5-3 甘い夢
それはいつもと変わらない日常の風景だった。
村での平和な生活。
朝はナナに起こしてもらいナナが作ってくれた朝食を食べる。その後はニールと剣の稽古をしたり、父さんの仕事を手伝ったりする。それからたまに村に来る商人の護衛をするため、アスカと一緒に隣町まで行く。
――あれ? 何かがおかしいような。
異物がはまったかのような気持ち悪さがあったものの、その日常にはそれ以上の心地よさがあったため、僕は異物から目を逸らすことにした。
隣町まで行く道中にオークに襲われることもあるが、僕とアスカは見事な連携を駆使して、苦もなくオークどもは追い払う。
毎日代わり映えのしない平凡な日々。刺激はないけど充実はしていた日々。まさしく平和と形容するのがぴったりな日常の日々。
それでも僕は幸せだった。
かつて僕は村の外の世界に憧れていた。
でも、今はその考えを改めてこんなふうに毎日ダラダラと過ごすのも悪くないと思えるようになった。危険を犯してまで外の世界に出るくらいなら、のんびりと平和に村でずっと過ごすのも悪くないだろう。
こう思えるようになったのも、僕が大人になったからなのかな。
「ダメ! 目を覚ましてユウヤ!」
どこからともなく、脳みそに直接語りかけるように、儚くて力強い女の子の声が聞こえてきた。
切羽詰まったその様子に、僕は力を貸してあげたくなったが、目を覚ましてと言っても、現状僕は目を開けて村の中を散歩しているのだ。
道の真ん中でどうするべきか思案していると、その声がもう一度聞こえてきた。
「あなたのいるべき世界はここじゃない」
その時だった。周囲に見えていた村の景色にひびが入り、ゆっくりと崩れ始める。
「――――――――はっ!?」
何か大きな力に引っ張られるように、ふと意識が鮮明になった。
そこに至って、ようやく自分が置かれている状況が理解できた。
僕が見ていたのは偽りの夢。ぜったいに手に入れることができない日常の日々。
でも例え夢だあっても、そこにはナナもアスカもいる。ニールだっている。そこにないのは現実という二文字だけだ。
どうして現実にこだわる必要がある? 理想の夢にずっと浸かっていられるのならばそっちのほうはいいじゃないか。
頭の中で言い訳を並べながら、僕は声の主――マリヤに言葉を返す。
「ごめんマリヤ。僕なんかじゃ世界を救うなんて無理だったんだよ」
下を向きながら力ない声を出すと、今度はさっきとは別人で芯の入った透き通った声が割り込んできた。
「ユウヤ! 聞こえてる? 聞こえてるわよね! ひょっとしてあたしが守ってあげた恩を忘れたわけじゃないでしょうね。借りを返してもらうまで死んでも追いかけるわよ。例え夢の中に逃げ込んでも絶対に追いかけてやるんだから、あたしの諦めの悪さは知ってるでしょう?」
それは紛れもなく現実世界のアスカの声だった。でもどうして? アスカは気を失っていたはずなのに。
その胸中を読み取ったかのように答えたのはマリヤだった。
「それはとても簡単なこと。ユウヤもナナも眠りについてしまったせいで、戦えるのがアスカしかいなくなったから。奥の手である治癒魔術を行使することもなく、傷を抱えたままサマンサと向かい合っている。すべてあなたとナナをあの悪魔から守るために」
ああそうか、今アスカは一人で戦っているのか。
それを聞いて、もはや僕の中ではアスカを見捨てて偽りの平和を満喫するという選択肢は失われていた。
だってここでアスカを見捨てたら後でどうなるかわからないから。異世界までこうして追いかけてきたアスカならば、本当に夢の世界まで追いかけてきそうだ、というじょは半分冗談。いや半分以上は冗談かな。
だって友人がひとりで辛い目にあっているのに、僕はそれを知らん顔して指を加えているなんてできるわけない。
「僕の居場所はここじゃない。僕は魔王を倒すために遣わされた勇者。使命はサマンサという悪魔を倒すことだ。サマンサに見せられている悪夢にいつまでも浸かっているわけにはいかない」
自分を奮い立たせるように大仰な言葉を並べてみせる。
すると一度は萎んだはずの闘争心が沸き上がってきた。
間もなくして、意識が現実へと戻ると、視界の向こうではアスカとサマンサが対峙していた。
魔法を使う隙がないくらいに接近した距離で、お互いの拳技を出し合っている。
人間離れしたサマンサのスピードにアスカはついていっている。アスカは身体強化の類をしていないはずなのに。
改めてアスカがただ者ではないことを実感する僕だった。
ただアスカは、さきほどのダメージが完治した様子もなく全身痣だらけで満身創痍の状態だ。拮抗した勝負に見えなくもないが、どこか余裕を残している感じのサマンサに比べてアスカは精一杯という感じだった。
アスカの拳がサマンサに炸裂し、サマンサの身体を傷つけてはいるものの、サマンサはダメージを受けている素振りすら見られない。やはり身体が少し傷ついたくらいでは、有効打とはならないのだろう。
傍から二人の戦いを眺めながら、アスカを手助けするタイミングを伺うが、そのタイミングが掴めない。
その間にも刻一刻とアスカの体力が削られていく。
アスカがサマンサの回し蹴りをまともに顔面に食らった瞬間、僕の身体は脳が命令するよりも先に飛び出していた。
目の前でアスカが地面へ吹っ飛ばされ、とどめの一撃を放とうとサマンサがアスカへと詰め寄った。
僕は即座に二人の間に入り込み、サマンサの身体めがけてニールの形見である拳を振り下ろした。
さすがのサマンサも不意打ちの一撃に対応することができなかった。剣を返して追撃を仕掛けようとしたが、こちらはサマンサが後ろに飛び退いて躱された。
数歩分の距離を開けてお互いに睨み合う。
いや睨んでいるのは僕だけだ。サマンサは上半身を斜めに切りつけられたにもかかわらず、大きな傷跡を僕に見せつけながら涼しい顔をしている。。
「選手交代だ。ここからは僕がやる」
「おや、女との戦いで気づかなかったが、目覚めたのか。なるほど、その強い意志は褒めてやろう。その意志があればもうナイトメアは効かないだろうな。せっかく苦しまずに死ねるチャンスだったのにそれを放棄するとはな」
その瞬間、サマンサの目つきが変わった。これまではどこか僕たちを小馬鹿にしたような様子で、遊んでいた感じだったが、その気配が消えた。
ようやく僕のことを敵として認識したような、そんな鋭い双眸を向けている。
背筋を冷たい汗が滴り落ちる。張り詰めた糸のようなぴりぴりとした緊張感が肌にまとわりついてくる。
なるほど、これが魔王と呼ばれる存在の迫力なのか。しかもこれでもまだ本来の力とはほど遠いのだろう。
「いい夢は見れたか?」
「まあね。なかなかいい夢だったよ。でも、最近よく見てた夢の方が、よっぽど楽しい夢だったよ」
及び腰になるわけにはいかない。それが強がりだと悟られたとしても、僕は退くわけにはいかないんだ。
「お前は目覚めたみたいだが、腕輪の持ち主の嬢ちゃんは目覚めそうもねえな。ま、仮に目覚めたとしても、おまえがそれを知ることはねえだろうけどな。なぜならばおまえはその前に死ぬからだ」
自分に酔ったように前口上を続けているサマンサの隙を突いて僕は背後を振り返った。
視線の先で、ボロボロの状態のアスカと目が合うと、アスカは僕の考えを察したように頷いてくれた。
胸中で安堵の息を漏らして視線をサマンサへと戻す。
それじゃあ僕は戦いに専念するとしよう。
たとえ差し違えても、僕はサマンサの企みを阻止してみせる。
「遊びは終わりだ。これからここで繰り広げられるのは殺し合いだ。いやそんな生ぬるいものじゃねえ虐殺だ」
乱暴に腕を振って荒々しい仕草を見せるサマンサだが、外見が綺麗な女戦士であるリリィさんなので、どうにもその仕草が様になっていない感じがする。
とはいえ、今はそんなことを考えている場合ではない。
「ああ、僕のほうも覚悟はできている。勇者としておまえの企みは絶対に阻止する」
合図をしたかのように、ボクとサマンサは同じタイミングで地面を蹴り上げた。
――そして長い長い戦いが始まった。




