因果応報
あらすじ、キーワードを読んで平気そうでしたらどうぞ。
結婚の相手が決まったと、すでに爵位を俺に譲渡していた父に言われ、その告げられた相手の名に俺は愕然とした。
「な、なぜ……」
その言葉は思わず口から出たのだが、それを聞き止めた父は深く刻まれた眉間のシワを更に深くして答えた。
「お前ならわかるだろう。かの家はすでに当家にも引けを取らないほど力をつけている。この辺りで婚姻を結んでおけば得になることはあれど、損になることはまずない。それに王家に縁深い我々が、かの家の防波堤なるのは定石だろう」
確かにその通りだった。
仔細は不明ゆえ真偽も計れぬ噂が幾つも立ち上る、かのトリスター家。
それが俺の結婚相手の姓。あの家には未婚の娘が何人かいた気がするが…一体誰が来ると言うのだろう。
名前を聞いても、そもそも向こうの娘の顔と名前が一致しないためあまり役には立たなかった。
トリスターの人間は皆見目麗しい。俺もわりと格好いいだの素敵だのと持て囃されてはいるが、一族揃って美形というのは逆に個人を特定しにくいと俺は前々から思っていた。
顔合わせの前に行われた夜会で一目顔を見てやろうとその場に臨めば、かの家の娘は何人かいたもののやはり自分の相手が誰なのか判断がつかない。元々交流のない家に挨拶をしに行くのもおかしいと思い結局何も出来ず何もわからなかった。
ただ、かの家のなかでひとり、落ち着いた雰囲気をまとった思慮深そうな瞳の娘は、なんとなく好ましいなとぼんやり思った。
「だが、何故よりにもよってあの家なんだ……」
俺は侯爵家を継ぐもので、そのためにはいつかは結婚して家を将来に存続させていかなくてはいけない。
そしてこの由緒正しいヴァイス家と縁組みしたい貴族は多い。加えてこの女受けする容姿……つまり言ってしまえば選り取り見取りなのだ。
だからわざわざ悪名轟くトリスター家なんかと婚姻しなければならない理由はないはず。………しかし父の言うこともまた事実。
我が家ほどの権威を持つ家は少ない。いや、ないと言っても過言ではない。そんな我が家に匹敵する力を持ち始めているのだトリスターは。
見るに人海戦術──婚姻で有望な相手と縁を持つ──そのお陰で開拓された航路を使い更にその商売の範囲や種類を増やし金銭を得る。
そうして得た金銭と人脈を使い自治領を開墾したり領民の教育、領地護衛の騎士を育成などして領内を着実に豊かにしていっている。
下手をすればその領地は王都よりも発展しているかもしれない。
その発展ぶりを妬んだ他の貴族が有る事無い事言いふらしているのが噂の原因だとは知っている。だが一概にただの噂だとも言い切れない。腑に落ちないことが多いからだ。
なぜトリスターは人質に差し出すかのように娘たちを嫁に出し、人質を取るかのように嫁を貰うのか。そこに、後ろ暗い理由が全くないなんて何人が言い切れる?
そうやってできた資金で領内を発展させるのはなぜか。いつかこの国に反旗を翻し、下剋上の後か独立でもして一国の主にでもなるつもりではないのか?
どうしてここまでして領地を繁栄させようとするのか、目的がわからないからこそ穿った見方で考えてしまうのだ。
結婚はしなければならない。相手がトリスターである事も背景を鑑みればしょうがない。
そうは思えども。俺は、この婚姻が憂鬱で仕方なかった。誰が“化け物”が住むという家の娘など好んで娶るものか。
『──だから私が君を愛することはない』
あれは牽制のつもりだった。トリスターの思惑がどうであれ俺の目が黒いうちはおかしなことはさせないという意思表示であったのだ。
きょとんとするあの思慮深い瞳に、悪意や邪念の類はまるで見つけられなかったけれど。
むしろ俺の言葉に納得しているようでさえあるその平坦な様子に何故か胸を抉られるような痛みを覚えても。
俺は、ひたすらに、愚かだった。
こんな風になるなんて………わかっていればこうはならなかったのに。
できることなら初めからやり直したい。
『私は、お慕いしておりませんよ』
彼女は言いたいこと言うとスッと目線をその膝に抱えた本に戻してしまった。その場にはとてもじゃないがいられずに母を呼びに来ただろう俺と入れ違いに入ってきた息子が、妙に生暖かく、可哀想な目で俺を見ていることに気づきたくはなかった。
妻として迎えたのは、あの夜会でなんとなく目を惹かれた彼女だった。他の姉妹よりも控えめで静かな雰囲気の女性で、キラキラした姦しい女が得意じゃない俺は内心ほっとしていた。
だがほっとしたのも束の間、彼女はトリスターの人間だと思い直す。年頃の娘にしては冷静を通り越して冷徹ささえ感じさせる温度のない瞳に油断は禁物だと警戒心を持ち直した。
そうして始まった彼女との新婚生活。それは新婚とは名ばかりのひどく冷めきった生活だった。交わす言葉は「おはよう」だとか「いってきます」だとかそういった挨拶ばかりだったし、もっと媚を売ってくるかと思えば俺に近寄ろうともしない。
たまに近寄ってきたかと思えば、本のおねだりでそれも馬鹿高い宝石やドレスなんかとは比べ物にならないほど安価で購入できる物ばかり。本にしては高いものをねだってくる時もあったがそれは年に一度か二度。それも計ったように彼女の誕生日だったり結婚記念日の近くでプレゼントとしては最適ではあった。
それ以上を彼女は求めてくることはなかった。
社交界に出れば夫である俺の一歩後ろに控え、洗練された美しい仕草と言葉で挨拶相手をさばき、既婚だというのに近寄ってくる令嬢たちにも悋気を起こすどころかなだめすかしまだ未婚の貴族男性のもとへやんわりと送り出していく手腕はあっぱれとしか言いようがなかった。
「すまない、助かった…」
と、思わず零せば、
「トリスターの娘として、そしてあなたの妻として当然のことをしたまでです」
なんてことないと言わんばかりに貴族の武器である内心を悟らせない作られた笑顔で答えられた。
その顔に胸が痛みで疼くのには気がつかないふりをした。
生活を共にしていけばすぐに、トリスターは兎も角、彼女が、俺に対して疚しい気持ちなどないことはわかった。
必要以上に物を求めることはない。外に出れば完璧に妻の役目を果たしてくれる。家の中でも決して近づきすぎることはないが、出迎えや見送りは必ずしてくれた。どちらかといえば、献身的な妻だ。いや、とても理想的な妻だ。
そんな妻に絆されるのも、遅いことではなかった。
しかし。
俺は新婚初夜で、今思えば余計なことを、妻に吐き捨てている。
………そう、あの一言だ。
戻れるのならば戻ってあの時の自分をぶん殴りたい。なんて馬鹿なことを言っているのかと。
だけれど時間は残酷だ。過ぎ去るばかりで戻してなどくれない。
日々の献身的な様子から淡い期待を込めて、俺を愛しているか尋ねればばっさり一刀両断だ。
俺はあのときいつになく動揺と緊張を抱いていたが(思わず普段は使わない“僕”なんて一人称なあたり動揺が知れる)、そんな俺に妻が気づくはずもなく、わかってはいたけれどかなり落ち込んだ。
妻の部屋を出て、フラフラと辿り着いたのは下の娘の部屋だった。
子供特有の甘い香りがする部屋に娘は一人絵本を読んでいた。部屋の隅には目付のメイドが微笑ましそうにその様子を見ている。俺に気がつくと彼女は腰を折り部屋を出て行く。おそらく扉前で控えているのだろう。
娘は本が好きらしい。妻に似たんだろうな。
「あ、おとうさま。どうしたの? おかあさまとケンカでもしたの?」
顔色が変よ、と子供らしいあけすけな言葉で教えてくれる。それにまたがっくりしながらもポロリと言葉が落ちた。
「そう……だな、そうかもしれない。なあ、仲直りするにはどうしたらいいと思う?」
我ながらまだ幼い娘に悩みを聞いてもらうなんて情けない。娘は訳知り顔をして、腰に手を当てエッヘンという効果音が聞こえそうな体勢で有り難いお言葉をくれた。
「ごめんなさいって言えばいいのよ!」
そうしたらおかあさまは優しいから許してくれるわ!
───数日後、侯爵が深く腰を折って妻に謝る姿が屋敷にて見られたとか。
彼らがその後どうなったのか、妻は許したのか、夫の想いは届いたのか……当人たちだけが知る。
……ただ、彼の国に今もヴァイスの名が続いているのが答えではないだろうか。
END
俺たちの戦いはこれからだ!
執筆時の仮タイトル
「因果応報〜ドンマイ、遅れてきた思春期〜」
悪行には悪行が、善行には善行が返ってくる。これが旦那さんの唯一報われる道だと思われます。