1.雨宿り
ざーっと木の葉を雨粒が打つ音が聞こえていた。
普段は憎たらしいほど緊張感がなく、無意味にぽかぽかと穏やかに道を照らす太陽だが、今日のように雨が降って顔をてんで出さないようになると、何となく寂しくなるものだ。
「よりにもよって、辺境で雨宿りとはなあ」
レックハルドが、湿気を疎むような口調でいった。
木の下で雨宿り。
それも辺境のど真ん中というあたり。
めったに経験できることではないけれども。
今、レックハルドは、あまり辺境の外では見ない、大きな大きな木の下に座っていた。
葉がびっしりと生い茂っているから、あまり雨が落ちてこない。それでも、少しは頭の上に落ちてくるので、レックハルドはぬれたターバンをはずしてたたんで直しておいた。ぬれた黒髪が、べったりと肌に張り付くのは気持ちのいいものではなかった。
「いい加減やんでくれねえと、今日は辺境に泊り込みになりそうだぜ」
ふぅとため息をつく。
この前、辺境狼に襲われたばかりなので、レックハルドは、あまり辺境の奥には居たくなかったのであるが、街道筋に雨宿りする場所もなかったので仕方がなく、ファルケンに連れられて辺境の森に入ったのだ。
「ちぇ」
舌打ちして、ぐたりと木にもたれかかる。
向こうのほうで、バシャバシャ水を蹴散らしながらこちらにやってくる人影が見えた。何か大きな葉のようなものを持っている。
「お、帰ってきたか? ……何とかしてくれよ」
レックハルドは、相手に向かってぬれた髪の毛を示した。
「全く、びしょぬれだぜ。あぁぁ、持ってた商品が昨日全部売れて、今日は在庫がなかったってのがせめてもの救いかなぁ」
「天候だけは誰にも変えられないだろ?」
仕方ないじゃないか。とファルケンは答え、走るのをやめて、ゆっくりとこちらに歩いてきた。ファルケンの髪の毛は、水にぬれて金色というよりはほとんど緑色に近い色になっている。
世間にはいろんな人間がいるが、さすがに緑の髪の人間はいない。普段ならともかく、ここまで髪の色がはっきり目立てば何かわかりそうなものだが、レックハルドはなぜかそのことには一切ふれなかった。
それよりも、レックハルドが目を奪われたのは、彼がもっている特大のフキの葉っぱだった。人が三人ほど座れるぐらい大きいものと、少しそれより小ぶりのものの二本……。
「おい……。オレは確か、傘を町で買って来いっていって……。お前なら足速いから」
呆れ顔で声をかけたレックハルドに、何を聞かれるのか、すでに気づいたファルケンは、けろっとした顔で説明を始める。
「あぁ、これは、辺境ヤマブキの葉っぱで、このくらいの大きさなら傘になると思ってさ」
「それはわかるわ! フキの傘もってウロウロなんて、童話のカエルぐらいしかやらねえぞ!」
「それは、フキが小さいからだろ。辺境のフキはでっかくて、人間も傘にできるから、普通に外にこんなのが生えてたら、きっと人間も傘にしてるはずだぞ」
「外にこんなでかいのが生えててたまるか! あぁ、もう疲れた。貸せ!」
「文句言いながら、結局、使うんだなぁ」
「うるせぇな」
ファルケンが、フキの葉っぱの小さいほうをレックハルドに渡した。茎もがっしりしていて、普通の傘の柄よりもしっかりしているほどである。それを頭の上のほうに回すと、頭上からの水滴は、彼の頭をぬらさないようにはなった。落ちてくる雫が、葉っぱをたたいて時折、音を鳴らす。
ファルケンは、レックハルドのそばに腰を下ろしながら付け加えた。
「それに、これは小さいほうをとってきたんだ。辺境ヤマブキは巨大なものになると、人間が十人ぐらい縦に並ぶぐらいの直径の葉があったりするし。それに、レック、普段お金使うの嫌がるから、ただのもので済ませたほうがいいと思って」
珍しくファルケンが理屈にあったことをいうので、レックハルドは少し横目でファルケンを見た。
「お前、最近、ちょっと理屈っぽくなったな?」
ファルケンは、首を少しだけ傾げた。
「そうかぁ?」
「いーや、前はもっと口が回らなかったっ!」
レックハルドはそういって、頭の後ろに右腕を回した。
「猫かぶってたろ? すっかり騙されちまったかわいそうなオレ」
「そうでもないけどなぁ。あ、そっか。レックがやたら理屈っぽいからうつったんだな」
「オレのせいにするなっ! オレのどこが理屈っぽいんだ!」
レックハルドは起き上がった。ファルケンは、無邪気に笑っている。
「全部。んー、基本、理屈っぽいと思うけどなぁ」
「な、何が全部だ」
レックハルドはむっつりとした。
「オレは、ただだな、言葉の力を最大限に引き出そうとしているだけでだぞ。暴力に訴えると負けるから、言葉の力で覇者になろうとするほうが、世の中平和で……」
「ほら、そのあたりが……」
「う……」
ファルケンに突っ込まれて、レックハルドは、苦しげに黙った。今のは、完全に墓穴を掘ったが、よりによってファルケンに突っ込まれるなんて思いも寄らなかったので、レックハルドは少し自己嫌悪に陥った。
「ちっきしょー。あぁぁ、つまんねえ!」
レックハルドはふいとそっぽを向いてふてくされた。そして、何気なく話題を逸らす。
「なんか、面白いことねえかなぁ。雨の日なんて、商売上がったりだし最悪だぜ」
「そうでもないと思うけどなぁ、オレ」
ファルケンが口を挟んだ。
「たとえば、雨の辺境はなかなかおもしろいしさ」
「お前にとってってだけだろ?」
「それはそうかもなぁ。レックが歩いたら、底なし沼とかに突っ込みそうだな」
「さりげなくひどい事言ってくれるな。お前はよ!」
「そうかなぁ」
ファルケンがのんびりと応える。
「やまねえなぁ」
「そうだなぁ」
のどかな会話をし、あまりの退屈さにレックハルドは不意に眠気を感じた。「まぁいいや」と彼は思う。
(ファルケンもいることだし、何か来ても大丈夫だろう。このまま、ファルケンととぼけた会話していると、いよいよ頭にカビが生えそうだし。)
そう決めて、しばらくレックハルドはまどろむ事にした。
「レック〜?」
レックハルドが眠ってしまったのには気づかなかったらしい。雨の辺境をぼーっと眺めていたファルケンが、思い出したように声をかけた。
「レック~? あの、オレ、聞きたいことがあるんだけどー?」
ファルケンは、荷物袋から小さな麻袋を出してその中身を取り出しながらたずねた。寝込んでいるレックハルドからは返事はない。
「レック? 何だ……寝ちゃったのか」
しとしとと雨が降る。
ファルケンは、邪魔しないようにしなきゃなぁ。と小声でつぶやいて、正方形に布を広げ、その上に袋の中身を開けた。ビーズのような丸い石や木の実らしいものなどに混じって、木の繊維を撚って作ったらしい糸やきれいな鮮やかな色をした鳥の羽などがばらばらと布の上に散らばった。
「せっかく、好みを聞こうと思ったのに……」
聞けないなら適当でいいかと思って、ファルケンはレックハルドが好きそうな色と、彼が判断した色のものを選んでいった。金属製の針に糸を通し、ファルケンは見た目とは裏腹に器用にそれを扱っていった。
***
雨が降っている。
そこは、立派な城か屋敷の一室だった。
窓の外では雨が降っていて、しとしとと音がする。
「ちッ、ずいぶん長雨だなァ」
彼は外をのぞきながら舌打ちした。
「洪水になったらどうしてくれるんだい。適当に上がってもらわねえと辛いんだがな」
「宰相殿、よろしいですか?」
「嫌って言ってもどうせ入ってくるんだろ。入れよ」
彼はひどく口が悪い。
自らいわく育ちが悪い。
一国の宰相となった今では、さすがに公の場では丁寧な言葉遣いをしているが、いったん自室に入ってしまうとこんなものだ。
やってきた部下は、行儀悪く足を組んで座っている彼を見とがめることはしなかった。いつも通りの彼なのだ。
「何の用だ?」
「宰相殿に贈り物が届きましたので……」
「誰から?」
「いえ、それが貴方に贈り物だという書置きしかなくて……」
「怪しいな。毒でも入ってるんじゃねえ?」
「食べ物じゃないんです。なんだか腕輪みたいなもので……、でも捨てましょうか?」
そういって部下は持っていた布を広げた。それをひょいと一目見て、彼は納得した様子になった。
「あー、それは守護輪っていって、辺境のお守りみてえなもんなんだよ。それなら気にすることはない。誰かが俺にコッソリ俺にくれたんだろ。もらっとくわ」
青い石のビーズで作られた腕輪を布に包んで持ってきた部下に、彼は言ってそれを手に取った。
「狼人ですか?」
「そうだ。俺はメソリアやらバイロスカードへの訪問の回数も多くてな、おかげで狼人の知人もソコソコいるもんでねえ。あいつら、時々貢物をくれるんだよな」
彼はどうやら狼人に対する嫌悪がないらしい。そのことを意外に思ったらしい顔をした部下に、彼は苦笑した。
「なんだ? 俺があいつらと仲良くしてるのが不思議そうだな。別に不思議なことじゃないだろう。メソリアやバイロスカートとうちは同盟国で、あいつらは狼人と共存している国だ。俺はヨメのこともあって、あいつらと関係が深いのさ。あいつらは特殊な掟に縛られているが、別に悪い奴じゃない。話も十分に通じるし、本当は普通の人間とさほどもかわらないんだよ」
「それはそうですが……。いえ、陛下が辺境の開拓を推し進めているだけに……」
ふん、と彼は面白くなさそうに言った。
「あの小僧、何もわかっていやがらねえからな。俺が今のところ反対して止めてるが、今後の状況次第では……」
「メルシャアドのカルナマク王が辺境との共存を決めたという話もありますが、陛下はメルシャアド周辺から辺境を侵略するおつもりですしね」
「ああ」
彼はうんざりといった。
「カルナマクの出方次第では、あの小僧を刺激する。……そうなると暴発する危険もあるからな。ちッ、ここんところ、この長雨みてえにうっとうしい話しかねえよ」
彼は舌打ちして、窓の外を見やる。
まだ雨はやみそうにない。かすかに遠雷が聞こえていた。
***
突然、すさまじい轟音が鳴り響き、レックハルドは夢の世界から現実に引き戻された。
「な、なんだ? なんだ? 酒屋の樽が一気に落ちてきたのか!」
大砲を一斉射撃したときのような、振動を伴うすさまじい音だった。
寝起きのレックハルドが酒屋の樽が~などと騒いだが、酒屋の樽レベルではどう考えてもなかったわけだ。ともあれ、慌てて左右を確認する。すると、横でファルケンが落ち着いた顔をして先ほどと同じ位置で座っていた。
「あれ? レック、目ぇ、覚めたのか?」
「目ぇ、覚めたって、今すさまじい音が」
「あぁ、あれねえ。ただの雷だよ。気にすることないない」
ファルケンはにこやかにそういうが、実際はかなりすさまじい。稲光が走った後、またすごい音が響いていた。
「な、なにのんきなこといってるんだ。落ちたらどうするんだよぉ」
さすがのレックハルドも、雷はそれなりに恐いらしい。
「大丈夫だって、そんなに近くないもん」
ファルケンはそう応え、手元の作業を黙々と続けている。気になって、レックハルドはひょいと彼の手元を覗き込んだ。
「なぁにをやってんだ?」
「あぁ、これ?」
ファルケンは、作業を中断して、じゃらりとその数珠のようなものを引き上げた。
碧と青の石をつなぎ合わせて作った後、不思議な模様の細工の入った金属の板とつなげた腕飾りのようなものだった。それに、青い小さな鳥の羽が二つか三つつけられていた。
「あれ? それ、お前が作ったのか?」
「一応な~。ちょうど、できたところなんだ~」
ファルケンは何でもないことのようにいったが、レックハルドのほうは少なからず驚いたようで、彼の手からそれをぱっと奪い取った。元スリという彼の経歴をうかがわせるすばらしい手並みのよさである。
「お前、見かけによらず器用なんだな? で、これ、売り物にすんのか? だったら、オレが売ってやるぜ。これなら、560ベートぐらいで売れるぜ。綺麗だし、珍しいからな!」
すぐに勘定をはじき出すのは、レックハルドの悪い癖である。ファルケンは、にこにこしたまま、
「そうだなぁ。売ってもいいけど、それはちょっと特別製だからレックにやるよ」
「いいよ。オレは。女の子じゃあるまいし、こんな装飾には興味がねえ」
「マリスさんのとおそろいで作ったんだけど」
そういって、ファルケンが出してきたのは、ほとんど同じデザインだが、今度は赤やオレンジの暖色のビーズや羽で作ったものだった。
「もらった!」
(これをファルケンがマリスさんに渡せば、もしかして、おそろい!)
世界がマリス中心で回っているレックハルドは、それを見た途端即答する。ファルケンは、心の中で少しだけほくそえんだ。きっと素直に身に着けないだろうと予想していたので、あらかじめ罠を張っておいた甲斐がある。
「それは、お守りみたいなもんで、辺境のいろんな危ないことから守ってくれるんだ」
「ホントか~?」
いいながらも、マリスとおそろいならどうでもいいレックハルドは、早速いそいそとそれを腕にはめてみる。
「そうそう。この前みたいな危ない目にあわない様に、な。辺境の獣たちは、普通金属の光を嫌うんだ。ここに銀を使ってるから、あまり寄ってこなくなるとおもう」
「そういや、この前も、お前が剣抜こうとしたら、逃げたよな。ふーん、そういう効果があるんだ」
納得したらしく、彼はそういってじゃらりとはめた飾りをまわしてみた。青い石がきらきら光る。
「ありがとよ! じゃ、早速ヒュルカにいって、マリスさんに贈り物しなきゃだな~~!!」
レックハルドは、もうひとつの色違いのほうを受け取ると、皮袋に丁重にしまっておいた。ものすごく上機嫌である。ファルケンは、その様子を見てどうやら作戦が上手くいったことに、安堵する。
(これで、しばらくロゥレンも手出しできないだろうし)
再びすさまじい雷鳴が轟いた。
レックハルドは、びくりと肩をすくめ、不安そうに空を見上げた。
「大丈夫か? この木に落ちねえだろうな。高いところに落ちるっていうだろ。ここに落ちてきたら、オレ達、かなり危ないことに」
「大丈夫だって。実は、この木は聖なる木グランカランだったりするんだし」
「グランカラン?」
きょとんとしてレックハルドは尋ねた。
「そうだよ。神聖な木でね、辺境の中でもこの木だけは特別なんだ。辺境の大精霊が宿っているともされている特別なものなんだよ」
「へぇ、やけにでかいと思ったら、そうだったのか。って、そういう問題じゃねーだろ! 聖なる木でも落ちる時ゃ落ちるわ!」
「グランカランに雷が落ちたら、そのときは天地がひっくり返るよ。そのくらい珍しいことなんだから」
けろりとした顔をして、ファルケンはビーズや羽などを袋の中に片付けた。
「でも、夜まで辺境で過ごすとちょっと危ないからなあ。そろそろ、町に向かったほうが良いかもな」
「事態が悪化してから言うなよ!!」
「だって、レックが寝てたし、邪魔したら怒ると思ったから」
「うぐ……」
ファルケンの言うことももっともなので、レックハルドはこたえられなくなった。
「わーったよ。じゃ、行こう。傘もあることだし、雷に打たれなきゃ生きて帰れるだろうからさ!」
いささか投げやりにいってから、レックハルドは立ち上がった。
「おー!」
相変わらずのんきなファルケンの態度を見て、レックハルドはため息をついた。
足元で、バシャバシャ水溜りを蹴飛ばしながら、辺境ヤマブキの巨大な傘で歩くと、それでも何となく楽しくなってくる。思わず童心に返りそうになるが、ファルケンの手前、レックハルドは虚勢を張ってむっつりしていた。
「なんか、楽しいなぁレック」
そういった途端にパッと稲光が走る。
「雷の中、何が楽しいんだ?」
「でも、レック。時々、すごい楽しそうに歩いてないか?」
ぴた。とレックハルドは足を止めた。後ろから見ているファルケンからは、時折、レックハルドの足が軽やかに水溜りを蹴っているのが見えていたらしい。
「オレのことはどうだっていいだろ、ったく!」
レックハルドは苦し紛れに怒鳴りつける。
「あぁ、もう! 歩く歩く! 早く街まで歩くんだ!」
「はーい」
すっかりレックハルドの気性を飲み込みはじめたファルケンは、ずいぶんと余裕を持って軽い返事をした。意外とかわいいところもあるものだ。
再び、閃光が走る。
と、ファルケンが足を止めた。光の中で人影が一瞬だけうつったのが見えたのだ。
「ファルケン? どうし……」
たずねようとしたレックハルドを、ファルケンは手で制した。
「……誰だ。あんた……」
稲光が光るたび、色素の薄い髪の毛が透けて見える。レックハルドも、人影に気づいてぎょっとした。辺境で他の人間とぶち当たるなど、あまりにも珍しい。いや、人間ならまだしもいい。もしかしたら、「人間」ではないのかもしれない。
長い、ふわふわした髪の毛をしていた。背が高い。男だろうか……。生成りの布をマント代わりに巻きつけていた。中は黒い外套を着ているようだ。
この豪雨にも関わらず、彼はあまりぬれている気配がなかった。
「珍しいな」
少し低めの声が聞こえた。
「同族と会うとは思わなかったぞ」
「ネイシーダルシェアン?」
ファルケンの顔色が変わり、途端、レックハルドが聞いたことのない言語が、彼の口から飛び出した。どきっとして、一瞬身を引いたレックハルドのほうを見ないでファルケンはいつもより少し早口で続ける。
「『お前は誰だ? このあたりは、レナルの縄張りだぞ。レナルのところのじゃないな? 一体、どの群の所属なんだ?』」
ファルケンは、少し身構えながら相手を観察した。見覚えがなかった。相手は、ふっと笑ったように見えた。稲光が時折、光を与えるだけで、辺境の森はいつもよりも暗い。相手の外見が少しわかるぐらいで、顔立ちなども見えない。
「『そういうお前も、見覚えがないな。おまけに人間と一緒だとは……。古代言語を使うところを見ると、人間に正体を知られたくないということか?』」
相手も彼と同じ言語で返す。かすかに笑っていた。
「『辺境の狼人、は、確か集団で行動するはずだが? 何故お前は一人でいる?』」
「あんただって、そうじゃないか!」
思わず、普段の言葉に戻り、ファルケンはハッとして口を押さえた。気を取り直して、再び言葉を変える。
「『あんたには何か嫌な感じがする。何かの悪意が感じられるんだ。何の目的で辺境に来たんだ? あんた、何か辺境に悪いことをする気だな? そんな感じがする。一体、お前は何をしに来た?』」
「『言う必要があるのか? 言ったら止められるというのかね?』」
「『……それじゃあ、お前は……』」
言いかけたファルケンが、さっと身を引くと同時に、相手の男がバッとマントを広げるのが見えた。
ふっと彼の前の草が風を受けてざわめいた。ファルケンは、そのときになって敵の術中にはまったことを悟った。強い風が彼の体を巻き上げる。風に押される形で、ファルケンは後ろに吹っ飛ばされて茂みの中に突っ込んだ。
「ファルケン!」
レックハルドは茂みのほうを振り返り、それから、キッと相手をにらんだ。ちょうど、稲光が彼の方を照らし出した。
若い男だった。背は、レックハルドよりも少し高い程度。ほっそりとした華奢な体をしていた。色の薄い髪の毛が、腰のほうで、動物の尻尾のように揺れていた。
「テメエ、覚えてろよ! 今度会ったときは、絶対仕返ししてやるからな!」
捨て台詞を吐いたが、自分の非力さを思い出してレックハルドは小さく、
「ファルケンが!」
と付け加え、フキの傘を捨てると茂みのほうに駆け寄った。
男は、少しため息をついた。細い目を伏せ、先ほど、レックハルドがいた場所を眺める。ファルケンからそう離れていない。レックハルドも飛ばされて然るべき位置だったのだ。
彼は、レックハルドの手に緑色の腕輪がはめられていたことを思い出し、ふっと微笑を浮かべる。
「そうか。あれのせいか? ……なるほど。守護輪を与えられるとは、ずいぶんと信頼されているらしい」
納得がいくと満足したのか、男は背を向けて足早に去っていった。
「おーい、ファルケーン!大丈夫か?」
茂みの辺りを探し回っていると、でガサガサ音を立てながら、ファルケンが起き上がってきた。頭にぬれた葉っぱがついている。
「いてて……。油断したなぁ」
ファルケンは、頭の葉っぱを払いながらそうつぶやいた。
「油断って……? 今の何だ? あいつ、何もしてなかったよな?」
「多分、風を操ったんだと思う。オレの前につむじ風が起こったみたいだった」
ファルケンは立ち上がりながら応えた。
「方法はよくわかんないけど、そういうことができる連中がいるって話はきいてる」
少し信じられないような顔をしながらも、辺境だから何でもありか。と納得して、レックハルドはうなずいた。実際、考えられないものがたくさん存在するのが辺境だ。
「なるほどなぁ。魔法使いみたいなもんか? で、お前、あいつと知り合いか?」
ファルケンは、困った顔をした。あまり話すと、もしかしたら、正体がばれてしまうかもしれない。
「……知り合い……じゃないけど。あの……」
ファルケンが言いにくそうにしているので、レックハルドはすぐに問いを撤回した。
「まぁいいや。オレは突っ込んだことは詮索しねえ主義だからな。お前が嫌なら話さなくっていいぜ。それにしても、あの野郎、すかした顔しやがっていけすかねえ……」
レックハルドは、傘を捨ててきてしまったので、全身すっかりぬれていた。ぬれた自分の顔を手ぬぐいで拭きながら憤然と言う。
「ファルケン。今度、あいつに会ったら遠慮なく殴れ。オレが許す。あーいう、失礼かつ無駄に二枚目なやつは、一回殴らないとわかんねえからな!」
「……ぼ、暴力的だな。レック」
少しあきれたような言い方をしながら、ファルケンは少し微笑む。
「でも、レックが無事でよかったなぁ。お守りが効いたかな?」
「まぁなぁ。お守りのご利益はよくわかんねえけど、とりあえずは無事だ。お前のほうも目立った怪我はしてないし、まぁ、よかったよな」
「あちこちに葉っぱが入っちゃったけどな」
少し、雷が遠くなったようだ。徐々に雨の強さが弱まっていく。このぐらいなら、なんとか街までたどり着けそうだ。
「それにしても、やーなやつだったな」
「うん」
珍しくファルケンが素直に他人を「嫌なやつ」だと肯定するので、レックハルドは少し驚いた。こんな事は初めてだ。
「何か、あいつ、すごい嫌な感じがするんだ」
ファルケンはそう応えて、先ほどあの男がいたほうを眺めた。
彼がいる気配はすでになかった。