四
「ただいまー」
徹が家に着くと、栞は既に帰ってきていた。戦利品らしきアイドル写真を、どのような法則があるのか真剣な顔でいくつかの山に分けては集めて、を繰り返している。
「おかえり」
写真から目を離さずに答えた栞だったがピヨピヨ・・・という鳴き声に気がついて顔を上げると徹が大事そうに抱えている箱へと視線は移っていった。
「あー・・・お母さーん、やっぱりヒヨコ買っちゃってるよー」
と呆れたような諦めたような声で台所に居る母に呼びかける。
「本当?」
台所ののれんのスキマから覗く幸恵の顔を見て徹はぎゅっと箱を抱きしめた。
そんな徹を見て幸恵は思わず微笑んでしまう。
「おかえり徹、楽しかった?」
「・・・・うん」
「ヒヨコ、自分でお世話できるの?」
値踏みするような口調で幸恵は言う。
しっかり者で手はかからないがどこか生意気な栞と違い、手はかかるが素直で幼い徹が母としては可愛くて仕方がないのだ。
徹の変わったクセの数々を自分が甘やかしているせいかもしれないと思いつつ、でもこの子は根が優しい良い子だわ、とついつい甘くなってしまう。
「できるよ!」
顔を上げて徹はニッコリ笑う。そして箱に目を落として困った顔で思案すると
「ねえ・・・どうしたらいい?」
子どもに生き物の世話がきちんと出来ない事くらい大抵の母親なら知っている。
幸恵もできるだけ徹に任せたいと思いつつ、最後には自分が世話をすることを覚悟したが、そう聞かれてもヒヨコの育て方を知っているわけではない。
「そうねえ・・・お水を飲ませてあげたら?」
というと浅めの小皿に水を汲んで徹に差し出す。
ひよこ達は夏の暑さと電燈に照らされ続けたせいか、余程のどが渇いていたらしく何度もかわいらしく水を飲む。
「かわいいね、名前付けたの?」
その頃にはすっかり写真よりヒヨコに興味のうつった栞が聞いた。
「んーとね・・・まだわかんない」
徹は名前をつけるのが下手だ。男の子というのはそうなのかもしれない。
栞の記憶にあるだけでも毎日一緒に寝ているクマのぬいぐるみは「クマちゃん」で、去年お祭りで取ってきた金魚は「金ちゃん」だった。
金ちゃんは日に日に大きくなり、濃い赤だったのが薄いオレンジ色になって 下駄箱の上に置いた水槽いっぱいのサイズになりゆうゆうと泳いでいる・・・というよりは漂っている。徹は未だに「おはよう金ちゃん」といいながら毎朝えさをあげていた。
「あ!ウンチした!」
「あらあらあら」
幸恵は慌てて始末をすると適当なダンボール箱を見つけてきて徹に手渡した。
「この箱に入れておいてね。エサ・・・とりあえずパンで大丈夫かな」
徹は慌ててパンを取りに行く。
ちぎって小さくしてヒヨコの前に落すがくちばしでいじってはいおるもののあまり食べてはいないようだ。
栞の関心はアイドル写真へと戻っていったが、徹は飽きもせずそんなヒヨコ達を眺めていた。
しばらくすると疲れた様子で隆が帰ってきた。
ヒヨコを見ると幸恵の顔をチラリと見たが、浮かんでいる「仕方ない」という表情を確認すると、徹の横に座ってダンボールの中を覗き込む。
「かわいいなあ。夏といっても夜は寒いかもれないなあ。新聞誌を敷いて、あと細かく裂いたものを入れたらいい」
早速徹は父の言うとおりにヒヨコの夜の寝床を整えてやった。
「あんまり見てると穴が開くぞ、ヒヨコもいじられすぎて弱ってるだろうからフタを閉めて暗くして寝かせてあげなさい」
と隆に促されてようやく、お風呂に入り布団に入った。
翌朝、徹が家族の誰よりも早く起きてヒヨコの箱を見に行くと、箱の中からでも空気穴から差し込む光で朝がわかるのか、昨晩よりも大きな声で鳴いてヒヨコは徹を出迎えた。
パンくずを落とすと2匹は争うように食べる。
「おいしい?」
と聞きながらふわふわの羽毛にちょっと触る。あんまり触ったら駄目なんだ、弱っちゃうから・・・頭の中で隆の言葉を思い出す。
幸恵が起きて既に起きている徹に気がつき、呆れて着替えさせ朝食を食べさせたが、それ以外の時間徹はずっとヒヨコを眺めていた。
8時になると健介と真人がやってきた。
「徹ー真人ヒヨコ飼っていいって言われたんだって。一匹返してくれない?」
徹の顔を見るなり健介は早口にそう言った。
言いづらいから早く行ってしまおう、という気持ちが透けて見える。
徹は黙り込んでしまったが、もともと健介が買ったものをイヤといえるわけもなく、なんやかんやと数分後には大きくて元気なブルーのヒヨコは真人のものになっていた。
「じゃ、徹今日は神社に2時な!!」
というと午前中はスイミングスクールだという二人は帰っていった。
箱には小さい紫色のヒヨコだけが残された。
起きてきて話を聞いた栞は、一度貰ったんだからもう徹のものだといってぷんぷん怒りだした。
「徹も青いのが気にいってたでしょう!なんでせめて青がいいって言えないの!」
とうとう怒りは徹のふがいなさにまで向いてくる。
「まあまあ、青とか紫っていっても染めてあるだけなんだからすぐにみんな黄色になるよ」
新聞から目を離してとりなした隆の言葉に徹は驚く。
「染めてるの?」
朝の明るい光の中でよく見れば確かに根元は黄色い。
「染めるの、痛くなかったかな・・・」
「うーん・・・痛くはないだろうけど一匹づつは染めたりはしないだろうから染料が目に入ったりするのもいるだろうなあ」
隆は今度は新聞記事から目をそらさず返事をする。
徹は紫色のヒヨコをそっと撫で、この子の目は大丈夫だったかなあ?と確認した。ヒヨコの黒い目に傷はないようだったが見えているかどうかまではわからない。
「ごめんね」
と小さい声でつぶやいた。
お祭りの間、ヒヨコは徹の同級生の間では「飼えません」と言われた健介がすねるほどにはブームになった。
しかし真人の持ち帰ったブルーのヒヨコをはじめ、多くのヒヨコは2・3日中に死んでしまい2学期が始まる頃になると生きているのは徹のヒヨコだけになっていた。
ピーちゃん、と名づけられたそのヒヨコは隆の言ったとおり紫色から黄色になり、小さいながらトサカらしきものまで生えてきて・・・秋も深まる頃には立派な雄鶏になってしまった。
隆が調べてきたところによると、白色レグホンという種類らしい。
狭いながらも庭があるとはいえ、新興住宅地で朝の5時から威勢よく「コケコッコー!!」を繰り返すピーちゃんはすっかりご近所の厄介者となってしまった。
なんとか徹を説得し(納得していたかは定かではないが)家から車で5分ほど山道に入った母の実家の祖父母にピーちゃんは預けられた。