3.占い師シェイザス
***
その女は美しかった。
神聖バイロスカートは、かつて竜の王の治める国であったとされている。知恵のある竜は、この地上からすでに消えてしまっていたが、魔力を持っていた彼らは自らの血を引く人間たちにその力を貸し与えることで間接的に現世に存在していた。そうした『竜騎士』と呼ばれる者たちが守るこの宮殿の塔の中で、彼らの存在を確立し、守る為に彼女はいた。
バイロスカートの女王は代々優れた予知能力を持つとされているが、彼女たちもすべて竜の血族であるといわれている。彼女たちは塔に縛られるが、通常の人間よりもずっと長い間若い期間を保っていると言われている。
それが本当なのかどうか、異国の人間である彼には確かめようもないのだが。
磨かれた大理石の床に水晶の透き通った柱。女の顔はその柱に映っても美しいままだった。
白皙に流れる黒髪が艶やかで、そこに涼し気な切れ長の双眸。どこかしら謎めいたほほえみを浮かべている女は、妖艶であり、理知的であり、神秘的な気配をもっていた。
彼は――。
正直、そうした女がちょっと苦手だ。
「ようこそ、バイロスカートへ。ギルファレスの使者殿」
「これは、サラビリア女王陛下。お初にお目にかかります」
彼はそういって、膝をついて丁寧に挨拶をした。
(確かに綺麗な女だけど、……俺は正直こういう綺麗すぎて頭のよさそうな女が苦手なんだよな。ちょっと怖いし)
実は、彼とサラビリア女王との間には政略結婚の話がまだくすぶっていた。今回は遊説で立ち寄っただけなのだが、バイロスカートの重臣たちの中にそれを期待している連中もいるらしく、あからさまにそれを意図した言葉もかけられた。
(まったく、余計な事しやがって。冗談じゃねえよ。予知の姫なんざあ、何を見通されるかわかったもんじゃねえだろうが)
彼は思わずうんざりと心の中で吐き捨てたものだった。
「ふふふ、私も同じだわ」
唐突にそう突っ込まれて、彼はどきりとした。
「な、何かおっしゃいましたか?」
聞き間違えだろうかと思って、愛想笑いを浮かべて尋ねると、サラビリアはやや悪戯ぽく笑った。
「私もあなたと同じといったのよ。貴方は確かに魅力的で刺激的な男だとは思うけれど、政略結婚で嫁ぐなんて冗談ではないわ」
「えっ、いえ、そんな、それは……」
いきなりややぞんざいな口調になり、そう告げてきたサラビリアの視線を受けて、彼は思わず口ごもる。
「いえ、それは、ただの噂でございましょう? 私は貧しい生まれですし、サラビリア陛下とは身分が違いすぎます」
心を読まれたのか、と彼は思わず汗をかく。サラビリアの瞳は、彼の心の裏まで読み通しているかのように静かで涼やかだった。
「噂で済めばいいのだけれどね。私が貴方と結婚することで、この国の安全を守ろうと考えているものもいるみたいね。貴方、相当やり手みたいだから」
ふっと彼女は微笑んで、彼に言った。
「ここには私と貴方しかいないわ。堅苦しい言葉遣いはここまでにしたらいかがかしら、次期宰相殿。窮屈でしょう?」
「は、はは、……さすがは預言の巫女様だな。俺の本性などお見通しってわけかい?」
彼は覚悟を決めて、いっそのこと素の自分で話をしてみることにした。やはり、この女、どうやら少しは自分の心を読めるらしい。となると、下手な小細工は逆効果だ。
「女王陛下には、どうやら嘘はつけないようだ。しかし、俺も陛下と結婚しようなんて思っちゃいないんだぜ。そりゃあ、俺にも出世欲はあるんだが、今以上の身分なんて望むほどには身の程知らずじゃあないんだ。どうせ噂じゃあ、さんざん野心があるようなこと言われてるんだろうけどな」
「そうね、貴方、噂ほど悪い男ではないみたい」
「さあ、どうだろうな。噂も悪い男だが、どうせ俺はイイ奴じゃあないさ。陛下も信用するのはやめといたほうがいいぜ」
彼が答えると、サラビリア女王は美しい顔にほほえみを乗せた。
「貴方は案外面白い人ね。……数奇な運命を背負っているわけだわ」
彼は心を読まれているのもわかっているのに、ああ、この女ニガテだぜ、とうっかり考えてしまうのだった。
「それでは、これからよろしくお願いするわ。……」
最後に名前を呼ばれた気がした。
その名前だけが、どうも聞き取れなかった。
***
「ちょいと道ゆくそのあなた」
何気なく歩いているうちに、声をかけられてレックハルドは、一応顔を向けた。道端に女の占い師がそこに店を出している。
次の町もうすぐの街道筋。この辺りは比較的平和で、追剥や野盗が出ないので、時々、茶店があったり、露天商が店をだしていたりすることもある。そして、まれに会うのが占い師の類だ。
レックハルドは、占いには興味がない。現実主義者の彼は、そんな不確実なものに金を出す気がないので、いつもなら通り過ぎてしまうのだったが、今日はなぜか目を向けてしまっていた。
それは、それが女、しかも目を引くような美しい女だったからかもしれない。
濃い紫の布を頭からかけ、落ち着いた色の長い布を体に巻きつけている。わずかに露出している肌はしろく、なかなか神秘的な印象だった。顔ははっきりとは見えないが、輪郭などから、すでにかなりの美人だということがわかっていた。
それでも普段なら見て見ぬふりをしていくのだが、今日、ちょっと気まずいことは、この街道に人の姿がまばらだということだ。自分に声をかけてきたのは間違いない。かなりの美人、しかも、声をかけてきた。なんだか嫌な予感しかしないのだ。
「なんだい? オレぁ、占いや迷信は信じねえ主義でな。商売ならご遠慮するぜ」
「商売じゃないわ。ちょっといらっしゃい」
なかなか綺麗な声もしている。いよいよもっていかがわしい商売ではないかと思って、レックハルドが逡巡していると、占い師はばっと立ち上がり、レックハルドの手をいきなり引っ張った。
「な、何するんだ?」
「人の好意は素直に受けなさい! ただで占ってあげよーって言ってるのよ!」
「な、何の好意だ? わーっ! 助けろファルケン! いかがわしい女がオレをさらう!!」
レックハルドは、思わず助けを呼んだが、頼みのファルケンは、先程レックハルドが昼ごはんを買いに一足先に町に走らせたので今はここに居ない。
(まずい! コレは絶対に影に屈強な男たちが居る~~!! 美人局か、それとも、前の借金の時の仕返しかなぁ。あちらこちらで色々恨み買ってるから、心当たりがわからねえ~~~! あぁぁ、外国に売られる~~! ファルケン~、戻って来い~~~!!)
冷静な彼だが、心あたりが多すぎることからいささかパニックに陥り、様々な想像が頭を飛び交うようになっていた。それに気づいて女が嫌な顔をする。
「騒がないでちょうだい! いかがわしくないわよ!」
女は不機嫌に言って、かぶった紫の布をぱっと取り払った。はらりと黒く美しい髪が流れた。レックハルドは、ドキリとして思わず目を奪われる。
しろい肌、黒く、美しい流し目。長くつややかな黒髪……。そして、妖艶な唇。年齢は大体二十台の半ばぐらいだろうか。そこにいたのは、普段は王様の宮殿でもなければ、絶対にお目にかかれないような、とんでもない美女だったのである。
(やべえ、ますますもっていかがわしい!)
レックハルドは目を奪われると同時に、先程よりももっと強い疑念にさいなまれた。こんなところで自分に美女が関わるなど、絶対何か裏があるに違いない。
「私はシェイザスというの。旅の占い師ってところかしら」
「な、何が目的だよ。ネェさん」
警戒心をのぞかせながら、レックハルドは仕方なく机の前の席に座る。占い師の定番のように、女の前には、透き通った水晶玉が置かれていた。
シェイザスはうふふと笑った。
「そんなに警戒しなくていいでしょう? 道行くものはみんな旅人。我々はご同業じゃない」
「そういわれりゃあ、そうだけど。同業にロクなやつが居ねえ事もオレは重々に承知しててね」
「なるほど。あなた、顔に似合わず案外賢明ねえ」
少し馬鹿にされた感じがして、レックハルドは少しだけ不機嫌になる。
「あなたのお名前を聞かせてもらえるかしら?」
レックハルドは少々ぶっきらぼうに言った。
「レックハルドだ」
「その由来はご存知?」
「さぁね。オレぁ、天涯孤独って身の上だから、誰がつけたんだか知らないんだけどな。ただ、大昔むちゃくちゃやった、どっかの国の宰相の名前だっていうことは聞いたことがあるけど。まぁ、ロクな名前じゃねえ事は確かだな」
少しだけ嘲笑うような表情を浮かべて、レックハルドは立てた自分のひざの上に頬杖をついた。
「それはどうかしらねぇ。歴史とか伝説は、結局、勝ち残ったものが自分の都合にあうように作るものよ。実際はわからないわ」
「ふーん。そういう見方もできるな」
あまり興味なさげにレックハルドは相槌を打った。
「でも、あなたはその由来の人と負けずとも劣らない、数奇な運命をお持ちだわ。世にも珍しい強運も持っているし、それに運命を切り開く力もある。そして、今は大きな渦中の中にいるわ。普通の人間なら、永遠に関わらないであろう渦の中に」
「何が言いたいんだ?」
「あなた、今、ただならぬ事件に巻き込まれているわね」
レックハルドは、少し笑った。
「そりゃはずれだよ。オレは、別に何も……」
「それはどうかしら。本人は気づかないこともあるのよ」
シェイザスはそういって、ふっと笑った。
「あなたのお連れさんはただものじゃないようね。おまけに、あなた、本当は感づいているんでしょう? でも、何も口にしない」
「なっ、いや、オレは別に!」
そういって、立ち上がったレックハルドを彼女はなだめて座らせる。
「あなたは、非常に珍しい数奇な運命をお持ちだわ。そういうわけで、私の興味としてあなたを占ってみたかったのよ。それに、あなたのお連れさんも少し問題がある人みたいだからね」
「オレが、ああいう連れを持ってちゃダメだって事か?」
ぶっきらぼうにそう聞くと、シェイザスは首を振った。
「違うわよ。それはあなたが判断するべき問題。運命というものは自分で切り開くもの。結果はわからないわ。ただ、流れとしてあなたは、今、渦の中に自分から飛び込んでいってる、といえるかしら」
黙りこんだレックハルドは、腕組みをしてからため息をついた。
「……あんたは、どうやらホントに高名な占い師みたいだな」
「別に高名でもないわ。ただ、勘が鋭いだけよ」
「じゃあ、オレはこれからどうすればいいわけだ?」
「さぁ、そこまでの助言はできないわ」
シェイザスは、美しい微笑みを浮かべた。
「……でもね。覚えておきなさい。レックハルド。あなたの運命はあなたの手で切り開かれるでしょう。それが、どんな結果を生んでも、それはあなたの行動が生み出した結果でもあるのです」
占い師らしい口調でそういって、それからシェイザスは、くだけた感じの表情になった。
「まぁ、私の占いはここまで。後は、自分で考えるのね」
「ぜ、ぜんぜん占いになってないじゃないか」
「私のほうは十分情報が取れたからいいのよ」
にまり、とシェイザスは微笑む。
情報ってなんだ? レックハルドは不安になったが、聞くのも恐ろしい気がして何も触れられずにいた。
「それはそうと、行商人って事は、あなた、ほかにも色々な情報を持ってるんじゃない?」
「それは、ネェさんも同じ……」
言いかけた彼の言葉を、シェイザスは封じ込めた。
「私が知らないような情報を探してるのよ! どこどこの伯爵夫人の道ならぬ恋とか、将軍の馬鹿息子の恥ずかしい話とか! あなた、聞いたことはない?」
ぐいっとシェイザスに迫られて、レックハルドは少し身をのけぞらせた。美人に詰め寄られているのに、嬉しいどころか、むちゃくちゃ怖い……。それほど、シェイザスのどこから来るのかわからない迫力が凄かったということなのであるが……。
「つ、つまり、醜聞が聞きたい……ってことか?」
「そうよぉ。私、そういう話に目が無くって。ねぇ、そういうのを教えてくれたら、その背中の布のうち、もっとも綺麗なものを買ってあげるわ。だから、教えてほしいのよ」
(……あぁぁ、どうしよう! 商魂がわいてこないぞ、この状況! この女、恐い!)
商人の鑑のような商魂の持ち主の彼だが、どうも、こういう女は苦手だ。
とんでもない美人で頭が良さそうでついでに気も強いような、こういう女はどうも苦手なのだ。
「わ、わかったよ……。じゃ、じゃあ、話を一つ……」
そういって、レックハルドはこの状況から逃れるためにも、とっておきのスキャンダラスなネタを彼女に話すことになったのだった。
*
「さて、次はキルファンドでも目指そうかしら」
レックハルドから、ある公爵と村娘の身分違いの恋物語をちゃんときいたシェイザスは、薄紫色の布を手に、鼻歌を歌いながら店を片付けていた。
ナナスーでもずいぶんと商売をしてきたが、不思議な運命を持つ人間にも出会ったことだし、そろそろ王都キルファンドのような都会に出かけるのも悪くない。レックハルドから買い取ったこの布で新しい服も仕立てたいし……。
と、不意に空が暗くなった。振り仰げば、太陽が黒い靄のようなものに食われていくのが見える。また日蝕が始まったのだ。
シェイザスは憂鬱そうに言った。
「全く、この兆候を正しく読み取れる人が、世の中にはなんて少ないのかしら」
日蝕の時間はさほど長くはないものの、暗くなると不埒な連中も多くなる。シェイザスは手早く片づけを済ませようとしていた。
そのとき、
「おい」
乱暴な声がかかり、シェイザスは冷たく言った。
「もう終わりでしてよ。旅の人。他を当たってくださいな」
「そうじゃねえ」
随分しつこい。これは、もしや何か絡んできているのだろうか。ちょうど日蝕が終わりかけ、世の中は少しずつ明るくなっていた。シェイザスは、むっとして声のするほうをキッとにらんだ。そして、すぐに頬を緩めた。
「なぁんだ。ダルシュじゃない。お久しぶり。てっきり、どっかの不心得者かと思ってしまったわよ」
少し日焼けした顔の背の高い青年は、黒い、ちょっと寝癖の付いた髪をばりばりかいた。
「お前みたいなおっそろしい女に声をかけるような不心得な男がいたら見てみたいもんだね」
「なぁに、その言い方は! 仮にもカルヴァネス王国の騎士が言うようなお言葉とは思えないわね!」
少しふくれて、シェイザスはじろりと相手を睨む。普通なら、ここで大概の人間は怯えるだろうが、彼はかなりなれていたようで、あまりそれではひるまない。
「実際恐いじゃねえかよ、お前なんかさあ」
「何の用?」
シェイザスは冷たく尋ねた。
「いや、仕事でナナスーに派遣された後で、今からキルファンドに帰るんだが、お前らしい占い師が店広げてるって聞いて、ついでに馬に乗せてやろうかなと思って」
シェイザスは、くすりと笑う。
「まぁ、ご親切ねえ」
「お前みたいな女でも、物好きがいるかもしれねえから。一人歩きも危ないと思ってさ」
「物好きってのは余計ね。言っとくけど、私はあなたが一生かかってもお目にかかれないような絶世の美人の部類に入るのよ。そんな女とお友達って環境は、あなたにはいささか贅沢だわ」
「言ってろ、言ってろ。で、乗るのか、乗らねえのか?」
まるで本気に聞かず、ダルシュは男友達に対するような素っ気ない言葉をかける。
「もちろん、利用させていただくわよ~。足で歩くと疲れるものねぇ」
シェイザスは、そういってにこりと笑う。
シェイザスを鞍の後ろに乗せて、ダルシュはゆっくりと街道を進み始めた。シェイザスは、ダルシュと背を合わせる形でおり、買ったばかりの布を物色している。なかなか綺麗でしかも上物だ。シェイザスは、彼の見立てに満足した。
(あのボーヤ、なかなかの商売人じゃない。)
そして、不意に思いついたようにダルシュの顔をのぞいた。何をそこに見たのか、シェイザスはくすくす笑い出す。少しむっとしてダルシュはシェイザスを睨んだ。
「なんだよ?」
「あなた、物思いの相が出てるわねぇ? また、一目ぼれでしょ?」
「ち、違う!」
「隠してもあなたの場合すぐに色に出るからわかるのよ? で、次はどこのどこ人?」
「う……、いや、その、ヒュルカのハザウェイ家のマリスさん……」
そういって、ダルシュは柄にもなくポッと顔を赤らめる。
「あの名家の娘さん? あぁあ、そりゃああなたには荷が重そうねえ。連続失恋記録更新かしらぁ」
「な、なんだと! ハナッから決め付けるなよ! オレにだってチャンスの一つや二つ」
「なんか、すごく大きなライバル出現の兆しが出てるもの」
くすくすとシェイザスは笑う。
「まぁ、せいぜいがんばりなさいな」
「ちぇっ!」
ダルシュは詰まらなさそうな顔をしたまま、馬を進めた。
「でもいいのぉ?」
「ん? 何だ?」
「私みたいなのと、馬の二人乗りなんかして変な噂が立ったら、あなたの恋の障害にならないかっていってるのよ?」
ダルシュは、ハッと鼻先で笑った。
「お前みたいなやつ、絶対女に見えねえから安心しろ! 噂が立つわけな……あいて!」
いきなり、マントを後ろから引っ張られ、ダルシュは首を絞められる形になった。どすの聞いた声が、後ろから響く。
「いい度胸ねえ。私は、世間から見て女に見えない面ってわけ?ええ?」
「おい! やめろ! 手綱が!! 落馬する!!」
「すればいいじゃないの、この馬鹿騎士!」
にぎやかに言い合いながら、この青年騎士と曰くありげな美しい女性の乗った馬は、やがて街道の向こう、キルファンドを目指して徐々に小さくなってゆくのであった。