「ああ、いいよ。オレがどれだけ役に立てるかはわからないけど」
「ほ、ホントか!」
意外と話が早い。ダルシュは、ほっと胸をなでおろす。シェイザスは、愛想よく笑って礼を言った。そして、ダルシュに小声でささやく。
「協力してあげたんだから」
ダルシュの足を密かに踏みながら、シェイザスは更に冷たく小声でささやいた。
「後でなんかそれ相応のものを私におごりなさい。いいわね」
「あ、おい!」
ダルシュは、慌てた。
「オレ、金は~!」
「あなた高給取りでしょ?」
「……喧嘩して減棒食らってるんだ。か、勘弁してくれよ」
「じゃあ、出世払いね。まぁ、月賦でもいいんだけど」
ダルシュの泣き言などいれず、美しい幼馴染は冷たく言って笑った。ダルシュは、ようやくあきらめ、はあと深いため息をついた。
「そういえば、どうしてあなた達はヒュルカに来たのかしら?」
シェイザスは、ダルシュにもはや気を止めず、レックハルドに訊いた。ファルケンが無邪気に笑いながら応える。
「マリスさんに会いに来たんだよな。レック」
「こ、こら! マリスさんの話は~~!」
普段回りに触れ回っている割に、レックハルドは、やたらと慌てた。顔が少し赤くなっている。マリスの話が出たので、ダルシュの方も顔色が変わった。
「ちょっと待て、マリスさんて、ハ、ハザウェイ家の令嬢じゃあるまいな」
「ん? な、なんでお前が知ってるんだよ」
勘の鋭いレックハルドは、ダルシュの顔を見てそれとなく彼の思いを知る。つまり、相手と自分のマリスに対しての気持ちが同じということを…。
(こ、こいつ! まさか、マリスさんに!)
ダルシュの方は、ダルシュの方で警戒の入り混じった目を向ける。
「な、何だ! その目は!」
「べっつに~」
レックハルドは、ふいとそっぽを向く。しかし、そっぽを向きながらしっかりと目の端でダルシュをとらえる。ダルシュもダルシュで、レックハルドから視線をそらさない。
(負けるか! こいつにだけは!)
二人ともそう強く思いながら、静かに火花を飛ばしていた。
あまりにも険悪な様子なので、ファルケンが心配そうな目を二人に向ける。
「ど、どうしたんだろう。喧嘩か?」
「あらあらー、面白い展開になってきたわねー」
スキャンダル好きのシェイザスは、おもしろい展開になったのを見やりながら楽しそうに微笑んだ。
「まぁ、あなたにはちょっと早い話かしらね~」
意味のわからないファルケンは、怪訝そうな顔をしながら三人の顔を見比べる。
「……ほ、ほっといても大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。……あぁ、鞘当てっていうのも、なかなかオツなのよねえ」
シェイザスがうっとりと、つぶやく。
「さ、さやあて?」
やはり意味のわからないファルケンは、言葉を反芻したが思い当たらない。険悪な二人とうっとりとする一人に取り囲まれて、ファルケンは少し困っていた。
そして、不意に気づく。
(あ、しまった! オレ、レックの事、レックって何回も呼んじゃったような……)
レックハルドのほうをうかがうと、彼はそれどころでないらしく、未だに険悪なにらみ合いを続けている。
(どうしよう。後で謝っておこう)
そう決めると少し心が楽になった。ファルケンは、この不可解な現象がおさまるのをしばらく黙って待つしかないのだった。
レックハルドには、その時、余裕がなかった。
もし、彼がもっとぴりぴりと神経を張り詰めさせていたとしたら、きっと彼らから少し離れた物陰で、彼らの様子を見つめている不審な男に気づいただろう。
それが、自分と顔見知りの男だという事も。