4-1 記憶
四章 別れ
二葉勇也。それが僕の本当の名前だった。
僕は日本の北のほうにあるとある田舎で生まれ、そこで約十八年間安穏な生活を送っていた。
友達は多い方ではなく、それでも一条飛鳥――アスカと呼ばれている女の子が、僕としょっちゅう遊んでいた。ついでにしょっちゅう僕に世話を焼いてくれた。
時には世話焼きのアスカを煩わしく思うこともあったけれど、大きな仲違いをすることなく僕らは友好な幼なじみの関係を続けてきた。
アスカは同い年にも関わらず、僕と一緒にいると近所の人たちは僕のことを弟、アスカのことを姉、と口を揃えて言っていた。背格好や態度を鑑みると、その評価は間違いなく妥当だったといえるだろう。当時は不満に思ったりもしたけれど。
思春期の真っ盛りになろうと、アスカはまったく僕との距離感を変えることなく、姉弟のような関係のままだった。
当然、異性が常に行動を共にしていれば、周囲が僕たちの関係をおちょくったりもしてくるわけで、何よりもアスカと一緒にいることで、彼女を女性として意識するようなり、余計にアスカを遠ざけようとした時期もあった。
今にして思えば本当に下らないことだ。なんともガキくさい感情だったのだと思う。こんなんだから同い年にもかかわらず僕のほうが、ガキで弟だと思われていたのだろう。
高校を卒業し、僕は大学に入学ととともに上京することになった。入学式のひと月前から、生活に慣れるために一人暮らしを始めていた。
ひとり暮らしとは言っても、僕の部屋のすぐ近所でアスカも同じようにひとり暮らしを始めたので、孤独感を感じることは一度もなかった。
生活力とはほど遠い僕は、そこでもアスカの世話になりっぱなしだった。
桜が咲き始めて、大学の入学式も近づいてきた頃、僕はこれまで何度も僕の世話を焼いてくれたアスカに対して、感謝の気持ちを込めて料理を振る舞ってあげようと画策した。
結局、アスカが何度も横からアドバイスをしてくれたにも関わらず、完成した料理を口にしたアスカは「まずい」とシンプルで的確な一言で切り捨てたっけ……。
遥か遠くにある記憶に、想いを馳せる。
これら全部、懐かしくて大事な僕の思い出だ。思い出してしまえば、失くしたままでなんていられるはずのない大切な記憶。
――そして記憶の回想はあの日の夜へと進んでいく。
あの日の夜、僕はコンビニからの帰り道、話題になっていた通り魔と思われる男と遭遇した。そしてその男と目が合った瞬間、通り魔の男はいきなり僕を追いかけてきて、僕の腹を思いっきりナイフで突き刺してきた。
薄れ行く意識の中で僕は死を覚悟した。というか、実際死んでいたと思う。あのときに感じた死という感触は紛れもなく本物だった。
――しかし、僕は目を覚ました。
そこは無の世界だった。周囲には何もない、僕が目を覚ましたのはそんな世界だった。
ただそんな無の世界には、一人の少女がいた。
「私はマリヤ。ちょっと訳あって、この場にあなたを呼んだ」
その少女はゆっくりとこちらに歩み寄ってくると、抑揚のない調子で告げた。
「あれ? 僕? あの通り魔に襲われたはずじゃ……」
さっきまで感じていた死の感触はすでに失われていた。半分パニックになりながら、不自由になっていたはずの四肢を動かしてみるが、自分の命令通りに自分の四肢を動かすことができた。
「そう。あなたはあの場所で死んだはずだった。でも、私がこの場にあなたを呼んだ」
「…………」
マリヤの言葉が僕の理解を超えてしまったので、僕はポカンとした表情で少女を見つめていた。きっと相当馬鹿面をしていたに違いない。
「私があなたをこの場に呼んだのは契約をしてもらうため。あなたには勇者として、とある世界を救ってもらう。私がその世界を救えれば、手っ取り早いけど、私は、その世界に対して干渉出来る事は限られている。そういうわけで、あなたがもし生きて、現実世界に戻りたいというのであれば、私の言う事を聞いて勇者としてその世界を救って欲しい」
一方的に用件を述べるマリヤに対して、僕が口を挟む余地はなく、ただ黙って耳を傾けることしかできなかった。
「あなたに救ってもらう世界は今から数年後、とある悪魔が復活し、世界を滅ぼす魔王となる。そういうわけだから、あなたにはその魔王の復活を止めるなり、魔王を滅ぼすなりして世界を救ってほしい」
「断ったらどうなるの?」
「とても簡単で単純なこと。あなたは死人なんだからこのまま死を迎えるだけ。当然、二度と元の世界には戻れない」
淡々とした調子で言うマリヤ。
「正直、なんかよくわかっていないんだけれど、その悪魔ってやつをどうにかすれば、僕を元の世界に戻してくれるんだよね?」
「そういうこと」
マリヤの言いつけに背いたところで、ただ死を迎えるだけ。魔王を殺すとか、勇者になるとか、言っていることはさっぱり意味不明だが、僕がとるべき選択肢は一つしかないみたいだ。
「どのみち、選択肢は一つしかないみたいだね」
「そっか。そう言ってもらえて助かったわ。それじゃあ、あなたは勇者として世界を救って、自分の願いを叶えるといい」
マリヤが僕の胸のあたりにそっと手をかざした。
「そのための力も僅かばかりだけどあげる。この力は特殊な力。特殊な力が蔓延してるその世界でもさらに特殊な力」
その瞬間、僕の身体全体を優しい光が包み込んだ。なんだか身体の奥から力が沸いてくるような不思議な光だった。
「残念だけれど、私はその世界の生命を持った者に触れられない。だから私はあなたを助けることができないの。あなた自身でどうにかしないといけない」
そのとき、マリヤの表情が初めて変化した。憂いを帯びた横顔はとても切なげで、見た目通りの弱々しい少女のものに見えた。
「なんかよくわかんないけど、せっかくもらったチャンスなんだ。生かさせてもらうよ」
「それじゃあ、健闘を祈るわ」
どこか他人事のようにマリヤが言った瞬間、僕の視界が大きく反転した。
気づいたときには、僕は山の中にある茂みで倒れていた。
その山は王都の北にある山。たった今、僕がイヴと死闘を繰り広げた場所だった。
ただでさえ展開が大きく動きすぎて脳の処理が追いついていないのに、そのうえぼーっとした感じで全身がだるいかった。
遠くから聞こえてくる足音が、どんどんこちらに近づいてくる。足音が大きくなってくるなかで、地面に手をついて起き上がろうとするが身体が動かせない。
「ん? なんかおかしなヤツがいるなあ。人間か? いや人間なのは間違いないが、何か違う」
いつの間にかすぐ目の前までその男が迫っていた。そいつはつり上がった瞳で僕を見下ろしていた。
「はは~ん。なるほどなあ。さてさてどこから迷い込んできたのやら」
その男は体の大きさは僕より少し大きいくらいだろう。姿形も人間とあまり大差ない。しかし、全身の色は青く、上半身は裸でへそのあたりに目のような模様が描いてある。
「命は取らないから心配すんな。ただこの世界で暮らすために不必要な情報はすべて削除してやる。せいぜいこの世界に馴染んで幸せに暮らすんだな」
男が僕の頭に手を置いて、何か呪詛のような言葉を並べていると、さらに頭がぼーっとして意識が遠くなっていく。
「ははっ、誰の差し金かはだいたい想像つく。何時までもこの場に残しておくわけにはいかないから、おまえには別の場所に飛んでもらう。それどころかおまえは時間軸さえ跳んでいくんだ。なかなかできる経験じゃないぞ」
どこか楽しそうに口元を歪めているイヴの手によって、僕はダリアの村の近くの森に飛ばされたのだった。
次に目覚めた時には記憶もなく、巻き戻された時間とともに僕の身体も巻き戻されるように縮んでしまっていた。




